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異世界料理道  作者: EDA
第八章 徒然なる日々
154/1675

⑤13歳の祝いの日(下)

2015.1/3 更新分 1/1

 そして、夜である。

 晩餐の前に、まずは家人からララ=ルウに花が贈られることになった。


 いつもはリミ=ルウとともに末席に陣取っているララ=ルウは、家長と最長老の間に座らされて、むっつりと黙りこんでいる。


「……貴様が13歳とはな。背丈はぼちぼち人並みだが、中身は餓鬼のままじゃねえか」


 ララ=ルウに負けぬ仏頂面でドンダ=ルウがそんな憎まれ口を叩くと、本日の主役は「うっさいな、もう!」と眉を吊り上げた。


「あたしはもうお腹がぺこぺこなんだけど? さっさと済ませてくれないかなあ?」


「そういうところが餓鬼だってんだよ」


 ドンダ=ルウもいっそう顔をしかめつつ、立ち上がろうともしないまま長い腕を伸ばして、娘の髪に青い大きな花をさす。


「……三女ララが健やかに1年を過ごしたことを祝い、新たな1年をまた健やかに過ごせるよう願う」


 ララ=ルウは鼻の頭にしわを寄せながら、「はいはいありがとうございましたー」と言い捨てた。

 心温まる父娘のやりとりである。


 それからララ=ルウは、逆側のジバ婆さんに向かって座りなおした。

 齢85を数える最長老のジバ婆さんは、枯れ木のような指先で曾孫の髪に赤い小さな花をさす。


「おめでとうねえ……これからも元気なララでいておくれ……?」


「うん。ありがとう、ジバ婆」


 一転して、ララ=ルウは素直な笑顔になっていた。

 その嬉しそうな声の響きに、背を向けられた父親は「ちっ」と小さく舌を鳴らす。


 すると今度は、赤い花と青い花を手にしたジザ=ルウがララ=ルウのもとに歩み寄り、膝をついた。


「妹ララの13度目の生誕の日を祝福する。これからもルウの名に恥じぬ立派な女衆として生きてほしい。……こちらの花は、ダルムから届けられたものだ」


 ララ=ルウは、かしこまった顔で「ありがとう」と答える。

 その後も、残りの家族が順々にララ=ルウのもとへとおもむいた。


「おめでとさん。……お前はもっと肉をつけねーと、男衆に相手されないと思うぞ?」


「うっさいよ、馬鹿!」


「おめでとうね。あんたも気立てはいいんだから、口の悪さだけ何とかしないとね」


「……うっさいってばー」


「おめでとう。……あんたはそのまま真っ直ぐに生きればいいと思うよ」


「ありがとう、ティト・ミン婆」


「とても綺麗ね。わたしも今のあなたが好きよ、ララ。13歳、おめでとう」「あぶー」


「うん、ありがとう。コタもありがとねー」


「おめでとう……ララがもう13歳なんて信じられないわぁ……」


「わ、おっきな花! ありがとう!」


「おめでとう。また健やかな1年が過ごせますように」


「うん、ありがとう」


「おめでとー! ミゾラの花だよ!」


「ありがとね。……ああもう花の匂いで料理の匂いがわかんなくなっちゃうよー」


 そんな不平を述べながら、ララ=ルウはとても照れくさそうな顔をしていた。

 髪も胸あても花だらけで、思わずこちらが微笑みたくなるぐらい幸福そうな有り様だ。


「おめでとう、ララ=ルウ。俺たちは家人じゃないけど、お祝いの花を受け取ってもらえるかな?」


 最後に、俺とアイ=ファがララ=ルウの前に並んだ。

「うん」と、うなずくララ=ルウの腰に、アイ=ファが青い花を、俺は何とか耳の上に空きスペースを見つけて赤い花を献上する。


