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異世界料理道  作者: EDA
第八十八章 東の果ての使者
1512/1695

東の王都の使節団④~竜の玉子~

2024.7/11 更新分 1/1

「と、東玄海の恵みについては、以上となります。続きまして、大地の恵みの3種に取りかかりたいと思います」


 通訳の少女のかたわらで、セルフォマが準備を整えていく。

 従者の立場であるのは少女のほうであるように思えるが、彼女はずっと棒立ちで、セルフォマはひとりで動き続けているのだ。それも何だか、不思議な構図であった。


「ま、まずはこちらの、キバケです。生鮮の状態であれば葉菜としても扱えますが、遠方の地に運ぶにはこうして念入りに乾燥させる他ありませんので、香草や茶の原料としてお使いいただければと思います。まずは、味をお確かめください」


 セルフォマが小皿に移しているのは、カラカラに干された暗緑色の葉である。それをひとつまみずつ千切りながら、小皿に配分しているのだ。

 それを目の前にしてみると、なかなか独特の香りである。緑茶のような青臭さに、ツンとした刺激臭が混じり込んでいるような――まさしく香草としか思えない香りであった。


 その味わいは、さらに独特で強烈である。強い苦みに、酸味に、青臭さ――香草としては使い道がありそうだが、あまりお茶としては扱いたくないような味わいであった。

 そんなキバケに「素晴らしい」と反応するのは、やはりヴァルカスだ。香草に関しても、もっとも造詣が深くて関心が高いのはヴァルカスであるはずであった。


「これは確かにこれまで巡りあってきた香草と似たところのない風味です。最初から複数の風味が混在していますので、いささか扱いが難しいところでありますが……それでも、これまでにはなかった料理を目指せることでしょう」


「は、はい。こちらは他なる香草と組み合わせることで、大きく可能性が広がるかと思われます。東の王都における一般的な香草の組み合わせに関しては書面にしたためておりますので、のちほど皆様に配布いたします」


 ということで、キバケの説明はすみやかに終了した。

 次なる食材は、また謎の物体である。黄白色で、ごつごつとした丸い形状で、大きさは直径5センチていど。外見は、小ぶりのジャガイモといった風情であった。


「こ、こちらはアンテラと申します。東の王都では香草の一種として扱われていますが、区分としては茸になります」


 シム産の茸というのは、初めてお目にかかる品だ。それに、そんな丸い形状の茸を目にしたのも、生まれて初めてのことであった。


 そしてそのアンテラも干し固められているようで、セルフォマはすりおろし器で細かく削っていく。すると、こちらにまで独特の香気が漂ってきた。


「こ、こちらのアンテラを水で戻すと、すべての風味が水に溶けてしまいます。それを煮物や汁物で使うことも可能ですが、より好ましい形で香りを楽しむには、こうして削って料理に掛けるか、具材に練り込むのが適切であるかと思われます」


 小皿が回されると、いっそう芳醇な香りが鼻腔にしみこんでくる。

 これは、なんと表現すればいいのだろう。カカオやナッツのような甘さと香ばしさを感じるが、そこにスパイシーな刺激臭も入り混じっている。さらには土臭さや青臭さも存在するようであるし――実に複雑な香りであった。


(あえて言うなら、トリュフかな……でも、トリュフなんて人生で1回しか口にしたことがないもんなぁ)


 俺がトリュフを口にしたのは、親父の友人の結婚式に連れていかれた際のことである。ふた口サイズのステーキの上に、薄切りのトリュフが掛けられていたのだ。しかし、高級食材に関心の薄い親父が店にトリュフを持ち込むことはなかったので、それが最初で最後のトリュフ体験となったわけであった。


 そんな思い出にひたりながらアンテラの粗いパウダーを口にしてみると、まさしく茸めいた味わいである。しかしやっぱり際立っているのは、複雑きわまりない香りのほうだ。香りばかりが際立って味そのものは淡いというのも、トリュフに似た特徴であった。


