~箸休め~ 追憶の宴
2014.12/29 更新分 1/1
その日、ルウの集落においては婚儀の祝宴が行われていた。
広場に設置されたやぐらの上で、勇壮なる狩人の衣を纏った花婿と、玉虫色のヴェールに包まれた美しい花嫁が、この上もなく幸福そうに眷族からの祝福の声をあびている。
それをひとり、薄暗がりから退屈そうににらみつけている若者がいた。
年の頃は、二十歳になるならず。すらりと背が高く、野生の狼のように精悍な風貌をした若者である。
たてがみのごとき黒褐色の蓬髪に、光の強い青色の瞳。鼻は高く、唇は薄く、顔立ち自体は非常に端整だが、きわめて不機嫌そうな表情を浮かべている。そんな若者が、大きな樹木の幹にもたれかかり、右手に果実酒の土瓶を下げながら、薄闇の中でひとり黙然とたたずんでいるのだった。
「何だ、このようなところで何をしているのだ、お前さんは」
と、こちらはきわめて陽気な表情をした少年が、ギバの焼いた肉を山積みにした木皿を手に、その若者へと近づいていく。
年齢はまだ十代の半ばであろう。手足が長く、まだまだ身長は伸びそうな様子だが、若者よりは頭半分ほど小さい。それでも狩人らしく鍛えぬかれた身体つきをしており、胸もとにはたくさんの牙と角を揺らしている。
長めに伸ばした髪は褐色で、くりくりとした目は明るい茶色。気の強そうなくっきりとした眉に、愛嬌たっぷりの笑みを浮かべた大きめの口。いささかならず子どもっぽい容貌をした、笑顔の可愛らしい少年である。
「せっかくの祝宴なのだから、肉を食え肉を。果実酒ばかりでは力がつかないぞ?」
「……うるせえな。お前は祝宴じゃなくったって、毎日馬鹿みてえに食ってばっかりいるだろうが?」
愛想のかけらもない声で応じ、若者は乱暴に果実酒をあおった。
そんな同胞の横顔を見つめながら、少年はけげんそうに首を傾げる。
「どうしてこんなめでたい席で、そのように不機嫌そうな顔つきをしているのだ? お前さんにとっては、可愛い弟の婚儀だろう?」
「……不機嫌そうな顔なんてしてねえよ」
「してるではないか。まあ、お前さんはいつでも不機嫌そうだけどな」
まったく物怖じする様子もなく、少年はギバ肉にかじりつく。
「ああ、もしかしたら、弟に先を越されて悔しいのか? だからお前さんもとっとと嫁を迎えておけば良かったのだ。本家の跡取り息子ともあろうものが、18にもなって独り身では格好がつくまい?」
「…………」
「ギバを狩るだけが男衆の仕事ではないぞ。狩人としての強い血をのこすのも、立派な仕事だ。特に俺たちはいずれ一族を率いていくべき立場なのだから、その大事さもひとしおだろう?」
そう言って、少年はやぐらの上の花婿にも負けぬ幸福そうな笑みを満面にひろげた。
「俺などはもう、息子のことが可愛くて可愛くて仕方がない! まだ生まれたてだから連れてくることはできなかったが、今夜一晩その愛おしい姿が見られないと考えただけで悶死してしまいそうだ!」
「……だったらとっとと悶え死ねよ。ムントにほじくり返されないよう、念入りに埋めてやらあ」
と、いよいよ若者が物騒な感じで青い瞳を燃やしかけたとき――松明に照らされる人垣のほうから、ほっそりとした人影が近づいてきた。
「そのように暗い場所で何をされているのですか? あまり灯りから外れてしまうと、ギーズに足をかじられてしまいますよ?」
赤褐色の髪をした、とても美しい娘である。
未婚の証しである長い髪を、さらりと腰まで伸ばしている。深い色合いをした茶色の瞳に、小さな鼻と小さな口。無邪気で幼げな面立ちをしているが、15は越えているのだろう。玉虫色のヴェールやショール、金属や木工の瀟洒な飾り物といった宴衣装が、この上なく似合っている。
