試食の祝宴①~下準備~
2024.7/30 更新分 1/1
ジバ婆さんの生誕の日から、4日後――黄の月の3日である。
ついに試食の祝宴の当日を迎えた俺たちは、朝も早くから城下町に向かうことになった。
基本の顔ぶれは、ゲルドや南の王都の食材を扱った試食の祝宴と同一である。すなわち、小さき氏族からは俺、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、フェイ・ベイム=ナハム、ラッツ、ガズの女衆の7名、ルウの血族からはレイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、ヤミル=レイ、レイ、ルティムの女衆の7名、ザザの血族からはトゥール=ディン、スフィラ=ザザ、モルン・ルティム=ドム、ディン、リッドの女衆の5名、そしてサウティの血族からはサウティ分家の末妹という、かまど番だけで20名という大所帯だ。
ただ今回、それとは別に5名のかまど番が選出されることになった。
大試食会なる祝宴においては宿場町の面々を手伝うために何名かのかまど番を貸し出すことになったが、なんと今回は東の王都の料理人たるセルフォマの手伝いをするために5名のかまど番が招集されたのである。
このたびセルフォマは、東の王都の食材の扱い方を教示するために祝宴の半分の料理を受け持つ予定になっていた。その際に、城下町の料理人たちを調理助手にすることで実地による手ほどきを施す算段であったのだが――せっかくならば森辺のかまど番もそこに加わってはどうかというお誘いを受けたわけである。
「それはもちろんセルフォマじきじきに手ほどきをされれば、一番身につくでしょうからね。可能であれば、俺がお引き受けしたいぐらいです」
という俺の意見を取り入れて、族長らはジェノス城からの提案を受け入れることになった。
そちらの手伝いに選出されたのは、クルア=スン、フォウ、アウロ、ジーン、ダダの女衆という顔ぶれになる。いっそレイナ=ルウやユン=スドラあたりを派遣すれば、いっそう効果的であったのかもしれないが――あいにくこちらも、そこまでのゆとりはなかった。俺もわずか5日間で新たな食材を使いこなさなければならないという使命を負っていたため、熟練のメンバーを手放すわけにはいかなかったのだった。
なおかつ、ジーンやダダの女衆というのはここ最近になって屋台の商売に参加した新参メンバーであったので、力量的に不足はないかという疑問もなくはなかったのだが、それに関してはプラティカが太鼓判をおしてくれた。セルフォマは今回の調理助手にそこまで高い手腕を求めているわけではないので、森辺の一般的な腕を持つかまど番であればまったく問題はなかろうという話であった。
というわけで、セルフォマのもとに参じるのはクルア=スンたち5名に決定すると同時に、付添の狩人はいくぶん顔ぶれを変更することになった。前回の試食の祝宴ではユン=スドラの付き添いがフォウの長兄であったりしたのだが、そちらはセルフォマのもとに参じるフォウ分家の女衆の付添に移されて、チム=スドラが新たに組み込まれたのである。
あとはおおよそ、それぞれの氏族の長兄たちだ。ただしルウの血族だけは前回と同じく変則的で、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、シン・ルウ=シン、ジーダ、ラウ=レイ、シュミラル=リリン、ガズラン=ルティムという頼もしい顔ぶれになっていた。
なんやかんやで、城下町に向かう森辺の民の総勢は50名となる。
しかもその全員が、祝宴の参席者でもあるのだ。東の王都の使節団を迎えた祝宴でも、森辺の民の待遇に変わるところはなかった。
