送別の祝宴③~開会~
2024.9/12 更新分 1/1
やがて待つほどもなく、俺たちは祝宴の会場である大広間に案内された。
25名ずつの男女にジルベにサチという、大所帯だ。レム=ドムを除く女衆は様式もさまざまな宴衣装の姿であり、回廊を歩いているだけで花畑が大移動しているような華やかさであった。
最近は俺とラウ=レイを除く男衆が武官の礼服で統一されてしまったため、どうにも自分が悪目立ちをしているように思えてならない。ラウ=レイなどは口を開かなければ貴公子もかくやという繊細にして秀麗な顔立ちであるので、朱色を基調にした絢爛なる宴衣装にも決して負けていないのだ。いっぽう俺は、いつまで経っても分不相応という気持ちが抜けきらなかった。
「アスタも立派な姿であるのですから、何も気に病む必要はありません。アスタにも確かな風格が備わっているからこそ、ティカトラスも遠慮なく宴衣装を準備できるのでしょう」
心優しきガズラン=ルティムは、そんな言葉で俺をなだめてくれた。
「ただ……アスタはそのように暗い色合いではなく、もっと明るい色合いのほうが似合うように思います。それこそ、生まれ月の黄色などはこよなく似合うかもしれませんね」
「これで黄色い宴衣装だったら、ますます派手になっちゃいそうですね。でも……どんなに派手でも、それを望むべきなのかもしれません」
俺がそのように答えると、ガズラン=ルティムはいくぶん心配そうに眉を下げる。それで俺は、慌てて言葉を重ねることになった。
「いや、そんな深刻に思い悩んでいるわけではないので、ご心配なく。宴衣装の色合いとしては、こっちのほうが望ましいぐらいですので」
ティカトラスは、魂の色合いが見て取れるらしい。まあ、真偽のほどは確かではないが、彼は人間の生まれ月を言い当てることが可能であるのだ。そうしてティカトラスが準備する宴衣装には、おおよそ生まれ月の色合いが使われるわけであるが――俺だけは、生まれ月ではなく『星無き深淵』としての黒色が準備されているのだった。
(なんか、俺の魂が真っ黒だって言われてるような気分になるけど……でも、黒の月に生まれたレム=ドムとかだって、宴衣装は真っ黒だもんな)
それに、ティカトラスの息女たるヴィケッツォもいつも黒い宴衣装であるのだ。この世界においても黒は死や弔いを意味する色彩であるようだが、決して忌避はされていないのだった。
(そういえば、シムのイメージカラーも黒だったっけ。それでアイ=ファも今回はダークレッドの宴衣装なのかな)
と、俺の思考が脇にそれたところで、会場に到着した。
本日も正式な作法に則って、整列だ。今回は俺が主役というわけでもなかったので、族長筋からの入場であった。
トップバッターはダリ=サウティとダダの長姉、二番手はジザ=ルウとレイナ=ルウ、三番手はゲオル=ザザとスフィラ=ザザ。族長本人と族長代行が先頭を切って、あとは族長と血が近い順番に繋げられるのが定例であった。
ルド=ルウとリミ=ルウ、シン・ルウ=シンとララ=ルウ、ジーダとマイム、ラウ=レイとヤミル=レイ、ガズラン=ルティムとルティムの女衆、ジィ=マァムとミンの女衆、シュミラル=リリンとレイの女衆――このたびのルウの血族は、そういった顔ぶれとなる。シムにまつわる祝宴であるのでシュミラル=リリン、闘技会で名を馳せたジィ=マァムが、それぞれ異なる氏族の女衆とペアにされたのだ。そうすると、ほどよく氏族がばらけるため、ゆくゆくはムファの家人にも参席の機会を与えたいという話が出ているようであった。
その次には、サウティ分家の父娘が続く。黄色い豪奢な宴衣装を纏ったサウティ分家の末妹は、父親と並んで入場するのをちょっぴり気恥ずかしそうにしていた。
お次はザザの血族で、勲章を授かったザザ分家の家長とジーンの女衆、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドム、レム=ドムとドムの女衆、リッドの長兄と妹にあたる女衆、そしてゼイ=ディンとトゥール=ディンという顔ぶれになる。昨今はドムの家人に偏りがちであるため、厳格なるグラフ=ザザはハヴィラやダナにも参席の機会を与えるべきかと思案しているかもしれなかった。
そうしてようやく、小さき氏族の出番である。