その姿を見て、少年は「へえ!」と感心したような声をあげた。
娘は、あどけなく微笑んだまま、首を傾げる。
「美しいな! 我が眷族にこれほど美しい未婚の女衆がいただろうか? お前さんはどこの氏族の何という娘だ?」
「わたしはレイの分家の長姉で、ミーア=レイという者です。あなたはルティム本家の長兄ダン=ルティムですね?」
「なんと! 俺の名前を知っているのか?」
「それはもう。16の若さでルティムにおいては比類なき狩人であると、レイの集落でも評判になっておりますので」
「それは言いすぎだな! ルティムで1番の狩人は、間違いなく俺の父ラーだ! 俺などは、ルティムで2番目の狩人に過ぎぬよ!」
少年――ダン=ルティムは、愉快そうに笑い声をあげる。
「それにしても、お前さんのように美しい女衆がいたとは驚きだ! 未婚の女衆ではまず1番の美しさだろう! 未婚でない女衆では、俺の嫁が1番だがな!」
「まあ」と、娘――ミーア=レイも楽しそうに笑う。
「いやあ、本当に美しい! おい、お前さんもそう思うだろう? ……あ、こっちのこいつは、ルウの本家の長兄だ」
「もちろん、存じています。おひさしぶりですね、ドンダ=ルウ?」
ミーア=レイは、にこりと微笑んだ。
が、野生の狼のような若者――ドンダ=ルウは、果実酒をあおるばかりで、そちらを振り返ろうともしない。
「何だ、お前さん方はすでに見知った仲だったのか?」
「はい。先日はレイの本家の婚儀がありましたので。その折に少しだけ」
「ああ、あの夜はちょうどガズランが生まれるところであったので、俺は祝いに行くことができなかったのだ! レイには悪いことをしてしまったな」
「いえ。我が子の出生にまさる大事など、この世には存在しないでしょう。どうぞお気になさらないでください」
ミーア=レイが、笑顔で応じる。
すると、ドンダ=ルウはもたれていた樹木の幹から背を離し、そのまま祝宴の繰り広げられている広場のほうへと歩き始めた。
「うん? どこに行くのだ、ドンダ=ルウ?」
「果実酒がなくなったんだ。……貴様たちはついてくるなよ? 周りでぎゃあすか騒がれると酒が不味くなる」
そうしてドンダ=ルウは、その場からさっさと立ち去ってしまった。
「何だ、愛想のないやつだな。これだから18にもなって嫁取りのあてもないのだろう」
「……いえ。きっとわたしが何か無作法な真似をしてしまったのでしょう。親筋であるルウの本家の跡取りたるドンダ=ルウには、もっと礼節をもって接するべきでした」
「んん? 無作法なのは、あちらのほう――」と言いかけて、ダン=ルティムはきょとんと目を丸くした。
ついさきほどまでにこにこと微笑んでいたミーア=レイが、子どもみたいにしょんぼりとうつむいてしまっていたのである。
「どうしたのだ? 腹が空いたのなら、この肉をやろう」
「あ、いえ、大丈夫です。……すみません。せっかくおふたりが楽しく語らっていたのに、わたしが水を差してしまいました」
「そんなことはない。ドンダ=ルウは元からああいうやつなのだ。……まあ、今日はとりわけ不機嫌そうな顔をしていたがな」
「それもきっと、わたしのせいなのでしょう。わたしはドンダ=ルウに嫌われてしまっているのです」
そう言って、ミーア=レイは指先でそっと目もとをぬぐった。
「すみません。かまど番の仕事が残っているので、失礼いたします」
「あ、おい、ちょっと……」
ミーア=レイの姿もまた、人垣の向こうに消えていく。
その可憐な後ろ姿が完全に見えなくなってから、ダン=ルティムは誰にともなく「そうかなあ?」と、つぶやいた。