なおかつ今回は新たな食材の扱い方を広く知らしめるための祝宴であるため、貴族ならぬ人間もどっさり招待されている。セルフォマを手伝う城下町の料理人たちは言うに及ばず、宿場町の宿屋の関係者や商会長や区長といった面々もそれなりの人数が招待されたのだ。それで祝宴の参席者は、総勢250名という人数にのぼったのだった。
「ポワディーノや使節団の方々がいらっしゃるから、今回は貴族ばかりなのかと思っていました! ユーミやレビたちも参席できて、よかったですね!」
と、レイ=マトゥアなどはにこにこと笑いながらそんな風に言っていたものである。
俺もその点は意外であったし、それに嬉しくも思っていた。そして、それにまつわる裏事情をこっそり教えてくれたのは、祝宴の前日にひょっこり姿を現したカミュア=ヨシュであった。
「どうやら王子殿下や使節団の面々は、敷物の席からいっさい動かないという取り決めに落ち着いたようだよ。だから、敷物の外にどんな身分の人間を集めようとかまいはしない、という構えであるようだね」
それは俺にとって、いくぶん物寂しい話であったが――しかしまあ、使節団の面々はジェノスでそうまで手広く交流を広げる必然性がないのだろう。今にして思えば、南の王都のロブロスたちだって宿場町の民や城下町の料理人などとはまったく縁を結ぼうとはしていなかったはずであった。
(だからまあ、貴族や王族にとってはそれが当たり前の話で……ダカルマス殿下やアルヴァッハやティカトラスのほうが規格外ってことなんだろうな)
ともあれ、使節団の面々がそういうスタンスであるからこそ、さまざまな人々の参席が許されたのである。カミュア=ヨシュいわく、デルシェア姫やディアルといったジャガルの面々も参席が許されたというのだから、むしろリクウェルドの懐の深さに感謝しなければならないぐらいであった。
◇
そんな諸々の事情を踏まえて、俺たちは城下町に到着した。
立派なトトス車で案内されたのは、お馴染みの紅鳥宮だ。大人数で、なおかつ貴族ならぬ人間を多数招待する際は、こちらの小宮がもっとも相応しいのだろうと思われた。
そして今回も、過半数の狩人たちは白鳥宮に案内される。護衛役などはひとつの厨につき2名ずつで事足りるので、残りの面々はそちらでさまざまな相手と交流を深めるのだ。
なおかつ、セルフォマはジェノス城の厨をお借りするとのことで、それを手伝う5名のかまど番と2名の狩人はそちらに連れていかれる。結果、紅鳥宮に居残るかまど番は20名、狩人は6名ということに相成った。
今回も、かまど番は3つの班に分けている。俺の班は小さき氏族の面々にサウティ分家の末妹を加えた8名、あとはルウの血族の7名にザザの血族の5名という、いつも通りの振り分けだ。レイナ=ルウを班長とするルウの血族は俺の指揮下であったが、ザザの血族はトゥール=ディンの取り仕切りで菓子を仕上げる別働部隊であった。
「それじゃあ、おたがい頑張ろう。レイナ=ルウの班の厨は、あとで様子を見にいくからね」
「はい。どうぞおまかせください」
今日も今日とて、レイナ=ルウはきりりとした面持ちである。いっぽうトゥール=ディンは彼女らしい内気さをかもしだしつつ、気後れしている様子はない。この5日間、トゥール=ディンはファやルウの勉強会には加わらず、ひたすら自分の家で新たな菓子の考案に取り組んでいたのだった。
「トゥール=ディンは、静かに奮起していますよね。きっとオディフィアに新しい菓子を食べてもらえることが、嬉しいのでしょう」
ユン=スドラはそんな風に言っていたし、俺もまったくの同意見であった。
ということで、俺たちも担当の厨に入室する。すでに浴堂で身を清めて、白い調理着に着替えた姿だ。護衛役たるアイ=ファとチム=スドラも、武官のお仕着せの姿であった。
「でも、チム=スドラはこっちでよかったのかな? チム=スドラだって、けっこうジェノスの貴族とはご縁を深めた間柄なのにさ」
