東の王都の使節団①~到着~
2024.7/8 更新分 1/1
・今回の更新は全7話です。
東の王都の使節団が、ついにジェノスに到着する――森辺の集落にそんな一報が届けられたのは、朱の月の22日のことであった。
そんな報告をジェノスにもたらしたのは、もちろん使節団から遣わされた早駆けの使者である。正式な使節団の礼儀として、到着の日取りが事前に告げられたのだ。すると今度はジェノス城からの使者によって、森辺の集落にもその内容が伝えられたというわけであった。
使節団が到着するのは3日後、朱の月の25日の中天頃であるという。
それはこちらが想定していた中で、もっとも早い日取りであった。東の王都の厳選されたトトスであれば、車でひと月かかる距離を20日ていどで踏破できると聞き及んでいたのだが、このたびの使節団はまさしくその最短の日数でジェノスに到着する旨が告げられてきたのである。
「きっとそれも、あちらの謝意のあらわれなのだろうと思うよ。こちらも最大限に礼儀を尽くして、お迎えしなければね」
ポルアースなどは、そのように語っていたらしい。
もちろん森辺の民も、同じ心情である。森辺の民は東の王位争いにまつわる騒乱に大きく関わった身であるので、おそらく使節団から正式に謝罪の言葉を届けられるだろうという見込みであったのだ。よって、使節団が到着する当日および翌日の午後は呼び出しに応じられるように身体を空けておいてほしいと要請されたのだった。
「私はちょうど、明日で狩人の仕事を切り上げようと考えていたところだ。私が休息の期間にある間に、すべての面倒事を片付けたいものだな」
アイ=ファは鋭い面持ちで、そんな風に言っていた。前回の収穫祭から半年ほどが過ぎて、ファの家の狩り場もついに森の恵みが尽きることになったのだ。雨季のせいで収穫祭を開けないのは残念な限りであったが、これでアイ=ファは半月ほど行動の自由を得たわけであった。
(まあ、こっちは謝罪を受け入れるだけの立場だからな。そんなに長々と面倒事が続くこともないだろう)
俺はそのように考えていたが、これだけ大がかりな客人をジェノス城に迎えるからには、また何かと調理の依頼が舞い込んでくるかもしれない。何にせよ、こちらも誠心誠意で応対して、東の王都の人々と心安らかな関係性を目指したいところであった。
そうしてやってきた、朱の月の25日――
その日も俺たちは、小雨の中で屋台の商売に励んでいた。
5日間の営業日の、4日目にあたる日取りだ。ポワディーノ王子をファの家にお招きしたのは、6日前のこととなる。その3日後には使節団の使者がやってきて、そして本日を迎えたわけであった。
使節団の到着に関しては宿場町でも布告が回されていたため、往来の人々もいくぶんざわついているように感じられる。
もちろんこれは和睦の使節団であるのだから、何も恐れる必要はないのだが――何せ相手は、シムの王族の代理人であるのだ。南の王都の使節団やポワディーノ王子の一行の物々しさを思えば、多少の警戒心を喚起されるのは致し方のない話であった。
(それに、ポワディーノ王子はまだジェノスに居残ってるわけだから……ジェノス城なんかは、またずいぶんな人数の賓客を迎え入れることになるわけだな)
ポワディーノ王子がジェノスにやってきたのはひと月半前、赤の月の11日となる。それはアイ=ファの生誕の日の翌日であったので、俺にとっては忘れようのない日取りであった。
すべての真実が明らかにされた騒乱の祝宴はそれから10日ほどが過ぎてからで、ポワディーノ王子はすぐさま伝書の鷹を東の王都に飛ばすことになった。それから半月ほどをかけて何度かのやりとりを交わしたのち、ついに使節団が東の王都を出立したわけである。
騒乱の記憶はもはや遠いし、ジェノスは完全に平穏を取り戻している。
だけどやっぱり、すべての決着がつくのは使節団を迎えてからとなるのだ。
