ルウの末妹の生誕の日①~勉強会(上)~
2024.8/19 更新分 1/1
・今回の更新は全7話です。
*2024.8/26追記
・アンケートの募集期間は終了いたしました。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
本日、2024年の8月19日をもちまして、当作は執筆10周年を迎えます。長きにわたってご愛顧いただき、深く感謝しております。
また、執筆10周年を記念して、キャラクターの人気投票と番外編の主人公を決定するアンケートを実施いたします。ご興味を持たれた御方は、活動報告のほうをご参照ください。
なお、こちらの企画は毎年開催しておりましたが、本年をもって終了させていただきます。これが最後の開催となりますので、ひとりでも多くの方々にご参加いただけたら幸いでございます。
城下町にて開催された試食の祝宴から、3日後――黄の月の6日である。
その日も俺たちは、そぼ降る雨の中で元気に屋台の商売に勤しんでいた。
そうして終業時間である下りの二の刻が近づくと、北の方角からトトスの車が近づいてくる。その手綱を引いているのは、ゲルドの料理番たるプラティカであった。
「アスタ、お疲れ様です。あちら、お待ちしています」
「はい。もう四半刻もしない内に、切り上げられると思いますので」
プラティカは凛々しい面持ちで「はい」とうなずき、そのまま街道を南に下っていく。
その荷台には、ニコラとセルフォマとカーツァが乗っているはずだ。試食の祝宴の翌日から、彼女たちはこうして毎日森辺の集落に参じているのだった。
ラオの王城の副料理長たるセルフォマは西や南の食材の扱い方を学ぶために、森辺のかまど番に手ほどきを願いたいと申し出た。そうして祝宴の翌朝、森辺の族長ドンダ=ルウが使者に了承の返事を伝えると、その日の午後からさっそくやってきたのである。プラティカとニコラはその付添人、カーツァは通訳のために同行を余儀なくされていた。
「プラティカたちだってここ最近は、三日連続で森辺に来ることなんてありませんでしたものね! セルフォマの熱心さには、感心してしまいます!」
そのように語るレイ=マトゥアに、俺は「そうだね」と笑顔を返した。
「まあ、ジェノスにはものすごい数の食材が流通してるからね。そのすべての扱い方を把握しようって考えたら、いくら時間があっても足りないんじゃないのかな」
「そうですよねー! 食材は少しずつ増えていったから、わたしたちは何とかなりましたけど! これをいっぺんに覚えるなんて想像しただけで、目がくらんじゃいそうです!」
レイ=マトゥアはにこにこと笑いながら、そう言った。
セルフォマというのはまったく内心の知れない人物であったが、調理に対する熱情だけは疑いようがない。その一点でもって、彼女は森辺のかまど番の多くから信頼を得ていた。また、彼女の手際の流麗さが、いっそうの信頼を集めたのだろうと思われた。
今ごろジェノス城においては、交易にまつわる会談が行われていることだろう。セルフォマは、その一助となるべく尽力しているのだ。ジェノスに存在するあまたある食材の中から、どの品をどれだけ優先して買いつけるべきか――それを選定するのが、セルフォマの役割であったのだった。
セルフォマは毎日この刻限にやってきて、翌朝の屋台の下ごしらえまで見学し、開店と同時に料理を買いつけて、それを食したのちに城下町へと帰還する。そうして数刻がかりでレポートをまとめて使節団の責任者たるリクウェルドに提出したのち、また俺たちのもとにやってくる。そんな過密なスケジュールで、三日目に突入したわけであった。
(まあ本当に、あの熱心さには頭が下がるよな)
なおかつ俺たちは、ジェノスとラオリムの友好的な関係を保つためにも、セルフォマと絆を深めてほしいと願われている。実際にそう口にしたのはポワディーノ王子のみであったが、少なくともジェノスの側も同じような思いを抱いているのではないかと思われた。