 やはり、真っ赤な髪と海のように青い瞳が印象的なララ=ルウだからだろうか。みんな、見事なまでに赤か青の花をチョイスしていた。


 13歳――まあ年齢相応かな? と、俺は心中でこっそり考える。

 背丈はそこそこあるが、身体つきは細っこい、顔立ちは可愛らしいが、表情は子どもっぽい。そのアンバランスさこそが、13歳という年齢には相応しいのかもしれない。


 口が悪く、中性的な容姿だが、きっと4年後には次姉に負けないぐらい、7年後には長姉に負けないぐらいの魅力的な女性に成長するに違いない。などと、いささかならず失礼な感想を抱いてしまうぐらいには、可愛らしい女の子だと思う。


「それじゃあ、晩餐を始めようかね。今日はアスタも準備を手伝ってくれたんだよ?」


 スープを取り分けるためにミーア・レイ母さんが立ち上がり、ララ=ルウは「あー、やっぱりねー」と肩をすくめる。


「なんかレイナ姉とこそこそやってるなーって思ってたんだ。嬉しいのは嬉しいけどさー、あんまりおかしなものは食べさせないでね?」


「うん、お気に召すといいんだけど、どうかなあ」


 俺も保温用のかまどに近づき、鉄鍋の蓋を取り去った。

 とたんにタラパの匂いが部屋中に広がる。


「何だ、タラパかよ。それじゃあいつもと変わんねーじゃん」


 文句を言ったのは、末弟である。

 確かにルウ家では、毎日ヴィナ=ルウらが持ち帰るタラパのソースがちょっとした添え物として食卓を彩っているはずなのだ。


「ごめんごめん。だけど、今日の料理にはタラパのソースが1番合いそうだったからさ。でも、きちんと特別仕立てだよ?」


 さすがに屋台の残りをそのまま使う気にはなれなかったので、入念に味見をして、ジャガル産のタウ油や、シム産のチットの実などを隠し味として投入しているのだ。……ちなみにチットの実というのは赤唐辛子のように激烈な香辛料なので、本当に隠し味ていどにしか入れていない。


 その特別仕立てのタラパソースの中に沈んでいるのは、キツネ色に焼きあげたロース肉のソテーだ。


 そいつをひとつずつ木皿に取り分けてから、俺は秘密兵器をアイ=ファから受け取った。


 この秘密兵器の存在を知るのは、すでにファの家の食卓で味わっているアイ=ファと、かつて《玄翁亭》におもむいた際に同行したヴィナ=ルウのみである。


 これはシム産の食材としても希少価値と値段が高すぎて、《玄翁亭》の料理でも使用することのできなかった、とっておきの逸品なのだった。


「何だそれ?」と、ルド=ルウが目を丸くする。

 女衆たちも、興味深々だ。


 半月型の、白い物体。

 直径は15センチほど、厚みは5センチほど。もとは円形であったのだが、ファの家の晩餐でけっこう使用してしまったので、この形だ。

 表面は真っ白だが、切り口は淡い黄色である。


 元の円形の状態で、お値段は赤銅貨20枚。

 商売用ではなく《玄翁亭》の主人が自らの嗜好品として行商人から買い付けていたものを譲っていただいた食材だ。


「ポイタン? じゃねーよなあ? それ、食い物なのか?」


「食い物だよ。東の王国シムの領土に生息するギャマって動物の乳から作った、乾酪――俺の故郷ではチーズと呼ばれていた食材だね」


 そのギャマ乳のチーズを、俺は三徳包丁で7、8ミリの厚さで切り分けていった。


 タラパソースにからめられたソテーの上にそれを1枚ずつ投じていくと、たちまちチーズがとろりととろけて、えもいわれぬ芳香を放ち始める。


「うわ、何だか――不思議な匂いだな?」


「そうだろう? 宿場町では全然見かけない食材だけど、こいつは栄養が満点で、たいそう力がつくらしい。ちょっと最初は食べにくいかもしれないけど、好きな人は相当好きになると思う」


