送別の祝宴③~挨拶~
2024.5/11 更新分 1/1
ダカルマス殿下への挨拶を終えた俺とアイ=ファは、背後の人々に順番を譲るために左側へと移動する。
しかしそこには、まだララ=ルウとジザ=ルウが居座っていた。ララ=ルウがロブロスやフォルタや書記官と熱っぽく語らっているさなかであったのだ。
「この場で長々と語らうのは、余人の迷惑となろう。のちにも語らう機会はあろうから、いい加減に切り上げるがいい」
ジザ=ルウがそのようにたしなめると、ララ=ルウはすました面持ちで「承知しました」と貴婦人のごとき礼を見せる。ララ=ルウは見るたびに、貴族相手の社交が板についてきた様子であった。
「ついにこの日が来てしまいましたね。またみなさんにお会いできる日を心待ちにしています」
俺がそのように告げると、ロブロスは厳粛きわまりない面持ちで「うむ」とうなずいた。
「このたびは、前々回に劣らぬ騒ぎであったな。それでも何とか今日という日を無事に迎えられて、吾輩も胸を撫でおろしている」
前々回――ダカルマス殿下とデルシェア姫が、初めてジェノスにやってきた際のことである。その際には、彼らの滞在中に邪神教団にまつわる騒乱が勃発していたのだった。
「あれからまだ1年も経っていないのですよね。あのときも今回も、みなさんには大変お世話になりました。それでもジェノスと確かな絆を結んでくださったことを、領民のひとりとして深く感謝しています」
「前回も今回もジェノスは災厄に見舞われた側なのだから、我々が忌避する理由はない。まあ今回の一件を本国に伝えたならば、また何かと人心を騒がせることになろうが……それをなだめるのも、我々の役割であるからな」
そのように語るロブロスは厳しい面持ちのままであったが、俺を見返す眼差しはごく穏やかな光をたたえている。むしろ、俺の身や心持ちを慮ってくれているような気配であった。
「ダカルマスにも伝えたが、我々もデルシェアの去就を気にかけておくので、心安らかに帰路を辿ってもらいたい」
と、アイ=ファはフォルタにそんな言葉を伝えている。
ロブロスよりもやや心配性であるフォルタもまた、かしこまった表情を保持しつつ心からありがたそうに一礼した。
「わたし自身もポワディーノ王子の真情を疑う気持ちはありませんが、東の王都の使節団に対しては若干の懸念がぬぐえません。ですが、ジェノスや森辺の方々が正しき行く末を紡いでくれるものと信じておりますぞ」
「うむ。ジェノスの貴族と森辺の族長も、その信頼を裏切ることはあるまい。私もその一助となれるように力を尽くすと約束しよう」
「はい。どうぞよろしくお願いいたしますぞ、アイ=ファ殿」
やはりフォルタは武人として、図抜けた力量を持つアイ=ファに何らかの思い入れを抱いているのだろうか。これほど優美な姿をしたアイ=ファを前にしても、騎士か何かを相手にしているような敬意を感じてやまなかった。
(まあ、アイ=ファも鴉の大群を相手に大活躍したひとりだしな)
そんな感慨を抱きながら、俺は書記官である小柄な男性にも笑顔と挨拶の言葉を届けた。
「どうか道中はお気をつけください。今回はあまり言葉を交わす機会もありませんでしたが、再会の日を楽しみにしています」
「はい。ダン=ルティム殿にも、どうぞよろしくお伝えください」
こちらの人物は初めてジェノスにやってきた際、ダン=ルティムと酒杯を交わすことになったのだ。それはトゥランの奴隷たちを引き取るための来訪であったので、もう1年以上も前の話であった。
(でも、1年とちょっとで4回も来てくれたんだもんな。《銀の壺》や建築屋の方々よりは、顔をあわせる機会が多いってことだ)
俺は最後に頭を下げて、アイ=ファとともに歩を進めた。
次に待ちかまえていたのは、ジェノス侯爵家の面々だ。マルスタインはゆったりと笑いながら、左の側に手を差し伸べた。
