城下町の勉強会④~さらなる探求~
2024.5/30 更新分 1/1
その後も、勉強会は有意義に進められていった。
ランディからの議題が尽きたならば、お次は雨季の食材にまつわるディスカッションだ。その場においても、ティマロが能動的に取り仕切ってくれた。
「雨季の食材を扱えるのもあとひと月と少々でありますが、今日の学びは来年以降にも活かせるのですから無駄になることはございません。また、新たな使い道を考案すれば、雨季の食材を買いつけてくださった南の王都とゲルドの方々にも御恩を返せるかと思われます」
と、デルシェア姫やプラティカに対する配慮も忘れない。ティマロの如才のなさというのは、本当に得難いものであった。
「あ、あと、甘い野菜であるトライプは、ノ・ギーゴやアールと少し似通った部分があるように感じられます。トライプを使った菓子や料理は、そちらにも応用がきくように思いますし……その逆も、同様なのではないかと思います」
と、我らがトゥール=ディンも時には自分から発言して、勉強会に新たな意義を与えてくれた。
「確かに、ノ・ギーゴをトライプに置き換えるのは難しくなさそうだよねー! だったらわたしも、少しは貢献できるかな!」
サツマイモに似たノ・ギーゴは南の王都から買いつけた食材であるため、デルシェア姫がもっとも豊かな知識を携えているのだ。そちらではノ・ギーゴを使った料理のレシピが公開されて、トライプに置き換えることが可能であるか試作とディスカッションが繰り広げられた。
その後には森辺のかまど番と城下町の料理人がトライプ料理のレシピを公開して、ノ・ギーゴに置き換えることが可能かどうか検討される。ノ・ギーゴがジェノスに伝来されたのは昨年の話であったが、使い道が拡大されるに越したことはなかった。
「でもやっぱり、わたしはレギィを揚げ物の衣にするってやり口に感心しちゃったなー! そりゃーレギィも使い勝手のいい食材みたいだけど、肉団子の衣にするなんてなかなか思いつかないよー!」
それは、森辺の祭祀堂で開かれた晩餐会で供した副菜の話であった。俺はゴボウに似たレギィを千切りにして、揚げ肉団子の衣に仕上げたのだ。
「あの日にも説明したかと思いますが、俺はもともとかき揚げという料理で千切りのレギィを使っていたんです。それでその食感が肉団子の衣に相応しいんじゃないかと思いたったのですよね」
俺がそのように説明すると、ティマロを筆頭とする何名かが強い興味を示したため、実際に料理を手掛けることになった。そちらの評価も、まずは上々である。
「レギィの強い歯ごたえと肉団子のやわらかな食感が、絶妙な調和を成しているようですな。城下町でもまた揚げ物の流行が生まれたように思いますが、それもひとえにアスタ殿の手腕あってのことでしょう」
ティマロはしかつめらしい面持ちで、そんな風に評してくれた。俺が城下町に招かれた当初、揚げ物は流行遅れの料理と見なされていたのだ。
「でも流行遅れってことは、以前に流行したってことなんでしょ? その時代には、どんな料理があったんだろー?」
「それこそ、具材をさまざまな衣でくるんでいたようですな。ただし当時は、自由に食材を扱える人間も少なかったため……それほどの発展は望めなかったようです」
ティマロの口ぶりからすると、彼も揚げ物が流行っていた頃はまだ好きに食材を扱えなかったらしい。当時はサイクレウスに縁がない限り、外来の食材を手にするすべもなかったのだった。
「そーいえば、ジェノスではレテンの油も外から買いつけてるんだもんね! それが使えなかったら、ずいぶん不自由だったんじゃない?」
「左様ですな。焼き物料理は油が不要な網焼きが主流であり、多少のゆとりがある店や屋敷ではキミュスの皮から油を搾っていたようです」
「じゃ、宿場町のみなさんは?」
デルシェア姫の問いかけに、まずはユーミが肩をすくめる。
「うちなんてひときわ貧乏宿だったから、キミュスの皮にも手が出なかったでございますね。肉も野菜も串に刺して炙り焼きにして、あとから香草やら煮汁やらをぶっかけてたぐらいでございますよ」
「あはは! へーんなしゃべりかたー! わたしに気をつかう必要はないってば!」
「でも、ロイでさえかしこまってるんだから、あたしもちょっとは気をつかわないとねー」
