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異世界料理道  作者: EDA
第八十九章 雨季の終わり
1535/1695

送別の祝宴⑤~マルフィラ=ナハムのフォルノ=マテラ

2024.9/14 更新分 1/1

 俺たちは、ぞろぞろと列を成して次なる卓を目指した。

 俺とアイ=ファ、ルド=ルウとリミ=ルウ、ガズラン=ルティムとレイナ=ルウ、サトゥラス伯爵家の料理長と助手の若者、セルフォマとカーツァ、ジルベとサチ――ついに10名と2頭である。移動の際には俺とアイ=ファも2頭の家人およびルウ家の仲良し兄妹と肩を並べて、料理人の一団はレイナ=ルウとガズラン=ルティムにおまかせするしかなかった。


「確かにこれじゃあ、ジザ兄の手に負えねーよなー。でもまー、レイナ姉ならではって気がしてきたよ」


 ルド=ルウも、ついにレイナ=ルウの熱心さに白旗をあげたようである。まあ、これこそ適材適所というものであった。


「で、ジーダなんかは遠目に見守ってるだけだったんだろうけど、ガズラン=ルティムは一緒になって楽しそうにしてるもんなー。やっぱ一番すげーのはガズラン=ルティムだって気がしてきたぜ」


「うんうん。ガズラン=ルティムは誰が相手でも分け隔てなく交流できるんだろうね」


 ガズラン=ルティムが賞賛されると、俺はついつい口もとがゆるんでしまう。アイ=ファはいかにも俺の頭を小突きたそうな眼差しになっていたが、人目が多いために自重しているようであった。


 そんなこんなで、3つ目の卓である。

 やはり俺たちが準備した宴料理は、連続で並べられていた。こちらは、カレーと副菜の卓だ。なおかつ、なかなかに騒がしい面々が待ちかまえていた。


「おお、アイ=ファ殿! ようやく間近からその麗しき姿を見届けることがかなったぞ! いやあ、これは脳天に破城槌でもくらったような心地だな!」


 ティカトラスの次にアイ=ファを辟易させる、それは護民兵団の大隊長デヴィアスに他ならなかった。

 さらには、カミュア=ヨシュとレイトとザッシュマ、それにレイリスとザザ本家の姉弟の姿もうかがえる。アイ=ファは溜息をこらえながら、それらの面々を見回した。


「そちらはもう、挨拶を終えたのだな。……初手の非礼は容赦するので、今後の軽口は控えてもらいたい」


「いやあ、申し訳ない! どうしても、アイ=ファ殿の美しさを目の当たりにすると理性が吹っ飛んでしまうのでな!」


「……だから、そういう軽口をつつしんでほしいと言い置いているのだ」


 仏頂面のアイ=ファに、カミュア=ヨシュが「まあまあ」と笑いかける。


「デヴィアス殿が騒いでいなかったら、俺が森辺の禁忌を犯していたところだよ。そのような姿で褒めそやすのを禁ずるなんて、あまりに殺生な話さ」


「……だから、初手の非礼は黙認したではないか。そちらまで軽口を続けるつもりであれば、今後のつきあいを考えさせていただくぞ」


 アイ=ファはアイ=ファなりに、城下町の流儀をあるていどは受け入れるべきかと思案しているのである。それでもまあ、デヴィアスやティカトラスの勢いには辟易せざるを得ないのだろうと思われた。


 ともあれ、カミュア=ヨシュたちと祝宴をともにするのはひさびさのことだ。無精髭を生やしたカミュア=ヨシュとザッシュマは、美々しい礼服を着込んでも武勲をあげた傭兵という貫禄であるが、それよりもややつつましい従士という役職の礼服を纏ったレイトなどは、未来の貴公子といった秀麗さであった。


「わたしやデヴィアス殿は勲章を授かった身として、使節団の方々と早々に挨拶させていただくことがかないました。……アイ=ファ殿は、そのような形で勲章を掲げておられるのですね」


 デヴィアスとは対照的に折り目正しいレイリスは、アイ=ファの右肩に視線を据えながらそう言った。


「貴婦人の宴衣装で勲章を掲げるというのは、ジェノスにおいても例のない行いかと思いますが……その殊勲の重さに変わりはありません。あらためて、アイ=ファ殿の勲功をたたえさせていただきたく思います」


