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異世界料理道  作者: EDA
第八章 徒然なる日々
152/1675

③13歳の祝いの日(上)

2015.1/1 更新分 1/1

2015.1/3 一部、文章を修正

 トトスのギルルを新たなる同居人として迎えた、その翌日。

 青の月の24日。


 その日も変わらず屋台の商売に励んでいると、ルウの本家からレイナ=ルウが宿場町に下りてきた。


 用向きは、もちろん食材の買い出しである。

 それはそれで一向にかまわないのだが。その日のレイナ=ルウは何やら思いつめた顔をして、「アスタ。少し時間をいただけますか?」などと囁きかけてきたのだった。


 何やら不穏な雰囲気である。

 ともに『ミャームー焼き』の屋台を受け持っていたシーラ=ルウも、不思議そうに首を傾げている。


「いや、えーと……もう少ししたら、俺は宿屋の仕事に出向かなきゃいけないんだけど……」


 時刻は、中天の間際である。

 4日ほど前から《玄翁亭》でも仕込みの作業を請け負うようになった俺は、中天までしか屋台の商売に参加できない身の上になってしまっていたのだ。


「長い時間はとらせません。どうかお願いできませんか?」


 少し幼げな面立ちをしたレイナ=ルウが、青い瞳に真摯な光をたたえつつ、俺の顔を見つめ返してくる。


「……わかったよ。それじゃあ、シーラ=ルウ、少しだけ店をおまかせしていいですか?」


「はい。もうすぐリィ=スドラも来てくれるでしょうから、こちらは大丈夫です」


 ちょっと心配げなシーラ=ルウに見守られつつ、俺たちは背後の雑木林に移動した。


「どうもすみません。大切な仕事を邪魔してしまって……」


「いや、それはかまわないけど。いったいどうしたの?」


 レイナ=ルウと顔を合わせるのは、ちょっとひさびさだ。

 最後に会ったのは、たぶんザッツ=スンが城に捕らわれた日の夜あたりだと思うので、かれこれ9日ぶりぐらいか。


 最近のルウの本家では、毎日宿場町に下りているヴィナ=ルウやララ=ルウがこまめに食材を買い足していたので、こうして家の人間が買い出しに下りてくることもめっきり減っていたのだった。


 森辺の民には珍しい純粋な黒色の長い髪を、おさげのようにふたつに結わっている。顔立ちは可愛らしく、非常に小柄だが姉にも負けない魅惑的なプロポーションを有した、俺と同い年の17歳の娘さんだ。


 気立てはいいし、善良だし、森辺の民としては卓越した調理の技術も有している。どこに出しても恥ずかしくない、とても立派な娘さんであるのだが――相変わらず、俺はこのレイナ=ルウとどのような距離感でつきあっていけばいいのかをつかみきれずにいた。


「今のアスタにこのような話をしてしまうのは、とても心苦しいのですが……でも、どうしても気持ちを抑えることができなかったのです。どうかわたしの願いを聞き入れてもらえるでしょうか……?」


「そ、それは内容次第だね」


 俺の顎ぐらいまでしか届かない小柄なレイナ=ルウが、必死の面持ちで俺の顔を見上げてくる。身体はどこも触れていないのに、吐息を感じるぐらいに距離が近い。


「実は……」


「う、うん」


「……明日は、ララの生誕の祝日なのです……」


「うん?」


「ララが13歳になる祝いの日なのです。それで……アスタにも何かひと品だけ料理を作っていただきたいと思ったのですが……いかがでしょう?」


 レイナ=ルウは、まだ思いつめた目をしている。

 俺はわけもわからぬまま、「はあ」と間抜けな返事をしてしまう。


「料理って、何人分?」


「本家の人間、12人分です。ポイタンやすーぷなどはこちらで準備します。アスタには肉の料理をお願いしたいのです……やっぱり、駄目でしょうか……?」


「いや、そんなことなら、別にかまわないけど」


 俺が答えるなり、レイナ=ルウの目が驚きに見開かれた。


「よ、よろしいのですか? アスタは屋台の商売だけでなく、2つの宿屋でも料理を作っており、しかも最近ではトトスの世話までまかされてしまったのですよね……?」


「宿屋の仕事は昼間の内に済む仕事だし、家に帰ってからの手間はそれほど増えていないんだよ。トトスだって、何も特別な世話はかからない。また前みたいにルウのかまどで仕込みの作業をやらせてもらえるなら、1日ぐらいはどうってことないさ」


