ファの家の晩餐会④~真情~
2024.6/23 更新分 1/1
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「それにしても、シムというのはずいぶん場所によって様相が異なっているようだな」
ギバのロースの香味焼きを頬張りながら、ゲオル=ザザがまた気安い声をあげた。
「ジギというのは見渡す限りの草っ原で、ゲルドは山に囲まれている上に恐ろしいほどの寒さなのだと聞き及ぶ。それで東の王都はこのジェノスをさらに大きくしたような地で、おまけに海というものを抱え込んでいるのであろう? あと他にも、海辺の領地というものが存在するのではなかったか?」
「うむ。王都の他に東玄海と接しているのは、ドゥラの藩である。ドゥラの民はゲルドの民ともども、勇猛で知られる一族であるな。さらに、ゲルとド、ジとギにおいても、小さからぬ差異があろう」
「ああ、ゲルでは刀、ドでは毒を使う人間が多いとか聞いたような気がするな。それでシムは、七つの地に分かれているのだという話であったか」
「うむ。王都ラオリムも、ラオとリムに分けられている。かつてゲルドやドゥラと対立していたのはラオであり、『白き賢者ミーシャ』を迎えたのちに手を携えたのがリムであるのだ。その功績から、リムも新たな王都の一部に認められたのである」
『王子の腕』の手から麻婆凝り豆を食しつつ、ポワディーノ王子はそのように答えた。
「ただ先刻も申した通り、ラオに限っても王国一の規模を誇る城下町と農園を抱えているし、さらには王子直轄領や貴族の領地というものが存在する。また、ジギとて領土のすべてが草原なわけではなく、石の都や鉱山などを抱えているのだ。シムは七つの藩に分けられているものの、それぞれの藩の内でもさまざまな地に区分できるのであろうな」
「ええ。それはいずれの王国においても、同様なのでしょう。僕はこのジェノスとダバッグとバナームぐらいしか知らない身でありますが、西の王国にもさまざまな地が存在するのでしょうからね」
笑顔で口をはさんだポルアースが、ずっと静かにしているフェルメスのほうに視線を向ける。どうも本日はフェルメスの精彩が欠けているので、出番を与えようという目論見なのだろうか。あまり食の進んでいないフェルメスはチャッチの茶で口を湿してから「ええ」と応じた。
「僕とて外交官として派遣された地にしか足を運んだ経験はありませんので、大部分が机上の知識となりますが……アブーフやグワラムといった北方の領地はマヒュドラやゲルドに劣らない寒冷の地でありましょうし、バルドにおいては内海における漁業が盛んでひっきりなしに漁船や商船が行き交っていると聞き及びます。いっぽう南方の領地はゼラド大公国と近い関係から尚武の気風が強く……さらにはマサラやドラッゴやシャーリのように野の獣が猛威を振るう辺境の地もあちこちに存在いたしますね」
「ええ。このセルヴァは七つどころではなく、数多くの領地に分けられているのですね?」
ガズラン=ルティムがそっと相槌を打つと、フェルメスは嬉しそうに「ええ」と口もとをほころばせた。
「セルヴァにおいては東西南北と中央の五つに領地を区分するのが通例でありますが、それも行政上の管理を簡便にするための処置に過ぎません。セルヴァには何十もの領地が存在するのですから、その数だけ特色も分かれているのでしょう」
「五つの領地に区分……ではこのジェノスは、東方の地ということになるのでしょうか? あるいは、南方の地なのでしょうか?」
「管理上、ジェノスは東方に区分されます。ただし、ジェノスからほぼ真っ直ぐ北に上がったアブーフなどは北方の地に区分されますので、やはり管理上の区分に過ぎないのです」
そう言って、フェルメスはいっそう可憐に微笑んだ。
「何にせよ、ジェノスはシムとジャガルの両方と接する、唯一の領地です。その特異性が、ジェノスならではの気風を生んでいるのでしょう」
「うむ。我にとってはジェノスこそが初めて足を踏み入れた西の領地となるが、これをセルヴァの一般的な領地と見なすことはできまいな」
ポワディーノ王子もまた、どこか楽しげに聞こえる声音でそのように口を出した。