 賊の捜索において指揮を取っていたデヴィアスは勲二等、鴉の撃退に貢献したレイリスやルド=ルウは勲三等、そしてアイ=ファとカミュア=ヨシュが勲一等だ。陰の功労者であるザッシュマは報奨金の授与に留まったが、それでもこのたびの祝宴に招待されていた。レイトに関しては、カミュア=ヨシュがジェノス侯爵家とのコネクションを活用して参席者の枠にねじこんだのだそうだ。


「私はティカトラスの計略で、武器となるものを携えていただけであるからな。武器もなしに鴉を退けたレイリスや、衝立の裏にひそみながらすぐさま騒乱の中心に駆けつけたルド=ルウらのほうが、よほど大きな働きを成したように思うぞ」


「いえ。おそらくあの日にもっとも多くの鴉を退けたのは、アイ=ファ殿なのでしょうからね。刃もついていない装飾の短剣でそれだけの働きができるのは、やはりアイ=ファ殿の手腕あってのことでしょう」


「あの鴉はポワディーノを狙っていたのだから、そのそばにいた私が退ける役を負ったにすぎん。……何にせよ、あやしい手管で操られていた鴉を殺めたことを誇る気にはなれんな」


「そうそう。そんな血なまぐさい話は脇に置いて、祝宴を楽しもうじゃないか。さあさあ、アイ=ファたちも宴料理で腹と心を満たすといいよ」


 飄然と微笑むカミュア=ヨシュの誘導で、俺たちも料理を受け取ることになった。

 ちなみにレイナ=ルウたちは挨拶もそこそこに、すでに料理を食している。カレーを口にしたセルフォマは、すぐさま感想を並べたてた。


「こ、こちらのカレーという料理は屋台で口にしていましたが、本日の出来栄えは格段に素晴らしいように思います。屋台と祝宴では、これほどまでに仕上がりが違ってくるのですね。……と、仰っています」


「ええ。屋台ではどうしても食材費を切り詰めなければなりませんので、具材や調味料を厳選する必要があるのです。それでも決して恥ずるところのない出来栄えであるはずですが……自由に食材を使える祝宴とは、やはり大きく差が出るのでしょう」


 と、レイナ=ルウは過不足なく応対してくれている。屋台のカレーはファの家の担当であるし、本日のカレーも俺が考案した内容であったが、レイナ=ルウはその詳細をひとつ余さずわきまえているのだ。しかもこちらのカレーを仕上げたのは、レイナ=ルウの班であった。


 本日は焼きフワノで召し上がっていただくため、インドカレー仕立てである。雨季であるのでタラパだけは使えないが、それ以外は香草も調味料も具材も総動員だ。なおかつ今回のテーマはギバ肉と魚介の両立であり、アマエビのごときマロール、イカやタコのごときヌニョンパ、ホタテガイのごとき貝類、牡蠣のごときドエマ、カニのごときゼマもふんだんに盛り込んでいた。


 いっぽう副菜は箸休めとして、実にささやかなひと品を供している。命名するとすれば、『油揚げの巾着ミャン卵』といった具合であろうか。凝り豆で作りあげた油揚げを軽く湯がいて油抜きしたのち、キミュスの卵と大葉のごときミャンを詰め込んで、タウ油ベースの調味液で煮込んだひと品だ。この品だけは新しい食材も使用せず、ひたすら優しい味わいを目指していた。


「……アスタ。この料理は作りあげるのに特別な技術などが必要になるのでしょうか?」


 と、珍しくもレイトが自分から語りかけてきた。


「いや、凝り豆から油揚げを仕上げるのに多少の手間がかかるけど、特別な技術っていうほどのものではないと思うよ」


「そうですか。たとえば《キミュスの尻尾亭》でも、同じ品を作りあげることは可能なのでしょうか?」


「ああ、レビたちだったら、何の心配もいらないね。これを《キミュスの尻尾亭》の食堂でも扱いたいってことかな?」


「……僕は家を出た人間ですので、そのようなことを考える立場ではありません」


 レイトが内心の知れない微笑みをたたえつつそのように語ると、デヴィアスたちと談笑していたカミュア=ヨシュが細長い首をにゅっとのばしてきた。


「ああ、そちらの料理も実につつましい味わいながら、美味しかったねぇ。こういう優しい味わいは、テリア=マスも好みなんじゃないかな?」


「……どうでしょうね」と、レイトはそっぽを向いてしまう。レイトにとって、テリア=マスは姉同然の存在であるのだ。にまにまと笑うカミュア=ヨシュに苦笑を届けてから、俺はレイトに呼びかけた。


