城下町の勉強会②~集結~
2024.5/28 更新分 1/1
やがて城門に到着したならば、立派なトトス車に乗り換えて再出発である。
今日ぐらいは自前の荷車で現地に向かってもよかったのだが、夜には晩餐会を控えているので、けっきょく貴族側の手配に従うことになったのだ。夜間に城門をくぐるには貴族の許しが必要であるため、本日も特別な客という立場で振る舞うのが相応であった。
そうして送り届けられたのは、ちょっとひさびさの貴賓館である。
こちらを訪れるのは、新たな食材のお披露目会以来であろう。城下町においてもっとも広大な厨を有するのはこちらの施設であり、勉強会にはうってつけであったのだった。
こちらの貴賓館にはひとつの浴堂しか存在しないため、男女で分かれて順番に身を清める。そして、調理に携わる人間は白い調理着、狩人たちは武官のお仕着せにお召し替えだ。祝宴でもちいられる礼服ほどではないにせよ、アイ=ファたちの凛々しさに変わりはなかった。
護衛役は、アイ=ファとルド=ルウとラヴィッツの長兄のみとなる。
それに対して森辺のかまど番は、8名。俺、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、トゥール=ディン――いずれも、かつての試食会で料理を供することになった顔ぶれだ。本日の勉強会はデルシェア姫に旗頭を担っていただいたので、自然とこのメンバーに落ち着いたのである。
さらに宿場町からは、レビ、ユーミ、ナウディス、ネイル、ランディ、《アロウのつぼみ亭》の厨番という面々が招集されている。これも試食会に招かれた8組から、《ラムリアのとぐろ亭》と《タントの恵み亭》を除いた顔ぶれだ。前者は主人のジーゼが多忙を理由に辞退して、後者はもともとヤンのお世話になっている関係から遠慮をした結果であった。
「どうも。先日の祝宴も、お疲れ様でした」
ひとまず俺は、つきあいの薄い《アロウのつぼみ亭》の厨番に挨拶をしておくことにした。そろそろ初老の年代に差し掛かった、痩せぎすで頑固な男性である。彼も主人のレマ=ゲイトともども送別の祝宴に招待されていたが、あの日には軽く挨拶を交わすことしかできていなかった。
ただし彼は頑固であるので、こんなに真正面から挨拶を届けても仏頂面で「ああ」とうなずくばかりである。主人のレマ=ゲイトも森辺の民に対しては反抗的な態度であるが、彼は彼自身の気質でもってそのように振る舞っているのだろうと思われた。
しかしまあ、俺も頑固なお人は嫌いではないので、問題はない。そして菓子作りの手腕に関しては、彼もランディに負けていないはずであった。
「ゲルドや南の王都の方々がお帰りになられたのちも城下町に招かれることになろうとは、わたしも考えておりませんでした。まったくもってせわしない限りですが、しかし栄誉なことなのでしょうな」
いっぽう社交的なランディは、本日もにこやかな笑顔である。こちらは背丈も体格も小柄な、壮年の男性だ。俺もまた、笑顔で「そうですね」と応じた。
「みなさんがお帰りになられても、デルシェア姫はご健在ですからね。それに今ではジェノスの貴族の方々だって、ランディを放っておくことはないでしょう。また『麗風の会』やお茶会などでもお呼びがかかるんじゃないですか?」
「まったくもって、恐縮の至りです。まあ、城下町でお役目を果たすたびに宿の名が売れて、お客の数が増えておりますからな。苦労に見合った成果をいただけるのですから、存分に励むことにいたしましょう」
そんな言葉を交わしながら、俺たちは厨に案内された。
学校の教室をふたつあわせたぐらいの規模を持つ、広大なる厨である。そちらには、すでに白装束の料理人たちがどっさり待ちかまえていた。
「よう、お疲れさん。今日のためにあれこれ骨を折ってくれて、ありがとうな」
まだ貴族や王族の姿はなかったので、ロイが気安く挨拶の言葉を投げかけてくる。そちらにも、俺は「いえいえ」と笑顔を返してみせた。
「俺は送別の祝宴で、デルシェア姫にひと言お伝えしただけですよ。そうしたら、もうこの有り様です」
「ははっ。そんなひと言でお姫さんを動かせるのが、大した話なんだろうぜ。何にせよ、ありがたいこった」
そのように語るロイは、不敵な笑顔に気合のほどが表れていた。
