ルウの末妹の生誕の日③~祝いの晩餐~
2024.8/21 更新分 1/1
「ほ、本日もご指南ありがとうございました。……と、仰っています」
下りの五の刻の少し前、見物人の一行はルウ家を辞去することになった。
本家の母屋の前には、森辺の荷車と城下町のトトス車が2台ずつ持ち出されている。『王子の耳』の面々はこのまま城下町に帰還するが、セルフォマたちはディンの家に向かうのだ。ここからのホスト役となるトゥール=ディンは、無表情のセルフォマにおずおずと微笑みかけた。
「そ、それではディンの家にご案内します。その前に、他の方々をそれぞれの家にお送りしますので……」
「しょ、承知いたしました。お手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。……と、仰っています」
小雨の中、4台の車が森辺の道へと消えていく。そのさまを見送ってから、ミーア・レイ母さんは「やれやれ」と首筋をもみほぐした。
「慌ただしくって、見てるこっちのほうが疲れちまうね。あんな細っこいのに、シムの娘っ子ってのは元気なもんだ」
「ええ。体力そのものは森辺の女衆のほうがまさっているのでしょうけれど、調理にかける熱情に関してはシムの方々も負けていないようですね」
「うん。これじゃあ、レイナも躍起になるわけだ。……じゃ、ターラを呼んでくるよ」
ターラは俺と一緒にバースデーケーキを仕上げる手はずになっているのだ。ミーア・レイ母さんが土間から呼びかけると、やがてターラがちょこちょこと姿を現した。
「もう晩餐をつくる時間なんだね! 楽しいから、あっという間に時間がすぎちゃった!」
「そうかいそうかい。それじゃあ、この後もよろしくね」
自前の雨具を着込みながら、ターラは「うん!」と元気にうなずく。その天使のように無垢なる笑顔は、本当に幸せそうだった。
そうしてかまど小屋に引き返すと、レイナ=ルウとララ=ルウはすでに調理を進めている。マイムとミケルはすでに帰宅したので、この5名で祝いの料理と菓子を作りあげるのだ。血族ならぬ俺やターラがこの中に加えてもらえるのは、本当にありがたい話であった。
「それじゃあ俺たちは、菓子の準備を進めます。あるていど目処がついたらそちらを手伝えると思いますので、そのときは声をかけますね」
「ああ、よろしくお願いするよ。最近は、あたしの手に余ることも多いからさ」
陽気に笑いながら、ミーア・レイ母さんはそう言った。以前のミーア・レイ母さんはルウの血族で指折りの腕を持つかまど番であったが、年を重ねるごとに重要な役割を若い女衆に引き継がせて、見守る立場になりつつあったのだ。それは、すべての女衆の束ね役という立場であるがために、かまど仕事にばかり専念はできないという事情があってのことであるようであった。
よって、屋台の下ごしらえの取り仕切りなどもレイやミンやルティムといった眷族の女衆に任せて、ミーア・レイ母さんは身を引いている。そうする内に、かまど番としての力量も若い女衆のほうがまさり始めたわけであった。
(まあ、食材は年々増えてるし、それにともなって新しい知識や技術が必要になってくるから……後進を育てるっていう意味では、正しい判断なんだろうな)
そんな感慨を噛みしめながら、俺はターラとともに仕事を進めた。
ターラはそれほど菓子作りに手馴れていないため、俺が細かな指示を与えながらともに進めていく形となる。いくぶん非効率ではあったが、ターラが手掛けるということが重要であるのだ。幼き少女たちの絆の前では、効率など二の次であるのだった。
「あらためて、今日はご一緒することができてよかったね。俺も嬉しいよ」
