試食の祝宴③~開会~
2024.8/1 更新分 1/1
「それでは、祝宴の会場にご案内いたします」
つつましい侍女の案内で、総勢50名となる森辺の一行は紅鳥宮の大広間に導かれた。
やはりそちらでは2名ずつ整列させられて、名前を紹介されながら入室させられることになる。城下町における祝宴の、正式なる作法である。
ただ今回、先頭に立たされたのは俺とアイ=ファ、それに続くのはトゥール=ディンとゼイ=ディンであった。本日の宴料理の責任者ということで、そういう配置になったのだろう。あとは森辺内の序列に従った順番であった。
「森辺の料理人、ファの家のアスタ様。ファの家の家長アイ=ファ様、ご入場です」
小姓の澄みわたった声とともに、俺とアイ=ファは大広間に足を踏み入れる。
俺たちにとっては、およそひと月ぶりの祝宴だ。本日も大広間はシャンデリアの光によって昼間のように明るく照らされており、100名単位の人間が織り成す熱気とざわめきがあふれかえっていた。
紅鳥宮は赤煉瓦のような石材で構築されているが、豪奢な絨毯や壁掛けによってその色合いはおおよそ隠されてしまっている。さらに壁際にはたくさんの衝立も立てられており、その裏には警護の武官がひそんでいるのだろうと思われた。
料理の卓は左右の壁に沿って配置されており、その他にも小さな円卓が随所に設えられている。本日は楽団も準備されていて、そちらが奏でるひそやかな演奏がいっそう祝宴らしい雰囲気を演出していた。
そんな中、大勢の人々が宴衣装の姿で立ち並んでおり――そして多くの人々が、アイ=ファに感嘆の眼差しを向けていた。
アイ=ファはすました顔をしているが、やはりそれらの眼差しの熱っぽさはなかなかのものである。若い貴婦人に若い貴公子などはほとんど陶然としているようだし、年配の貴族だって決して負けていない。そして貴族ならぬ面々も、けっきょくは同様であった。アイ=ファの美しさというものは、見る側の身分など関係なく胸を震わせてやまないのである。
先頭を切って入場したアイ=ファは迷う様子もなく、右手側の奥部へと向かっていく。
おそらくは、狩人の眼力で見知った顔を多数発見したのだろう。その先には、レビやテリア=マス、ナウディスやその奥方など、宿場町の面々が居揃っていた。
「やあ! アイ=ファはまたたいそう立派な姿だね! こんなアイ=ファに見劣りしないんだから、アスタも大したもんだよ!」
そんな遠慮のない声を投げかけてくるのは、ユーミである。ユーミももちろん、華やかな宴衣装の姿だ。
そして今回、ユーミの付添人はジョウ=ランであった。本日は宿屋の人手が手薄であったためにビアが参席できず、婚約者のジョウ=ランにお呼びがかかったのだ。それでジョウ=ランも森辺陣営の付添人にもぐりこむことなく、参席することがかなったのだった。
「ユーミにそう言ってもらえるのは、心強いよ。宴衣装のアイ=ファの隣に並ぶっていうのは、なかなかの重圧だからさ」
「くだらぬ軽口を叩くな」と、アイ=ファは俺の頭を小突く。
しかしユーミは「いやいや!」と熱心に俺とアイ=ファの姿を見比べた。
「あたしは毎回、本気でそう思ってるよ! 実際問題、アイ=ファの見栄えのよさってのは尋常じゃないからさ! アスタなんかはそんな華やかな感じでもないんだけど、なんていうか……貫禄? 風格? 別に偉そうな感じはしないのに、なーんか雰囲気があるんだよねー!」
「何せアスタはかまど番として、ジェノスで一番の勇者ですからね。俺もアスタには、勇者としての風格を感じます」
と、俺に矛先が向けられると、アイ=ファはごにょごにょと口ごもってしまう。俺が賞賛されるのは嬉しいが、素直に応じるのは気恥ずかしい、という心境なのだろうか。結果、アイ=ファはうっすらと頬を染めながら、罪なき俺の頭を再び小突いてきたのだった。
それからすぐさま、二番手に入場したディンの父娘と三番手に入場したダリ=サウティおよび分家の末妹も追いついてくる。すると、《ランドルの長耳亭》のランディが「どうもどうも」と近づいてきた。追従しているのは、いつも調理を手伝っている若者だ。