 たとえば、うちの家長のように、だ。

 アイ=ファの中では、甘い果実酒のソースをかけたハンバーグにこれを載せるのが最上級のご馳走と認定されてしまったのである。

 タラパソースが1番合うと言ったのは、甘いソースを好まないルウの家長を慮ってのことだ。


「森の恵みに感謝して……」というお馴染みの挨拶とともに、晩餐が開始される。


 真っ先に声をあげたのは、光栄なことに、本日の主役だった。


「わー、何これ! すごく美味しい!」


「うん、美味しいね!」と、リミ=ルウも続いて歓声をあげる。


 ほっと安堵の息をつきながら、俺も自分の分のソテーにかじりついた。


 ギャマ乳のチーズは、濃厚なカマンベールチーズのような味わいである。

 コクはあるのに、クセは少ない。白っぽい色合いも、とろりとした食感も、やっぱり1番近いのはカマンベールだと思われる。


 トマトとチーズの相性などは、もはや説明も不要であろう。

 トマトとよく似たタラパの酸味と、ギャマチーズのクリーミーな味わいがからみあい、ロース肉のしっかりとした味をさらに演出してくれる。


 やっぱり俺もベストなのはハンバーグかなとも思ったが、ロースのソテーもそれに負けていない。


 美味いなあ、と思わず頬がゆるんでしまう。


「なあ、このちーずってのも確かに美味いけどさ……」


 と、ルド=ルウが少し控えめな声をあげた。

 あれ、お気に召さなかったかな、と俺はそちらを振り返る。


「このタラパのそーすも何なんだ? いつもと味が違うだろ?」


「うん。まあそっちも多少は手を加えてるよ。タウ油とかチットの実とか、あと、アリアのみじん切りとか果実酒の割合も微調整したしね。……いつも通りのほうが良かったかな?」


「そんなわけねーじゃん。無茶苦茶に美味いよ。ていうか、美味すぎてびっくりした」


 ルド=ルウは焼きポイタンをちぎってソースにひたし、それも口に放り入れる。


「うん、美味い。……よく考えたらさ、アスタの料理を食べるのはすっげーひさしぶりなんだよな、俺」


「そうかい? でも、護衛役を引き受けてくれたときは軽食をふるまったし、角煮のときも味見を頼んだよね?」


「そういうんじゃなくってさ。アスタがきちんと晩餐のために本腰を入れて作ったものを食べるのはひさびさじゃん? だからその――」


 そこでルド=ルウは口ごもり、家族たちのほうに視線を巡らせた。

 それに応じたのは、ティト・ミン婆さんだ。


「そんな風に気を使うなんてあんたらしくないね、ルド。美味しいものは美味しいでいいじゃないか?」


「いや、だけどさあ……」


「アスタ、あたしもびっくりしたよ。あんたはずいぶんとまた料理の腕が上がったみたいだねえ」


「え?」


「アスタに手ほどきを受けたおかげで、あたしたちも色んな料理を作れるようになった。レイナやミーア・レイなんかは本当に大した腕前で、これならアスタの作る料理とそんなに変わらないんじゃないかと思えたぐらいだったんだけど……」


「よしておくれよ。あたしらがアスタにかなうわけないじゃないか」


 と、ミーア・レイ母さんが楽しそうに笑う。


「だけど、あたしもびっくりしたよ。アスタの料理は本当に美味しいねえ。おんなじように作っているのに、どうしてこうも味が違うんだろう?」


「それはもう、何から何まで違うからだよ。火の加減や刀の扱いはもちろん、どの材料をどれぐらい使うかとか、味を確かめた後にどうやって手を加えるかとか、それ以外の言葉では説明できないぐらい小さな部分でも、アスタは全然違っているんだから」


