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異世界料理道  作者: EDA
第九十章 群像演舞~十ノ巻~
1544/1691

    東の王都の料理番(五)

2024.10/4 更新分 1/1

 それからしばらく、セルフォマの日々は怒涛の勢いで過ぎ去っていった。

 ジェノスの人々に食材の扱い方を指南するという一件に関しては、滞りなく終了している。城下町で指南したのちには宿場町の立派な屋敷にまで出向いて、同じ役目を果たすことになったのだ。ゲルドや南の王都からも食材を買いつけているというジェノスの料理人たちは目新しい食材に対する理解が早く、セルフォマにとってもそれほど難儀な仕事ではなかった。


 しかしセルフォマは、それとは異なる役目をも負うことになった。

 ジェノスの人々がこちらの想定以上に、食材の交易に大きな熱意を抱いていたのだ。交易の実現はきわめて困難であろうと聞かされていたのに、いざジェノスに到着してみると交易の実現に向けて着々と話が進められていたのだった。


 どうやら話をそのように仕向けたのは、第七王子であるらしい。

 第七王子はジェノスに王家の騒乱を持ち込んでしまったため、その失地を回復するために有益な交易を実現させようと尽力していたようであるのだ。


 その成果を鼻先に突きつけられたセルフォマは、しばし頭の整理が追いつかなかった。

 第七王子は臣下を駆使して、ジェノスに存在する食材の扱い方の指南書を作成していたのだ。森辺の集落や貴族の屋敷や城下町の料理人に臣下をやってかき集めたというその指南書の膨大な質量に、セルフォマは目が眩むような思いであった。


 ただ――セルフォマはジェノスに滞在した数日間で、その指南書がどれだけの価値を有しているかを痛感させられていた。


 まずセルフォマは、ジェノス城の料理長たるダイアの手腕を味わわされた。彼女の手掛けた料理は美術品のように美しく、きわめて不可思議な味わいを有していたのだ。

 もとよりジェノスの料理には見知らぬ食材がふんだんに使われているのだから、不可思議な味わいであるのが当然なのかもしれないが――それにしても、ダイアの料理はまるで御伽噺に登場する料理がそのまま具現化したかのような美しさと味わいであったのだった。


 そしてさらに、セルフォマが食材の扱い方を指南した初日、城下町においてはファの家のアスタが手掛けた料理でもって晩餐会が開かれることになり、セルフォマは彼の手腕の見事さとジェノスに存在する食材の素晴らしさを骨の髄まで思い知らされたのである。


 アスタが手掛けた料理というのは、掛け値なしに美味であった。

 ダイアの料理と同じように不可思議なことは不可思議であるのだが、それ以上に美味であったのだ。さすがに宮廷料理としての気品などは望むべくもなかったが、そんな些末な話を吹き飛ばすほどの力強い味わいであり――これならば、ラオの貴き身分にある人々も文句なく食するのではないかと思えるほどであった。


 それでセルフォマは、西や南の未知なる食材の価値をも思い知らされることになった。

 このように素晴らしい食材をラオの王城に持ち帰ることがかなったならば、どれだけ献立の幅を広げられるか――いっそ想像が及ばないほどであった。


(それに……きっとアスタだったら、こちらが持ち込んだ食材でも素晴らしい料理を作りあげるんだろう)


 セルフォマはそのように確信していた。

 晩餐会では西や南のみならず、東の食材も使われていたのだ。シャスカを粒のまま仕上げたり、あまつさえそれを砂糖や酢で甘酸っぱく仕上げたりと、アスタは東の料理人と異なる作法でもって美味なる料理を生み出していたのだった。


 そしてセルフォマは、その場で思わぬ命令を申しつけられることになった。

 試食の祝宴という場で、宴料理を供するようにと命じられたのだ。


 これもまた、当初の予定にはなかった話である。食材を賠償の品として受け渡すだけであれば、扱い方を指南するだけで事足りたのだ。

 然してこの試食の祝宴というのは、大がかりな交易を実現させるために、ラオから持ち込んだ食材の有用性を知らしめる行いであった。


 しかもその場では、アスタも宴料理を供するのだという。

 わずか数日で目新しい食材を使いこなして、宴料理を準備するという話であったのだ。それはあまりに無茶な難題であるように思えたが、彼はこれまでにゲルドや南の王都から持ち込まれた食材を使って、見事にその役目を果たしていたとのことであった。