東の王都の人々は、きちんと謝罪してくれるのか――ポワディーノ王子の立場は守られるのか――そして、卑劣な悪漢どもに人質を取られて利用されていたロルガムトは、安らかな行く末を迎えることがかなうのか――俺たちは、心して事の顛末を見届けなければならなかった。
そうして落ち着かない気分のまま、時間はじわじわと過ぎていき――
おおよそ中天であろうという刻限に差し掛かったとき、ついにその一団がやってきた。
真っ先に「来たな」と反応したのは、やはりアイ=ファである。
2日前から休息の期間に入ったアイ=ファや近在の氏族の狩人たちは、護衛役として同行してくれていたのだ。また、族長筋の氏族も今日を休息の日取りとしており、グラフ=ザザとダリ=サウティはすでにルウ家で待機しているはずであった。
ともあれ――その一団が、やってきた。
街道の南側から、常ならぬ団体の影がひたひたと近づいてくる。これはまさしく、ポワディーノ王子が来訪した日の再現であった。
先頭に立つのは、ジェノスの衛兵の一団である。今回はきちんと前触れがあったので、案内人の衛兵が宿場町の最南端で待機していたのだろう。
いずれも徒歩である衛兵たちに続いて、まずはトトスの手綱を引いた武官らしき東の民の姿が見える。ポワディーノ王子の臣下はみんな外套や装束を藍色に染めぬいていたが、今回の一団はフードとマントの肩の部分だけを黒く染めていた。なおかつ、面布などはかぶっておらず、素顔をさらしているようであった。
(まあ、人前で顔を隠すのは王族と直属の臣下だけだって話だったもんな)
このたびの使節団に、王族の人間は加わっていない。国王の代理人を務める外務官が、使節団の総責任者であるという話であったのだ。
東の武官が二列縦隊で6名ほど通りすぎると、今度はトトス車の登場である。
2頭引きで、四角い木造りの車体を引かせる、立派なトトス車だ。その側面には、渦巻き模様のようなシムの紋章が堂々と掲げられていた。
トトス車の左右には、手綱を引いていない武官が1名ずつ控えている。これもまた、ポワディーノ王子の一行と同じような様相だ。
ただ――いつまで経っても、その行列が尽きない。トトス車の数が十台を超えたところで、アイ=ファがうろんげに眉を寄せた。
「ずいぶんな人数だな。これは、南の王都の使節団に匹敵する規模なのではないだろうか?」
「うん。ポワディーノ王子の一行よりも大がかりらしいとは聞いてたけど……これは、なかなかの人数だな」
「このたびは王家の人間が加わっているわけでもないのに、これだけの人数が必要なのであろうか? それに、南の王都の使節団というのは大量の食材を持ち運ぶために、あれだけの車を準備していたのであろう?」
「ああ、確かに。まあ、東の王都にしてみれば、これが初めての来訪なわけだし……用心して、たくさんの護衛役を準備したってことじゃないか?」
「いや。ジェノスに来訪するのは初めてでも、西の王都に王の代理人を送りつけたことはあったはずだ。ティカトラスが、かつてそのように語っていたからな」
そういえば、俺も同じ場所でそんな言葉を聞いたような気がする。シムの王族で西の地に足を踏み入れたのはポワディーノ王子が最初となるが、西の王都で大きな祝宴を開く際にはシムの王族の代理人を招待する機会があったという話であったのだ。
「これだけの車のすべてに兵士が詰め込まれていたならば、4、500名という人数になってしまおう。ただ……そこまでの気配は感じられぬな」
「それじゃあ、お詫びの品でも運んできたのかな。それにしても、ずいぶんな量だけど」
何にせよ、俺たちがこの場で論じ合っても答えを得ることはできない。俺たちは小さからぬ疑念を抱え込みつつ、その一団が街道を通りすぎていくさまを見守ることになった。