不敵に笑うユーミに笑顔を返してから、デルシェア姫は他の面々に視線を巡らせる。しかし、それほど異なる答えは存在しなかった。その代表として答えたのは、ナウディスである。
「他の宿でも、それほど大きな差はなかったのではないでしょうかな。屋台でも、煮込んだ具材をフワノの生地でくるむ料理が主流であったかと思われます」
「そうそう。それで、脂たっぷりのギバ肉を使えるようになったら、一気に焼き物の料理が流行ったような印象ですね。まあ、その頃の自分は客として屋台の料理を口にする立場でしたけど」
レビもそのように追従すると、デルシェア姫は「そっかー!」と感心したように声を張り上げた。
「森辺のみんなだけじゃなく、宿場町のみんなも3年足らずでそんな立派な腕を身につけたってことだねー! ほんとにすごいなー!」
そう言って、デルシェア姫は城下町の面々にも視線を巡らせた。
「城下町のみんなが感心するのは、このとてつもない向上心だとかに起因するんじゃないかなー! 逆境にあった人間は、強いもんね!」
「左様ですな。少なくとも、この場に集った宿場町の方々を侮る人間など、もはや城下町には存在しないことでしょう」
ティマロはつつましい面持ちで対抗心を隠しながら、そのように答えていた。
そんな頃合いで、ずっと火の番をしていたルイアが「あ、あの!」と声をあげる。
「い、一刻半が経過したようです! この後のご指示をお願いいたします!」
彼女は大きな砂時計を何度もひっくり返して、煮込みの時間も計測していたのだ。ヤンは柔和な微笑とともに「お疲れ様です」というねぎらいの言葉を発してから、俺たちに向きなおってきた。
「煮込みの作業が完了しましたら、このまま火を落とします。まだまだ鍋の内には高い熱が残されておりますため、その余熱も活用するのです。また、この状態で蓋を開けたならば一気に蒸気が噴出する恐れがありますので、それを冷ますという意味もあります。今後手掛ける機会がありましたら、十分にご注意ください」
そうしてかまどの火が落とされても、確かにしばらくは呼び鈴が間遠に鳴っていた。
それが完全にやむのを待ってから、いよいよ中蓋の上にのせられていた煉瓦が取り除かれる。そして中蓋が開かれると、まだまだそれなりの勢いで大量の蒸気がわきかえり、それと同時に得も言われぬ芳香が広大なる厨にあふれかえった。
もとより一刻半というのは短からぬ時間であったし、さらにこの手法であれば4倍の効果が見込めるという話であったのだ。それだけの時間をかければ、たとえギバの骨ガラでも十分に出汁が取れるはずだった。
大きな鉄鍋の中で、真っ赤な煮汁がたゆたっている。これは、ビーツに似たドルーの色合いだ。最後の処置を任されたランディは味見をしながら塩やピコの葉やいくつかの香草を投じて、真っ赤な煮汁を攪拌した。
その顔が、じわじわと喜びの思いをあらわにしていく。
最終的に、ランディは子供のように瞳を輝かせていた。
「これは確かに、半日ばかりも煮込んだような出来栄えであります。具材が異なっておりますため、わたしが故郷で口にした料理そのままというわけにはいきませんが……ですが、わたしがこのジェノスで追い求めていた味わいに他なりません」
そんな言葉とともに、俺たちのもとにもそちらの料理が分配された。
ドルーは見た目ほど派手な味わいではなく、ほのかに土臭い風味を有するのみである。
しかし秀逸であるのは、骨ごと煮込まれたカロンのあばら肉と足肉のほうであった。きわめて筋張っている足肉もとろとろの食感で、牛スジさながらであったのだ。なおかつ、肉と骨の出汁が煮汁にいきわたり、素晴らしい深みを生み出している。味付けそのものは簡素な部類であったが、数多くの城下町の料理人が感嘆の声をあげていた。
「これは、素晴らしい味わいです。もとよりカロンの足肉というのは煮込み料理に適した食材でありますが、ここまで入念に煮込まれた品を口にしたのは初めてのことです」
「ええ。胸や背中の肉を使えば、無理に足肉を扱う必要はありませんでしたからな。しかしこれは、足肉ならではの味わいなのでしょうし……それに、ともに煮込まれた胸肉のほうも、素晴らしい仕上がりです」
「はい。胸肉こそ、これほど入念に煮込まずとも美味なる料理に仕上げることは容易ですからな。しかしこれは、入念に煮込んだからこその味わいであるのでしょう」