 本当にそのような真似が可能であるのか、と――そんな想像をしただけで、セルフォマの胸中には熱い思いが煮えたっていく。

 そうしてセルフォマは、かつて副料理長の座を獲得した腕試しの日と同じぐらいの熱情でもって、試食の祝宴の当日を迎えることに相成ったのだった。


                ◇


 セルフォマは祝宴の前日から、入念な下ごしらえに取りかかっていた。

 セルフォマが受け持つのはおよそ半分の料理と菓子であったが、参席者の人数は250名にも及ぶのだ。初めて足を踏み入れた異国の厨で、異国の料理番たちに助力を乞い、ごく限られた食材で立派な宴料理を準備しなくてはならないのだ。それはセルフォマにとって、これまでで一番の試練とも言える行いであった。


 とりわけ難儀であったのは、やはり食材の問題である。

 ジェノスにはさまざまな食材があふれかえっていたが、ラオリムの食材に関してはこのたび持ち込まれたものがすべてであったのだ。あとはジギやゲルドやドゥラ、それにマヒュドラの食材でどうにかやりくりするしかなかった。


 なおかつ、それらの食材に関しても、ラオの王城ほど品数がそろっているわけではない。ラオにおいては海路でもって莫大な量の食材を運ばせているが、内陸の地であるジェノスでは陸路しか使えないため、品数もごく限られていたのだ。ラオの王城と遜色ないのは、せいぜいジギの香草ぐらいのものであった。


 あとはシャスカを筆頭に、ジギやゲルドからも買いつけられる共通の食材はそろっていたが――ただ一点、ギャマの生鮮肉だけは存在しなかった。生きたギャマというのは《銀星堂》なる料理店が何頭か確保しているだけで、とうてい祝宴で扱えるほどの量は見込めなかったのだ。


 あとはゲルドから買いつけているというギャマの腸詰肉が存在したが、そちらはラオと異なる香草が配合されているために、いまひとつ使い勝手が悪い。

 であれば、ジェノスに存在する生鮮の肉を活用するしかなかった。

 ラオから持ち込んだわずかな魚介の食材だけでは、とうてい立派な宴料理はそろえられないのだ。初めて扱う生鮮肉を宴料理に組み込むというのは、あまりに無茶な話であったが――それでも、アスタに比べればよほど安楽であるはずであった。


 ジェノスに存在する生鮮肉は、ギバとカロンとキミュスなる獣の3種である。

 それらを食べ比べたところ、もっともギャマに近いのはギバなる獣の肉であった。


 森辺の民は、このギバを狩って生活の糧にしているらしい。

 ただ肉や毛皮を売りさばくに留まらず、立派なギバ料理を屋台で販売して、時にはこうして貴族の面々にも供しているのだ。自然、セルフォマの胸中には絶大なる対抗心が渦巻くことになった。


 そんなセルフォマの仕事を手伝うのは、城下町の料理人たちとゲルドの料理番プラティカ、そして森辺の料理人たちである。

 森辺においてはアスタの指導のもと、数多くの有望な料理人が育っているという話であったのだ。確かにセルフォマのもとに遣わされた5名の女人は、城下町の料理人にも負けない手さばきを見せていた。


 アスタはただ調理の手腕に優れているだけでなく、余人を指南するすべにも長けていたのだ。

 まあ、そうでなければ祝宴の厨を預かることもできないのであろうが――セルフォマは年少のアスタに、何歩も先をいかれているような心地であった。


(だけど私だって、王城の副料理長だ。父さんやみんなのおかげで、この立場を手にすることができたんだから……一介の料理番に負けてたまるもんか)