俺がそのように呼びかけると、真剣な面持ちで泡立て器を振るっていたターラは「うん!」と笑顔を覗かせた。昨年はルディ=ルウを生んだばかりであったサティ・レイ=ルウの体調が思わしくなかったため、ターラは訪問を遠慮していたのだ。リミ=ルウの生誕の日に2年ぶりに招かれたターラは、本当に幸せそうだった。
そんなターラはリミ=ルウよりもひと足早く、11歳になっている。出会った頃は8歳であったターラやリミ=ルウが、もう11歳であるのだ。ずっと顔を突き合わせているので実感は持ちにくいが、ずいぶん背だってのびているし、外見も中身も大人びているのだろう。ただその笑顔の無邪気さだけは、まったく変わっていないように感じられた。
「そういえば、ターラもずいぶん髪がのびてきたみたいだね」
俺がそんな声をあげると、たちまちターラのなめらかな頬に血の気がさした。
「う、うん。リミ=ルウが髪をのばすなら、ターラものばしたいなって思って……やっぱり、おかしい?」
「ちっともおかしくなんてないよ。ターラも綺麗な髪の色をしているから、長くのばしたらもっと素敵になりそうだね」
「そ、そんなことないよぅ」と、ターラは気恥ずかしそうに身をよじる。しかし実際、ターラはけっこう独特な焦げ茶色の髪をしており、髪質もすっきりとしたストレートであったため、ロングヘアーが似合いそうであったのだ。
「もう少し長くなったら、無理なく結えそうだね。俺なんて癖っ毛の上に猫っ毛だから、ちょっと放っておくとぼさぼさになって、もう大変なんだよ」
「猫っ毛って、猫みたいな毛ってこと? アスタおにいちゃんの髪って、リミ=ルウみたいにふわふわしてるもんね!」
「うんうん。でも俺がリミ=ルウみたいに長くのばしたら、大変なことになっちゃいそうだろ?」
「あはは! ちょっと面白いかも! 花飾りとかつけたら、かわいいんじゃない?」
そんな感じに、俺たちは楽しく作業を進めることができた。
やがてスポンジケーキの生地が仕上がったならば、表の石窯にセットする。その間にクリームの下準備も進めつつ、俺は料理のほうも手伝うことにした。
「よー、やってんなー。腹ぺこだから、さっさと頼むぜー?」
しばらくして、戸板からルド=ルウが顔を覗かせた。日没の刻限が近づいて、狩人たちも森から戻ったのだ。ターラが笑顔で振り返ると、ルド=ルウは「よー」と白い歯をこぼした。
「ここでちびターラを見るのは、ちょっとひさびさだなー。ま、雨季の間は祝宴も開けねーもんなー」
「うん! また祝宴があったら、ターラも呼んでくれる?」
「それを決めるのは、親父だよ。てか、雨季が明けたらユーミたちが婚儀を挙げるんじゃねーの? あっちはきっと、町の人間もどっさり呼ぶだろ」
「どうだろうね。森辺の祝宴となると、セルフォマがまた興味を抱きそうだけど……まあ、それを決めるのも族長やバードゥ=フォウたちか」
俺がそのように答えると、ミーア・レイ母さんが「いやいや」と声をあげた。
「その話ばっかりは、ジェノスの貴族も黙ってないんじゃないのかね。何せ、宿場町の娘が森辺に嫁入りするって話なんだからさ」
「あー、ヴィナ姉んときも、貴族を招いたんだっけか。でもアレは、アルヴァッハたちが言い出したことだよなー」
「うん。シュミラル=リリンは、もともと東の民だったからね。で、シュミラル=リリンは西方神に神を移したけど、ジェノスの民ってわけじゃなかったからさ。やっぱりユーミとは、重みが違うんだろうと思うよ」
「ふーん。でも、ジーダに狩人の衣が贈られる祝宴なんかには、貴族どもも顔を見せなかったよな。マイムやミケルだってトゥランの民なんだから、ユーミと立場は同じようもんだろ?」
「あれはふたつの家を丸ごと森辺の家人に迎え入れるって話だったから、また違う話になるんじゃないかねぇ。ユーミの場合は宿場町に家族を残したまま嫁入りするから、これっきりの話じゃないってこったよ。あたしがジェノスの貴族でも、そりゃあ関心を引かれるさ」