「本当ですか? ありがとうございます……!」


 と、レイナ=ルウは胸の前で手を合わせて、心の底から安堵したように深く息をついた。


「ちょ、ちょっと大げさじゃない? どうしてそこまでレイナ=ルウが心を揺らしてしまっているのかな?」


「え? いえ、アスタは最近本当に忙しくされていると聞いていたので、引き受けてもらえるとは考えていなかったんです。でもこれで、きっとララも喜んでくれます」


 そう言って、今度は嬉しそうに破顔するレイナ=ルウである。

 とても微笑ましい家族愛であるが、俺の心にはほんのちょっぴりだけ疑いの気持ちが残ってしまう。

 すなわち――レイナ=ルウが何か企んでいるのではないか、という疑いが、である。


(いや、いくら何でも考えすぎか)


 少なくとも、いま目の前でとても嬉しそうに微笑んでいるその様子に嘘があるとは思えない。

 妹の誕生日をダシにして何かを企むような娘ではないはずだ、と、俺は自分の下世話な思考こそを反省しておくことにした。


「それでは何か特別な食材は必要ありますか? あれば、わたしが今日の内に買いそろえておきます」


 と、こんな距離では屋台のララ=ルウに聞こえるはずもないのに、レイナ=ルウは背伸びをして俺の耳に口を寄せてきた。


「い、いや、いま話を聞いたばかりだから、献立も何も決まってないし……それに、いまさら声を小さくしても無意味じゃないかな?」


「あ、そうですね。すみません。ついつい浮かれてしまって」


 恥ずかしそうに身を引いて、もじもじとするレイナ=ルウ。

 計算でないと、信じたい。


「あの、子どもっぽいと思われるかもしれませんが、明日のことはララには秘密にしておいていただけませんか? そのほうが、きっとララもいっそう喜ぶと思いますので」


「それはかまわないけど。でも、俺がルウの集落に出向く時点で、バレバレじゃない?」


「商売のことでミーア・レイ母さんに相談がある、とでも言ってくだされば、きっと大丈夫です。ドンダ父さんにも、すでに私から話を取りつけてもいますので」


「ああそう。……ちなみに、ヴィナ=ルウには話してもかまわないのかな?」


「もちろんです。でも、口止めはしておいてくださいね」


「あ、あと、さっき12人分って言ってたけど、ミダの分は? 彼がいるなら、その倍ぐらいは作らなきゃいけないだろう?」


「いえ。ちょうどミダは、昨日からシン=ルウの家で晩餐をとるようになったのです。それに、ミーア・レイ母さんの言いつけで、ミダの食事は5人前と定められました」


 なるほど。食事制限か。それはミーア・レイ母さんの英断であったかもしれない。……まあ、それでも5人前なわけだが。


 それはともかく、確認事項はそれぐらいかなあと、俺は慎重に考えこみ

――そうして、1番大事なことを確認するのを忘れていたことに気づいた。


「そういえば、うちの家長に留守番をさせるわけにはいかないんだけど。アイ=ファも晩餐をともにするってことでいいんだよね?」


 すると、レイナ=ルウの瞳に、さきほどとは別種の切なげな光が灯った。


「もちろんです。……これまでに、アスタとアイ=ファが別々の場所で夜を迎えたことがありましたか?」


 ない。

 日中は別々に過ごすことの多い俺たちであるが、別々の場所で晩餐をとり、別々の場所で眠る、という夜は、いよいよ60日にも及ぼうとしている共同生活の期間の中で、1日たりとも存在しないはずだった。


