東の王都の使節団③~吟味の会~
2024.7/10 更新分 1/1
「いやいや、使節団の面々も悪心を抱えていないようなので、ひとまずは安心だねぇ」
後日、そんな感慨をこぼしていたのは、カミュア=ヨシュであった。
ザッシュマともどもダバッグまで遊びに出向いていたカミュア=ヨシュも数日ばかりで帰還していたので、使節団の到着には問題なく間に合っていたのだ。そして初日はメルフリードの依頼で使節団の護衛部隊の動向をうかがっていたようだが、そちらにも何ら不穏な動きは見られないとの話であった。
「あの面々は王や王子直属の臣下ではなく、王都の正規の兵団の部隊であるという話だね。今回はポワディーノ殿下が百名の護衛部隊を引き連れていたものだから、それに対抗して二百名が準備されたようだよ」
「対抗して? どうして使節団が、ポワディーノ殿下に対抗しないといけないんですか?」
「それはまあ、体面の問題になるのかな。使節団の団長は王の代理人という立場であるので、王子よりも兵力で劣るのは威信に傷がつく……という美意識であるようだよ。交易が実現するようであれば、今後は百名ていどに抑えられるんじゃないかという見込みだね」
「それでも、百名ですか。まあ、南の王都の使節団の方々は二百名ぐらいが普通のようですけど……ゲルドの使節団なんかは、3、40名ですよね」
シムの武官は一騎当千ならぬ一騎当十の実力であるのだから、西や南の一割の人数でも十分なのではないかと思われた。
しかしカミュア=ヨシュはしたり顔で、「いやいや」と手を振る。
「ゲルドとラオリムでは、立地が異なっているからね。ゲルドからジェノスに出向くまではずっと西の領土で、東の側が自由国境地帯という立地になるけどさ。ラオリムからジェノスに出向くまではずっと自由国境地帯で、南側がジャガルという立地になるのだよ。自由国境地帯にはむやみに兵力を送らないというのが王国間の暗黙の了解になっているけれども、絶対の法というわけじゃない。ジャガルがその気になったら使節団を襲撃することだって可能なんだから、ゲルドよりは用心深くなって然りなんじゃないのかな」
「そうなんですか。シムの使節団がジャガルの軍に襲われるだなんて、想像したくもないのですけれど……」
「あはは。そんな心配しなくても、ジャガルがそんな真似をする可能性は格段に低いはずはずだよ。ほら、森辺に新たな街道が切り開かれて、シムとジェノスを繋ぐ新たな行路ができあがっただろう? 以前は自由国境地帯の中でもかなり南寄りだったけれど、今ではかなり中央寄りになっているし、南方から攻め入るには山やら谷やら大湿原やらを踏み越えることになるんだ。そんな手間暇をかけてまで、ジャガルが使節団を襲うことはないはずさ」
そう言って、カミュア=ヨシュは悪戯小僧のように微笑んだ。
「それに、ジェノスの面々は東の王都からも食材を買いつけようという算段なんだろう? それを妨害したならば、南の王都の面々が東の王都の食材を手にする機会も失われるわけだよ。言ってみれば、東の王都もジェノスを中心にする大きな交易の輪に加わろうとしているところなんだから、南の王都が邪魔立てをする筋合いはないんじゃないのかな」
俺はカミュア=ヨシュのそんな言葉で、胸を撫でおろすことがかなった。ジャガルの内情などはまったく知れないが、ダカルマス殿下やロブロスなどが政治の中枢に関わっているならば、信頼できるはずであった。
そんな感じに、使節団が到着して2日目も無事に過ぎ去って――さらに翌日の、朱の月の27日である。
屋台の商売の休業日で、新たな食材の吟味の会が開かれる日だ。俺たちは、中天の前から城下町に出向くことに相成った。
メンバーは、かまど番が8名に狩人が4名という編成だ。
かまど番はもはやこういう際の定例メンバーで、俺、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、ユン=スドラ、トゥール=ディン、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア。護衛役の狩人は、アイ=ファ、ルド=ルウ、ガズラン=ルティム、ゼイ=ディンという顔ぶれになる。