「つ、次はペンシの蜜漬けとなります。こちらは菓子の材料として扱われていますが、料理に使われることもなくはありません」


 またおちょこのような器が持ち出されて、そこにペンシの砂糖漬けなる食材が移されていく。それはわずかに黄色みを帯びた、でろでろのペーストであった。

 蜜漬けであるために、存分に甘い。なかなかに重たい食感で、香りは青臭さが強く――俺が連想するのは、バナナであった。バナナをペーストに仕上げて蜂蜜や砂糖でも加えれば、こんな味わいを目指せるのではないかと思われた。


「だ、大地の恵みは以上となります。次は、ジュエの花油となります。ジュエの花油は、東の王都においてもっとも一般的な油となります」


 今度は樽から数滴ずつの油が小皿に取り分けられていった。

 色は淡いピンク色で、口にする前からほのかに甘い香りがする。ただし実際になめてみると甘い味はせず、ただ清涼なる花らしい風味が花に抜けていった。


「こ、こちらは花油と呼ばれていますが、実際はジュエの実から搾った油にジュエの花弁を漬けて加工した品となります。元来、ジュエの実の油には渋味に近い風味が備わっているのですが、花弁を漬けると好ましい風味に中和されることが判明したのです。こちらに火を灯すと甘い香りが広がりますため、貴き身分にあられる方々のお屋敷では灯籠などにも使われています」


 確かにこれは、好ましい香りである。

 料理に使う際には、この香りがどこまで残るのか。それが料理にどのような影響を与えるのか。なかなかに研究のし甲斐がありそうなひと品であった。


「で、では次に、酒類です。こちらはアンテラの薬酒と、ティティの果実酒になります。ティティは東の王都においてもっとも一般的な果実となりますが、干したり蜜漬けにしたりという保存方法に適していないため、ジェノスのように遠い地には果実酒としてお届けするしかありませんでした」


 別なる樽から、ひと口分ずつの酒が取り分けられていく。

 その作業のさなかに、俺は声をあげた。


「あの、こちらの4名は酒を口にできませんので、さっきの油と同じていどの分量にしていただけますか?」


 その4名とは、俺とトゥール=ディン、リミ=ルウとマイムである。俺も来月には20歳になるので、それまでは酒をつつしむという自分なりのルールを守ろうという所存であった。

 いっぽうトゥール=ディンに次ぐ若年のレイ=マトゥアは、多少ながら酒をたしなむことができる。しかしこの際は、「ひゃー」とこっそり音をあげることになった。


「ティティの果実酒というのは美味ですけれど、アンテラの薬酒というのはちょっと苦手です。これ以上口にしたら、舌が痺れてしまいそうです」


 セルフォマや使節団の面々には聞こえないように、レイ=マトゥアは小声でそのように評した。ユン=スドラもこっそり眉を下げており――そして、レイナ=ルウは真剣な表情、マルフィラ=ナハムは驚嘆の面持ちであった。


「この酒は、とても複雑な味わいです。煮込んで酒気を飛ばしたならば、料理に活用できるかもしれません」


「そ、そ、そうですね。分量には注意が必要でしょうけれど、ギバ肉とも相性は悪くないように思います」


 確かにアンテラの薬酒というのは、強烈な味わいであった。トリュフを思い出させるアンテラの複雑な香りに、別なる香草でさらなる風味が加えられているようであるのだ。俺などはひとなめしただけで舌がすぼまってしまいそうなぐらい、苦みも強かった。


 いっぽうティティの果実酒は、甘酸っぱくて罪のない味わいだ。これも遠い記憶であるが、俺はザクロの風味を連想していた。


「しゅ、酒類は以上です。最後に、渡来の民から買いつけた、外なる世界の食材……フォルノ=マテラです」


 木箱から取り出された品を見て、多くの料理人が驚きの声をあげた。

 実に奇怪な外見である。直径は20センチほどで、いびつな丸い形状をしており、黒みがかった紫色の表皮に赤い筋がびっしりと走っている。

 カボチャに似たトライプも、黒い表皮にマスクメロンのごとき筋の走った独特の外見をしていたが――こちらは形状がいびつである上に赤い筋が毛細血管のように細く波打っているため、不気味さもひとしおであった。


