東の王都の使節団⑥~開会~
2014.7/13 更新分 1/1
それから三刻ほどをかけて、俺たちはすべての料理を作りあげた。
最後までこちらの厨を見学していたセルフォマは、カーツァやシェイラとともに恭しく一礼して退室していく。そして俺たちも、晩餐会のためにお召し替えであった。
本日も、12名の全員が参席を求められていたのだ。回廊で合流したルド=ルウはともにお召し替えの間を目指しつつ、あくびを噛み殺していた。
「こっちは誰も来なかったから、眠くなっちまったぜ。なんか今回の連中は、これまでで一番おとなしいみたいだなー」
「これまでっていうと、ゲルドや南の王都の人たちと比べてってことかな? まあ確かに、アルヴァッハやダカルマス殿下はなかなかの賑やかさだったからね」
「あとは、ティカトラスもなー。一番近いのは、アラウトあたりか。でも、あいつだって顔をあわせりゃ、それなりに暑苦しいからなー」
「あはは。アラウトはああ見えて、情熱的だもんね。俺が近いと思うのは、ロブロスとかそのあたりのお人かな」
「あー、最初はあいつらだけでジェノスに来たんだっけか。でも、ジャガルの連中は騒がしい人間も多いしなー」
そういえば、ロブロスはきわめて厳格な人柄であったが、書記官などは意外に気さくであったし、フォルタも祝宴の場などでは微笑ましい一面を垣間見せていたのだ。そのあたりは、お国柄というのも関わってくるのかもしれなかった。
「でも俺は、どの人も好印象だよ。第二王子の臣下だけは、まだちょっとわからないけどさ」
「あいつらは顔のひらひらをひっぺがさない限り、わかんねーだろ。ポワディーノの子分どもだって、のっぽの目ん玉以外はよくわかんねーしさ」
のっぽの目ん玉とは、『王子の眼』のことだろう。彼だけはルウの集落の晩餐に招いたことがあったし、俺は素顔まで拝見している。なおかつ、鴉の大群に襲撃された際には役職を越えてポワディーノ王子のために身を呈するという、人間らしい一面を発露させていたのだった。
(第二王子の臣下だって、あの『王子の眼』みたいに人間らしさを持ってるんだろう。……俺たちがそれを知る機会はないのかもしれないけどさ)
ともあれ、俺は三刻にわたってセルフォマやカーツァと同じ時間を過ごしたことで、また使節団に対する好印象が深まっていた。この晩餐会でさらに望ましい結果を得られれば、幸いな話である。
時間には多少のゆとりがあったので、仕事の汗を浴堂で流させていただき、いざお召し替えだ。
ルド=ルウたちは引き続き武官のお仕着せで、俺は前回の晩餐会でも準備されていた雨季用の準礼装であった。やはりティカトラスが不在であると、そうそう派手派手しい装束が準備されることもないようである。
俺とルド=ルウ、ガズラン=ルティムとゼイ=ディンが控えの間で待っていると、やがてアイ=ファたちもやってくる。そちらもやっぱり、つつましい準礼装だ。瀟洒なワンピースに薄手の肩掛けにささやかな飾り物といった一式で、どちらかといえば清楚な印象が先に立つ。それはそれでアイ=ファの普段とは異なる魅力が引き出されるため、俺はけっきょく胸を高鳴らせることになるのだった。
「きっと我々は、使節団と同じ席につかされるのであろうな。危ういことはなかろうが、あまり気を抜くのではないぞ?」
「うん。アイ=ファもやっぱり、悪い印象は抱いてないみたいだな」
「うむ。あのリクウェルドなる者は真情を隠すのが巧みであるため、確たることは言えないが……まあ、悪辣な人間ではあるまいな」
用心深いアイ=ファにそう言ってもらえれば、俺もますます安楽な心地である。あとは貴人への礼節を忘れないように、気持ちを引き締めるばかりであった。
「それでは、晩餐会の会場にご案内いたします」
アイ=ファのお召し替えを手伝ったシェイラが、また案内役を務めてくれる。
白鳥宮の回廊にも、物々しいところはない。きっと宮殿の外には警護の武官がどっさり控えているのであろうが、屋内は平穏そのものである。会場の扉の前にも、型通りに2名の武官が居並んでいるばかりであった。
シェイラは「失礼いたします」と告げただけで、扉の内に足を踏み入れる。