 そう言ったのは、レイナ=ルウだった。

 本日はララ=ルウが上座にいるため、ふだんより少しだけ俺たちに距離が近い。

 その瞳に、これ以上ないぐらいの賞賛の光をたたえつつ、レイナ=ルウは静かに俺を見つめていた。


「わたしも本当にびっくりしました。毎日仕事のために何百名分もの料理を作っているアスタなのですから、上達するのは当然なのでしょうが。本当に――本当に驚きました」


「いや、何百名分ってのは大げさだけど……」


 それでも確かに、1日の大半を調理に費やしている、というのは事実だ。

 何となく、背骨のあたりがむずがゆい。


「だけどね、あたしはともかく、レイナもものすごく成長してるんだよ? よかったらそのすーぷを飲んでみておくれよ、アスタ」


 ミーア・レイ母さんにうながされて、俺はスープの木皿を取った。

 タウ油を入れて、ほんの少しだけ茶色がかったギバ肉のスープだ。

 作っていたのはミーア・レイ母さんとリミ=ルウだが、最後に味見をしてタウ油と塩の調整をしていたのは、レイナ=ルウだった。


 それを一口、飲んだ瞬間――


「うわ、美味い!」と、俺は大きな声をあげてしまった。


 レイナ=ルウは、嬉しそうににこりと微笑む。


「その味付けはレイナが考えたんだよ。レイナだって何も難しいことはしてないのに、どうしてこうも味が変わっちまうんだろうねえ」


 何も難しいことはしていない――確かに、その通りなのだろう。


 ギバの肉でダシを取り、塩とタウ油とピコの葉で味をつけた。タウ油という調味料が増えただけで、そこまで調理の手順は変わっていないのだろうと思う。


 入っている野菜は、アリアとチャッチと、そしてギーゴだ。

 タマネギとジャガイモとヤマイモの類似品である。

 輪切りのギーゴを入れるのは、秀逸だ。というか、実は俺もタウ油を購入してからは、けっこう頻繁に使用している。


 だけど――こいつは本当に、美味かった。


 難しい手順が存在しないゆえに、味を決めるのは調味料および食材の分量、そして火加減ぐらいのものである。


 だから、それらが絶妙である、ということなのだろう。

 決め手になっているのは、たぶんタウ油だ。

 というか、タウ油を入れないスープだったら、10日ほど前にもご相伴にあずかったことがある。そのときには、これほどの衝撃は味わわされなかった。


 タウ油の追加により格段に料理としての味が向上し――そして、調味料が増えたことにより、その配合の割合がこれまで以上に重要になってきたのだろう。


 だけど、それだけでは説明のつかないことがある。

 このスープは、俺が自分で作るものよりも美味い、と思えてしまったのだ。


 味に、深みがある。

 さっぱりとしたタウ油の甘味の向こう側に、ほんのりと香ばしい風味が感じられる。


「もしかしたら――生の肉の他に、焼いた肉もダシを取るために入れているのかな?」


 レイナ=ルウは、びっくりしたように目を見開いた。


「それだけじゃないよね。この焦がし醤油みたいな風味は……挽いた肉をタウ油で炒めて、それを入れてるとか――?」


「すごい! どうして分かるのですか?」


「当たったかい? いや、ほとんどヤマカンみたいなもんだよ。……君はすごいね、レイナ=ルウ?」


「すごいのはアスタです。やっぱりアスタには全然かないません!」


 そう言いながら、レイナ=ルウは幸福そうに瞳を輝かせていた。

 いっぽう、俺は――いったいどんな顔をしていただろう?