トトス車の総数は、おそらく20台を超えていたことだろう。それらのすべてが屋台の前を通り過ぎ、最後尾の武官が宿場町の領地を踏み越えると、ようやく向かい側のスペースに避難していた人々が屋台に寄り集まってきた。
「おいおい、何だか戦みたいな有り様じゃねえか! あいつら本当に、詫びを入れるためにやってきたのか?」
「ええ、そのはずですよ。まさか、東の王都がジェノスに戦争を仕掛けるはずがありませんからね」
「滅多なことを言わねえでくれよ! ……お前さんは、またあいつらの前に呼び出されることになっちまうのか?」
「どうでしょうね。とりあえず、その可能性があるから身体を空けておくようにとは言われていますけれど」
「よくもそんな、落ち着いた顔をしていられるもんだな! くれぐれも、おかしな騒ぎに巻き込まれないでくれよ?」
そんな言葉をかけてくれるお客さんに、俺は「ご心配くださり、ありがとうございます」と笑顔を返すことになった。
そうして、商売の再開である。雨季とはいえ、やはり中天は稼ぎ時であるのだ。かまど番の一行は、心を乱すことなく目の前の仕事に集中した。
それから、一刻ほどが過ぎた頃――城下町の方角から、ジェノス城の使者がやってきた。
応対するのは、ルド=ルウの役割だ。三族長にお呼びがかけられることを想定して、ルド=ルウもこの場に待機していたのだった。
「よー。やっぱりアスタと族長は城下町に来てほしいってよー。屋台の商売が終わったら、よろしく頼むだとさ」
「そうか。ポワディーノの見立て通りであったな」
アイ=ファは厳粛なる面持ちで、そのように答えた。
西や南の身分ある人間であれば、長旅のあとは1日ぐらい休息を入れてから公務に励むのが通例であるが、このたびの使節団は到着したその日から行動を起こすだろう――と、ポワディーノ王子はそのように予見していたのである。
「それで、私の同行も許されたのであろうな?」
「あー、お供はひとりずつ許すってよー。じゃ、俺は親父たちを迎えに行ってくらー」
ルド=ルウは白い歯をこぼしてから、ルウルウの手綱を引いて立ち去っていった。
そうして半刻ほどが過ぎると、ルド=ルウはすみやかに舞い戻ってくる。ルド=ルウはまたルウルウの手綱を引いており、それとは別にガズラン=ルティムが荷車を引かせたトトスの手綱を握っていた。
「アスタにアイ=ファ、お疲れ様です。すべて、ポワディーノの見込み通りでしたね」
「うむ。謝罪のほうも見込み通りであればよいのだがな」
「護衛役は無用との話でしたので、マルスタインたちも危険は覚えていないということでしょう。ポワディーノも、使節団の責任者は信用できる人間だと仰っていましたしね」
そういえば、ポワディーノ王子の言いつけで最初に呼び出された際には、たくさんの狩人が護衛役として同行してくれたのだ。このたびはそういった手配も無用であると、使者からはそのように告げられていたようであった。
それからさらに半刻ほどが過ぎ去ったならば、屋台の営業も終了だ。
俺とアイ=ファが出立の準備を整えていると、難しい顔をしたチム=スドラが近づいてきた。
「アイ=ファよ、俺たちはこのまま森辺に戻ってしまっていいものなのであろうか?」
「うむ。マルスタインがそのように判じたならば、それに従うべきであろう。……三族長にひとりずつの供というだけで、狩人の人数も十分であろうしな」
「そうか。いささかならず、落ち着かない心地だが……無事な帰りを待っているぞ」
やはりチム=スドラも、使節団の規模に警戒心をかきたてられた様子である。シムの武官というのは森辺の狩人に匹敵する戦力と見なされているため、余計に懸念がつのるのだろうと思われた。
(でも、こっちはあくまで被害者なんだからな。賠償金を支払うのに渋ることはあっても、まさか荒事に発展することはないだろう)
そんな風に心をなだめながら、俺はアイ=ファが手綱を引くギルルの荷車に乗り込んだ。