「ただ、こうして毎日セルフォマをお迎えしていると、デルシェアがやきもきしてしまうかもしれませんね」
ユン=スドラが、いくぶん心配そうな面持ちでそう言った。デルシェア姫も調理の修行のためにジェノスに滞在している身であったが、王子の息女という高い身分にあるため、なかなか城下町の外に出られないのだ。
「まあ、もともと雨季の間は外出を控えるって話だったけど……雨季が明けたら、また森辺に来たいって言い出すだろうからね。そのときはこっちも二手に分かれて、それぞれお相手するしかないかな」
「でもおふたりは、どちらもアスタの手ほどきを願うのではないですか?」
「そんなことはないよ。デルシェア姫はもちろん、セルフォマもこうして毎日顔を出していれば、俺以外のかまど番も大したもんだって思い知るはずさ」
「そうですよ! 以前はプラティカも、あちこちの家を巡ってましたしね! スドラの家なんて、しょっちゅうプラティカをお招きしていませんでしたっけ?」
レイ=マトゥアの無邪気な発言に、ユン=スドラはいくぶん気恥ずかしそうな顔をした。
「あれはただ、スドラの家がファの家に近かったからだと思います。……でも、懐かしいですね。プラティカを晩餐にまでお招きするのは、わたしも楽しかったです」
「プラティカは、魅力的なお人ですもんね! セルフォマはまだちょっとわからない部分もありますけれど、カーツァのことは好ましく思います!」
通訳のカーツァは人間味にあふれる少女であるため、セルフォマよりもさらに好評なのである。というよりも、カーツァが好ましく思われているために、セルフォマまで余波が及んでいるという面もあるのかもしれなかった。
ともあれ――こんな日々が、もう3日も続いている。
ポワディーノ王子や使節団の面々は会談で忙しいし、そもそも城壁の外にほいほい姿を現せる立場でないため、俺は試食の祝宴以来ご無沙汰であった。
そして、そんな彼らの帰国の日は着実に迫っている。
彼らは雨季が明ける前に出立するだろうという話であったし――雨季の終わりは、もう目前であるのだ。本格的な雨季の到来から丸2ヶ月で雨季が明けるとすると、残りはわずか5日間であった。
(つまり、この2ヶ月でそれだけの騒ぎがあったってことだよな)
奇しくも、ポワディーノ王子がジェノスにやってきたその日こそが、本格的な雨季に突入したと見なされた当日であったのだ。
ポワディーノ王子は雨季とともにジェノスにやってきて――そして、東の王家にまつわる騒乱が勃発した。そして現在に至るのだから、今年の雨季は東の王都にまつわる思い出で埋め尽くされているようなものであった。
(最初の年は、俺が『アムスホルンの息吹』を発症して……あと、北の民たちが森辺に道を切り開くことになって……次の年は、邪神教団にまつわる騒乱か。雨季は屋台の商売が物足りなくなるけど、そのぶん思わぬ事態が重なるなぁ)
しかし、邪神教団にまつわる騒乱ではチル=リムやディアに出会うことができたし、今年の騒乱ではポワディーノ王子や使節団の面々と出会うことができた。長い目で見れば有意義な日々であったと、俺はそのように信じていた。
「よし。それじゃあ、帰ろうか」
終業時間となる下りの二の刻、すべての片付けを終えた俺たちは街道に繰り出した。
そうしてまず向かうべきは、同じ露店区域で商売に励んでいるドーラの親父さんのもとである。屋台と荷車を運ぶ森辺の一行が近づいていくと、可愛らしい雨具をかぶったターラがこれ以上もなく顔を輝かせながら飛び出してきた。
「アスタおにいちゃん、おつかれさま! お仕事、終わったんだね!」
「うん、お待たせ。よければ、こっちの荷車に乗っちゃいなよ」
実は今日はリミ=ルウの生誕の日であるため、ターラも晩餐にお招きされているのである。ターラは瞳をきらきらと輝かせつつ、おやつをねだる子犬のようにもじもじとした。