 そんな熱情を胸に、セルフォマは数々の料理を作りあげて――そして、祝宴の開始を迎えることになった。


「お、お疲れ様でございました。お召し替えの間にご案内いたします。……と、仰っています」


 作業を終えたセルフォマがひと息ついていると、カーツァがおずおずとそんな言葉を告げてくる。いつの間にか、西の侍女が厨の入り口にたたずんでいたのだ。

 ラオの王城では考えられないことだが、本日の祝宴ではセルフォマも貴賓として参席させられるのである。それでラオとジェノスの立場ある面々に、宴料理の解説をせよという申しつけであった。


(まあ、こちらの席は祝宴の場と分けられるって話だったけど……まさか、王子殿下と祝宴をともにすることになるなんてなぁ)


 こちらはすでに疲労の極みであるのに、今度は貴人のお相手までしなくてはならないのだ。セルフォマは溜息をこらえながら、お召し替えの間という部屋を目指すことになった。

 同行するのは、カーツァとプラティカのみである。カーツァは通訳として同席するのみであるが、プラティカもまた祝宴の参席者であったのだ。彼女はたびたび、こうしてジェノスの祝宴に招待されているのだという話であった。


『確かに料理番が祝宴の参席者となるのは、シムでは考えられない話なのでしょう。ですが、自分が手掛けた宴料理を目の前で食されて、直接ご感想をいただけるというのは、得難い経験になるかと思われます』


 プラティカはそんな言葉で、セルフォマの心をなだめてくれた。彼女は勇猛なるゲルドの民であるが、その内には優しさと誠実さが秘められているのだ。ジェノスに滞在してわずか数日で、セルフォマはその事実を確信していた。


 そうして、お召し替えの間とやらに到着すると――思いもかけない代物が準備されていた。

 シムの豪奢な宴衣装である。セルフォマが思わず言葉を失うと、プラティカが溜息をこらえているような声を発した。


『私は西の貴族ティカトラスによって、こちらとよく似た宴衣装を準備されてしまいました。あなたはラオから、こちらの宴衣装を持参したのですね』


『い、いえ……私はこのように華美な装束を纏った経験は、一度としてないのですが……』


『そうですか。では、使節団の方々が準備されたのでしょう。ジェノスの行状に関しては伝書の鷹で伝えられていたのでしょうから、料理番たるセルフォマが祝宴に招待されることは十分に予期できたはずです』


 そうしてセルフォマは我を見失っている間に、侍女たちの手によって調理着をひっぺがされてしまった。

 汗に濡れた身は織布で清められて、星を散りばめた夜空のように美しい織物を身体に巻きつけられていく。ほどかれた髪も綺麗にくしけずられて、あちこちに飾り物をつけられて――セルフォマは、まるで貴婦人のごとき姿に変容させられてしまった。


『セルフォマは上背があるので、宴衣装がよく似合っています。背丈の足りない私は滑稽な姿で、気恥ずかしい限りです』


 そのように語るプラティカも、同じような宴衣装を纏わされている。まだ若年である彼女は、セルフォマよりも拳ひとつ分ほど小柄であったが――しかしそちらこそ、輝くような美しさであった。


『わ、私はどちらもお美しいと思います。まるで本当に、貴婦人であられるかのようです』


 うっとりと目を細めるカーツァは、普段よりもやや上等な仕上がりである装束だ。そちらは肩も足もはだけていないため、まったく罪のない姿であった。


『そ、それでは会場にご案内いたします。……と、仰っています』


 まったく頭を整理できないまま、セルフォマはまた回廊を連れ回される。

 その途中で、プラティカは別の場所に案内されていった。使節団とは別々に入場するようである。


 やがて到着したのは広々とした控えの間で、使節団の立場ある面々が居揃っている。さらには王家の人間が移動時に使用する輿まで鎮座ましましていたので、セルフォマは慌てて居住まいを正すことになった。