「我々にはあらたまった挨拶など不要だよ。遠慮なく進むがいい」
彼らは南と東の緩衝材として、この位置に控えているのだろう。その言葉に甘えて先を急ぎつつ、俺は通りすぎざまにオディフィアへと笑いかけた。
「菓子の卓では、トゥール=ディンが待っていますからね。オディフィアも頑張ってください」
オディフィアは灰色の瞳をきらめかせながら、「うん」とうなずいた。
そうしてエウリフィアやメルフリードにも会釈をしてから通りすぎると、お次はゲルドの一団だ。本日はアルヴァッハにナナクエムにピリヴィシュロ、さらに使節団の団長や副団長まで勢ぞろいしていた。
「みなさん、今日までお疲れ様でした。欲を言えば、もう何回かは森辺にお招きしたかったところですけど……それは、次の楽しみにさせていただけたらと思います」
「うむ。ジザ=ルウ、同じ言葉、届けてくれた。感謝、極みである」
あのジザ=ルウがそんな言葉を告げたのかと、俺はいささか驚いてしまう。すると、オディフィアに負けないぐらい瞳を輝かせたピリヴィシュロが、内情を明かしてくれた。
「コタ=ルウ、こうりゅう、もとめている、ききました。われ、かんしゃ、よろこび、じんだいです」
「なるほどな。アイム=フォウも、ピリヴィシュロとの再会を願っていたぞ。幼き身では苦労もつのろうが、再びジェノスにおもむく機会があったならば、どうかこちらにも身を寄せてもらいたい」
アイ=ファが優しい眼差しでそのように伝えると、ピリヴィシュロは黒い頬に血の気をのぼらせながら「はい」とうなずいた。
「われ、らいほう、ねがっています。りょうしん、せっとくして、ふたたび、ジェノス、らいほう、やくそくします」
「うむ。その日を心待ちにしているぞ」
アイ=ファは目もとだけでピリヴィシュロに微笑みかけてから、アルヴァッハとナナクエムに向きなおった。
「そちらも雨季に入ってからは、満足に身動きが取れなかったことであろう。その分は、次の機会に楽しんでもらいたく思う」
「うむ。そして、本日も、喜び、噛みしめる、所存である」
アルヴァッハは重々しい声音で応じつつ、俺とアイ=ファの姿を見比べてきた。
「シム、騒乱、もたらしてしまい、痛恨、極みである。また、我、力、及ばなかったこと、無念、限りである」
「とんでもありません。アルヴァッハもナナクエムも他のみなさんも、さんざん力を尽くしてくださったじゃないですか。とりわけポワディーノ殿下の気心が知れるまでは、みなさんの存在が心強くてなりませんでしたよ」
「うむ。忠誠を尽くすべき存在を前にしても、アルヴァッハたちは我々との友誼を重んじてくれた。ゲルドの面々の誠実な振る舞いには、心から感謝すると同時に、敬服の念を抱いている」
俺とアイ=ファがそのようにたたみかけると、アルヴァッハは微笑むように目を細めてくれた。
「我、無念の思い、消え去らぬが……その言葉、心から、嬉しく思う。またのちほど、挨拶、願いたい」
「はい。どうかまた、料理のご感想をお聞かせくださいね。ナナクエムも、今日はどうかご勘弁ください」
「うむ。多少、容赦しよう」
折り目正しい無表情のまま、ナナクエムはおそらく軽口を叩いた。
そちらに笑顔を返してから、俺たちは団長と副団長のもとに歩を進める。
「みなさんとも、なかなか言葉を交わす機会が作れませんでした。できれば今日の内に、またご挨拶をさせてください」
「うむ。気遣い、無用だが……その言葉、ありがたい、思う」
団長はアルヴァッハに負けないぐらい大柄で、副団長は東の民としては小柄の部類だ。ここ最近はピリヴィシュロの護衛役として副団長のほうが姿を見る機会が多かったが、平時には団長も屋台にやってきていたので、俺にとってはどちらも気の置けない相手であった。
(そういえば、プラティカはこの場を離れたんだな。アルヴァッハたちと過ごせる、最後の夜だけど……まあ、このひと月ていどでたっぷり語らえたんだろう)
