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異世界料理道  作者: EDA
第八十七章 甘雨の時節
1501/1686

親睦の晩餐会③~さらなる心尽くし~

2024.6/2 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「それでは、次なる品々を供していただこう」


 マルスタインの言いつけで空となった食器が下げられて、新たな料理の皿が運ばれてきた。

 おもにタウ油の香りに満たされていた室内に、今度は香草の香りが広がっていく。プラティカはいっそう鋭い目つきになり、デルシェア姫も瞳を輝かせていた。


「次の三品は、シム風を意識した料理となります。まあ、香草を主体にしているのはひと品だけで、あとのふた品はそちらの料理との食べ合わせを重視したに過ぎませんが……みなさんのお気に召したら、幸いです」


「うむ。何にせよ、期待はつのるばかりであるな」


 すべての皿が配置されてクロッシュが開かれると、また一部の参席者がはしゃいだ声をあげた。


「これはあの、《キミュスの尻尾亭》の面々が試食会で披露していた、らーめんに類する料理だね?」


 ポルアースの期待に弾んだ声に、俺は「はい」と笑顔を返した。


「俺の故郷では、担々麺という名で呼ばれていました。でも、麺は《キミュスの尻尾亭》の方々が手掛けるラーメンと同じものです」


「うんうん! らーめんもぱすたも同じような色合いをしているけれども、どこか趣が異なっているので見分けがつくようだよ! 屋台のらーめんは城下町まで持ち帰ることが難しいので、こういう場で供してもらえるのはありがたい限りだね!」


 もはやポルアースも、ポワディーノ王子の前で謹厳に取りつくろうつもりはないようである。それが許される関係性が構築できたのなら、何よりの話であった。


 ともあれ、後半の三品の中心となるのは、こちらの担々麺である。麺がのびてしまわないように、つけ麺の方式だ。なおかつ、麺が固まるのを防ぐために、パスタの要領でホボイ油をまぶしていた。


 スープはキミュスの骨ガラの出汁とミソおよび豆乳をベースにして、長ネギのごときユラル・パ、チンゲンサイのごときバンベ、マツタケのごときアラルの茸を具材にしており、さらに肉みそも後から添加する方式である。肉みその味付けはニンニクのごときミャームー、ショウガのごときケルの根、豆板醤のごときマロマロのチット漬け、オイスターソースのごとき貝醬で、あとは砂糖を隠し味にしており、さらに後掛けの薬味も準備していた。


「辛みが苦手な御方もおられるでしょうから、後掛けの薬味を2種準備しました。片方はココリの粉末、片方はギラ=イラを使った辣油という調味液になります」


 俺はけっこうな昔に、辣油を開発していた。その主体となるチットの実をハバネロのごときギラ=イラに置き換えて、いっそう刺激的な味わいに仕上げたのだ。こちらが担々麺に調和することは確認済であるが、幼いオディフィアはもちろんアイ=ファやリミ=ルウやトゥール=ディンにも我慢しきれない辛さとなってしまうため、後掛けにせざるを得なかったのだった。


 よって、各人の前には、麺、スープ、肉みそ、2種の薬味と、5種もの皿が準備される。薬味を取り分けてもらうかどうかは、各々の判断だ。ざっと見たところ、薬味をいっさい所望しなかったのは俺が想定していた4名とディアルのみであった。


「これらを自分で混ぜ合わせながら、食するわけですね! なんだか、とても新鮮な心地です! まずは、煮汁だけでいただいてみますわ!」


 元気な声を響かせながら、デルシェア姫は麺をひと口分だけスープにひたして、口に運ぶ。こちらの世界の人々は箸を扱う風習がないため、フォークのごとき突き匙に麺を絡め取って食するのだ。もちろん俺は、肉みそを添加しなくても成立する味わいにスープを仕上げたつもりであった。


「うーん! これだけでも、ミソと豆乳とキミュスの骨の出汁の調和が素晴らしいですね! これがどのような変容を遂げるのか、ますます期待が高まります!」


 デルシェア姫の笑顔に心を満たされつつ、俺は同じ卓に座した面々に視線を戻す。

 そこで俺は、ぎょっと身をすくめることになった。毒見役たる『王子の舌(ゼル=ヴィレ)』が、小皿に取り分けた薬味をさらに自前の銀の皿に取り分けて、そのまま口に運んでいたのだ。山椒のごときココリはまだしも、ギラ=イラ仕立ての辣油はたとえ東の民であってもそれなり以上の刺激であるはずであった。