城下町では、安値の食材を敬遠する風潮が強い。あれほど使い勝手のいいアリアですら、扱う人間が少ないほどであるのだ。そして近年では目新しい食材が続々と増加していたため、アリアやカロンの足肉が顧みられる機会も生まれなかったのかもしれなかった。
「確かにこれは、素晴らしい味わいです。城下町で売りに出すにはもっと細工を凝らす必要がありましょうが、さまざまな料理に応用できそうな底力を感じます。……ヴァルカス殿は、どのようにお考えでしょうかな?」
ティマロが挑むような面持ちで問いかけると、ヴァルカスは「はあ」と気のない返事を返した。
「わたしはべつだん、関心を引かれません。こちらの料理は灰汁を除去していないため、きわめて味が濁っているように見受けられます。先刻の手法では途中で蓋を開けることもままならないため、改善の余地もないでしょう」
「ほう。左用ですか。しかし、ヤン殿が明かしてくださった作法そのものは、きわめて有益であることが証明されましたな?」
「そうでしょうか? 言うまでもなく、料理にどれだけ熱を通すかは重要です。そのために、わたしは火加減の研究にも長きの時間を費やしてきました。先刻の手法を自分で扱うには、また膨大な時間をかけて分析し尽くさなければなりませんので……それでしたら、自分の知る火加減で半日を費やしたほうが面倒も少ないかと思われます」
ランディが作りあげた料理の味わいもヤンが開示した圧力鍋の手法も、ヴァルカスにはあっさり否定されてしまった。
しかしまあ、これこそがヴァルカスという人間なのである。俺はヴァルカスのことを心から尊敬していたが、同じ喜びを分かち合える部分はごく限られているのだった。
「で、で、でも、灰汁は雑味であると同時に旨みも含んでいるのだと、わたしはアスタからそのように習い覚えました。りょ、料理によっては灰汁を取る必要もないし、時には灰汁を取りすぎることで味の深みが失われてしまうこともありえる、と……こ、こちらの料理も、灰汁を取らないことでこれほどの力強さが生まれているのではないでしょうか?」
珍しくもマルフィラ=ナハムが自分から発言すると、ヴァルカスは素っ気なく「そうですね」と応じた。
「ですが、雑味が混入したならば理想の味を組み立てることもままなりません。灰汁を取ることで深みが失われるのでしたら、別の部分で深みを加えれば済むことです」
「で、で、では、ヴァルカスはこちらの料理に一片の価値も見いだせないということなのでしょうか?」
ヴァルカスは同じ調子で口を開きかけたが、何かを探そうとするかのように虚空へと視線をさまよわせた。
「……いえ。こちらの料理の味の組み立てには、可能性を感じました。それに、入念に煮込んだ胸肉と足肉には独自の魅力が存在することでしょう。そういう意味では、一片以上の価値が存在するかと思われます」
「で、で、では、ヤンが教えてくださった作法が、こちらの料理に適していないということなのでしょうか?」
「そうですね……骨つき肉の出汁というのは、きわめて雑味が多いものであるのです。せめて最初に下茹でをして、最低限の灰汁を取ったのちに、先刻の手法で煮込んだならば……まだしも、雑味は抑えられることでしょう。わたし自身はとうてい着手する気にはなりませんが……森辺の方々の料理には相応しい力強さが得られるかもしれません」
ヴァルカスの言葉に、マルフィラ=ナハムはふにゃふにゃと笑いながら俺のほうを振り返ってきた。
「そ、そ、そういえば、ギバの骨ガラから出汁を取るときも、下茹でをしていますよね?」
「うん。あれは骨を割って髄液まで溶かし込むから、下茹でなしでは臭みが抜けないんだよね。……こちらの料理も肉を下茹でしたら、いっそう美味しく仕上げられるかもしれません」
後半の言葉は、ランディに向けたものである。
ランディはにこやかな面持ちのまま、いっそう瞳を輝かせた。
「わたしはアブーフで料理を生業にしていたわけではありませんので、さまざまな知識が足りていないのでしょう。よろしければ、その下茹でという手法について、詳しく教えていただけますか?」
「下茹でを、ご存じない? ランディ殿は、アブーフで料理を手掛けていたわけではないのですか?」