そうして城門に到着したならば、もう1台の荷車の面々と合流する。そちらは、ドンダ=ルウとガズラン=ルティム、グラフ=ザザとディック=ドム、ダリ=サウティとヴェラの家長という顔ぶれであった。かつてポワディーノ王子との会談に臨んでいたのは三族長であったので、このたびも同じ顔ぶれで迎え撃つことになったのだ。
「ルド=ルウから話は聞いているぞ。東の王都の使節団というのは、ずいぶんな人数であったようだな」
城門に準備されていたトトス車に乗り込むなり、ダリ=サウティがゆったりとした面持ちで呼びかけてくる。アイ=ファは厳粛な表情のまま、「うむ」と応じた。
「車の中にひそんだ人間の気配は、そうまで正確に数えあげることもかなわなかったのだが……少なくとも、南の王都の使節団に劣る人数ではないように感じられた」
「では、少なくとも200名は下らないという見込みであるのだな。ポワディーノと比べても、倍の兵力というわけか」
そのように語りながら、ダリ=サウティはやはり穏やかな面持ちである。ガズラン=ルティムもそれは同様で、ドンダ=ルウとグラフ=ザザはいつも通りの厳しい表情、ディック=ドムは石像のごとき無表情、ヴェラの家長は気合の入った面持ちだ。
そうして到着したのは、叙勲の式典以来となるジェノス城である。
俺たちは浴堂やお召し替えを命じられることもなく、真っ直ぐ謁見の間へと案内された。
しかし、まずはその手前に位置する控えの間へと導かれる。そこで待ち受けていたのは、ポルアースであった。
「やあやあ、どなたもお疲れ様です。けっきょくご足労をかけてしまい、申し訳ありませんでした」
そのように語るポルアースは、いつも通りの笑顔だ。俺は内心でほっと安堵の息をつき、ダリ=サウティは柔和な面持ちで「うむ」と応じた。
「使節団がずいぶん大規模であったということで、こちらはいささか懸念を覚えていたのだが……そちらは、そんな懸念も抱いていないようだな」
「ええ、確かにあれは想定を上回る規模でありましたね。でも、謁見の間には武官の方々も数名ていどしかいらしていないので、心配はご無用でありますよ」
「そうか。しかし、謝罪の使者を送るにしては、ずいぶん大がかりであったのだな」
「はい。それには、理由がありまして……実はこのたびの方々は、南の王都の使節団にも負けないほどの荷を携えておられたのですよ」
そう言って、ポルアースはいっそう朗らかに笑った。
「しかも、その大部分は食材であったのです。これは本当に、想定外でありましたよ」
「え? でも、交易に関してはこれから話し合われるのでしょう?」
俺が思わず声をあげると、ポルアースは笑顔のまま「うん」とうなずいた。
「もちろんポワディーノ殿下も伝書のやりとりで、食材の交易に取り組みたいという旨は伝えておられたのだけれどね。そうしたら、あちらが可能な限りの食材をかき集めてくださったのだよ。……なおかつ、それらの食材が交易に値しない品であったならば、そのまま賠償の品として献上してくださるという話なのだよね」
「ほう。西の王国への賠償を、食材の山で済まそうという話であるのか?」
グラフ=ザザが重々しい声音で問い質すと、ポルアースは「いえいえ」と手を振った。
「賠償に関しては、すでに相応の銀貨が献上されています。その上で、大量の食材も届けられたのですよ。それが価値のある品であったならば、こちらも同じだけの食材か銀貨を受け渡し……そうでなければ、捨てるも焼き払うもご自由に、というお話でありました」
そう言って、ポルアースは俺に向きなおってきた。
「以前から伝えていた通り、ジェノスは東の王都との大きな交易を期待していたからさ。それらの食材に価値があるかどうか、またアスタ殿のお力を拝借したいのだよ。次の屋台の休業日に、なんとか時間を作っていただくことはできるかな?」
「は、はい。家長や族長のお許しをいただけるのでしたら、もちろんこちらはかまいませんが……」