「あ、あの、大丈夫ですか? さすがに薬味をそのまま口にするのは、舌が痛むでしょう?」


「はい。ですがこの身は毒の刺激にも耐えられるように舌を鍛えておりますので、心配はご無用です。……いずれの食材にも、問題はないようです」


「うむ。それでは我も、まずは煮汁のみで食してみるとしよう」


王子の舌(ゼル=ヴィレ)』に代わって『王子の腕(ゼル=セナ)』が進み出て、スープの皿にひと口分の麺をひたす。その頃には、残る人々もずいぶん食事を進めていた。


「これは確かに、刺激的な味わいだ。自分で辛さの加減を決められるというのは、なんともありがたい話だな」


 マルスタインの言葉に、メリムが「そうですわね」と笑顔で応じる。


「こちらの挽いた肉の添え物に使われているマロマロのチット漬けだけでも、それなりの辛みですものね。わたくしなどは、ココリの粉をひとつまみ入れるていどで精一杯のようですわ。」


「いやいや! でもこのらーゆという調味液を数滴たらすだけで、ずいぶん風味がよくなるようだよ! メリムも、試してみるといい!」


 伴侶の元気な声で振り返ったメリムは、「まあ」と楽しそうに微笑んだ。


「でもあなたは、大変な汗を浮かべておられますわ。どうぞ織布をお使いになられて」


「うん、ありがとう! でも本当に、これは素晴らしい味わいだよ! きっとダカルマス殿下でも、ためらいなくらーゆをお入れになるはずさ!」


「あはは! 確かにこちらは、素晴らしい味わいです! きっと父様もポルアース様の倍ほども汗をかきながら、らーゆを加えることでしょうね!」


 自分の手で料理の味を完成させるという手法がお気に召したらしく、デルシェア姫やポルアースはこれまで以上にはしゃいでいた。

 いっぽうプラティカなどはひと口ごとに薬味を追加しては感嘆の息をつき、入念に好みの味を組み立てている。ポワディーノ王子も、かなり大胆に薬味を加えているようであった。


「わたしは、薬味も不要なようです。このままでも、十分美味に感じられます」


 と、ひときわ遠い席から、ディアルがそんな言葉を投げかけてくる。彼女も要所で発言していたようだが、俺のもとまではなかなか届いてこなかったのだ。きっとその分は、レイナ=ルウたちが聞いてくれているはずであった。


「ありがとうございます。ディアルのお気に召したのなら、俺も嬉しいです」


 俺がそのように答えると、可愛らしい準礼装の姿をしたディアルは頬でもふくらませそうな顔をした。


「……アスタまでわたしにかしこまる必要はないのではないでしょうか? 森辺の方々に対しては、そのような言葉を使っていないでしょう?」


「そうですね。でも、そちら側の席でディアルにだけ気安い口をきくというのは、ちょっと気が引けたもので……気分を害してしまったのなら、申し訳ありません」


「別に、気分を害したりはしませんけれど」などと言いながら、ディアルはぷいっとそっぽを向いてしまう。これはもう、屋台などで顔をあわせたときに謝罪を申し述べるしかないようであった。


「ポワディーノ殿下は、如何でしょう? お気に召しましたか?」


「うむ。こちらは本来のシャスカめいた食材も使われているため、いっそうシム風の料理めいているが……やはり、アスタならではの独自性というものはまったく損なわれていない。香草の扱いは秀逸であるし、ジャガルの食材たるミソや豆乳との調和も見事のひと言である。アルヴァッハであれば、寸評の言葉が止まらなかったところであろう」


 とても和んだ声で、ポワディーノ王子はそう言ってくれた。


「また、このタンタンメンなる料理を中心に他なる献立を組み立てたという言葉にも、納得である。肉料理も野菜料理も、見事に調和していよう」


「わたしも、同感です! 残りのふた品はむしろジャガル風と呼びたくなる仕上がりですのに、またとなく調和していますわね!」


 と、デルシェア姫も輝くような笑顔で言葉を重ねてきた。

 肉料理はスペアリブの窯焼きで、ワサビのごときボナを主体にした特製ソースを掛けている。ソースの内容は、ボナ、めんつゆ、ホボイ油、赤ママリア酢となっているので、確かにジャガルの食材がふんだんに使われていた。


