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異世界料理道  作者: EDA
第八十九章 雨季の終わり
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送別の祝宴①~出陣~

2024.9/10 更新分 1/1

 シンの集落に集ってから、2日後――黄の月の10日である。

 その日がついに、送別の祝宴の当日であった。


 この日のために、俺たちはひさびさに屋台の商売を連休にさせていただいた。祝宴の前日も休業日として、またまたルウの集落に集い、作業工程の最終確認をするとともに、かなう限りの下ごしらえに励んだのだ。


 下ごしらえで扱う食材は、あらかじめ城下町に申請しておく必要がある。宴料理で使用する食材は主催者が会場の厨に準備しておく手はずであるため、こちらで勝手に買いそろえると重複してしまうわけである。よって、主催者が買いつけた食材を引き取りにいくか、食材の総量と諸経費を伝える際にこちらで買いつけておくと申請しておくかだ。前者の場合は主催者が前日までに食材を買いそろえる必要が生じるため、俺はおおよそ後者の手段を取っていた。


 また、それだけ大量の食材を個人で買いつけるには、これまた事前の申し出が必要になる。そんな大量の野菜や調味料が店頭に並んでいるとは限らないので、それも当然の話であろう。ジェノスで収穫できる野菜はドーラの親父さんやミシル婆さんに、外来の食材や調味料などは小売店や市場の関係者に、それぞれ購入の予約を申し込むのだ。今回の祝宴は開催日の決定がかなり遅かったため、こちらの面でもなかなか慌ただしかったが、なんとか前日には必要な食材を取りそろえることがかなった。


 その日はシンの集落で夜を明かしたセルフォマとカーツァを町に送り届ける必要があったので、帰りがけに食材を受け取って、いざ下準備である。

 前日に着手できる下ごしらえなどはごく限られているものの、何せ300名近い人間が参席する祝宴であるため、ひとつひとつの作業が膨大であるのだ。俺はこの下ごしらえも当日の仕事を受け持つかまど番に手掛けてもらい、自分たちの仕事の意味を正しく理解してもらえるように努めていた。


 そうして迎えた、当日の朝である。

 上りの三の刻、俺たちは勇躍、城下町へと出立することになった。


 かまど番と付き添いの狩人は25名ずつ、ランディを手伝うかまど番と付き添いの狩人は2名ずつ、そして特別枠のラウ=レイとヤミル=レイで、総勢は56名だ。そして今回は勲章を授与された身として、ジルベと付き添いのサチも同行させていた。


 城下町に駆り出されるのはひさびさであったので、ジルベは嬉しそうにふさふさの尻尾を振っている。いっぽうサチは我関せずで、荷台の隅で丸くなっていた。


 宿場町に到着したならば、《ランドルの長耳亭》の一行と合流する。そちらは主人のランディに、手伝いの男女が3名だ。森辺から借り受けたフォウとランの女衆をあわせた総勢6名で、ランディはまたフォンデュの菓子を作りあげるのだった。


「ランディの菓子は、『麗風の会』でも好評でしたものね! わたしもランディの菓子はひさびさなので、楽しみです!」


 同じ荷台に揺られていたレイ=マトゥアは、そんな風に言っていた。フォンデュの菓子というのは大勢で楽しむのが醍醐味であるため、森辺の晩餐で活用しようという氏族はなかなかなかったのだ。しかし、調理の手順はトゥール=ディンを通して伝えられているので、雨季が明けて森辺の祝宴が開かれるようになれば、あちこちで実施されるのだろうと思われた。


「プラティカはもちろん、ヴァルカスやダイアの料理も楽しみですし、ヤンやティマロの料理も楽しみですし……けっきょく、すべてが楽しみでなりません! これだけは、森辺の祝宴でも味わえない楽しみですよね!」


「うん。最近はロイたちに森辺の宴料理をお願いする機会もなかったもんね。ロイたちもさぞかし腕を上げてるだろうから、またいずれお願いしたいところだね」


 そうして楽しく語らっている間に、荷車は城門に到着する。そちらで立派なトトス車に乗り換えて、再度出発だ。

 本日も祝宴の会場は紅鳥宮であり、白鳥宮での語らいに参席する面々はそこで別行動となる。護衛役には8名の狩人を残して、19名の男衆およびラウ=レイとヤミル=レイがそちらに向かうのだ。ラウ=レイが最後の最後で使節団の機嫌を損ねないように、ヤミル=レイの手綱さばきを期待したいところであった。