ティマロがびっくりまなこで問いかけると、ランディはちょっぴり気恥ずかしそうに「はい」と微笑んだ。
「わたしはしがない商人の子でありましたし、そもそも20年も前にアブーフを出た身でありますからな。昔も今も、見様見真似で料理を手掛けているにすぎません」
「見様見真似で、あれほどの手腕を身につけたのですか……それはそれで、驚くべき話でありますな」
ティマロはひとつ首を振ってから、表情を引き締めた。
「では、下茹での手順と効能に関してご説明いたしましょう。我々も習うばかりでは、公正さに欠けてしまいましょうからな」
ということで、ランディを筆頭とする宿場町の面々に下茹での手順が手ほどきされる。レビやユーミなどは俺から手ほどきを受けたこともあったが、語る人間が変われば異なる含蓄も生まれるものであるので、時間の無駄にはならないはずであった。
そんな中、レイナ=ルウはどこか悔しそうな眼差しでマルフィラ=ナハムとヴァルカスの姿を見比べている。マルフィラ=ナハムがヴァルカスの内にひそむ一面を引っ張り出したことに、何らかの感情をかきたてられたのだろう。俺自身、その一件には感心させられていた。
(きっとマルフィラ=ナハムは、自分が美味しいと思った料理にヴァルカスが無関心であったことを不思議に感じたんだろうな。マルフィラ=ナハムはヴァルカスに憧れているんじゃなく、自然に同調している部分が多いから、そういう気持ちが生まれるんだろう)
いっぽうレイナ=ルウは、自分にないものを持っているヴァルカスに憧憬を抱いているように感じられる。それが、マルフィラ=ナハムとの大きな違いであるのだ。
しかし、そうだからこそ、ふたりは異なる目線でヴァルカスの料理と向き合い、異なるアプローチで自分の料理に活かすことができているのだ。決してレイナ=ルウがマルフィラ=ナハムに負けているわけではないんだよと、俺は心中でこっそりエールを送っておくことにした。
「いやー、色々と勉強になるなー! あたしらのほうこそ教えてもらうばっかりで、なんだか申し訳ない気分だね!」
ユーミがそのように言いたてると、ボズルが大らかな笑みを浮かべた。
「しかし、あなたがたも宿場町においてさまざまな料理を開発しておられるのでしょう? 何か目新しい発見でもありましたら、ぜひご教示願いたいところですな」
「あたしなんて、それこそ見様見真似で鍋をふるってるだけだからなー! レビなんかは、親父さんと一緒に色々と頑張ってるんでしょー?」
「そりゃまあな。でもべつだん、そんな感心されるような話は持ち合わせちゃいねえよ」
「そちらでは、どういった料理が人気を博しておられるのです?」
ボズルが食い下がると、律儀なレビは真剣な顔つきで「ええと」と思案した。
「うちの売りはらーめんなんで、そいつでお客に満足してもらえるように踏ん張ってるつもりですよ。最近は食堂のほうでも、らーめんに合う汁物料理を出すようにしてるんですよね」
「ほほう。さまざまな汁物料理に、らーめんを加えておられるのですか? それは興味深い」
「らーめんを加えるかは、お客しだいっていうか……普通に汁物料理を売りに出して、普通の料金なら焼きポイタン、割増料金でらーめんを添えるってやり口ですね。だから、らーめんがあってもなくても美味いと思ってもらえるような出来栄えを目指してるわけです」
「ああ、らーめんでも焼きポイタンでも調和するような味わいを目指しておられるのですか。それはなかなかに、取り組み甲斐のある内容なのではないでしょうか?」
「そんな大層な話ではないですけどね。最近は上等な食材が増えたんで、助かってます。豆乳とドエマの貝を使った汁物料理なんかは、なかなか評判がいいようですよ」
すると、柔和に微笑むナウディスも発言した。
「わたしの宿でも、豆乳の鍋は好評でありますな。カロンの乳は風味が強くて扱いが難しい面もありますが、豆乳の持つ風味は汁物料理に仕上げやすいように感じますぞ」
「では、みなさんがどのような料理を手掛けているかをおうかがいしつつ、南の王都およびゲルドの食材について勉強を進めることにいたしましょう」
ティマロがさりげなく口をはさんで、雑談がそのままディスカッションに移行することになった。