 野菜料理は生鮮野菜の千切りサラダで、毎度お馴染みダイコンのごときシィマとヤマイモのごときギーゴ、さらにはウドのごときニレ、ミョウガのごときノノもアクセントとして加えている。ドレッシングはタウ油を基調にした和風仕立てで、さらにイクラのごときフォランタの魚卵と明太子のごときジョラの魚卵をダブルでトッピングしていた。こちらもまあ、比率で言えばジャガルの食材が多いようだ。


「香草の料理で固めてしまうと、どうしても舌が疲れてしまうため、肉料理と野菜料理はそういう内容になってしまいました。ポワディーノ殿下にもデルシェア姫にもご異存がなければ何よりです」


「異存なんて、あろうはずもありませんわ! 最初にも申し上げました通り、シムにもジャガルにも素晴らしい食材が存在するのですから、別個に使う必要などどこにもないはずです!」


「うむ。東の王都でジャガルの食材を買いつける事態に至っても、それだけで料理を作りあげようと試みる人間はおるまい。シムの食材と調和しない限り、異国の食材を買い求める意義はないのだ」


 そういった部分でもポワディーノ王子とデルシェア姫の間に意見の相違はないようで、俺はほっとした。まあ、ジェノスにおいてシムとジャガルの食材を使い分けようとする人間などは見かけた覚えもないのだ。それを参考にする限り、ポワディーノ王子もあらゆる食材をまんべんなく使いこなそうという意識であるはずであった。


 アイ=ファもどこか満足げな眼差しでポワディーノ王子らのやりとりを聞きつつ、黙々とスペアリブを食している。こちらもアイ=ファたちのために、かなりの量を準備しているのだ。このペースであれば、料理が余る恐れもないようであった。


「それにしても、そちらでは本当にジャガルの食材を買いつけようという算段であるのだな」


 ラヴィッツの長兄がひさかたぶりに声をあげると、ポワディーノ王子は茶で口を湿しつつ「うむ」と応じた。茶を飲ませるのも、もちろん『王子の腕(ゼル=セナ)』の役割である。


「最初にそれを提案したのはダカルマスであり、我も小さからぬ困惑を覚えることになった。しかし、各国の行状を知るに及び、決断を下した次第である」


「各国の行状? 南の王都でシムの食材を買いつけている話は、早々に打ち明けられていたのであろう?」


「それに加えて、西の王都においてもマヒュドラの食材を買いつけている。そうであったな、オーグよ」


 誰よりも静かであったオーグは、謹厳そのものの面持ちで「左様でございます」と応じた。


「西の王都アルグラッドにおきましては、シムの行商人の手からマヒュドラの食材を買いつけております。また、同じ行商人の手によって、西の恵みもマヒュドラに届けられていることは疑いもございません」


「ああ、そうか。シュミラル=リリンの属する商団もマヒュドラや西の王都と商売をしているという話であったな。敵対国の恵みを買いつけることは、どの王国においても忌避されていないということか」


 ラヴィッツの長兄の言葉に、ポワディーノ王子は「左様である」と首肯した。


「ただしこれまで、東の王都にジャガルの食材が運び込まれる機会はなかった。ジギの行商人もこのジェノスを訪れれば、ジャガルの品を手にする機会には事欠かなかったのであろうが……それもせいぜい、この3年以内のことであろうしな」


「なるほど。それまではサイクレウスが外来の食材を独占していたため、シムの商人の手に渡る余地もなかったということだな。しかし、西の王都にもジャガルの品はあふれかえっているのであろう?」


 ラヴィッツの長兄が疑問を投げかけた相手は、オーグである。果たしてこちらの両名はこれまでに面識があったのかどうか、ラヴィッツの長兄はこれまで通りの気安さであり、オーグも厳格なる面持ちのままうっそりとうなずいた。


「西の王都は、おもに海路においてジャガルの品を買いつけておりますな。陸路ではゼラド大公国が大きな壁となり、交易の道が断たれてしまったのです」


「ああ、それで船団というものを持つティカトラスが、大いに働いているのだという話であったな。それで、そちらの品がシムに流れることはなかったのであろうか?」


「海路でも、ジャガルからアルグラッドまで品を運ぶには短からぬ時間が必要となります。さらに、アルグラッドからシムまでは車でふた月の距離であるのですから、おおよその食材は腐り果ててしまうことでしょう」