それもそのはずで、室内には従者の姿しかなかった。何らかの作法に則り、身分のある面々は後から入室するのだ。また、突き当りの壁には大きな幕が張られており、そちらにも警護の武官が立ち並んでいるのだろうと察せられた。
そして、その場に準備されていたのは、豪奢な敷物である。本日はシムの作法で、敷物の座席であるのだ。配膳の都合にも関わってくるため、それは事前に通達されていた。
俺たちが準備した料理は左右の壁際の卓に並べられており、そこに大勢の従者が控えている。すべての人間が着席してから、配膳が開始されるようだ。シム風の紋様が織り込まれた敷物には、まだ何ひとつ置かれていなかった。
「アスタ様とアイ=ファ様、トゥール=ディン様とゼイ=ディン様は、こちらにどうぞ」
いずれの敷物に座するかは、やはり指定されることになった。4名ずつが、3枚の敷物に分けられた格好だ。俺たちの組が中央で、ルウ家の4名が右側、ガズラン=ルティムと小さき氏族の3名が左側という配置であった。
俺たちは、横並びに座らされる。その正面に、貴族の面々が座するのだろう。そちらのほうが人数が多いため、たっぷりスペースが取られていた。
そうして敷物を温める間もなく、貴族の面々の入室が告げられてくる。履物を脱いでいた俺たちは、敷物の上に立ち上がろうとしたが――そこでシェイラが、新たな指示を飛ばしてきた。
「申し訳ありません。殿方は片方の膝、ご婦人方は両方の膝で立っていただけますでしょうか? それが、東の王都の流儀であられるようです」
そのように語るシェイラ自身も懐から織布を取り出し、そこに両方の膝をついた。
アイ=ファたちはそれを真似て膝立ちの姿勢を取り、男衆は片膝を立てる。なんとなく、これまででもっとも貴族や王族を迎えるのに相応しい姿勢であるように感じられた。
シェイラがうつむき加減で目を伏せていたため、俺たちもそれにならいながら入室を待ち受ける。
しばらくして、入室する人間の身分と名前が告げられた。これもまた、祝宴のような仰々しさだ。
最初に入室してきたのは、伯爵家の面々と外務官である。
伯爵家は、ポルアースとリフレイアとリーハイムの3名のみだ。1名ずつの従者を引き連れたそれらの面々は、まとめて右側の敷物に案内された。
それらの面々も膝立ちの姿勢を取り、次は外部の貴族が入室する。外交官のフェルメスとオーグ、バナーム侯爵家のアラウトである。フェルメスとオーグは左側の敷物、アラウトだけが右側の敷物であった。
お次はジェノス侯爵家の面々で、マルスタイン、メルフリード、エウリフィア、オディフィアといういつも通りの顔ぶれだ。その中で、メルフリードだけが左側の敷物に案内され、残りの3名が俺たちの向かいに膝をついた。
そうしてようやく、主賓の使節団であった。
こちらもまた、リクウェルド、書記官、セルフォマ、2名の『王子の分かれ身』、そしてプラティカという顔ぶれになる。ただし、中央の敷物に案内されたのはリクウェルドとセルフォマとプラティカのみで、残りの3名は左側の敷物であった。通訳のカーツァはセルフォマの従者として、その背後にちょこんと膝をつく。
主賓たる彼らまでもが膝をついたのは、最後にポワディーノ王子を迎えるためだ。
黒豹の『王子の牙』と数名の臣下を引き連れたポワディーノ王子は、本日も自らの足で入室してくる。そして、使節団とジェノス侯爵家にはさまれる中央の敷物のど真ん中に、ふわりと膝を折った。
貴族の面々は小さく一礼してから、次々に腰を下ろしていく。
それらのすべてが着席してから、森辺の一行もそれにならうことにした。
中央の敷物が、もっとも大人数だ。
向かって右側から、オディフィア、エウリフィア、マルスタイン、ポワディーノ王子、リクウェルド、セルフォマ、プラティカという並びになる。こちらは、ゼイ=ディン、トゥール=ディン、俺、アイ=ファという並びで、その7名と向かい合っている格好であった。
ポワディーノ王子の左右は人間ひとり分のスペースが空けられており、一段下がった場所に毒見役の『王子の舌』と『王子の腕』が控えている。王子の真後ろに陣取っているのは、『王子の牙』だ。ポワディーノ王子は、本日もほっそりとした体躯で堂々と座していた。