「こ、こちらは外界において、『竜の玉子』と称されているようです。渡来の民は竜神の民とも呼ばれており、竜をもっとも神聖な存在としておりますので……この食材を、それだけ立派なものだと見なしているのでしょう」


 そのように語る通訳の少女も、薄気味悪そうにそちらのフォルノ=マテラなる食材を見やっている。その挙動からして、彼女にとっても馴染みの薄い存在であるようであった。


「こ、こちらのフォルノ=マテラはきわめて滋養が豊かであり、唯一無二の味わいで……しかも、こうして表皮に包まれている限り、決して腐りません。王都においても貴き身分にあられる方々しか口にすることのない、きわめて希少な食材となります」


「それほどに希少な食材を、あのように大量に持ち込んでくださったのですか?」


 ポルアースがひさかたぶりに声をあげると、リクウェルドがなめらかなる声音で「ええ」と応じた。


「あちらのフォルノ=マテラを銀貨に換算したならば、とてつもない値になることでしょう。交易で扱うのに不適切でありましたら、どうかこのたびは献上の品としてお納めください」


「いやあ、それはあまりに申し訳ないです。決して腐らないというのでしたら、そのままお持ち帰りいただいたほうが……」


「それは、王陛下の本意ではございません」


 リクウェルドの声音はゼリーのようになめらかなままであったが、ポルアースは「そうですか」と真剣な面持ちで背筋をのばした。


「今の申し出は、きっとシムの王陛下のお心を踏みにじるような内容であったのでしょうね。深く反省いたしますので、どうか先刻の言葉はお忘れください」


「承知いたしました。ポルアース殿の誠実なる振る舞いに、心よりの感謝を捧げさせていただきたく存じます」


 そんな貴族の社交を横目に、セルフォマは粛々とフォルノ=マテラの始末に取り掛かっていた。

 まずは大ぶりの菜切刀でもって、大きな果実を真っ二つに寸断する。トライプほどではなさそうだが、かなり頑強な表皮であるようだ。


 そしてお次は銀色の匙でもって果肉をすくい取り、小皿に取り分けていく。その果肉は、サシの入った牛肉のように美しい赤と白が混在していた。


 料理人たちは好奇心もあらわに、小皿を受け取っていく。

 もちろん森辺のかまど番たちも、それは同様だ。俺もまた、入念にその不可思議な果実を検分させていただいた。


 こうして間近から拝見しても、やはり生鮮の牛肉めいた色合いと質感である。

 ただしその香りは、複雑だ。基調となるのは桃のような甘い香りであるが、そこに香ばしさや刺激臭も織り込まれている。先刻のアンテラにも負けない、多層的な香りであった。


 そうして俺が外見と香りを確かめている間に、あちこちから驚嘆の声がわきおこる。

 俺のかたわらでも、レイナ=ルウやマルフィラ=ナハムが声をあげていた。レイナ=ルウなどは、心底から驚愕しているようだ。


「こ、これはまるで……ヴァルカスの料理であるかのようです」


「は、は、はい。な、なんの細工も施していない果実が、こんな味わいをしているだなんて……な、なんだか夢を見ているようです」


 この両名がこんな反応を見せるというのは、よほどのことだろう。

 俺も相応の覚悟を固めて、ひと口分の果実を口に放り込み――そして、レイナ=ルウたちの驚きを共有することになった。


 これはまさしく、ヴァルカスの料理めいた味わいである。

 甘くて、苦くて、辛くて、酸っぱい――そしてそれらの味わいが、絶妙なバランスでもって均衡を保っているのだ。

 桃を始めとするさまざまな果汁をブレンドさせたような甘みに、土臭さを内包した香ばしい苦み、カレーのスパイスに匹敵するほど鮮烈な辛み、発酵もしていないのに酢を連想させる酸味――それらが複雑に入り混じりつつ、ひとつの確かな味わいを完成させていた。