「……それは、これから相対する者たちの態度や物言い次第だな」
と、ドンダ=ルウもグラフ=ザザに負けない重々しさで口を開いた。
ポルアースはやはり笑顔のまま、今度はそちらに向きなおる。
「僕もまだご挨拶をさせていただいたていどですが、まったく懸念を覚えることはありませんでしたよ。まあ東の方々というのは、内心がわかりにくいものでありますが……少なくとも、礼節を欠いた言動は見られませんでした。卓越した鑑識眼を持たれている森辺の方々にも、しっかり見定めていただきたく思います」
「うむ。俺たちは、そのために参じたのだからな」
ドンダ=ルウがそのように答えたとき、控えの間の扉がノックされた。
「ポルアース様。使節団の方々も謁見の間にいらっしゃいました」
「うん、ありがとう。それじゃあ、僕たちも……あ、いや、その前に、ひとつだけお願いがあるのですが……みなさん、そちらの肩掛けを着用していただけますか?」
と、ずっと笑顔であったポルアースが、初めて眉を下げた。その肉づきのいい指先が指し示したのは、壁際に設置されていた衣装掛けである。そこには、城下町の住人でないことを示す朱色の肩掛けがどっさりと準備されていた。
「このたびは謁見のみですし、身を清めたり着替えをしたりという面倒ははぶかせていただいたのですが……やはり相手は異国の貴人であらせられるので、平服というのは都合が悪いのです。それでせめて、あちらの肩掛けだけでも着用していただこうかと……」
それだけの話で、ポルアースが眉を下げるいわれはない。
が、その理由はすぐに察することができた。俺たちはジェノス城の入り口で雨具と刀を預けていたが、グラフ=ザザとディック=ドムだけは狩人の衣を纏ったままであったのだ。
なおかつ、グラフ=ザザは頭からギバの毛皮をかぶっているし、ディック=ドムはギバの頭骨をかぶっている。北の一族は森辺の祝宴の場でも、その姿で過ごすのだ。なおかつ、ギバの頭部のかぶりものは狩人の衣とつながっているので、肩掛けを着込むにはかぶりものも外さないといけないわけであった。
「こちらは、まったくかまわんが……むしろ、相手のほうが怖気をふるうのではないか?」
グラフ=ザザが感情の読めない声音で反問すると、ポルアースはいっそう恐縮した様子で身を縮めた。
「ですから、グラフ=ザザ殿には以前と同じ帽子を準備しています。狩人の手傷というのは剣士の手傷と同じように、尊ぶべき誉れでありますが……異国の貴人の方々には、いささか刺激が強すぎるだろうという判断で……」
「何もそうまで恐れ入る必要はない。森辺の集落でも、俺の姿に怖気をふるう人間はいなくもないからな」
「はあ……でも、以前にお召し替えを手伝った小姓などは、悲鳴をあげてへたりこんでしまったというのでしょう? グラフ=ザザ殿も、さぞかしご不快なお気持ちだったのでしょうし……」
「見知らぬ相手にどう思われようと、俺の知ったことではない」
グラフ=ザザはおもむろに立ち上がると、毛皮のかぶりものを頭から剥ぎ取った。
とたんに、扉の脇に控えていた小姓が悲鳴まじりの声をあげる。グラフ=ザザは頭部の右半分が赤黒い古傷に埋め尽くされており、外耳も欠損しているのだ。そして、左の半分には黒褐色の蓬髪が渦巻いているため、いっそう尋常ならざる風貌になっているのだった。
「……だから、そのように振る舞うのが非礼だと言っているのだよ」
ポルアースはいくぶん顔色をなくしつつ、厳しい声音で小姓をたしなめる。小姓は壁に取りすがったまま、真っ青な顔で「も、申し訳ありません……」という言葉を振り絞った。
「ふふん。今のはこちらが驚かせてやろうという目論見であったのだから、そのように叱りつけるのは気の毒であろうよ」
グラフ=ザザは不敵に笑いつつ、ドンダ=ルウにも負けない立派な顎髭をしごいた。
「しかし、ポルアースとてこの姿を目にしたのは、初めてのはずだ。存外、胆が据わっているようだな」
