サトゥラス伯爵家の晩餐会(中)
2024.10/7 更新分 1/1
「それでは、調理を始めます。まずは二手に分かれて、下準備をお願いします」
レイナ=ルウの号令によって、いよいよ調理が開始された。
本日は屋台の商売を終えてから駆けつけたので、すでに刻限は下りの二の刻の半を過ぎている。晩餐会の開始は下りの五の刻の半であったので、三刻足らずで30名分の晩餐を仕上げなければならないのだ。なおかつ、献立は6品を予定しているので、のんびりしている時間はなかった。
こちらの屋敷の厨は広々としているので、7名全員で下準備に取り組んでいる。それを見物しているのはセルフォマとカーツァに、ルド=ルウとマァムの男衆だ。ムファの男衆は扉の外で、守衛の兵士とともに立ち並んでいるはずであった。
「ま、あとはこうやってかまど番の仕事っぷりを眺めてるだけだよ。退屈すぎてあくびが出そうだけど、くれぐれも気を抜かねーよになー」
「うむ。壁が石造りだと、回廊の気配を探ることも難しいようだが……さしあたっては、窓などを注意していればいいのだろうか?」
マァムからはいつも本家の長兄たるジィ=マァムが参じているので、この分家の男衆も初めて城下町で警護の役を担うのだ。ルド=ルウよりも若そうなその顔は、下準備に取り組むマァムの女衆に負けないぐらい張り詰めていた。
「もちろん窓は要注意だけど、慣れれば回廊の気配も察せるようになるよ。壁は石でも、扉は木だからなー。誰か近づいてくりゃ、すぐわかるさ」
「うむ。かろうじて、扉の外に立つ者たちの気配は感じ取れるようだが……近づく人間の気配も察せられるものだろうか?」
「あー、この屋敷はどこもかしこもふかふかの敷物が敷きつめられてるから、足音なんかはほとんどしねーけどなー。でも、慣れればどうってことねーよ。これも修練だと思って、気配を探ってみな」
「うむ。これは退屈どころの騒ぎではないようだ」
マァムの男衆はいっそう張り詰めた面持ちで、回廊に通じる扉のほうをにらみすえた。
態度は気安いルド=ルウであるが、やはり警護の取り仕切り役として立派に仕事を果たしている。レイナ=ルウも、負けてはいられなかった。
「下準備は、これで完了ですね。では打ち合わせ通り、わたしとあなたは調味液と香草の配合、あなたはリミと菓子の準備、残る3名で食材の切り分けをお願いします。……ララ、そっちはよろしくね」
「了解。こいつさえあれば、間違えることはないさ」
ララ=ルウは不敵に微笑みながら、森辺から持参した帳面を振りかざす。食材をどういった形で切り分けるかは、そちらに書き記しておいたのだ。あとはレイの女衆が献立の内容をしっかりわきまえているので、間違いが起きることはないはずであった。
(まあ、ララにはマァムの女衆を指導してもらわないといけないからな)
レイの女衆は、いまやマイムとリミ=ルウに次ぐ力量である。よって、彼女には独自の判断で作業を進めてもらい、ララ=ルウには帳面を頼りにマァムの女衆の指導を任せたのだ。その次に頼りになるルティムの女衆はリミ=ルウと組になってもらい、レイナ=ルウはもっとも経験の浅いムファの女衆の指導であった。
「わたしは香草を受け持ちますので、あなたはこちらの帳面に従って調味液をお願いします。何かわからないことがあったら、必ずわたしに声をかけてください」
「は、はい。承知しました」
ムファの女衆は緊張しきった面持ちで、帳面の内容を検分した。
表情は固いが、その瞳には強い意欲の炎が燃えている。彼女とて、ムファの中から選ばれた精鋭のかまど番であるのだ。他の眷族の女衆には一歩後れを取ってしまったが、その内にはまだまだ成長の余地が残されているはずであった。
「そーいえば、今日はプラティカたちはいねーんだなー」
ルド=ルウが誰にともなく問いかけると、カーツァが慌ただしくその内容をセルフォマに伝えた。そして、セルフォマの返答をルド=ルウに伝える。