そうして話が難しい方向に傾くと、ターラは心配げな顔になってしまう。
それに気づいたミーア・レイ母さんが、ターラに笑いかけた。
「でも何にせよ、ターラはユーミと仲良しだってんだろう? 族長たちはもちろん、ジェノスの貴族たちだってそういう話をないがしろにはしないだろうさ。婚儀の日が来たら、あんたもめいっぱいお祝いしてやりな」
ターラは安心した様子で、「うん!」と笑顔を取り戻した。
そうしてその後も、賑やかに時間が過ぎていき――窓の外がすっかり暗くなった頃、祝いの料理が完成した。
バースデーケーキのクリームは食べる直前に仕上げる必要があるため、そちらは大事に保管しつつ、まずは料理を母屋に運び込む。そこで、アイ=ファも手を貸してくれた。
「やあ。今日もたっぷり、みんなと語らえたみたいだな」
「うむ。お前のおかげでな」
俺だけに聞こえる声で囁いて、アイ=ファはもっとも重い鉄鍋を受け持ってくれた。
広間には、すでに家人が集結している。最長老のジバ婆さん、家長のドンダ=ルウ、その母のティト・ミン婆さん、長兄のジザ=ルウ、その伴侶のサティ・レイ=ルウ、その子たるコタ=ルウとルディ=ルウ、末弟のルド=ルウ、末妹のリミ=ルウ――あとはかまど仕事を務めた5名とアイ=ファも着席して、総勢は14名だ。数日前に開かれたジバ婆さんの生誕の祝いに、ターラを加えた顔ぶれであった。
本日も、1歳児のルディ=ルウは母親の腕の中でじたばたともがいている。その元気な有り様に心を和ませながら、俺はドンダ=ルウの言葉を拝聴した。
「……末妹リミが健やかに1年を過ごせたことを祝い、また新たな1年を健やかに過ごせるように願う」
ドンダ=ルウとジバ婆さんの間に座らされたリミ=ルウは、輝くような笑顔で「はーい!」と応じる。ドンダ=ルウは厳粛な面持ちのまま、リミ=ルウの赤茶けた髪に立派なミゾラの花をさした。花弁の色合いは、純白だ。
その後も続々と、家族が祝いの言葉と花を捧げていく。リミ=ルウの頭や胸あては色とりどりの花に埋め尽くされて、そのたびにリミ=ルウの笑顔も輝きを増していった。
ルディ=ルウを除くすべての家族が花を捧げるのを待って、俺とアイ=ファとターラもリミ=ルウの前に進み出る。まずはアイ=ファが、リミ=ルウの胸もとに真紅のミゾラをさした。
「今年もリミ=ルウの生誕の日を祝うことができて、心から嬉しく思っている。どうかこれからも健やかな日々を過ごしてほしい」
言葉の内容は厳粛であるが、アイ=ファの眼差しはとても優しい。リミ=ルウもいっそうの明るい笑顔で「うん!」とうなずいた。
俺は髪に隙間を探して、そこに黄色のミゾラをさす。髪をのばし始めてから1年が経ち、リミ=ルウのふわふわとしたウェービーヘアーは肩をわずかに越えるぐらいの長さになっていた。
「リミ=ルウ、生誕の日おめでとう。リミ=ルウがもう11歳だなんて、なんだか信じられないよ。あと2年ぐらいで、俺が出会った頃のララ=ルウに追いついちゃうんだね」
「えへへ。あの頃のララより、リミのほうがおとなでしょー?」
「あはは。ララ=ルウを怒らせたくないから、答えは差し控えておこうかな」
ララ=ルウは「なんだよー」と文句をつけたが、その声も笑っている。このていどの軽口では怒らないぐらい、彼女も成長しているのだった。
そうして最後は、ターラである。
町にはミゾラの花が生えないので、紫陽花のように小さな花弁が寄り集まった白い花だ。それをリミ=ルウの胸もとに捧げてから、ターラは笑みくずれた。
「リミ=ルウ、おめでとー! これでまた、いっしょの年だね!」
「うん! ターラに追いついた!」
リミ=ルウはこらえかねたように、ターラのほっそりとした手をぎゅっと握りしめる。
そうして星のように輝く瞳でおたがいの姿を見つめ合ってから、ようやくふたりは手を離した。
