幕間 ~シンの集落~
2024.9/9 更新分 1/1
・今回は全8話の予定です。
カーツァとセルフォマをファの家に招いて、ふたりの真情を垣間見ることができた日の、翌日――黄の月の8日である。
セルフォマたちとともにルウの空き家で一夜を明かして、屋台の料理を食したのちに城下町に戻ったプラティカは、今度は単身で屋台を訪れて、大いなる気合とともにこう宣言した。
「私、送別の祝宴、ひと品、供すること、決定しました」
こういうときのプラティカは、森辺の狩人もかくやという迫力である。その紫色の瞳は爛々と燃えて、ほっそりとした肢体からは青白い気迫がたちのぼっているかのようであった。
「そうですか。それは俺も楽しみが増えました。でも、こんなに突然の話で、人手のほうは大丈夫なのですか?」
「はい。今回、変則的、方法、取られます」
そうしてプラティカは、その変則的な方法の内容を語り始めた。
いわく――宴料理の準備を申しつけられたのは、プラティカ、ダイア、ヴァルカス、ティマロ、ヤンの5名であるらしい。その錚々たる面々が、それぞれひと品ずつ宴料理を供するのだそうだ。
それで調理助手に関しては、ダイアの指揮下にあるジェノス城の料理番たちが受け持つそうである。ダイアもひと品しか準備しないため、そちらの面々は存分に手が空いているわけであった。
「ただし、ヴァルカス、申し出を断り、弟子のみ、使うそうです。ヴァルカスの料理、手順、複雑で、他の料理番、手出し、難しいためでしょう」
「ああ、それは致し方ないですね。でも、プラティカやヴァルカスの料理を口にできるのでしたら、俺も嬉しいです」
「はい、光栄です。……そして、私、調理助手、ニコラ、任命しました。リフレイア、要請、結果です」
「うん? それは、どういう意味でしょう?」
プラティカは発奮のあまり、筋道だった説明が難しいようである。
それで話を整理してみると――宴料理の準備を任命された面々は、1名ずつ独自の調理助手を連れることが許されるらしい。そしてその調理助手も、祝宴の参席者に認められるのだという話であった。
そこでリフレイアはシフォン=チェルを誰かの調理助手にしたいと考えたが、ただひとりフリーの立場であるプラティカは東の民であるため、南方神の子となったシフォン=チェルを調理助手にするのは体面が悪い。セルフォマも以前には同じ理由でシフォン=チェルの手伝いをお断りしていたのだから、なおさらであった。
「それで、シフォン=チェルはヤンの助手に、ニコラはプラティカの助手にという体裁を取ったわけですか。俺としては、ありがたい限りですけれど……でも、プラティカやヤンのほうは大丈夫なのですか?」
「はい。シフォン=チェル、菓子の修練、積んでいるので、ヤンの助手、相応しいでしょう。ヤン、菓子、担当ですので」
「なるほど。でも、プラティカは? そういう話に加担するだけで、東の王都の方々に悪い印象を持たれる心配などはないのですか?」
「こちら、東の掟、守るため、措置です。私、恥ずるところ、ありません」
毅然と語るプラティカの姿に、俺は思わず感じ入ってしまった。
「プラティカは、本当にご立派ですね。リフレイアもシフォン=チェルも俺にとっては大切な相手ですので、プラティカの気づかいを嬉しく思います。どうか俺からもお礼を言わせてください」
「ア、アスタ、お礼、必要、皆無です」
と、プラティカは黒い頬に血の気をのぼらせてから、さらに言いつのった。
「ともあれ、私、宴料理の考案、および、食材の計算、必要です。よって、本日、森辺の勉強会、欠席です」
「ああ、必要な食材は明日の朝までに報告しないといけませんもんね。承知しました。プラティカも頑張ってください」
「はい。よって、本日、参上する、セルフォマとカーツァのみです。森辺の方々、責任、ありませんが……彼女たち、毒の武具、扱えませんので、用心、願えますか?」
