試食の祝宴⑥~絆のために~
2024.8/4 更新分 1/1 ・2024.9/27 誤字を修正
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「これにて、すべての試食は終了であるな」
すべての皿が空になったのち、ポワディーノ王子が厳粛なる調子でそのように宣言した。
「アスタもトゥール=ディンもセルフォマも、期待以上の品を準備してくれたように思う。其方たちの手腕は、今後の交易にも大いなる影響をもたらすことであろう。我からも、重ねて感謝の言葉を伝えさせていただきたい」
セルフォマが無言で頭を垂れたので、俺とトゥール=ディンもそれにならうことにした。
「では、この後は3名の宴料理を味わいつつ、交易の話を進めさせてもらいたく思うが……森辺の面々は祝宴の場に戻っていただくということで問題はなかろうか?」
「ええ。祝宴の場では、数多くの人間がアスタとの対話を心待ちにしていることでしょう。セルフォマも、それは同様かと思われますが……」
「しかしセルフォマには、我々が如何なる食材を優先して買いつけるべきか、助言をもらう必要があろうな。ジェノスの料理人との語らいに関しては、また別に日を設けてもらいたく思う」
「承知いたしました。では、森辺の面々およびエウリフィアとオディフィアには退いてもらい、あちらの敷物の面々と合流することにいたしましょう」
すると、リクウェルドが「恐れながら」と発言した。
「最後に私からもアスタとトゥール=ディンに言葉を届けたく思うのですが、お許しをいただけますでしょうか?」
「うむ。この後には、なかなかゆるりと言葉を交わす機会もなかろうからな。本日の別れの挨拶と思って、好きに言葉を交わすがよい」
「王子殿下のご温情に、心よりの感謝をお捧げいたします」
リクウェルドは恭しげに一礼してから、俺とトゥール=ディンの姿を見比べた。
「アスタ、トゥール=ディン。おふたりの手腕には、心より感服いたしました。わずか5日間でこうまで見事に東の王都の食材を使いこなすとは、想像の外でありました。王子殿下の仰る通り、おふたりの尽力は今後の交易に甚大なる影響をもたらすことでしょう。ジェノスとのすこやかなる関係を望む王陛下に代わりまして、心よりの感謝をお捧げいたします」
さきほどの一幕にならって、俺は無言のまま礼を返す。トゥール=ディンも背筋をのばしつつ、それに続いた。
「交易の話がまとまり次第、ポワディーノ殿下と使節団の方々は東の王都に帰国される予定になっている。それをお見送りする送別の祝宴でも、森辺の料理人には尽力を願おうと考えているよ」
マルスタインはゆったりと微笑みながら、そのように言葉を重ねた。
「遅くとも、雨季が明ける前には出立されることになるだろう。その際にはまた使者を送るので、何卒よろしくお願いする」
「承知しました。みなさんにご満足いただけるように、力を尽くします」
そうして森辺の面々が腰を上げようとすると、カーツァがわたわたと声をあげた。
「お、お待ちください。僭越ながら、私からもお伝えしたきお言葉があります。……と、仰っています」
そうしてセルフォマが何かを語り始めると、カーツァが通訳する前にリクウェルドが声をあげた。
「それはいささか、難しい申し出であるように思います。たとえアスタが了承したとしても、我々の側に支障が出てしまいましょう」
そんな風に言ってから、リクウェルドはゆったりと一礼した。
「申し訳ありません。ついつい逸って、セルフォマの言葉をみなさんにお伝えする前に言葉を返してしまいました。不調法な振る舞いに、重ねて謝罪を申し上げます」
外見上は平静であるが、このリクウェルドがそんなにも心を乱したということであろうか。俺の隣では、アイ=ファが興味深げに目を光らせていた。
「そちらのセルフォマは、なんと語っていたのであろうか? 差し支えがなければ、我々にもお聞かせ願いたい」