「なるほど。言われてみれば、それが道理だ。……そもそもジャガルはシムと隣り合わせであるのだろうから、反対側の果てにある西の王都を経由するなど馬鹿げた話なのであろうしな」


 ラヴィッツの長兄の遠慮のない言葉に、ポルアースがほんの少しだけ心配そうな顔をした。シムとジャガルの敵対関係については、やはりこの場においてもっともデリケートな話題であるのだ。しかしラヴィッツの長兄はポルアースに心労を与えることなく、話題を転じた。


「そういえば、ティカトラスも東の王都との商売を目論んでいるのであろう? そちらは食材ではなく、飾り物の類いであるとのことであったが」


「うむ。銀細工や宝石や織物など、そういったものを買い求めたいと述べていた。あちらはあちらで西の珍品を準備すると申しているので、我も期待をかけている」


「誰も彼も、熱心なことだ。まあ、それだけ商売の話が持ち上がったのならば、そちらも遠路はるばるジェノスまでおもむいた甲斐があったというものだな」


 ラヴィッツの長兄はあくまで気安い態度であったが、ポワディーノ王子は「うむ」と居住まいを正した。


「このまま王都に帰参しては、我もジェノスに災厄を持ち込んだのみとなってしまおうからな。なんとかおたがいにとって、有益な結果をもたらしたいと願っている」


「ふふん。まあ、結果的には悪党どもを一網打尽にすることがかなったのだから、気に病む必要はあるまいよ。あまりに悪辣な人間がシムの王となっては、西の王国にとっても脅威であろうからな」


「そうだな」と、アイ=ファもふいに厳粛な声をあげた。


「ジェノスにおいてはガーデルのように、深手を負う人間も出てしまった。しかしそのぶん、ロルガムトなる者のように救われた人間も出たのだ。もしもあなたが東の王都に留まっていたならば、ロルガムトは別なる形で陰謀の道具として使われて……あえなく魂を返していたのやもしれんのだからな」


「……うむ。ロルガムトを救えるか否かは、これからの我の尽力次第であろうがな」


「あなたであれば、望む通りの結果をつかむことがかなおう」


 アイ=ファの眼差しはとても力強く、そして優しかった。

 ポワディーノ王子もまた背筋をのばしつつ、澄んだ声で「うむ」と応じる。


「アイ=ファの信頼に応えるためにも、力は惜しまないと約束しよう。……また堅苦しい話になってしまって、恐縮の限りである」


「このたびは俺が場をかき回してしまったようだから、そちらが恐縮する必要はあるまいよ」


 ラヴィッツの長兄がにんまりと笑いながらそう言うと、静かに食欲を満たしていたルド=ルウが「なんだかなー」と声をあげた。


「お前はほんとに、そーゆー話が好きなんだなー。ガズラン=ルティムと気が合うのも納得だぜ」


「ふふん。ルティムの家長とそうまで気が合った覚えはないがな」


「少なくとも、あっちはお前を頼りにしてんだろ。ま、面倒な話を受け持ってくれるのは大助かりだぜ」


 ルド=ルウはルド=ルウで、遠慮のなさに際限がない。そしてそんなルド=ルウの物言いに、エウリフィアがころころと笑った。


「今日は森辺の民としてもとりわけ魅力的な方々が集っていて、楽しいですわ。三者三様で、異なる魅力のぶつかりあいですわね」


「うむ。さすがは森辺の族長に選ばれた精鋭の狩人たちだな」


 マルスタインも如才なく微笑みながら、そのように追従した。


「では、そろそろ菓子を運ばせるとしよう。皿を下げてもよろしかろうかな?」


「あー、残ってる肉は、みんな俺の皿によこしてくれよ」


 というわけで、残りわずかであったスペアリブはのきなみルド=ルウの皿に移されて、菓子の準備が進められることになった。

 何だか本日は硬軟の話題が入り乱れて、一種独特の雰囲気である。ただそれはポワディーノ王子の誠実さとデルシェア姫の無邪気さと、あとはラヴィッツの長兄の軽妙さが織り成す作用なのであろうから、俺が文句をつける筋合いではなかった。


「さあ、いよいよ菓子ですね! こちらの仕上がりも、わたしは楽しみでなりませんでした!」


 と、さっそくデルシェア姫が無邪気な方向に舵を切る。重い話題には干渉せず、場の空気を明るい方向に持っていく役割に専念しているような趣だ。それはどこか、エウリフィアにも通ずるところのある立ち居振る舞いであった。