「本日はジェノスに流通する食材の質をお伝えするために、森辺の料理人の一行にも同じ席についていただきました。使節団の方々には馴染みのない作法でありましょうが……ご快諾いただけて、心より感謝しています」
マルスタインが丁寧な言葉でそのように伝えると、リクウェルドはなめらかなる声音で「はい」と応じた。
「ジェノスに身をお預けするからには、そちらの流儀に従うのが当然でありましょう。また、これは今後の交易にも大きく関わってくる行いでありますため、森辺の方々にもセルフォマにもプラティカにも、遠慮なく発言していただきたく思います」
「ありがとうございます。では、アスタ。こちらの席では、其方に料理の解説をお願いするよ」
「はい。みなさんのお気に召したら幸いです」
俺がそのように答えると、中央のポワディーノ王子がついに口を開いた。
「本日は、我も直接言葉を届けさせていただく。これもすみやかに交流を深めるための行いであるため、森辺の面々も気兼ねなく言葉を返してもらいたい」
どうやらポワディーノ王子も、使節団の前で直接言葉を交わす段取りをつけられたようである。
王子の苦心をひそかにねぎらいながら、俺は「はい」と頭を下げた。
「それでは、料理の準備を」
マルスタインの言葉に従って、数々の料理が敷物に運ばれた。
おおよその料理は大皿に盛りつけられているため、取り分け用の小皿もどっさりと準備される。こういう作法にも失礼はないか、事前にポワディーノ王子に確認してもらったのだ。その甲斐あって、リクウェルドたちは何をいぶかしがる様子もなく、泰然と座していた。
「自分は森辺のかまど番ですので、どうしてもギバ肉の料理が主体となってしまいます。ただ、シムでもっとも一般的であるとされているギャマの肉は風味が強く、畜獣でありながら野の獣に似た趣であると聞き及びますので、カロンやキミュスを使った料理よりはご参考になるのではないかと期待しています」
俺がそんな前口上を申し述べると、プラティカがすぐさま「はい」と応じてくれた。
「アスタの主張、異論、ありません。もちろん、ギバとギャマ、風味、大きく異なっていますが、応用、難しくない、思います」
リクウェルドは悠揚せまらず、「なるほど」と首肯する。
そしてそのかたわらでは、ずっとカーツァがセルフォマに耳打ちしていた。料理にまつわる内容は、すべて通訳することになるのだろう。カーツァは参席者に含まれていないため、今はひたすら仕事の時間であったのだった。
(でも、今にして思うと、初日の会談ではカーツァの姿もなかったよな。セルフォマは西の言葉もわからないまま、ただあの場に控えてたのか)
俺がそんな想念を噛みしめている間に、どんどん料理が取り分けられていく。
俺は手近なところから、解説を始めることにした。
「食材本来の味を楽しんでいただくために、今回も揚げ物の料理を準備しました。そちらで具材にしているのは、ネルッサ、マ・プラ、チャン、甲冑マロール、アラルの茸、ノ・カザック、ノ・ギーゴというものになります」
それぞれ、レンコン、パプリカ、ズッキーニ、車海老、マツタケ、オクラ、サツモイモに似た食材である。ゲルドの食材を除外したため、以前よりはひかえめなラインナップであった。
「これらはすべて、ジェノスにとっても外来の食材です。ネルッサはメライア、マ・プラとチャンはジャガル、それ以外はジャガルの王都から買いつけた品となりますね」
「なるほど。ジャガルの食材は、ひときわ揚げ物料理に相応しいということでしょうか?」
「はい。結果的に、そういうことになりました。ただ以前には、ドミュグドやニレやノノといったゲルドの食材も同じ形で仕上げていました。それらはすでに東の王都でも流通しているとうかがっていたので、今回は除外した次第です」
そのように答えてから、俺は天ぷらのつゆにも言及した。
「そちらの調味液は、ジャガルの食材であるタウ油とニャッタの蒸留酒、それにバルドの食材であるアネイラの乾物の出汁などで作りあげています。ケルの根のすりおろしをお好みでお加えください」
ずいぶんジャガルの食材に偏ってしまったが、それはたまたまの話である。その他の献立では、西の食材もたっぷり味わっていただく算段であった。