リミ=ルウは上座にいないといけないため、下座の俺たちとはもっとも遠い場所になる。ただその代わりに、真正面の位置取りでもあるのだ。数メートルばかりの距離が生じても、ふたりはずっと視線で結ばれていた。
「では、祝いの晩餐を開始する」
ドンダ=ルウが食前の文言を唱え、俺たちはそれを復唱する。ジバ婆さんの生誕の日からわずか数日しか経過していないものの、その喜びに変わりはなかった。
「それじゃあ、存分に楽しんでおくれ。今日はあちこちに仕掛けがあるから、驚かないようにね」
ミーア・レイ母さんが汁物料理を準備しながらそのように言いたてると、リミ=ルウは「えーっ!」とはしゃいだ声をあげた。
「見た目はいつもといっしょみたいだけど! リミも知らない仕掛けなのー?」
「ああ。知ってるのは、今日の修練に取り組んだかまど番だけさ」
本日の献立はギバ・カツにコロッケにトライプ仕立てのクリームコロッケという揚げ物三昧で、そちらにはノマの粉も使われているのである。さらに、生野菜サラダにもノマを使ったドレッシングが準備されていた。
汁物料理は豆乳仕立てで、そちらにはギバのモモ肉と牡蠣のごときドエマとカニのごときゼグの団子が使われている。ギバとドエマの調和に関してはもう完成されていたので、そこに新参のゼグが加えられたのだ。ギバともドエマとも相性が悪くないゼグは、大した苦労もなく調和してくれたのだった。
あとは副菜として、ゴボウのごときレギィとレンコンのごときネルッサのグリルマリネや、チンゲンサイのごときバンベとキノコ類とギバ肉の貝醬炒めなども準備されている。雨季の野菜であるトライプやレギィが使えるのも、残すところはあと20日ていどであった。
「おー、なんだこりゃ? なんか、いつもと食べ心地が違ってんなー」
好物のコロッケから口をつけたルド=ルウが、まずはそのように声をあげた。ちなみに雨季の間はトマトのごときタラパが使えないため、とんかつソースではなくタルタルソースを添えている。
「ああ、本当だねぇ……なんだか、いつも以上に心地好いように思うよ……」
と、ジバ婆さんも皺くちゃの笑顔でそのように評する。歯の弱いジバ婆さんはギバ・カツが食せないため、メンチカツを準備していた。
「ほんとだー! さくさくしてて、いつもよりおいしー! これ、どーやったの?」
リミ=ルウが驚嘆の表情で身を乗り出すと、ララ=ルウが「ふふん」と鼻を鳴らした。
「明日の勉強会に顔を出せば、答えはわかるんじゃない? あーでもこいつはしっかり完成しちゃったから、明日はもう別の食材に取り掛かるのかなー」
「ララのいじわるー! アスタは、教えてくれるよね!」
「うん。これは、ノマを削った粉を衣に加えてるんだよ。分量を決めるのにちょっと手間がかかったけど、悪くない仕上がりだろう?」
「ノマ? ノマってあの、チャッチもちみたいなやつ? へー、それでこんなさくさくになるんだー! ふしぎだねー!」
ギバ・カツを頬張ったリミ=ルウは、さらに生野菜のサラダをかきこむ。キャベツのごときティノは使えないため、レタスのごときマ・ティノを主体にしたサラダだ。そちらには、レモンのごときシールを主体にしたドレッシングが使われており――そこでリミ=ルウは、「んー?」と小首を傾げた。
「これもなんか、いつもと違う感じがするけど……でも、リミのかんちがいかなー?」
「いや、そのドレッシングにもノマが使われてるんだよ。レテンの油の代わりだね」
「えーっ! こっちも、ノマなのー? ノマって、色んな料理に使えるんだねー!」
やはり生誕の日ということで、リミ=ルウは普段以上に情感が豊かなようである。
俺がそのさまに胸を温かくしていると、サティ・レイ=ルウの配慮で俺とルド=ルウの間に座らされていたコタ=ルウがくいくいと袖を引っ張ってきた。彼の小皿にのせられているのは、かじりかけのクリームコロッケだ。