そして俺たちの周囲でも、さまざまな人々が再会の挨拶を交わしている。この場に集っているのはのきなみ試食会の参加者であったため、初対面の人間は存在しないはずであった。
ただ逆に言うと、今回お招きされたのは去年の試食会で料理の準備を申しつけられた面々に限られている。城下町から参じたのは、《銀星堂》のヴァルカス、タートゥマイ、ボズル、シリィ=ロウ、ロイ、ジェノス城の料理長ダイア、《セルヴァの矛槍亭》のティマロ、ダレイム伯爵家の料理長ヤンとその弟子のニコラ、サトゥラス伯爵家の料理長、《ヴァイラスの兜亭》および《四翼堂》の主人という顔ぶれであった。
「あれ? プラティカもまだ来ていないのですね」
俺がそのように問いかけると、ニコラはぶすっとした面持ちのまま「はい」とお行儀よく一礼した。
「プラティカ様はポルアース様とともに、デルシェア姫や東の王都の方々をご案内するそうです。もう間もなくいらっしゃることでしょう」
「ああ、なるほど。東の王都の関係者からは、やっぱり臣下の方々しかいらっしゃらないのでしょうか?」
それに「ええ」と答えたのは、ニコラの師匠たるヤンであった。
「王子殿下はご多忙であられますし、それにやっぱり王族たる身で厨に足を踏み入れるというのは、習わしにそぐわない行いであるのでしょう」
「そうですか。まあ、ポワディーノ殿下としては『王子の耳』を派遣できれば十分なのでしょうね」
「はい。恐れ多くも先日は、こちらのお屋敷の厨にも『王子の耳』なる御方をお招きすることに相成りました」
森辺においても俺ばかりでなく、レイナ=ルウやトゥール=ディンのもとに『王子の耳』が派遣されるようになっていたのだ。その目的はただひとつ、西や南の食材の扱い方を習得するためであった。
「ヤンも試食会で勲章を授かった身ですもんね。それじゃあ、ヴァルカスやティマロのもとにも派遣されているわけですか」
「ええ、どうやらそのようですね。ただし、『王子の腕』なる御方が派遣されているのは、アスタ殿だけであるようです」
『王子の耳』は知識をおさめる役割、『王子の腕』は実際に調理を手掛ける役割であるのだ。察するに、『王子の腕』というのは『王子の耳』ほどの人数がいないようであった。
「そうやってポワディーノ王子が大事な人手を調理の習得に割くのも、平和な生活が戻ったっていう証なのでしょうね。心から、喜ばしく思います」
「ええ。森辺の方々は、本当に大変な目にあわれていましたからな。ポルアース様も、ずっと心を痛めておいででした」
ヤンが穏やかな微笑とともにそう告げたとき、厨の扉が開かれた。そこから現れたのは、当のポルアースである。
「やあやあ、お疲れ様! 今日も多忙な折に集まっていただいて、惜しみなく感謝しているよ!」
シムの王家にまつわる騒乱が落着したことで、ポルアースもすっかりもとの元気を取り戻している。そんなポルアースに続いて、予想以上の人数がぞろぞろと入室してきた。
ダレイム伯爵家の侍女であるルイアとテティア、筆記係と思しき2名の男性、トゥラン伯爵家の当主たるリフレイア、その侍女のシフォン=チェル、ゲルドの料理番プラティカ、ポワディーノ王子の臣下である『王子の分かれ身』が複数名、そしてデルシェア姫と護衛の兵士たち――その兵士たちを除いても、2ケタに及ぶ人数だ。藍色のフードつきマントと面布で人相を隠した『王子の分かれ身』だけで、10名近い人数であった。
(ポワディーノ王子は、ずいぶん気合を入れてるな。それに、リフレイアは何をしに来たんだろう)
リフレイアも新たな食材のお披露目会であれば、たびたび列席していたように記憶している。しかし本日はただの勉強会であるのだから、ポルアースのように取り仕切り役でも担わされない限りは参席する理由もないように思われた。
「わたしからも、お礼を言わせていただくね! みなさん、集まってくれてどうもありがとー! 調理着を纏ったわたしはただの料理人にすぎないから、どうぞよろしくー!」
料理人の一団と相対する位置まで歩を進めたのち、デルシェア姫も元気な声を張り上げた。おおよその兵士は壁際に退いて、デルシェア姫のもとに留まったのは若き武官たるロデのみだ。その目は相変わらず、『王子の分かれ身』の面々を鋭く見据えていた。