 残された人間は浴堂で身を清めたのち、かまど番は白い調理着に、護衛役の狩人は武官のお仕着せにお召し替えをする。そしてここからは、さらに4組に分かれる手はずであった。


「では、またのちほど」と、ランディが取り仕切る一行はいちはやく離脱していく。それに続いてトゥール=ディンが取り仕切る菓子の組も立ち去っていき、後に残された19名が俺の考案した宴料理に取り組む精鋭であった。


「それじゃあ、そっちの班はよろしくね。俺も時間を作って、様子を見にいくからさ」


 このたびも班長に任命されたレイナ=ルウは、きりりと引き締まった面持ちで「はい」と首肯する。

 そちらは、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、レイ、ミン、ルティムの女衆、サウティ分家の末妹、ダダの長姉という、ルウとサウティの混成部隊であった。


 俺のもとに残されるのは、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、フェイ・ベイム=ナハム、レイ=マトゥア、クルア=スン、ガズ、ラッツ、アウロ、ダゴラの女衆という顔ぶれになる。レイナ=ルウの班が3種、俺の班が4種の料理を作りあげる手はずになっていた。

 また、こちらの厨の護衛役を担うのは、当然のようにアイ=ファとライエルファム=スドラである。アイ=ファが居残るのは毎度のことであるが、ライエルファム=スドラもまた貴族との交流は若い人間が受け持つべきというスタンスであったのだった。


「でも、またライエルファム=スドラと祝宴をご一緒することができて、俺は嬉しいです。最後までよろしくお願いしますね」


「ふん。俺としては、これが最後でもいっこうにかまわんのだがな」


 立派なお仕着せの襟もとを気にしながら、ライエルファム=スドラはぶっきらぼうにそう言った。本日はシム王家にまつわる騒乱の功労者が招待されていたので、ライエルファム=スドラも来場せざるを得なかったのだ。ライエルファム=スドラが城下町の祝宴に参席するのは、叙勲の式典に続いてようやく2回目であった。


「口ではそのように言いながら、いざ祝宴に参ずるとライエルファム=スドラは誰が相手でもぬかりなく交流を深められているように見える。ライエルファム=スドラが無理をする必要はないが、やはりその聡明さは森辺にとって得難い力であるように思うぞ」


 アイ=ファがそのように告げると、ライエルファム=スドラは「ふふん」と肩をすくめた。


「ガズラン=ルティムや族長筋の面々が参ずれば、俺が力をふるう余地などなかろうよ。……まあ、アスタたちが立派に仕事を果たすさまを見届けられるのは、俺にとっても大きな喜びだがな」


「それは、私も同様だ。とりわけユン=スドラの勇躍は、ライエルファム=スドラにとっても誇らしい限りであろう?」


「うむ。ユンの立派な宴衣装の姿は、他の家人にも見せてやりたいほどだ」


「わ、わたしのことは、どうぞ捨て置きください」


 ユン=スドラが顔を赤くしながら文句をつけると、レイ=マトゥアやダゴラの女衆が楽しげに笑い声をあげた。

 そうして下準備にいそしむ俺たちの姿を見回してから、ライエルファム=スドラはふっと足もとに目をやった。そこでぱたぱたと尻尾を振っているのは、ジルベだ。ジルベもサチも厨や祝宴の会場で毛をまき散らさないように入念にくしけずられているため、普段以上につやつやの毛並みをしている。そしてサチは、ジルベのつやつやのたてがみにうずまりながら、丸くなっていた。


