送別の祝宴②~下準備とお召し替え~
2024.9/11 更新分 1/1
作業を開始して一刻ほどすると、ようやくデルシェア姫が俺たちの厨にやってきた。
ともに連れているのは武官のロデと、バナーム城の料理番カルスだ。セルフォマとカーツァは無言のまま一礼して退室していき、あとは『王子の耳』だけが残された。
「いやー、すっかり挨拶が遅くなっちゃったね! アスタ様たちはしばらく野菜を切ってるだけだろうって聞いたから、トゥール=ディン様とレイナ=ルウ様の厨を順番に拝見してたんだー!」
男の子のように活動的な格好で長い髪をアップにまとめたデルシェア姫は、本日も底抜けに元気であった。ロデが『王子の耳』に警戒の目を向けるのも、カルスがおどおどと目を泳がせているのも、お馴染みの光景だ。
「そちらはセルフォマたちと、挨拶も交わさないのだな。やはり一線を引いているのであろうか?」
「いやー、こっちはプラティカ様と同じように扱ってるつもりなんだけどね! あっちのほうが、ジャガルの王族と距離を取ってるんじゃない? わたしに難癖でもつけられたら、国家の一大事だろうしね!」
「……デルシェアは、わけもなく難癖をつける人間ではあるまい?」
「えへへ。そんなことをさらっと言われると、なんか照れちゃうなー!」
デルシェア姫はアイ=ファにおひさまのような笑顔を返してから、さらに語った。
「でも、あっちはわたしがどんな人間かも知らないし、ジャガルの人間と出くわすのも初めてなんでしょ? だったら、警戒するのが当然さ! わたしだって東のお人らに情が移ったらややこしくなっちゃうから、無理に近づくつもりはないよ!」
「そうか。まあ、我々が干渉するべき話ではあるまいな」
「うん! 何にせよ、諍いだけは起こさないように心がけるからさ! アイ=ファ様たちは、気兼ねなく過ごしてよ!」
そんな風に言ってから、デルシェア姫はくりんっとカルスのほうに向きなおった。
「もちろん、カルス様もね! 今はこうやってわたしにつきあってもらってるけど、祝宴の場では好きに振る舞ってよ! シムの王城の副料理長とお近づきになれる機会なんて、そうそうないんだからさ!」
「い、い、いえ、僕もすぐバナームに戻る身ですので……こ、この先も、東の王都の方々と親しくさせていただく機会はないでしょうし……」
「そーなの? セルフォマ様はよくわかんないけど、カーツァ様なら仲良くなれるんじゃない? あのお人も、カルス様に負けないぐらい奥ゆかしいお人柄みたいだしさ!」
そう言って、デルシェア姫はけらけらと笑った。
実に和やかな様相で、厨の室内がいっそう明るくなったような錯覚が生じる。ひたすら静謐なセルフォマとは、実に好対照であった。
しかし俺にとっては、東の面々も南の面々も大切なお相手である。好対照であるからこそ、それぞれ異なる魅力を感じていた。
「そういえば、今日はディアルはご一緒じゃなかったんですね」
「うん! ディアル様はリフレイア様の付き添いで、白鳥宮だよー! たまには森辺の殿方と語ってみようって気分なのかな? それとも、お気に入りのシフォン=チェル様がいなくて寂しそうだから、つきあってあげてるのかな? ディアル様は、優しいからねー!」
「なるほど。まあ、俺もいちおう森辺の男衆なんですけどね」
「あー、そうだったね! じゃ、森辺の狩人に言い直すよ! アスタ様のことを殿方あつかいしてないわけじゃないから、勘弁ねー! ……まあ、アスタ様はこんな美人ぞろいのみなさんに囲まれてても違和感がないぐらい、可愛らしい顔立ちをしてるけどさ!」
デルシェア姫の屈託のない笑顔に、俺もつい笑ってしまう。アイ=ファはちょっぴり不本意そうに目を細めていたが、発言は差し控えていた。その代わりに口を開いたのは、ライエルファム=スドラである。
「今日はそちらも参席を許されたのだという話だったな。最後の最後で、本当の意味で祝宴をともにすることができるわけか」