「くりーむころっけも、すごくおいしい。これも、ノマ?」
「うん。揚げ物の衣には、みんなノマを使ってるよ。コタ=ルウもお気に召したかな?」
「うん。すごくおいしい」
コタ=ルウは、にこりとあどけなく微笑む。俺の心は、温かくなるいっぽうであった。
「アスタたちは、また新しい食材の新しい使い道を思いついたんだねぇ。たった数日で、大したもんじゃないか」
ティト・ミン婆さんのコメントに、サティ・レイ=ルウが「ええ、本当に」と応じる。
「新しい食材を手に入れて、まだ10日ていどですものね。シムの方々も、たいそう感心されたのではないですか?」
「そうですね。セルフォマは内心がわかりにくいですけれど、おほめの言葉を何度かいただくことになりました」
「……セルフォマは、相変わらずの様子なのであろうか?」
と、サティ・レイ=ルウのかたわらからジザ=ルウも問いかけてくる。ジザ=ルウも、試食の祝宴でわずかながらにセルフォマと相対することになったのだ。
「はい。でも、多少ながら打ち解けてくれたような気もします。今日なんかは、冗談も口にしてくれましたしね」
「冗談……セルフォマが?」
「ええ。まったく態度が変わらないので、最初は本気で怒っているのかと思いましたけれど」
すると、隣のアイ=ファがずいっと顔を寄せてきた。
「お前は何か、あやつを怒らせかねないことを口にしたのか?」
「いや、セルフォマの言葉につい笑っちゃっただけなんだけどな。本気で怒らせたのかと思って、最初はちょっと驚いたよ」
「そうか。まあ、あやつは森辺のかまど番にひとかたならぬ対抗心を抱いているようだから、言葉や態度には気をつけるがいい」
「うん。今頃は、トゥール=ディンたちと楽しくやってるかな」
ディンの本家は家長がしっかりしているし、その他のご家族は大らかであるので、きっと心配はいらないだろう。ただ、対抗心を向けられたトゥール=ディンが慌てていないことを祈るばかりであった。
「うーん! ぎばかつもころっけもおいしーね! ね、ターラ?」
と、リミ=ルウがふいに遠い場所から呼びかけると、ターラはすぐさま「うん!」と笑顔を返した。
「ターラには違いとかよくわからないけど、すごくおいしいよ!」
「あー、ドーラの家ではぎばかつやころっけは作らねーって話だったもんなー。こーゆーのって、そんなに手間がかかるのかー?」
「うん。レテンの油がたくさん必要だし、使った油を放っておくとおいしくなくなっちゃうから作らないって、母さんたちが言ってた」
「ふーん。よくわかんねーけど、残念だったなー。屋台でも、ぎばかつやころっけとかは売ってねーんだろ?」
「うん。だから、森辺で食べられるのが嬉しいの」
ターラが無垢なる笑顔で答えると、ミーア・レイ母さんが「そうそう」と声をあげた。
「雨季が明けたらターラを祝宴に招いてやりたいところなんだけどね。やっぱりそういう話は、シムのお人らが帰るのを待つことになるのかい?」
ドンダ=ルウは汁物料理をすすってから、「そうだな」と答えた。
「東の連中は雨季が明ける前には帰るつもりだと抜かしていたから、ちょうどよかろう。まあ、かまど番の娘たちは居残るやもしれんという話であったが……ゲルドのかまど番と同じように扱ってやれば、文句はなかろうよ」
「ああ、プラティカを招くような祝宴だったら、あのセルフォマってのを招いてもかまわないってことかい。やっぱりちゃんと考えてくれてるんだね」
ミーア・レイ母さんは伴侶に笑いかけてから、そのまま笑顔をターラに向ける。ターラもまた、嬉しそうな笑顔でそれを見返した。
「しかし、セルフォマたちがジェノスに居残るかどうかは、今の働き次第という話であったな?」
今度はジザ=ルウが問いかけてきたので、俺が「はい」と応じる。