 食感はいくぶん筋張っており、果実と言えば果実らしいが、適度にやわらかい干し肉をかじっているような感覚でもある。そんな錯覚を起こさせるのは、複雑な味わいの奥底に途方もない旨みが渦巻いているためだ。果実の繊維からあふれかえる果汁には、じっくり煮込んだ肉の出汁のごとき力強さが備わっていた。


 こんなものが自然界に存在するというのは、ほとんど奇跡のようなものなのではないだろうか。

 ヴァルカスは精密な機械のごとき調合の手腕でもって美味なる料理を作りあげているというのに、それと同等の味わいがひとつの果実に備わっているなどというのは、神様か何かの悪戯だとしか思えない。渡来の民が神として崇める存在の玉子と名付けたのも、決して大仰でなかったのだった。


「……このような果実が、この世に存在したのですね」


 と――ヴァルカスが、ぽつりとつぶやいた。

 いつも通りの、起伏のない声だ。その目もぼんやりと、空になった小皿を眺めていた。


「し、師匠、どうするんです? こんな食材……放っておけないでしょう?」


 ロイが慌てて声をかけると、ヴァルカスは「そうですね」と素っ気なく応じた。


「この完成された味わいに、新たな味を付け加えることはかなうのか……多少ながら、興味をひかれます」


「た、多少ながら? そんなていどで済む話なんですか?」


「ええ。現時点では、まったく道筋が見えません。この果実は、あまりに完成されているのです。……それよりも、わたしはアンテラやキバケといった食材をどのようにして使いこなすかという話に心をひかれます」


 ヴァルカスは内心を隠している様子もなく、そんな風に語っていた。

 しかし他なる料理人たちは、まだ困惑のざわめきをあげている。中には貴族の目があることも忘れて口角泡を飛ばす人間もおり――それに気づいたポルアースが、「ふむ」と神妙な声をあげた。


「さすが希少な果実だけあって、料理人の皆々も大きく興味をかきたてられているようですね。……リクウェルド殿、こちらのフェルノ=マルテは如何ほどの値であるのでしょう?」


「東の王都においては、あちらの大きさで白銅貨3枚といったところでありますね」


 白銅貨3枚――俺の感覚で言うと、6千円ていどの値段だ。

 確かに食材としては高額であるが、俺が想像していたほどではない。それぐらい高額な食材は、俺の故郷にも山ほど存在するはずであった。


「……白銅貨3枚で、この不可思議な果実を手にできるのですか」


 そのように発言したのは、サトゥラス伯爵家の料理長であった。大柄で恰幅のいい、いかにも城下町の料理人らしい風体をした壮年の男性だ。


「であれば、ジェノスにおいても数多くの料理人が欲するのではないでしょうか? 少なくとも、わたしは所望したく思っております」


 すると、あちこちから賛同の声が響きわたった。

 30名を数える料理人の過半数は、同じ気持ちのようである。

 そんな中、俺が懇意にさせていただいている人々はというと――ロイやボズルは困惑の表情、シリィ=ロウは不満げな表情、ティマロはわずかに眉をひそめており、ダイアはゆったりとした笑顔だ。タートゥマイは、ヴァルカスともども無表情であった。


「……ヤンは、あの食材を欲しいと思いますか?」


 俺が小声で尋ねると、ヤンは柔和な面持ちのまま「いえ」と首を横に振った。


「あのような食材には手のつけようも思いつきませんので、白銅貨3枚を出してまで手にしようとは思いません。ただ……きっと何も手をつけずとも、城下町では大きな評判を呼ぶことになるでしょう」