「うん! 東の王都の使節団の送別にわたしが立ちあうってのは、ちょっぴり筋違いなのかもしれないけどさ! ゲルドのお人らなんて、わたしの父様と一緒に見送られてたわけだしねー! どんなに外面を取りつくろっても、これは東と南の王都が間接的に交易を行うようなもんだし! これも外交の一環ってことで、押し切らせていただいたんだよー!」
「誰をどのように押し切ったのかは知らんが、俺たちにとっては南も東もないからな。ともに喜びを分かち合えれば、得難く思う」
「そうそう! 貴族や王族のややこしい話なんて、脇に置いちゃってかまわないからさ! わたしはアスタ様たちの手腕を味わわさせていただければ、それだけで大満足だよー!」
と、デルシェア姫は普段以上に元気いっぱいであった。
もしかしたら、明日からはもう少し自由に森辺の民と接せられるはずだと、上機嫌になっているのだろうか。また、2ヶ月に及ぶ雨季もいよいよ終わりが近づいているので、それがいっそうデルシェア姫の心を弾ませているのかもしれなかった。
そんな具合に午前の三刻ほどはあっという間に過ぎ去って、中天の小休止である。
白鳥宮の面々はまたそちらで貴族とともに昼食をとるという話であったので、こちらで作りあげた軽食を届けてもらう。俺たちはちょっとした広間に集められて、合同の昼食だ。見物人の昼食も準備していたが、セルフォマとカーツァはデルシェア姫に遠慮をして別室で食していた。
「トゥール=ディンのほうはどうかな? 問題なく仕上がりそうかい?」
「はい。やっぱりかまど番をひとり増やすだけで、仕事の進みはまったく変わってきます。こちらに人手を割いていただき、本当にありがとうございます」
「いやいや。たくさんの人たちがトゥール=ディンの菓子を楽しみにしてるんだから、期待に応えてあげないとね」
俺がそのように伝えると、トゥール=ディンはほんのり頬を染めながら嬉しそうに微笑んだ。
そこに、デルシェア姫がにゅっと首をのばしてくる。
「でもさ、今日はまた新しい顔ぶれが入り混じってたね! まだあんなに優秀な人員が隠されてたのかって、わたしは驚かされちゃったよー!」
「は、はい。最近は、遠方の血族からも女衆を招いていますので……そちらに助力を願ったのです」
今回ザザの血族からは、スフィラ=ザザ、モルン・ルティム=ドム、リッド、ドム、ジーンの女衆が選抜されていたのだ。その中で屋台の古株となるのはリッドの女衆のみで、ドムとジーンは新参となる。ディンとリッドにはもう1名ずつ古株になりつつある屋台の当番が存在するが、そちらには明日の商売の下ごしらえを任せているのだという話であった。
もちろん調理の手腕は、古株のほうがまさっていることだろう。ドムとジーンの女衆はこの雨季の期間で集中的に研修を重ねて、数日後から正式に働く立場であるのだ。それ以前から定期的にトゥール=ディンの手ほどきを受けていたのだとしても、まだまだ力量差は歴然としているはずであった。
しかし森辺においては、できるだけ喜びと苦労を等分に分かち合うべしという原則が存在する。族長グラフ=ザザはひときわ原則にこだわる気質であるため、トゥール=ディンもかなう限りは意向に沿おうと力を尽くしているのだろう。そしてドムとジーンの女衆は、そんなトゥール=ディンに対して最大限の力で報いるべく奮起しているはずであった。
それと同じ理由で、俺はダダの長姉を抜擢している。もっと枠にゆとりがあれば他なるサウティの血族にも声をかけたかったが、今回は人数と力量の兼ね合いで彼女とサウティ分家の末妹のみに留まったのだ。いずれは人員を入れ替えて、他なるサウティの血族にも同じ喜びと苦労を味わってもらおうという所存であった。
そうして昼食を終えたならば、作業の再開である。
午後からはかまどに火を入れて、本格的な調理となる。それに取り組むかまど番も見学者たちも、いっそう熱が入ることになった。