『お疲れ様です、セルフォマ。無事に宴料理を準備できたようで、何よりです』


 と、リクウェルドがゆったりと語りかけてくる。そちらも実に立派な宴衣装の姿であった。


『は、はい。ですがあの、この格好は……』


『祝宴に参ずるからには、相応のいでたちをしていただく他ありません。着慣れぬ装束で落ち着かない心地でしょうが、どうかご了承ください』


 そんな風に言ってから、リクウェルドはほんの少しだけ目を細めた。


『ですが、あなたの作法は完璧です。西の方々に動揺を気取られることはないでしょう。どうぞそのまま、つつがなくお過ごしください』


 それはもちろんセルフォマも王城で働く身として、東の作法は滞りなく身につけているつもりでいる。しかしどれだけ外面を取りつくろうとも、セルフォマの胸は騒ぎっぱなしであった。


(こんな姿で、ファの家のアスタと対峙させられるのか……いったい、どんな風に思われるんだろう)


 そうして嘆息をこぼしそうになったセルフォマは、すぐさま気持ちを引き締めた。


(いや、そんなことより、大事なのは宴料理だ。これは腕を競う場じゃないけれど……私はアスタに負けない料理で、自分の力を示さないといけないんだ)


 それからすぐに、入場の時間がやってきた。

 控えの間から直通である扉をくぐると、大きな広間にたくさんの人間の熱気があふれかえっている。西の人々はまったく見慣れぬ宴衣装の姿で、足もとをはだけている人間はごく少なかったが、そのぶん胸もとをさらけだしていた。


 西の女性は、誰もが子を孕んでいるかのように胸が張っている。それに尻も張っているため、やたらと腰がくびれて見えるのだ。ただ背丈が小さいばかりでなく、骨格から肉のつきかたまでまるきり違っているようであった。


 いっぽう男性も総じて小柄であり、肉づきがいい。セルフォマよりも上背でまさるのは、ごく少数であるように見受けられた。


 そんな西の人々が、広大な広間を埋め尽くしている。

 こちらには第七王子が控えているため、おそらくすべての人間が入場を果たしているのだろう。その一画には、静かに生命力をたぎらせる一行――浅黒い肌をした森辺の民が何十名と控えていた。


 やがて第七王子が輿に乗ったまま入場すると、ジェノスの領主であるマルスタインが西の言葉で語り始める。通り一辺倒の挨拶であったらしく、カーツァも通訳しようとはしなかった。


 その後はたくさんの衝立が運び込まれて、こちらと大広間の賑わいを隔絶する。衝立のこちら側には美しい敷物が敷かれており、それが使節団のために準備された座席であった。


 また、数多くの貴族もこちら側に居残っている。セルフォマはポルアースと領主のマルスタインぐらいしか名前を覚えきれていなかったが、おおよそは晩餐会で同席した顔ぶれであった。

 そうして最後にやってきたのが、森辺の一団とプラティカである。

 侍女の案内で、4名の森辺の民とプラティカが使節団のもとにやってくる。その姿に、セルフォマは息を呑むことになった。


 彼らもまた、東の宴衣装を纏っていたのだ。

 その中で、ひときわ光り輝いていたのは――やはり、アスタの家族たるアイ=ファであった。金褐色の髪の右側だけを結いあげて、左側を自然に垂らした彼女は、王女のごとき美麗さと黒豹のごとき迫力を兼ね備えた存在であった。


 あとはアスタ本人に、菓子作りの名手たるトゥール=ディンとその父親が同行している。それらの面々は、かつての晩餐会でもセルフォマと席を同じくしていた。


 そうして第七王子も輿から姿を現したため、そちらが着席するのを待ってから、セルフォマたちも膝を折る。

 同じ敷物に配置されたのは第七王子とリクウェルドとプラティカ、領主マルスタインに第一子息の伴侶と娘御という、こちらも晩餐会と同じ顔ぶれであった。


 しばらくは、西の言葉で挨拶が交わされる。

 セルフォマの背後に控えたカーツァは無言であるので、取り立てて重要なやりとりではないのだろう。それでセルフォマが背筋をのばしつつ食事の開始を待ち受けていると、正面の席に座したアスタと視線がぶつかった。


 アスタもまた、東の宴衣装の姿である。

 あらためて見ると、美麗の極みであるアイ=ファと並んでいても見劣りすることはない。彼はごく尋常な西の民らしい容姿をしていたが、やっぱり森辺の民としての風格が匂いたっているのだ。他なる狩人たちに比べればいかにも優しげな雰囲気であったものの、やはり町の人間とは一線を画する存在であった。