「あちらにはフォウの長兄が出向いているのだから、俺まで参じる必要はなかろう。メリムやエウリフィアと縁を深めたのは、俺ではなくイーア・フォウだしな」
チム=スドラはそんな風に言っていたが、彼はかつて復活祭のパレードにおいてマルスタインに矢を射かけた無法者を捕らえた功労者であるのだ。気さくで柔和なイーア・フォウ=スドラがさまざまな貴婦人とひそかにご縁を紡いでいるのは確かであったが、実直きわまりないチム=スドラとてさまざまな貴族から信頼を寄せられているはずであった。
(だけどまあ、無理をしてまで交流を広げる必要はないからな)
チム=スドラが辞退した分は別の男衆が白鳥宮に出向いているのだから、何も不足はないだろう。ルウの血族にあてがわれた厨でも、ルド=ルウやジーダが心置きなく護衛の役目を果たしているはずであった。
そうして俺たちが下準備を進めていると、来客の旨が伝えられる。
やってきたのは、ポワディーノ王子の臣下たる2名の『王子の耳』だ。本日も、俺とマルフィラ=ナハムの手腕を学ぶべく、彼らは調理の見学を希望していた。
「みなさん、お疲れ様です。ポワディーノ殿下も、白鳥宮にいらっしゃっているのでしょうか?」
「いえ。王子殿下は中天の食事を終えられたのちに、森辺の方々との会談に臨まれる予定になっています」
今はまだまだ、早朝の部類であるのだ。午後の時間だけでも、交流を深めるには十分であるはずであった。
(というか、東の王子が市井の人間と直接交流を深めるなんてのも、きっと普通の話ではないんだろう。ポワディーノ王子は、また使節団の面々を説き伏せることになったんだろうな)
そんな思いを噛みしめながら、俺は下準備を進行させる。
すると、息をつく間もなく、新たな客がやってきた。なんと、デルシェア姫に武官のロデ、ディアルに従者のラービスという4名連れである。
「あれ? ディアルが厨に来るなんて珍しいね。しかもデルシェア姫とご一緒なんて、いったいどうしたんだい?」
「だって最近はなかなか屋台に出向く時間もなかったし、晩餐会にだって割り込めなかったからさ! なんとか昨日の内に仕事を片付けて、時間を作ったんだよ!」
デルシェア姫の前だというのに、ディアルはいつもの調子で元気な声をあげた。
するとデルシェア姫も、「そうそう!」と便乗する。
「まあ、あっちが近づくなって言うんなら、無理に割り込むことはできないけどさ! どーせ今日だってアスタ様たちは東の王都の方々につきっきりなんだろうから、ディアル様にもご一緒してもらったんだよ!」
ディアルはジャガルの女性としては長身なほうで、デルシェア姫よりも10センチ近くも背が高い。が、どちらもエメラルドグリーンの瞳をきらきらと輝かせており、色の白い顔は造作が整っていて可愛らしい。そして何より、おひさまのような明朗さが双子のようにそっくりであった。
「おふたりが祝宴でご一緒している姿は、そんなにお見かけしたことがなかったんですけど……ずいぶん親交が深まったご様子ですね?」
俺がそのように問いかけると、デルシェア姫は子供のように「うん!」とうなずいた。
「ディアル様はジェノスに常駐してる、数少ない南の民だからね! そりゃー親睦も深まろうってものさ! 最近は、ちょくちょく晩餐だってご一緒してるんだよー!」
「それに僕はダカルマス殿下じきじきに、デルシェア姫をよろしく頼むってお願いされてる身だからさ!」
それは確かにダカルマス殿下にしてみても、ジェノスに常駐しているディアルの存在は心強い限りであろう。しかもディアルはジェノスの貴族と森辺の民の両方に顔がきくのだから、心強さも倍増するのではないかと思われた。
(そういえば、このふたりが居揃ってる姿を見るのは、送別の祝宴以来だったっけ。あれからひと月近くは経ってるんだから、その間にいっそう親睦が深まったってことなのかな)