「わたしどもも、東の王都の食材とやらをいただきましたよ。トゥール=ディンがあの食材で如何なる菓子を仕上げたのか、楽しみにしております」
「あ、ありがとうございます。みなさんのお気に召したら嬉しいです」
すっかりランディと懇意になったトゥール=ディンは、はにかみながらそのように応じる。ゼイ=ディンは、そのさまを温かく見守っていた。
そしてその後も、森辺の民が続々と入場する。何せこちらは、50名という大所帯であるのだ。今さらながら、参席者の2割が森辺の民というのはなかなかの話であった。
「しかし今回も、貴族ならぬ人間は数多く招かれているようだな」
ダリ=サウティはどこか満足げな眼差しで、その場に居並んでいる面々を見回した。
やはり貴族ならぬ面々は遠慮をして、大広間の一画に身を寄せているのだ。そういった人々は朱色の肩掛けや腕章や花飾りといったものを装着させられているので、すぐに見分けることができた。
「宿場町の宿屋の関係者は、きっかり16人だよ。試食会にお招きされてた8軒の宿屋から2名ずつって寸法だな」
そんな説明をしてくれたのは、着慣れない宴衣装の襟もとを気にしているレビであった。
「あとは区長やら商会長やらで、そういう連中は貴族ともつきあいがあるから挨拶回りで大わらわみたいだな」
「なるほど。城下町の料理人たちも、それは同様なのだろうな」
「ああ。ロイやティマロたちは、森辺のみんなの前に入ってきたぜ。あのヴァルカスってお人は、速攻で衝立の裏に隠れちまったけどな」
それはきっと、人の熱気を避けてのことであろう。それでもヴァルカスに俺の料理を食べてもらえるのは、ありがたい限りであった。
そうして森辺の一行が入場を果たしたならば、次は伯爵家の出番である。
トゥラン伯爵家はリフレイアとトルスト、ダレイム伯爵家はポルアースとそのご家族、サトゥラス伯爵家は本家と傍流が入り混じった、いつもの顔ぶれだ。名前は呼ばれないが、侍女のシフォン=チェルやシェイラやルイアなどもひっそりと追従している。武官の礼服を纏ったムスルも、また然りである。
そしてその次が、外来の貴族たちだ。
外交官のフェルメスとオーグ、バナーム侯爵家のアラウト――そして、ダーム公爵家のティカトラス、デギオン、ヴィケッツォという顔ぶれになる。残念ながら、ジェムドやサイは従者という立場で名前を呼ばれず、今回は宴料理を口にできないようであった。
その中で注目を集めるのは、やはりティカトラスの一行となる。ティカトラスはまた宴衣装を新調したらしく、これまで目にした覚えがない柄のターバンや長羽織を纏っていた。
デギオンは武官の白い礼服で、ヴィケッツォはアイ=ファと同じくシムの宴衣装だ。俺にとってはアイ=ファこそが至高の存在であるものの、漆黒の肌と独特の美貌をあわせ持つヴィケッツォはアイ=ファに負けないぐらい熱っぽい眼差しを浴びているようであった。
そして次なるは、ジェノス侯爵家の面々である。
こちらもマルスタイン、メルフリード、エウリフィア、オディフィアといういつも通りの顔ぶれで、全参席者の最年少であろうオディフィアの愛くるしさにも変わるところはない。しずしずと歩を進める幼き姫君の姿に、トゥール=ディンは早くも温かな眼差しになっていた。
そして、南の王族たるデルシェア姫である。
デルシェア姫の名前が告げられた瞬間、ほんの少しだけ会場内の空気が張り詰めた。やはり今回は東の王都の使節団を迎えて初めての祝宴であるため、デルシェア姫との関係性が注目されているのだろう。
しかしデルシェア姫は人々の懸念をなだめるように、普段通りの朗らかな笑みを振りまいている。引き連れているのは従者ばかりで、名前を呼ばれたのはデルシェア姫ただひとりとなるが、実に堂々たる立ち居振る舞いだ。その変わらぬ姿に、大勢の人々が胸を撫でおろしたようであった。
しかしその後には、さらに気が張る面々が待ちかまえている。
多少の時間を置いてから使節団の団長たるリクウェルドの名が告げられると、会場内にあふれかえっていたざわめきまでもが静められてしまった。