「森辺での手ほどきが、交易の役に立つかどうかで決定するという話でしたね。セルフォマは熱心に取り組んでいますから、きっと実を結ぶんじゃないかと思いますけれど……最後に決めるのはリクウェルドなので、なんとも言えませんね」
「リクウェルドか。我々が顔をあわせるとしたら、あとは送別の祝宴ぐらいなのであろうな」
「でも雨季なんて、あと5日ぐらいで明ける見込みだろ? 祝宴ではまたアスタにかまど仕事を押しつけるつもりらしいけど、いつになったら決まるんだかなー」
「どうであろうな。かまど仕事の話がなければ、我々には関わりなき話だが……ともあれ、マルスタインからの連絡を待つ他あるまい」
やはり話題は、東の王都の使節団に傾きがちである。しかしそれも、終わりの日が近づいているがゆえであった。
「……森辺のみんなはシムの王子さまやえらい人にも怖がったりしないからすごいって、母さんとかが言ってたよ」
と、ターラが誰にともなくそのように述べたてた。
まず真っ先に反応するのは、やはりリミ=ルウである。
「それって、すごいのかなー? ポワディーノはいい子みたいだから、怖がる必要はないと思うよー?」
「い、いい子? その人が、シムの王子さまなんでしょ?」
「うん! でも、リミたちと同い年だからなー! あっちは藍の月が生誕の日だから、まだ10歳だしね!」
リミ=ルウは屈託なく、にぱっと笑った。
「しつれーがあったらいけないから、リミはあんまりおしゃべりしてないけど! でも、アスタたちがいい子って言ってるから、きっといい子なんだよ! ぜ、ぜるるぁい? っていう、おっきい猫みたいな子もかわいーしね!」
「そのでっけー猫みたいな獣に、ジャガルの兵士は殺されかけてたけどなー。何にせよ、ターラの親が言ってんのは身分のことなんじゃねーの?」
「うむ。我々は我々なりに、礼を尽くしているつもりであるからな。それで足りなければ、ジェノスの貴族がたしなめてくれよう」
ジザ=ルウが厳粛なる声音で口をはさむと、ターラはまぶしいものでも見るように目を細めた。
「森辺のみんなは心が強いから、誰が相手でも堂々とできるんだろうって言ってたよ。だからやっぱり、すごいと思うの」
「あたしらは、ふてぶてしいだけだと思うけどね。ラウ=レイあたりを好きにさせてたら、一発で叱られてたかもしれないしさ」
ララ=ルウは、本気とも冗談ともつかぬ調子でそう言った。
ジザ=ルウは「そうだな」と息をつく。
「正直に言って、俺もラウ=レイを使節団に近づけたくないと考えている。送別の祝宴でも、席を分けてほしいものだな」
「いやー、さすがに送別の祝宴は、そういうわけにはいかないんじゃない? 自分たちを見送る祝宴で姿を隠すなんて、きっと礼を失してるんだろうからさ。そんな真似が許されるのは、せいぜいポワディーノぐらいでしょ。ポワディーノは、使節団の一員でもないわけだしね」
そんな風に言ってから、ララ=ルウは力強く笑った。
「それに、白鳥宮の語らいではラウ=レイも使節団のお人らと顔をあわせてるんでしょ? それで問題なかったんなら、心配はいらないんじゃない?」
「あの日は俺が、ラウ=レイの手綱を握っていたのだ。おかげで、自分の語る時間をずいぶん失うことになった」
「じゃ、次はヤミル=レイに付き添ってもらったら? かまど番は余所からでも出せるんだし、ヤミル=レイには貴族の相手をしてもらったほうが実りが大きいんじゃないかな」
「……そうだな。家長ドンダ、その方向で話を進めても問題はないでしょうか?」
「好きにしろ」と、ドンダ=ルウは素っ気なく言い捨てる。
そして、ターラはそんなさまをじっと見つめていた。たぶんこういうやりとりも含めて、ターラは感心しているのだろう。森辺の民はただふてぶてしいだけではなく、自分たちなりに力を尽くして貴族との正しい関係性を目指しているのだった。