「……はい。セルフォマは自らも森辺の集落に参じて、アスタやトゥール=ディンから食材の扱い方を手ほどきしていただきたいと申しておりました。ですが、セルフォマには交易にまつわる会談の場に同席してもらわなくてはなりませんため、そのような時間は取れそうにないのです」
そう言って、リクウェルドはセルフォマに向きなおった。
「また、我々がジェノスに留まるのは残り数日ていどなのですから、そんなわずかな期間ではさしたる成果をあげることもかなわないでしょう。恐れ多くもポワディーノ王子殿下の『王子の耳』がかねてより森辺の方々から手ほどきをされていたのですから、あなたが余計な労力を払う必要はないかと思われます。……カーツァ、通訳を」
おそらく隠し事などはしないと表明するために、リクウェルドはあえて西の言葉で語ったのだろう。カーツァはあたふたとしながらその命令に従い、セルフォマがそれに答えると――今度はカーツァが、「ええ!?」と身をのけぞらせてしまった。
「そ、それはあまりに……****? ********! ********?」
「……カーツァ。あなたが意見を申し述べる必要はありませんし、まずはセルフォマの言葉を西の方々にお伝えするべきでしょう」
リクウェルドに諭されて、カーツァは「も、申し訳ありません……」と眉を下げてしまう。
「そ、それでしたら、私は使節団の方々がお帰りになられたのちもしばしジェノスに留まり、アスタやトゥール=ディンから手ほどきしていただきたく思います。……と、仰っています」
「あなたは、王城の副料理長という立場にあります。王城にて料理の支度をするというのは、言わば王命であるのです。それを二の次にして勝手な振る舞いに及ぶことが許されるとお思いでしょうか?」
「は、はい。ですが私は、ジェノスとの交易が可能なようであれば最大限に力を尽くすべしというお言葉も賜っています。アスタたちのもとで西や南の食材の扱い方を学ぶことは、今後の交易にいっそうの大きな意味をもたらすのではないかと考えた次第です。また、恐れ多くも王陛下および王族の方々にご満足いただけるような手腕を身につけるためにも、それは必要な行いなのではないかと考えています。……と、仰っています」
そのように語るカーツァは、いっそう眉が下がってしまっている。
そしてその間も、セルフォマは淡々と語り続けていた。
「そ、それに、私が会談の場で求められるのは、あまたある食材のいずれをどれだけ買いつけるべきか、その参考となる意見を申し述べることにあります。アスタたちに手ほどきをお願いできれば、より正確な情報をもたらすことが可能になりますし……意見は書面でお伝えすることも可能です。より充実した交易をお求めになられるのでしたら、私はなおさら森辺で学ぶべきではないでしょうか? ……と、仰っています」
「……カーツァ、まずは感情をお隠しなさい。先刻から、表情が乱れています」
「は、はい!」とカーツァは両手で口もとを覆い隠す。しかし彼女の感情は、目や眉のあたりからこぼれまくっていた。
「リ、リクウェルド様。もしもセルフォマ様がジェノスに留まられるなら、私も通訳として居残らなくてはならないのでしょうか……?」
「……そのような話は、この場に相応しくありません。あなたの役割はセルフォマの言葉をみなさんにお伝えすることです、カーツァ」
「も、申し訳ありません……」と、カーツァはしょんぼりうなだれてしまう。いっぽうセルフォマはしゃんと背筋をのばしたまま、静謐なる面持ちで周囲の反応を待っていた。
「まず、わたしからよろしいでしょうか? もしもセルフォマがジェノスでの滞在を望むのでしたら、あちらのプラティカと同様に不自由のないように取り計らいましょう。森辺の面々にも、わたしから協力を惜しまないようにと通達させていただきます」