 俺はたぶん、この世界に来て、初めて他者の料理に「美味い!」と心から思うことができたのだ。


 それも、南や東の未知なる食材が相手ではなく、自分とまったく同じ食材を使った料理で、である。


 俺は――

 有り体に言って、ものすごく感動してしまっていた。


「おい、小僧」と、そこでドンダ=ルウがひさかたぶりに声をあげた。

 まだちょっと半分がたは惚けながら、俺はそちらを振り返る。


「2日後に、ギバの収穫を祝うちょっとした宴がある。そのかまど番の手伝いを貴様に頼むことは、可能か?」


「――え?」


 ドンダ=ルウはまた誰よりも早く晩餐を喰らい尽くして、土瓶の果実酒をあおっていた。


 その不機嫌そうな横顔を、ララ=ルウがまじまじと見つめている。


 いや、ララ=ルウだけではない。たぶん、その場にいるほぼ全員が、驚きに目を見開いて、勇猛なる家長の姿を凝視していた。


「お、俺が宴の準備などを手伝ってしまってもいいんですか?」


「……頼んでいるのは、こっちだろうが?」


 いつでも獰猛そうに光っているドンダ=ルウの青い瞳が、真っ直ぐに俺の顔をにらみ返してくる。


「その日はルウの眷族の男衆が集まり、力比べの儀式がとり行われる。それで勝利を収めた男衆に捧げられるギバの肉を、貴様に焼いてもらいたい。……どうなんだ?」


「――俺なんかでよいのならば、承ります」


 まだあまり頭の整理もできていない状態で俺がそう応じると、ドンダ=ルウは「そうか」と低くつぶやいた。


           ◇


「今日は本当にありがとうね! アスタの料理、すっごく美味しかったよ!」


 和やかな雰囲気のままに晩餐を終え、少しばかり語らった後、俺たちはルウ家を辞去することになった、


 家の外まで出てきてくれたのは、ララ=ルウだ。

 赤と青の花に彩られたララ=ルウは、本当に幸せそうな顔で微笑んでくれている。


「あのちーずっていう不思議な食べ物、あたし大好きになっちゃったんだけど! もしもドンダ父さんが許してくれたら、ルウの家の分まで頼んでくれる?」


「うん。なかなか手に入りづらい食材なんだけど、とりあえず《玄翁亭》のご主人に聞いてみるよ」


「ありがとう! アスタのおかげで、忘れられない祝いの日になっちゃったなあ」


 本当に嬉しいときは、リミ=ルウにも負けぬぐらいそれをはっきり表明してくれるララ=ルウである。


「それにしても、ドンダ父さんが自分からアスタにかまど番を頼むなんてね! あたしはびっくりして肉を咽喉に詰まらせそうになっちゃったよ!」


「うん、俺も驚いたよ。驚いたし、嬉しかった。……勝手に了承しちゃってごめんな、アイ=ファ?」


「大事ない。森辺の族長たるドンダ=ルウに料理の腕前を認められたのだから、それは喜ぶべきことであろう」


 ギルルの手綱を握ったアイ=ファは、そっけなくそう言った。

 心なしその顔は不機嫌そうに見えるのだが。俺がそれを追及するより早く、ララ=ルウが「そうだよねー!」と、また明るい声をあげた。


「しかも、力比べの儀式なんてさ! そんなのドンダ父さんかダン=ルティムあたりが勝つに決まってるんだから! それって、自分が美味しいものを食べたいからアスタにかまど番を頼んだってことじゃない? すごいよねー!」


「力比べの儀式かあ。だけどそれなら、ミダあたりもいい線いくんじゃない?」


「無理無理! いくらミダでもドンダ父さんやダン=ルティムにはかないっこないよ。ダン=ルティムなんて、自分より身体の大きいマァム家の長兄を頭の上に持ち上げたこともあるんだから!」