「なるほど。まあ確かに、評判を呼ぶことに間違いはないのでしょうね」


「はい。ですが彼らも、決してそれだけが目的ではないのでしょう」


 と、ヤンは深みのある眼差しでそう言った。


「あちらの果実を献立の内に組み込むのでしたら、それに見合う料理をともに供さなければなりません。下手な料理を供したならば、何も手をつけていない果実こそがもっとも美味であるという屈辱にまみれることになりますので……それで彼らは、奮起しているのではないでしょうか?」


 確かにサトゥラス伯爵家の料理長を筆頭とする人々は、大層な熱意をあらわにしている。ただ物珍しい果実を使って評判を呼び込もうという姿勢には見えなかった。


「ですから、現在声をあげているのは、ヴァルカス殿の手腕に心酔しておられる方々なのではないでしょうか? ヴァルカス殿とは異なる手腕で美味なる料理を目指そうと考えておられる方々は、興味が薄いように見受けられます」


「ああ、確かに……それに、ヴァルカスのお弟子さんたちも、困惑や対抗心のほうがまさっているご様子ですね」


「ええ。すでにヴァルカス殿の足もとに迫っておられる方々には、これまでの苦労をないがしろにされたような心地であるのかもしれません」


 と、ヤンは俺の横合いに視線を傾けた。

 俺がそちらを振り返ると、レイナ=ルウが可愛らしく口をへの字にしている。どうやら、シリィ=ロウあたりと同じ心境を抱いているようである。そしてそのかたわらでは、マルフィラ=ナハムが眉を下げていた。


「えーと、ふたりはどういう心持ちなのかな?」


「……はい。なんの苦労もなくヴァルカスの料理と似た味わいを打ち出せるというのは、なんだか腹立たしく思えてしまいます」


「わ、わ、わたしはあの果実に自分なりの工夫を施してみたいという思いにとらわれてしまうのですが……果実ひとつに白銅貨3枚だなんて、払えるわけがありません。ざ、残念ですが、あきらめることにします」


 俺は「なるほど」と納得した。

 俺自身、大きく驚かされはしたものの、やはりあの果実を手にしたいという思いはなかったのだ。せめて安値であれば研究のし甲斐があったのかもしれないが――しかしそもそもヴァルカスの手腕というのは、俺にとって自分とは正反対の見果てぬ存在という位置づけであったのだった。


(他にあれだけ魅力的な食材がそろってるんだから、特に残念とは思えないかな。そういう意味では、ヴァルカス自身と似たような心境か)


 俺がそのように結論づけたとき、ポルアースが「承知したよ!」と大きな声をあげて料理人たちの熱意をなだめた。


「とりあえず、このたびお運びいただいたフェルノ=マルテはすべて買い取らせていただき、適切な価格で売りに出すとしよう! その売り値が決定されるまで、料理人の皆々には少々お待ちいただきたい!」


 リクウェルドが「よろしいのでしょうか?」と反問すると、ポルアースは笑顔で「はい!」とうなずいた。


「腐る心配がないというのでしたら、こちらの損になることはないでしょう。ただ、今後の交易でフェルノ=マルテを扱わせていただくかは、しばらく様子見の時間をいただきたく思います」


「……承知いたしました。よもや、フェルノ=マルテまでもがすべて買い取っていただけるとは思っておりませんでした」


 リクウェルドは無表情のままであったが、発声の溜め具合に真情がにじんでいるように感じられた。


「では、他なる食材の売り値もお聞かせ願えますでしょうか? それで料理人の面々に判断を仰ごうかと思います」


 ポルアースの要請に従って、書記官たる人物が書面の数字を読みあげ始めた。

 フェルノ=マルテを除く食材には、そうまで高額な品は存在しないようだ。もちろんジェノスで栽培される野菜よりは割高であるが、ゲルドや南の王都の食材と同程度であろう。寒天に似たノマなどはなかなか安価であったし、トリュフのごときアンテラもべつだん突出した値段ではなかった。