そしてその期間、ジェノス城にはずっとポワディーノ王子が居座っており、先日には使節団まで追加されたのだ。ジェノスに身を寄せるデルシェア姫とディアルが同族としての結束を固めたとしても、不思議はないのかもしれなかった。
「アスタたちこそ、最近は東の連中にかかりきりだったんでしょ? それを責めることはできないけど、僕たちのことをないがしろにしないでよー?」
「そんなこと、するわけないじゃないか。南の民も東の民も、俺たちにとっては同じぐらい大切な相手だよ」
「ほんとにー? アイ=ファなんか、迷惑そうな目つきになってるけど」
ディアルに横目でにらまれたアイ=ファは、凛々しい面持ちで「いや」と応じた。
「アスタの言う通り、我々はあらゆる相手と等しく絆を深めなければならない身であるのだ。ただ……このように騒がしいのはひさびさであったので、いくぶん面食らっている」
「なんだよー! 陰気臭い東の連中のほうが、好ましいって言いたいの?」
「そんなことは言っていない。ただ、こちらにも東の民が控えているのだから、もういささか口をつつしむべきではなかろうか?」
黙然とたたずむ『王子の耳』たちのほうをちらりと見やってから、ディアルは「むー」と口をとがらせる。その可愛らしい所作に笑いながら、俺も口を出しておくことにした。
「アイ=ファは騒がしい場を苦手にしているけど、賑やかな相手を嫌ってるわけじゃないからさ。ただ、ディアルもデルシェア姫もひさびさの対面で元気が爆発してるから、それに慣れるのに時間が必要ってことなんじゃないのかな」
「ものは言いようだねー! ま、僕は僕の好きにやらせてもらうけどさ!」
ディアルがぷいっとそっぽを向くと、首の後ろでくくっている髪が子犬の尻尾のように揺れる。そういえば、ディアルはデルシェア姫に負けないぐらい明朗な人柄であったが、笑うのと同じぐらいの頻度ですねたりわめいたりするのだ。やはり印象が似通っていても、それぞれ愛すべき個性が備わっているわけであった。
「まあとにかく、使節団のお人らも厨の見学に文句をつけたりはしなかったからさ! 今日はひさびさに、じっくり見学させていただくよー!」
あくまで屈託のないデルシェア姫に、俺は「はい」と笑顔を返す。
すると、余念なく下準備を進めていたユン=スドラが発言した。
「そういえば、デルシェアやディアルは使節団の方々と顔をあわせる機会はあったのですか?」
「わたしはいっぺんだけ、ご挨拶をさせていただいたよー! 何せおたがい、ジェノス城のお世話になってる身なんだからさ! 手を携えることはできなくっても、挨拶ぐらいはしておかなきゃでしょ!」
「逆に僕には、挨拶する理由なんてありゃしないね。こっちはしがない商売人なんだから、東の王子やら使節団やらと縁を持つ必要はないでしょ?」
「そうなのですか。ディアルはこれまでの祝宴でもアリシュナとご一緒している姿を目にすることが多かったので、東の方々とも――」
「あ、ちょっとちょっと!」と、ディアルが慌ててユン=スドラの言葉をさえぎった。
すると、デルシェア姫がにっこりと笑って発言する。
「あちらの方々はポワディーノ様の臣下だから、言葉を飾らなくても大丈夫だよ。でも、森辺のみなさんにはアリシュナ様のことが通達されてなかったみたいだね」
「通達? いったい何のお話でしょうか?」
「アリシュナ様は、シムを追放された身でしょ? だから本来、東の王都の方々はアリシュナ様に甘い顔を見せられない立場なんだよ。アリシュナ様の罪を軽んじるのは、追放を命じたかつての王の言葉を軽んじるのと同義だからね」
ユン=スドラが驚きの表情で口をつぐむと、アイ=ファが「そうなのか?」と鋭く声をあげた。
「ポワディーノは、アリシュナを粗末に扱う様子もなかったが……使節団の面々は、事情が異なるということであろうか?」