さらに、書記官とセルフォマ、第二王子の『王子の眼』と『王子の耳』の名も告げられて、5名がともに入場してくる。
ざわめきのやんだ大広間を、その5名は粛然と行進した。第二王子の臣下を除く3名は、俺やアイ=ファとよく似た宴衣装の姿だ。しかし、完全無欠の無表情で、背筋を真っ直ぐにのばして歩を進めるその姿は、とても静謐であり――かつてのアルヴァッハたちとはまた趣の異なる存在感をかもしだしていた。
(なんだろう。これこそ、風格っていうのか……静かすぎて、目立つんだよな)
その静謐さの揺るぎなさが、何らかの圧力を生み出すのだろうか。さらさらと流れる小川でも、決して人の力でせきとめることはできない、とでも言うような――そんな静かなる力感を感じてやまなかった。
そうして大トリは、ポワディーノ王子である。
その際には、驚嘆のざわめきがわきかえることになった。ポワディーノ王子はひさかたぶりに、帳を張った輿で入場したのである。
2メートル四方の立方体をした藍色の輿が、しずしずと前進する。それを担ぐのは、4名の『王子の足』だ。そしてその後には、10名ばかりの臣下が追従していた。
(さすがにこれだけの人数が相手だと、姿をさらすのは許されなかったか)
ポワディーノ王子はすでに何度かの祝宴でその身をさらしていたが、今回は貴族ならぬ市井の人間も数多く招待されていたし――それに何より、使節団の目があるのだ。東の王の代理人たるリクウェルドや第二王子の臣下が見守る前では、ポワディーノ王子も入念に身の振り方を考えなければならないのだった。
そうしてポワディーノ王子を乗せた輿は、大広間の奥まった場所に下ろされる。
そちらには立派な敷物が敷かれていたが、まだ腰を下ろしている人間はいない。輿の右側にはジェノス侯爵家の面々、左側には使節団の面々が立ち並んでいた。
「それでは祝宴に先立って、ジェノス侯爵家の当主マルスタインから挨拶をさせていただく」
マルスタインが朗々たる声をあげると、人々はざわめきをつつしんで厳かなる拍手を打ち鳴らした。
そして、俺とアイ=ファ、トゥール=ディンとゼイ=ディンの4名は、小姓の案内でマルスタインのもとに導かれる。今日は挨拶は無用と聞かされていたが、顔見せだけは必要であるようであった。
「本日は東の王都から届けられた食材の素晴らしさを伝えるために、ジェノスの誇る料理人たるアスタとトゥール=ディン、およびラオ王城の副料理長セルフォマに腕を振るっていただいた。この場に集まった面々にはジェノスの代表として、また、食材を扱う交易の関係者として、その素晴らしさを正しく見定めていただきたく思う」
会場は、水を打ったように静まりかえっている。
やはり、普段とは異なる緊張感だ。俺は嫌でも、鴉の大群に襲撃された祝宴の日のことを思い出していた。
(まあ、この場にいる人たちの過半数は、初めて使節団の人たちと向き合っているんだろうからな)
使節団の面々はきわめて友好的であり、謝罪も賠償も滞りなく終了したことはジェノス全土に布告されている。それでも相手は東の王の代理人であり、どのような人柄であるかも不明であるのだ。これが初対面となる人々は、気を引き締めて然りであった。
「アスタとトゥール=ディンはまたわずか5日間という期間で、さまざまな料理と菓子を作りあげてくれた。いっぽうセルフォマはジェノスの料理人に協力を願って、東の王都の宴料理というものを準備してくれた。どちらも多大な苦労であったことは、想像に難くないが……我々の期待が裏切られることは、決してないだろう。食材の質というものを余念なく吟味しつつ、東の王都ラオリムと絆を深められた喜びを噛みしめていただきたい」
他の面々が挨拶をしないためか、マルスタインが普段以上に言葉を重ねている。
とりあえず、俺はトゥール=ディンやセルフォマとともに一礼して、節度のある拍手を浴びることになった。
「なお、シムの第七王子たるポワディーノ殿下および使節団の方々は、こちらの敷物で料理を召しあがっていただく。本日の主眼はあくまで食材の検分であるため、挨拶などは控えていただきたい。……それでは、試食の祝宴を開会する」