南の王都やゲルドから伝来した食材の中で、やっぱり野菜類は扱いやすくてさまざまな料理に活用されているらしい。使い勝手のいい豆乳や貝醬なども、また同様だ。
「魚介の食材というものも、ずいぶん扱い慣れてきたように思います。まあ、魚卵というのはずいぶん目新しい食材でありますが……ちょっとした細工でも見た目が華やかになりますので、喜んでいただけることが多いですな」
「アラルの茸は素晴らしい出汁が取れますし、具材としても申し分ありません。あれだけ魅力的な風味でありながら主張は強くありませんので、さまざまな料理で活用できますな」
「ニレやノノなどはいくぶん扱いが難しい面がありますが、他の野菜にはない味わいと食感ですので、研究のし甲斐があるように存じます。あとは……凝り豆でしょうかな」
「ええ。あれも他に似たもののない食材ですので、独自の魅力を打ち出せるかと思うのですが……」
「はい。わたしの店でもアスタ殿を見習い、汁物料理や香草料理の具材として扱っております。ただ……それ以外の使い道というものが、いまひとつ思いつきません」
と、おもに城下町の面々が、申し訳なさそうにデルシェア姫のほうを盗み見た。豆腐に似た凝り豆というのは、南の王都から入手した食材であるのだ。
「南の王都でも、凝り豆は煮物や汁物の具材だったよー! 焼き物では、形が崩れないように最後にさっと混ぜ合わせる感じだね!」
「ええ。アスタ殿のまーぼー料理というものも、そういった扱いでありましたな。ただ……」
と、《ヴァイラスの兜亭》のご主人が恐縮した様子で口をつぐむと、デルシェア姫はにっこり微笑んだ。
「どんな料理でも凝り豆の印象はあまり変わらないから、早くも飽きられてきちゃった?」
「あ、いえ、わずかふた月で飽きられることはないのですが……もし、他なる使い道がありましたらご教示願えないかと……」
「うーん! 南の王都でも、凝り豆はその変わりのなさが売りだったからねー! トゥール=ディン様が菓子に活用して、わたしは心底から驚かされちゃったもん!」
そうしてトゥール=ディンを慌てさせてから、デルシェア姫はまた朗らかに笑った。
「アスタ様なんかは、あえて形を崩して野菜料理に使ってたっけ! あれも、面白い使い方だったよね! アスタ様は、他に何か思いついたかな?」
「はい。凝り豆の使い道に関しては森辺でも話題にあがることが多かったので、自分なりに研究を進めてみました」
ということで、俺はこの日のために準備していたものを取り出すことにした。
木箱から取り出したその品を作業台に並べていくと、多くの人々が興味深げに覗き込んでくる。その中から、ボズルが発言した。
「こちらは、凝り豆でありますな? ですが何やら、干した果実のようにしなびているようです」
「はい。こちらは清潔な織布にくるんで重しをのせて、ひと晩寝かせておいた凝り豆となります。重みで水気がしぼり出されて、このような見た目になったわけですね」
俺の説明に、ティマロが目を光らせた。
「そのような手法で、凝り豆から水気をしぼることがかなうのですか。凝り豆に味がしみこみにくいのは、水気が豊かなためなのでしょうから……これならば、通常の凝り豆よりも味がしみこみやすいのでしょうな」
「はい。ですが、やわらかくて形が崩れやすいことに変わりはありません。自分の故郷では、こうして水気をしぼった凝り豆をいったん油で揚げるという作法が存在しましたので、今日はそれをお披露目しようかと思います」
俺が提案するのは、油揚げと厚揚げの調理に他ならなかった。
そのために、ふた組の鉄鍋で油の準備をする。とりあえず、使用するのはもっとも無難なレテンの油だ。
「片方は高温、片方は低温と高温の二度揚げで仕上げます。まずは、低温のほうから準備を進めますね」
普段の調理ではありえないぐらいの低温を弱火で保持して、まだぬるい油の中に凝り豆を投じていく。こちらは四半刻が目安であるため、なかなかに時間がかかるのだ。
「こうして低温でじっくり揚げることで、凝り豆の内側にまでしっかり油を通します。ちなみに水抜きをしていない凝り豆を油で揚げると水気が反発して破裂する危険がありますので、くれぐれもご注意くださいね」