アイ=ファとライエルファム=スドラ、ジルベとサチは、変わらぬ姿で俺たちの作業を見守っている。ジルベは途中でサチともども居眠りをしていたが、そんな姿も愛くるしいばかりであった。
そうして刻々と時間は流れすぎ――下りの五の刻に、すべての料理は完成した。
祝宴の開始は五の刻の半であったので、予定通りの仕上がりだ。レイナ=ルウとトゥール=ディンの班も、ランディの一行も、時を同じくして作業を完了させていた。
「そ、それでは失礼いたします。あれらの料理が如何なる味わいであるか、口にできる瞬間を楽しみにしています。……と、仰っています」
最後の最後まで見学を果たしていたセルフォマとカーツァは、慌ただしく立ち去っていった。デルシェア姫たちはお召し替えのために少し早めに退散していたが、王族と料理番では支度の手間に差が生じるのだろう。
そして、ランディの仕事を手伝っていたフォウとランの女衆および護衛役の狩人たちは、ランディが準備した3名の男女のうち2名とともに別室へと立ち去っていく。そちらは城下町で準備された晩餐を食したのち、ひと足早く帰還する手はずになっていた。
あとに残されたのは25名のかまど番と6名の狩人、ジルベとサチ、そしてランディと手伝いの若者だ。その顔ぶれで浴堂に向かうと、本日はそちらに武官の礼服を纏ったゲオル=ザザとレム=ドムが待ちかまえていた。
「今日もわざわざ参じてくれたのか。レム=ドムの気づかいを、得難く思うぞ」
浴堂では男女が分かれるため、レム=ドムはひとりで護衛役を務めるアイ=ファに力を添えるべくこの時間から合流するようになったのだ。美々しい礼服を纏って女騎士のように凛々しいレム=ドムは、いつもの調子で「ふふん」と肩をすくめた。
「今日だって大事な血族がこんなに参じているんだから、礼などは不要よ。でも今日に限っては、わたしの助力など不要だったかしらね」
その黒い瞳が見下ろしているのは、ジルベの姿である。ジルベは「ばうっ」と元気よく応じた。
「前回も、ジルベの身はアイ=ファが清めていたものね。まったく、情が深いことだわ」
「アスタは大きな仕事を果たしているので、これぐらいは私が受け持とうと考えたまでだ。ジルベは男児だが、ここで森辺の掟を持ち出す必要はなかろうしな」
そのように語るアイ=ファのかたわらに、トゥール=ディンがおずおずと進み出た。
「おふたりとも、お疲れ様です。……今日はレム=ドムもそちらのお召し物であったのですね」
「ええ。そのために、これを持参させたのでしょうしね」
と、レム=ドムは自分の胸もとを指し示す。そこに下げられているのは、赤い勲章と黒い勲章だ。レム=ドムも鴉の襲撃を退けた功労者のひとりとして、勲三等を授かっていたのだった。
「だからアイ=ファも、今日はわたしと同じ格好なのでしょうね。アスタなんて、さぞかし落胆していることでしょう」
「そんなことないよ。アイ=ファが勲章を授かったのは、俺にとっても誇らしい限りだからね。……もちろん、宴衣装の姿を見られないのは残念だけどさ」
アイ=ファは俺の頭を小突いてから、大勢の女衆およびジルベとサチを引き連れて浴堂に消えていった。
俺はランディと助手の若者、そしてルド=ルウの付き添いで男性用の浴堂だ。ライエルファム=スドラやジーダ、ディック=ドムやジーンの長兄は、さして汗もかいていないと言い張って、ゲオル=ザザともども脱衣の間で待機することになった。
「いやー、すっかり腹が減っちまったよ。身体なんざひとつも使っちゃいねーのに、朝から晩まで美味そうな匂いを嗅がされっぱなしだったからなー」
生まれたままの姿となって蒸気のあふれる浴堂に足を踏み入れるなり、ルド=ルウが子供のように不満の声をあげる。その微笑ましさに、俺は「あはは」と笑ってしまった。
「レイナ=ルウには香草の料理をおまかせしていたから、いっそう魅惑的な香りだったろうね。それでもつまみ食いしないルド=ルウは、立派だね」