 そして、そんなエウリフィアのかたわらでは、オディフィアがうずうずと身を揺すっている。彼女こそ、大人たちの難しい話にはなかなか理解が及ばず、ひたすらこの瞬間を心待ちにしていたのだろう。その向かいの席をこっそり覗いてみると、トゥール=ディンは慈愛のあふるる眼差しでオディフィアの姿を見守っていた。


「リミも楽しみだなー。あのお菓子、どんな味がするんだろ」


 と、リミ=ルウはにこにこと笑いながら、隣のアイ=ファに小声で呼びかける。すると、ポワディーノ王子が「うむ?」と反応した。


「リミ=ルウは、トゥール=ディンと同じ厨で働いていたのであろう? それでも、トゥール=ディンの作りあげた菓子の味をまだ知らぬ身であったのであろうか?」


「あ、はいっ! トゥール=ディンはファの家であの菓子を完成させたので、リミはまだ食べたことがなかったの! ……です!」


 今日のリミ=ルウが大人しかったのは、王族の面々に失礼がないようにと家族から言い含められたためである。しかし、たとえ丁寧な言葉づかいが苦手であろうとも、その元気いっぱいで可愛らしい表情と声は場を和ませるばかりであった。


「左様であるか。トゥール=ディンはファとルウの勉強会にすべて参じていると聞き及ぶが、ルウの厨では菓子を手掛ける機会がなかったということであるな」


「はい。ルウの家ではおもに料理の研究を進めていますので、菓子に関してはファの家で進められる機会が多いのでしょう」


 こちらは常日頃から礼儀正しいレイナ=ルウが、過不足のない態度でポワディーノ王子に答える。その間に、卓には菓子の皿が配膳された。


 こちらも、大皿から取り分ける様式だ。小姓の手によって大皿のクロッシュが取り除かれると、オディフィアの灰色の瞳に星のごとき輝きがあふれかえった。


「すごくきれい。……がとーあろう?」


「はい。なんとか完成させることがかないました」


 それは送別の祝宴においてオディフィアがトゥール=ディンにおねだりしていた、『ガトー・アロウ』であった。キイチゴのごときアロウをストロベリーチョコレートのような味わいに仕立てた上でガトー・ショコラに転用した、トゥール=ディンの力作である。


 そしてもう片方の大皿には、綺麗に切り分けられたロールケーキが並べられている。その朱色がかったクリームに目を止めたエウリフィアが、しとやかに微笑みつつ発言した。


「こちらはきっと、トライプを使ったろーるけーきね。トライプを味わえる日には限りがあるので、とてもありがたいわ」


「そうですね! でもきっと、そちらも期待以上の味ですよ!」


 厨の見学でその正体を知っているデルシェア姫は、オディフィアに負けないぐらい身を揺すりながらそのように言いたてた。

 小姓の手によって、2種の菓子が各人の皿に取り分けられていく。そして、『王子の舌(ゼル=ヴィレ)』が毒見に励むかたわらで、ポワディーノ王子が面布に隠された目を参席者たちに巡らせた。


「我にはかまわず、菓子を食してもらいたい。多くの人間が、この時間を心待ちにしていたのであろうからな」


 それはおそらくオディフィアばかりでなく、リミ=ルウやユン=スドラやレイ=マトゥアの様子をうかがってのことなのだろう。甘党の面々は、みんな瞳を輝かせながら卓上の菓子を見つめていたのだ。


 俺は突き匙を手に取りつつ、どうしてもオディフィアのほうに目を引かれてしまう。

 オディフィアはちんまりした指先で突き匙をつかみ、淡いピンク色をした『ガトー・アロウ』を丁寧に切り分けると、あまり大きく開かない口にそっと運んだ。

 もともと星のようにきらめいていた瞳が、それでいっそうの輝きを帯びていく。その小さな顔はまったくの無表情のまま、オディフィアは誰よりも幸せそうだった。


 思惑通りに胸を満たされた俺は、同じものを口に運ぶ。それでオディフィアと同じ喜びを分かち合うことができた。

 カカオに似た風味を持つギギの葉は使用せず、ピーナッツオイルに似たラマンパ油の活用で仕上げた、『ガトー・アロウ』である。俺が知るストロベリーチョコレートとはいくぶん趣が異なるものの、美味であることに間違いはない。キイチゴに似たアロウの酸味はカロンの乳と生クリームと乳脂によって極限まで抑えられつつ、その風味はまったく損なわれていない。そして今回は花蜜で甘さが加えられており、申し分のない味わいであった。