「あ、力比べっていうのは、相手と取っ組み合ったりする競技なのかい?」


 だったら確かに、ドンダ=ルウやダン=ルティムがミダに遅れを取ることはないかもしれない。

 まあ何にせよ、俺としては腕によりをかけた料理をその勝利者に捧げさせていただくだけだ。


「それじゃあ、そろそろ帰ろうかな。明日の商売もよろしくね、ララ=ルウ」


 そうして俺たちは辞去しようとした。

 が、にこにこと笑っていたララ=ルウが、俺たちの背後を透かし見るようにして「あれ?」と首を傾げる。


「シン=ルウとミダだ。こんな時間にどうしたんだろ」


 振り返ると、確かにその両名が広場の向こうから近づいてきていた。

 燭台をかざしているのはミダのほうであり、下側から顔を照らされてホラー映画のような有り様になってしまっている。


「やあ、ミダ。これからそっちに寄らせてもらおうと思っていたんだけど、わざわざ来てくれたんだね」


「うん……アイ=ファも来てたんだね……?」


「うむ。息災そうで何よりだな、ルウ家のミダよ」


 鹿爪らしく応じてから、アイ=ファはちょっと目を細めた。


「しかし、少しばかり肉が落ちたか? それでも十分に並外れた巨体だが」


「えー、どこが!? 相変わらずのぶよぶよじゃん!」


 きわめて失礼なことを言いながら、ララ=ルウは愉快げに笑い声をあげた。

 この世界においても、お年頃の娘さんというのは残酷な生き物であるようだ。


「アスタ……アイ=ファ……ごめんね……?」


「え?」


「何がだ? お前に謝られる心当たりはないが」


「ううん……ミダのせいで、ふたりはルウの家で眠れなくなっちゃったんでしょ……? だから、ごめんね……?」


 頬肉が震えるばかりで、表情は動かせないミダである。


「ミダの家ができたら、あの家は返すから……それまでは、ごめんね……?」


「ミダの家?」と俺が反問すると、いつも冷静な切れ長の目の少年が、「ミダは今、父リャダの手ほどきで自分の家を建てているのだ」と応じてくれた。


「自分の家! それじゃあ昼間に集めていたあの材木はそのためのものだったのかい?」


「うん……ミーア・レイに、自分の家をつくるように言われたんだよ……とってもとっても疲れるけど、ミダは頑張ってるんだよ……?」


 俺たちがいつも借りていた空き家が、現在はミダの寝場所になってしまっている。それゆえに、俺たちはルウの集落におもむいても宿泊せずに帰宅するようになったわけだが。そのために、ミーア・レイ母さんが気を回してしまったのだろうか。


 そうだとしたら、こちらのほうが申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

 その心情を述べようとすると、ララ=ルウに「アスタたちは気にすることないよー」と機先を制されてしまった。


「どっちみち、この先も新しい家は必要になるんだから。家人としてその技術を学ぶのは悪いことじゃないってミーア・レイ母さんが言ってたもん」


「ああ、嫁や婿を取ったら、原則として長兄以外は家を出るんだっけ。本家は7人兄弟なんだもんねえ」


「そうそう。あたしとリミ以外はもう15を越えてるんだから、いい加減に出ていってもらわないと」


「ララ=ルウもあと2年で嫁に行けるんだね」と、しみじみつぶやいたら、おもいきり背中をひっぱたかれた。


 ミダは今ひとつ俺たちのやりとりは理解していない様子で、アイ=ファのほうに視線を転じる。


「……ミダの家ができたら、アイ=ファとアスタはもっとルウの家に来てくれるのかな……?」


「そのようなことは、お前が気に病む話ではない。2日後にはまたこの集落を訪れることにもなってしまったしな。……しかし、その仕事はきっとお前に力を与えるだろう。これまで通りに、励むといい」


「……アイ=ファはときどき何を言ってるかわからないときがあるんだよ……?」


「……今後も頑張れ、と言っている」


「うん……頑張るよ……?」と、ミダはまた頬肉を震わせた。


 あともう少しばかり肉が落ちれば、俺ももう少しばかりミダの感情を読み取れるようになるかもしれない。

 そうしたら、俺は今よりももっとこの不思議な存在を身近に感じ取れるような気がした。


「ところで、シン=ルウは何をしに来たの? アスタたちに何か用でもあった?」


 ララ=ルウの問いかけに、シン=ルウは少しだけ困ったような顔をした。

 その表情の変化に、ララ=ルウのほうは眉を吊り上げる。


「何、その顔は? まさか今さら《贄狩り》のやり方を教えてくれ、とか言い出すわけじゃないよね? シーラ=ルウが銅貨を稼げるようになったんだから、そんなのはもう必要ないはずでしょ?」


