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異世界料理道  作者: EDA
第八十九章 雨季の終わり
1536/1695

送別の祝宴⑥~貴族の卓~

2024.9/15 更新分 1/1

・明日は二話同時更新となります。お読み飛ばしのないようにご注意ください。

 そうして俺たちは、セルフォマたちがマルフィラ=ナハムと語らい終えるのを待ってから、いざ次なる卓に向かおうとしたのだが――そこで、若き貴婦人に取り囲まれることになってしまった。


 貴族の挨拶回りも、ついに一段落したようである。俺とルド=ルウとガズラン=ルティムは貴婦人の奔流によって弾き出されて、遠巻きにそのさまを眺めることになった。


「アイ=ファは、相変わらずだなー。ま、リミたちが一緒だったら、ちっとは苦労も減るんじゃねーの?」


 と、ルド=ルウは呑気にかまえていたが、俺たちもまったく他人事ではなかった。今度は老若男女の貴族が一丸となって、俺たちを取り囲んできたのだ。

 若き貴婦人の数も少なくはないが、同じぐらいの割合で若き貴公子や壮年の男女の姿も見受けられる。俺に対しては料理の賞賛、ルド=ルウやガズラン=ルティムに対しては武勲や凛々しき姿に対する賞賛の嵐だ。ルド=ルウやガズラン=ルティムも鴉の大群に襲撃された祝宴の場において尋常ならざる武力を見せつけることになったため、叙勲の式典以降はいっそうの人気を博してしまったようであった。


「きっと闘技会に出場した面々は、前々からこのような賑わいに見舞われているのでしょうね」


 こちらの包囲網が解除されたのち、ガズラン=ルティムはゆったりと笑いながらそんな風に言っていた。ガズラン=ルティムは如才がないので、どれだけ賞賛を浴びようとも沈着に対処することがかなうのだ。


 そうして俺たちが自由の身を得ても、アイ=ファたちはまだ貴婦人の包囲の只中である。きっとこういう騒ぎは、連鎖するのだろう。次から次へと新たな貴婦人が押し寄せて、なかなか収まりそうになかった。


 その間、セルフォマは城下町の料理人や森辺のかまど番と思うさま語らっている。料理の卓に留まっていれば、そちらに続々と新たな顔ぶれがやってくるのだ。マイムやジーダ、レイ=マトゥアや兄たる長兄、ダゴラの男女、ラッツの血族たる4名なども順番にやってきて、料理を食してはセルフォマたちと語らっていった。


「ああ、アスタ殿は、こちらでしたか」


 そこに、大柄な人影がやってくる。武官の礼服に青い腕章をつけた、ムスルだ。骨張った四角い顔に立派な髭をたくわえたムスルは、穏やかな面持ちで俺たちの姿を見回してきた。


「おや、殿方だけとは珍しい。今日は何か、そういう趣向なのでしょうか?」


「いえ。それぞれ連れがいましたけど、あの通りでして」


 貴婦人の人垣に目をやったムスルは、「ああ」と笑った。


「アイ=ファ殿は、相変わらずの人気ですな。実はリフレイア姫から、あちらの卓にお招きしたいというお言葉を授かってきたのですが……これは少々、時間が必要なようですな」


「ああ、リフレイアも自由に動けるようになったのですね。それじゃあアイ=ファたちが解放されたら、お供いたします」


 すると、料理人の一団と語らっていたセルフォマとカーツァもこちらに近づいてきた。


「ア、アスタたちは貴賓の席に移られるのでしょうか? でしたら、私どもはこちらで失礼いたします。……と、仰っています」


「あ、そうですか? セルフォマたちがご一緒しても、問題はないように思いますけれど」


「い、いえ。アスタの準備した宴料理はすべて口にすることができましたので、これ以上お世話をかける甲斐はないかと思われます。これまで、ありがとうございました。他の方々にもよろしくお伝えください。……と、仰っています」