「しかもジェノスは聖域を抱いている上に、森辺の民を領民としているのだ。たとえ大陸全土を見て回ろうとも、ジェノスほど特異な地は他に存在すまい。ゆえに、我の心をとらえて離さないのだろうと思う」
「ええ。なおかつジェノスは先年まで北の民を奴隷として使っており、もともとは自由開拓民の地であったのです。そう考えると、この大陸のあらゆる一族が同じ場所に集っていたと見なすこともできるのかもしれません」
ガズラン=ルティムのそんな言葉に、ゲオル=ザザが「ははん」と鼻を鳴らした。
「何だか、また小難しい話になってきたな。かまど番たちが退屈しているようだぞ」
「それは失礼した。……そういえば、ジェノスは四大王国のすべての実りが集まる地でもあったな」
と、ポワディーノ王子がいちはやく話題の舵取りを担った。
「四大王国すべての食材が集まる地など、他にはそうそう存在するまい。我に思いつくのは、西の王都とゲルドのみであるな」
「ええ。そしてこのたび、東の王都もその候補にあがったというわけでありますね」
ポルアースの言葉に、ポワディーノ王子は「うむ」とうなずく。
「ジェノスから西と南の実りを買いつけることがかなえば、そういうことになる。……そういえば、南の王都にもアマンサやバンベといったマヒュドラの食材が届けられているのであろうか? であれば、そちらも四大王国の食材を網羅していることになろうな」
「はい。ゲルドの食材ともども、マヒュドラやドゥラの食材も売り渡しておりますね。もちろんジェノスやバナームやメライアの食材も同様ですので、西の食材も流通していることになります」
「であれば、東の王都もそれに追いつきたいところであるな」
南の王国に対する敵対心などは微塵も感じさせないまま、ポワディーノ王子はくつろいだ調子でそう言った。
「さらに言うならば、ジェノスにはシムにおける五つの藩の実りがすでに届けられているのだ。そこにラオとリムの実りも加えることがかなえば、嬉しく思う」
「はい。僕たちも、それを実現させるために力を尽くす所存であります」
やはり話題が食材のほうに傾いても、なかなかかまど番が発言するような事態には至らない。ただ、ユン=スドラやトゥール=ディンも期待に瞳を輝かせているので、俺は微笑ましい心地であった。
「うむ? どうしたのだ?」と、そこにアイ=ファの低い声が響く。
そちらに目をやると、あぐらをかいたアイ=ファの膝に白猫のラピが頭をすりつけていた。甘えん坊のラピであるが、食事のさなかに身を寄せてくるのは珍しいことだ。
「これだけの人数で騒がしくしているため、仲間に加わりたくなったのであろうかな。……白き猫は気難しいと聞き及ぶが、アイ=ファの魅力には太刀打ちできぬようだ」
ポワディーノ王子の冗談口に苦笑を浮かべつつ、アイ=ファは指先でラピの首筋を撫でる。するとラピは「なうう」と甘えた声をあげ、それに反応したサチまでもがすました顔をして俺の膝にもたれかかってきた。
「ふむ。シムの猫とジャガルの犬が顔をそろえているのも、ジェノスならではの光景であるのやもしれんな」
「あはは。ジェノスにおいても猫が存在するのは、このファの家のみでありましょうけれどね」
ポルアースが笑顔で答えると、ポワディーノ王子も「左様か」と和んだ声をあげた。
「それはジェノスという魅力的な地においても、ファの家がひときわ魅力的であるという証であろう。アイ=ファとアスタはさまざまな相手と絆を深めたからこそ、猫を家人として迎えることになったのであろうからな」
「ファの家に猫をもたらしたのは、旅芸人の一団とカミュア=ヨシュだ。あやつらを悪しざまに言うつもりはないが……あまり普通の相手ではなかろうな」
ラピの頭にこぼさないように気をつけながら、アイ=ファは中華風のスープを飲み干した。大量に準備した料理も、そろそろ終わりが近づいてきたようである。
「そろそろ菓子の出番ですので、新しいお茶を準備しますね。みなさんは食事をお続けください」
俺は広間の端に設置されたかまどに向かい、鉄鍋の水を火にかける。
その間に、ポワディーノ王子がトゥール=ディンへと呼びかけた。