(純粋な森辺の民でも、町の民でもない……まあ、町から森辺に移り住んだ人間としては、これが自然な姿なのかな)


 セルフォマがそんな風に考えていると、アスタがいくぶん慌てた素振りで横合いを振り返る。セルフォマもそれに合わせて視線を動かすと、アイ=ファが美しい碧眼を半分まぶたに隠しつつアスタをにらみつけていた。


(この二人は夫婦ではないって話だったけど……まあ、他の女と見つめ合っていたら、面白くないんだろうな)


 しかしセルフォマはそんなつもりでアスタを見つめていたわけではないし、アスタのほうもそれは同様であろう。アスタはいかにも屈託のない面持ちであったが、セルフォマとしては人生のかかった大一番という心持ちであった。


『ま、まず、アスタ様の料理から供されるそうです。アスタ様は6種の料理を準備して、東の王都の食材を5種使用しているそうです』


 と、背後のカーツァが小声でそのように伝えてくる。

 普段は愚直にすべての言葉を通訳してくれているが、今は必要な言葉だけ抜き取ってくれたらしい。どちらにせよ、ありがたい限りであった。


(10種の食材の内、半分の品を使ったのか。まあ、5日ていどしか猶予はなかったんだから、立派なものだな)


 そうして敷物には、まず汁物料理と野菜料理が届けられる。

 それを口にしたセルフォマは、愕然と身を震わせることになった。


 野菜料理は、まあ想定の範囲内である。セルフォマがこのジェノスで初めて目にしたシィマにギーゴという野菜を生鮮のまま細く刻んで、調味液をまぶした仕上がりだ。その調味液にジュエの花油が使われており、あとはドケイルの干物がそのまま掛けられていた。


 セルフォマにとっては馴染みのない野菜が使われているため、きわめて目新しい味わいである。また、花油に酸味をあわせるというのは見慣れない手法であったし、美味であることにも間違いはなかったが、花油とドケイルの扱いに関しては驚きに値しなかった。


 だが――汁物料理のほうは、話が違った。こちらは東の王都から持ち込まれたゼグの身と出汁が使われていたのであるが、それがさまざまな食材と十全なる調和を果たしていたのである。

 味の主体となっているのは、シムでも一般的な副菜であるチット漬けだ。西のティンファという野菜をチット漬けにした上で、それを汁物料理の具材にすると同時に味の決め手としたのである。


 出汁には、魚の乾物でも使っているのだろう。それが塩抜きをしたゼグの出汁と絡み合い、さらにチット漬けの味わいと調和を成している。また、数々の具材からにじみでる出汁も、さらに豪奢な彩りとなっていた。


(これは、ギバの胸肉だ。脂の多い胸肉は濃厚な出汁が出るから……それがゼグや魚の乾物に負けないぐらい、土台を支えているんだ)


 アスタは3年ほど前からギバ料理を手掛けているという話であったので、ギバ肉の扱いには手馴れているのだろう。それが、数日前に手にしたばかりのゼグとまたとない調和を果たして、これほどの味わいを体現しているのだった。


 さらに、ギラ=イラを使った後掛けの調味料を投じると、東の民にとっても理想的な辛みを持つ味が完成される。

 西の民は東の民ほど辛みに強くないという話であったので、それを考慮して後掛けの調味料を準備したのだろう。同じ敷物に座した幼き姫君も東の民のごとき無表情ながら、満足そうに煮汁をすすっている。あらゆる人間に満足してもらいたいという配慮にも、ぬかりはなかった。


 これが、アスタの手腕であるのだ。

 数日前の晩餐会で味わわされた衝撃が、倍なる勢いでセルフォマにのしかかってきたような心地であった。


『……ゼグの塩抜きをした水を煮汁に使うというのは私が教示した一般的な手法でありますが、こちらの料理の完成度の高さには心から驚かされました。細かな味の調整も、出汁の仕上がりも、具材の選別も、どこにもまったく非の打ちどころがありません。そしてまた、ギラ=イラを使った調味料の仕上がりがひときわ素晴らしく思います』