「は、はい。プラティカとニコラは昨日も一昨日も私に付き添って森辺に参じてくださいましたので、本日はダレイム伯爵家のお屋敷に留まっているはずです。……と、仰っています」
「あー、そっか。プラティカはともかく、ニコラはそっちの人間なんだもんなー。よくもまあ、毎日毎日森辺に顔を出せるもんだぜ」
「は、はい。ダレイム伯爵家のご当主および師匠たるヤンの寛大なはからいによって、力を添えていただくことがかないました。森辺の方々も含めて、ジェノスの方々の親切さは心よりありがたく思っています。……と、仰っています」
「つっても、護衛役にはジェノスの兵士を出してもらえたんだろー? だったらプラティカたちは、自分の好きでつきあってるってこった。なんも気にする必要はねーさ」
セルフォマたちには身を守るすべがないため、森辺への行き来ではジェノスの兵士が護衛役を務めることになったのだ。セルフォマたちは賓客という立場であるので、それも当然の話であった。
「でもリミは、そろそろセルフォマのお菓子も食べてみたいなー! いつか食べさせてくれるって約束したよねー?」
「は、はい。いずれ機会が訪れれば。……と、仰っています」
「うん、ありがとー! 今日はシリィ=ロウのお菓子を食べられるのかなー! そっちも楽しみだなー!」
リミ=ルウのそんな無邪気な声が、またひそかにレイナ=ルウの意欲をかきたてた。《銀星堂》からは、ロイが料理を、シリィ=ロウが菓子を供する手はずになっていたのだ。味比べの余興で勝敗がつけられるわけではなかったが、それでレイナ=ルウが奮起しない理由はなかった。
(ロイはきっと、すごく腕を上げているはずだ。料理は、勝ち負けじゃないけど……でも、絶対に負けたくない)
レイナ=ルウにとって、ロイは大切な友である。ずいぶんな昔、おたがいが客人の立場としてファの家を含む6氏族の収穫祭に招かれた際、確かな絆を結ぶことになったのだ。それ以来、レイナ=ルウは彼に心からの敬愛を抱くようになっていた。
しかし、それと同時に、彼は競争相手である。それも、確かな実力を持つ好敵手だ。ヴァルカスとアスタの作法を同時に活用させようと考える彼は、城下町の料理人の中でもっともレイナ=ルウが競争心をかきたてられる相手であったのだった。
「レイナ姉、こっちのかまど、先に使っちゃってもいいかなー?」
と、リミ=ルウの朗らかな声が、レイナ=ルウの心を現実に引き戻した。
もちろん手もとはおろそかにしていないが、目や耳が自分のことにばかり集中していたようだ。レイナ=ルウは慌ててムファの女衆の手もとを検分して、何も間違いがないことを確認してから、「うん」と答えた。
「ずいぶん早く下準備が終わったんだね。こっちの前にかまどを使い終わったら、助かるよ」
「うん! ふたりがかりで、ぴゅぴゅーって終わらせちゃった!」
リミ=ルウがにっこり微笑むと、ルティムの女衆も和やかに笑った。
やっぱりリミ=ルウは、手際がいい。少人数の組にすると、その実力がいっそう強く発揮されるようだ。リミ=ルウにはいつも菓子を任せているので、その成長は心強い限りであった。
(できればわたしも、菓子作りの腕を磨きたいところだけど……アスタやヴァルカスだって、菓子作りには力を入れてないもんね。わたしが菓子まで手掛けていたら、ますます引き離されちゃうよ)
そうしてレイナ=ルウはムファの女衆の指導も念頭に置きながら、粛々と作業を進めた。
半刻ばかりも経過すると、ルド=ルウの指示でマァムとムファの男衆が警護の場所を入れ替える。彼らはどちらも新参であるので、均等に仕事を割り振っているのだろう。ルド=ルウは先刻と同じ内容を、ムファの男衆にも伝えていた。
「外の様子はどうだった? 見張りの兵士と話は弾んだかー?」
「おたがいに気を抜くことは許されないので、そうまで会話に興じることはなかったが……しかしあちらは、俺に対して気を張っていないように感じられた」