「うん。ポワディーノ様も、決して甘い顔は見せてなかったんだろうけどさ。ただ、王の代理人である使節団の方々は、より徹底してるってことなんだと思うよ」
俺は大急ぎで、去りし日の記憶をまさぐった。
確かにポワディーノ王子は、アリシュナに対して甘い態度は取っていなかったかもしれないが――その反面、厳しい態度であったという印象もない。ロルガムトを尋問するのにアリシュナの力を頼ることにも異論はないようであったし、叙勲の式典でも同席させていたのだ。それに、アリシュナの星読みの力に感服し、もしも彼女が東の王都の生まれであったなら王宮付きの占星師に任命されていたのではないか、と――アリシュナ当人に、そんな言葉を届けていたはずであった。
「それじゃあ……アリシュナは、今日の祝宴にも参席できないのでしょうか?」
「うん。わたしは、そう聞いてるよ」
穏やかに語るデルシェア姫のかたわらで、ディアルはぶすっと口をへの字にしている。口で何と言おうとも、ディアルはアリシュナとそれなりに交流を深めていたはずであるのだ。
そしてそれは、アイ=ファも同様である。アイ=ファはいっそう鋭い眼差しになりながら、デルシェア姫に問いかけた。
「このような話をデルシェアに問い質すのは、筋違いなのであろうが……使節団の面々は、アリシュナに敵意を向けているのであろうか?」
「いや。わたしの知る限り、そんな深刻な気配ではないみたいだよ。ただ、甘い顔は見せられないっていうだけでさ」
「では、ジェノスの人間がアリシュナをどのように扱おうとも文句はない、ということであろうか?」
「うん、もちろん。追放した先でも厚遇を許さないなんてのは、余所の王国に対する過ぎた干渉だからね。たとえ東の王ご本人でも、そんな文句をつける資格はないさ」
と、デルシェア姫はふいに王族らしい気品と力強さを垣間見せつつ、微笑んだ。
「言ってみれば、アリシュナ様はわたしたちと同じような立場なんだよ。西と南の民がどれだけ仲良くしたって、東の民が文句をつける筋合いはないでしょ? だからアイ=ファ様たちは、南の民ともアリシュナ様とも気兼ねなく仲良くしてほしいかな」
「……そうか。南の王族たるデルシェアにそのように言ってもらえたことを、得難く思う」
「あはは! 今のわたしは、ただの料理人だってば!」
デルシェア姫は、すぐさま元気な笑顔で王族としての気品を覆い隠した。
「まあ、とにかく! 使節団の方々はいずれ東の王都に帰るけど、アリシュナ様はずーっとジェノスにいるんだろうからさ! こういう祝宴でご一緒できないぶんは、のちのち仲良くしてあげればいいと思うよ!」
「私はもとより、そうまで気安い間柄ではないのだがな。まあ、私の分はアスタが思うさま気安く振る舞うことであろう」
「おいおい。なんだか、人聞きが悪いぞ」
俺が慌てた声をあげると、デルシェア姫やレイ=マトゥアが楽しげに笑った。ユン=スドラも、ようやく安堵した様子で息をついている。
そして俺も、デルシェア姫の言葉でひとまず胸をなだめることができたわけだが――ただ、一抹以上の物寂しさは払拭しきれていなかった。
(アリシュナの一族がシムを追放されたのは、お祖父さんが藩主の不吉な運命を読み解いたからで、アリシュナ自身には何の責任もないのにな。……でも、リクウェルドも王の代理人である以上、アリシュナに甘い顔は見せられないってことか)
俺はすでにリクウェルドのことをそれなり以上に信頼していたが、やはり王の代理人という立場にある以上は重い責任やしがらみがつきまとうのだ。それでもジェノスの面々は、心安らかな絆を結べそうなところであったが――アリシュナだけがその恩恵にあずかれないというのが、俺の胸にちくちくとした感覚を残しているようであった。