「今日はあくまで料理人の集いだけれども、ジャガルの王族たるデルシェア姫も参加されるからには僕も立ちあわせていただくよ。余計な口出しはつつしむので、どうか気にせず本分を全うしていただきたい」
そんな風に言ってから、ポルアースはリフレイアのほうを指し示した。
「そしてこちらは、見学者のリフレイア姫だ。リフレイア姫も、ご挨拶をどうぞ」
「承ったわ。……トゥラン伯爵家の当主、リフレイアよ。料理人の神聖なる働き場にのこのこと立ち入ってしまい、申し訳なく思っているわ。ただ今日は、みなさんにお願いがあって出向いてきたの」
リフレイアは取りすました面持ちで語りながら、かたわらのシフォン=チェルを振り返った。
「こちらは、侍女のシフォン=チェル。『麗風の会』ではプラティカの調理を手伝って参席していたから、ご記憶に留めている方々もいらっしゃるでしょう。実はこちらのシフォン=チェルにも、調理の修行をつけていただきたいの」
会場にはほんの少しだけ、驚きの波紋が広がった。
そんな中、俺も少なからず驚かされている。シフォン=チェルがプラティカの仕事を手伝っていたのは、あくまで調理助手として参席の資格を得るためであったのだ。そんなシフォン=チェルに本格的に調理を学ばせようなどというのは、俺にとっても予想外であった。
「本日は、ダレイム伯爵家の料理長ヤンの調理助手という名目で参加させていただくわ。決してみなさんのお邪魔はしないと約束するので、よろしくお願いね」
リフレイアにうながされて、シフォン=チェルは恭しく一礼する。北から南に神を移した、美麗なる女人である。彼女もリフレイアの侍女として長らく祝宴の場でも付き従っていたので、今さらその姿に驚く人間はいなかったが――ただやっぱり、おおよその人間は意外そうな顔をしていた。
「あと、こちらの侍女たちは雑用係として働いてもらうことになったよ。食材の運搬や水汲みなど、遠慮なく申しつけていただきたい。そしてこちらはシムの王子たるポワディーノ殿下の臣下である方々だ。いずれ東の王都の方々がジェノスから食材を買いつけたのちには、こちらの方々が適切な扱い方を指南する立場となる。これはジェノスにとっても大きな交易にまつわる話であるため、どうか丁重に扱っていただきたい」
そんな風に言ってから、ポルアースは『王子の分かれ身』のひとりに笑いかけた。
「……ですが、そちらの方々が手出しや口出しをすることはない、というお話でありましたな?」
「はい。この身は、王子殿下の耳でありますので」
どうやらその場に集っているのは、おおよそ『王子の耳』であるようであった。
ただし1名、異なる役職の人間もまぎれこんでいる。身長190センチはあろうかという、『王子の眼』である。長身痩躯たる東の民でも彼ほどの背丈は稀であったし、その面布にもひとりだけ異なる東の文字が染めぬかれていた。
「あとは後学のために、筆記係も準備させたからね。外部に流出することを避けたい話などがあれば、自己責任で口をつぐんでいただきたい。では、僕とリフレイア姫は厨の片隅で見守らせていただくよ」
そんな言葉を最後に、ポルアースとリフレイアが壁際に引っ込んでいく。その目指す先は、壁際にたたずむルド=ルウのもとだ。アイ=ファは扉の近くに控えており、ラヴィッツの長兄は扉の外で守衛と歓談しているはずであった。
そして、デルシェア姫と護衛役のロデ、プラティカとシフォン=チェルの4名は、料理人の輪に加わる。『王子の眼』と『王子の耳』の一行は適当に分散して、料理人を包囲する格好だ。いよいよ勉強会の準備が整えられると、まずはデルシェア姫が元気に発言した。
「それで、今日はどんな具合に進められていくのかな? わたしは場を整える役目を受け持ったけど、この場では聴講生のつもりだから! 誰かが取り仕切り役をお願いねー!」
「はい。僭越ながら、本日はわたしどもが取り仕切らせていただこうかと思います」
料理人の輪から外れて一礼したのは、ティマロとロイの両名に他ならなかった。
「これほどの人数であれば進行役が必要となりましょうから、わたし《セルヴァの矛槍亭》のティマロと《銀星堂》のロイ殿がそのお役目を担わせていただきたく存じます。異論がおありの方、もしくは自らもその役目に加わりたいと思し召す方がおられましたら、どうぞご遠慮なく声をおあげください」