「遠方から買いつける食材には輸送費というものがかかるので、さらに1割ぐらいは割高になると考えていただきたい。本日お披露目された10種の食材の中で――ああ、フェルノ=マルテは別枠として、それ以外に取り扱うのが難しいという品はあったかな?」


 ポルアースの言葉に、反応する料理人はいない。

 まあ、リクウェルドたちが見ている前で、食材の質にけちをつけることはできまいが――俺自身、心を偽ることなく、フェルノ=マルテを除く食材はすべて手にしたいと願っていた。


「では、いつも通り、研究用の食材を持ち帰っていただこう。その上で、やはり自分には扱えそうにないという品が出てきた場合は、そのように申告してくれたまえ」


 そう言って、ポルアースはリクウェルドに向きなおった。


「あまり安請け合いしてしまうと、のちのち信用を失ってしまいそうなところでありますが……これまでも、交易に不適格と見なされた食材はひと品として存在しなかったのです。あとは、こちらの供する食材にご満足いただけるかどうかでありますね」


「では……このたび運び入れた食材に関しては、すべて買い取っていただけるということでしょうか?」


「はい。高い確率で、そういうことになるかと思われます」


「交易に不適切な品であれば、そのまま献上するというお約束でしたが……それでも、すべて買い取っていただけるのですね?」


「はい。ひとたび無料で受け取っても、その後の交易に繋げられなければ意味がありません。目先の利益に目を眩ませて、素晴らしい食材を永続的に買いつけるという好機を逃すわけにはまいりませんからね」


 ポルアースの屈託ない物言いに、ついにリクウェルドも小さく息をついた。


「あれだけの品をすべて買い取っていただけるとは、いささか想定の外でありました。……ジェノスの方々は公正なばかりでなく、豪気でもあられるのですね」


「ええ。我々はそのようにして、交易の道を広げてきたのですよ」


 ポルアースは楽しげに笑いながら、またこちらに向きなおってきた。


「そうそう、言い忘れていたけれど、使節団の方々はギギやシャスカもどっさりお運びくださったからね! こちらも定期的な交易を確立できれば、もう品薄に悩まされることもないだろう! 質に関してはプラティカ殿から保証をいただけたので、思うさま買いつけてくれたまえ!」


 料理人の面々は、恭しげな一礼でもってポルアースの言葉に応えた。

 ポルアースは満足そうにうなずいてから、リクウェルドのほうに向きなおる。


「では、僕たちは退席させていただきましょう。ジェノス城に腰を落ち着けましたら、交易に関して細かな話を詰めさせてください」


「承知いたしました。それでは、失礼いたします」


 リクウェルドは貴族ならぬ俺たちに目礼をしてから、ポルアースたちとともに退室していった。

 そして厨では、研究用の食材の配布だ。小姓の手によって各種の食材が木箱に取り分けられて、ひとりずつ受け取っていくのである。その順番を待っていると、ヴァルカスの背中を押すようにしてシリィ=ロウたちが近づいてきた。


「どうやらあのフェルノ=マルテも、ひとつずつ配布されるようですね。……森辺でも、研究が進められるのでしょうか?」


「いやあ、どうでしょう。たったひとつで研究できるような品ではなさそうですし、銅貨を出してまで追加の品を求めるかまど番はいないかもしれません」


「そうですか。まあ、妥当なお考えですね」


 シリィ=ロウはまだ不満げな顔つきで、そんな風に言っていた。

 いっぽうボズルは本来の大らかさを取り戻して、笑っている。


「わたしも、似たような心持ちでありますな。あのようなものの研究に取り組んでいたら、銅貨も時間も尽きてしまいます。他の方々は、あの果実に負けないような料理を作りあげようと奮起しておられるようですが――」