「レイナ姉が、ひと口も許してくれねーんだよ。これは城下町で準備された食材なんだから、勝手に食うことは許されないなんて言ってよー」
それはまさしく、レイナ=ルウの言う通りであろう。まあ、森辺の規範はレイナ=ルウが示してくれたようなので、俺は笑顔でルド=ルウを甘やかすことにした。
「我慢したぶん、宴料理をいっそう美味しくいただけるはずだよ。それなりに目新しい料理も準備したつもりだから、楽しみにしててね」
「あー、そういえば、マルフィラ=ナハムの料理ってのはどうなったんだー? ちっと前から、レイナ姉がずっと気にしてたんだよなー」
「ああ、竜の玉子を使った料理だね。それも完成が間に合ったから、今日の献立に組み込んだよ。あれは森辺の民にも城下町の人たちにも喜ばれる出来栄えなんじゃないかなぁ」
「へー、そいつは楽しみなこった。レイナ姉は、ますます眉を吊り上げそうだけどなー」
それは、ルド=ルウの言う通りであろう。しかしレイナ=ルウにとって、対抗心というのは重要な糧であるのだ。レイナ=ルウとは異なる才覚を有するマルフィラ=ナハムと、今後もたゆまず切磋琢磨してもらいたいものであった。
そうして身を清めたならば、いよいよお召し替えだ。
このたびも狩人の面々は武官の礼服であり、俺にだけ立派な宴衣装が準備されている。しかもそれは、またもや新作の宴衣装であった。
「うわ、これはティカトラスが準備してくださったのですか?」
「はい。ひと月ほど前に注文された品が、なんとか間に合ったというお話でございました」
ひと月前――それはちょうど、アルヴァッハやダカルマス殿下たちの送別の祝宴が開かれた頃合いだ。ティカトラスはそんな頃から、今日の祝宴に備えていたわけであった。
(それならきっと、アイ=ファにも対になる宴衣装が準備されてたろうにな。武官の礼服を着ないといけないなら、ティカトラスはご愁傷様だ)
そんな想念を頭の片隅に浮かべながら、俺は小姓の手に身をゆだねた。
これはまさしく、今日のために準備された宴衣装なのであろう。その証拠に、こちらの宴衣装にはシムの風合いが色濃く感じられた。
明らかに、西と東の様式をブレンドさせたようなデザインなのである。簡単に言うと、ワンショルダーの長衣に豪奢な織物を巻きつけたような形状であったのだ。ただその織物はふわふわとボリュームが出るような細工でもって、最初から長衣に縫いつけられていた。
その織物が剥き出しの左肩にまで巻かれているため、俺の古傷も隠蔽されている。これではワンショルダーにする甲斐もないように思われたが、それでもアシンメトリーのデザインにはなっているので、その微細な変化にこだわっているのだろう。また、長衣は限りなく黒に近い鉄灰色、織物は純黒で、ともに銀色の刺繍が施されており、あちこちに銀細工と宝石の留め具が配置されているため、絢爛なことこの上なかった。
「おー、アスタはずいぶん立派な格好だなー。黒くなかったら派手すぎて、笑っちまうところだったぜ」
ルド=ルウの遠慮のない寸評には、「だろうね」と苦笑を返すしかなかった。
「これでアイ=ファが武官の礼服だったら、俺のほうが悪目立ちしちゃいそうだなぁ。……いや、それでもやっぱりアイ=ファの凛々しさのほうが際立つのかな」
「アイ=ファがどんな格好でも、似合いのふたりだから心配すんなよ。さー、とっとと移動しようぜー」
「あ、ちょっと待ってね。これだけは、つけていかないといけないからさ」
俺は脱衣の籠から黒い石の首飾りを取り上げて、それを自ら装着した。アイ=ファから贈られたこの品だけは、如何なる宴衣装でも身につけなければならないのだ。
俺の着付けの完了を待って、一行は控えの間に移動する。ランディと助手の若者は持参した宴衣装で、派手すぎず地味すぎない絶妙のデザインだ。そちらは以前に招かれた祝宴の褒賞で、新たに買い求めた宴衣装であるとのことである。