「そりゃーリーハイムは、しょっちゅうレイナ姉を呼び出してるからなー。兵士連中だって、今さら森辺の民に気を張ることはねーだろ」
「うむ。ルウの家人はそうして着実に城下町の民と絆を深めてきたのだな。俺も後れを取らないように、力を尽くそうと思う」
「ムファには生真面目な人間が多いよなー。あっちの女衆も、ずーっとおっかねー顔で仕事してるもんよー」
調味液の配合に取り組んでいたムファの女衆は「え?」と慌てた声をあげて、作業台にタウ油をこぼしてしまう。レイナ=ルウはひとつ息をついてから、ルド=ルウのほうに向きなおった。
「ルド、彼女は初めての仕事で緊張してるんだから、余計な気を使わせないでくれる?」
「初めての仕事って言っても、屋台の仕事とかはさんざん手伝ってきたんだろー? 場所が城下町に変わっただけじゃん」
「だから、緊張するんだよ。……気にしないで、作業を進めてください。こぼれたタウ油は、そちらの織布でふきとってくださいね」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
ムファの女衆はあたふたとしながら、入念にタウ油をふきとった。
ルド=ルウは、「あーあ」と呑気な声をあげる。
「ムファがどうこうって言っちまったけど、一番堅苦しいのはうちのレイナ姉だったなー。さっきの言葉は、取り消すよ」
「いや。ルウの次姉の気迫は狩人さながらで、俺も感心していた。俺の妹も、きっと得難い経験を得ることだろう」
「あー、あの女衆はお前の妹だったのかー。じゃ、生真面目なのは血筋なのかもなー」
「うむ。眷族として新参であるムファは、まだまだ親筋に対する畏敬の思いが強いのだろうからな」
「新参って言っても、もう30年ぐらいは経ってるんだろー? 10年ていどのリリンなんざ、すっかりくだけたもんだぜー?」
「……それは、血の縁の結び方にも関わってくるのではないだろうか? リリンは家長がその力をもってルウの眷族に相応しいことを示したが、俺たちは……スンから守ってもらうために血の縁を結んだようなものだからな」
何やらずいぶんと、込み入った話題に移行したようである。
それでもレイナ=ルウが黙々と仕事を進めていると、作業台の向かいからララ=ルウが声をあげた。
「でも、もともとムファからルウに女衆を嫁入りさせる話があがってたんでしょ? スンともめたのはその後なんだから、関係ないんじゃないのかな」
「しかし、その女衆がミギィ=スンに害されたのちは、ルウもムファを守るために眷族として迎え入れるしかなかったのだ。俺は父から、そのように聞いている」
そこで「えっ」と声をあげたのは、カーツァであった。彼女が自分から声をあげるのは、きわめて珍しい話である。
「も、森辺でそのように陰惨な事件があったのですか? なんだか……想像がつきません」
「しかし、それが事実であるのだ。ミギィ=スンに害された女衆というのは、すなわち俺の父の姉であったのだからな」
ムファの男衆は、落ち着いた声でそのように応じた。
「そうしてミギィ=スンは森に魂を返したし、スン家の罪はすべて明るみにされた。それで森辺の民は、誰もが正しき道を進むことがかなったのだ」
「そ、そうですか……傀儡の劇で語られる他にも、そのようなご苦労があったのですね……」
「さすがに30年も前の話が、傀儡の劇で語られることはあるまい。きっとそれよりも昔には、俺たちも知らないような数々の話が眠っているのだろうと思うぞ」
「は、はい。それでも森辺の方々がすこやかな生活を手にできたことを、祝福させていただきたく思います」
カーツァはおずおずと、そう言った。今にも弱々しい微笑を浮かべてしまいそうな面持ちだ。
すると、セルフォマが東の言葉で何かを語り、カーツァは「はいっ!」と背筋をのばした。