「でも今日も、シムのえらい人がいっぱい来るんでしょ? ほんとにターラもおじゃましちゃっていいのかって、母さんたちが心配してたんだけど……」
「あはは。調理の見学に来るのはシムの偉い人じゃなくて、偉い人にお仕えする人たちだよ。そうでなくっても、ターラをお招きしたのはルウ家の人たちなんだからね。何も遠慮する必要はないさ」
ターラはぱあっと顔を輝かせながら、「うん!」とうなずいた。
その小さな背中を温かな眼差しで見守っていたドーラの親父さんは、ことさら豪放な調子で笑い声をあげる。
「何を言われたって乗り込むつもりのくせに、何をうだうだ言ってるんだかな! 子供は子供らしく、みんなの言うことを聞いておけばいいんだよ!」
「もー! 父さんはうるさいの!」
ターラはぷりぷりと怒ったが、その茶色い瞳には喜びの光があふれかえっている。ドーラの親父さんは肉厚の肩をひとつすくめてから、俺に向きなおってきた。
「じゃ、ターラのことはよろしく頼んだよ。何かあったら、遠慮なく叱りつけてかまわないからな」
「ターラに限って、そんなことにはなりませんよ。……色々と心配はおありでしょうけど、ターラは必ず無事にお返ししますので、ご家族のみなさんにもよろしくお伝えください」
「なに、シムの連中だって森辺の人らにお許しをもらって出向いてるんだろうから、俺はなんにも心配しちゃいないよ。そいつらが性悪な人間だったら、ドンダ=ルウが家に招くわけないもんな」
「ええ。それに関しては、俺も保証します。それじゃあ、また明日の朝に」
かくして、ターラと合流した俺たちはあらためて森辺に帰還することになった。
まずは《キミュスの尻尾亭》と《南の大樹亭》に屋台を返して、そののちに森辺へと通ずる小道を目指すと、手前の空き地に2台の車が待ちかまえている。その片方はプラティカが手綱を握っており、もう片方は『王子の耳』の一行であった。彼らも彼らで、森辺における調理の見学を継続しているのである。
「お待たせしました。今日の勉強会はルウ家で行いますので、そちらに向かいます」
俺がそのように伝えると、手綱を握っていた『王子の耳』のひとりがうっそりとうなずいた。
ここ最近の彼らはこの刻限まで、宿場町における情報収集に励んでいるとのことである。宿場町の宿屋を巡って、東の王都の食材の評判をリサーチしているのだそうだ。また、城下町では別の一団が同じ任務に励んでいるとのことであった。
藍色の面布とフードつきマントで人相を隠したその姿も、この2ヶ月ほどですっかり見慣れてしまった。陰気な印象であることに変わりはないが、もう出会った当初に抱いていた威圧感などは微塵もない。無言でひたひたと行動するその姿は、どこかユーモラスに思えるほどであった。
そんな面々を引き連れて、俺たちは森辺に帰還する。
本日は俺個人の修練の日であったが、会場はルウ家だ。それもまた、リミ=ルウの生誕の日が控えているためである。いまだ休息の期間で宿場町に同行していたアイ=ファも、朝からひそかにご機嫌の様子であった。
そうしてルウの集落に到着したならば、あらためて客人の面々と相対する。
プラティカにニコラ、セルフォマにカーツァ――そして本日は勉強会の内容に合わせて4名で編成された『王子の耳』だ。8名中の7名が、東の民であるわけであった。
「ようこそ、ルウの家に。って言っても、昨日と同じ顔ぶれだね」
雨具をかぶったミーア・レイ母さんが、笑顔で近づいてくる。昨日の勉強会はルウ家の日取りであったため、同じメンバーを客人として迎えていたのだ。なおかつ、シン家と家を分けたルウ家には3つの空き家が存在するため、客人たちはみんなそちらで夜を明かしたのだという話であった。
客人たちは、おのおのミーア・レイ母さんに一礼する。