声をあげる人間は、いなかった。少なくとも、ここは城下町であるのだから城下町の料理人が取り仕切るべきであろう。なおかつ、ティマロがこういう役目に相応しいことは、これまでの勉強会と食材のお披露目会で証明されていた。
「それではご異存もあられないようですので、さっそく本日の勉強会を始めさせていただきたく存じます。本日の主眼は、3点。ふた月ほど前に南の王都およびゲルドから入手した食材の扱い方に、雨季の食材たるトライプおよびレギィの扱い方……そして、《ランドルの長耳亭》のご主人たるランディ殿にその手腕を披露していただくことに相成ります」
「はい?」と、遠からぬ位置からランディの声が聞こえた。
「わたしの手腕とは、どういったお話でありましょうかな? わたしなど、場末の宿屋の主人に過ぎない身でありますよ」
「ですがあなたは試食会にて目覚ましい結果を残したのち、つい先日には『麗風の会』の厨番に抜擢されるという栄誉を授かることになりましたな」
「いえいえ。あれは森辺の方々の尽力あってのことであります。菓子を供する試食会などでは、恥ずかしながら最下位という結果でありましたからな」
そう、ランディは宿場町の部門では同率3位という立場で入賞していたが、その後に森辺のかまど番および城下町の料理人と腕を競った菓子の部門では最下位であったのだ。
ただ、そのときの相手はトゥール=ディン、リミ=ルウ、ダイア、ヤンという強力な面々で、ブービー賞の《アロウのつぼみ亭》とはほんの数票の差であったはずだ。なおかつ、それからの数ヶ月で、ランディも《アロウのつぼみ亭》の厨番もめきめき腕を上げているはずであった。
「ですが、送別の祝宴や『麗風の会』で供されたあなたの菓子は、素晴らしい出来栄えでありました。『麗風の会』においては、森辺の方々と手を携えたというお話でありましたが……先日の送別の祝宴にて供された菓子は、あなたおひとりの手腕であられるのでしょう?」
「はあ。ですがそれも、森辺の方々の尽力で作りあげた菓子に、トライプを盛り込んだだけの話ですので……」
「ですが、『麗風の会』から送別の祝宴までは、せいぜい10日余りの期日しかございませんでした。それだけの期間で新たな細工を施せるというのは、あなたが卓越した料理人であられるという証左でありましょう」
「ですが」という言葉の連発に、ティマロの意気込みが感じられてならなかった。
「さらに申しあげますならば……あなたは昨年の段階から、独自性というものに秀でておられました。『麗風の会』に抜擢されたのも、その独自性に着目されたがゆえでありましょう。遠きアブーフを出自とされているあなたには、独自の作法が備わっているのだとお見受けいたします。むろん、その秘めたる作法をすべてつまびらかにせよなどとは申しませんが……あなたにとって損のない範囲で、その手腕を披露していただくことはかないませんでしょうか?」
「はあ……」と、ランディは困惑の声をあげる。彼はなかなか神経が太いので、このような場でも恐れ入ることはないかと思うが、それでもやっぱり戸惑いの気持ちは否めないのだろう。
すると、無言で様子をうかがっていたロイも発言した。
「ランディ。自分からも、ひと言だけお伝えさせていただきますよ。……実は自分は森辺の方々に触発されて、あれこれ腕を磨くことになったんです。師匠たるヴァルカスからは独自の作法を学び、そこに森辺の料理人から触発された技法を盛り込んで、それなりに自慢できる料理を考案してみせたつもりです」
公の場であるためか、ロイも丁寧な言葉づかいだ。ただ、その熱意はティマロにも負けていなかった。
「森辺の方々と手を携えたあなたなら、自分の心情も理解できるかと思います。もしもこの場であなたがさまざまな手腕を発揮してくれたら、自分たちも大いに刺激を受けますし……そしてそれは、あなた自身にも跳ね返っていくんじゃないですかね」
「そうですな。何もわたしどもは、あなたの作法をかすめ取ろうなどと画策しているわけではございません。おたがいの作法を伝え合うことで、おたがいに高め合うことができるのではないかと……そのように期待しているのです」