「た、大切なお仕事のさなか、雑談にかまけてしまって申し訳ありません! 必要なお言葉は、すべてセルフォマ様にお伝えいたしますので!」
「って、西の言葉で言っても伝わらねーんじゃねーの?」
「そ、そうでした!」と、カーツァは大慌てで東の言葉で釈明し始める。
そんな騒ぎを尻目に、レイナ=ルウはムファの女衆に向きなおった。
「父や祖父の代の話であるので、わたしもムファとスンの関係については意識したことがありませんでした。屋台の商売では、ツヴァイ=ルティムやヤミル=レイと接することも多いかと思いますが……問題などは、ありませんか?」
「ええ、もちろんです。彼女たちがどれだけ心正しい人間であるかは、わたしたちもきちんと見届けているつもりです」
ムファの女衆は口もとをほころばせながら、そう言った。
「族長たちが進むべき道を誤っていたならば、きっとわたしたちはいまだにスン家を恨んでいたのでしょう。スン家を含めたすべての同胞とともに正しい道を歩めることを、わたしは心から得難く思っています」
「そうですか」と微笑を返しつつ、レイナ=ルウは自分の至らなさを思い知らされていた。
(そうだよね。ツヴァイ=ルティムとは、ずっと同じ屋台で働いてたんだし……わたしは何も考えないで、同じ組にしちゃってたよ。わたしは本当に、目先のことしか見えてないんだなぁ)
すると、ムファの女衆は純真なる眼差しでレイナ=ルウの顔を覗き込んできた。
「あの、ムファの確執などはもう終わった話ですので、何も気になさらないでください。レイナ=ルウのもとでツヴァイ=ルティムとともに働けたからこそ、わたしは彼女の人柄を知ることができたのです」
「え? あ、はい……な、なんだか心を読まれたような気分です」
「あはは。レイナ=ルウも純真であられるから、思ったことが顔に出るのではないでしょうか?」
年少の女衆にそんな言葉を告げられて、レイナ=ルウはいっそう忸怩たる心地である。
しかし今は、心を乱している場合ではない。迫りくる約束の刻限に向かって、すべての力を尽くさなくてはならなかった。
◇
そうして、下りの五の刻を四半刻ほど過ぎた頃、ついにすべての料理が完成した。
晩餐会に参席する人間は着替えをしなくてはならないため、かなりぎりぎりの刻限である。さすがに浴堂で身を清めている時間はなかった。
「では、そちらは別室で晩餐をとりつつ、待機してもらいたい。何も危険なことはなかろうが、決して気は抜かぬようにな」
貴族との歓談から戻ったジザ=ルウの指示で、4名の女衆と2名の男衆は別室に移動した。
晩餐会に招待されたのはルウ本家の5名と、シン・ルウ=シンである。調理だけではなく晩餐会にまで招かれる人数はいつも異なっていたが、6名も招かれるのはこれが初めてのことであった。
「今日は婚儀の前祝いって話だったよなー。そんな場所に、どうして俺たちまで招かれてるんだろうなー」
「正式には、前祝いの前祝いであるそうだ。レイナは婚儀の祝宴でもかまどを預かる手はずなので、顔見せのために今日の会を開いたという面もあるようだぞ」
そんな言葉を交わしながら、晩餐会に参ずる6名は着替えの間へと案内された。
男女で別々の部屋に導かれて、まずは調理着を脱ぎ捨てる。そして浴堂に入る時間がない際には、濡れた織布で汗をぬぐうのが通例であった。
本来であれば侍女に身を託すべきであるようだが、森辺の女衆はみんな自らの手で身を清める。名も知らぬ相手に裸身をまさぐられるというのは、たいそう落ち着かない心地であるためだ。そうして準備されていた薄手の下帯を身につけると、侍女たちによって本日の装束を纏わされることになった。
本日は祝宴ではなく晩餐会であるため、いわゆる準礼装というものを身につけることになる。しかしサトゥラス伯爵家で準備される準礼装は、宴衣装と大差ないぐらい華美なつくりをしていた。