金褐色の髪に紫色の瞳をして、ちょっぴりアイ=ファに面差しや雰囲気が似ているプラティカ。色白で、褐色の髪と瞳をした、いつも不愛想な面持ちであるニコラ。すらりとした長身で、静謐なる無表情に内心を押し隠したセルフォマ。まだ若年で小柄な体格をしており、頑張って無表情を保とうとしているが気弱な内面がこぼれがちであるカーツァ――そして、全身が藍色の『王子の耳』たちだ。ユニークな客人を迎える機会が多い森辺の集落であるが、この組み合わせもなかなかのものであった。
「でも今日はリミの祝いの日だから、晩餐は遠慮してもらうんだよね? アスタの修練が一段落したら、そのお人たちはどうするんだい?」
「はい。『王子の耳』の方々は、今日は真っ直ぐ帰られるそうです。プラティカたちはディンの家に移動して、晩餐の調理を見学するそうですよ」
「ああ、そうかい。もしディンの家が窮屈そうだったら、晩餐の後に空き家を貸してやれると思うよ?」
ミーア・レイ母さんのありがたい言葉に、トゥール=ディンが「あ、いえ」とひかえめに返事をした。
「おふたりずつに分かれていただければ、本家と分家でおあずかりできますので……せ、せっかくの申し出をふいにしてしまって、申し訳ありません」
「そっちで話がついてるなら、何も謝る必要はないさ。あんたはいつまで経っても、遠慮が抜けないね」
ミーア・レイ母さんが大らかな笑みを送ると、トゥール=ディンもはにかむように微笑んだ。
そのタイミングで、本家の母屋から新たな人影が飛び出してくる。雨具の裾を翼のようにひるがえしたその人影の正体は、夜の主人公であるリミ=ルウであった。
「みんな、おかえりー! ターラ、待ってたよー!」
東の面々の目をはばかって俺の背中に隠れていたターラも、とびっきりの笑顔で身を乗り出す。普段であれば遠慮なくハグし合う両名であったが、今はしとしとと小雨が降っているさなかであったため、おたがいの手を握り合うに留まった。
「リミ=ルウ、おめでとー! もうおうちの仕事は終わったの?」
「うん! あとは夜までいっしょにいられるよー!」
屋台の当番から外れていたリミ=ルウは、明日の下ごしらえに励んでいたのだ。それが完了したならば、今日の仕事はもう免除という手はずになっているはずであった。
「ジバ婆も、ターラが来るのを楽しみにしてたよー! ほらほら、アイ=ファも一緒にいこー!」
「うむ。しかし、私は――」
と、アイ=ファが迷うように視線をさまよわせたので、俺は笑いかけてみせた。
「昨日もずっとこっちに付き添ってくれたんだから、今日ぐらいはゆっくりしておきなよ。何かあったら、プラティカが知らせてくれるさ」
「……そうか」と、アイ=ファは口もとをごにょごにょとさせた。セルフォマたちの目があるので、表情を崩すことを控えたのだろう。
そうしてリミ=ルウがアイ=ファとターラの手を引っ張って母屋のほうに消えていくと、ミーア・レイ母さんは「やれやれ」と笑った。ドーラの親父さんと同様の、温かな眼差しだ。
「騒がしくしちまって、申し訳なかったね。それじゃあ、かまど小屋に案内するよ。……あ、今日も分家のかまど小屋を使うんだったね」
「はい。よろしくお願いします」
本来、俺個人の修練の日にはひとつのかまど小屋しか使用しない。ただ今日は見学者がこの人数であったため、分家のかまど小屋でも臨時の勉強会が敢行されるのだった。
俺と行動をともにするのはルウの血族、臨時の勉強会を行うのは小さき氏族の面々だ。そちらはマルフィラ=ナハムが中心になって竜の玉子という異名を持つ奇怪な食材フォルノ=マテラの研究に励むのと、それとは別にトゥール=ディンが菓子の研究を進める予定になっていた。
「それじゃあ、そっちも頑張ってね。どんな料理ができあがるのか、楽しみにしているよ」
「あ、い、いえ……た、たった1日ではどうにもできそうにありませんので……」
と、マルフィラ=ナハムはぺこぺこと頭を下げる。取り扱いの難しそうなフォルノ=マテラに関してはマルフィラ=ナハムに一任されてしまったので、小さからぬプレッシャーを感じているようだ。ただマルフィラ=ナハムの内側には、この奇妙な食材で美味なる料理を仕上げようという熱情がひそかにわきたっているはずであった。