さらなる拍手が打ち鳴らされて、開会の挨拶は終了した。
それと同時に、大勢の従者が俺たちの前に衝立を運び込んで姿を隠していく。あっという間に、俺たちは大広間の賑わいから隔離されてしまった。
「世話をかけるが、最初の半刻から一刻ばかりは、こちらで料理の説明をお願いするよ。……ああ、レイナ=ルウたちも来たようだね」
小姓の案内で、レイナ=ルウとジザ=ルウもこちらにやってきた。
さらに、数名の貴族も招集される。かつての晩餐会と同じ顔ぶれで、外務官、ポルアース、リフレイア、リーハイム、アラウト、フェルメス、オーグといった面々だ。そして最後に、シムの宴衣装を纏ったプラティカも姿を現した。
「ああ、そちらは先に入場していたのか」
アイ=ファがこっそり声をかけると、プラティカは凛々しい面持ちでもじもじしながら「はい」と首肯した。奥ゆかしい彼女は、露出の多い宴衣装の姿をさらすことに羞恥の念を抱いているのだ。しかし、どこか似た雰囲気を持つアイ=ファとプラティカがおそろいの宴衣装を纏っていると、俺は得も言われぬ満足感にひたることができた。
「これで全員そろったようだね。武官の配置は終わったかな?」
マルスタインの呼びかけに、小姓のひとりが恭しく一礼する。それを見届けて、マルスタインは藍色の輿――の、かたわらにたたずむ『王子の耳』へと呼びかけた。
「人の目からは隠されました。ポワディーノ殿下も、お席のほうにどうぞ」
藍色の帳の向こうから「うむ」という声が響き、ポワディーノ王子と黒豹の『王子の牙』が姿を現した。
使節団が東の王都から運び込んできたのか、ポワディーノ王子も宴衣装の姿である。その宴衣装は当然のように藍色を基調にしており、誰よりも数多い飾り物と相まって、王子の名に恥じない絢爛さであった。
そんなポワディーノ王子が右側の敷物に着席して、リクウェルドとセルフォマがそれに続く。セルフォマの背後には通訳のカーツァがちょこんと控えたが、やはりそちらは普段と大差のない装いだ。その袖には従者のしるしである青い腕章がはめられており、宴料理を食せない立場であることが示されていた。
書記官と第二王子の臣下は左側の敷物に座し、そちらには伯爵家の面々と外交官の両名とアラウトが案内される。そして、レイナ=ルウとジザ=ルウもそれに続いた。
俺とアイ=ファ、トゥール=ディンとゼイ=ディンは、右側の敷物だ。
ポワディーノ王子、リクウェルド、セルフォマ、プラティカ――マルスタイン、エウリフィア、オディフィアという顔ぶれで、メルフリードだけが左側の敷物に座す。こちらに限っては、先日の晩餐会と同じ顔ぶれであった。
(まあ、隣の敷物も似たようなもんか。ガズラン=ルティムがジザ=ルウに入れ替えられて、森辺の民がふたりに削られて――それで、ふたつの敷物がひとつにまとめられたような格好だな)
今回は目新しい食材を使っているため、レイナ=ルウぐらいでないと説明役も覚束ないという判断であるのだろう。森辺のかまど番の人数を必要最低限に絞る、きわめて実務的な配置であった。
「……今回も、ティカトラスらは参じないのだな」
アイ=ファが率先して口火を切ると、マルスタインは鷹揚に「うむ」と応じた。
「ティカトラス殿は、ひとつところに留まることも格式張った振る舞いも苦手にしているからね。今日は自由に料理を食べていただき、おいおい感想を拝聴することにしたのだよ」
「うむ。まったくもって、異存はない」
アイ=ファの厳粛たる返答に、エウリフィアが「まあ」と微笑む。
「やっぱりアイ=ファはそのように麗しい姿でも、相変わらずの凛々しさね。でも本当に、シムの貴婦人を思わせる美しさだわ。……実際にシムの貴婦人のお美しさを知るリクウェルド殿としては、如何かしら?」
「はい。森辺には異性の容姿を褒めそやすことはならじという習わしが存在すると聞き及びますので、評価は差し控えさせていただきます」
なめらかなる声音でそんな風に応じつつ、リクウェルドは静謐な眼差しで4名の森辺の民とプラティカの姿を見回した。