「ええ。俺たちは、最初からそのつもりで自分なりの料理を考案しているわけですからね」


 と、ロイも不敵な表情と態度を復活させていた。


「毎日のように師匠の料理を味見できるんだから、俺たちにあんな果実は不要ってことです。いっちょ他の連中に売りつけてやりましょうかね」


「……ロイ。冗談としても、品がありませんよ」


 シリィ=ロウが厳しい顔でたしなめると、ロイは「へん」と肩をすくめた。


「それじゃあ、どうするんだよ? 弟子の俺たちも同じだけの食材をいただけるんだから、店の食料庫にあの馬鹿でかい果実が5つも並ぶことになるんだぞ? 研究しないなら、使い道もないじゃねえか」


「いつかヴァルカスに時間ができたら、研究に取り組む機会が生まれるかもしれません。決して腐らないというのなら、放っておけばいいでしょう」


「邪魔くさいし、目障りだろ。本当に魔物の玉子みたいに見えて、薄気味悪いんだよ」


「では――」と我関せずの顔をしていたヴァルカスが、ぼんやりと声をあげた。


「使い道がないのでしたら、すべてマルフィラ=ナハム殿に献上してみては如何でしょうか?」


「ええ? ど、どうして、マルフィラ=ナハムに? ……彼女であれば、すぐさま有用に使えるだろうということですか?」


 シリィ=ロウが慌てた顔で腕に取りすがると、ヴァルカスはぼんやりとした顔で「はい」とうなずいた。


「まあ、たった5つでは難しいかもしれませんが……手間と時間さえかければ、可能でしょう。わたしは、その手間と時間が惜しいだけです」


「では、13個だったら、如何でしょう?」


 そんな風に言い出したのは、レイ=マトゥアである。

 しかし彼女は、すぐさまあたふたと手を振った。


「あ、勝手なことを言ってしまって、どうもすみません。ただ、わたしたちの分も集めたら、13個になりますので……それだけあれば、多少は道筋が見えてくるのではないかと思って……」


「13個ですか。それだけあれば、可能であるかもしれませんね」


 そんな風に言ってから、ヴァルカスは見るでもなしにマルフィラ=ナハムのほうを見た。


「ただし、そのような行いは余興に過ぎません。もともと完成されている味に自分なりの工夫を凝らすなどというのは……わたしの料理に自分なりの工夫を凝らすのと同義であるのですからね。ただ、あなたにとってはいい修練になるのではないかと判じたまでです」


「しゅ、しゅ、修練ですか?」


「ええ。あなたの鋭敏な舌をいっそう磨くための、修練です。修練が終わったら、他なる食材の研究に打ち込んでいただきたく思います。料理人にとっては、それが本道であるのですからね」


 そう言って、ヴァルカスは俺に向きなおってきた。


「……よくよく考えたら、マルフィラ=ナハム殿はアスタ殿のお弟子でしたね。出過ぎたことを言ってしまって、申し訳ありませんでした」


「いえいえ。ヴァルカスがマルフィラ=ナハムの世話を焼いてくださるなんて、喜ばしい限りです。ただ――」


 子供のように不満げな顔をしている人間が、3名ほど存在する。レイナ=ルウとシリィ=ロウとロイである。その中で、ロイが口をとがらせながら発言した。


「俺は、文句を言わせていただきますよ。人のお弟子の世話を焼く前に、自分の弟子の面倒を見てくれませんかね」


「あなたがたは、本道に励んでください。あのような果実には気を取られず、他なる食材の検分に打ち込むべきでしょう」


「ちぇっ。言われなくったって、そのつもりですよ」


 そんな感じに、話はひとまずまとまったようである。

 きっとマルフィラ=ナハムのもとには、13個のフェルノ=マルテが集められることになるのだろう。それでマルフィラ=ナハムがどんな料理を完成させるのか、俺も陰から見守らせていただくことにした。

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― 新着の感想 ―
おっと、マルフィラ=ナハム強化編か!? そもそも彼女の料理人としての到達点がどうなるのか見えんがw
[気になる点] 色は淡いピンク色で、口にする前からほのかに甘い香りがする。ただし実際になめてみると甘い味はせず、ただ清涼なる花らしい風味が花に抜けていった。 花に抜けて は 鼻を抜けて では? …
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