マルスタインは普段通りの穏やかさで述べつつ、プラティカのほうに視線を転じた。
「ただ……其方は森辺で手ほどきを願う際、なかなかに風変わりな手法を取っていたはずだね。参考として、その内容をお聞かせ願えるかな?」
「はい。私、屋台の商売、終わりを待って、合流します。刻限、下りの二の刻です。そののち、森辺の勉強会、および晩餐の支度、見届けます。また、晩餐、ともに手掛けて、ともに食し、一夜の宿、願うか……あるいは、荷車、眠ります」
「……ゲルドの藩主の料理番たるあなたが、荷車で一夜を明かすのでしょうか?」
リクウェルドの問いかけに、プラティカは挑むような眼差しで「はい」と首肯する。
「ルウの家やディンの家、寝床、借りる、可能です。ですが、ファの家、客室、存在しません。よって、庭先を借りて、荷車、夜を明かします。そして、早朝、屋台の下ごしらえ、見届けて、営業開始後、そちらの料理、購入し、食したのち、城下町、戻ります。おおよそ、そのように振る舞っています」
「なるほど。プラティカやセルフォマは貴族ならぬ身だが、きわめて身分の高い方々にお仕えする身だ。長旅のさなかでもないのに荷車で夜を明かすなどというのは、なかなかに物珍しい話なのだろうね」
マルスタインが口をはさむと、プラティカは同じ目つきのまま「はい」と首肯した。
「ですが、それだけの価値、存在する、信じています。私、今後、手ほどき、継続していただく、所存です」
「君はそのために、ジェノスに滞在しているわけだからね。……セルフォマとしては、如何かな?」
「は、はい。私は恐れ多くも王城の副料理長という立場を賜りましたが、もとをただせばリムからラオに移り住んだ料理人の子に過ぎませんので、荷車で眠ることを恥と思う気持ちは持ち合わせておりません。……と、仰っています」
「ですがあなたは、王命によって副料理長の座を賜ったのです。その身分に相応しい振る舞いを心がけるべきではないでしょうか?」
リクウェルドがそのように反論すると、プラティカが「では」と答えた。
「晩餐、食べ終えたのち、他の氏族、一夜の宿、願う、如何でしょうか? 私、提言する、僭越、極みですが……森辺の民、親切です。断る氏族、存在しない、思います。また、一夜の宿、適切な代価、支払えば、支障ない、思います」
「……あなたには、セルフォマに肩入れするべき事情でも存在するのでしょうか?」
「はい。セルフォマ、私と同じ、熱情、抱いたならば、可能な限り、助力したい、考えています。……王陛下の御心、そぐわないならば、差し出口、控えるよう、ご命令、お願いいたします」
プラティカは挑むような目つきのまま、恭しく頭を垂れた。
リクウェルドとセルフォマは静謐の度合いを競っているかのように、変わらぬ無表情だ。そして、それにはさまれたカーツァはまだ口もとを隠しながら、目を泳がせていた。
「……ひとつ、いいだろうか」
と、アイ=ファがふいに発言した。
いつも通りの凛々しい面持ちであるが、その眼差しは穏やかだ。
「今後のセルフォマの振る舞いに関しては、立場ある者たちの判断を待ちたく思う。ただ、あなたがたはあまりに本心を隠すのが巧みであるので……このように真情を打ち明けてくれたことは、非常に喜ばしく思っている」
「……セルフォマの不遜な申し出に異論はない、ということでしょうか?」
「べつだん、不遜とは思わない。まあ、私自身は客人を迎えることを不得手にしている人間であるのだが……それを乗り越えたことで、プラティカとも絆を深められたのだしな」
アイ=ファに優しい視線を向けられて、プラティカはまた厳しい面持ちのまま頬を赤らめた。
「また、私はともかくルウ家の面々と絆を深めることは、そちらにとっても有意なのではないかと考えている。我々はただ交易というものに助力するばかりでなく、人としての絆を深めたいと考えているのだからな」