「それじゃあそろそろ、菓子の準備をしようか」
祝いの料理があらかた片付いたタイミングで、俺はターラに耳打ちした。
「うん!」とうなずくターラとともに、俺は中座を願い出る。そして当然のように、アイ=ファも同行してくれた。
幸いなことに、雨はやんでいる。それでも用心して雨具を羽織った俺たちは速足でかまど小屋を目指し、出番を待っていたバースデーケーキの仕上げに取り掛かった。
「見事なものだな。これならリミ=ルウも、いっそう喜ぶに違いない」
じょじょに完成されていくバースデーケーキを前に、アイ=ファは満足そうにつぶやく。
「なおかつ、ターラがともに手掛けたということで、リミ=ルウの喜びはいっそうふくれあがるのだ。今年はターラも参ずることができて、私は心から喜ばしく思っていたぞ」
「うん! ターラもすごくうれしい! ……来年も再来年も、ずっとリミ=ルウのお祝いをできたらいいなぁ」
と、ターラはしみじみと息をついた。
だったらユーミのように、森辺に嫁入りしてしまえばいい――という言葉が俺の体内に渦巻いたが、それは自然と胸の内に収まった。たとえ相手が11歳の幼き少女でも、そんな言葉は軽はずみに口にするべきではないのだ。俺やユーミやシュミラル=リリン、ミケルやマイム、バルシャにジーダは、みんな強い覚悟をもって森辺の家人になることを選んだのだった。
(森辺で婚儀が許されるのは、15歳……あと4年もあったら、何がどう転ぶかもわからないさ)
もしかしたら、ターラは森辺の誰かに恋心を抱くかもしれない。あるいは町の若者と結ばれて、そうそう森辺には出向けない身の上になるかもしれない。どのような運命が訪れるかは、神のみぞ知るであったし――そして、どの道を選ぶかは、ターラ自身であった。
「よし、完成だ。雨のほうは、大丈夫かな?」
「うむ。母なる森の加護やもしれんな」
帰り道は、ゆっくりと慎重に歩を進める。
そうしてアイ=ファの先導で玄関をくぐると、そわそわしながら待っていたリミ=ルウが「わーい!」と両腕を振り上げた。
「すごいすごーい! それ、アロウのケーキなのー?」
「うん。トゥール=ディン直伝の仕上がりだから、味のほうもばっちりのはずだよ」
こちらのバースデーケーキは、トゥール=ディンが最近開発したアロウのクリームで仕上げたのだ。ただ生クリームにキイチゴのごときアロウの果汁を加えたのではなく、ストロベリーチョコレートを思わせる濃厚なクリームでスポンジケーキを包み込み、さらに純白の生クリームでデコレーションを施したのだった。
淡いピンク色のアロウクリームと白い生クリームで、外見からして可愛らしい。そして、赤ん坊のルディ=ルウを除く13名分を切り分けるのだから、特大サイズだ。その外見の華やかさは、これまでで一番なのではないかと思われた。
「いやぁ、こいつは立派な出来栄えだねぇ」
「あのアロウの菓子って、すっごく美味しかったもんね! いやー、どんな味なのか楽しみだなぁ」
「にしても、すげー大きさだなー。ルディと同じぐらいありそうだ」
「ああ……本当に立派なもんだねぇ……」
ルウ家の人々が、口々にそんな声をあげる。
そんな中、特大ケーキが車座の中央に配置されると、リミ=ルウはオディフィアに負けないぐらい瞳を輝かせながら俺とターラの顔を見比べてきた。
「ターラもアスタも、どーもありがとー! リミはぜったい、今日のことを忘れないよ!」
「こっちこそ、喜んでもらえて嬉しいよ。でも来年は、もっと立派なケーキを準備できるように頑張るよ」
「うん! ターラもがんばる!」
そうしてルウ家の広間には、これまで以上に温かい空気があふれかえり――リミ=ルウの11回目の生誕の日は、華々しくクライマックスを迎えたのだった。