西の人間は東の民がのきなみ毒の武具を扱うという認識で恐れているが、セルフォマとカーツァはそのすべを有していない。よって、もしも無法者などに襲われたら、あらがうすべもないのだ。
まあ、そういう認識である以上、東の民が無法者に襲われる危険は皆無に等しいわけであるが――心優しいプラティカは、一抹の懸念を覚えているわけであった。
「承知しました。こちらも頼りになるのはアイ=ファだけですが、普段よりも用心することにします」
すると、俺のかたわらで話をうかがっていたアイ=ファが、ずいっと身を乗り出した。
「それならいっそ、セルフォマたちも見学を取りやめてはどうであろうか? リクウェルドは間もなくジェノスを出立してしまうのだから、カーツァは別れを惜しむ時間が必要であろう?」
「はい。その日、明日、設定しました。明日もまた、作業工程、確認のため、私とニコラ、森辺、おもむけないのです。よって、セルフォマ、今日と明日、見学、取りやめるよう、提言したのですが……セルフォマもまた、限られた時間、惜しんでいるため、明日のみ、取りやめること、肯じてくれたのです」
「ああ、お前もカーツァの心情を汲んでくれていたのだな。……お前の周到さと優しさを、私も得難く思っているぞ」
そうしてアイ=ファが温かい眼差しになると、プラティカはますます顔を赤くした。
「で、でしたら、アイ=ファ、同様です。私ばかり、辱め、受けるいわれ、ありません」
「何も辱めているつもりはない。そしてお前は、私よりも若年であるからな。私がお前ほど若年であった際には、そうまで他者を気づかえなかったように思うぞ」
「うんうん。二重三重でプラティカの優しさを感じ取れたよな」
「……ファの家人、厄介です」と、プラティカは小さく地団駄を踏んだ。容姿はこんなに凛々しいのに、幼子のような可愛らしさである。
「……私、用件、終えたので、帰還します。2日間、顔、あわせないこと、得難い、思っています」
「そのように意地の悪いことを言うものではない。我々は、お前の優しさを心から得難く思っているのだぞ」
「その物言い、厄介なのです」
プラティカはフードで赤い顔を隠し、速足で立ち去ってしまった。
その場に残された俺とアイ=ファは、温かい心地で視線を見交わす。プラティカには申し訳なかったが、俺たちにとっては可愛い妹分を見守っているような心境であるのだ。ここ最近は立て続けでプラティカと接していたので、そういった思いがいっそう強まったのかもしれなかった。
そうして俺は、屋台の作業を再開させたのだが――それからすぐに、新たな来客を迎えることになった。今度は《ランドルの長耳亭》のご主人、ランディである。
「仕事の最中に申し訳ありませんな。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
ランディはいつも愛想のいい表情を浮かべた、柔和で大らかな壮年の男性だ。小柄な体躯に雨具をかぶったその姿は、どこかユーモラスに見えた。
「ええ、こっちはかまいませんけれど……ランディのほうこそ、仕事は大丈夫なのですか? 今日も屋台を出しているのでしょう?」
「ええ。今日は出来あいの菓子を温めなおすだけですので、手伝いの人間に任せてきました。……その手伝いの人間に関して、ご相談があるのです」
と、ランディは申し訳なさそうに眉を下げた。
「あちこち声をかけたのですが、今回も祝宴の準備に必要な人数を集められなかったのです。祝宴はもう2日後に迫っているのに、このようなことを願い出るのは申し訳ない限りなのですが……なんとかまた、2名ほどの娘さんをお借りすることはできませんでしょうか?」
「ええ。もしかしたらそんな話になるかもしれないかと思って、お願いする氏族に目星をつけていました。2名でしたら、前回と同じくフォウとランの女衆で問題ありませんか?」
「ああ、ありがとうございます。なんとか自力でどうにかできないものかとあがいたせいで、余計に慌ただしい話になってしまいました。アスタにもそちらの氏族の方々にも、頭が上がりません」
