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異世界料理道  作者: EDA
第八十七章 甘雨の時節
1504/1691

宿場町の勉強会③~熱意~

2024.6/19 更新分 1/1

 俺とアイ=ファ、ルド=ルウとララ=ルウとバルシャ、トゥール=ディンとゼイ=ディン、シフォン=チェルとサンジュラ――総勢9名にまでふくれあがった一団は、無事に菓子の卓に到着した。


 そちらにも、たくさんの人々が集っている。それも、プラティカにニコラ、デルシェア姫の従者である侍女と武官、《ランドルの長耳亭》のランディ、《アロウのつぼみ亭》のレマ=ゲイトと厨番という、馴染みの深い面々を含む顔ぶれだ。そして、それに取り囲まれていたのは、ユーミやレビとともに卓を巡っていたユン=スドラに他ならなかった。


「ああ、トゥール=ディン。ようやくいらしてくださいましたね。みなさん、これらの菓子に大きく感銘を受けたようです」


 ユン=スドラがほっとしたように息をつくと、ユーミが楽しげに「あはは」と笑った。


「最初は《ランドルの長耳亭》のご主人と語ってただけなのに、気づいたらすごい人数になってたね! アスタのほうも、それに負けない人数みたいだけど!」


「うん。シフォン=チェルにも、菓子の説明をしようって話になったんだよ」


「では、我々、ともに、お願いします」と、プラティカはいつも通りの鋭い面持ちで身を乗り出してくる。本日はまだしも簡易的な菓子が準備されていたが、それはそれでプラティカの探求心に火をつけたようだった。


「え、ええと、勉強会でもご説明しましたが、本日はイーナとマホタリとエランを主体にした菓子を準備しました。これらの果実は酸味が少なくて扱いやすい反面、印象に残りにくい面がありますので……少しでも、それを解消できたらと考えた次第です」


 イーナはナシ、マホタリはサクランボ、エランはマンゴーに似た果実であり、いずれも最新の食材である。トゥール=ディンの言う通り、使い勝手がいい反面、インパクトに欠けるという面があるのだろう。トゥール=ディン自身、それらの果実は他なる果実と組み合わせることで、独自の味を完成させていたのだった。


 なおかつ、石窯がほとんど普及していない宿場町では、菓子を作るのにも限度がある。本日こちらに準備されたのは、いずれもホットケーキやクレープに転用するための具材であった。


 生クリームと、ホットケーキの生地と、クレープの生地のそれぞれに、3種の果実の果汁が加えられている。そして果汁の搾りかすは乳脂や花蜜とともに煮込まれて、ジャムのように仕上げられていた。これも決して食材を無駄にするまいとする、森辺と宿場町の流儀に沿った作法であった。


 そうしてこの場には、それらの具材が具材のまま配置されている。自分の好みで具材を組み合わせて味を確かめるべし、というシステムであるのだ。生クリームなどは時間が経つと空気がぬけてしぼんでしまうため、容器のそばにそれぞれ泡立て器が添えられていた。


「イ、イーナやマホタリやエランは単体でもそれぞれ美味である上に、さまざまな果実と組み合わせることも難しくありません。その両方の特性をお伝えするために、本日はこういった菓子を準備したのですが……いかがなものでしょう?」


「ええ。わたしもあらためて、これらの果実の素晴らしさを再確認することがかないました。このように、自分の好みで味を組みかえるというのも楽しい試みでありますな」


 ランディがにこやかに笑いながら応じると、たちまちレマ=ゲイトが「ふん!」と威勢よく鼻息をふいた。きわめて恰幅のいい、豪放で遠慮のない壮年の女主人である。


「だけど、こんな風に自分で菓子を作りあげるなんてやり口は、屋台でも食堂でも通用しやしないね。こんなもんをどうやって、宿場町で売りに出そうってんだい?」


「は、はい。ちょっと手間ですが、お客に注文を聞く際に組み合わせを選んでいただいてはどうかと……」


「はん。屋台や食堂で、そんな手間をかけようってのかい?」


「は、はい。わたしも最近は屋台でくれーぷを売る際、そういったやりかたを試しているのです。……アスタの故郷では、そういうやりかたが主流であったとうかがいましたので……」