俺とアイ=ファはその先頭に据えられて、ラッツの家長と女衆、アウロの長兄と女衆、ラヴィッツの長兄とマルフィラ=ナハム、モラ=ナハムとフェイ・ベイム=ナハム、ガズの長兄と女衆、マトゥアの長兄とレイ=マトゥア、ライエルファム=スドラとユン=スドラ、スンの長兄とクルア=スン、ダゴラの長兄と女衆という順番だ。小さき氏族には明確なる格式も存在しないため、氏族の大きさや親筋か否かなどを参考に、毎回適当に順番が取り決められていた。
豪放なるラッツの家長と沈着なるラッツの女衆に背中を見守られつつ、俺とアイ=ファは大広間に入場する。
森辺の民の入場もすでに折り返しを過ぎているため、会場は大いにわきたっており――そしてアイ=ファの入場によって、その熱気がさらなる膨張を見せた。
やはりアイ=ファの華やかさというのは、群を抜いているのだ。こればかりは決して俺の身びいきではなく、厳然たる事実であろう。狩人としての凛々しさと女性らしい優美さをあわせ持つアイ=ファは、アイ=ファならではの輝きを備えているのだった。
そして本日は、ジルベとサチもさらなる彩りを演出している。えっへんとばかりに胸をそらせて闊歩するジルベにも、あちこちから歓声が届けられた。そのたてがみから小さな顔を覗かせたサチは、やはり我関せずだ。
会場には過半数の参席者が集っているため、雨季とは思えない熱気である。本日も楽団の手による演奏が流されており、そのゆるやかな演奏がひそかに人々の期待感をあおっているように感じられた。
ちなみにこちらは俺とトゥール=ディンの試食会の優勝を祝う礼賛の祝宴で使われた大広間であり、もっとも奥まった部分には体育館のように高い壇が設えられている。そちらの壇は無人であったが、東の人々に対する祝福のように黒を基調とした数々の織物で飾られていた。
俺とアイ=ファは数多くの視線と拍手を浴びながら、森辺の同胞が集った一画に身を寄せる。
するとそこには本日も、宿場町の見知った面々が集まっていた。
「どうもどうも。本日も、立派なお姿でありますな」
笑顔で出迎えてくれたのは、《南の大樹亭》のナウディスと伴侶だ。そちらもすっかり、立派な宴衣装が板についていた。
「どうも、お疲れ様です。今日は南の方々も参席できて、何よりでしたね」
「ええ。わたしなどは、あくまで西の民ですが……それでもやっぱり南の方々が参席できないような祝宴には、参ずる気持ちになれませんのでな」
ナウディスは、父親が南の民なのである。いっぽう伴侶は生粋の西の民であったが、小柄でころころとした体格をしており、ナウディスとは実にお似合いであった。
「やあ、アスタとアイ=ファはまた新しい宴衣装なんだね。今回のやつも、とてつもない色っぽさだなー」
そのように語るユーミのかたわらには、本日もジョウ=ランが控えている。ビアはもともと遠慮がちな性格であるため、今回もジョウ=ランに参席の権利を譲ったようだ。他の男衆と同じく武官の礼服を纏ったジョウ=ランは、嬉しそうににこにこと笑っていた。
「アスタも、ご立派な姿ですね。かまど番の勇者に相応しい装いだと思います」
「いやいや、そんな気をつかわなくていいよ。分不相応なのは、自分が一番わきまえてるからさ」
「いえ、虚言は罪ですので。……それに異性たるアイ=ファのことは賞賛できませんし、俺はユーミしか賞賛したくないので、アスタの装いを語るしかありません」
「だから、あんたはひとこと多いんだってば」
ユーミは苦笑を浮かべつつ、ジョウ=ランを引っぱたくふりをする。
雨季が明ければ、ユーミとジョウ=ランの婚儀も目前であるはずなのだ。会うたびに、ふたりの間には落ち着いた空気が感じられた。
その他にも、ひと足早く入場したランディと手伝いの若者や、《玄翁亭》のネイル、《ラムリアのとぐろ亭》のジーゼなどが挨拶をしてくれる。貴族への挨拶回りが忙しい《タントの恵み亭》のタパスや馴れあいを好まない《アロウのつぼみ亭》のレマ=ゲイトが不在であるのも、いつものことであった。
「ネイルとジーゼも、お疲れ様です。今日はおふたりの料理を味わえるんじゃないかと期待していたんですが、あてが外れましたね」
「いえ。ジーゼはともかく、わたしでは力不足でしょう。東の王族や貴族の集う祝宴で料理を供するなど、想像しただけで委縮してしまいます」