「ですが、それらはいずれもティカトラス殿が準備された宴衣装であるとの話でしたね。文献の知識のみでラオリムの宴衣装が完璧に近い形で再現されていることに驚きを禁じ得ません」
「ええ、本当ですわね。リクウェルド殿やセルフォマのお姿を目にしたことで、わたくしたちもその事実を思い知ることができましたわ」
トゥール=ディンは若年であるので胸もとや足もともつつましく隠されているが、アイ=ファとプラティカと向こうの敷物のレイナ=ルウは、セルフォマとおおよそ同一の姿をしているのだ。ただし、どこもかしこもスレンダーなシムの女性と卓越したプロポーションを有する森辺の女衆では、いささかならず趣が異なっていた。
(でも……色気とかそういう話を抜きにして、すごく綺麗だな)
とりわけセルフォマはすらりと背が高いため、座っていても存在感がある。もちろんゲルドの民としての生命力をみなぎらせているプラティカもたいそう魅力的であるのだが、凪いだ海のように静謐なセルフォマにも独自の魅力が存在した。また、金褐色の髪と紫色の瞳をしたプラティカはそれだけで華やかな印象であるため、黒髪黒瞳のセルフォマにはいっそう静謐なる魅力というものが生じるのかもしれなかった。
(ヴィケッツォなんかもそれは一緒だけど、あっちはゴージャスな雰囲気で色気もすごいからな。このセルフォマは……アリシュナが宴衣装を纏ったようなもんか)
しかしまた、アリシュナの最大の個性はその神秘的な眼差しである。セルフォマにはそういった特性も存在しない分、より静かな雰囲気が強調されるのかもしれなかった。
などと、俺がついつい検分に励んでいると、右の頬に視線が突きつけられる。
俺は大慌てで笑顔を送ったが、もちろんアイ=ファはその美しい瞳を半分まぶたに隠してしまっていた。
(アイ=ファはすぐ隣にいるから、なかなか視界に入らないんだよ。アイ=ファが正面にいたら目を奪われて、料理の説明も覚束なくなっちゃうけどな)
俺はそのように考えたが、この状況で密談は差し控えるべきであろうし、そんな言葉を伝えてもどこかを小突かれるだけであろう。ということで、俺は自分の役割に集中することにした。
「料理を供する順番は、アスタが決めてくれたそうだね。まずは、アスタの手並みから味わわさせていただくよ」
マルスタインがそのようにうながしてくれたので、俺は「はい」と一礼した。
「今日は、6種の料理を準備しました。その中で、東の王都の食材を5種ほど使っています。自分としては奇抜な料理ではなく、これまでの献立に新たな食材を組み込んだ格好になりますね」
「うむ。それでこそ、多くの料理人のよき指標となることだろう。……まあ、市井の料理人にはアスタの手腕を見習うだけで大変な苦労なのだろうがね」
マルスタインはゆったり微笑みつつ、リクウェルドのほうに向きなおる。
「なおかつ、リクウェルド殿やセルフォマがアスタの料理を口にするのは、これでようやく2度目となりますからな。いささかならず奇抜に感じる面もありましょうが、どうぞご容赦ください」
「ええ。どのように目新しい料理が披露されるのか、心が躍ってなりません」
いっさい内心をうかがわせない無表情のまま、リクウェルドはそのように応じる。そのかたわらで、カーツァは懸命にマルスタインの言葉をセルフォマに伝えていた。
そこに、従者たちがしずしずと近づいてくる。目隠しの衝立は右端に隙間があけられており、そこが通用口となっているのだ。きっと表の側では屈強なる武官が目を光らせているのだろうと察せられた。
そんな従者たちが運んできたのは、汁物料理と野菜料理だ。
俺はさっそく料理の解説を始めさせていただいた。
「こちらの汁物料理は、ゼグを使用しています。ゼグは具材のひとつとして扱いましたが、塩抜きの水を煮汁に使いましたので、ゼグ料理と呼んでも差し支えのない仕上がりなのではないかと考えています」
ゼグとは、塩漬けにされたカニに似た食材である。塩抜きに使った水には風味も溶け込むので煮物や汁物料理に転用できるというのは、セルフォマから習い覚えた手法であった。