「城下町での晩餐会でも知れていたことであるが、森辺の女衆は食事の場においてつつましく振る舞う習わしであるようであるな。今日という日を終える前に、もういささか言葉を交わしておきたく思うぞ」
「あ、は、はい。ただわたしは、もともと口が回らないもので……」
「しかし其方は、森辺の民とジェノスの貴族の絆を深めた立役者のひとりであろうな。最初の架け橋となったのはアスタであり、その後は族長筋の者たちが力を尽くしたのであろうが……最初に友愛を育んだのはトゥール=ディンなのではなかろうか?」
「そうですね」と同調したのは、ポルアースであった。
「もちろん僕もアスタ殿を筆頭とする森辺の方々と友愛を育んできた身でありますが、そもそもはトゥラン伯爵家を打倒するために手を携えた間柄でありますからね。そういった利害関係とは関係なく、トゥール=ディン殿とオディフィア姫は純真なる友愛を育むことがかなったのでしょう」
「うむ。我も今日という日にオディフィアに同行を願うべきか、一考したのだが……我などはいない場所のほうが、心置きなく言葉を交わせようからな。どうか今後も、オディフィアと健やかな絆を育んでもらいたい」
「はい」と答えるトゥール=ディンは、つつましい表情に心からの喜びをにじませていた。
それを確認してから、ポワディーノ王子はライエルファム=スドラのほうに向きなおる。
「そして其方も、寡黙であるな。やはりこういった場では、遠慮が出てしまうのであろうか?」
「俺はもともと、場を賑やかすような人間ではないのでな。しかし、すべての話を興味深く聞いている。……そちらの扱う目や耳のようなものだ」
「ふむ。この日の様相を、他者に伝える役割であるということか」
「うむ。きっと数多くの同胞が、いったいどのような集まりであったのかと興味を引かれているのであろうからな」
そう言って、ライエルファム=スドラは空になった木皿を敷物に置いた。
「しかしまあ、今ではそちらの真情を疑っている人間もいまい。あの叙勲の式典というものが開かれた時点で、そちらの迷いは消えていたようだからな」
「うむ? 我の迷いとは?」
「そちらはもともとアスタを臣下として迎えるために、このジェノスを訪れたのであろう? そして、あの鴉に襲撃された祝宴の日までは、まだ迷いの気持ちが残されているように見受けられたと聞き及んでいる。しかし、俺が相対した叙勲の式典では、もはやそのような迷いも見られなかった。……そちらはガズラン=ルティムの真情に触れたことで、迷いを吹っ切ったという話であったしな」
ポワディーノ王子は意表を突かれた様子で、口をつぐんだ。
そして何故だか、ポルアースがいくぶん眉を下げている。メルフリードは冷徹な無表情、フェルメスは貴婦人のごときたおやかな笑顔で、まったく内心は知れなかったが――ただ、どこかこれまでとは異なる空気が感じられてならなかった。
「うむ? どうしたのだ? まさか、今さらアスタを連れ帰りたいなどとは言うまいな?」
ゲオル=ザザがうろんげに声をあげると、ポワディーノ王子は「無論である」と背筋をのばした。
「もはや第五王子の陰謀は潰えたのであるから、我が『星無き民』の力を求める理由はない。そして、アスタは森辺の民として生きるのがもっとも正しい運命であるのだと信じている。その言葉に嘘偽りはないので、どうか信じてもらいたい」
「それを信じているからこそ、そのようにかしこまっている理由がわからないのだがな」
そうしてゲオル=ザザが肩をすくめたとき、お茶の準備が整った。
大皿の料理もついに尽きたので、ユン=スドラがそれを片付けていく。そして、トゥール=ディンの手によって本日の菓子が配膳された。
「きょ、今日は軽めの菓子を準備いたしました。お口に合えば、幸いです」
本日トゥール=ディンが準備したのは、豆乳プリンのアロウソース掛けである。ストロベリーチョコのように仕上げたアロウのソースを、ぷるぷるの豆乳プリンに垂らしているのだ。アロウのソースは濃厚であったが、甘さひかえめの豆乳プリンはとても清涼な味わいであるはずであった。
トゥール=ディンに続いて、俺は新しい茶を配膳していく。そうして豆乳プリンを口にしたポルアースは、先刻の奇妙な空気を吹き飛ばす勢いで「おお!」と声をあげた。