ファを筆頭とする近在の6氏族はのきなみ休息の期間に突入したので、こちらですべての護衛役を受け持つという案もあったが、やはり使節団の面々を迎える大事な晩餐会ということで、ルド=ルウとガズラン=ルティムが選出されることになったのだった。
「そういえば、ティカトラスはまだ戻っていないのでしょうか?」
荷車に揺られながら、レイ=マトゥアがそのように問うてくる。俺も大した情報は持ち合わせていないので、「みたいだね」と応じるしかなかった。
「まあ、使節団は最短の日数で到着しちゃったから、ティカトラスも見込みが外れたんじゃないかな。遅ければ、あと10日ぐらいかかったわけだしね」
「そうですか。まあ、ティカトラスはそれほど差し迫ったご用事があるわけではないのですものね」
「うん。ティカトラスも交易に加わろうって考えみたいだけど、さすがにそれほどの規模ではないだろうからね」
ティカトラスが望む交易というのは、あくまで宝石や銀細工や織物といった装飾品の類いが主体であったのだ。それも決して小さな取引ではないのだろうが、大きな都市間の交易に比べればささやかな規模なのだろうと思われた。
ちなみにバナームのアラウトは、使節団と同じ日に到着しているらしい。前触れの使者によって到着の日取りが告げられたので、それに合わせて来訪したのだ。アラウトは食材の交易にも関わる算段であり、本日の晩餐会にも名前を連ねていた。
(まただんだんと賑やかになってきたな。俺も精一杯、頑張らせていただこう)
そんな感慨を噛みしめながら、俺は城下町を目指すことになった。
城門では、お馴染みの武官が待ちかまえている。初老で、物腰のやわらかい男性だ。ひとつの懸念を抱えていた俺は、その人物に語りかけることにした。
「あの、使節団の方々がガーデルのお見舞いに出向くようだと聞いたのですが、何かご存じでしょうか?」
「ええ。わざわざデヴィアス殿からご連絡をいただきましたぞ。ガーデルも礼を失することなく、使節団の方々をお迎えできたようです」
そんな風に言ってから、その男性は小さく息をついた。
「ただ……ガーデルは、なかなか復調しないようですな。アスタ殿も、いまだ面会はかなっていないのでしょう?」
「はい。それにガーデルは気落ちしているので、あまり刺激を与えないほうがいいと言われてしまいました。だから今回も、ちょっと心配だったのですが……」
「ガーデルは我を失って深手を負ってしまったことを、深く悔んでいるようですな。ですから、使節団の方々にも非礼な真似をすることもなかったのでしょうが……アスタ殿や森辺の方々には、顔向けができないという心持ちであるのでしょうな」
俺もガーデルのお目付け役であるバージから、そのように聞いていた。シムの毒で深手を負ったガーデルは一命を取り留めたものの、心身ともに絶不調であるようなのだ。毒の影響で、治りかけであった肩の傷もまた悪化してしまったようであった。
(この前の騒ぎで一番ひどい目にあったのは、ガーデルだもんな。まあ、ルド=ルウに言わせると自業自得ってことになっちゃうけど……やっぱり、心配だ)
俺はバージに「何も気にする必要はない」という伝言をお願いしていたが、その返答も「まことに申し訳ございませんでした」という頼りない内容であった。周囲の人々の尽力で人間がましい考え方や感受性を育みつつあったガーデルがまた殻にこもってしまったような印象で、俺はひそかに胸を痛めていたのだった。
しかし、あちらが面会を拒んでいるのに、無理に押しかけることはできないだろう。それでももう少し容態が回復したならば、俺はアイ=ファとともにお見舞いをしたいと切に願っていた。
「小官も、いずれあやつの様子を見てまいろうかと考えております。……さ、それではご案内いたしますので、車のほうにどうぞ」
あらためて、俺たちは城下町に踏み入ることになった。
吟味の会が開かれるのは、やはりお馴染みの貴賓館だ。大勢の人間で食材を検分するのに、ここより相応しい場所は他に存在しなかった。
そちらに到着したならば、まずは男女で順番に身を清める。
その後に準備されていたのは、白い調理着と武官のお仕着せだ。当然のこと、本日は貴族もどっさり見物する手はずになっていた。
お召し替えが完了したのちは、小姓の案内で厨を目指す。