「サチなどは俺と同様の心情であるようだが、ジルベはたいそう喜んでいるようだな」


「うむ。ジルベは祝宴の賑やかさを好ましく思っているようだ。そうと知れていれば、森辺の祝宴でも連れていたのだがな」


「その機会は、これからいくらでもあろう。雨季が明けるのも、あと数日であるからな」


 やはりアイ=ファとライエルファム=スドラが居揃うと、周囲には落ち着いた空気が満ちるようである。

 俺がその空気を満喫していると、厨の扉が外から叩かれた。当然のこと、セルフォマとカーツァと『王子の耳(ゼル=ツォン)』が見学におもむいたのだ。


「し、失礼いたしま――ひゃーっ!」


 と、昨日に引き続き、カーツァの悲鳴が響きわたる。扉を入ってすぐのところに、ジルベが鎮座ましましていたためである。


「し、失礼いたしました。ほ、本日はこちらの犬なる獣も招待されていたのですよね」


「うむ。ジルベにはすっかり見慣れたものと思ったが、驚かせてしまったのなら詫びよう」


「い、いえ。こちらこそ、場をお騒がせしてしまって申し訳ありません」


 カーツァはぺこぺこと頭を下げながら、今にもセルフォマの背中に隠れてしまいそうな様子である。ジルベはとにかく大きいし、東の面々にとってはまったく見慣れない存在であるのだ。ただ、ジルベのたてがみに溶け込んでいるサチの姿に気づくと、カーツァの眼差しがいくぶんやわらいだように感じられた。


「……ふむ。猫とは、シムの獣であったな。カーツァは、猫を好ましく思っているのであろうか?」


「は、はい。リクウェルド様のお屋敷にも、何匹かの猫がおりますので……で、でも、このように美しい毛並みをした黒猫を目にするのは、初めてのこととなります」


 そんな風に答えてから、カーツァは慌てて東の言葉でセルフォマに何事かを告げた。おそらく、これまでの会話の内容を伝えているのだろう。それをすべて聞き終えてから、セルフォマは恭しげに一礼した。


「ほ、本日も厨の見学をお許しいただき、ありがとうございます。決してお邪魔にならないように取り計らいますので、何卒よろしくお願いいたします。……と、仰っています」


「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします。……デルシェア姫に関しては、問題ありませんでしたか?」


「は、はい。あちらも調理の修行のために滞在しておられるのですから、後から乗り込んできた私の都合で見学を取りやめろなどと申すことはできません。決して諍いを起こしたりはしないとお約束しますので、どうぞご心配なきように。……と、仰っています」


 本日は、デルシェア姫も調理の見学を敢行するのである。貴族の面々がそのように決定したのならば、こちらもこれまで通り応対するのみであった。


「そのデルシェアは、姿を現さんな。やはり、セルフォマとは異なる厨を見回っているのであろうか?」


「は、はい。あちらはトゥール=ディンの厨から見学されるという話でありました。皆様の心をお騒がせしないように、なるべく同じ場に留まらないように取り計らおうかと思います。……と、仰っています」


「こちらはべつだん、何がどうでもかまわんぞ。プラティカとて、デルシェアと席を同じくする機会は多かったからな。……まあ、そちらはそちらの考えの通りに動くといい」


 アイ=ファの言葉に礼を返してから、セルフォマは俺たちのほうに静謐なる眼差しを向けてきた。彼女はとにかく、森辺のかまど番の一挙手一投足を見逃すまいというスタンスであるのだ。そのひたむきさは、プラティカやデルシェア姫にも決して負けていなかった。


「よし。下準備はこれで完了だね。それじゃあ今日も最後まで、よろしくお願いします」


 俺がそのように告げると、かまど番の全員が「よろしくお願いします」と一礼する。朗らかな笑顔であったり真剣な面持ちであったりと人それぞれのたたずまいであったが、気合のほどにまさり劣りはなかった。


 俺たちは手はず通りに、作業を開始する。まずは膨大なる量の野菜の切り分けで、誰がどの担当になるかは昨日の内に取り決めていた。

 この時間は、さほど見学の甲斐もないことだろう。ただ、森辺のかまど番の刀さばきには感心してもらえるだろうか。俺にとっては見慣れた光景であるが、これもまた長きの研鑽の末に獲得された成果であるのだった。


「……そういえば、リコたちは昨日、城下町に招かれたのだったな」


 アイ=ファがそのように問いかけると、カーツァがあたふたと通訳した。プラティカが希望した通り、傀儡使いのリコたちは城下町で『森辺のかまど番アスタ』を披露することになったのだ。昼下がりに森辺に戻ってきたリコによると、その場にはジェノスの貴族と使節団の面々が山ほど集められていたとのことであった。


「は、はい。私たちも、森辺の歴史というものを知ることになりました。あのような軌跡を辿ることで、森辺の方々は美味なる料理の得難さを知ることになったのですね。……と、仰っています」


「うむ。何か少しでも得るものがあったのなら、喜ばしい限りだな」


「は、はい。森辺の方々の情念については、理解できたように思います。プラティカ様の仰っていた通り、それは生半可ならぬ道であったのでしょう。森辺の方々は美味なる料理に関心がなかったがゆえに、とてつもない貪欲さでアスタから学ぶことになったのですね。私はいささか、そら恐ろしくなりました。……と、仰っています」