そんな風に語りながら、ネイルは東の民さながらの無表情だ。いっぽう東の血をひくジーゼは、浅黒い顔でにこやかに微笑んでいた。
「でも、アスタや城下町の方々の料理は楽しみですねぇ。キバケやアンテラは使われているのかと、ついつい期待しちまいますよぉ」
「あはは。やっぱりジーゼは、キバケとアンテラにご執心ですか?」
「ええ。あたしも色んな香草を扱ってきたつもりですけど、あんな不思議な香りのする香草は初めてだったんでねぇ。あとは、竜の玉子ってのもとんでもない味わいでしたけど……あんな高値じゃ、とうてい手が出ませんよぉ」
「あれを商売で使うのは難しいですよね。俺も挑戦する前からあきらめてしまいました」
ただし本日は、マルフィラ=ナハムが準備した竜の玉子の料理が準備されている。どうせならばサプライズにしておこうと、それに関しては口をつぐんでおくことにした。
「よう、アスタ。今日もすげえ格好だな」
と、背後からレビが呼びかけてくる。そちらを振り返った俺は、「どうも」と破顔した。レビのかたわらにはテリア=マスばかりでなく、ロイとシリィ=ロウも付き従っていたのだ。
「レビの姿が見えないと思ったら、ロイたちとご一緒だったんだね。みなさん、お疲れ様です」
「ああ。《銀星堂》は挨拶回りなんかしなくったって、いつも予約でいっぱいだからな。この時間は、わりあいヒマを持て余してるんだよ」
不敵に笑いながら、ロイはそう言った。他の料理人たちは1名の調理助手しか参席を許されなかったが、《銀星堂》は個々の活躍が認められて、全員参席が許されたようであるのだ。彼らは店主のヴァルカスが研究に没頭している期間など、名代として貴族の晩餐会の厨を預かり、それぞれ名声を得ているのだという話であった。
「今日はそちらもお疲れ様でした。ヴァルカスの具合は如何ですか?」
「ああ。前回の祝宴で味をしめて、また控えの間に引っ込んじまったよ。ま、異国のお偉方の前でぶっ倒れるほうが非礼だろうから、貴族様もお目こぼししてくれるんじゃねえかな」
「ああ、ヴァルカスはアルヴァッハたちの前で意識を失ってしまいましたもんね。それじゃあまた、弟子のみなさんが控えの間に料理を運ぶ格好ですか?」
「そういうことになるんだろうな。ったく、それこそ帳の向こうに引っ込んだ王子様の面倒でも見てる気分だぜ」
ロイの気安い冗談口に、アイ=ファが「しかし」と口をはさんだ。
「ポワディーノもヴァルカスも、やむにやまれぬ事情があってのことであるのだ。面倒を見る人間にも苦労はあろうが、決して責めることはできまい」
「そりゃまあそうだろうけど、うちの師匠に限っては舌の鈍い人間と言葉を交わすのは時間の無駄って考えだからな。案外、本人はご満悦――」
と、アイ=ファのほうを振り返ったロイは、途中で言葉を詰まらせることになった。アイ=ファの美麗なる姿に、ようやく気付いたのだろう。心の準備ができていないと、アイ=ファの美しさと色香は刺激物の域であるのだ。
「あ、いや、えーと……な、なんでもねえよ。そっちも元気そうで、何よりだな」
ロイがおかしな具合に言葉を濁すと、レビが屈託なく笑った。
「なんだよ? アイ=ファの宴衣装をほめたいなら、そうすりゃいいじゃないか」
「森辺では、異性を褒めそやすのが禁忌だってんだろ。そうでなくとも余所の連れ合いに脂下がるのは、こっちにもあっちにも失礼だろうよ」
「な、なんですか? わたしはあなたの連れ合いではなく、兄弟子ですよ!」
シリィ=ロウは顔を赤くしながら、眉を吊り上げてしまう。彼女も気品のある顔立ちをしているので、宴衣装を纏えば立派な貴婦人であった。
「宴衣装をほめる分には、禁忌もへったくれもないだろ。まあ、目の毒なのは確かだけど……おっと、脂下がってるわけじゃないから、勘弁してくれよ?」
ロイが冗談めかして言うと、その伴侶たるテリア=マスは「ええ」とうっとり目を細めた。
「これだけ美しいアイ=ファを目にすれば、男女問わずに賞賛したくなるのが道理でしょう。貴族の娘さんがたが寄り集まってしまうのも、当然です」
「……あのようなものは、気の迷いに他ならん」
おのれの美しさに無自覚なアイ=ファは、ぶすっとした顔でそう言い捨てる。それでも凛々しさと美しさが損なわれないのが、アイ=ファの果てなき魅力であった。