「これはまた、素晴らしい味わいだね! 何より、アロウの味わいが素晴らしいよ!」
「あ、ありがとうございます。お口に合ったのなら、幸いです」
「うんうん! 僕もメリムも、トゥール=ディン殿の仕上げたこちらのアロウの味わいが忘れられなくってね! いやあ、こんな素晴らしい菓子を口にしたと報告したら、メリムが羨んでしまいそうだ。オディフィア姫も、それはご同様でありましょう?」
「うむ。オディフィアに先んじてトゥール=ディンの新たな菓子を口にするというのは……心苦しい限りだな」
仮面のごとき無表情のまま、メルフリードはまた温かな感情を目もとににじませた。
「心苦しい時間は、なるべく短く済ませたい。なんとかオディフィアもこの菓子を口にできるように取り計らってもらえようか?」
「は、はい。でしたら、次にお届けする菓子はこちらの品にいたします。ぷりんとそーすを分けておけば、城下町までお運びいただくことにも無理はありませんので」
トゥール=ディンはおずおずと、それでも幸せそうに微笑んだ。
毒見が済んでから同じ品を口にしたポワディーノ王子も、「うむ」と深く首肯する。
「確かに、素晴らしき味わいである。豪奢な晩餐の締めくくりに相応しい華やかな味わいであるし……それと同時に、強い味で疲れた舌を癒やされているような心地であるな」
「は、はい。香草や油を多く使った食事の後には、こういった菓子が相応しいのではないかと考えました」
「うむ。トゥール=ディンのそういった心づかいが、いっそう菓子の味を引き上げるのであろう」
優しさと鮮烈さをあわせもつトゥール=ディンの菓子が、その場をいっそい和ませたようである。
そののちに、アイ=ファが「では」と声をあげた。
「先刻の続きを願いたい。あなたがたは、何に心を痛めていたのであろうか?」
たちまちポワディーノ王子は背筋をのばし、ポルアースは眉を下げる。そして口を開いたのは、ポワディーノ王子のほうであった。
「やはり、森辺の民に真情を隠すことはできんな。無論、語って聞かせよう。……それもまた、我々がこの場に足を運んだ理由のひとつであるのだ」
「ふむ。あなたは親睦を深めるために、ファの家を訪れたのであろう? その言葉に、偽りはないはずだ」
「うむ。それと同時に、余人の耳がある場では語りにくい言葉を語らせてもらいたいと願っていたのだ。……これは、我から語るべきであろうか?」
ポワディーノ王子が面布で隠された視線を巡らせると、フェルメスがゆったりと声をあげた。
「まずは、僕から語らせていただくべきでしょう。この案件にもっとも大きく関わっているのは、やはり僕なのでしょうからね」
「案件とは? すべての騒乱は、終息したのであろう? それとも、これからやってくる東の王都の使節団に、何か問題でもあるのであろうか?」
「いえ。そちらに問題があった場合は、ポワディーノ殿下に語っていただくべきでしょう。僕から語らせていただきたいのは……西の王都の外交官という立場からの言葉となります」
フェルメスの泰然としたたたずまいに、変わりはない。
ただ――そのヘーゼル・アイが、ゆらりと輝きを増したように感じられた。
「すでに聞き及んでいるかと思われますが、僕とオーグ殿は外交官としての任期の終わりが目の前に迫っているかと思われます。そもそも外交官の任期というのは半年で、二期から三期で人員を交代するというのが慣例であったのですからね。そして、この朱の月いっぱいで、僕たちの三期目は終わりを迎えるわけですが……けっきょく王都から人員の交代が告げられることはありませんでした。きっと王都ではゼラド大公国およびマヒュドラとの戦乱の余波が大きく、外交官の人員交代などは二の次にされてしまっているのでしょう」
「うむ。そういった話は、我々も人づてに聞き及んでいる」
「ええ。おそらく我々はこのまま四期目を務めることになるのでしょうし、また、オーグ殿もそのように望んでおられます。ジェノスというのは何かと常ならぬ騒ぎが巻き起こりますので、僕のような変わり者でないと正しく対応することも難しいのではないか、と……オーグ殿は、そのように考えておられるわけですね