「いえいえ。ランディがそういうお人であるからこそ、フォウやランの方々も憂いなく人手を出せるのだと思いますよ」
ランディは嬉しそうに目を細めてから、またちょっと心配げな顔になった。
「ただ、今回は手伝いの人間の中から祝宴にまで連れていけるのは、ひとりだけなのです。わたしとしては後学のために、宿の若い人間に参席をさせてやりたいと考えているのですが……」
「ええ。森辺の民は祝宴に参席するのが目的で仕事を受け持っているわけではありませんので、心配はご無用ですよ。フォウやランの女衆も、ランディの仕事を手伝えるというだけで喜んでくれると思います」
「森辺の方々というのは、本当に根っこから善良なのですな。わたしなんぞが懇意にさせてもらえて、心からありがたく思っておりますよ」
ランディは彼本来の朗らかな表情を取り戻して、にこりと笑った。
「それでは、よろしくお願いいたします。手伝いの賃金は、前回と同じだけ準備しておきますので」
「承知しました。あ、明日は屋台を休ませていただくので、次に会うのは祝宴の当日ですね。宿場町に到着するのは上りの三の刻の半ぐらいになるかと思いますが、ランディはどうされますか? 同じ時間で問題なければ、また途中で拾っていきますよ」
「重ねがさね、ありがとうございます。では、その刻限に出立できるように準備しておきます。……アスタは森辺の代表に相応しい親切さでありますな」
「いえいえ、とんでもありません」
そうしてランディが立ち去ると、俺はこっそりアイ=ファに頭を小突かれることになった。
俺が「何かな?」と問いかけると、アイ=ファは「別に」とそっぽを向いてしまう。その凛々しい横顔にはどこか誇らしげな表情がにじんでいたので、きっとランディの最後の言葉が嬉しかったのだろう。それでまた、俺は温かい心地を授かることになったのだった。
その後は、何事もなく時間が過ぎていき――終業の刻限が近づいてきたところで、ふたつの人影が近づいてきた。これで5日目の来訪となる、セルフォマとカーツァである。
「どうも、お疲れ様です。今日は、徒歩だったのですね」
「は、はい。私もカーツァも車の運転をするすべがありませんので、自らの足でおもむく他ありませんでした。森辺までの道のりは、恐れ多くも王子殿下のご臣下に同乗させていただくことになったのですが、森辺に到着したのちは皆様のご温情にすがることを許されますでしょうか? ……と、仰っています」
ポワディーノ王子の臣下たる『王子の耳』は、また勉強会を終えた時点で直帰するのだろう。そうすると、集落の内部における移動と明日の帰り道の足がなくなるわけであった。
「それはまったくかまわんが、もしもこちらがその申し出を拒んだ際にはどうする心づもりであったのだ?」
アイ=ファがいぶかしげに問い質すと、セルフォマは人形のごとき無表情で答えて、カーツァがそれを訳した。
「そ、その場合は徒歩で移動するしかないでしょう。ただし、夜間における徒歩の移動には危険がともなうとうかがっておりますので、その場合は勉強会を行う集落に留まる等、次善の策を講じる必要があるかと考えています。……と、仰っています」
「そうか。セルフォマが短慮な人間でないことを得難く思う。何にせよ、危険がないように取り計らうので、あとはルウの集落で講じるとしよう」
本日の勉強会は宴料理の作業工程の確認であり、複数のかまどの間が必要となるため、またルウの集落のお世話になる予定であったのだ。それならばいっそのこと、俺たちもルウ本家で晩餐をいただき、セルフォマたちをその場に残してファの家に戻ったほうが、手間も少ないように思われた。
(きっとアイ=ファも、そう考えたんだろうな。まあ、それが無理ならファの家で晩餐を片付けた後、こっちでルウの集落に送るしかないか)