 レマ=ゲイトが疑わしげな眼差しを向けてきたので、俺は「ええ」と笑顔を返してみせた。


「少なくとも、クレープはそういうやりかたが主流でしたね。あと、《キミュスの尻尾亭》の屋台でも、それに似たやりかたを導入してるもんね?」


「ああ。らーめんにのせる具材をちゃーしゅーにするか肉みそにするかってやり口だな。最初はなかなかの手間だったけど、慣れちまえば何てことねえよ。それで最近は、別料金で魚卵やら何やらを追加するってやり口も定着してきたし……おかげさんで、お客にも喜んでもらえてるよ」


 レビの頼もしい返答に力づけられた様子で、トゥール=ディンは「は、はい」とうなずいた。


「こ、こちらの屋台でも、くれーぷの具材を選んでいただく方式はお客に喜んでもらえています。最初の内はおすすめの組み合わせを2種や3種にしぼっておけば、さほど手間はかからないかと思います」


「ふむ。ですが、お客の顔ぶれというのは毎日いれかわるものでしょう? どういった頃合いで、組み合わせの種類を増やせばよいのでしょうな?」


 そのように口をはさんだのは、ランディだ。やはり宿場町の面々は、菓子の味と同じぐらいの熱量で売り方のほうにも関心をかきたてられる様子である。


「わ、わたしは組み合わせの種類を増やすのではなく、どのような組み合わせも自由であるとお伝えしています。そうすると、お客も何度か通っている内に、試してみたい組み合わせを思いつくようで……自然に、新しい組み合わせの注文を受けるようになりました」


「なるほど。まあ何にせよ、こちらが多少の手間を負う分、お客に喜んでいただけるというわけですな。そうして評判が高まれば、最後にはこちらの得になるのでしょう」


 納得顔で微笑むランディのかたわらで、レマ=ゲイトは押し黙っている。何やら頭の中でそろばんを弾きまくっているような風情だ。調理に携わっていない彼女こそ、手間と稼ぎの損得勘定にいそしむべき立場であった。


「そして、その手法、成立させるには、具材の相性、重要です。そのために、3種の果実、選ばれたのですね?」


 プラティカが満を持した様子で声をあげると、ユーミが「んー?」と小首を傾げた。


「そのためにって、どういうこと? これはみんな目新しい果実だから選ばれたんじゃないの?」


「……真相、如何ですか?」


 プラティカに鋭くうながされて、トゥール=ディンは「は、はい」と背筋をのばした。


「も、もともと今日は、なるべく目新しい食材を使うことが望ましいと聞いていましたし……この3種の果実であればどのような組み合わせでも破綻することはないはずですので、そのまま採用したという格好です」


「へー。じゃ、この3種類はたまたま相性がよかったってこと?」


「はい。いずれも強い酸味や風味を持っていないために、どの組み合わせでも破綻しなかったのでしょう。たとえばここにアロウやアマンサを使った具材などを組み込むと、相性の悪い組み合わせも出てくるかと思います」


 そうしてトゥール=ディンは普段から、相性のいい果実の組み合わせを模索しているのだ。さらにそこには、チョコレートやラマンパとの相性なども加味されているはずであった。