「それじゃあ次の機会にでも、レビたちに作り方を教えておくよ。案外、こういう繊細な味付けは、テリア=マスが一番得意かもね」


 レイトは「ありがとうございます」とだけ言って、卓の向こうに立ち去ってしまった。

 まあ、レイトは明け透けに語ることを苦手にしている少年なのである。俺も言葉ではなく行動でもって、レイトの期待に応えるしかないようであった。


「そういえば、ガーデルはまだ復調していないという話であったな」


 と、こちらではアイ=ファがデヴィアスに問いかけている。

 アイ=ファの真剣な眼差しに呼応して、陽気なデヴィアスも神妙な顔をこしらえた。


「うむ。どうもこの雨季の涼気と湿気が、手傷に悪い影響を与えているようだ。それに何より、ああまで気をふさいでいたら回復も遅れるばかりであろう。食もずいぶん細くなってしまったようだしな」


「そうか。シムにまつわる騒動はすべて落着したのに、ガーデルだけがその喜びを味わえないというのは無念の限りだ」


 ガーデルは東の賊に毒矢を受けて以来、ずっと臥せったままなのである。そして彼はおのれの軽はずみな行いを深く恥じており、俺やアイ=ファのお見舞いを拒んでいる身であった。


「ただでさえ、雨季というのは気がふさぐものであるからな。しかし雨季も、残すは数日限りであろう。ずいぶん出遅れてしまったが、あやつももうじき安楽な心地を取り戻すだろうさ」


 と、デヴィアスは大きな口に白い歯をこぼした。


「アイ=ファ殿が不肖のガーデルを思いやってくれることを、俺は心から得難く思っているぞ。俺がアイ=ファ殿に魅了されてならないのは、その美しき姿に清らかな心根がにじんでいるがゆえなのであろうな」


「……その余計なひと言がなければ、私もずいぶん心を安らがせることができるのだがな」


 アイ=ファが苦笑を浮かべると、デヴィアスは本来の陽気さで高笑いをした。

 そして、こちらにはレイナ=ルウが、デヴィアスにはスフィラ=ザザが呼びかけてくる。


「アスタ、残すところはマルフィラ=ナハムの料理です。早々に移動いたしませんか?」


「デヴィアス、ザザ分家の長兄はあちらの卓にいるようです。挨拶をしたいのでしたら、わたしたちがご案内しましょう」


 レイナ=ルウはマルフィラ=ナハムの料理にご執心であるし、ザザ分家の長兄は邪神教団の討伐と東の賊の捜索の両方でデヴィアスと手を携えた間柄であるのだ。それで俺たちは、それぞれ反対側の卓に足を向けることになったのだった。


 俺たちは、もとの10名と2頭である。セルフォマは静謐な無表情であるし、サトゥラス伯爵家の料理長は悠揚せまらぬ面持ちであるが、きっと内心ではレイナ=ルウに負けないぐらい関心をかきたてられていることであろう。マルフィラ=ナハムは、それぐらい立派な仕事を果たしたのである。


 然して、隣の卓に出向いてみると――そちらは、なかなかの賑わいであった。数々の人間が、マルフィラ=ナハムとその一行を取り囲んでいたのである。

 その主たるは城下町の料理人で、ロイとシリィ=ロウ、《四翼堂》や《ヴァイラスの兜亭》の料理長および助手の姿もうかがえる。そしてその隙間から、金色の刺繍が美しい宴衣装の裾が覗いていた。