「うむ。貴族や王族という身分にある我々は、気安く市井に繰り出すこともままならん。セルフォマがその役を担ってくれるというのなら、それはジェノスとラオリムの大いなる架け橋になりえるのではないだろうか?」
と、ついにポワディーノ王子も発言した。
「なおかつ、リクウェルドは父たる王陛下の代理人であるが……これが自らの裁量を超える問題であると判じたならば、伝書の鷹にて王陛下の意向をうかがうべきではなかろうか?」
「……いえ。恐れ多きことながら、このていどの案件で王陛下のお耳を汚す必要はないかと判じております」
リクウェルドはほんの少しだけ目を細めながら、セルフォマの姿を見据えた。
「セルフォマ。まずは我々が出立するまでの数日間、森辺に参ずることを許しましょう。それで実際に、交易に有益な情報を手にできるか否か……その結果によって、あなたの申し出を吟味したく思います」
「しょ、承知いたしました。リクウェルド様の寛大なおはからいに心より感謝いたします。……と、仰っています」
「では、マルスタイン殿にもそのように取り計らっていただけましょうか?」
「承知いたしました。まずはあちらの族長代理たるジザ=ルウに話を通し、明日の朝一番でルウ家に返答を求める使者を出すことにいたしましょう」
ということで、ようやく話はまとまったようである。
リクウェルドとセルフォマは相変わらずの無表情で、カーツァはひとり目を泳がせている。そしてマルスタインが、俺たちにゆったりと微笑みかけてきた。
「では、皆々は祝宴の場に戻ってもらいたい。エウリフィアとオディフィアも、そのようにな」
「承知いたしましたわ。ルウ家の方々は、如何いたしましょう?」
「ああ、ジザ=ルウに今の話を伝えるので、あちらでしばし待っていてもらおうか」
俺とアイ=ファ、トゥール=ディンとゼイ=ディン、そしてエウリフィアとオディフィアは敷物から腰を上げて、壁際にまで退いた。
その空いたスペースに、ジザ=ルウとレイナ=ルウが招集される。それを遠目に眺めながら、エウリフィアはくすくすと笑った。
「本当にセルフォマというのは、プラティカに負けないぐらい情熱的であるようね。見た目はあのようにしとやかだから、ずいぶん驚かされてしまったわ」
「うむ。そのおかげでリクウェルドの真情にも触れることができたので、私は得難く思っている」
アイ=ファがそのように答えると、エウリフィアは不思議そうに小首を傾げた。
「リクウェルド殿の真情? アイ=ファは、何を感じ取ったのかしら?」
「おそらくリクウェルドは、カーツァの心情を思いやっているのだろう。立場上、我々の前で甘い顔は見せられないのだろうが……やはりリクウェルドは、カーツァにとって父親のごとき存在なのであろうな」
アイ=ファの言葉に、ゼイ=ディンも無言のままうなずいた。俺にはそこまで見て取れなかったが、森辺の狩人の鋭い眼力はリクウェルドの内面をも垣間見たようであった。
「……オディフィアは、セルフォマとカーツァがうらやましい」
と、オディフィアが小さな手でトゥール=ディンの腕をくいくいと引っ張る。
トゥール=ディンは、とてもやわらかな笑顔でオディフィアを見返した。
「わたしもまた、オディフィアを森辺にお招きしたいです。きっと雨季が明けたら機会が巡ってくるでしょうから、そのときを楽しみにしていましょう」
オディフィアは灰色の瞳を輝かせながら、「うん」とうなずく。
そのタイミングで、ジザ=ルウたちがやってきた。
「マルスタインから、話はうかがった。族長らはこれまでもプラティカや『王子の耳』などを受け入れていたのだから、今回の申し出を無下にすることはないだろう。」
「はい。セルフォマのように確かな手腕を持つ御方をお迎えするのは、わたしたちにとってもきわめて有益であるはずです」
と、レイナ=ルウはまた引き締まった面持ちで奮起していた。
その姿に、エウリフィアがころころと笑う。