そして現在はデルシェア姫と同じように、料理の卓を巡っているに違いない。彼女はアルヴァッハを始めとする人々のために腕を磨いているのだから、それも正しい行いであるはずであった。
「おお、アイ=ファ! やっぱりそちらの宴衣装も、君にはまたとなく似合っているね! いずれの宴衣装にしようかと、悩みに悩み抜いた甲斐があったよ!」
と、静謐なるゲルドの面々の後には、ひときわ騒がしい面々――というか、騒がしい主人と静謐なる従者たちが待ちかまえていた。言わずと知れた、ダーム公爵家の3名である。
「……あなたも今日は、大人しく腰を据えていたのだな」
「いちおうわたしも、見送られる人間の末席であるからね! 本当だったら、さっさと広間を巡りたいところだけどさ! でもこのようにアイ=ファと巡りあえたから、不満の気持ちも大いに慰められたよ!」
いつでもどこでも騒がしいティカトラスにひとつ溜息をついてから、アイ=ファは表情をあらためた。
「あなたがたはまたすぐジェノスに舞い戻ってくるという話であるので、ここは簡単に済ませたく思うが……ジルベの件では、世話になった。それに、アスタのためにルウの集落まで出向いてくれたことを、心から感謝している」
「いやいや! アイ=ファの心の安息のためであれば、どうということもないさ! こうしてアイ=ファに感謝の言葉を届けられるだけで、わたしは感無量だよ!」
と、その浮ついた言葉が嘘ではないと証明するかのように、ティカトラスは普段よりもいっそう無邪気な笑みをたたえた。
「アイ=ファが本当に感謝の念を抱いているということが、ひしひしと伝わってくるからね! とりわけジルベに活躍の機会が与えられたことが、アイ=ファには嬉しかったのかな? わたしは獅子犬を無駄にするのは惜しいと考えたまでだが、そんな判断を下した過去の自分をほめてあげたい気分だね!」
「存分にほめてやるがいい。では、感謝の念が消え去らない内に失礼する」
そうしてアイ=ファはよどみなく歩を進めたが、ヴィケッツォの前でその足を止めた。
「そちらとは、あらたまって言葉を交わす機会もなかったな。危険な場におもむかんとするティカトラスを引き留めることなく、ともに尽力してくれたことを感謝しているぞ」
「……ティカトラス様を引き留めることなど、誰にもかないません。そして、如何なる状況においても、我々はティカトラス様をお守りするだけです」
そのように応じるヴィケッツォは、漆黒なのにきらきらと輝く不思議な織物の宴衣装だ。起伏にとんだ肢体にぴったりと吸い付くようなデザインで、胸もとはアイ=ファに負けないぐらい深く切れ込みが入っている。そんな優美かつ色香にあふれた姿で、ヴィケッツォの顔は不愛想そのものであった。
しかしアイ=ファは、そんなヴィケッツォにむしろ好感を抱いた様子でやわらかい眼差しになる。確かに彼女はティカトラスの奔放さに振り回されている身なのであろうが、その場その場で惜しみなく力を尽くしているのだ。だからこそ、彼女も勲章を授かることに相成ったのだった。
「我々が口を出すまでもなかろうが、道中の無事を祈っている。どうか、息災にな」
「言われるまでもありません」と、ヴィケッツォはついにそっぽを向いてしまう。アイ=ファはむしろ満足げな眼差しでその前を通りすぎ、俺は石像のように立ち尽くしているデギオンに頭を下げておいた。
そうしてようやく終着点となる、アラウトである。こちらもカルスの姿はなく、従者のサイとポルアースおよびメリムが付き添っていた。
「アラウト、どうもお疲れ様です。バナームに戻ったら、ウェルハイドやご家族のみなさんによろしくお伝えくださいね」
「ありがとうございます。また新たな交易の道筋が見えましたので、兄上とともに確かな成果を目指したく思います」
アラウトは白い頬を上気させつつ、純真なる笑みをたたえた。彼もまた、東の王都との交易に食い込もうという意欲を見せているのだ。