トゥール=ディン、ユン=スドラ、レイ=マトゥア、リッドやダゴラやジーンやヴィンの女衆などが、マルフィラ=ナハムとともに分家のかまど小屋に向かっていく。『王子の耳』の2名がそちらに同行して、残る客人はこちらの見学だ。本家のかまど小屋に集結するのは、俺、ミーア・レイ母さん、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、マイム、ミケルの6名であった。
「それで、今日はどういった話に取り組もうという算段であるのだ?」
本家のかまど小屋で待ちかまえていたミケルが、ぶっきらぼうに問い質してくる。昨日も同じだけの客人を迎えていたので、気にする様子はまったくない。それを心強く思いながら、俺は「そうですね」と思案した。
「今日は既存の食材と新しい食材の相性というものを主題にしたいと思います。それなら、俺たちにとっても見学者の方々にとっても有意義でしょうからね」
「はい。そういった内容でしたら、セルフォマにも助言を仰げますものね」
と、レイナ=ルウが大いなる熱情をあらわにしながら声をあげる。新たな食材の研究に関して貪欲であるレイナ=ルウは、セルフォマを森辺に迎えることに強く賛同した筆頭であった。
「食材の相性か。いくつかの食材を除けば、べつだん困ることはなかろうがな」
「そういえば、ミケルは今回の食材に関して、どういったご感想をお持ちなのですか? これまであんまり詳しくお聞きする機会がありませんでしたよね」
昨日の勉強会も場所を分けたため、ミケルとはご一緒できなかったのだ。ミケルは客人たちの目を気にするでもなく、「ふん」と鼻を鳴らした。
「薬草の類いはどれも風変わりだが、まあ最初から複数の香草が入り混じっているとでも考えれば不自由もあるまい。魚介の食材はこれまでの食材と比べても扱いにくい風味ではないし、花油というやつも意外に使い勝手は悪くないようだ。だから、使い道を思いつかんのは……あの透き通った奇妙な食材と、果実の蜜漬けだな」
「えーと、ノマとペンシの蜜漬けですね。ノマはともかくとして、ペンシも扱いにくいという印象なのですか?」
「菓子の材料としては、なんの文句もない。しかし、あれほど甘い代物を料理に使う手立てなど、さっぱり思い当たらんな」
東の王都ではペンシの蜜漬けも料理に使われているという話であったし、実際にセルフォマも試食の祝宴で見事な品を披露していたのだ。ミケルとミーア・レイ母さんを除くこの場のかまど番たちは、みんなそれを口にしていた。
「うーん。あれは確かに、立派な料理だったけどさ。あたしとしては、自分で作りあげたいとまでは思わなかったかなー」
ララ=ルウの率直な意見に、ミーア・レイ母さんも「そうだねぇ」と賛同する。
「あたしはその見事な料理ってやつをいただいてないけど、さっぱり想像がつかないね。リミもあのペンシやノマとかいう食材は、菓子で使いたいと言っていたよ」
「うん。本当に、出来はまったく悪くなかったんだけどさ。食べなれないことに変わりはないから、あたしも菓子で使えれば十分って感じかな」
「ノマもペンシも、菓子だったらすぐに使い道を思いつきそうだよね。でも、だからこそ、料理でうまく活用できたら、新しい道が開けるんじゃないかな?」
レイナ=ルウがきりりとした面持ちで発言すると、ララ=ルウは気のない顔で肩をすくめた。
「レイナ姉が熱くなるのは、わかるけどさ。でも、ノマやらペンシやらの料理に感心してる男衆は、ほとんどいなかったじゃん? 町での商売や祝宴なんかでああいう料理を出したら評判になるだろうけど、森辺の晩餐では喜ばれないってことだよね」
「それを森辺でも喜ばれるように、工夫を凝らすべきじゃない?」
「それもひとつの考えだけど、あたしは苦労の少ない食材から片付けていきたいところかな。ややこしい食材に時間を取られたら、なかなか話が進まなそうだしね」