 そこで俺は、またオディフィアのほうに視線を転じる。

 最初のひと口を大事そうに食したオディフィアは、自らの昂揚をたしなめるようにお茶を口にして、今度はロールケーキに突き匙をのばした。


 それを口にしたオディフィアはまた灰色の瞳をきらめかせつつ、その輝きを正面のトゥール=ディンに投げかける。トゥール=ディンはまだ菓子を口にしないまま、じっとオディフィアの姿を見守っていた。


「トゥール=ディン。このろーるけーき、トライプとノ・ギーゴのあじがする」


「はい。すぽんじけーきのほうで、ノ・ギーゴを使ってみました。オディフィアの口にあいましたか?」


「うん。すごくおいしい。がとーあろうもおいしいけど、こっちのろーるけーきもすごくすごくおいしい」


 すると、こちらの卓でもポルアースが「なんと!」と騒いだ。


「こちらはトライプばかりでなく、ノ・ギーゴまで使われていたのだね! ノ・ギーゴが菓子に適した食材であることは、これまでにもさんざん証明されていたけれども……これはまた、格別な仕上がりだよ!」


「はい。ノ・ギーゴは汁をしぼることも難しかったので、入念に煮込んだのちにカロンの乳に溶かして、すぽんじけーきの生地に使ってみたのです。それでもやっぱり、果汁を使ったすぽんじけーきよりは若干食感が重たくなってしまったかもしれませんが……」


「いやいや! このやわらかさは、これまでのろーるけーきにまったく負けていないと思うよ! それでいて、ノ・ギーゴの風味は豊かだし、トライプの風味とも素晴らしく調和しているようだし……いやあ、まったく見事な出来栄えだね!」


「はい。本日、勉強会にて、ノ・ギーゴ、トライプ、置き換えについて、論じられましたが……同じ菓子、使用して、調和、完成させる手腕、見事です」


 プラティカは紫色の瞳に狩人の眼光を燃やしつつ、そのように声をあげた。

 いっぽうあちらの卓では、デルシェア姫が突っ伏してしまっている。


「本当に……わたしたちが論じ合っている間に、トゥール=ディン様はもう遥かその先に至っていたのですね……どこか似たところのあるノ・ギーゴとトライプが、双子のように調和を為しています……」


 サツモイモに似たノ・ギーゴとカボチャに似たトライプは、そうまで似ているわけではない。ただ野菜でありながら果実にも負けない甘みを持っているという点が共通しているのみだ。

 ただやはり、どちらも野菜であるということで、根幹に似た要素を有しているのだろうか。他なる果実ではちょっと実現が難しそうな、独特の調和を完成させているのである。


 カボチャに似た風味のクリームにサツモイモに似た風味のスポンジケーキという、俺にとっても新鮮に感じられる組み合わせだ。華やかさには欠けているかもしれないが、その分しっとりとした落ち着きに満ちた味わいであろう。そして、華やかさに関しては『ガトー・アロウ』が担っているため、こちらのロールケーキは名脇役といった風情であった。


「……本当に、菓子に関してはトゥール=ディンがジェノスで一番の腕なのであろう。ダカルマスの開いた試食会は、実力の通りの結果を示したのだろうと思う」


 と、いつしか2種の菓子を口にしていたポワディーノ王子はそんな風に語ってから、笑顔で突き匙を振るっているリミ=ルウのほうに顔を向けた。


「ただし、同じ試食会で最下位という結果であったランディも、今では大きな躍進を果たしている。リミ=ルウを始めとする面々も、たゆみなく腕を磨いているのであろうな」


「はーい! リミもがんばってますですー!」


 美味しい菓子でご満悦のリミ=ルウは、無邪気そのものの笑顔でそんな風に応じる。肩を揺らしたポワディーノ王子は、笑うのをこらえることができなかったようであった。


「それはきっと、他なる面々……それこそ、この場に居並んでいる全員が同じことなのであろう。我としては、そのすべてに『王子の耳(ゼル=ツォン)』を遣わせたいぐらいであるのだが……さすがに『王子の耳(ゼル=ツォン)』の数が足りぬし、我も収集した情報をまとめきれぬように思う」