学校の教室をふたつ繋げたぐらいの、巨大な厨だ。俺たちがそちらの扉をくぐると、すでに30名近い城下町の料理人たちがひしめいていた。
「よう。また会えたな」と、まずはロイが気安く挨拶をしてくる。
前回の勉強会からは、10日と少しが過ぎたぐらいだろう。俺たちにしてみれば、それなりに早い再会であった。
「今日はいきなりの話だったから、店の予約を延期することになったんだ。ま、領主様が手回ししたから、こっちが苦労することはなかったけどよ」
「そうですか。今日の会はこっちの屋台の休業日に合わせた日取りなので、何だか申し訳ありません」
「お前らだって、貴族様に呼び出された身だろ。それに、また新しい食材を手にできるってんなら、文句はつけられねえさ。……ま、うちの師匠なんかは悲喜こもごもって感じだけどな」
ヴァルカスは新たな食材に対してじっくり取り組むスタイルであるため、あまり頻繁に食材が増えると研究が追いつかなくなってしまうのだ。それでも美味なる料理の可能性が広がるのは喜ばしいという考えであるため、ロイの語るような心情に落ち着くわけであった。
そのヴァルカスは人の輪から外れたところで、タートゥマイとふたりきりでぽつんとたたずんでいる。おそらくは、人の熱気を避けているのだろう。俺がそちらに挨拶に出向くべきか考え込んでいると、ヤンとニコラの師弟コンビが近づいてきた。
「アスタ殿、おひさしぶりです。先日の宿場町における勉強会というものは、如何だったでしょうか?」
「ああ、俺もそいつは気になってたんだよ。何か新しい発見でもあったのか?」
「いえ。あれはむしろ、城下町で学んだことをお伝えする場でしたからね。取り立てて、新しい発見とかはなかったですよ」
「そうか。でも、お前たちの他にナウディスやランディたちも居揃ってたんなら、どれだけ話がふくらんでも不思議はないだろ」
そのように語るロイのかたわらで、ヤンは柔和に微笑んだ。
「わたしも、同じように考えていました。この先、回を重ねていけば、そのような事態にも至るのではないかと思います」
「そうだとしたら、こちらもありがたいですね。そういえば、ヤンも講師役として招かれたりはしないのでしょうか?」
「ええ。あれはあくまでサトゥラス伯爵家の主催する会ですので、招かれるとしたらあちらの料理長ということになるのでしょう」
「ふふん。そこでダレイム伯爵家の料理長を頼ったりしたら、あっちの料理長の面目が潰れそうだしな」
そうしてロイが肩をすくめたとき、小姓の口から貴族の入室が告げられた。
厨を満たしていたざわめきが引いていき、まずは笑顔のポルアースが登場する。その後から、数々の貴族が姿を現した。
ポルアースは先導役であったようで、そのすぐ後に使節団の面々が続く。一昨日の会談と同じく、団長のリクウェルド、書記官、料理人のセルフォマ、第二王子の『王子の眼』に『王子の耳』という5名だ。
さらに、ゲルドの料理番プラティカと、ポワディーノ王子の『王子の眼』と『王子の耳』が続く。
ポワディーノ王子本人が来場しないことは、事前に告げられていた。やはり、王子たる身で厨に踏み入るというのは、シム王家の習わしにそぐわない行為であるようなのだ。ポワディーノ王子が使節団の面々とどのように折り合いをつけたかは、夜の晩餐会を待つしかなかった。
そしてその後は、西の貴族たちだ。本日の顔ぶれは、ポルアースの上官たる外務官に、トゥラン伯爵家の当主リフレイアと従者のムスル、外交官のフェルメスと従者のジェムド、それにバナーム侯爵家のアラウトと従者のサイという顔ぶれであった。
ちなみにシフォン=チェルやカルスは、最初から料理人の一団の中にまぎれている。俺がそちらに挨拶をするより早く、貴族の面々がやってきてしまったのだ。
アラウトたちが入室すると、扉は小姓の手によって閉ざされる。ジェノスの側も、マルスタインやメルフリードは参席を控えたのだ。
それに――当然と言うべきかどうか、この場にはデルシェア姫の姿もなかった。
デルシェア姫もポワディーノ王子とは忌憚なく言葉を交わせる間柄になっていたが、それはそれで使節団の面々の前では控えるべきであるのだろう。もちろんデルシェア姫も目新しい食材には興味津々であったので、また後日に吟味の時間を作ってもらいたいという旨がひそかに伝えられていた。