俺はそのように考えながら、帰路を辿ったわけであるが――いざルウの集落に辿り着くと、意想外の展開が待ち受けていた。ミーア・レイ母さんがにこにこと笑いながら、思わぬ言葉を告げてきたのである。
「ルウの家に、ようこそ。……と言いたいところなんだけど、今日はシンの集落に出向いてもらえるかい?」
「え、シンの集落ですか? ルウの集落では、何か不都合でも?」
「いやあ、こっちはまったくかまわないんだけどね。今日の朝方、アスタたちが宿場町に向かった後、シン・ルウ=シンがやってきたんだよ。あっちは今日、休息の日取りにしたみたいでさ」
シン・ルウ=シンいわく――送別の祝宴に向けて、ルウの血族は大きな苦労を背負っている。が、シンの家は家長のシン・ルウ=シンが参席者に選ばれたぐらいで、なんの苦労も負っていない。よければ客人たちを預かるので、シンの集落で勉強会を開いてはどうか――といった話であるようであった。
「まあ、それより何より、シン・ルウ=シンはアスタたちも客人として迎えたいんだろうね。最近は、シンの家人がアスタたちと顔をあわせる機会もなかったんだろうからさ」
確かにそれは、俺も物寂しく思っていた。以前はルウの集落に立ち寄るだけで、シン・ルウ=シンやミダ・ルウ=シンと顔をあわせる機会があったのだ。シン・ルウ=シンとは城下町の祝宴で顔をあわせる機会も多いが、それ以外の面々とはすっかり没交渉であったのだった。
「ちょうどシンの集落には、立派なかまど小屋がいくつもそろってるからね。もちろん面倒だってんならルウのかまど小屋を使ってもらってもかまわないけど、どうだい?」
「そんな嬉しいご提案をされたら、断る気持ちにはなれませんね。……アイ=ファも、了承をくれるかな?」
「ふん。家人の健やかな生のために尽力するのが、家長のつとめであるからな」
そんな堅苦しい台詞を優しい眼差しで語りながら、アイ=ファは御者台に舞い戻った。
「では、移動するならさっさと乗るがいい。うかうかしていると、仕事の時間がなくなるぞ」
ということで、俺たちはひさびさにシンの集落を目指すことになった。
屋台の当番から外れていたメンバーはルウの集落に招集していたので、ともに移動だ。そちらも事前にミーア・レイ母さんから説明を受けていたので、何を不思議がることもなく追従してきた。
ただし、菓子を担当するトゥール=ディンの班は最初からディンの集落に集まる手はずであったので、すでに帰還している。こちらに参ずるのは、俺を含めて19名のかまど番だ。東の客人の車も含めて5台という、なかなかの大所帯であった。
ルウの集落を出立して間もなく、荷車は横道に入っていく。シンの集落は、この長い横道の最果てに存在するのだ。
ここ最近は東の王都がらみの案件で忙しくしていたので、シンの集落におもむくのは本当にひさびさのこととなる。俺は大いに胸を弾ませながら、荷車に揺られることになり――そして、集落に到着するなり、盛大な歓待を受けることになった。
といっても、俺たちを出迎えてくれたのはひとりきりである。
俺が雨具をかぶって荷台の外に出ると、家の前にたたずんでいた小山のごとき人影が「うおおおん…………」と奇声を発しながら駆け寄ってきたのである。
「アスタにアイ=ファ、ひさしぶりなんだよ……? ミダ・ルウは、ずっとふたりに会いたかったんだよ……?」
並の人間の倍ぐらいの巨体をした、ミダ・ルウ=シンである。転がる巨岩のような勢いで駆けつけてきたミダ・ルウ=シンは頬肉をぷるぷると震わせながら、小さな目を歓喜に輝かせていた。
「ひさしいな、ミダ・ルウ=シンよ。……相変わらず、珍妙な姿だな」
アイ=ファがこらえかねたようにくすりと笑うと、ミダ・ルウ=シンは「うん……」といっそう嬉しそうに小さな目を瞬かせた。彼はあまりに巨大な図体をしているため、特別仕立ての雨具をかぶっているのだ。それは巨大なギバの毛皮を2頭ぶん縫いあわせた代物であり、きちんとフードもつけられていたので、毛むくじゃらの巨大なてるてる坊主といった趣であった。