「うーん! やっぱあたしには、ちょっとばっかり難しそうだなー! ま、どうせうちの宿では、菓子を頼むやつなんてほとんどいないんだけどさ!」


 そう言って、ユーミはレビに笑いかけた。


「だからこっちは、あんたがたのやり口を参考にさせてもらおうかな! 割増料金で具材を増やすってのは、なかなかウケがよさそうだもんね!」


「ああ。おこのみやきでも、応用はきくんじゃねえか? せっかくあれだけの具材がそろってるんだからよ」


「うんうん! けっきょく食堂の酔っ払いなんかは、ありったけの具材をぶちこめとか言い出しそうだけどね!」


 やはりこれだけの人数が居揃うと、ディスカッションもはかどるようである。

 そうしてようやくひと仕事を終えたトゥール=ディンは、シフォン=チェルにおずおずと微笑みかけた。


「お、お待たせしてしまって申し訳ありません。それじゃあ、それぞれの具材のこまかい説明などをさせていただきますね」


「ありがとうございます……お手間を取らせてしまって、申し訳ありません……」


「い、いえ。シフォン=チェルのお役に立てたら、わたしも嬉しいです」


 おたがいに柔和な気性をしたトゥール=ディンとシフォン=チェルが微笑み合うと、なんとも和やかな空気が漂った。

 そしてこちらでは、菓子を食べ終えたルド=ルウが「なーなー」と呼びかけてくる。


「俺はまだまだギバ料理を食い足りてねーよ。次の卓に移動しようぜー」


「うん。それはいいけど、ララ=ルウたちとは別行動でいいのかな?」


「バルシャがいりゃ、俺がひっつく理由もねーだろ。そろそろレイナ姉の面倒も見るべきだろうしなー」


 ルド=ルウの視線を追うと、隣の卓ではレイナ=ルウがまだリーハイムたちと語らっていた。おたがいに卓を巡る中で、俺たちもようやく行きあうことになったのだ。


 ララ=ルウはサンジュラと何やら語らっている様子であるし、ユン=スドラはトゥール=ディンと合流していたので、こちらはアイ=ファとルド=ルウだけを道連れにして移動する。すると、それに気づいたユーミとレビもひょこひょこついてきた。


「あたしらも菓子はたっぷり味わったから、今度はアスタたちとご一緒させていただくよ!」


「うん。向かう先にはリーハイムたちもいるけど、問題ないかな?」


「問題はないっしょ! ここはいちおう宿場町なんだから、そうまでかしこまる必要はないしさ!」


 ということで、俺たちは5名でレイナ=ルウのもとに馳せ参じた。

 レイナ=ルウとリーハイムは、やはりそれなりに真剣な面持ちである。ただしセランジュやタパスなどは和やかな面持ちであり、あとは無言の『王子の耳(ゼル=ツォン)』もひっそりと1名だけ控えていた。


「リーハイム、お疲れ様です。まだまだ熱が冷めやらないご様子ですね」


「ん? ああ、お前らか。まあ、こっちもちょっと、色々と立て込んでるからよ」


 と、リーハイムはにわかに相好を崩して、油で整えられた髪を撫でさすった。


「ほら、俺とセランジュは婚儀を控えてるだろ? だからまあ、ちょっと気が早いけど、そっちの話もさせてもらってたんだよ」


「へー。もう日取りは決まったのかー?」


「いや。そいつはきちんと雨季が明けてからだな。でも、黄の月の後にはのばさねえよ」


 そう言って、リーハイムはセランジュに笑いかけた。

 セランジュはいくぶんうつむきながら、幸せそうに口もとをほころばせる。俺はそれほどつきあいの深くない両名であるが、そのさまにはずいぶん胸を満たされることになった。


「いっそ祝宴では、レイナ=ルウにすべての準備を任せたいところなんだけどな。でもまあ、それはレイナ=ルウの負担がでかいし、うちの料理長もないがしろにはできないからよ。ここはやっぱり料理長と半分ずつって話に落ち着きそうだ」