瞳をあやしくゆらめかせながら、フェルメスはふわりと微笑んだ。
「僕にとっても、それはありがたい申し出です。しかし何にせよ、まずは王陛下の御意をいただかなければなりません。そもそもオーグ殿は朱の月に入ると同時に、王都へと向かう手はずであったのですが……赤の月にあのような騒乱が勃発し、これから東の王都の使節団を迎えるという話になったため、出立の機会を失してしまったのです。東の王都がどのような形で賠償するのか、ジェノスと正しく和解できるのか……それを見届けない限り、王陛下にご報告することもままなりませんからね」
それもまた、俺やアイ=ファはすでに聞き及んでいる話である。まあ、あくまで人づての風聞であったが、出どころはララ=ルウであったので信用に値することだろう。
よって、重要であるのはここからであった。
「協議の結果、東の王都の使節団が到着して、和解と賠償が正しく果たされるのを見届けたのち、オーグ殿は西の王都に出立されることになりました。現在も、そのための報告書をしたためているさなかであるのですが……当然のこと、そちらの報告書に虚偽の言葉を並べることは許されないのです」
「うむ。それは、当然のことであろうな」
アイ=ファが鋭い面持ちで応じると、フェルメスは眩しいものでも見るように目を細めた。
「森辺の方々であれば、誰もがそのように考えるのでしょうね。ですが、僕たちは小さからぬ懸念を抱えています」
「ふむ? 懸念とは?」
「それは、ポワディーノ殿下がジェノスを来訪された目的についです。ポワディーノ殿下は、『星無き民』たるアスタの力を手中にするために、ジェノスを訪れたのですからね」
アイ=ファはいっそう鋭い眼差しとなり、俺はひそかに心臓を騒がせることになった。
「もしや……その事実が、西の王の反感を買う恐れがある、ということであろうか?」
「はい。王陛下は、何より前時代的な存在を忌み嫌っておりますので。東の民が語る『星無き民』などというものは、王陛下にとって魔術と同じぐらい忌々しい存在であるのです。東の王子が『星無き民』の存在を求めて西の地に踏み入り、大きな災厄を招き寄せたなどと耳にしたならば……アスタにすべての罪があると判じかねません」
「我もそのように聞き及んだため、其方たちと言葉を交わさねばならぬと判じたのだ」
ポワディーノ王子は膝の上で小さな拳を固めながら、張り詰めた声をあげた。
「『星無き民』に執着したのは我であり、アスタには何ら責任など存在しない。また、先日の災厄はすべてシムの王位争いにまつわる騒乱であり、『星無き民』とも無関係であるのだ。これでアスタに罪があるなどと判じられるのは、決して許されぬ所業であろう」
「はい。オーグ殿がおられなければ、僕の裁量で余計な文言をはぶくこともできたのですが……このたびは、そういうわけにもまいりませんでした。すべての事実を余すところなく、報告書にしたためなければならないのです」
昨年、邪神教団にまつわる騒乱が勃発した際には、オーグが西の王都に出向いていて不在であった。よって、占星師アリシュナの力で邪神教団の本拠を突き止めた事実なども隠蔽することができたのだ。フェルメスいわく、あやしげな占星師の言葉に従って兵を動かすことなど、西の王には決して許されない所業であるのだという話であった。
しかし今回は、どんな些細な隠蔽も許されない。オーグとは、それだけ厳格な人間であるのだ。そしてそれは、決して彼の欠点ではなく美点であるはずであった。
「よって我は、西の王カイロスに謝罪文をしたためることにした。その内容に関してはフェルメスにも知恵を拝借しているので、アスタたちの懸念を多少なりとも晴らすことがかなえば幸いである」
「うむ? 謝罪文とは? それで何か、アスタの立場に変化が生じるのであろうか?」
「ええ。ポワディーノ殿下は十歳という若年であり、なおかつご自身と母君に迫る脅威によって大きく惑乱しており、『星無き民』などという御伽噺の存在に頼るような真似をしてしまいました。それはひとえにポワディーノ殿下の不徳であり、アスタには何ら責任はない、と……そのように、自ら恥をかぶってくださったのです」