後半の言葉は、宿場町の面々に向けたものである。揚げ物は大量に油を使うために食材費がかさみ、宿場町ではあまり発展していないのだ。そもそも油を扱えるようになったのもこの3年以内のことであるのだから、まだまだ知識が及んでいない部分も多いはずであった。
そうして低温の鍋の管理はレイ=マトゥアにおまかせして、俺は高温の鍋の調理に取りかかる。高温で一気に表面を揚げるこちらが、厚揚げであった。
こちらは凝り豆を投じるなり、ぱちぱちと景気のいい音色が発生する。ひと晩寝かせた凝り豆でも多少は水気が残されているため、それが油と反発しているのだ。生鮮の野菜と変わらないていどのものであるので、危険なことはまったくなかった。
表面がキツネ色に変じていっそうしなびてきたならば、もう完成だ。まずは鉄網にあげて油を切り、余熱を取った上で、切り分けの作業はマルフィラ=ナハムにおまかせした。
油揚げが完成する前に、試作品がすべての料理人に行き渡る。それを口にした人々はおおよそ感心したように声をあげ、その中からサトゥラス伯爵家の料理長が発言した。
「これは通常の凝り豆と、似て異なる味わいでありますな。水気が抜けておりますため、若干の歯ごたえが増しており……それでも多少は、なめらかな食感も残されております。焼けた表面の食感もなかなか好ましいですし、味付けを施せば立派な料理に仕上げられそうな予感がいたします」
「はい。俺の故郷ではタウ油のような調味料や砂糖などで甘じょっぱく仕上げるのが主流でしたが、色々な味付けを試してみたいところですね」
あちこちからさまざまな意見が飛ばされて、ディスカッションが開始される。
それを拝聴しながら、俺は低温の鍋を管理するレイ=マトゥアと合流した。こちらもじわじわと、ゆっくりキツネ色に変じていた。
やがて砂時計で四半刻の経過を確認したならば、いったん鉄網に引き上げたのち、高温の油で仕上げに取りかかる。こちらでも、5分ぐらいかけてじっくり揚げるのだ。それで、淡いキツネ色がどんどん濃く変じていった。
「完成です。こちらは内部にまでしっかり油が通っていますので、食感がずいぶん違っているかと思います」
試食に臨んだ人々は、先刻よりもはっきりと驚きの声をあげていた。
「こ、こちらは本来の凝り豆と、まったく食べ心地が異なっておりますな。密度が失われて、実に軽妙な食感でありますし……それでいて、油が行き渡っているためにしっとりとした食感も生じています」
「ええ。このままでは味もしませんので、美味とは言い難いところでありますが……しかし、なかなかに独特の食感でありますため、何らかの具材で扱えそうなところでありますな」
中心になって声をあげるのは、やはり城下町の面々だ。
そして俺は、再びヴァルカスに肩をつかまれることになった。
「アスタ殿、先刻の言葉を繰り返させていただきます。……わたしはまったく時間が足りていないのに、また研究の材料が増えてしまいました」
「あはは。そこの部分が繰り返されるのですか。俺はヴァルカスの不興を買ってしまいましたか?」
「研究の材料が増えれば新たな可能性が広がるのですから、わたしも心から得難く思っています。ですが、自分が息絶える前にすべての研究を終えられるのかと、いささか心配になってきてしまいました」
と、最後はぼんやりとした顔で溜息をつくヴァルカスであった。
そんなヴァルカスが引っ込むと、白い頬を火照らせたデルシェア姫がぐいっと身を寄せてくる。ただしもちろん、俺の身には触れまいという配慮が為されていた。
「凝り豆の水気をしぼって揚げ物に仕上げるなんて、南の王都にも存在しない作法だったよ! たった2ヶ月でアスタ様に追い越されちゃったみたいで、なんだか悔しいなー!」
こちらは歓喜の感情が爆発しているため、内心を疑う必要もない。俺も笑顔で「恐縮です」と答えることにした。
「これは確かに、凝り豆の可能性を大きく広げる手法であったことでしょう。このように斬新な手法を惜しみなく公開していただき、心よりありがたく思っております」
ティマロはティマロで折り目正しい表情に感情を押し隠しながら、そんな言葉を伝えてくれた。
そちらにも、俺は「いえいえ」と笑顔を返してみせる。
「以前にもお伝えしたかと思いますが、俺は故郷で得た知識を披露しているだけですので。俺の故郷で生まれた手法がみなさんのお力でどんな発展を遂げるか、とても楽しみにしています」