「へー。それでもけっこうな量になるんだろうなー。そーいえば、やっぱアスタには頼まねーのか?」


「ああ。どうせアスタは、他の祝宴でも引っ張りだこだろ。俺はレイナ=ルウの力さえ貸してもらえたら、それで大満足だよ」


 リーハイムのそんな言葉に、レイナ=ルウは「光栄です」と力強く微笑む。


「あと、菓子に関してもリミ=ルウに任せるつもりだよ。それで文句をつけるのは、オディフィアぐらいだろ」


「ふーん。じゃ、手伝いの人間もルウの血族で固められるわけだなー。そりゃーなかなかの大ごとだ」


「うん。でも、屋台の商売がなければ人手を集めるのも難しくないからね。婚儀なんて一生に一度のことなんだから、どんな日取りでも屋台を休んで力を尽くすつもりだよ」


「そんな話は、親父としてくれよ。俺は何がどうでもかまわねーさ」


 頭の後ろで腕を組みながら、ルド=ルウはにっと白い歯をこぼした。

 きっと内心では、姉と妹の勇躍を喜んでいるのだろう。そして俺のかたわらでは、アイ=ファも嬉しそうに目を細めていた。


「あ、そうだ。それで、お前にも聞いておきたかったんだよ」


 と、リーハイムがユーミに向きなおった。


「そっちも雨季が明けたら、婚儀を挙げる予定なんだろ? まだ日取りなんかは決まってねえのか?」


「えー? そんなもん、決まってるわけないじゃん。どうして貴族様が、あたしらの婚儀なんかを気にするのさ?」


「そりゃあ宿場町の民が森辺に嫁入りするなんて言ったら大ごとなんだから、婚儀の日にはルウ家の立場ある人間も招かれることになるんだろ? だったら、日取りをずらす必要があるだろうがよ」


「あー、そういうことか。だったら、そっちが先に決めちゃってよ。こっちはまず、東の王都の使節団とかいうやつが無事に片付くまで、日取りを決めることもできないだろうからさ」


「ああ、まあ、そんな国賓を迎えてる間は、こっちも予定を立てられねえな。だけどまあ、ゲルドの連中みたいに長々と居座ることはねえだろ。あっちはあくまで、詫びを入れるために出向いてくるんだからよ」


「ふーん? でも、ゲルドのお人らだって最初っから長々と居座ってたんじゃなかったっけ?」


「だからあれも、アスタたちの料理が目当てだろ。まあ今回もポルアースたちがでかい交易なんざを目論んでるから、そんな早々には引っ込まねえだろうけど……まさか、ひと月やふた月も居座ることはねえだろうさ」


 そんな風に言ってから、リーハイムはまたセランジュに笑いかけた。


「ま、連中がそんな長居するようだったら、いっそ俺たちの婚儀にも賓客として招待してやるさ。せっかくの黄の月をみすみす見逃すことはできねえからな」


 セランジュはやはり幸せそうに微笑みながら、「はい」とうなずくばかりであった。


「じゃ、まずは使節団を迎えてからだな。さっさとやってきて、さっさとお帰り願いたいもんだぜ」


「あはは。王子様が聞いてるのに、そんなぞんざいな扱いでいいのー?」


「ふん。聡明なるポワディーノ殿下だったら、婚儀に胸を弾ませる人間の心情を理解してくれるだろうさ」


 と、リーハイムは横目で『王子の耳(ゼル=ツォン)』をねめつけた。

 あくまで耳に過ぎない『王子の耳(ゼル=ツォン)』は、ノーリアクションである。まあ、ポワディーノ王子もこれしきの軽口で眉を吊り上げることはないはずであった。


「じゃ、こっちはそこの料理を食わせてもらうぜー? なんせ、腹はまだ半分ていどしかうまってねーんだからよー」


「ああ、長話につきあわせちまって悪かったな。よかったら、ルド=ルウも感想を聞かせてくれよ」


「んー? こいつは宿場町の宿屋で売ろうとしてる料理なんだろー? 俺らの感想なんて必要なのかー?」


「ギバ料理に一番食べ慣れてるのは、森辺の民だろ。だったら、その感想を二の次にはできねえさ」


 ということで、俺たちはレイナ=ルウやリーハイムに見守られながらそちらの卓の料理をいただくことになった。

 こちらで準備されていたのは、揚げ物料理の一式である。宿場町においてはまだまだ揚げ物料理が定着していないが、定番メニューにしてしまえばレテンの油を無駄にすることもあるまいという論調で推奨されたのだった。