「そうですか」と、俺はカーツァに視線を定める。


「でも、あちらに移れば、リクウェルドもいらっしゃるでしょう。リクウェルドは明日出立してしまうのですから、今の内にご一緒したら如何ですか?」


「あ、いえ、リクウェルド様とは昨日も語らうことができましたし……祝宴の後にも、お時間を作ると言っていただけたのです」


 カーツァは頬を染めながら、深々とお辞儀をした。


「わ、私などにお気づかいをいただき、ありがとうございます。あ、明日からも、どうぞよろしくお願いいたします」


「そうですか。承知しました。それじゃあカーツァも通訳の仕事を頑張ってください」


「は、はい。それでは、失礼いたします」


 そうしてセルフォマとカーツァは、城下町の料理人が準備した料理の卓を目指して立ち去っていった。

 それからしばらく談笑していると、ようやくアイ=ファたちが舞い戻ってくる。アイ=ファは凛々しい面持ちであり、どちらかというとレイナ=ルウのほうがぐったりしていた。


「よー、お疲れさん。なんか、レイナ姉はへたばってんなー」


「うん……ああいう挨拶は、いつものことだけど……いつも以上に、勢いがすごくって……」


「アイ=ファと一緒だと、あんな感じなんだよねー! みんな、アイ=ファが大好きなんだよー!」


 リミ=ルウはにこにこと笑いながら、アイ=ファの手の先をぎゅっと握っている。アイ=ファは逆の手で、リミ=ルウの赤茶けた髪をぽんと叩いた。


「今日はリミ=ルウたちのおかげで、ずいぶん苦労が減じたように思うぞ。ジルベとサチも、ご苦労であったな」


 ジルベは元気に「わふっ」と応じ、サチは不満げに「なうう」と応じる。きっとこちらも、さんざん愛でられることになったのだろう。ジルベとサチは、貴婦人の間でも大人気であるのだ。


「あ、セルフォマたちは、次の卓に向かったよ。それでこっちはリフレイアからのお誘いを受けたんだ」


「そうか。デルシェアたちの姿も見えぬようだな」


「俺たちが囲まれてる間に、移動したんじゃないかな。もう四半刻ぐらいは経ってる気がするしな」


 ポワディーノ王子と約束した一刻という刻限も、そろそろタイムリミットが遠くないことだろう。その前にすべての宴料理を腹に収めるべく、俺たちは貴族専用の右側の卓へと向かうことにした。


 サトゥラス伯爵家の料理長も姿を消していたので、森辺の6名と2頭のみだ。それを先導するムスルは視線を巡らせながら歩を進めて、ひとつの卓に近づいていった。


「我が君、お待たせしてしまって申し訳ございません。森辺のご一行をご案内いたしました」


「あら、本当に遅かったわね。あなたひとりで歓談を楽しんでいるのじゃないかと疑いかけていたところよ」


 すました顔でそんな風に言いながら、リフレイアは目もとで笑っている。そのかたわらにはシフォン=チェルも控えているので、物寂しい思いをすることもなかったのだろう。さらにその場には、バナーム侯爵家のアラウトと従者のサイと料理番のカルスも控えていたのだった。


「そちらは、マルフィラ=ナハムの料理ですね。カルスのご感想は如何でしたでしょうか?」


 と、熱意を回復させたレイナ=ルウが、さっそくカルスのもとに突撃していく。それを横目に、俺はリフレイアたちに挨拶をした。


「お招きありがとうございます。こちらはちょうど自分たちで準備した料理を食べ終えたところだったんですが、そちらは如何ですか?」


「わたしたちも順番に、あなたがたの力作をいただいていたところよ。この不思議な汁物料理で、7品目といったところかしら」


 きっとこちらの列でも、同じ順番で料理が並べられていたのだろう。俺たちが包囲されている間に、リフレイアたちが追いついた格好であった。


「ここまでの宴料理は、すべて素晴らしい仕上がりでした。東の王都の食材も随所に組み込まれていて、みなさんの手腕をあらためて思い知らされた心地です」


 純真にして力強い笑みをたたえつつ、アラウトはそんな風に言ってくれた。

 そうしてとりあえずの挨拶を交わしたのちは、一丸となって次なる卓を目指す。その間も、レイナ=ルウはずっとカルスと語らっていた。マルフィラ=ナハムの料理ばかりでなく、すべての品の感想を聞きほじっているようだ。