珍しくも、レイナ=ルウとララ=ルウの意見が真っ向から対立しているようである。
なおかつ、熱くなっているのはレイナ=ルウのほうだ。もともとはララ=ルウこそが姉妹で随一の直情的な人柄であったが、彼女はこの近年でずいぶん大人びているのだった。
「それじゃあ、セルフォマにもご意見をうかがってみようか。セルフォマは、どう思います?」
こちらのやりとりはリアルタイムで、すべてカーツァが通訳してくれている。セルフォマはすみやかに応答して、カーツァがそれを通訳してくれた。
「ひ、東の王都において、ノマはもともと料理の食材として扱われており、後年になって菓子にも使われるようになりました。ジェノスにおいてはノマに似たチャッチ餅という菓子が最初に考案されたため、菓子で使うほうが自然であるという印象になるのではないでしょうか? ……と、仰っています」
「なるほど。ペンシに関しては、如何でしょうか?」
「ペ、ペンシの蜜漬けはその反対で、もともと菓子の材料として扱われていたものが料理に転用された格好です。甘い食材を香草の効果で料理に仕上げるのが進歩的であるという風潮が強く、多くの料理人が意欲を燃やすことになったのでしょう。さらに、ペンシには穀物と似た滋養が多く含まれているとされているため、地域によってはシャスカの代わりに主食とされる例もあるようです。そういった背景から、自然に料理でも使われるようになったのかもしれません。……と、仰っています」
「なるほどなるほど。貴重なご意見、ありがとうございます」
俺はそれなりに納得して、レイナ=ルウに向きなおった。
「ペンシの蜜漬けは甘くて料理に転用するのが難しいから、それが料理人の創作意欲をかきたてるという面があるみたいだね。ただ、以前から言ってる通り、糖分のとりすぎは健康に悪いからさ。ペンシの蜜漬けを料理に使うなら菓子を控えるとか、そういう配慮が必要になるだろうね」
「なるほど。どんなに立派な料理を作りあげても、菓子が食べられないと残念がる人間は多いだろうねぇ」
ミーア・レイ母さんの言葉に、レイナ=ルウは迷うように視線を巡らせた。
「でも……ペンシをシャスカの代わりに食する人々もおられるというのでしょう? そういった方々は、菓子を食べずに過ごしておられるのですか?」
「い、いえ。ペンシを主食としているのは、シャスカが育ちにくくてペンシが育ちやすい地域で暮らしている人々となります。そういった地では新鮮なペンシを自由に収穫できますため、蜜漬けにする必要がないのです。アスタの仰る通り、ペンシの蜜漬けを主食とするならば、菓子の摂取を控えるべきかと思われます。……と、仰っています」
「そうですか……それでも城下町では、ペンシの蜜漬けを料理に使おうと考える方々が少なからずおられると思うのですけれど……」
「それで菓子を控えなかったら、健康を害することになりかねないからね。たまにの祝宴でだったら問題はないかもしれないけど、普段の晩餐では注意が必要なはずだよ」
「……そうですね」と、レイナ=ルウは肩を落とす。どれだけ調理に情熱を燃やしていても、健康を二の次にするようなレイナ=ルウではないのだ。また、森辺においても菓子がどれだけもてはやされているかは、レイナ=ルウも痛感しているはずであった。
「……そんなに落胆するような話なのか? ペンシやら竜の玉子やらを除いても、食材は8種も残されているのだぞ。退屈するいとまなどは、どこにもなかろうよ」
と、しばらく黙り込んでいたミケルが厳粛なる声をあげる。
「それにお前さんは、新しい香草の使い道に躍起になっていたではないか。そちらに頭を悩ませていたら、甘い果実までは手が回るまい」
「……はい。申し訳ありません。甘い食材を料理に使うという目新しい作法に気を取られて、目が曇っていたのかもしれません」
と、レイナ=ルウはますますしょんぼりしてしまう。
するとまた、カーツァがセルフォマの言葉を伝えてくれた。