「あ、デルシェア姫もこちらにいらしていたのですか」


 俺が人垣の外から声をかけると、エメラルドグリーンの瞳を太陽のように燃やしたデルシェア姫が「はい!」と勢いよく振り返ってきた。


「しばらくはあちらの卓を巡っていたのですが、マルフィラ=ナハム様の料理を口にして、居ても立っても居られなくなってしまいました! あれは、驚くべき味わいです!」


 デルシェア姫はすっかり発奮していたが、それでも何とか丁寧な口をきくだけの理性は残されていたようである。

 そんなデルシェア姫のかたわらにはロデが控えて、姫君と他の面々が接触しないように苦労している。そして、少し離れた場所からは笑顔のディアルが手を振ってきた。


「やあ。ディアルはデルシェア姫に付き添ってたんだね」


「うん。今日は南の民なんて、僕とデルシェア姫とボズルぐらいしかいなそうだからねー。そのぶん、昼間はリフレイアに付き添ってたんだよ」


 貴族や王族にお招きされれば、貴族専用の卓を巡ることも許されるのだ。そうしてそちらでマルフィラ=ナハムの料理を口にするなり、こちらに飛んできたということであるようだった。


「確かにあれは、見事な出来栄えだったねー。でも僕は、アスタが作ったあんかけなんちゃらとかべーこんなんちゃらのほうが好きな感じだったよ!」


「それは、どうもありがとう。マルフィラ=ナハムの料理は、料理を生業にする人たちをひときわ引きつけちゃうんだろうね」


「あはは。デルシェア姫は料理番じゃなくってお姫様だけど、まあそこらの料理番よりよほど熱心だしねー」


 デルシェア姫がヒートアップしている反動か、ディアルはずいぶん落ち着いた面持ちだ。その隣に控えたラービスは、言うまでもなかった。


 大勢の料理人に囲まれたマルフィラ=ナハムは、目を泳がせながら応対している。まあ、その背後にはモラ=ナハムの長身が見えるし、人垣の陰にはフェイ・ベイム=ナハムやラヴィッツの長兄も控えているのだろう。俺はとりあえず同行している人々のお相手をつとめるべく、ともにマルフィラ=ナハムの料理をいただくことにした。


 マルフィラ=ナハムが準備したのは、汁物料理である。

 東の王都から持ち込まれた食材の中でもとりわけ異彩を放っていた、竜の玉子なる異名を持つフェルノ=マルテを使った料理だ。手を加える前からヴァルカスの料理さながらの複雑な味わいを有する竜の玉子(フェルノ=マルテ)を、マルフィラ=ナハムは見事に使いこなしてみせたのだった。


 こちらの料理が完成したのは一昨日の夕暮れであったので、セルフォマおよび森辺のかまど番はその際に味見をしている。しかしそのときは分量が少なかったため、煮汁をすすったていどであったのだ。レイナ=ルウはデルシェア姫に負けない眼光で、セルフォマはわずかに目を細めながら、それぞれ小皿を受け取った。


 他の面々に先を譲ったのち、俺やアイ=ファ、リミ=ルウやルド=ルウも同じ小皿を受け取る。まずはスープの真っ赤な色合いに、アイ=ファが軽く眉をひそめた。


「これはいかにも辛そうな色合いであるし、香草の香りも強いようだが……お前を信じて、いいのだな?」


「うん。これは、ドルーの色合いだよ。香りは強いけど、辛さはカレーていどのはずだね」


 その日はシンの集落に集まり、アイ=ファはシン・ルウ=シンやミダ・ルウ=シンとのおしゃべりを楽しんでいたため、試食の場には立ちあっていなかったのだ。アイ=ファは疑り深そうな眼差しになっていたが、それでも決然と匙を取った。


 俺もまた、アイ=ファとともに料理をいただく。

 たちまち、複雑な味わいが口内に爆発した。マルフィラ=ナハムは竜の玉子(フェルノ=マルテ)を使って、さらに複雑な味を完成させたのだ。


 もとより竜の玉子(フェルノ=マルテ)という食材には、甘さと辛さと苦さと酸味が存在する。マルフィラ=ナハムはその調和を損なうことなく、すべての味にブーストをかけたのだった。


 甘さには、干し柿のごときマトラ、マンゴーのごときエラン、香りが甘いピーナッツオイルのごときラマンパ油。辛さには、ブラックペッパーのごときピコの葉、ハバネロのごときギラ=イラ、豆板醤のごときマロマロのチット漬け。苦さや香ばしさには、カカオのごときギギ、ゴマ油のごときホボイ油。酸味には、赤ママリア酢、レモングラスのごとき香草――あとは、塩しか使っていないらしい。