そして森辺の狩人たちはみんな武官の礼服であったが、一部の面々のみ2種の勲章が胸もとにさげられている。もっとも立派な太陽神と黒い鷹の勲章を捧げているのはライエルファム=スドラのみで、ルド=ルウやディック=ドムはレム=ドムと同じく勲三等の勲章だ。ライエルファム=スドラとともに勲一等を授かったのは、アイ=ファとジルベとカミュア=ヨシュのみであった。
アイ=ファは鴉の襲撃からポワディーノ王子を守り抜いた功績で、ライエルファム=スドラとカミュア=ヨシュは老人の賊を生かしたまま捕らえた功績で、ジルベは森辺に侵入したロルガムトを生かしたまま捕らえた功績で、それぞれ勲一等を授かることになったのだ。かねてよりお世話になっているライエルファム=スドラがひときわ立派な勲章をさげていることが、俺には誇らしくてならなかった。
(きっとユン=スドラは俺よりも誇らしい気持ちだろうし、アイ=ファとジルベを誇らしく思う気持ちは俺が一番だ。アイ=ファの宴衣装を拝めないのは残念だけど、この誇らしさにはかなうもんか)
そうして回廊を進んでいくと、やがてランディと助手の若者だけが別室に案内されていく。そちらは城下町の料理人たちとともに入場するのだそうだ。物怖じしないランディは、笑顔で立ち去っていった。
ランディと別れた俺たちが控えの間に入室すると、大勢の狩人たちが待ち受けている。ゲオル=ザザを除く面々は、すでにこちらで待機していたのだ。白鳥宮で貴族たちと語らっていた男衆が20名に、ただひとりの女衆であるヤミル=レイである。ヤミル=レイは本日もダークグリーンを基調にした豪奢な宴衣装で、ラウ=レイは朱色を基調にした軍服のごとき宴衣装であった。
そして他なる男衆は、少しだけ普段と顔ぶれが違っている。勲章を授与した人間は参席を申しつけられたので、それがかまど番のパートナーに組み込まれたのだ。リッドの女衆にはザザ分家の長兄、サウティ分家の末妹には父たる家長が付添人となり、ダリ=サウティはダダの長姉の付添人という肩書きがあてがわれていた。
あとはジザ=ルウやガズラン=ルティムも勲三等を授かっていたが、そちらはこれまで通り家族や血族の付添人だ。ガズラン=ルティムは穏やかな笑みをたたえつつ、俺たちのもとに近づいてきた。
「お疲れ様です、アスタ。それに、ライエルファム=スドラも。今日はひさびさにライエルファム=スドラと祝宴をともにすることができて、嬉しく思っています」
「そちらもアスタと同じようなことを言うのだな。俺のように冴えない男衆が参じたところで、喜ぶのはお前やアスタぐらいであろうよ」
「いえ。きっと貴族の数多くも、ライエルファム=スドラの参席を喜ぶことでしょう。ライエルファム=スドラは森辺でも指折りの明哲な御方であられるのですからね」
「そうですよ。それにレイリスやデヴィアスは、ジャガル遠征の苦楽をともにした間柄じゃないですか。みんなライエルファム=スドラの参席を心待ちにしていますよ」
「ああもうわかったから、左右から攻めたてるな。さっさと女衆もやってきて、場を賑やかせてほしいものだな」
すると、長椅子にふんぞり返っていたラウ=レイも「まったくだな!」と声を張り上げた。
「男衆ばかりが群れ集うと、むさくるしくてかなわんぞ! ヤミルの美しさは際立つばかりだがな!」
「やかましいわよ。家長が率先してレイの品格を貶めないでちょうだい」
美麗なる姿をしたヤミル=レイは、クールなポーカーフェイスで冷然と言い捨てる。本日も細かく編みあげた髪をまとめてポニーテールにされて、とてつもない妖艶さであった。
「あれ? よく見たら、ふたりも新しい宴衣装なんだね」
「うむ! 色合いが変わらんから、さして代わり映えせんがな! そういうアスタは、ずいぶん立派な姿ではないか! これはアイ=ファの宴衣装も楽しみなことだな!」