「ただ、東の王都の使節団がどのような姿勢であるかは、実際に相対しないとわかりませんからね。僕も遅れずに駆けつけて、ジェノスのみなさんとともに真偽を見定めるつもりです」
「うむ。アラウトの申し出を心強く思う。……私はアラウトのおかげで、多少ばかりは自分が西方神の子であるという自覚を強められたように思うぞ」
アイ=ファのそんな言葉に、アラウトは「え?」と目を丸くした。
「それは光栄なお言葉ですが……でも、どうしてそのようなお気持ちに至ったのでしょう? 僕はこのたびの騒ぎにおいて、なんの力にもなれていないかと思うのですが……」
「それは相手がシムの王族であり、あなたには手出しのできない相手であったためであろう。しかしあなたは我々のそばに踏み止まり、こちらの行く末を見守りながら、ともに苦難を背負ってくれた。その姿に、友というよりは同胞としての気配を感じたのだ。ジャガルの面々は奮起しており、それもまた心強い限りであったが……私には、あなたの静かなたたずまいも同じぐらい心強くてならなかった」
そう言って、アイ=ファはまたやわらかい眼差しを浮かべた。
「もちろんあなたは友としても、我々の身を案じてくれていたのだろうと思う。だがそれ以上に、同じ西の民としてシムからもたらされた災厄を看過できないという気概を感じたのだ。ならば我々も、その思いに応えなければなるまい。万が一にもバナームが災厄に見舞われた際には、我々も尽力しなければならないと思う。それはきっと、森辺の民としての思いではなく……西の民としての思いであるのだろう。そんな思いを抱かせてくれたあなたに、私は深く感謝している」
アラウトは、呆気に取られた様子で立ちすくみ――それから、目もとに涙をにじませた。
「僕は本当に、何も為せないまま自分の無力さを噛みしめていたに過ぎません。でも、アイ=ファ殿にそのように言っていただけるのは……心より光栄に思います」
「私こそ、あなたと手を携えられたことを心から光栄に思っている。どうかこれからも、西の同胞として確かな絆を深めさせてもらいたい」
アラウトが「はい!」とうなずいたところで、横合いの貴族の一団がこちらに迫ってきた。
俺は慌ただしく頭を下げて、アイ=ファとともに挨拶の列から離脱する。そうして先を行くジザ=ルウたちの背中を追いかけながら、俺はアイ=ファに笑いかけた。
「最後はちょっとびっくりしたよ。アイ=ファはアラウトに、あんな思いを抱いてたんだな」
「うむ? お前はアラウトの心意気に、何も感じていなかったというのか? まさか、そのようなことはあるまい?」
「うん。確かにアラウトは手出しも口出しもできない立場だったのに、ずっとすぐそばで見守ってくれていたからな。もちろんアラウトには、感謝の気持ちしかなかったけど……でも俺は、そこに西の民としての立場とかは重ねてなかったんだよ」
「それはきっと、もともと私よりもお前のほうが西の民としての自覚を育んでいたためであろう。私は未熟であったからこそ、そういった思いを新たにしたのだろうと思う」
と、アイ=ファは俺にまで優しい眼差しを向けてきた。
「災厄には、仲間内の結束を固めるという一面があるのであろうな。だからといって、災厄が起きることを願うわけにもいくまいが……このたびの災厄で、私は数々のかけがえのないものを手中にできたように感じている」
「あ、俺もそれは、常々そう思ってたよ」
「そうか」と、アイ=ファはこらえかねたように微笑んだ。
しかしジザ=ルウたちの姿が迫ってきたので、すぐさま凛然たる表情を取り戻す。森辺の一行は、少し離れた場所に陣取っていたポワディーノ王子のもとに集結していたのだった。
「ふむ。このたびは、このような席を準備していたのか」
アイ=ファの言葉に、ポワディーノ王子は「うむ」と首肯した。