「そら恐ろしい? とは、どういう意味であろうかな?」


 アイ=ファはなかなかの熱心さで反問する。通訳のカーツァには申し訳なかったが、俺としても気になる内容だ。作業の手だけは止めないまま、俺も耳をすませることになった。


「は、はい。平常は、そのような貪欲さで調理の上達を望むことはないように思います。食する人間に喜んでもらえるようにというのは、料理を手掛ける人間にとってごく当たり前の心情であるかと思いますが、森辺の方々はそこに一族の存亡を懸けているように感じられたのです。料理人は数あれど、そこまでの情念で調理に取り組んでいる人間は他に存在しないのではないかと思われます。……と、仰っています」


「一族の存亡というのは、いささか大仰な物言いであるやもしれんが……しかしアスタは、美味なる料理を食する喜びが一族にさらなる力を与えると主張していた。そういう意味では、セルフォマも正しく理解してくれたのであろうな」


「は、はい。なおかつ人間というものは、自分こそが当たり前の存在であると認識いたします。森辺の方々は、ご自分の特異性というものを理解しきれておられないのではないでしょうか? ……と、仰っています」


「また難しい言葉を持ち出してきたな。これは、ライエルファム=スドラの領分であるやもしれんぞ」


 苦笑をはらんだアイ=ファの言葉に、ライエルファム=スドラは「ふむ」とうなずいた。


「俺とて一介の狩人に過ぎぬ身だが、興味深く聞いている。……森辺の民の特異性とは、いったい如何なるものであろうか?」


「は、はい。森辺の方々は、きわめて過酷な生を歩んでこられました。そこから脱するためにはギバの肉を町で売る必要があり、ギバの肉を売るには美味なる料理に仕上げる必要があったというのでしょう? それもまた、一族の存亡を懸けた行いです。これまでの生が過酷であったならば過酷であったほど、調理に対する執念が上乗せされるはずです。そのように特異な運命を歩む一族は、他に存在しないかと思われます。……と、仰っています」


「なるほど。しかし、仕事とはそういうものであろう? 森辺の狩人は生命を賭してギバを狩っているが、それを焼くための薪や保存のためのピコの葉がなければ、飢えて死ぬ他ないのだ。よって、狩人の仕事も家を守る仕事も、上下はないとされている。美味なる料理を作りあげるというのは、そこに加わった新たな仕事であるに過ぎん」


「そ、それこそが、あなたがたの特異性であるのです。もちろん町の人間も生きるために働いていますが、仕事に生命を賭しているという意識は希薄であることでしょう。あなたがたは肉体と魂のすべてを真っ向から世界にぶつけているような印象を受けました。それだけの情念を携えているからこそ、3年足らずでこれほどの料理番が数多く育ったのではないかと思うのです。……と、仰っています」


 そのように語る間も、セルフォマは静謐な眼差しで作業の場を見据えている。

 ライエルファム=スドラは「そうか」と納得したようにうなずいた。


「確かに自分のことというのは、よくわからぬものだ。俺たちにとっては当たり前の話が、町の人間にとっては当たり前ではないということだな。むろん、森辺の民と町の人間が掛け離れた存在であることは、理解しているつもりであったが……お前のおかげで、また理解が深まったように思うぞ」


 セルフォマもまた、無言のままに首肯する。

 すると、セルフォマが何も語っていないにも関わらず、カーツァがもじもじとしながら発言した。


「あ、あの、私がこのような場で口をきくのは、差し控えるべきであるのでしょうが……ひとつだけよろしいでしょうか?」


 とたんに、アイ=ファが「ほう」と声をあげた。


「カーツァが自ら口を開くのは、きわめて珍しいことだな。いったい何事であろうか?」


「い、いえ、そんな大それた話ではないのですが……」


 と、カーツァは真っ赤になってしまう。


「さ、さきほどそちらの御方が、『美味なる料理を作りあげるというのは、そこに加わった新たな仕事であるに過ぎん』と仰っていましたが……りょ、料理番の仕事を軽んじているわけではないのですよね?」


「無論だ。ライエルファム=スドラは、仕事に上下はないと言い置いたであろう? 生命を賭してギバを狩るのも美味なる料理を作りあげるのも、等しく重要な仕事であるという意味に他ならん」