「森辺のみんなのおかげで、東の王都の方々ともいっそう絆を深められそうね。それじゃあ、祝宴の場に戻りましょうか」
「うん。トゥール=ディンのおかし、もっとたべたい」
「菓子だけではなく、料理もね」
そんな言葉を交わしつつ、俺たちは壁際にあけられている衝立の隙間を目指した。
その場所には、西と東の武官が立ち並んでいる。その東の武官も、面布で顔を隠した『王子の盾』と素顔をさらした黒頭巾の武官の2種だ。
それらの武官に見守られながら、衝立の隙間をくぐると――たちまち、とてつもない熱気と賑わいが五体にぶつかってきた。
たとえ衝立一枚でも、けっこうな壁になっていたようである。大広間は宴もたけなわといった様相で、大変な盛り上がりようであった。
人々のおおよそは料理の卓に群れ集い、熱っぽく語らっている。そしてその輪の中心にいるのは、森辺のかまど番たちだ。俺やトゥール=ディンが不在であった分、他の面々が質問責めにあっている様子であった。
また、随所に設置された円卓で語らっている人々もいる。セルフォマの料理に関しては質問のぶつけようがないので、それを食した人間同士で意見を交わしているのだろう。何にせよ、熱意の度合いに変わりはないようであった。
「東の方々がお姿を隠されているから、みんな遠慮なく振る舞っているようね。これはこれで、望ましい結果だったのではないかしら?」
「うむ。レイナやアスタたちは、まだまだ気が休まらなさそうだな」
珍しくも――などと言ったら失礼かもしれないが、ジザ=ルウがかまど番をいたわってくれた。その糸のように細い目が、俺とトゥール=ディンの姿を見比べてくる。
「こちらの敷物でも、アスタたちの料理や菓子はずいぶんな評判だった。交易に関しても、大きな実を結ぶに違いないという話であったし……森辺のかまど番がジェノスのために尽力できたことを、俺も得難く思っている」
「ありがとうございます。ジザ=ルウにそんな風に言っていただけると、俺も心から誇らしいです」
「……こればかりは、かまど番にしか果たせぬ仕事であるからな」
内心のわかりにくいジザ=ルウであるが、リクウェルドに比べればまだしも真情がこぼれているようだ。俺は本当に、誇らしい気持ちでいっぱいであった。
「うむ? 何か、言伝であろうか?」
と、アイ=ファが武官の立ち並ぶ衝立のほうを振り返る。そちらの隙間から姿を現したのは、藍色のいでたちで面布を垂らしたポワディーノ王子の臣下――女性の『王子の口』であった。
「少々お時間をよろしいでしょうか? ファの家のアスタ様およびアイ=ファ様に、王子殿下のお言葉をお伝えさせていただきたく思います」
「うむ。こちらはまったくかまわんが――」
「わたくしたちは、席を外すべきかしら?」
エウリフィアがゆったり口をはさむと、『王子の口』は流麗なる声音で「いえ」と応じた。
「森辺の方々およびジェノス侯爵家の方々に隠し事はございません。ただし、それ以外の方々には他言無用にてお願いいたします」
「うむ。如何なる話であろうか?」
「はい。……使節団が到着した以上、王子殿下が森辺に足を踏み入れる機会は今後存在しないでしょう。また、格式を重んずる使節団の方々は決して城壁の外に出ることはないかと思われます。よって、セルフォマの申し出はジェノスとラオリムの絆を深めるための得難い一助になりえるので、どうか前向きに検討してもらいたい。……とのことです」
「ふむ。同じような話は、つい先刻もうかがったが……それだけポワディーノが、このたびの話を重んじているということであろうか?」
「はい。使節団の前では言葉を選ぶ必要が生じますため、アスタたちに真情が伝わっていないのではないかと危惧されたとのことです」
そう言って、『王子の口』は恭しげに一礼した。