「急な呼び出しに応じてもらって、心から感謝しているよ! しかしこれはジェノスにとっての一大事であるし、料理人たる君たちにとっても同様であるはずだからね! これまでと同じように、心して取り組んでいただきたい!」
まずはポルアースが、いつも通りの元気さで挨拶の言葉を述べたてた。
「事前に告知させていただいた通り、本日検分していただくのは東の王都の食材だ! ジェノスはこれまでにもジギやゲルドやドゥラの食材というものを買いつけてきたけれど、それともまた趣の異なる食材を準備していただけたので、どうか入念に検分していただきたい!」
そしてポルアースは、見学者の素性を紹介した。
とはいえ、初めての参席で名乗りをあげるのはリクウェルドと書記官とセルフォマの3名のみである。ふたりの王子の臣下たちは、装束のカラーリングで見分けをつけるしかなかった。
そしてその中から、プラティカだけが料理人の一団に加わる。彼女の調理着は深い藍色をしているので、なんだかポワディーノ王子の傘下であるような趣であり――俺としては、ひそかに心強い気分であった。
「ではまず、王城の副料理長たるセルフォマ殿に食材の紹介をしていただくよ! セルフォマ殿、よろしくお願いいたします!」
セルフォマは優雅な仕草で一礼して、進み出る。彼女が纏っているのは、プラティカよりも青みがっている紺色の調理着だ。
そして、それと一緒にちょこちょこと前進する人物の姿があった。名前を紹介されなかったので、誰かの従者なのだろうと思っていたが――そちらの人物も女性であり、なおかつ小柄でまだずいぶん若そうであった。
まあ、セルフォマ自身も十分に若く見えるのだが、こちらは少女と呼ぶのに相応しい年頃であるようだ。背丈も160センチ足らずであるので、シムの女性としてはずいぶん小柄なほうだろう。そして、東の民らしく無表情でありながら、瞳の輝きや頬の赤らみが緊張や昂揚の度合いを示していた。
セルフォマはあらためて一礼してから、東の言葉で語り始める。
その口が閉ざされると、かたわらの少女が上ずり気味の声をあげた。
「ラ、ラオの王城にて副料理長を務めさせていただいている、セルフォマ=リム=フォンドゥラと申します。こ、このようなお役目を授かるのは初めてのことですので何かと至らない面もあるかと思われますが、せいいっぱい励みますのでご容赦をお願いいたします。……と、そのように仰っています」
いったい何事かと思ったら、この少女がセルフォマの通訳であったのだ。
まあよくよく考えれば、王城の料理番という役職にある人間が異国の言葉を操れる道理もない。ポワディーノ王子の臣下の数多くが流暢な西の言葉を扱うために感覚が麻痺しかけていたが、それは英才教育のなせるわざであったのだった。
「ま、まずは、このたび東の王都より運び込まれた食材の概要をお伝えいたします。このたび準備された食材は、全部で10種となります。東玄海の恵みが3種、大地の恵みが3種、油が1種、酒類が2種……そして、渡来の民から買いつけた外来の食材が1種という内容になります」
「渡来の民だとよ」と、ロイが俺に耳打ちしてきた。
俺はかつて渡来の民と呼ばれていたし、最近では本当に渡来の民の血筋であるヴィケッツォという人物も登場したのだ。内陸の地で渡来の民とは縁のなかったジェノスでも、その名はじわじわと浸透しつつあるはずであった。
「で、ではまず、東玄海の恵みからご説明いたします。……****。*******?」
通訳の少女が東の言葉で語りかけると、セルフォマはゆったりとうなずきを返しつつ、作業台に並べられた木箱の蓋を開封していった。
「さ、最初の品は、ゼグの塩漬けです。ゼグはマロールと根を同じくする生き物であると見なされていますが、その身の味わいには小さからぬ差異があります」
通訳の少女が語るかたわらで、セルフォマが木箱の中身を少量ずつ小皿に移していった。
外見は、茹でてほぐしたカニの身を連想させる。それがほんのひとつまみだけ取り分けられた皿が、料理人の集団に回されていった。
(マロールはエビに似てるから、これはカニに似た食材なのかな)
そんな想像をしながらゼグの塩漬けなる食材を口に運んだ俺は、まずその塩辛さに面食らうことになった。