「はい。アスタ殿を失望させないように、画期的な料理の考案を目指さなければなりませんな」
そうして凝り豆に関するディスカッションも終了すると、楽しい勉強会も終わりの刻限が迫っていた。ランディの煮込み料理だけで一刻半をかけていたので、それが完成した時点でけっこうな時間が過ぎていたのだ。
「今日のところは、ここまででしょうかな。……そういえば、森辺の方々はいつから城下町で料理を売りに出すのです?」
と、ティマロがそれなりに鋭い目つきで森辺のかまど番を見回してくる。それを同じぐらい力のある眼差しで受け止めたのは、レイナ=ルウだ。
「わたしとしては1日でも早く着手したいのですが、雨季の間は客足も見込めませんし、屋台の準備でもいっそうの手間がかかります。やはり、雨季の終わりを待つしかないのでしょう」
「なるほど……あくまで、屋台の商売なのですな? 森辺の方々も、かつては宿場町の宿屋に料理を卸していたとうかがっているのですが」
「はい。ですがそれは特定の宿屋に肩入れする行為になってしまうため、取りやめることになりました。また、森辺の民は屋台を通して町の人々と交流を広げることに重きを置いているのです」
「そうですか。まあ、城下町の料理店は晩餐こそが本番でありますため、お客様の奪い合いには至らないかと思いますが……森辺の方々が城下町での商売に着手するとなると、これはひとつの脅威でありましょうな」
「……そうしたら、みなさんとの関わりに支障が生じてしまうのでしょうか?」
レイナ=ルウの問いかけに、ティマロは「いえ」と笑顔を作った。
ティマロには珍しい、力強い笑顔である。その目にも、好敵手を迎えるような光が宿されていた。
「宿場町の方々とて、屋台の商売で腕を競いながら交流を深めてこられたのでしょう? それこそが、切磋琢磨というものです。我々も、屋台で食する森辺の料理のほうが上等であるなどという誹りを受けないように、腕を磨くしかありますまい。どうぞ森辺のみなさんは、思うさま腕を振るっていただきたく思います」
「ありがとうございます」と、レイナ=ルウも力感のある微笑をたたえた。
そうして長きにわたった勉強会も、ついに終了である。ポルアースが閉会の挨拶を受け持つと、その場に集まった面々は手近な相手と挨拶を交わしつつ厨から退去することになった。
森辺のかまど番はここから白鳥宮に移動して、晩餐会の準備である。
それで厨を出ようとすると、横合いからヴァルカスが音もなく接近してきた。
「けっきょく本日は、アスタ殿の手掛ける試作の料理を三品しか口にすることができませんでした。三刻もの時間を割いた甲斐は薄かったように思います」
「え、そうですか? でもそれ以外にも、色々と有意義な語らいを持てたように思うのですが……」
「わたしにとっては9割がたが、意味を成さない講釈でありました。然るべき技量を持つ人間だけを集めて、要点を抑えた議論に努めれば、半刻ていどで済んだことでしょう」
数々の料理人によるディスカッションも、ヴァルカスにかかってはこのざまである。かえすがえすも、ヴァルカスというのは孤高の存在であるのだった。
(でもヴァルカスだって、ひとりで生きてるわけじゃないんだからな)
たとえ9割が無意味であったとしても、1割は有意であったということだ。
そして、9割の時間が本当に無意味であったかどうかも、実際のところはわからない。きっとヴァルカスの弟子たちにとっては有意義な部分もあったはずなので、それがいずれは師匠たるヴァルカスにフィードバックされる可能性だって多少は残されているはずであった。
俺を筆頭とする森辺のかまど番にとっては、ティマロやロイの熱情やランディやヤンの善良さが好ましく感じられる。しかし、こんな言葉しか吐けないヴァルカスや、ついに最後までひと言も発しなかった《アロウのつぼみ亭》の厨番でも、その内には料理に対する熱情は渦巻いており――いずれは本日の成果が実際の品として、俺たちのもとにも届けられるはずであった。
だからきっと、彼らの参席にも大きな意味があったのだ。
ヴァルカスという複雑な人間とすこやかなご縁を保つために、俺はそんな考えでもって自分を納得させつつ、心からの笑顔を届けることに相成ったのだった。