本日準備されていたのは、ジェノスでもっとも一般的な宴衣装に似た様式の装束である。肩から胸もとの上半分ぐらいは襟ぐりがあけられており、随所に大きなひだが散りばめられている。宴衣装と異なるのは、腰から下の生地がそれほど大きく膨らんでいないのと、飾り物がやや少なめであることぐらいであった。
雨季は昨日で明けたとされており、気温も平常に戻っていたので、肩掛けなども準備されていない。長い髪は入念にくしけずられて、頭にも小さな髪飾りを着けられた。
(……どうして城下町の宴衣装っていうのは、胸もとがこんなにあいてるんだろう)
レイナ=ルウは妹たちに冷やかされるほど胸が張っているので、こういった装束を纏うといっそう強調されてしまう。しかも、妹たちは胸もとにも大きなひだが飾られているので、胸もとをさらしているのはレイナ=ルウひとりだ。それでレイナ=ルウは、余計に気恥ずかしい心地を抱えることになった。
(アイ=ファやヤミル=レイがいたら、わたしもそんなに目立たないのにな)
そうして控えの間に移動すると、男衆はすでに居揃っている。そちらも本日は武官のお仕着せではなく、袖なしの胴衣に短い肩掛けにぼわんと膨らんだ脚衣という格好であった。
「おー、その格好は、ひさびさだね! シン・ルウ=シンも、けっこー似合ってるじゃん!」
ララ=ルウが気安く呼びかけると、シン・ルウ=シンは「うむ」と切れ長の目で微笑んだ。
「ララ=ルウは、3日前の祝宴とさほど変わらぬ姿だな。しかし、よく似合っているように思うぞ」
「あはは。レイナ姉にはかなわないけどねー」
「ラ、ララはうるさいよ」
すると、こちらが腰を落ち着ける間もなく、扉が外から叩かれた。
「それでは、会場にご案内いたします。こちらにどうぞ」
こういった手順も、祝宴と大きな差はない。会場である広間に到着すると、当番の小姓が澄みわたった声を響かせた。
「本日の宴料理をご準備くださったレイナ=ルウ様と、ご家族のご入場です」
さすがに祝宴ではないので、こちらが入室しても拍手などは起きない。しかしそこにはレイナ=ルウたちよりもいっそう立派な装束を纏った貴族の男女が立ち並んでおり、祝宴をそのまま小さくしたような趣であった。
普段の晩餐会は卓に着席するが、本日は大人数であったため立ったまま食するのだ。
サトゥラス伯爵家とマーデル子爵家の家人が10名ずつで、森辺の民が6名――そして、ロイとシリィ=ロウ、セルフォマとカーツァという顔ぶれで、総勢は30名となる。セルフォマたちをも招待したのは、リーハイムではなく当主のルイドロスの裁量であった。
「これで参席者がそろったね。ルウ家のお歴々はご多忙の折に急な依頼を快諾してくれて、心から感謝しているよ」
ルイドロスがゆったりとした笑顔で、そのように告げてくる。
その周囲にはリーハイムなど、見知った面々が居揃っていた。祝宴や晩餐会ですっかり顔馴染みとなった、サトゥラス伯爵家の家人たちである。
そして、マーデル子爵家のほうは――リーハイムと婚儀を挙げるセランジュと、その両親および長兄ぐらいしか見覚えがない。その見覚えのない人々が、とりわけ熱っぽい眼差しをレイナ=ルウたちに向けていた。
ロイとシリィ=ロウ、セルフォマとカーツァも、準礼装と呼ぶに相応しいいでたちをしている。ただ特筆するべきは、東の王都の両名であろう。彼女たちはレイナ=ルウたちと同じような、西の様式の準礼装を纏っていたのだった。
(そうか。セルフォマたちはもともとジェノスに居残る予定ではなかったから、準礼装の持ち合わせがなかったのかな)
セルフォマはいくぶん暗い色合いをした青色、カーツァは同じく緑色を基調にした色合いで、なかなかに似合っている。ただし、妹たちと同じく胸もとはひだの飾りで隠されていた。
「それでは、ひとりずつ紹介させていただくよ。まずは本日の料理番の責任者、ルウ本家の第二息女たるレイナ=ルウだ」