「ええ。これまでの3名に加えてマルフィラ=ナハムにまで『王子の耳(ゼル=ツォン)』を派遣するとなると、それだけで大変な労力なのでしょうね」


 俺がそのように答えると、ポワディーノ王子は「うむ」と気軽にうなずいた。


「そこでひとつ尋ねたのだが……ユン=スドラとレイ=マトゥアの両名は、いま現在もアスタの手腕を再現することに注力しているのであろうか?」


 それもまた、試食会の場で取り沙汰された話題である。

 レイ=マトゥアに視線でうながされたユン=スドラが、つつましい面持ちで「はい」と応じた。


「わたしとレイ=マトゥアは独自の料理を作りあげようという気持ちが薄いですし、毎日のようにアスタと行動をともにしていますので、『王子の耳(ゼル=ツォン)』という方々をお迎えしてもあまりお力になれないように思います」


「左様であるか。では、マルフィラ=ナハムに加えて、リミ=ルウとマイムにも『王子の耳(ゼル=ツォン)』の面倒を見てもらいたく思うのだが――」


「え? わ、わたしもですか?」と、マイムがすぐさま不安げな声をあげる。

 するとマルスタインが、穏やかな声と笑みを投げかけた。


「マイムよ。以前にも告げたかと思うが、其方はすでに立派な森辺の民であるのだ。其方がどれだけ見事な手腕を見せようとも、城下町の民として居を移しべすなどという命令を下すことはない。それだけは、忘れぬようにな」


 マイムはかつて城下町の民であったミケルを父に持つ身であるため、そういった不安を抱えていたことがあったのだ。この短いやりとりでその懸念をミスカサレマイムは、恐縮しつつもほっとした様子で「はい」と一礼した。


「我の申し出がいらぬ不安をかきたててしまったのであれば、謝罪の言葉を届けよう。なおかつ、そちらが拒むのであれば、我も無理に『王子の耳(ゼル=ツォン)』を差し向けるような真似はしない。また、その行いをもって森辺の民の誠実さに疑いを持つこともないので、自らの気持ちを押し殺すことなく道を定めてもらいたく思う」


 穏やかな声音でそのように告げてから、ポワディーノ王子はルド=ルウのほうに向きなおった。


「それを前提として、我はマルフィラ=ナハム、リミ=ルウ、マイムのもとにも『王子の耳(ゼル=ツォン)』を派遣したいと願う。手間をかけるが、族長ドンダ=ルウにそう告げてもらえようか?」


「あー、了解したよ。こっちから使者を出す前に、ラヴィッツとナハムでも話をまとめておいてもらえるかー?」


 ラヴィッツの長兄はにやにやと笑いながら、「承知した」と応じた。

 これできっと森辺には、6名もの『王子の耳(ゼル=ツォン)』が派遣されることになるのだろう。『王子の耳(ゼル=ツォン)』というのは10名以上も存在するようであるが、森辺だけでそれだけの人数が使われるというのは、たいそう栄誉なことなのだろうと思われた。


(ポワディーノ王子は、森辺の民にずいぶん心を寄せてくれたみたいだけど……きっとそれだけが理由じゃないんだろうな)


 ポワディーノ王子は情が深いだけではなく、きわめて理知的かつ周到な人間であるのだ。だからおそらく、西や南の食材をうまく活用するには森辺のかまど番を頼るのが最善であると判じたのだろう。それでいっそう、俺は誇らしく思うことがかなったのだった。


 ポワディーノ王子の尽力があれば、きっとジェノスは南の王都やゲルドと同じぐらい東の王都とも建設的な関係を築くことができるだろう。きっと今日の晩餐会も、それを見越して開催されることになったのだ。

 どんな災厄でも、いずれは幸福な運命に結ぶつく――と、これまでに何度か抱いたそんな思いを、俺はあらためて噛みしめることがかなった。


 そして、そんな難しい話は知らぬげに、オディフィアたちは一心に菓子を食している。

 その幸せそうな姿こそが、俺の思いをいっそう深めてくれたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アスタさん、このままだと全世界の戦争を止めてしまうのですかねもしかして、、、。 [気になる点] マイムはかつて城下町の民であったミケルを父に持つ身であるため、そういった不安を抱えていたこと…
[一言] 後半部分でミスカサレマイムになってます。
[気になる点] 【誤字報告】 ミスカサレ→見透かされ [一言] いつも楽しい物語、ありがとうござきます。
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