(まあ、自分が母親似だっていう自覚はあるみたいだけど……それでもまだまだ、足りてないよな)
俺がこっそりそんな想念を浮かべたとき、新たな入場者の名前が告げられた。こちらが語らっている間に、森辺の民の入場は完了していたのだ。次の出番となったのは、伯爵家の面々であった。
こちらの顔ぶれにも、大きな変わりはない。当主と、近しい家族たちだ。リフレイアがシフォン=チェルを連れていないのは、きっと調理助手として先に入場しているのだろう。合流したのちは、思うさま宴料理を楽しんでいただきたいところであった。
次には、西の外部の貴族たちが入場する。バナーム侯爵家のアラウト、外交官のフェルメスとオーグ、ダーム公爵家のティカトラスとデギオンとヴィケッツォという顔ぶれだ。本日も従者のジェムドやサイは名を呼ばれず、青い腕章をつけており、宴料理を食せない身であることが暗示されていた。
いっぽうデギオンとヴィケッツォはまぎれもなくティカトラスの家族であるため、公爵家の一員と見なされるのだろう。白い礼服のデギオンと黒い宴衣装のヴィケッツォは、誰よりも豪奢な姿をしたティカトラスの左右を守りつつ、油断なく目を光らせていた。
そうして次がジェノス侯爵家で、こちらも顔ぶれに変化はない。しずしずと歩くオディフィアの愛くるしさも相変わらずだ。
その次が、南の王族たるデルシェア姫である。
試食の祝宴では多少の緊張が走ったものであるが、今回は至極なごやかな様相である。もはや東と南の対立が祝宴の場で表面化することはないと周知されたのだろう。金色の装飾が美しい宴衣装に着替えたデルシェア姫は、いつも通りの朗らかな笑顔で歓声と拍手に応えていた。
そうしてようやく、主賓たる東の王都の使節団である。
団長のリクウェルド、書記官、第二王子の『王子の眼』と『王子の耳』、そしてセルフォマの5名だ。やはり通訳のカーツァは従者という扱いで、ちょっと立派なお仕着せに青い腕章を巻いていた。
(カーツァに宴料理を食べてもらえないのは残念だけど……その分は、明日からおもてなしするしかないな)
それらの面々が最奥部たる壇の手前まで到着したならば、大トリを飾るのはポワディーノ王子だ。
本日も、ポワディーノ王子は藍色の帳に包まれた輿で入場した。
4名の『王子の足』が、輿の重量を感じさせない足取りで粛々と前進する。その後に続く10名ていどの臣下たちも藍色の面布とフードつきマントで人相を隠し、ロボットのようなよどみない挙動であった。
そしてポワディーノ王子の一行は、そのまま壇の上にまであがっていく。
短い階段をのぼる際には輿の後部を受け持った2名が肩よりも高く腕をあげて、輿と地面の角度を水平に保っていた。
ポワディーノ王子を乗せた輿は、黒い織物で飾られた壇の中央におろされる。
それでようやく、マルスタインが口を開いた。
「それでは、開会の挨拶をさせていただく。本日は、遠きラオリムよりお越しいただいた使節団の方々を見送る送別の祝宴である。このたびは森辺の料理人アスタと数々の料理人に宴料理を準備していただいたので、皆々も存分に祝宴を楽しみつつ、使節団の方々との別れを惜しんでもらいたい」
節度のある拍手が、場内にゆったりと羽ばたいていく。俺やアイ=ファも城下町の流儀に従って、その中に加わった。
「また、手本の料理を作りあげてくれたアスタとトゥール=ディンおよびセルフォマの尽力あって、東の王都との交易に関しても無事に締結した。今後は定期的に東の王都の素晴らしい食材が届けられる算段であるので、皆々にも期待してもらいたい。……では、使節団の団長たるリクウェルド殿からもひと言お願いいたします」
リクウェルドは複雑な形に指先を組み合わせて一礼してから、マルスタインのかたわらに進み出た。
本日も、リクウェルドは立派な宴衣装の姿だ。彼はひときわ長身であるために、実に堂々たる姿であった。