おそらくはマーデル子爵家の面々のために、ルイドロスがそのように声をあげた。感嘆の眼差しに見守られながら、レイナ=ルウはつつましく一礼する。
「そして、第三息女のララ=ルウ。最近は、社交に長けた若き婦人として名を馳せているようだね」
ララ=ルウは、レイナ=ルウよりも優雅に一礼した。いまだ15歳の若年であるが、背丈はレイナ=ルウを上回っているし、城下町では貴婦人のごとき優雅さと風格をかもしだすようになったのだ。その炎のように赤い髪も鮮烈であるし、多くの人々が目を見張っていた。
「第四息女のリミ=ルウは、いつも菓子の準備を受け持ってくれている。このように幼い身でありながら、姉君に負けない料理人だ。くれぐれも、侮らないようにね」
リミ=ルウは満面の笑みで、ぴょこんとお辞儀をする。その愛くるしい姿に、多くの人間が口もとをほころばせていた。
「殿方のおふたりはすでに挨拶を交わしているが、礼儀としてご紹介しておこう。まずはルウ本家の第一子息にして次代の族長たる、ジザ=ルウ」
ジザ=ルウこそ風格の塊であるため、誰もが感服しきった面持ちでその挙動を見守っている。ジザ=ルウもこういう場では柔和な表情に厳格なる気性を隠すため、恐れられている気配はなかった。
「次は、初めての挨拶だね。第三子息の、ルド=ルウ。先の騒乱では勲三等を授かった、森辺の若き剣士だ」
「剣士じゃなくって、狩人だけどなー」と、ルド=ルウは初めてこちらの側から声をあげた。
しかしルド=ルウは屈託がないので、貴族の不興を買った様子はない。むしろ若き貴婦人たちなどは、瞳を輝かせていた。
「そしてジザ=ルウとともに歓談に加わってくれた、シン家の家長シン・ルウ=シン。3年前の闘技会ではシン=ルウの名で剣王の座を獲得した、名うての剣士だ」
シン・ルウ=シンが目礼を返すと、貴婦人たちの目がいっそう輝いた。ちょっと東の民に似ていて凛然としているシン・ルウ=シンは、ひときわ若い貴婦人の胸を騒がせるようであるのだ。リーハイムの婚約者であるセランジュも、かつてはそのひとりであったわけであった。
(それでリーハイムは、わたしにつきまとっていたんだから……本当に、不思議な縁だよなぁ)
しかし、そうだからこそ、レイナ=ルウはリーハイムとセランジュが婚儀を挙げることを嬉しく思っていたし、宴料理を自分に任せてくれることが誇らしくてならなかった。
今はそれぞれの家人で集まって左右に分かれているが、晩餐会が始まればまた睦まじい姿を見せてくれることだろう。レイナ=ルウは、その時間が待ち遠しかった。
「《銀星堂》や東の王都の方々の紹介はもう済んでいるのだが、森辺の面々には必要ないよね? では、マーデル子爵家のお歴々を紹介させていただこう」
そうしてレイナ=ルウにとって見覚えのない人々の紹介もされることになった。
なかなか名前までは覚えきれないが、やはり当主に血が近い家人たちであるようだ。男性陣はいちいち官職の名称まで告げられていたが、そちらも覚えきれるものではなかった。
(でも、みんな立派な仕事についてるみたいだな)
ポルアースなどは伯爵家の第二子息でありながら、近年までなかなか確かな仕事につくことができなかったのだ。子爵家の当主や第一子息ならぬ人間でもそれぞれ立派な仕事についているのなら、きっと優秀なのだろうと思われた。
(だから、親筋であるサトゥラス伯爵家と血の縁を深めることになったのか)
ルウの血族でたとえるならば、ムファやリリンといった小さな眷族が何らかの仕事で大きな役目を果たし、ルウ本家の長兄に嫁入りを願うようなものであるのかもしれない。貴族の世界に疎いレイナ=ルウには、それぐらいの想像しかできなかった。
しかし何にせよ、リーハイムとセランジュの間には確かな情愛が存在するのだ。それを我が目で見届けているレイナ=ルウは、なんの懸念もなく今日の仕事を引き受けることができたのだった。