「それでは、アイ=ファにもよろしくお伝えください。仕事のお邪魔をして申し訳ありませんでした」


 最後にはまた朗らかな微笑を浮かべて、レイナ=ルウは立ち去っていった。


            ◇


「ふむ。ルウの三姉の生誕の祝いか。別にかまわんぞ」


 晩餐の準備を待ちながら、アイ=ファは実にあっさりとそう言った。


「いちおう確認しておくが、いかにルウ家といえども、生誕の日に大きな祝宴を開いたりするわけではなかろうな?」


「ああ。感覚的には、婚儀の前祝いぐらいの感じなのかな。料理に贅は尽くすけど、普通にその家の家人だけで祝うのが通例らしい」


 そうは言っても、森辺における「贅」とは、ギバ鍋に普段以上の野菜をぶちこむ、というだけの話に過ぎなかったのだ、これまでは。


「スープなんかはレイナ=ルウたちが腕によりをかけるそうだ。俺が頼まれたのは肉料理だけだから、大した負担にはならないよ」


「ふむ。それでお前はどのような料理を出すつもりなのだ?」


「ああ、アイ=ファには目新しさがなくて申し訳ないけど、この前《玄翁亭》の主人から買わせていただいたアレを使わせてもらおうかなと」


 それは、《南の大樹亭》を通じて手に入れたタウ油よりも希少で高価な、とっておきの食材だった。


「……アレを使ってしまうのか」と、アイ=ファはかすかに唇をとがらせる。


 アイ=ファは、アレが大好物なのだ。


「いや、ほら、せっかくのお祝いの席だしさ。シムの行商人がやってきたら、またがっつりと買わせていただくから……そんなにすねるなよ」


「誰がすねているか! ……ルウの三女は、明日で何歳になるのだ?」


「ああ、13歳だそうだ」


「13歳か。男衆ならば、狩人としての作法を学ぶ頃合いだな」


「ふーん? それじゃあ、女衆なら?」


「女衆ならば、15歳までに嫁入りの作法を学ぶのであろう。……私は13歳になってすぐに母メイを失ってしまったので、よくわからん」


「……そうか」と、俺が少しばかり眉尻を下げてしまうと、とたんにアイ=ファは険のある眼差しを向けてきた。


「何だ? 10年も昔に母を失ったというお前に憐れまれる筋合いはないぞ? 余計なことには気を回さず、とっととかまど番としての仕事を果たせ」


「すねたり怒ったり忙しいな」


「すねてもいないし怒ってもおらん!」


 アイ=ファは座ったまま、ドタドタと足を踏み鳴らした。

 言っては悪いが、死ぬほど愛くるしい。


 おかげで、湿っぽい空気にならずに済んだ。


「あ、それとな。誕生日のお祝いにはひとりずつ花を贈るそうだぞ?」


「……そのていどのことを、私がわきまえていないとでも思っているのか?」


「念のために確認しただけだろ。家ごとで風習が違うかもしれないんだから。……あ、それで、晩餐が終わったら、俺たちはファの家に帰るんだよな?」


「うむ。本家の寝所を借り受けるのは心苦しいからな」


「それじゃあ、俺は仕事の後、直接ルウの集落に向かうから、ギルルの世話をよろしく頼むよ」


「ギルルの世話?」


「うん。留守にするんだから、アイ=ファが家を出る前にギルルを中に入れてやらなきゃいけないだろう?」


 そのギルルは、今日も玄関口につながれて、床にだらりと長い首を伸ばしている。

 その呑気な寝姿を確認してから、アイ=ファはとてもいぶかしそうに俺をにらみつけてきた。


「アスタよ、お前はこのような際にギルルを使わず、いつ使おうという心づもりなのだ?」


「ええ? だって、帰り道は夜だし、ふたりだし……あ、でも、帰りは手綱を引いていけばいいのか」


「何だそれは? 行きも帰りもギルルに乗らぬ理由はないであろうが?」


「だ、だって、あんな暗い道をトトスに乗って帰るのは危ないだろ? 燭台の火だって消えちゃうだろうし」


「燭台など不要だ。ギルルを軽く走らせておけば、ギーズもムントも追いつくことはできん」


「だけど、ギルルは夜目がきかないかもしれないぞ? 俺のいた世界では、夜目がきかないことを鳥目って呼んでたぐらいなんだから」


「ほう? トトスは夜目がきかぬのか? まあそうだとしても、月明かりさえあれば、私には問題ない。月が隠れてしまったときは、確かにお前の言うようにギルルを下りて歩かねばならぬから、いちおう燭台の準備だけはしておくか」


 それではアイ=ファにとって、燭台の火というのは獣除けの意味しかなかったのか。改めて、森辺の民おそるべし、である。


「……それじゃあ最後の懸念事項です。俺はまだギルルの背中に乗ったことがないんだけど?」


「手綱は私が操るのだから、問題ない。お前は振り落とされないよう、私の身体につかまっていればよいのだ」


 トトスの2名乗りか。

 確かにレイト少年も、それは可能だと言っていた記憶がある。

 しかし、妙齢の女子たるアイ=ファの身体にしっかりつかまるという、そのシチュエーションはいかがなものだろう?