 献立は、ギバ・カツ、キミュスの唐揚げ、牡蠣のごときドエマのフライ、トライプのクリームコロッケ、各種の魚介や野菜の天ぷらというラインナップだ。油分を中和する生野菜のサラダもどっさり準備されていた。


「どうだ? そいつはみんな、レイナ=ルウたちの手ほどきで宿屋の連中が手掛けたんだよ。どこかに不備があったりはしねえか?」


「んー。文句はねーけど、ぎばかつがちっとばっかり物足りねー感じだなー。なんか、この味も覚えがあるんだけどよー」


「ああ、普段はギバのらーどを使ってるからね。でも、宿場町ではらーどが使えないから、レテンの油を使ってるんだよ」


 そのように説明してから、レイナ=ルウはリーハイムに向きなおった。


「森辺の民はギバの風味を好みますので、その脂から作られたらーどでないと物足りなく感じてしまうのです。でも、わたしたちは屋台の商売でもらーどは使っていませんので、初めてぎばかつを口にする人々に物足りないと思われることはないかと思われます」


「なるほど。レテンの油だと、どうしても一段味が落ちちまうってことか?」


「いえ。それはあくまで森辺の民の好みなのだろうと、アスタはそのように仰っています。ただ……わたしも森辺で生まれ育った身ですので、どうしてもらーどのほうが好ましく思えてしまうのです」


 そんなやりとりを経て、レイナ=ルウとリーハイムが同時に俺を見つめてきた。

 ちょうどクリームコロッケを頬張ったところであった俺は、それを呑みくだしてから「はい」と答える。


「俺としても、どちらかといえばラードを使ったギバ・カツのほうが好ましく思います。でもやっぱり、それは好みの問題なのでしょう。レテンの油を食べ慣れている方々でしたら、そちらのほうが美味であると感じるかもしれません」


「レテンの油を食べ慣れてる人間なんざ、南の民ぐらいだろうけどな。……あ、いや、ジェノスで買いつけてるレテンの油は、セルヴァの品なんだっけか?」


「ええ、そのはずです。たしかセルヴァの北西部から買いつけているとか……まあ、ジェノスから見れば、すべての領地が北西部なんでしょうけれども」


「そうか。これだけ食材が増えると、産地を覚えるだけでひと苦労だな。セルヴァとジャガルの両方で収穫できる食材も、山ほどあるみたいだしよ」


 リーハイムはひとつ息をついてから、気を取り直した様子で背筋をのばした。


「それで、ぎばかつ以外はレテンの油でも問題はないのか?」


「なんの油だか知らねーけど、他のやつは普段と同じ味みたいだなー」


「ええ。森辺でも、天ぷらなんかはレテンの油で仕上げていますからね。ラードも量に限りがあるので、ギバ・カツで優先して使っているはずです」


「そうか。じゃあそのキミュスのからあげとかいうやつはどうなんだ? やっぱりキミュスの油をしぼって使ったほうが、上等に仕上げられるのか?」


「いえ。以前にラーメンの研究でキミュスの油をしぼったことがありますが、風味が強くて揚げ物には適さないようです。風味が強くても、ホボイ油だとなかなか独特の香ばしい風味でいい感じなのですけれどね」