ただし、ゼグの身はもともと細かくほぐされているため、そのまま汁物料理に使うと煮汁の中に散ってしまう。それで俺は塩抜きをした後のゼグをかき集めて、すりこぎですり潰し、つなぎのポイタンを添加して団子に仕上げることにした。
他なる具材はギバのバラ肉、ハクサイのごときティンファ、長ネギのごときユラル・パ、豆腐のごとき凝り豆、そしてシイタケモドキというラインナップで、塩抜きした水はさらにトビウオに似たアネイラの乾物の出汁をあわせている。これをポン酢などでいただくだけでも悪くない仕上がりであったが、本日の主賓は東の民であるため、ひさびさにチット漬けを使用することにした。
チット漬けとは唐辛子のごときチットを筆頭とする複数の食材に野菜を漬けて発酵させる、キムチのような料理となる。今回はティンファをチット漬けにして、そちらも鍋の具材としたのだ。
カニの団子を具材にした、キムチ鍋――俺の故郷で言えば、これはそういった献立であった。
「うむ。香りからして、いかにも東の方々に好まれそうな料理であるようだ」
満足げに微笑むマルスタインに、俺は「はい」と笑顔を返す。
「ただし、森辺にも強い辛みを苦手にする人間は少なくありませんので、煮汁の辛さはひかえめにしています。もっと強い辛みをお求めの方々は、後掛けの調味料をお使いください」
後掛けの調味料とは、ハバネロのごときギラ=イラを使った七味チットとなる。辛みが苦手なアイ=ファなどは絶対に使おうとしないが、ギラ=イラが持つ風味と旨みはこの汁物料理をさらに望ましい味わいに仕上げてくれるのだった。
「そして、こちらの野菜料理にはドケイルとジュエの花油を使っています。ジュエの花油の風味というのはそれほど強いものではありませんが、他の食材とあわせても存在感が消えないので、今後も色々と活用できるのではないかと期待しています」
野菜料理はジェノスの面々にとってはお馴染みの、ダイコンのごときシィマとヤマイモのごときギーゴの千切りサラダである。そこにちりめんじゃこの乾物を思わせるドケイルをまぶし、ドレッシングでジュエの花油を使っていた。
ジュエの花油は加工の際に花弁を漬けているとのことで、芳しい甘い香りが特徴となる。それは決して強い香りではないのだが、他の食材を加えても完全に消え去ることがないので、さまざまな組み合わせを楽しめるようであるのだ。
今回はドレッシングであるため、塩、砂糖、ピコの葉に、ワインビネガーのごとき白ママリア酢を加えている。白ママリア酢もけっこうな風味であるが、そこにジュエの花油の甘い香りが調和して、なかなか魅惑的な仕上がりになっていた。
それにやっぱりシャクシャクとしたシィマとギーゴの食感にドケイルのカリカリとした食感が加わると、おたがいの魅力を増幅させてくれる。ドケイルが持つ魚介の風味も、ドレッシングの風味を阻害することは決してなかった。
「それでは、アスタの手腕を味わわさせていただきましょう」
『王子の舌』が毒見を完了させるのを見届けてから、マルスタインが試食の開始を宣言した。
人々は、無言のままに食器を取る。それから真っ先に口を開いたのは、やはりマルスタインであった。
「なるほど。こちらの汁物料理には、まったく見知らぬ風味が強く感じられる。これが、ゼグという食材の風味であるわけだね?」
「はい。ゼグは魚介の食材ですがギバの風味ともそれほどぶつからないようですし、こういう強い味付けであればいっそう気にならないだろうと考えました」
「うむ。少なくとも、わたしには何の不満もないよ。……リクウェルド殿は、如何でありましょうかな?」
「はい。実に素晴らしい味わいであるかと思います。……ただし私は門外漢ですので、料理人たるセルフォマに意見してもらいたく思います」
カーツァが慌ただしくリクウェルドの言葉を伝えると、セルフォマはゆったりとした声音でそれに応じる。それをまた、カーツァが慌ただしく通訳することになった。