 もちろん調味料の数としては、それだけでも十分なぐらいだろう。そしてそれらがマルフィラ=ナハムの鋭敏な舌を頼りに、がっしりと組み合わされているのだ。また、肝心の竜の玉子(フェルノ=マルテ)も入念にすりつぶされて、調味料のひとつとして活用されているのだという話であった。


 そして特筆するべきは、そこにギバの骨ガラの出汁が使われていることであろう。

 本格的なギバ骨スープではなく、ソーキそばなどで使用される簡易的なギバ骨の出汁だ。それが土台となって、複雑きわまりないスープの味を支えているのだった。


 あとは具材として、ギバのモモ肉、ビーツのごときドルー、タマネギのごときアリア、ニンジンのごときネェノン、タケノコのごときチャムチャム、カブのごときドーラ、アスパラガスのごときドミュグド、ゴーヤのごときカザック、マツタケのごときアラルの茸、マッシュルームモドキ、キクラゲモドキなどが使用されている。それらの出汁も、この味わいを完成させる重要なピースであるはずであった。


「へー。どんなに素っ頓狂な料理かと思ったら、普通にうめーじゃん。……あーでも確かに、ヴァルカスの料理に似てるって言えば似てるのかー」


 ルド=ルウがいつもの調子で気安く声をあげると、レイナ=ルウが猛然と振り返った。


「うん。きっとギバの骨の出汁の効果で、森辺の民にも食べやすく感じられるんだろうね。でもこれは、ヴァルカスの料理と同じぐらい複雑な味付けのはずだよ」


「ふーん。まあ、美味いんだから、文句はねーけどさ」


「うん! やっぱり、おいしーね! ちょっぴりからいけど!」


「うむ。確かにかれーと同程度か、やや辛みが強いていどであろうかな。舌が痛むほどではないし、私も美味であるように思う」


 リミ=ルウやアイ=ファも、至極穏当なコメントである。

 それらを聞き終えたのち、レイナ=ルウは同じ勢いでセルフォマと料理長に向きなおった。


「では、おふたりはどのように思われますか?」


「これは……驚くべき味わいです」と、まずは料理長が深々と息をつく。


「わたしは竜の玉子(フェルノ=マルテ)とともに供する料理の開発に注力していましたが、まさか竜の玉子(フェルノ=マルテ)を材料にして、これほどの料理に仕上げられるとは……わずか10日余りで、驚くべき話です」


「い、いえ。マルフィラ=ナハムがこちらの料理に着手したのは、黄の月の6日であるのです。そして一昨日の夕暮れには完成していましたので、わずか3日で完成させたということになります。……と、仰っています」


 カーツァがセルフォマの言葉を伝えると、料理長は驚愕に身をのけぞらせた。これまでに見せたことのないリアクションだ。


「わずか3日……そ、それは事実でありましょうか?」


「は、はい。しかも、アスタはいっさい手を出しておられません。マルフィラ=ナハムは自分の力だけで、これほどの料理を作りあげたのです。……と、仰っています」


 カーツァの言葉が終わるのを待ってから、セルフォマは恭しげに一礼した。


「で、では、私もマルフィラ=ナハムに話をうかがってまいります。しばし離席いたしますが、ご容赦をお願いいたします。……と、仰っています」


「お、お待ちください。わたしも、ご一緒いたします」


 そうしてセルフォマと料理長もマルフィラ=ナハムのもとを目指し、カーツァとレイナ=ルウもそれを追いかけた。

 ガズラン=ルティムは小皿の中身を片付けてから、レイナ=ルウの護衛を果たすべく追従する。その姿を横目に、ルド=ルウは「なんだかなー」と肩をすくめた。


「これって、そんなに騒ぐような料理なのかー? 俺はさっきのかれーのほうが美味かったけどなー」


「リミはどっちもおんなじぐらい好きだなー! きっとジバ婆やドンダ父さんも、美味しいって言うだろうしね!」


 おそらくは、それがもっとも驚嘆に値するポイントであるのだ。マルフィラ=ナハムの料理は森辺の同胞にすんなり受け入れられる味わいでありながら、城下町においてはヴァルカスの料理に匹敵するぐらいのインパクトを有しているのだった。