「我としても、西と東の習わしをすりあわせるべく苦心しているのだ。西の面々に反感を抱かれていなければ幸いである」
「べつだん、反感を招くことはなかろう。ただ見慣れぬ姿であるため、物珍しく思うだけだ」
俺もおおよそは、アイ=ファと同じ気持ちである。本日のポワディーノ王子は、1メートルほどの高さを持つ壇の上に立派な敷物を敷きつめて、そこに座していたのだ。そのかたわらには黒豹の『王子の牙』が控えており、6名ていどに数を減じた臣下は壇の左右と背後にずらりと立ち並んでいた。
「東の王家の人間はこういった祝宴において、立った姿で挨拶を交わす習わしがない。それで以前には敷物を準備したが、挨拶をする側まで膝を折らせることになるのが手間であろうと考えたのだ」
「では、こちらの手間を慮って、そのような細工を施すことになったというわけだな。であればなおさら、反感を招くことはなかろう」
「うむ。我としては西の習わしに従うこともやぶさかではないのだが……王家の人間として正しく振る舞わなければ、のちのち父や兄たちに叱責されてしまおうからな」
そのように語るポワディーノ王子の声は、これまで通りに落ち着いている。それを喜ばしく思いながら、俺も声をかけることにした。
「それにしても、ずいぶん離れた場所に陣取っておられるのですね。やっぱり見送られる方々と一線を引こうというお考えでしょうか?」
「うむ。我とて、見送る側に過ぎぬからな。こうして席を離しておけば、望む人間だけが挨拶に出向いてくれよう。……今の其方たちのようにな」
そう言って、ポワディーノ王子は面布に包まれた顔で森辺の一行を見回してきた。
「わざわざ挨拶に出向いてくれた其方たちの振る舞いは、心より嬉しく思う。しかし以前にも伝えた通り、我は明日からもしばらくジェノスに留まる身だ。今日という日には我のことなど捨て置いて、別れを遂げる面々に心を砕いてもらいたく思う」
「うむ。あなたの公正かつ誠実な振る舞いは、我々も得難く思っているぞ」
そのように答えるダリ=サウティを筆頭に、森辺の面々はみんな好意的な眼差しでポワディーノ王子の姿を見返していた。まあジザ=ルウは内心が知れないものの、それでもポワディーノ王子に反感を抱いたりはしていないだろう。ララ=ルウもなかなか鋭い眼差しであったが、決してポワディーノ王子の真情を疑っている様子はなかった。
「明日からも、森辺の民に余計な世話をかけるつもりはない。ただし、故郷に帰る前にもっと絆を深めておきたいという気持ちはぬぐえぬので……マルスタインらと相談した上で、そちらの負担にならないていどの交流を求めたいと願っている」
「承知した。では、そのときを楽しみにしている」
俺たちはおのおのポワディーノ王子に一礼して、その場を離れることにした。
送別の挨拶を終えた面々も、過半数はポワディーノ王子のもとを訪れているようだ。そのさまを横目で眺めながら、俺たちはひとまず大広間の片隅に寄り集まった。
「ポワディーノは見るたびに、王子らしい風格と落ち着きが増していくようだ。きっとあれこそが、ポワディーノの真なる姿なのだろうな」
「うむ。騒乱のさなかにはよほど心を乱していたのであろうよ。まあ、俺がその姿を見る機会はなかったがな」
ゲオル=ザザは不敵に笑いながら、肩をすくめた。騒乱のさなかでは族長たるグラフ=ザザが出張っていたため、彼はなかなか出番がなかったのだ。
「ともあれ、ようやく俺たちも自由の身だな。この後は、好きに過ごしてかまわんのだろう?」
「うむ。では、二手に分かれて祝宴の場に戻るとするか。そちらはルウとファで組になるがいいぞ」
ということで、俺とアイ=ファはジザ=ルウおよびララ=ルウと行動をともにすることになった。
「そういえば、フェルメスやオーグの姿がなかったよね。どっちかの王子に付き添ってると思ったのに、どこに行っちゃったんだろ?」