「そう。失礼な物言いに聞こえたら恐縮ですが、あなたの料理にこの場の全員が満足するとは限りません。そうしてあれこれ口出しされたら、あなたの料理はさらなる完成度を目指せるんじゃないでしょうかね」
ロイとティマロの波状攻撃に、ランディはしばし押し黙り――その末に、「そうですな」とやわらかい声を発した。
「あなたがたの仰る通り、わたしは故郷のアブーフで味わった料理や菓子を参考にしています。ですがまだまだ、納得のいく出来ではないのですよ。もしもみなさんのお知恵を拝借できたならば……わたしはいっそう理想的な形で、故郷の味を再現できるのかもしれませんな」
「ええ。知識だったら、自分たちにおまかせください。それにそちらには、森辺の頼もしい面々も居揃っていますしね」
「承知しました」と、ランディがふたりのもとに進み出た。
その顔に浮かべられているのは、いつも通りのにこやかな表情だ。
「みなさんのご期待に沿えるかどうかは不安なところでありますが、お言葉に甘えさせていただきます。……わたしは、どのように取り計るべきなのでしょう?」
「まずは、あなたが再現を目指しているアブーフの料理を作りあげていただきたく思います。それを味見したのち、意見を交換するという形で如何でしょう? 無論、現時点で何か改善を目指しておられる点でもあれば、そちらを解消してから取り組んでいただきたく思います」
「改善ですか……」と首をひねったランディは、すぐさま瞳を輝かした。
「そういえば、わたしは常々、思い悩んでいたことがあったのです。解消する手立てなど存在しないかもしれませんが、ひとつお尋ねしてよろしいでしょうか?」
「ええ、なんなりと」
「それは、汁物料理などの火加減についてであるのです。ええと、順を追って説明いたしますと……アブーフというのは寒冷の地でありますため、朝から晩まで暖炉に火を焚く機会が多いのです。そしてその火を、料理や菓子に活用しているわけでありますな」
そんな風に説明しながら、ランディは視線を巡らせた。それを受け止めたのは、鋭い目つきで拝聴していたプラティカである。
「はい。ゲルド、同様です。長き冬、乗り越えるには、大量の薪、必要です」
「ええ。たしかゲルドというのはアブーフの真東に位置するのでしょうから、寒さの厳しさに大きな差はないのでしょう。ですから、アブーフにおいては朝から晩まで鍋を火にかけることも珍しくないのですが……このジェノスでは、それだけの薪を集めることもままなりません。それでどうしても、故郷の味を再現することがかなわないのです」
「つまり、それは……朝から晩まで火にかける必要がある料理、ということですな?」
「はい。朝から晩までというのは大仰かもしれませんが、おおよそは半日ばかりも火にかけておりました。それも、鍋を火から遠ざけて、弱火でじっくりと煮込むのです。わたしは強い火にかければ短時間で済むのかと試したこともあったのですが……その結果は、さんざんなものでありました」
「弱火と強火では、熱の入り方が異なりますからな。それでは仕上がりが異なるのも当然でありましょう」
しかつめらしくうなずくティマロのかたわらから、ロイが俺のほうに視線を向けてきた。
「アスタ。たしか森辺には、ギバの骨ガラを半日ばかりも火にかけるギバこつすーぷという料理が存在しましたね?」
俺は思わず、「えっ」とのけぞってしまった。言葉の内容に驚いたのではなく、ロイが俺にまで丁寧な言葉づかいであったことに驚いたのだ。
しかし本日は自由奔放なデルシェア姫ばかりでなく、ポワディーノ王子の臣下まで見守っているのだ。それにロイは勉強会の取り仕切り役という重責を担っているので、普段以上に気をつかっているのかもしれなかった。
「あ、はい。確かにそちらの料理は、半日ばかりも火にかけています。だから昼の屋台には準備が間に合わず、夜の商売や祝宴などでだけお出ししているのですよね」
「森辺には、そのような料理が存在するのですか。きっと森辺であれば、薪に不足することもないのでしょうな。実にうらやましいお話です」
と、ランディはひとりにこにこと笑っている。
そんな中、ロイは思案顔で腕を組んだ。