「ゼ、ゼグの塩抜きをした水を煮汁に使うというのは私が教示した一般的な手法でありますが、こちらの料理の完成度の高さには心から驚かされました。細かな味の調整も、出汁の仕上がりも、具材の選別も、どこにもまったく非の打ちどころがありません。そしてまた、ギラ=イラを使った調味料の仕上がりがひときわ素晴らしく思います」
「ありがとうございます。セルフォマのような御方にそのように言っていただけるのは、光栄な限りです」
俺の言葉を通訳すると、セルフォマがまた何かを語り始める。
が、カーツァがそれを通訳する前に、リクウェルドが東の言葉をさしはさむ。それでカーツァがおどおどと目を泳がせて、セルフォマが深く頭を垂れたため、何かしらの異常事態が生じたのだと知れた。
「申し訳ありません。セルフォマが非礼な言葉を口にしましたため、私のほうからたしなめさせていただきました」
と、最後にはリクウェルドまでもが頭を下げてくる。
その姿に、マルスタインは興味深げに微笑んだ。
「セルフォマが非礼な言葉を口にするなど、なかなか想像がつきませんな。いったいどのような言葉であったのでしょうか?」
「……アスタはいまだセルフォマの料理を口にしたことがないので、何が光栄なのか理解しかねるなどと申していました。私からも、セルフォマの非礼を詫びさせていただきたく思います」
そんな言葉を聞かされて、今度は俺が慌てることになった。
「お、俺のほうこそ、何だか申し訳ありません。セルフォマは王城の副料理長というお立場だとうかがっていたので、それで光栄だと考えたのですが……」
「ええ。アスタには何の非もございません。おそらくはアスタの手腕に感服するあまり、浅ましい対抗心を誘発されたのでしょう」
俺はセルフォマのほうをうかがってみたが、そちらは相変わらず静謐そのものの雰囲気で、ただ申し訳なさそうに目を伏せている。彼女の中にそんな対抗心がひそんでいようなどとは、まったく想像がつかなかった。
(でも別に、対抗心を持つのは悪いことじゃないからな)
シリィ=ロウやティマロの面影を追いながら、俺はそのように結論づけた。
「料理人には対抗心を向上心に直結させているお人も少なくないように思います。俺はまったく気にしていませんので、セルフォマもどうかお気になさらないようにとお伝え願えますか?」
「承知いたしました。アスタの寛大なお言葉に、深く感謝いたします。……カーツァ、通訳を」
「は、はい!」と、カーツァはわたわたと慌てながら東の言葉をセルフォマに伝える。するとセルフォマは、先刻よりもさらに深々と俺に頭を垂れてきた。
何とはなしに、気まずい雰囲気である。
しかしそれが深刻なレベルに達する前に、エウリフィアがのんびりと声をあげた。
「セルフォマの意外な一面を知ることができて、わたくしも嬉しく思いますわ。それじゃあ、野菜料理のご感想もお聞きしてよろしいかしら?」
セルフォマは伏せていた目を正面に戻すと、何事もなかったかのように語り始めた。
「こ、こちらの野菜料理においても、調味液の調合が秀逸であるかと思われます。また、ジュエの花油に酸味を合わせるというのは東の王都においてあまり見られない手法ですので、きわめて目新しく思います。清涼なる生鮮の野菜との組み合わせも秀逸であり、辛みの強い汁物料理との相性も申し分ないように思います。……と、仰っています」
「確かにこちらの調味液は、甘い風味が酢の酸味を優しくなだめて、とても好ましい味わいですわね。……オディフィアも、きっと好みでしょう?」
「うん。すごくおいしい」
オディフィアが舌足らずな声で可愛らしく応じると、いっそうその場の空気が和んだ。
マルスタインはそんな孫娘に優しい微笑みを投げかけてから、俺にも笑顔を向けてくる。たぶん、俺がセルフォマに届けた言葉の内容に満足したのだろう。俺は本心を告げたに過ぎないが――ともあれ、この場に座した面々は誰もが西と東の穏便な関係性が保たれることを強く願っているはずであった。
(だけどまあ、使節団の面々はなかなか内心が見えないからな。セルフォマがうっかり本心をこぼしたっていうんなら、それはそれで前向きにとらえることもできるだろうさ)
そんな思いを胸に秘めながら、俺は次なる料理を迎え撃つことに相成った。