(近い内に、アリシュナとも言葉を交わしておこう。俺にとっては、アリシュナだって大切な相手なんだからな)
そこでようやく下準備が整ったので、俺は「さて」と気持ちを切り替えた。
「それじゃあ、調理を始めます。……そういえば、デルシェア姫はもう東の王都の食材を手にされたのですか?」
「うん、もちろん! わたしたちがその食材を求めるかどうかで、交易の内容は大きく変わってくるんだからね! アスタ様たちと同じ日に研究用の品を受け取ったし、基本的な説明はヤン様がしてくれたよ!」
「そうですか。俺はなかなか使い勝手がいいように思いましたけど、デルシェア姫は如何でしたか?」
「うん! 少なくとも、ゲルドの食材に劣る品ではないみたいだね! あの竜の玉子ってやつには、心からびっくりさせられちゃったしさ!」
そこでデルシェア姫の強く明るく輝く瞳が、すみっこで背中を丸めていたマルフィラ=ナハムに向けられた。
「そーいえば! 《銀星堂》と森辺のみんなの竜の玉子は、マルフィラ=ナハム様にあずけられたんだって? 研究のほうは、進んでるの?」
「あ、い、いえ……こ、この5日間は、アスタのもとで他の食材の研究に取り組んでいましたので……」
「そっかそっかー! あの食材に自分なりの工夫を凝らせたら、それだけですごいことになりそうだよねー! わたしも期待してるから、頑張ってねー!」
「あ、い、いえ……わ、わたしなどに満足な工夫を凝らせるかどうかは、まったく覚束ないので……」
と、猫背のマルフィラ=ナハムはいっそう背中を丸めてしまう。あの日の夜、13個にも及ぶフォルノ=マテラを抱えて帰ったマルフィラ=ナハムは、家長や家人からいったい何事かと質問責めにあったのだという話であった。
「それで、他の食材についてだけど! わたしとしては、やっぱりキバケとかアンテラとかの香草なんかに手こずっちゃってるねー! あれって今までの香草と比べても、すっごく複雑な風味だからさ!」
「ああ、確かに。俺もキバケには、手こずっています。今回も、場つなぎていどの仕上がりですね。いずれはレイナ=ルウあたりが、上手い活用法を見出してくれるんじゃないかと期待しています」
「じゃ、アンテラなんかは使いこなせたの? それは、期待がふくらんじゃうなー!」
デルシェア姫は、エメラルドグリーンの瞳をいっそう明るく輝かせる。そのかたわらで、ディアルは肩をすくめていた。
「僕なんかはまだその食材を目にもしていないから、何が何やらさっぱりだよ。でも、ゲルドとかの食材を使ったときと同じぐらいの期待をしてもいいのかな?」
「うん。俺としては、そのつもりだよ。ただ、さっき話題になった竜の玉子ってやつには手をつけてないし、2種のお酒も使い道が考えつかなくて……あと、2種の食材はトゥール=ディンにおまかせしたから、けっきょく10種の食材の内の半数しか使わないんだよね」
「ふーん? でもまあ5日間しか猶予がなかったんなら、立派なもんじゃない? この前のほうが、物凄すぎたんだよ!」
この前とは、ゲルドと南の王都の食材を使った試食の祝宴のことだろう。あの日に何種の食材を使ったかは覚えていなかったが、もとの種類が倍ほどもあったのだから推して知るべしというものであった。
「今回は、とにかく保存のきく食材を大急ぎでかき集めてきたって話だったもんねー! それで10種類も準備できたんだから、たいしたもんだよ!」
と、デルシェア姫が身を乗り出した。
「その選別をしたのが、セルフォマってお人なんでしょ? で、今日はそのお人の手腕も味わえるわけだよね! いやー、これはひさびさに胸が躍っちゃうなー!」
「あはは。俺もデルシェア姫のご期待に沿えるように、頑張ります」
かくして、賑やかなゲストと賑やかならぬゲストを同時に迎えた俺たちは、半日がかりの調理を開始することに相成ったのだった。