そうして俺たちが再会の喜びを分かち合っていると、少し離れた場所から「きゃー!」と可愛らしい悲鳴が響きわたる。
何事かと思って振り返ると、カーツァがセルフォマの長身に取りすがりながら、がくがくと震えていた。どうやらミダ・ルウ=シンの巨体に恐れをなしてしまったようである。
「大丈夫か、カーツァよ? こちらのミダ・ルウ=シンは大きな姿をしているが、ひときわ純真な気性をしているので懸念は不要だぞ」
アイ=ファが落ち着いた声音でそのように呼びかけると、カーツァは幼子のように怯えた面持ちでセルフォマの身を抱きすくめる。表情を乱してはならじという東の掟も、すっかり吹き飛んでしまったようだ。
「そ、そ、そちらの御方は人間なのですか? わ、私はてっきり、ゲルドやマヒュドラに生息するムフルの大熊なのかと……」
「私はそのムフルなる獣を知らんが、ミダ・ルウ=シンはれっきとした森辺の狩人だ。これでも存外に、可愛らしい顔をしているのだぞ」
出会った頃は肉塊をこねあわせたような面相で不気味な印象もあったミダ・ルウ=シンであるが、今は余剰の肉がやや落とされて、饅頭のようにまん丸の顔になっている。ミダ・ルウ=シンはころころとした指先でフードをはねのけて、その愛嬌のある顔を雨にさらした。
「びっくりさせちゃって、ごめんなさいなんだよ……? シムの客人とは仲良くするように言われてるから、ミダ・ルウとも仲良くしてほしいんだよ……?」
カーツァの腕でぎゅうぎゅうと締めあげられながら、セルフォマは淡々と東の言葉を紡ぐ。カーツァもまた震える声でそれに答えてから、律儀に通訳の仕事を果たしてくれた。
「わ、私はラオの王城の副料理長、セルフォマ=リム=フォンドゥラと申します。こちらは通訳の仕事を担ってくれている、カーツァ=リム=エスクトゥと申します。カ、カーツァにも悪気はありませんので、何卒ご容赦をお願いいたします。……と、仰っています」
「うん……セルフォマもカーツァも、どうぞよろしくなんだよ……?」
ミダ・ルウ=シンは、またぷるぷると頬を震わせる。肉が邪魔をして表情を動かせないのは相変わらずであるが、その瞳にきらめくのは純真無垢の眼差しだ。表情を動かさないまま交流を深める東の民であれば、ミダ・ルウ=シンの本質を見間違うこともないはずであった。
「……出迎えが遅くなって、失礼した。こちらの家人が、何か礼を失してしまったであろうか?」
と、母屋の中から大勢の人間がわらわらと姿を現す。その先頭に立ったシン・ルウ=シンが、凛々しい面持ちでこちらに近づいてきた。
「ミダ・ルウが、客人をびっくりさせちゃったんだよ……? 悪いのはミダ・ルウだから、反省するんだよ……?」
「お前のうなり声と客人の悲鳴は、家の中まで聞こえていたぞ。アスタたちと再会できて嬉しいのはわかるが、あまりはしゃぎすぎないようにな」
シン・ルウ=シンはミダ・ルウ=シンの分厚い胸もとをぽんと手の甲で小突いてから、客人たちに向きなおった。
「俺はシンの家長、シン・ルウ=シンだ。家人の非礼は俺から詫びさせていただくので、どうか容赦を願いたい」
「い、いえ。そちらの御方は何も礼を失しておられませんので、謝罪は不要です。こ、こちらこそ不調法に声をあげてしまい、申し訳ありませんでした。……と、仰っています」
カーツァがそのように通訳すると、アイ=ファが苦笑まじりに口をはさんだ。
「セルフォマの言葉を伝えるばかりでなく、カーツァも何か語るといい。どうかカーツァも、ミダ・ルウ=シンと正しき絆を結んでもらいたく思うぞ」
「は、はい……こ、このように大きな御方を目にしたのは、生まれて初めてでしたので……ついつい大熊などと見間違えてしまいました。こ、こちらこそ、謝罪を申しあげます。……あっ! セ、セルフォマ様も、申し訳ありませんでした!」
と、カーツァは真っ赤になりながら、ようやくセルフォマの身を解放した。