「城下町では、薪は塀の外から買いつける商品です。ですから、懐にゆとりのある屋敷や料理店ではどっさり薪を買い込んで、朝から晩まで火にかけることも可能ですが……宿場町では、そういうわけにもいかないということですね」
「ええ。我々は下働きの人間を使って、雑木林で薪拾いをさせております。そんな大量の薪を集めさせるには新たな人手が必要になり、けっきょく費用がかさんでしまうわけでありますな」
「なるほど……初っ端から、難しい問題にぶちあたってしまいましたね」
すると、料理人の輪の中から「よろしいでしょうか」と声をあげる者がいる。誰あろう、それはヤンであった。
「短い時間で熱を通す作法に関しては、わたしにひとつ心当たりがあります。それを試してみては如何でしょうか?」
「ほう。それは、どのような?」と、ティマロが興味深げに反問する。それに対して、ヤンは穏やかな笑顔を返した。
「説明しながら、実践いたしましょう。ランディ殿、そちらの料理に必要な食材をご準備願えますか? テティア、ルイア、あなたがたはお手伝いを」
2名の侍女はつつましく一礼して、ランディとともに食料庫へと消えていく。その姿に、笑顔のユーミが耳打ちしてきた。
「ルイアもすっかり、貴族様の侍女が板についてきたみたいだねー。ここに来てから、いっぺんもあたしのほうを見ようとしないけどさ」
「うん。まだちょっと気恥ずかしいんだろうね。でも本当に、他の侍女の人たちと遜色ない姿だと思うよ」
そんな余談にかまけながら、俺はヤンの言葉に興味をそそられていた。短時間で食材に十分な熱を通す手段が存在するならば、ギバ骨スープの作製も格段に楽になるのだ。
そのヤンは、壁から取り上げた調理器具を手に、ポルアースのもとに身を寄せている。ポルアースは鷹揚にうなずくと、その調理器具を西の武官に手渡して、扉の外に走らせた。
しばらくして、必要な物資が作業台に並べられる。
ランディが準備したのはカロンの骨つきのあばら肉、および骨つきの足肉、長ネギのごときユラル・パ、ビーツのごときドルー、チンゲンサイのごときバンベ、生姜のごときケルの根というラインナップであった。
「アブーフには、ユラル・パもケルの根も存在いたしませんでした。ですが、あちらで使っていた食材ともっとも近しく感じたのが、こちらのふた品であったのです」
「ふむ。ユラル・パはゲルドの食材でありますが……アブーフは、ゲルドと交易をしていないという話でありましたな」
「ええ。アブーフはマヒュドラの敵、ゲルドはマヒュドラの友でありますからね。マヒュドラの手前、ゲルドもアブーフとは商売ができなかったのでしょう。ですが、気候が近しいためか、このユラル・パによく似た香味野菜が存在いたしました」
「なるほど。いっぽう、マヒュドラの食材は戦利品として手にする機会があったというお話でありましたな。それで、ドルーやバンベが組み込まれているわけですか」
「ああ、はい。とりわけドルーというのは、こちらの料理によく合う野菜でありましたので……」
と、ランディはいくぶん眉を下げつつ、ヤンのかたわらに控えたシフォン=チェルのほうに視線を送る。それを受け止めたシフォン=チェルは、いつも通りのつつましい微笑みとともに一礼した。シフォン=チェルはマヒュドラの生まれだが、アブーフよりももっと西側の生まれであるという話であったのだ。たしか、シフォン=チェルの故郷を襲撃したのもアブーフではなく別の砦の部隊であるという話であったはずであった。
「これらの食材を、鍋で煮込むわけですな。それで、ヤン殿の知る作法というのは――」
ティマロがそのように言いかけたとき、厨を出ていた武官が舞い戻ってきた。彼がヤンから託されていたのは、大きな鉄鍋で使用される木製の中蓋であり――そしてその中央に、ぽつんと小さな穴があけられていた。
それを目にした瞬間、俺は思わず「あっ」と声をあげてしまう。
すると、ヤンが柔和な笑顔で振り返ってきた。
「どうやらアスタ殿の故郷にも、こういった作法が存在したようですな」
「は、はい。たぶん……俺の想像が当たっていれば、そういうことになります」
ヤンは、圧力鍋に類する作法をお披露目しようとしているのではないだろうか?
俺が想像したのは、そういう内容であったのだった。