「それはもうひと月以上も前の話じゃないか。いい加減に勘弁してくれ」


「ふん!」と、ララ=ルウはそっぽを向いてしまう。

 そのむくれた横顔をしばし見つめてから、シン=ルウは右手を差し出してきた。


 その指先に握られていたのは――人間の手の平ぐらいの大きさをした、それは見事な黄色い花だった。


 それを横目で確認したララ=ルウは、たちまち「うわあ!」と歓声をあげた。


「すごい! 綺麗な花! ……これって、ミゾラ?」


「ああ。黄色いミゾラを見つけたのは初めてだったから、俺も驚いた。今日の狩りの最中に見つけたんだ」


「すごいすごい! へー、黄色いミゾラなんてあるんだね! あたしも初めて見た!」


 ララ=ルウははしゃぎながら、その黄色い花に顔を寄せて、「いい香り!」と、また歓声をあげる。


「生誕の祝いを贈るのは、同じ家に住む家人だけだ。……だけど、これを受け取ってもらえるだろうか?」


「え? あたしにくれるの?」と、ララ=ルウが不思議そうに面をあげる。


 シン=ルウは、いつも通りの表情で小さくうなずいた。


「ララ=ルウは、黄色い花が好きだっただろう? その生誕の日にこれを見つけてしまったから、ララ=ルウに贈りたいと思ってしまったんだ。……迷惑だろうか?」


 その沈着な顔が少し赤くなっているように見えるのは、ミダの掲げた燭台の火の加減なのだろうか。


 それは判然としなかったが。

 少なくとも、ララ=ルウのほうは顔を真っ赤にしてしまっていた。


「……黄色い花が好きだなんて、シン=ルウに言ったことあったっけ?」


「言った。俺たちがリミ=ルウよりも小さな頃だったと思うが」


「そっか」と小さな声で言い、ララ=ルウは頭にささっていた花を一輪、胸もとに移動させた。

 そして、空いたスペースが正面になるように横を向く。


 シン=ルウは、その手の黄色い花を、そっとララ=ルウの右のこめかみにさした。


 火のように赤いララ=ルウの髪に、その原色の花はびっくりするぐらい鮮烈な彩りを与えたようだった。


「……ララ=ルウが幸福な1年を送れるように、心から願う」


「ありがと」と、つぶやいてから、ララ=ルウはシン=ルウの顔を上目遣いで見つめた。


 潮時かな、と俺は家長の腕を肘でつつくことにする。


「それじゃあ今度こそ俺たちは帰ることにするよ。ララ=ルウ、明日もよろしくね。シン=ルウもミダも、お元気で」


「あ、う、うん! 気をつけて帰ってね! 今日はどうもありがとう!」


 ギルルをともない、広場を横断する。

 本日は、月の光もたいそう明るかった。


「いやあ、何だか素晴らしい1日だったなあ。最近はゴタゴタが起きるたびにルウの集落を訪れていた感じだったから、ひさびさに和やかな気持ちで過ごせた気がするよ」


 俺は心からそう言ったのだが、アイ=ファには「そうか?」と返されてしまった。


 あれれ? と思って振り返ると、その唇がとってもとがってしまっている。


「ど、どうしたんだ? さっきから不機嫌そうなお顔だなあとは思っていたんだけど。何か気に食わないことでもあったのか?」


「大いにあった。……ルウの次姉が考案したというあのすーぷは、いったい何なのだ?」


「え? あれは、タウ油を使った普通のスープだろ? 隠し味のせいで無茶苦茶に美味かったけど」


「……何をへらへらと笑っている? あのようなものを食べさせられて、お前は何も感じぬのか、アスタ?」


「いや、別に笑っちゃいないけど……何をそんなに怒ってるんだよ?」