 感想を乞われたセルフォマは、そんな言葉をカーツァに伝えてもらった。

 アスタはほっとしたような面持ちで、何かを告げてくる。その言葉も、カーツァによって通訳された。


『あ、ありがとうございます。セルフォマのような御方にそのように言っていただけるのは、光栄な限りです。……と、仰っています』


 その物言いに、セルフォマは一瞬で頭に血をのぼらせてしまった。


『あなたはいまだに、私の料理を口にしていません。それで何か光栄なのか、理解しかねます』


 たちまち、リクウェルドがこちらに向きなおってきた。


『セルフォマ。アスタは他意なく、あなたの副料理長という立場に敬意を表してくださっているのです。その敬意を踏みにじるような発言は、おつつしみください』


『……申し訳ありません。アスタの料理の見事さに、つい心を乱してしまったようです』


 セルフォマは大きく恥じ入りながら、リクウェルドとアスタの両方に頭を垂れた。

 それでその場は、事なきを得たが――セルフォマの惑乱は終わらなかった。残る4種の料理においても、アスタの手腕は如何なく発揮されていたのである。


 数日前に手中にしたばかりの食材が、なんの不足もなく活用されている。扱いの難しいキバケやアンテラも、シャスカ料理に織り込まれたゼグやドケイルも、本来の魅力を申し分なく引き出されていた。


(……これらの料理を王城で出したって、文句をつける人間はいないだろう。アスタは、最初から……私よりずっと優れた料理人だったんだ)


 セルフォマは、今にもその場にくずおれてしまいそうだった。

 しかし、懸命に背筋をのばして、その場に踏み止まっている。たとえアスタがどれだけの力を持つ料理人であったとしても、セルフォマは王城の料理番の代表としてこの場に居座っているのだった。


(私は私なりに、力を尽くした。私は父さんやみんなの支えで、ここまで来られたんだ。どんなに力の差を見せつけられたって……これまでの頑張りを否定したりするもんか)


 そうして次には、セルフォマの宴料理が供された。

 使い慣れない西の調理器具で、馴染みのない料理人たちに助力を願って、ごく限られた食材だけを使った、これが現在のセルフォマの精一杯である。アスタの料理にかなわないことは自分が一番よくわかっていたが、それでもセルフォマは胸を張ってそれらの料理を供してみせた。


 悲嘆の思いをねじ伏せるために、セルフォマの胸にはいっそうの熱情がわきかえっている。

 それが、セルフォマの口を動かした。


『私は森辺の集落に参じて、アスタやトゥール=ディンから食材の扱いを手ほどきしていただきたく思います』


 その言葉がカーツァに通訳される前に、またリクウェルドにたしなめられてしまったが――セルフォマは、自分の思いを制御することができなかった。


 アスタたちの調理法に関しては、第七王子の臣下たちが綿密に書き留めている。

 しかし、それでは足りないのだ。


 アスタの指先がどのように食材を扱って、これほどの料理を仕上げているのか。厨には、どのような香りがあふれかえっているのか。調理を手掛ける人々は、どれだけの熱情をたぎらせているのか――それらをすべて我が身で味わわない限り、セルフォマの内に生まれた熱を冷ますことはとうていできそうになかったのだった。

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― 新着の感想 ―
セルフォマ心の中の感情と感想が補足された気分で面白いですね。なの悪い思惑もないけど抑えられない激情が抑えていて顔だけには出してないという少し矛盾してる状態にいるのも微笑ましいと思います。
[良い点] セルフォマの内心はこんなに強い気持ちで溢れてたんですね。 東の民故表にはださないのだろうけど、その前提で話を読み返すと、また違った趣がありますね
[一言] 対抗心を持った辺りでふと気付いたけどセルフォマの境遇はアスタとよく似ていたのですね 理不尽な力で運命の変転を余儀なくされ、周囲との繋がりも絶たれた 父親は失わず僅かながらも同胞がいたという…
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