「と、東玄海におきましても、マロールは手に入ります。ですが、これほど身の大きいマロールは初めて口にしました。……と、仰っています」
と、カーツァがおずおずとそのように告げてくる。セルフォマは俺の説明を聞きながら、誰よりも手早く食事を進めていたのだ。
「はい。ジェノスは海から遠いため、普通のマロールは西の王都から、甲冑マロールは南の王都から買いつけています。身の大きな甲冑マロールには、独自の魅力がありますよね」
「は、はい。そして他なる野菜も、実に目新しい味わいです。そして何より、調味液の配合が秀逸です。また、こちらのケルの根なる食材も、シムに存在する香草とはまったく趣が異なっているようです」
セルフォマは気後れする様子も見せず、そのように言いつのった。
まあ、王城の副料理長という立場であれば、貴族や王族に対する免疫も十分であるのだろう。誰より恐縮しているのは、その言葉を伝えるカーツァであった。
いっぽう毒見が必要なポワディーノ王子は、ようやく汁物料理に口をつけたところである。
ちょうどいいので、今度はそちらの解説に励むことにした。
「そちらの汁物料理はジャガルから買いつけたミソという調味料を主体にしていますが、具材にはさまざまな地の食材を使っています。西の食材はアリア、チャッチ、ネェノン、レギィ、南の食材はマ・ギーゴ、シィマ、各種の茸、それに凝り豆から作った油揚げといった感じですね。肉は、ギバの胸肉です。お好みで、各種の香草を配合した七味チットをお加えください」
要するに、それはオーソドックスな豚汁ならぬギバ汁であった。森辺では指折りでポピュラーな献立であるが、城下町ではそうそうお披露目する機会の少ないひと品だ。これもまた、具材の質をダイレクトに伝えるのにうってつけであった。
「きわめて、美味であるな。香草がまったく使われていない料理にこうまで安らぎを覚えるというのは、不可思議な心地である」
ポワディーノ王子は厳粛なる声音で、そのように言ってくれた。
同じものを口にしたリクウェルドは、また「なるほど」という言葉を口にする。
「確かに、不可思議な味わいです。こと調味料に関しては、タウ油にミソというものが高い人気を博していると聞き及びますが……これは確かに、シムには存在しない味わいであるようです」
「はい。ですが、タウ油やミソはゲルドから買いつけた魚醤や貝醬とも相性はいいように思います。そちらの焼き物料理では、タウ油にそれらの調味料を合わせて仕上げています。具材は、ジェノスの食材であるナナール、メライアの食材であるドーラ、南の王都の食材であるカザックで、肉はギバの背中の肉です」
魚醤と貝醬を使った中華風の炒め物であるが、具材のほうでわずかにひねりを入れている。ホウレンソウのごときナナール、カブのごときドーラ、ゴーヤのごときカザックの組み合わせというのは、俺にとってささやかな新機軸であった。
「そちらのカザックは苦みが強い野菜なのですが、タウ油と魚醤と貝醬を合わせた強い味付けであれば中和されるかと思います。また、甘みと深みを出すためにママリアの果実酒も使用しています」
「ママリアの果実酒は東の王都にもわずかながらに流通していましたが、ティティの果実酒にも劣らない素晴らしい味わいでありますね。さらに料理にまで活用できるとなれば、欲する人間はさらに増えることでしょう」
リクウェルドの返答は、実に的確で如才がない。如才がなさすぎて、どこまでが社交辞令なのかも判断が難しいところであったが――俺としては、自分の手腕を信じるしかなかった。
「あと、そちらはいなりずしという料理で、粒のまま仕上げたシャスカを凝り豆の油揚げで包んでいます。ちょっと風変わりかもしれませんが、お口に合えば幸いです」
「こちらが、粒のまま仕上げたシャスカですか。いったいどのような仕上がりなのかと、かねてより期待をふくらませておりました」
リクウェルドの言葉に、マルスタインが補足してくれた。
「ダイアもシャスカを粒のまま仕上げる作法は学んでいるのだが、自分なりの細工を施すにはまだまだ時間が必要なようでね。せっかくであれば森辺の料理人が手掛けたシャスカ料理を先に味わっていただこうと判じて、昨日や一昨日の晩餐会ではあえて供さなかったのだそうだ」