 俺は控えめに反対意見を述べようとしたのだが――


「今宵の晩餐が終わったら、2人で乗る練習をしてみるか。……なかなか愉快そうではないか?」


 と、アイ=ファに、にっと笑いかけられて、そうすることもできなくなってしまった。


 我が精神、惰弱なり。


「……で、その晩餐はまだなのか? 私はだいぶん腹が減ってきたぞ?」


「あとは肉を焼くだけだから、もうちょっとだけ辛抱してくれ。今日はタウ油を使ったロース肉の照り焼きだぞ」


「うむ」


 ハンバーグでない夜のアイ=ファは、常にフラットである。不満げに食べることはない代わりに、嬉しそうな様子を見せることもない。


 俺がファの家のかまどを預かって、およそ2ヶ月。いまだにアイ=ファはハンバーグ以上の好物と巡り遭えていない状態だった。《玄翁亭》で手に入れた新食材も、あくまでハンバーグを彩る添え物に過ぎないのだ。


「そういえば、アイ=ファと出会ってそろそろ2ヶ月ぐらいは経つんだよな。それならルウ家の誰かが誕生日を迎えるのも当然ってことか」


「うむ? 言葉の意味がよくわからんぞ?」


「ああ、だから、コタ=ルウまで合わせれば、ルウの本家は13人家族だろ? だったら毎月のように誰かの誕生日があってもおかしくはないってことになるじゃないか。この世界だって1年は12ヶ月だっていうんだからさ」


 ただし、3年に1回は13ヶ月になるという、俺には理解し難い暦法であるそうだが。


「おかしなことを考えるやつだな。眷族でもないルウの家人の生誕の祝いなど、本来であればどうでもよいことなのだぞ?」


「いや、まあ、それはそうなんだろうけど」


「それに、2ヶ月ぐらいなどという適当なことを抜かすな」


「え? でも、それぐらいだろ? 俺もきっちり数えてたわけじゃないけど、そろそろ60日ぐらいは経つはずなんだからさ」


 そんな風に俺が答えると、アイ=ファは立てた片膝に頬杖をついた。


「ぐらいではない。この夜で、ちょうど2ヶ月だ」


「え?」


「お前と森で出会ったのは、黄の月の24日。今日は青の月の24日なのだから、ちょうど丸々2ヶ月ということであろうが?」


 俺は、言葉を失ってしまった。

 アイ=ファは、少し遠い眼差しをする。


「この時間なら――ちょうど私が鍋を煮立てていた頃合いか? お前は異国の白装束で、血抜きもしていないギバの肉を見て美味そうだなどと目を輝かせていたな」


 あの夜から――森でアイ=ファと出会い、鼻先に刀を突きつけられ、そしてファの家に招かれたあの日から、今日でちょうど2ヶ月目であったのか。


 その頃も、ひと月前も、俺はそもそも現在が何月の何日であるか、ということすら意識もせずに暮らしていた。


 だけど、今は――


「……タウ油の照り焼きは中止だ! 今日はハンバーグにしよう!」


「うむ? どうしたのだ、急に?」


「いや、せっかくの2ヶ月記念だったら、ちょっとはお祝いっぽくしたいじゃないか? そうだ、例のアレも使って贅沢に仕上げよう!」


「わずか2ヶ月で、何が祝いだ? それに、今から肉を刻んでいては、ますます晩餐が遅れてしまうではないか?」


「商売用のパテがあるさ! もちろん食べた分は後で作りなおす! 軽食用じゃ小さいから、ひとり2個だな」


 いざ食糧庫に向かわん、と立ち上がった俺の姿を、アイ=ファはきょとんと見上げてくる。


「さっぱりわからん。お前は何をそのようにいきりたっているのだ、アスタよ?」


「え? いや別に、いきりたってるわけじゃないけど……ただ、こんな日ぐらいは、アイ=ファの1番食べたいものを食べさせてあげたいじゃないか。ハンバーグ以外に食べたいものがあるなら、何でもご要望に応じるぞ?」


「…………そのようなものがあるわけなかろう」


 唇をとがらせるべきか迷っているかのような、とても複雑な顔つきをするアイ=ファである。


 そんなわけで、ファの家においては、ララ=ルウの誕生日を祝う前に、ささやかなる祝いの晩餐を催すことになったのだった。


 おめでとう! 今後もよろしくお願いいたします! ……と、心をこめて述べさせていただきたい。

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