まあ、長期保存にはこれぐらいの塩気が必要となるのだろう。イカの塩辛に匹敵するぐらいの塩辛さである。
しかし、それにも負けないぐらい、風味も強かった。
ものすごく強烈な、磯の香り――確かにカニに似ているが、どこかウニを思い出させる面もある。海の風味をぎゅうぎゅうに詰め込んだような様相であった。
「……素晴らしい」と、少し離れた場所から茫洋とした声が聞こえてくる。
それは、ヴァルカスに他ならなかった。
「この食材単体では美味とは言い難い味わいですが、強烈な風味と塩気の向こう側に、尋常ならざる旨みを感じます。こちらの食材は、きっと数多くの美味なる料理の材料になり得ることでしょう」
「は、はい。東の王都においても、ゼグの塩漬けはきわめて重宝されています。ゼグ本来の味わいを楽しむには、ひと晩たっぷりの水に漬けて塩を抜く必要がありますが……その水にもゼグの風味と滋養が溶けだしますので、それも汁物や煮物の材料に使うのが通例となっています」
「その塩の抜き加減で、また数種類の様式を構築できそうですね。……ますます、研究に時間を取られてしまいそうです」
ヴァルカスが切なげに溜息をつくと、ポルアースが「あはは」と笑い声をあげた。
「魚介の食材にも造詣の深いヴァルカス殿に素晴らしい品であると認められたなら、心強い限りだね! アスタ殿は、如何かな?」
「はい。このまま汁物料理の具材にするだけで目新しい味わいを望めるでしょうし、塩抜きしたらさらに使い道が広がりそうです。ぜひとも、手掛けさせていただきたいところですね」
「うんうん! 出足は好調のようだね!」
そんな風に言ってから、ポルアースはかたわらのリクウェルドに笑いかけた。
もちろんリクウェルドは無表情のままなので、内心は知れない。しかし、東の王都の食材に大きな価値が認められるのは、彼にとっても喜ばしい話であるはずであった。
「つ、次に、ドケイルのご説明をいたします。こちらは保存のために、乾物に仕上げられています」
また何か白くて小さな細切れの食材が、小皿に取り分けられていく。
その小皿が回ってくると、正体が知れた。それは、ちりめんじゃこのように小さな魚の乾物であったのだ。
「み、水で戻して使うことも可能ですが、ドケイルはそのまま食することも可能です。よろしければ、味をお確かめください」
少女の言葉に従ってドケイルなる小魚の乾物を口に投じると、今度は優しい魚介の風味が口内に広がっていく。しかし、優しいというのはゼグの塩漬けとの比較であり、俺が知るちりめんじゃこに比べれば、風味も旨みも豊かであった。
完全に水気が抜かれているため、カリカリとした歯ごたえのある心地好い食感だ。そうして入念に咀嚼していると、どんどん魚介らしい風味が際立っていく。これは少量でも、なかなかのアクセントを加えられそうな食材であった。
「ひ、東の王都においては、ドケイルをその状態のまま料理にまぶしたり、細かく挽いて具材に混ぜ込んだり、あるいは煮込んで出汁を取ったりと、さまざまな使い方をされています。水で戻してやわらかく仕上げたのちに、丸めて団子にするという料理もありますし……ゼグの塩漬けに劣らず、汎用性は高いのではないかと思われます」
「先刻の食材よりは、我々の知る魚の乾物と似た部分の多い食材であるようですね。ですが、まったくの同一ではありませんため、また同じだけの使い道を考案できることでしょう」
などと言いながら、ヴァルカスはまた溜息をつく。やはり魚介の食材に関しては、ヴァルカスがもっとも過敏であるのだろう。いっぽうティマロは自分の出番を待つかのように、じっくりと味見に集中していた。
「で、では次に、ノマのご説明をいたします。こちらはゼグやドケイルと比べると、いささか変わり種であるかもしれません」
海の恵みの最後の品が、今度は大皿に移された。
これはいったい如何なる食材であるのか。遠目には、まったく判別できない。俺が見る限り、それは白くて四角くて半透明な穴だらけのスポンジのような外見をしていた。
「こ、こちらはこのままでは食することがかないませんので、まずは水で煮込みます。こ、こちらのかまどをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞどうぞ、ご随意に! 誰か手伝いが必要でしょうか?」