「ここからは、城下町の料理人の品ということね。今日の仕事を受け持ったのは、ヴァルカスとダイア、ヤンとティマロ、それにプラティカの5名だったかしら?」


「ええ。あとはトゥール=ディンの菓子ですね」


「ああ、それは忘れてはならないわね。きちんとおなかを空けておかないと」


 リフレイアがご機嫌な様子なので、俺も微笑ましい気分であった。

 そうして料理の卓に到着すると、馴染み深い面々が居揃っている。ポルアースにメリム、リーハイムにセランジュというカルテットである。はからずも、伯爵家の若き世代が一堂に会することになった。


「ああ、ようやく来てくれたか。すっかり待ちくたびれちまったよ」


 リーハイムが笑顔を向けると、レイナ=ルウも笑顔で一礼してから小首を傾げた。


「どうも、お疲れ様です。……もしかして、リーハイムもわたしたちを待っていてくださったのでしょうか?」


「え? 俺の言伝を聞いたんじゃないのかよ? ……そういえば、言伝を頼んだ小姓の姿が見当たらねえな」


「恐れながら、レイナ=ルウ殿は若き貴婦人がたに取り囲まれて、お姿が見えませんでした。小官はアスタ殿のお姿を見つけて、お声をかけることがかなったのです」


 ムスルが恭しげに答えると、リーハイムは「なんだ」と肩をすくめた。


「じゃ、俺が言伝を頼んだ小姓は、半べそで駆けずり回ってるかもしれねえな。気の毒だから、呼び戻してやってくれ」


 サトゥラス伯爵家の侍女と思しき女性が一礼して、立ち去っていく。それからあらためて、リーハイムはレイナ=ルウに笑いかけた。


「レイナ=ルウがなかなか来ないから、そっちの宴料理はのきなみ食べ終えちまったよ。これは、ティマロの品だとさ」


「ティマロの料理ですか。そちらも、興味をひかれます」


 と、レイナ=ルウは自然にリーハイムのもとへと身を寄せる。そちらはガズラン=ルティムにおまかせして、俺はポルアースとメリムの夫妻に一礼した。


「みなさん、お疲れ様です。ご挨拶が遅くなって、申し訳ありません」


「いやいや! アスタ殿たちは今日も大役を果たしてくれたのだから、もう十分さ! 心ゆくまで、祝宴を楽しんでおくれよ!」


 ポルアースもまた、明るい表情だ。彼らにしてみれば、2ヶ月がかりの騒ぎの打ち上げといった心境であるのだろう。後半はのきなみ建設的な苦労であったのだろうが、苦労であることに違いはなかった。


「こちらの料理も、森辺の方々の料理に負けない出来栄えであるように思いますわ。どうぞ存分に楽しまれてね」


 どこか少女のようなあどけなさを持つメリムに笑顔でうながされて、俺たちもティマロの料理を受け取ることになった。

 今回も、ティマロは香草と乾酪を使った汁物料理だ。ただしベースとなっているのはカロン乳ではなく豆乳であるようであった。


 それに、魚介の出汁がしっかりきいている上に、きわめて複雑な風味である。きっとこれは、東の王都から持ち込まれたキバケも活用されているのだろう。独特の苦みと酸味と青臭さを持つキバケは、他の香草と一線を画する風味であるのだ。そこに他なる香草によって、強い辛みが加えられていた。


「……これはおそらく、ギラ=イラであろうな」と、アイ=ファがいくぶん眉をひそめながら評する。アイ=ファは辛さが苦手であるがゆえに、敏感にその正体を察することができたようだ。それでもアイ=ファが音をあげるほどの辛さではなかった。


「なんか、この前の料理がいっそう美味しくなった感じだね! ちょっと辛いけど、リミは嫌いじゃないよー!」


 と、リミ=ルウはそんな風に言っていた。

 ティマロは前回、マツタケのごときアラルの茸と牡蠣のごときドエマの出汁を合わせて、見事な料理を作りあげていたのだ。今回はそこにキバケを加えて、さらなる発展を目指したようであった。