「ホボイの油は、レテンの油よりも費用がかさむからな。よっぽど料理の出来栄えが上がらない限り、宿場町の連中が揚げ物で使うことはないだろう」


「ええ。焼き物ならともかく、揚げ物では膨大な量を使いますからね。ホボイの油を使った揚げ物は、城下町向けだと思います」


 リーハイムは「そうか」と思案した。

 彼はここ最近になってから、宿場町で料理の質を高めることに注力し始めた立場であるのだ。彼自身、まだまだ学びの最中なのだろうと思われた。


「それじゃあ、まあ……ひとまず揚げ物に関しては、みんなレテンの油でかまわないっていう結論でいいのか?」


「わたしはそのように考えて、今日の献立を考案いたしました。宿場町では揚げ物そのものがまだ目新しいので、きっと人気を博するかと思います」


「ああ。確かにどの料理も、文句なく美味かった。宿場町どころか、城下町でも通用する味だと思ったよ。……なんか、料理の質ってもんを考え始めると、際限が見えなくなっちまうんだな」


「はい。わたしたちも長きの時間をかけて、ようやく満足できるようになったのですからね。……でもきっと、際限などは存在しないのでしょう。これほど美味に感じられるぎばかつでも、まだ高みを目指せる余地が存在するはずです」


「そういえば、レイナ=ルウは試食会でも変わり種のぎばかつを出してたもんな。あれは宿場町には相応しくないって判断だったのか?」


「はい。あれは城下町の料理人であるロイに触発された料理ですし……ぎばかつにひと手間を加えた仕上がりですので。揚げ物が物珍しい宿場町では、まず普通のぎばかつを売りに出すべきかと思われます」


「ただそれは、あくまでジェノスの常識なんだよな。ジェノスの外では、レテンの油を使った揚げ物料理も普通に食べられてるんだろうからよ」


 リーハイムの言葉に、レイナ=ルウは虚を突かれた様子で口をつぐんだ。

 そこで、俺がフォローをさせていただく。


「でもこちらの屋台でも、レテンの油を使ったギバの揚げ焼きは好評です。遠方からいらしたお客なら揚げ物に食べ慣れている可能性もありますが、今まで不満の声をいただいことはないですね」


「……はい。ゲルドや南の王都や西の王都の方々でも、アスタの揚げ物料理に不満を抱く御方はいなかったように見受けられます。きっとアスタの料理には、それだけの質がともなっているのです」


「もちろん、それを受け継いだレイナ=ルウの料理にもな」


 と、リーハイムはレイナ=ルウに笑いかけた。


「あれこれ考えると、頭でっかちになっていけねえな。俺自身、どの料理も美味いと感じたんだ。あれこれ細かい部分までつつき回しちまって、申し訳ないと思ってるよ」


「とんでもありません。思わぬ方向から意見をいただければ、それもわたしたちの力になるはずです」


 レイナ=ルウはぐっと頭をもたげて、そのように答えた。

 やはりリーハイムとは、いいコンビであるようだ。ヴァルカスの存在に憧憬を抱き、城下町で商売を行うことに熱情を燃やしているレイナ=ルウには、リーハイムの存在もいい刺激になるのかもしれなかった。


「それにしても、このからあげってやつは美味いよな。キミュスにまだこんな美味い食べ方があるのかって、俺は感心しちまったよ」


 と、レビがひかえめに俺へと呼びかけてくる。


「うん。宿場町でキミュスの唐揚げを出したのは、これが初めてのはずだよね。俺たちは、あくまでギバ料理の普及を命題にしてるからさ」


「ああ。だけど、《キミュスの尻尾亭》ではキミュスやカロンの使い道も手ほどきしてたんだろ? あのキミュスのつくねって献立も、俺は大好物だよ」


「ああ、それは確かに俺が手ほどきした献立だね。でもあの頃はレテンの油を大量に買いつけて揚げ物に挑もうって時期ではなかったから、唐揚げは候補にあがらなかったんだよ」


「そっか。そりゃそうだよな。じゃ、城下町では何度か出してたのか?」


「うーん。やっぱりギバ料理を優先するから、あんまり城下町でも出した覚えはないけど……でもたしか、リフレイアに誘拐されたときに手掛けたような覚えがあるね。あのときは逆に、ギバ肉が手に入らなかったからさ」