「いやいや。今日は勲章を持参してるから、アイ=ファも武官の礼服のはずだよ」
俺はそのように答えたが、数分も待たずにおのれの間違いを思い知らされることになった。アイ=ファが美麗なる宴衣装の姿で、控えの間に踏み込んできたのである。
それはまぎれもなく、俺と対になる宴衣装であった。ワンショルダーの長衣にふわふわとした織物が巻きつけられた、これまで目にした覚えのないデザインである。そしてアイ=ファの宴衣装は長衣が限りなく黒に近いダークレッドで、織物は――玉虫色に輝く、半透明の素材であった。
よって、アイ=ファの優美なる肢体は隠蔽されるどころか玉虫色のきらめきによっていっそう美しく彩られている。こちらの長衣もかなり大胆に胸もとが開いているため、目のやり場に困るほどだ。また、長衣には大きなスリットが入れられて、東の宴衣装と同じように右の足が太腿まで剥き出しにされているため、上下ともに逃げ場はなかった。
「ア、アイ=ファも宴衣装だったんだな。でも、勲章はどうしたんだ?」
俺がそのように問いかけると、アイ=ファはクールな仏頂面で自分の左肩を指し示す。女衆の宴衣装は左側に肩紐が掛けられており、その留め具として2種の立派な勲章が使われていたのだった。
「ああ、そういうことか……でも、他にも立派な飾り物をつけてるから、ちょっとまぎらわしいな。大事な勲章を留め具にしちゃって、大丈夫なのかなぁ?」
「知らん。文句はティカトラスにつけてもらう他あるまい」
今日は武官の礼服であろうと高をくくっていたためか、アイ=ファはちょっぴりご機嫌ななめの様子である。俺は言葉を間違えないように気をつけながら、そんなアイ=ファを精一杯なだめることにした。
「これは、あてが外れちゃったな。でも、武官の礼服も着心地がいいわけではないんだろう? この宴衣装は窮屈さもないし、そういう意味では礼服よりも動きやすいんじゃないかな?」
「窮屈でない代わりにふわふわとしているので、動きにくいことに変わりはない。まあ、片足だけは自由であるので、他なる宴衣装よりはまだしも安楽だがな」
「そうそう。どんな格好をさせられたって一長一短なんだから、短所じゃなく長所に目を向けたほうが建設的だと思うぞ」
アイ=ファは何か言いかけた口を閉ざして、俺の顔をじっと見つめてきた。
アイ=ファは本日も髪の右側だけをアップにまとめられて、左側は自然に流されている。アップにまとめた側は首筋や肩のラインが艶めかしいし、自然に垂らした側は金褐色の豪奢なきらめきであるのだ。普段ともまた異なるアイ=ファの美しさに、俺の胸は高鳴るいっぽうであった。
「……何やら今日は、ずいぶん私の心情を汲もうと心を砕いている様子だな。私はそんなにも、不本意そうな面相であっただろうか?」
「うん、わりとな。でも、どんな格好でもアイ=ファの功績に変わりはないからさ。アイ=ファが勲章を授かったことを、俺は誇らしく思ってるよ」
アイ=ファはしばし俺の顔を見つめてから、足もとに視線を転じた。
そこでは真紅と半透明の織物を重ねて着用したジルベが、大きな尻尾をぱたぱたと振っている。そのマントのような織物を首の下で留めているのが、アイ=ファと同じ2種の勲章であるのだ。アイ=ファは優しげに目を細めてから、また俺のほうに視線を転じた。
「ジルベが不本意そうな姿を見せていたならば、私も忸怩たる思いであったやもしれんな。家人に無用の気づかいをさせてしまったことを、詫びよう」
「何も詫びる必要はないさ。俺はただ、アイ=ファと一緒に祝宴を楽しみたいだけだよ」
「うむ。苦労と喜びは、ともに分かち合わなければならんからな」
アイ=ファは優雅に腰を屈めて、ジルベの大きな頭を撫でた。
ジルベは嬉しそうに、「わふっ」と吠える。そのたてがみにうずもれたサチは、素知らぬ顔で大あくびだ。
かくして、祝宴の下準備は完了して、あとは会の始まりを待つばかりであった。