「ええ。グラフ=ザザ殿がどのような手傷を負っておられるかは、小姓から聞き及んでいましたし……それはギバを狩るために負った、名誉の負傷なのですからね」
と、ポルアースはやわらかく笑った。
「ジェノスの繁栄は、ギバを狩る森辺の方々によって支えられています。そんな狩人の誇りを汚すような真似は、ジェノスの民として決して許されないでしょう」
「ふん。古傷ひとつで、ずいぶん大仰な言葉を持ち出すものだ。まあ……ディック=ドムの古傷を笑うような人間がいれば、俺も黙ってはいられんのやもしれんな」
ディック=ドムもまた、顔にいくつもの古傷を負っているのだ。ただ、ディック=ドムはまだ若いし、よく見ればけっこう端整な顔立ちであるため、それこそ歴戦の剣士めいた風格をかもしだしているのだった。
「ともあれ、それが城下町の流儀であるというのなら、従おう。シムの貴族に悲鳴をあげさせるのは気の毒であるしな」
そうして俺たちも、朱色の肩掛けを羽織ることになった。
ディック=ドムもまたギバの頭骨を外し、グラフ=ザザは帽子を着用する。ポワディーノ王子の帽子と同じようにつばなしの丸い形で、左右と後方にはひだのように織物が垂れている。それで、側面の古傷も隠すことがかなった。
「それでは、参りましょう。僕もご一緒いたします」
俺たちはまだ顔色の悪い小姓の案内で控えの間を出て、ポルアースとともに謁見の間へと向かった。
そちらの扉の前には2名の武官が控えていたが、普段と比べて物々しさが増した様子はない。それでも俺はそれなりに気を引き締めながら、そちらの扉をくぐることになり――そうしてついに、その一団と相対することになったのだった。
「おお、来たな。まずは、そちらに並んでもらいたい」
そのように告げてきたのは、マルスタインだ。それもまた、普段の晩餐会などと変わりのない、鷹揚な立ち居振る舞いであった。
なおかつその場の面々は、おおよそ敷物にあぐらをかいている。きっと使節団に対する敬意として、シムの習わしを取り入れたのだろう。ポワディーノ王子の協力を得れば、東の王都の流儀を真似ることはいくらでもできるはずであった。
そうして俺たちが小姓の案内で歩を進めていくと、あぐらをかいていた人々も立ち上がる。
西の貴族は、マルスタイン、メルフリード、外務官、フェルメス、オーグの5名で、シムの陣営は――ポワディーノ王子を除くと、5名であった。
敷物は広間の中央に、三角形を描く形で配置されている。俺たちが案内された敷物は入り口の壁と平行の角度で、残る2辺にそれぞれ西と東の身分ある人々が並んでいる格好だ。そしてその背後には、数名ずつの従者や武官が控えていた。
なおかつ、ポワディーノ王子と他なる5名は、敷物が分けられている。きっと王族とは敷物を分ける必要があったのだろう。ポワディーノ王子だけがひとり用の小さな敷物で、そのかたわらには黒豹たる『王子の牙』が、背後には3名の臣下が控えていた。
「足労をかけたね、森辺の皆々がた。まず最初に説明させてもらうと……ジェノスに対する正式な謝罪と賠償の話に関しては、すでに完了している。これは、その内容を其方たちに伝えるための集まりであるのだ」
俺たちが敷物の手前で立ち並ぶと、マルスタインがいつも通りのゆったりとした面持ちでそのように語った。
「なおかつ、先日の騒乱には森辺の民も大きく関わっていたので、使節団の方々も直接お詫びを申し上げたいと仰ってくださった。それに、ポルアースからも告げられた通り、食材の一件もあるのでね。もろもろ含めて、この場で語らせてもらいたく思うが……決して格式張った集まりではないので、貴人に対する礼だけは忘れぬまま、肩肘を張らずに語らってもらいたい」
森辺の民の代表として、ダリ=サウティが「承知した」と答える。
かくして、東の王都の使節団との会談は至極穏便に開始されたのだった。