「また、王城の副料理長という立場にあるセルフォマにプラティカほどの自由な振る舞いは許されないはずですので、滞在の期間はごく限られることでしょう。ひと月か、せいぜいふた月か……何にせよ、長きにわたってご迷惑をおかけする事態には至らないかと思われますので、その限られた時間でかなう限りの絆が育まれることを期待している。……とのことです」
「そうか。族長らも、決してポワディーノの言葉を軽んずることはないかと思うぞ」
「ありがとうございます。それでは、最後に……我もオディフィアと同様に、セルフォマを羨ましく思っている。……とのことです」
その言葉にオディフィアが目をぱちくりさせると、エウリフィアは優しく微笑んだ。
「オディフィアの心情も、すっかり見透かされているようね。つまりはそれだけ、ポワディーノ殿下も森辺の民に強い思い入れを抱いておられるということよ」
「うむ。ポワディーノの思いも決して軽んずることはないと、約束しよう」
アイ=ファが穏やかな声音で応じると、『王子の口』は「ありがとうございます」と繰り返してから、ふわりと身をひるがえした。
「……ポワディーノの言葉は、何ひとつ道理から外れていなかったように思う。あのような言葉でも、使節団の前ではつつしまなくてはならないというのは……いささかならず、気の毒なことだな」
ジザ=ルウが神妙な調子でそう言うと、エウリフィアが「まったくね」と賛同の声をあげた。
「ポワディーノ殿下に比べたら、自分はどれだけ自由気ままに振る舞っているのかと思い知らされてしまうわ。シムの王子という身分には、それだけの責任がつきまとうということなのでしょう」
「うむ。わずか10歳で立派に役目を果たしているポワディーノは、尊敬に値しような」
「ああ、ポワディーノ殿下がそのような若年であられることも、ついつい忘れてしまうわ。オディフィアなんて殿下と2歳しか変わらないのだから、あのご立派な立ち居振る舞いを見習わないとね」
エウリフィアたちがそんな風に語らっていると、アイ=ファが俺の耳もとに唇を寄せてきた。
「きっと族長らは、セルフォマの申し出を受け入れるだろう。わざわざあのように思いを伝えてくれたポワディーノのためにも、力を尽くすがいい」
「うん、もちろん。晩餐なんかはアイ=ファも一緒なんだから、よろしくな」
「晩餐の時間など、たかが知れているからな。お前はセルフォマの宴衣装に見とれるぐらい心をひかれているのだから、思うさま絆を深めるがいい」
「あ、いや、だから、それは――」
と、俺が慌てふためくと、アイ=ファは忍び笑いをこぼしながら、俺の足を優しく蹴ってきた。
そのタイミングで、「あーっ!」という元気な声が響きわたる。
「やっぱり、アイ=ファたちだー! ほらほら、あそこだよー!」
俺がびっくりして振り返ると、人波の上にリミ=ルウの上半身が浮かびあがっていた。
きっとまた、誰かの肩に乗っているのだろう。いつだったかの祝宴でも、リミ=ルウはディック=ドムの肩に乗ってアイ=ファの姿を探し求めていたのだ。
まあ、その無邪気な振る舞いは微笑ましいばかりであるのだが――おかげさまで、俺たちが大広間に戻ったことがそこら中の人々に周知されてしまった。
宿場町の宿屋の関係者に城下町の料理人、華やかに着飾った若き貴婦人や貴公子が、喜色をあらわにして向きなおってくる。俺は何だか、逃げ場のない戦場で敵兵に取り囲まれたような心地であった。
(まあ、この人たちは敵じゃないんだけどさ)
それどころか、俺は大広間の面々と言葉を交わすことを心待ちにしていたのだ。しかしそれがこのように盛大にスタートするとなると、それなりに気を引き締めなければならなかった。
「……ここからが、第二の本番だな」
アイ=ファは小さく息をつきながら、俺の身に巻きつけられた宴衣装の生地をぎゅっと握りしめる。人間の奔流に巻き込まれようとも分断されまいという意志のあらわれだ。迫りくる人々の熱気に圧倒されながら、俺はアイ=ファに笑いかけておくことにした。