手近な卓に向かいながらララ=ルウがそんな疑念を呈すると、アイ=ファとジザ=ルウは同時に小首を傾げた。
「フェルメスたちは、ずっと挨拶の場をうろついていたではないか」
「うむ。立ち並んだ面々の背後を、せわしなく行き交っていたな。誰がどのような挨拶をしていたか、手分けをして探っていたのだろうと思うぞ」
「えーっ! だったらひとりずつ、王子のそばに控えてりゃいいのに! このあと、オーグと喋れるかなー」
ララ=ルウのそんな言葉に、俺はつい笑ってしまった。
「ララ=ルウは社交に熱心だけど、とりわけオーグとロブロスに対して熱心だよね。前にも聞いたかもしれないけど、やっぱりああいう厳格な人柄の人たちが好ましいのかな?」
「それもあるけど、オーグはいつ西の王都に出立するかもわかんないでしょ? だからその前に、できるだけ言葉を交わしておきたいんだよねー」
俺がきょとんとすると、ララ=ルウもきょとんとした。
「あれ? アスタたちは、聞いてなかった? オーグは去年もこれぐらいの時期に、王都まで戻ってたでしょ? あんな騒ぎが起きてなかったら、今回もとっくに出立してたはずだよ」
確かにオーグは昨年も、雨季のさなかに西の王都へと戻ったはずだ。ただ、本年も同じ行いに及ぶなどとは聞いていなかった。
「それはまったく知らなかったよ。あらためて、ララ=ルウの社交の手腕を思い知らされた心地だなぁ」
「そんな大した話じゃないって。アスタは色んな相手に追っかけ回されてるから、オーグとゆっくり語らう機会がなかったってだけでしょ」
「しかし、オーグが西の王都に戻るということは……今度こそ、外交官が交代されるのであろうか?」
アイ=ファが真剣な面持ちで問い質すと、ララ=ルウは「どうなんだろ?」と首を傾げた。
「外交官の任期ってのは半年ごとで、2期から3期で交代っていうのが通例なんだよね? でも、フェルメスとオーグはもう4期目に入っちゃってるし……ここだけの話、フェルメス以外の人間にジェノスでの外交官が務まるのかって、オーグは頭を抱えてるみたいだよ」
「へえ。オーグからそんな内心まで引き出すなんて、やっぱりすごいじゃないか」
「だから、そんな大した話じゃないってば。……とにかくさ、ジェノスって何かと騒ぎが起きるでしょ? 今回だってこの騒ぎだし、フェルメスがいなかったらどうなったかもわかんないよね。オーグとしては、自分が交代になってもフェルメスは継続するべきだって考えみたいだけど……なんか、それも難しいっぽいんだよねー」
外交官は担当の領地の関係者との癒着をふせぐために、一定の期間で交代される決まりであるという話であったのだ。そしてフェルメスとオーグは、すでに通常よりも長い期間をジェノスで過ごしているのだった。
「ま、最後に決めるのは西の王なんだから、あたしらが悩んだってしかたないさ。オーグが王都に戻ったとき、西の王からどんな指示が出るかだね」
「そうか。フェルメスというのは底が知れないので、どれだけ交流を重ねてもなかなか得心できない部分がある。私としては、さらに時間をかけてあやつの心根を見定めたく思っているのだが……こればかりは、相手の出方をうかがう他ないな」
そう言って、アイ=ファは小さく吐息をついた。
俺としても、フェルメスとは離れ難い心情である。好きとか嫌いとか言う前に、まだまだフェルメスには未知なる部分がひそんでいるのではないかという思いが尽きないのだ。そういう意味では、アイ=ファと同じような心情であるのかもしれなかった。
(でも、たとえフェルメスが王都に戻ることになっても……しばらくしたら、またジェノスに派遣されるかもしれないもんな。おたがい生きていれば、再会のチャンスはあるさ)
そして何より、まだフェルメスが西の王都に帰ると決まったわけではないのだ。今日はフェルメスではなく、本当にお別れを遂げる人々に対して思いを馳せなければならなかった。