「あ、そうだったのですか。城下町でも、シャスカを粒のまま仕上げるというのはだいぶ一般的になってきたのでしょう?」
「一般的になってきたというよりも、それが最初から主流のひとつであったようだな。何せ城下町の人間は、シャスカの正式な調理法と粒のまま仕上げる調理法を同時に取得したわけだからね」
そういえば、もともとジェノスでシャスカを扱っていたのは独自の購入ルートを確保していたヴァルカスのみであり、その扱い方を城下町の料理人に伝達する吟味の会で、俺はシャスカを白米のように仕上げる手法を考案したのだった。
なおかつ、俺はその前からパスタやそばやうどんのレシピを公開していたため、シャスカを細長く仕上げる手法は目新しさが薄い代わりに馴染みやすいという側面があったらしい。そして、シャスカを白米のように仕上げる手法こそが、何より目新しいともてはやされていたのだった。
「……失礼ですが、アスタは城下町の情勢について、あまりわきまえておられないのでしょうか?」
と、リクウェルドが不意にそんな質問をぶつけてきた。
俺がその真意をはかりかねて答えあぐねていると、リクウェルドは如才なく言葉を重ねてくる。
「いえ、城下町におけるシャスカの扱い方に関して、アスタが現状を把握しておられないようでしたので、いささか不思議に感じたまでなのです。失礼な発言であったのなら、お詫びを申しあげます」
「いえ、お詫びをいただくようなお話ではありませんが……自分は森辺に住まい、宿場町やトゥランで商売をしている身ですので、城下町の情勢にはあまり通じていないのです。不勉強で、こちらこそ恐縮です」
「なるほど。ですが、アスタはたびたび城下町の祝宴や晩餐会の厨をお預かりしているのでしょう?」
「はい。でもそれは、調理のためにお邪魔しているだけですので……城下町の料理人の方々からお話をうかがえるのは、今日のような吟味の会や研究会の日に限られるのですよね。そういった会は頻繁に行われているわけでもありませんので、なかなか城下町の情勢を把握するには至りませんでした」
リクウェルドは俺の言葉の理解に努めようとばかりに、口をつぐんだ。
すると、オディフィアとトゥール=ディンのひそかな語らいを温かい目で見守っていたエウリフィアが、笑顔で振り返ってくる。
「そもそもアスタは通行証を持たない身ですので、ジェノスの貴族から招かれない限りは城下町に足を踏み入れることもままならないのです。宮殿の外を歩いた経験など数えるぐらいしかないはずなのですから、なかなか城下町の情勢までは把握しきれないのではないでしょうか?」
「通行証を……お持ちでない?」
リクウェルドは、あくまで無表情かつなめらかな口調だ。
よってこのたびも、言葉の溜め具合にのみ彼の真情がこぼれていた。
「ですがアスタは、南の王子ダカルマスの主催する試食会にて優勝を果たし、ジェノスで一番の料理人と認められた身であるのでしょう? そもそも、自由に城下町に足を踏み入れられない身分のまま、これほどの手腕を身につけられたのでしょうか?」
「ええ。アスタはわたくしたちと出会った当初から、すでにダイアやヴァルカスと腕を競うほどの手腕でありましたわ」
「……それは、驚くべき話です」
と、リクウェルドは切れ長の目をまぶたに隠した。
2日前に出会って以来、初めて見せる所作である。それは懸命に、驚きの念を隠しているように見える仕草であった。
「……一点ずつ確認させていただきます。ジェノスの貴族の方々は、どうしてアスタに通行証を発行しなかったのでしょうか? ジェノスにおける通行証の発行というものは、それほど厳しい取り決めではないように感じたのですが」
「それはひとえに、森辺の民を優遇しているとの誹りを避けるための措置となります。すでにお聞き及びかとは思いますが、かつてはトゥラン伯爵家の前当主サイクレウスと森辺の族長筋スン家の結託によって、ジェノスと近在の領地に大きな災厄を招く結果となりましたので……我々は、ひときわ慎重に振る舞う必要があったのです」
マルスタインはゆったりと微笑みながら、そのように答えた。