「そ、そうですよね。くだらないことを質問してしまって、申し訳ありません。ど、どうか私の言葉はお忘れください」


「いや。カーツァはかまど番が軽んじられるのは我慢がならないと考えたのであろう? お前がそのように心優しき人間であることを、私は得難く思っている」


「と、とんでもありません」とカーツァはいっそう赤くなりながら、東の言葉をセルフォマに向けた。おそらく、今のやりとりを伝えているのだろう。セルフォマは人形のように無表情のまま、また何かを語った。


「だ、だからこそ、森辺の料理番の方々には大きな誇りが生じるのでしょう。あなたがたはまさしく生命を賭しているかのような情念でもって、調理に取り組んでいるのです。その誇りと情念こそが、あなたがたの強さの正体なのではないかと思います。……と、仰っています」


「それはまた、町の人間からもたらされた誇りでもあろうな。町の人間にも美味なる料理であると喜んでもらえたからこそ、かまど番たちは大きな誇りを抱けたのだろうと思う」


 そのように答えたのは、ライエルファム=スドラであった。

 その瞳には、とても穏やかな光がたたえられている。


「もちろん俺も同胞として、同じ誇りを抱いているぞ。さっきはつい茶化してしまったが、家人がこれほどの大役を果たすのは誇らしい限りであるからな」


 俺の向かいで野菜を切り分けていたユン=スドラは、どこか大人びた笑顔で「はい」とうなずいた。


「そしてわたしをこのような道に導いてくださったのは、家長ライエルファムに他なりません。家長が正しき道を選んでくださったからこそ、今のわたしたちがあるのです」


「それは、アスタとアイ=ファが正しき道を指し示してくれたおかげだな。俺は覚悟を決めて、その道を選び取ったにすぎん」


 近からぬ場所から、ユン=スドラとライエルファム=スドラは微笑みを交わした。

 すると、作業の場から決して目を離そうとしなかったセルフォマが、初めてライエルファム=スドラのほうを振り返る。その切れ長の目をわずかに見開きつつ、セルフォマは何事かを語った。


「も、もしかして、あなたは傀儡の劇に登場していた狩人のおひとりなのでしょうか? ……と、仰っています」


「うむ? 傀儡の劇で、俺の名は語られていないはずだが」


「は、はい。ですが、あなたの姿と傀儡の姿が、私の中で一致したのです。これが私の思い違いであったのなら、謝罪を申しあげます。……と、仰っています」


「何も詫びる必要はない。……アスタたちの傀儡も、本物さながらの姿であったからな。俺もまた同様であるということか。やはり、自分のことというのはわからないものだ」


 ライエルファム=スドラは何を気負う風でもなく、そう言った。


「俺は森辺の大罪人を斬り捨てた身であるため、名前は伏されることになったのだ。しかし、ジェノスの貴族の間には知れ渡っている話なので、ことさら隠すつもりはない」


「や、やはりそうだったのですね。あなたの存在も、あの物語にまたとない息吹を吹き込んでいたように思います。……と、仰っています」


「そのような言葉を伝えられても、答えようがないな。……ようやくアスタやアイ=ファの気苦労が理解できたように思うぞ」


 ライエルファム=スドラは小猿のようにしわくちゃの顔に苦笑を浮かべつつ、俺とアイ=ファの姿を見比べる。アイ=ファはやわらかな眼差しで、それを受け止めた。


「たとえ名を伏されようとも、ライエルファム=スドラが大きな役目を果たしたことに変わりはない。その存在がセルフォマに感銘を与えたというのなら、私も誇らしく思うぞ」


「アイ=ファまで、おかしなことを言うな。そちらがどれだけ大きな役目を果たしてきたか、俺がつぶさに語ってやろうか?」


「それは、御免こうむる」


 今度はアイ=ファとライエルファム=スドラが、微笑をはらんだ眼差しを交わす。

 セルフォマはそちらから視線をもぎ離すようにして、また作業の場に目を向けてきた。カーツァはひとりで、目を泳がせている。


(なんていうか……ライエルファム=スドラがいるだけで、話に重みが加わるような感じだな)


 もちろん俺は、その事実をかけがえのないことだと思っていた。

 黙して語らない他の女衆も、満ち足りた面持ちで作業を進めている。きっと自分たちの役割の大きさを再確認して、誇らしさを噛みしめているのだろう。俺自身が、そういう心持ちであったのだった。

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[一言] 今日の章こそがこの作品の根幹である気がします。
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