「い、家の厨を預かる人間と料理の腕で暮らしを立てる人間では、おのずと目指すものが異なってきます。森辺の方々は誰もがそのふたつの役目を負っているため、時には考えが錯綜してしまうのでしょう。それでもこのように正しき道を模索する場があるのですから、何も気に病む必要はないかと思われます。……と、仰っています」
「うん。城下町の料理人なんかは、日常の食事じゃなくて特別な料理を仕上げることが仕事なわけだからね。ヴァルカスを尊敬するレイナ=ルウはそっちの流儀に感化されがちなのかもしれないけど、こうやって森辺のかまど番としての立場も決してないがしろにはしてないんだから、立派なものだと思うよ」
「そうそう。レイナ姉が突っ走るのはもう慣れっこになってきたから、あたしはいつでも水をぶっかける準備をしてるよ。だからレイナ姉は、こうやって水をぶっかけられるまで好きなだけ突っ走ってくれればいいさ」
「も、もう! ララはうるさいってば!」
と、レイナ=ルウが顔を赤くして、ミーア・レイ母さんやマイムは楽しげに笑う。それが一件落着の合図であった。
「それじゃあ、ペンシの蜜漬けはいったん保留にして、ノマについて考えてみようか」
「ノマかー。あたしはそっちも、ピンとこないんだよねー。チャッチもちだって、これまで料理に使ったりしなかったじゃん?」
「そんなことはないよ。というか、チャッチ餅っていうのはチャッチ粉を材料にした菓子だろう? 食材として考えるなら、ノマと並べるのはチャッチ餅じゃなくてチャッチ粉になるってことさ」
ララ=ルウは「んー?」と小首を傾げたが、レイナ=ルウは名誉挽回とばかりに素早く反応した。
「チャッチ粉でしたらあんかけの材料や揚げ物の衣としても使われています。そのような形であれば、ノマの使い道にも困らないということですね?」
「うん。ノマは不純物が多いと固まりにくいって話だけど、それはつまり他の調味料と合わせれば調味液として扱えるってことだからね。あんかけはもちろん、ドレッシングとかにも転用できるんじゃないかな。きっととろとろの仕上がりになって、目新しい仕上がりを目指せると思うよ」
「では、揚げ物の衣にも転用できるのでしょうか?」
「それは、試してみないとわからないね。……東の王都では、ノマが揚げ物の衣に使われる例もあるのでしょうか?」
「い、いえ。ノマは熱に強い食材ではありませんので、熱した油に投じたならば、すぐさま焦げついてしまうのはないかと思われます。……と、仰っています」
それからすぐにセルフォマが言葉を重ねたため、カーツァも慌てて声をあげることになった。
「た、ただし、私も油をひいた鉄鍋にノマを投じた経験しかありませんので、確かなことは言えません。その際にはノマをそのまま投じていましたので、揚げ物の衣として加工したならばどのような結果になるのか、想像しかねます。……と、仰っています」
「なるほど。セルフォマもノマの使い道をあれこれ思案されていたわけですね」
「は、はい。ですが、ノマを揚げ物の衣にしようという発想は浮かびませんでした。わずか数日でアスタに追い抜かれたような心地で、不甲斐なく思います。……と、仰っています」
そのように語るセルフォマは、わずかに目を細めながら俺の顔を見据えている。これはおそらく、対抗心のあらわれであろう。内心を隠すことに長けたセルフォマがほんの時おり見せる、貴重な意思表示であった。
「俺はノマに似たチャッチ粉を扱っていたので、その転用の例をあげたにすぎません。べつだん感心されるほどの話ではないかと思いますよ」
「い、いえ。アスタは、優れた料理人です。だからこそ、私は無理を通して手ほどきを願ったのです。どうぞ本日も、ご指南をお願いいたします。……と、仰っています」
俺が視線を巡らせると、プラティカやニコラも同じような目つきで俺のことを見据えている。彼女たちは、レイナ=ルウにも負けない熱情を抱えて、この場に参じているのだ。よって俺たちも、心して相手取らなければならないのだった。