 また、具材にはクルマエビのごとき甲冑マロールの他に、カニのごときゼグやちりめんじゃこのごときドケイルをタネにした団子も加えられている。この短期間で、ティマロも目新しい食材を積極的に使っていたのだ。

 なおかつ、乳白色のスープには明太子のごときジョラの魚卵が散りばめられているし、野菜の具材にはアスパラガスのごときドミュグドやチンゲンサイのごときバンベも使われている。東の王都の食材ばかりでなく、南の王都やゲルドから届けられた食材の扱いにも余念がなかった。


「……わたしの料理は、お気に召しましたかな?」


 いきなり背後から声をかけられて、俺は思わず「わっ」と声をあげてしまった。


「ティマロもこちらにいらしたのですね。はい、本日も素晴らしい仕上がりだと思います」


「懇意にさせていただいている男爵家の方々に、お招きをいただいたのです。……セルフォマ殿の説明が懇切丁寧でありましたため、わたしも過不足なく東の王都の食材を盛り込むことがかなったものと自負しております」


 そんな風に言ってから、ティマロはぐっと身を寄せてきた。


「ですがもちろん新しい食材の扱いに関しては、まだまだ森辺の方々には及びません。そちらはすでに新しい食材を特別ならぬ存在として使いこなしているように見受けられます。それにやっぱりマルフィラ=ナハム殿の手腕には、驚かされるばかりでありますな」


「はい。あれには俺も、驚かされました。マルフィラ=ナハムの鋭い味覚には感心するしかありませんね」


「ええ。きっと彼女も遠からぬ内に、貴族の方々から晩餐会の準備などを申しつけられることでしょう。マルフィラ=ナハム殿には、それだけの手腕が備わっているはずです」


 それはまた、本人が聞いたらひっくり返ってしまいそうな評価であった。

 まあ、俺としては誇らしい限りである。


「あ、ティマロもこちらにいらしたのですね。この料理も、素晴らしい出来栄えでした」


 と、リーハイムたちと語らっていたはずのレイナ=ルウが、近からぬ場所から声を飛ばしてくる。ティマロが俺たちに一礼してからそちらに歩を進めていくと、ポルアースが陽気に笑いかけてきた。


「今日は森辺と城下町の料理人の競演といった趣で、なかなかの盛り上がりであるようだね。城下町の陣営も引き立て役に成り下がっている様子はないので、心強い限りだよ」


「ええ。今日はひときわ名のある方々がお招きされていますもんね。この先にもどんな料理や菓子が待ち受けているのか、楽しみです」


「うんうん。使節団の方々にも、楽しんでいただけているんじゃないかな。リクウェルド殿たちは、この先で待ちかまえているはずだよ」


 すべての貴族が自由の身となったため、行く手の卓も大変な賑わいだ。誰がどこにいるのやら、なかなか判然とするものではなかった。


「今日は挨拶が長引いたから、みんな躍起になって料理に群がっているようね。まあ、わたしもそのひとりなわけだけど。……それじゃあ、次の卓に移動しましょうか」


 リフレイアの号令で、俺たちは早々に移動した。こちらの卓にはティマロの料理しか準備されていなかったので、みんなすぐさま食べ終えていたのだ。

 それでポルアースたちとはお別れすることになったが、リーハイムとセランジュは当然のようにレイナ=ルウに同行している。さらにはティマロと彼をお招きした男爵家の夫妻までご一緒していたので、大人数の再来だ。そちらはレイナ=ルウとガズラン=ルティムにまかせて、俺たちはリフレイアやアラウトたちと歓談を楽しませていただいた。


 そうして到着した次なる卓には、宴衣装のプラティカが待ちかまえている。

 そしてさらに、ララ=ルウとシン・ルウ=シン、シュミラル=リリンとレイ分家の女衆、外交官の補佐オーグなどといった面々も入り混じっている。こちらの接近に気づいたララ=ルウは、抑制された挙動で優雅に手を振ってきた。