「恥も何も、それが事実であるからな。我とて、虚言を述べて事実をねじ曲げる気はない。……でなくては、森辺の民の信頼を勝ち取ることもできなかろうからな」
ポワディーノ王子は、断固たる口調でそう言った。
「また、我はアスタを筆頭とする森辺の民たちと真情を交わすことで、正しき道に戻ることがかなった。このたびの騒乱を早急に終息させることがかなったのも、アスタたちの尽力あってのことである。その事実も、謝罪文に書き添えさせていただいた」
「はい。これでアスタを処罰するようなことがあれば、全面的に非を認めたポワディーノ殿下の面目を潰すことになる……このたびの謝罪文は、そういった内容になっています。もとより王陛下は『星無き民』の何たるかも正しくはわきまえておられませんので、そのようなもののためにシムとの国交を二の次にすることはないでしょう。これでおおよそは丸く収まるものと、僕はそのように判じています」
「……あなたはそうして恥をかぶることで、アスタの立場を守ってくれたのだな」
心配そうに身を寄せるラピの頭を軽く撫でてから、アイ=ファは目礼をした。
「あなたの誠実なる振る舞いに、心よりの感謝を捧げよう。やはりあなたは信頼に足る人間であった、ポワディーノよ」
「くどいようだが、我は真実を述べたのみである。アスタは正しき存在であるために、真実によって救われるのだ。それこそが、この世の道理であろうからな」
そう言って、ポワディーノ王子は小さく息をついた。
「ともあれ……アイ=ファたちの怒りを買っていないのなら、我も喜ばしく思う」
「正しき行いに身を置こうとするあなたに、怒りを向けるいわれはない。あなたは確かに、大きく惑乱していたのであろうが……それはすべて、悪しき者たちの責任であるのだからな」
「そうです。俺からもお礼を言わせてください、ポワディーノ殿下。俺なんかのために、どうもありがとうございます」
俺が精一杯の思いを込めて頭を下げると、ポワディーノ殿下はほっとした様子で肩を揺すった。
「真実を語っただけの我に、礼など不要である。……礼を施すならば、その相手はフェルメスであろう。アスタの危機的な状況を報せてくれたのは、フェルメスであるのだからな」
「うむ。ことアスタの立場を守ろうという行いに関しては、フェルメスほど心強い存在は他にない」
俺とアイ=ファが同時に目を向けると、フェルメスは可憐な乙女のように微笑んだ。いつの間にか、あやしくきらめいていたヘーゼル・アイもやわらかな眼差しに戻っている。
「アスタのすこやかな行く末を守りたいというのは、僕の私心でありますからね。でも、公人としての立場をないがしろにすることなく解決の道を探れたのは、ポワディーノ殿下のおかげです」
「うむ。どうせ報告書とやらにも、真実が書かれているのだろうからな。さらに自ら恥を上乗せさせようというのは、まぎれもなくポワディーノの尽力なのであろうよ」
と、ゲオル=ザザは不敵に笑いながらそう言った。
ガズラン=ルティムも鷹のごとき眼光を見せることなく、「ええ」と微笑む。
「私もポワディーノの誠実なる振る舞いに、胸を打たれました。ありがうございます、ポワディーノ」
「うむ。こればかりは、俺たちには手の出しようがない話であるからな。貴族や王族という立場にある者たちだけが、アスタを守ることがかなったのだ」
ライエルファム=スドラが落ち着いた声音でそのように述べたてると、ユン=スドラとトゥール=ディンもこらえかねたように身を乗り出した。
「わたしも、みなさんと同じ気持ちです! ありがとうございます、ポワディーノ!」
「は、はい。あなたの振る舞いには、心から感謝しています。どうか、お礼を言わせてください」
すると、ポワディーノ王子は華奢な肩を揺らした上で、いくぶんうつむいてしまった。
「森辺の民というのは、生半可ならぬ生命力を有しているので……そのように正面から感情をぶつけられるのは……あまりに、負担であるな」
その声も、頼りなげに震えてしまっている。
そして――面布の影からは、透明のきらめきが滴った。
そうして俺たちは、思いも寄らない形でポワディーノ王子の真情に触れることがかない――とても満ち足りた心地で、その日の晩餐を終えることがかなったのだった。