「いやー、まいったまいった。いきなり闇討ちされたような気分だぜ」


 と、人垣から外れたロイとシリィ=ロウが、こちらに歩み寄ってきた。セルフォマたちが突撃した分、スペースがなくなったのだろう。ロイは気安い笑みを浮かべつつ鋭い目つきで、シリィ=ロウなどは対抗心の塊と化していた。


「まさか、竜の玉子(フェルノ=マルテ)をあんな形で仕上げてくるとはな。ずいぶん驚かせてくれるじゃねえか」


「はい。余計な先入観を与えないように黙っていましたけれど、如何でしたか?」


「如何どころの話じゃねえよ。そりゃあひと月やふた月もかけりゃあ、あれぐらいのことはできるかもしれねえけどさ。わずか3日で仕上げるなんざ、もはや化け物の類いだろ」


「……マルフィラ=ナハムは、それだけの仕事を果たしたのだな」


 アイ=ファがいくぶんうろんげな面持ちで問い質すと、ロイは「ああ、いや」と神妙な顔になった。


「あの料理はすげえ出来栄えだし、マルフィラ=ナハムはすげえ料理人だと思うよ。城下町の料理人や貴族なんかは、そりゃあ腰を抜かすほど感心するだろうさ。ただ……うちの師匠は、平然としてたぜ」


「あ、ヴァルカスももうこの料理を口にしていたのですか?」


「ああ。森辺の料理は4人がかりで、とっとと運び込んだからよ。もちろん師匠もマルフィラ=ナハムの手腕には感心してたけど……それはそれ、って感じだったな」


「それはそれとは、どういう意味でしょう? いかにもヴァルカスが好みそうな出来栄えだと思うのですが」


「東の王都の食材が配られた日も、うちの師匠はすました顔だったろ? あの竜の玉子(フェルノ=マルテ)ってのは最初っから完成された味わいだから、そいつを上手く活用することができても、ひとつの修練にしかならねえってさ。マルフィラ=ナハムの舌がますます研ぎ澄まされてることはこれで証明されたから、次は自分の力で立派な料理を考案してほしいとか言ってたぜ」


 確かにヴァルカスは、そんな風に言っていた。

 ロイはこの場にいない師匠に舌を出してから、さらに言いつのる。


「ついでに言っておくと、師匠はアスタのかれーにご満悦だったよ。ギバと魚介がこの上なく調和してるってよ。ただし、タラパが使われてないから、最後の最後で裏切られたような気分だとさ」


「それは申し訳ありませんでした。雨季が明けたら、タラパを使ったカレーも食べていただきたいところですね」


「ああ。そのときは、師匠に抱きつかれる覚悟を固めておくこった。……じゃ、俺らはまだダイアたちの料理を食ってないから、また後でな」


 闘志の塊と化しているシリィ=ロウの背中を押すようにして、ロイは賑わいの向こうに消えていく。すると、しばらく静かにしていたディアルが「ふーん」と声をあげた。


「アレはほんとに、料理人の心やら魂やらをくすぐるひと品だったんだねー。鉄具でいうと、玄人にしかわかんない絶妙の細工ってことなのかなー」


「まあ、そんな感じなのかもね。何にせよ、マルフィラ=ナハムのすごさが認められるのは嬉しいよ」


「うん。あの娘だって、アスタの弟子なわけだもんね。アイ=ファも、誇らしいでしょ?」


「それはまあ……」と、アイ=ファは口もとをごにょごにょさせる。

 ディアルは「あはは」と笑いながら、その足もとに控えているジルベの頭を撫でた。


「あの娘ばっかりちやほやされるのは、なんか釈然としないもんね。でも、貴族のお人らの挨拶回りが終わったら、アスタもアイ=ファもまた取り囲まれるだろうからさ。そのときを楽しみにしておくといいよ」


「べつだん、そのようなものを望んでいるわけではない。……アスタがどれほどの大役を果たしたかは、私もこの目で見届けているつもりであるからな」


 そう言って、アイ=ファは俺に優しい眼差しを向けてきた。

 俺は充足した思いで、「うん」とうなずき返す。俺とて、人々の賞賛が欲しくて仕事を果たしたわけではないのだ。これまでの卓で目にしてきた人々の満足そうな顔だけで、俺の心は満たされていたのだった。

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