「い、いえ。それは、私のお役目ですので。……と、仰っています」
セルフォマは食材を乗せた大皿を手に、しずしずとかまどのほうに移動していく。そして、食材を鉄鍋に移し、水瓶から少量の水を汲んで、かまどに火を灯したわけだが――通訳の少女も手を出す余地はなく、すべてをひとりで処置していた。
(見た目は華奢でたおやかな印象だけど、腕力や体力に不足はないみたいだな)
セルフォマは何をしても優雅に見える挙動であるが、そんな挙動で重い鉄鍋を扱えるのは腕力がある証拠だろう。少なくとも、周囲にたたずむ城下町の料理人たちよりは確かな力感が感じられた。
そうしてセルフォマは、ぐつぐつと煮える鍋をひたすら攪拌する。ただ煮込むだけで、それ以外に手を加える様子はない。それでさきほどの物体がどのような変容を遂げるのか、俺にはさっぱり想像がつかなかった。
ほどなくして、セルフォマは食器の準備を開始する。
準備されたのは、おちょこのように小さな器だ。隣のかまどに盆を置いたセルフォマは、せっせとレードルで鉄鍋の中身を移し始めた。どうやらノマなる食材は完全に溶け崩れて、液状になったようである。
「こ、このまま熱が冷めるのを待ちます。かつてマヒュドラでは、このノマがたいそう珍奇な品であるともてはやされたそうですが……ジェノスには似た食材が存在すると聞き及んでおりますので、目新しさには欠けるかもしれません」
「……ジェノスにあのような食材が存在したでしょうか?」
と、ユン=スドラがこっそり囁きかけてくる。
俺も、見当がつかなかった。少なくとも、煮込む前の姿にはまったく見覚えがなかったのだ。
「あの、セルフォマは初めて西の地にいらっしゃったのですよね? ジェノスに似た食材が存在すると、どこでお知りになられたのですか?」
俺が思い切って尋ねてみると、セルフォマは作業に従事しながら答えてくれた。
「わ、私はポワディーノ王子殿下が晩餐の場で口にされたとおうかがいいたしました。私自身は、まだそちらの菓子を拝見しておりません」
「え? それは、菓子で使われている食材なのですか?」
「は、はい。ジェノスでは、チャッチ餅と呼ばれているそうです」
その意想外の返答に、俺は思わず言葉を失ってしまう。
すると今度は、ヤンが囁きかけてきた。
「わたしも以前、ポワディーノ殿下のために厨をお預かりする機会がありました。その折に、チャッチもちを使った焼き菓子を供していたのです」
「あ、ああ、そうだったのですね。でも、さっきの食材がチャッチ餅に似ているというのは……少々意外でした」
しかしそれからしばらくして、完全に熱の取れたノマの小皿が回されると、俺はセルフォマの言葉の正しさを知ることになった。
煮込んで溶かしてまた固めたノマは、再び白い半透明の姿になっていたが、今度はゼリーのようにぷるぷるとした質感に変じていたのだ。
それを口にしてみると、味らしい味はない。ただ、これはまさしくゼリーのような食感だ。わらび餅に近いチャッチ餅よりも、いっそうなめらかな食感であった。
(……そうか。寒天の原料は、海藻か何かだったっけ。これも海の恵みっていうことは、それに近い食材なのかな)
俺がそのように納得していると、ついにティマロが発言した。
「森辺の方々が作りあげるチャッチもちなる菓子も、後から味を加えているのでしたな。こちらにも、砂糖や果汁などを加えて菓子に仕上げるということでありましょうか?」
「は、はい。あまり多くの食材を加えると固まりが悪くなってしまいますが、おおよそはそのようにして使います。あとは味をつけないまま具材のひとつとして食感を楽しむか……あるいは、甘い調味液を掛けて召し上がるのが通例となっています」
「なるほど。まさしく、チャッチもちと似た扱いであるようですが……食感がやや異なりますため、また別なる菓子を目指せそうなところでありますな」
ティマロは、したり顔でうなずいている。
そして俺のかたわらでは、トゥール=ディンやリミ=ルウがきらきらと瞳を輝かせていた。彼女たちもまた、このノマという食材に光明を見出したのだろう。俺の位置からは見えなかったが、ダイアもどこかで同じように瞳を輝かせているのかもしれなかった。