「はは。そりゃあずいぶん、懐かしい話だな」


 俺は、レビと一緒に笑うことになった。あれはもう、笑い話にできるぐらい遠い記憶であるのだ。そして、そのときに知り合ったシフォン=チェルとこのような立場で同席しているというのも、過ぎた歳月の長さを物語っていた。


「ああ、リーハイムはこちらにいらしたのですね」


 と、レイリスが単身でこちらに近づいてきた。スフィラ=ザザとは、行動を別にしたようだ。


「さきほど小姓が探していたので、わたしが用事を承りました。食事を始めて、一刻が過ぎたようです」


「そうか。それじゃあ、いったん締めくくりだな」


 リーハイムは小姓に鈴を鳴らさせる手間をはぶいて、声を張り上げた。


「おい、ちょっとこっちに注目してくれ! まだまだ料理は残されてるだろうが、城下町の人間はここで下がらせてもらう! この後は、残った料理を片付けながら議論を続けてくれ!」


 大広間を満たしていたざわめきが、ゆっくりとフェードアウトしていく。

 そんな中、リーハイムはさらに言いつのった。


「今後もこういう勉強会を、定期的に続けていこうと考えてる! ただし、森辺の料理人の都合もあるだろうから、せいぜい10日や半月にいっぺんのことだ! それ以外の時間は、自分たちで力を尽くして……それで足りないときは、また森辺の料理人に相談してくれ! 以前と同じように銅貨さえ支払えばいくらでも手ほどきすると、森辺の族長からも了承を取りつけているからな!」


 その族長の代弁をするように、レイナ=ルウが一礼する。それに関しては、すでにドンダ=ルウにも話を通しているという話であったのだ。


「それに、今後の勉強会について何か意見があったら、商会長のタパスに相談してくれ! そうしたら、間違いなく俺の耳まで届くからな! とにかく今日集まった人間には不利な立場なんてひっくり返して、森辺にも城下町にも負けない料理や菓子を仕上げてほしい! きっと宿場町はこれからもどんどん客が増えるだろうから、せいぜい落ちこぼれないようにな! 俺も次代の領主として力を振り絞るから、期待に応えてくれよ?」


 大広間は、しんと静まりかえり――

 それから、大きな拍手に包まれた。


 リーハイムは「へへ」と笑ってから、俺とレイナ=ルウを見比べてくる。


「じゃあな。城門の都合があるんで、俺たちはこれで失礼するよ。今日は本当に、世話になった。次もまた、よろしく頼む」


 俺はレイナ=ルウとともに、「はい」と一礼した。

 その間に、プラティカやシフォン=チェルたちも寄り集まってくる。それぞれ別れの挨拶を述べながら、城下町の一行は大広間を退室していった。


 大広間には、また熱いざわめきが充満する。リーハイムが発破をかけたことで、いっそう熱気が高まったようだ。そのさまを見回しながら、アイ=ファはしみじみとつぶやいた。


「リーハイムはジェノスの貴族の中で、ひときわ粗雑な気性をしているように思えるが……宿場町の領主としては、望ましい人柄であるのかもしれんな」


「うん。貴族の代表みたいなルイドロスより、いっそうしっかり領民と絆を結べるんじゃないのかな」


「うむ。宿場町で商売をする森辺の民としても、心強いことだな」


 そう言って、アイ=ファは満足そうに目を細めた。

 アイ=ファにとっても、今日の集いは有意義であったようである。俺もまた、これまで以上に安らいだ心地でその場の熱気にひたることがかなったのだった。

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― 新着の感想 ―
ユーミや、クレープには肉野菜を巻いた軽食タイプもあってだな。 二種の肉、三種の野菜から組み合わせで提供とかも良いもんよ。 トライプのクリームコロッケなんかは、ギバのラードだと動物性肉の匂いが勝っちゃ…
[一言] >「あと、菓子に関してもリミ=ルウに任せるつもりだよ。それで文句をつけるのは、オディフィアぐらいだろ」 実際は少し残念に思う程度だろうけど あんまりよくないイメージに見える
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