 広場の出口を出たあたりで足を止め、アイ=ファは正面から俺をにらみつけてきた。


「アスタ! 明日はあれよりも美味いすーぷを作れ!」


「ええ? 何だよ、いきなり? そりゃあもちろん努力はするけど、味というものに唯一絶対の答えはないわけでありまして……」


「御託はいい! その約定を交わせぬなら、ギルルには乗せずに引きずって帰る!」


「わかりました! 粉骨砕身の気持ちで取り組みます!」


「……その言葉を忘れるなよ」


 何だかよくわからないが、つまりアイ=ファもレイナ=ルウの腕前に仰天させられた、ということなのだろう。


 それでここまでムキになってくれるのは嬉しいし――俺としても、レイナ=ルウの成長をただ漫然と祝福するつもりはなかった。


 レイナ=ルウは、未来のライバルではなく、現時点でもすでにその座にのぼってきていたのだ。

 これで燃えないわけがないではないか。


 俺の表情から何を感じ取ってくれたのか、アイ=ファはとがらせていた唇を定位置に戻し、重々しく首をうなずかせた。


「わかればよいのだ。それでは、帰るか」


「ああ」


 いよいよ、トトスのタンデムだ。

 だけど、昨晩のちょっとした稽古において、俺もトトスに乗る爽快さを知ることができた。


 それに、アイ=ファが毛皮のマントを着ている限りは、身体を密着させることに関しても問題はなかったし――


 とか考えていたら、アイ=ファはおもむろに毛皮の留め具を外し始めた。


「あ、あれ? 家長殿?」


「何だ?」と応じつつ、アイ=ファは脱いだマントをギルルの背にふぁさりとかぶせた。

 そして、いつものように地を蹴って、ギルルの背に颯爽とまたがる。


「さあ、乗るがいい」と、しなやかな指を差しのべられる。


「の、乗るよ。だけど、どうしてわざわざマントを脱いだんだ? そんなことをしなくても、ギルルの乗り心地は悪くないだろう?」


「うむ? これは狩人の衣が風を受けると鬱陶しいので外しただけだ。ひとりで乗るのなら問題はないが、後ろの人間に胴体を押さえられると、肩のあたりに風がたまってしまうのだ」


「そうか。だけど全速力で走らせるわけでもないんだし、大きな問題はないんじゃないかなあ?」


「大きな問題でなくとも、鬱陶しいものは鬱陶しいのだ。いいから、早く乗れ」


 アイ=ファの瞳にじわじわと不機嫌そうな光が蘇ってくる。

 しかたなしに、俺はその手を取って、ギルルの背によじのぼった。


 で、アイ=ファの引き締まった腰に両腕を回し――


「やっぱり無理だ!」と、わめき声をあげる。


 が、問答無用で、アイ=ファはギルルの脇腹を蹴ってしまった。


 たちまちギルルは軽快に走り出し、俺は慌ててアイ=ファの身体にしがみつく。

 胸あてと腰あてしかつけていない素肌の胴体に、ぎゅっと。


 ギバを狩る罠に『ギバ寄せの実』を使っているのだろう。複雑に結いあげられた金褐色の髪からは、甘い匂いが感じ取れる。


「今日は月が明るいな。もう少し速く走らせてみるか」


 勘弁してくれー! という心中の叫びもむなしく、ギルルは元気いっぱいに疾走し始める。

 そこから振り落とされないために、俺は全力でアイ=ファの身体を抱きすくめるしかなかった。


 ララ=ルウが13歳になり、俺はこの世界で初めての好敵手に巡り遭うことになった。青の月の25日は、そんな感じで終わりを迎えたのだった

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