「これだけ大勢の方々にご挨拶をさせていただくのは、これが初めてとなりましょう。別れの際までご挨拶をできなかった不調法を、まずはお詫びいたします。……そして、我々の使命はあくまで王家に連なる人間がジェノスを騒がせてしまったことに対する謝罪と賠償でありましたが、領主マルスタイン殿を筆頭とする数多くの方々のご厚意とご尽力により、大きな交易の道筋を立てることがかないました。ジェノスの方々の親切かつ誠実な振る舞いには、大きな感銘を覚えてやみません。恐れ多きことながら、東の王都におわす王陛下の代理人としてここに感謝の言葉を捧げさせていただきたく存じます」
リクウェルドは西の言葉が流暢なばかりでなく、驚くほどやわらかくてなめらかな声音である。その声が、するすると耳の中にしみいっていくような心地であった。
「また、赤の月の騒乱におきましては、さまざまな御方のご尽力によって早期の解決をはかることがかないました。まったく今さらの話でございますが、そちらの方々にもあらためて厚く御礼を申しあげます。ポワディーノ第七王子殿下から授与された勲章はまぎれもなく王家の認可を受けた品となりますため、ご自分の果たされた活躍の記憶とともに末永く保持していただければ望外の喜びであります。……そして最後に、本日は我々のために斯様な立派な祝宴を開いていただき、心より感謝しております。東の王国の掟として笑みのひとつも浮かべられない身となりますが、この場に集まったすべての方々と同じ喜びを分かち合えれば幸いと存じます」
その言葉に、ほんの少しだけどよめきがあげられた。
この場にはデルシェア姫を筆頭に、わずかばかりは南の民が集っているのである。それでもなお、リクウェルドはすべての相手と喜びを分かち合いたいと述べたてたのだった。
「リクウェルド殿、ありがとうございました。……それでは最後に、ポワディーノ殿下からもお言葉を賜りたく思います」
壇上で、女性の『王子の口』が進み出た。
そちらを振り返った俺は、小さからぬ驚きを覚える。入場した際には10名ほどであった臣下が、倍ぐらいの人数に増えていたのだ。それはのきなみ、護衛役たる『王子の盾』であるようだった。
(壇上には専用の通路があるから、そこから合流したのか。以前よりも、ちょっと物々しい雰囲気だな)
しかしまあ、『王子の盾』だけでも50名は存在するのだから、まだしも良識のある人数であるのだろう。この大広間にも衝立や帳の裏側には何十名という武官が控えているはずであった。
「我は大広間の隅々にまで行き渡るほどの声を有していないため、『王子の口』の口を介する不調法に容赦をもらいたい。……また、我は使節団の一員ならぬ、ジェノスに災厄を持ち込んだ張本人である。よって、本日の主賓はあくまで使節団の面々であり、我の存在は除外してもらいたい」
いくぶんネガティブなポワディーノ王子の発言に、大広間が少しざわつく。
そんな中、『王子の口』は澄みわたった声音で言いつのった。
「ただし我はおのれの軽率なる振る舞いを猛省して、事態の収拾に尽力したつもりでいる。また、王都ラオリムに帰還したのちは、このたび締結された交易の継続と発展のために、さらなる力を尽くす所存である。その行いをもって、ジェノスに災厄をもたらした責任をわずかなりとも晴らすことがかなえば僥倖である。今後は言葉ではなく行動でもって責任を果たす所存であるので、どうか皆々にも末永く見守ってもらいたい。……我からは、以上である」
「ポワディーノ殿下、ありがとうございました。……なお、ポワディーノ殿下はあちらの壇上にて祝宴のさまを見届けてくださるので、こちらから声をかけた人間以外は挨拶を控えていただきたい」
マルスタインの言葉に、俺は思わずアイ=ファのほうを振り返ってしまう。
アイ=ファは秀麗な形をした眉をわずかにひそめつつ、ポワディーノ王子が鎮座する輿のほうを見据えていた。
「それでは、送別の祝宴を開始する」
さざ波のような拍手が、じわじわと熱を帯びていく。
そうして祝宴が開始されたが、身分のある人々はまず挨拶の応酬だ。そこで、族長のダリ=サウティが俺とアイ=ファに声をかけてきた。
「今日はべつだん、使節団の面々の世話を焼く役目もないのだな? では、族長筋の3名でリクウェルドらに挨拶をしてこようと思う」
「はい。俺たちは、あとでゆっくりご挨拶をさせてもらえればと思いますが……でも、ポワディーノ殿下は、どうなのでしょう?」
「……それは、あちら次第ではなかろうかな」
と、ダリ=サウティが笑いを含んだ眼差しを横合いに向ける。