「それからすでに3年近い日が流れていますので、我々も森辺の民も信頼を取り戻すことがかなったことでしょう。よって、近日中にはアスタを筆頭とする何名かに通行証が準備されて、城下町で屋台の商売を始める手はずになっています」
「なるほど……ジェノスの方々の公正さを、また強く思い知ることがかないました。あなたがたは、何より自らを厳しく律しておられるのですね」
「それでもなかなか自制がきかずに、数々の祝宴や晩餐会の厨を預けることになりました。アスタたちには苦労をかけるばかりで、領主としては忸怩たる思いでありますよ」
いかにも貴族の社交といった風情で、マルスタインが軽口を叩く。
リクウェルドは「なるほど」と首肯してから、俺のほうに向きなおってきた。
「では、もう一点。……アスタは最初から、優れた料理人であったということですね。いったいどのようにして、それほどの手腕を体得されたのでしょうか?」
「はい。自分は料理店に生まれつきましたので、すべては父親から習い覚えた手腕となります」
「料理店……この世ならぬ地の、ということですね」
リクウェルドの挙動に変化はなかったが、俺の隣でアイ=ファがぴくりと反応した。
そして、『王子の腕』の手から料理を食していたポワディーノ王子も、面布に隠された顔をリクウェルドのほうに向ける。そんな中、リクウェルドは淡々と語った。
「アスタが『星無き民』と見なされているという話は、ポワディーノ王子殿下から聞き及んでおります。……アスタご自身は、その事実をどのように受け止めておられるのでしょうか?」
「はい。……正直に言って、よくわかりません。そもそも自分は、星読みや『星無き民』の何たるかも理解しきれていませんので……ただ、自分の奇妙な来歴と一致する部分が多いようですので、そのように見なされるのだろうなと考えています」
「……あなたはご自身で『星無き民』と標榜しているわけではない、というお話でありましたね?」
「はい。占星師の方々から『星無き民』の逸話を聞かされた際には、とても驚かされました。でも……自分が本当に『星無き民』であるかどうかは確認のしようがないようですので、あまり気にしないようにと考えています」
「……ええ。それが、賢明なご判断でしょう」
リクウェルドは、ふっと小さく息をついた。
それもまた、彼が初めて見せる所作である。
「すでにご存じのことかと思われますが、ラオの人間にとって『星無き民』というのは特別な存在です。……いえ、『星無き民』というものが実在するか否かは脇に置いておくとしても、東の王国の誕生に『白き賢人ミーシャ』の働きが大きく関わっていたことは、歴史の告げる確かな事実であるのです。うかうかと『星無き民』の名を騙り、『白き賢人ミーシャ』の名を穢すような人間が現れたならば……我々は、大きく心を乱すことになりましょう」
「そうして大きく心を乱したのが、我ということであるな」
ポワディーノ王子が、すかさずそんな声をあげた。
「しかしそれは、ひとえに自身と母の行く末に危険を感じて、有益な力を求めたためとなる。また、アスタ自身が『星無き民』であると標榜していたわけではないので、こちらが文句をつけるいわれはなかろう」
「はい。そうでなかったことを、心より安堵しております」
リクウェルドは恭しげに一礼してから、俺の顔を見つめてきた。
黒い、澄みわたった瞳だ。そこにはやっぱり、何の感情も浮かべられていなかったが――ただ、アリシュナに負けないぐらい、静謐であった。
「ただしアスタは、尋常ならざる力を持つ人間であるのでしょう。それで占星師たちも、アスタを『星無き民』であると見なしたのやもしれません。私自身は、まったく星読みをたしなまない身となりますが……あなたの力を見誤ることはないかと思われます」
「そんな風に言っていただけるのは、光栄です。また、リクウェルドのお気分を損なわなかったのなら、幸いです」
「私が気分を損なういわれはありません。これほど見事な料理に囲まれて、私は心より幸福な心地です」
それもまた、貴人ならではの社交辞令であったのだろうか。
ただその静かな眼差しだけは、信用できるような気がした。