「アスタにアイ=ファ、料理の前に挨拶をお願いできる? オーグは明日、ジェノスを出立しちゃうんだってさ」


「あ、そうなのかい? ……オーグ、お疲れ様です。祝宴の翌日に出立というのは、ずいぶん慌ただしいお話ですね」


「ええ。ですが送別の祝宴で見送られる方々は、誰しもそのように取り計らっておられるのですからな。わたしばかりが文句を言うわけにはまいりません」


 いつでも厳格な面持ちをしたオーグは、断固たる口調でそう言った。彼は雨季に入るあたりを目処に西の王都アルグラッドに帰還する予定であったのだが、ポワディーノ王子の来訪によって延期を余儀なくされていたのだ。


「東の王都との問題もようやくすべて落着したのですから、わたしは取り急ぎ王陛下にご事情をお伝えしなければなりません。……アスタも、心してお待ちください」


「それは、ポワディーノがアスタを目的にしてジェノスにやってきたという一件についてであろうか?」


 アイ=ファが鋭く声をあげると、オーグはますます厳格な面持ちで「左様です」と応じた。


「無論、恐れ多くもポワディーノ王子殿下が全面的にご自分の非をお認めになられましたので、アスタが責められることはないかと思われますが……何せ、東の王家にまつわる騒乱でありますからな。王陛下も、さぞかしお心を痛められることでしょう」


「しかし、非がない人間を罰することはできまい?」


「ええ。アスタが罰せられることはないでしょうな。……ともあれ、王陛下の御意をお待ちください」


 オーグはあくまで伝達する役目であるのだから、ここで食い下がっても意味はないだろう。アイ=ファは青い瞳を鋭く光らせながら、押し黙ることになった。


「オーグもフェルメスも公正なお人だから、間違った話が伝わる心配はないさ。こっちは何を言われてもうろたえないように、心を引き締めておくだけだよ」


 真っ赤な髪を背中に垂らして、立派な宴衣装に身を包んだララ=ルウは、毅然とした面持ちでそう言った。そしてオーグに対しては、恭しげな声をかける。


「オーグ、道中はどうかお気をつけて。そして、かなうことでしたら、またお会いできるように願っています」


「さすがにこれ以上、わたしどもの任期がのびることはないかと思われますが……数年の後には、また赴任の命をいただくこともありえますでしょう。森辺のみなさんも、どうぞ息災に」


 オーグもまた、貴族を相手にしているかのように一礼した。ララ=ルウは長きの時間をかけて、オーグとここまでのご縁を紡いだのだ。

 ただし、オーグとフェルメスはすでに通例以上の期間をジェノスで過ごしている。それでも交代要員がやってこないので、またオーグのほうから王都に出向くことになったのだ。不測の事態でも生じない限り、オーグはそのまま王都に留まるはずであった。


「王都の外交官がオーグやフェルメスのように公正な御方で、俺もありがたく思っていました。俺もララ=ルウと同様に、オーグと再会できる日を楽しみにしています」


「……アスタの世話を焼いていたのは、もっぱらフェルメス殿でありましたがな」


 と、オーグはぎこちなく口もとをほころばせた。

 おそらくは、オーグが俺に見せる初めての笑顔である。俺は何だか胸を詰まらせながら頭を下げて、その場を辞することになった。


「……我々に恥ずるところはない。次なる外交官がどのような人間であっても、これまで通り正面から立ち向かう他あるまいな」


 リミ=ルウたちのもとを目指しながら、アイ=ファは凛然たる声音でそう言った。

 リミ=ルウとルド=ルウはシュミラル=リリンたちと合流して、プラティカの料理をぱくぱくと食べている。プラティカ本人は、レイナ=ルウが引き連れてきた面々に取り囲まれてしまったのだ。そちらに名残惜しそうな視線を傾けつつ、アイ=ファはリミ=ルウの頭に手を置いた。


「待たせたな。シュミラル=リリンたちも、こちらに招かれていたのか」


「はい。私たち、ララ=ルウ、同じ組でしたので」


「料理に関してはわたしが応対するようにと、ララ=ルウから申しつけられていたのです。なんだか、誇らしい気分ですね」


 シュミラル=リリンのパートナーたるレイ分家の女衆は、笑顔でそう言った。試食会の時代にはレイナ=ルウの調理助手を務めていた、血族でも有数のかまど番だ。それで今回は、ララ=ルウの指揮下に置かれたようであった。