そちらから近づいてくるのは、挨拶の役目を果たしたばかりの『王子の口』に他ならなかった。
「王子殿下から、アイ=ファとアスタとガズラン=ルティムに言伝がございます。のちほどご挨拶をさせていただきたいのですが、ご了承をいただけますでしょうか?」
「ええ、もちろんです」と、俺は安堵の息をついた。アイ=ファもまた、愁眉を開いて「うむ」と応じる。
「このまま挨拶もなしに別れることになるのではないかと、いくぶん胸を騒がせたぞ。挨拶は、こちらから出向くべきであろうか?」
「はい。まずは一刻ていど料理や歓談を楽しんだのちに、ご足労をいただければと思います」
「相分かった。ガズラン=ルティムには、こちらから伝えておこう。ポワディーノに挨拶をできる刻限を楽しみにしているとお伝え願いたい」
「承知いたしました。それでは、失礼いたします」
『王子の口』はふわりと身をひるがえして、立ち去っていく。
それを見送りながら、ダリ=サウティはゆったりと微笑んだ。
「今日もポワディーノは、人前に姿をさらせない身であるのだな。ダカルマスとは異なり、不自由なものだ。……アスタたちは思うさま、ポワディーノの無念を慰めてやるといい」
「ええ、そのつもりです」
俺もまた、笑顔でそのように答えてみせた。
そしてその後は、ガズラン=ルティムに伝達である。ポワディーノ王子の言葉を聞いたガズラン=ルティムは、「そうですか」と静かに微笑んだ。
「では、ポワディーノはあの帳の中で臣下とだけともに過ごすのですね。それが王家の習わしであるのなら、文句をつけることもかないませんが……ポワディーノが不憫に思えてなりません」
「ええ、まったくですね。その分は、俺たちがめいっぱい語らせていただきましょう」
「承知しました。では、我々はアスタたちとともに行動するべきでしょうね。……これは、役得です」
と、ガズラン=ルティムは微笑に温もりを加える。
それで俺も一緒に微笑んでいると、レイナ=ルウがちょっともじもじしながら近づいてきた。
「あの、アスタにアイ=ファ。申し訳ないのですが、わたしもご一緒させていただけますか?」
「うん? それはかまわないけど、ジザ=ルウは――ああ、リクウェルドたちに挨拶か」
「はい。ジザ兄はその後もなるべく数多くの貴族と語らいたいと言っていて……わたしはアスタたちとともに、料理を通じて交流を深めるべきだろうと言い渡されました」
そういえば、前回はジーダにその役が与えられていたのだ。要するに、料理にばかり夢中になってしまうレイナ=ルウのお目付け役である。アイ=ファはどこか幼子でも見るような目でレイナ=ルウを見ていた。
「まあ、ジザ=ルウには族長代理としての責務があるのであろうからな。レイナ=ルウはレイナ=ルウなりに、役目を果たすがいい」
「は、はい。血族ならぬおふたりにお手間を取らせてしまって、申し訳ありません」
するとそこに、ふわふわの塊が元気よく突進してきた。ジェノスで一般的な宴衣装を纏った、リミ=ルウである。
「アイ=ファも今日はおしごとないんでしょー? だったら、いっしょに料理を食べよー!」
「うむ? それはまったくかまわんが……しかしこれは、ずいぶんな人数になってしまうな」
俺とアイ=ファはただでさえ、ジルベとサチを引き連れているのである。そして、リミ=ルウの後からは付添人であるルド=ルウも駆けつけてきた。
「確かにこの人数では、身動きが取りにくそうですね。それじゃあ、わたしだけでも他の方々のもとに移りましょう」
そのように言い出したのは、ガズラン=ルティムの相方であったルティム分家の女衆だ。ちょっと丸っこい体格で、モルン・ルティム=ドムをさらに若くしたような印象の、大らかな娘さんであった。
「わたしもひさびさにドムの方々と語らいたかったので、そちらのお世話になろうかと思います。家長からも、お許しをいただけますか?」
「そうですね。あなたに異存がなければ、お願いいたします」
「承知しました。では、またのちほど」
そうしてルティムの少女が去って、残るは6名と2頭だ。俺とアイ=ファ、ジルベとサチ、ガズラン=ルティムとレイナ=ルウ、ルド=ルウとリミ=ルウ――いずれも馴染みの深い面々であるのに、祝宴の場を巡るとなるとなかなか新鮮な組み合わせであった。