ただし、西の言葉で謝罪しても、セルフォマには伝わらない。それに気づいたカーツァが東の言葉で語りながらぺこぺこと頭を下げると、セルフォマはひとつうなずき返してから俺たちに向かって言葉を発した。
「お、お騒がせしてしまって申し訳ありません。私どものことはかまわず、どうぞお役目をお果たしください。……と、仰っています」
「そうだな。アスタたちは、仕事を始めるといい。すべての家人に話は通しているので、どのかまど小屋も自由に使ってもらいたい」
そんな風に言ってから、シン・ルウ=シンは切れ長の目に温かな光をたたえた。
「それで……できれば客人ともどもアスタたちも晩餐に招きたいのだが、了承をもらえるだろうか?」
「うん、もちろん。こっちからお願いしたいぐらいだよ」
俺がそのように答えると、シン・ルウ=シンは「そうか」と目もとで笑ってくれた。
するとそこに、雨具をかぶったララ=ルウが近づいてくる。ララ=ルウは屈託のない笑顔で、「やあ」と言った。
「実は、あたしとリミもそっちの晩餐の準備を手伝うように申しつけられたんだよね。けっこうな人数になっちゃうけど、大丈夫かな?」
「うむ。アスタの力を借りることができても、かまど番の手はいささか足りなくなりそうだ。ララ=ルウの申し出を、ありがたく思う」
「あはは。ミダ・ルウ=シンだけで、5人前は食べるもんねー。タリ・ルウ=シンは、毎日大変だ」
家を分けてからふた月以上が過ぎ去っても、ふたりの様子に変わりはなかった。落ち着いた表情で、おたがいを信頼しきっている眼差しだ。城下町では他なる面々と語らう姿ばかりを目にしていたので、ふたりがこのような眼差しを交わすさまを目にするのもずいぶんひさびさのことであった。
「まったく、到着するなり騒がしいことだな。仕事があるなら、さっさと取り掛かるがいい」
と、シン・ルウ=シンの背後に控えていた人影のひとつが、ずいっと進み出てくる。古傷だらけの顔で猛々しく笑う、ディグド・ルウ=シンである。そちらは相変わらず、野獣のごとき生命力を発散させていた。
「ディグド・ルウ=シンも、おひさしぶりです。こんな大人数で集落を騒がせてしまって、申し訳ありません」
「それを決めたのはこちらの家長なのだから、お前が詫びる必要はあるまい。……お前たちはまた、面倒な仕事を引き受けた身であるのだしな」
ディグド・ルウ=シンは不敵に笑いながら、その場に集結したかまど番たちを見回した。
「またこのような大人数で、城下町に乗り込むわけか。まあ、長々と続いた騒ぎも、これでようやく一段落だ。せいぜい励んで、シムの連中を見送ってやるがいい」
「はい。俺たちが心置きなく働けるのも、みなさんが集落を守ってくださっているからこそですよ」
「ふん。守りも攻めも、おろそかにすることはできんからな」
ディグド・ルウ=シンは、外界に興味を抱いていない。自分の役割は狩人の仕事を果たすことだと割り切って、粛々と日々の仕事を果たしているのだ。
しかしまた、外界との交流を否定しているわけではないし、邪神教団の騒乱では自ら率先して討伐部隊に加わった。彼はとにかく、個々の立場に見合った責任を果たすべき、というスタンスであるのだ。それは、ルティムの長老ラー=ルティムにも通ずる心意気であった。
(俺は集落を守ることもギバを狩ることもできない、森辺のかまど番だ。だから、かまど番としての本分を全うしよう)
俺はそんな思いを新たにしながら、本日の仕事に取り掛かることにした。
今日の議題は、宴料理の作業工程の確認だ。19名のかまど番が滞りなく働けるように、今日と明日で段取りを整える必要があった。
それが終了したならば、シン本家で晩餐である。
シン・ルウ=シンとミダ・ルウ=シン、リャダ・ルウ=シンとタリ・ルウ=シン、ふたりの弟たち、俺とアイ=ファ、ララ=ルウとリミ=ルウ、セルフォマとカーツァ――そんな面々で晩餐を囲んだならば、どのような賑わいが生じるのか。それを想像しただけで、俺の胸は弾んでならなかったのだった。