「アスタ、カレー、素晴らしい味わいでした。悦楽、境地です」


 と、シュミラル=リリンは優しい微笑を俺に届けてくる。オーグとの対話で生じたしんみりとした思いは、それで払拭することができた。


「ありがとうございます。ヴィナ・ルウ=リリンも早く一緒にカレーを食べられるようになるといいですね」


「はい。その日、待望しています」


 ヴィナ・ルウ=リリンは子に乳をやる関係から、香草の摂取を控えているのだ。それでも他なる家人のためにカレーが準備される日もあるようであるが、大切な伴侶と同じ喜びを分かち合えなければ、カレーの美味しさも半減してしまうはずであった。


「また、こちらの料理、素晴らしい、出来栄えです。私、東、生まれですので、プラティカの料理、口、合うようです」


「そうですか。まあ、プラティカは誰が相手でもうならせることができる腕前ですからね」


 シュミラル=リリンとの語らいに胸を満たしつつ、俺もプラティカの料理を取り分けてもらった。

 プラティカが本日準備したのは、粒のまま仕上げたシャスカ料理――どこからどう見ても、チャーハンである。かつてはオリジナル餃子の考案に励んでいたプラティカが、今度はチャーハンに着手したのだった。


「……これはまた、ずいぶんな香草が使われていそうな香りだな」


 アイ=ファは用心深げな面持ちで、鼻をひくひくとさせている。プラティカはかつての祝宴で、ギラ=イラを使った強烈に辛い料理を供したこともあったのだ。

 しかし、先にそちらをいただいていたリミ=ルウは、満面の笑みであった。


「これは、そんなに辛くないよー! かれーとか、マルフィラ=ナハムのすーぷとかとおんなじぐらいかなー!」


「そうか。リミ=ルウにそう言ってもらえれば、私も安心できるぞ」


 アイ=ファが再び頭を撫でると、リミ=ルウは嬉しそうに「えへへー」と笑みくずれた。


 そうして、いざプラティカのチャーハンを食してみると――確かに、カレーに匹敵するほどの辛みがきいている。この深みのある辛さこそ、ギラ=イラに他ならなかった。

 ただし、辛さとは異なる強い風味が鼻に抜けていく。これは、キバケの香りである。期せずして、プラティカもティマロと同じようにキバケとギラ=イラを組み合わせていたのだった。


(まあ、キバケはチットやイラ系の辛みと相性がいいって話だったもんな。ある意味、王道の使い方なわけか)


 しかしこちらは、見事な出来栄えである。辛い以前に、魚介の風味が豊かであるのだ。しかもこれはエビ系の風味であり、シャスカに何らかの出汁を吸わせているのだろうと思われた。

 また、シャスカには辛みを感じない。辛いのは、具材として使われているギバ肉であったのだ。ギバ肉はごく小さく切り分けられていたが、これは辛みのきいたギバ肉をおかずに魚介の風味が豊かなシャスカを食しているような心地であった。


 基本の味付けはタウ油やオイスターソースのごとき貝醬であるようだが、それ以外に甘い風味も感じられる。おそらくシャスカを炒めるのに、ジュエの花油を使っているのだ。それがこのチャーハンに独特の優雅さをもたらしているように感じられた。


「これは、不思議な味わいだな。森辺で出されても城下町で出されても不思議はないように感じられる」


 最初のひと口で、アイ=ファはそのように評した。

 俺も笑顔で、「うん」と応じる。


「そういう意味では、マルフィラ=ナハムの料理にも通じるものがあるな。プラティカは森辺でも城下町でも熱心に研究に取り組んでいるから、その成果があらわれたんだと思うよ」


「うむ。あやつの熱意は、森辺の狩人そのものであるからな」


 アイ=ファは優しく目を細めながら、レイナ=ルウたちに取り囲まれているプラティカのほうを見やった。

 そうとは知らずに、プラティカは真剣な面持ちで語らっている。その紫色の眼光は、確かに森辺の狩人さながらだ。どんなに美麗な宴衣装を纏っていても、プラティカの凛々しさに変わりはなく――そんなところも、アイ=ファにそっくりであった。

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