◇
「俺が思うにな、ドンダ=ルウというのは存外に子どもじみたところが残っているのだ。狩人としての力は大したものであるし、いずれはルウの長の器たりうる男だとも思っているが、こと色事に関しては妙に頑ななところがあるであろう?」
「……はあ」
「頑なというか、うん、やっぱり子どもじみているのだな。女衆の前では口が重くなるし、態度もやたらとよそよそしくなる。俺などはもう長いつきあいだから気にもならぬが、あれでは女衆も怯えてしまうわ。怯えなかったとしても、自分が嫌われているなどと思いこんでしまうことは、大いにありうると俺には思える」
「……そうですか」
「で、なまじ美しい女衆であると、余計にドンダ=ルウも固くなってしまうのだから始末に負えない! これでは好いた相手ができても、永遠に嫁を迎えることなど不可能であろう! 由々しき事態だぞ、これは」
「はい……」
「それにな! 俺の見込みに間違いがなければ、ミーア=レイのほうもドンダ=ルウを好いている様子なのだ! あのように美しい女衆に好かれて邪険にするなど、狩人の風上にも置けん! レイ家の女衆であればルウ本家の嫁としても不足はないのだから、何もためらう必要はあるまい? ならばこそ――」
「いえ、あの、ダン=ルティム、ちょっといいですか?」
「うん? どうした?」
ようやくダン=ルティムの熱弁を止めることに成功できた少年は、申し訳なさそうに居住まいを正す。
「あなたのお考えはよくわかりましたが、どうして俺などにそのような話を聞かせるのでしょう? 俺には、それがわかりません」
「どうしても何も、お前さんだってドンダ=ルウの弟であろう? ルウの本家の人間として、長兄のこの体たらくを何と思っているのだ、リャダ=ルウよ?」
「だけど俺は、まだ11歳です。そのような話を聞かされても、何と答えればよいのかわからないのです」
兄と同じように黒褐色の髪をした切れ長の目の少年が、いささかならず困った様子で眉尻を下げる。
そこに、まだ10歳にもなっていないような小さな女の子がちょこちょこと駆け寄ってきた。
「リャダ=ルウ、さっきから何のお話をしているの?」
「ああ、タリ=ルウ。何でもないんだよ」
「そら見ろ! 次兄は15になったばかりの身で嫁を娶り、末弟のお前さんはその若さでしっかり未来の嫁を手懐けている。眷族を導くべき長の血筋であるならば、それぐらいの周到さは備え持っているべきなのだ!」
「やめてくださいよ、ダン=ルティム」
兄に似ず沈着そうな面立ちをした少年は、気恥ずかしそうに頬を染めた。
子ども用の宴装束を纏った少女は、何もわからぬまま、にこにこと笑っている。
「騒がしいねえ。何を騒いでいるんだい?」と、さらに壮年の女衆までもが近づいてくる。
恰幅のいい、褐色の髪をした四十路ぐらいの女衆だ。
「おお、ティト・ミン=ルウか。ちょうどいい。あなたの無作法な息子について語っていたところだぞ、俺は」
「それがどの息子のことかはわからないけど、今は2番目の息子をお祝いしてあげてくれないかねえ?」
ふくよかな面に満ち足りた微笑をひろげつつ、ティト・ミン=ルウは広場の中央へと目をやった。
ダン=ルティムが熱弁している間に、婚礼の宴も終焉を迎えつつあったのだ。
やぐらの上から下りてきた花婿と花嫁が、もうもうと湯気をあげるかまどの前に立つ。そこで待ちかまえていた最長老ジバ=ルウが、ふたりのかぶっていた草冠をうやうやしい手つきで外し、香草の煙で清めてから、花婿の冠を花嫁に、花嫁の冠を花婿へと交換させる。
そうして、祝いの肉をふたりが口に運ぶと、数十名の眷族が一斉に祝いの歓声をほとばしらせた。
「……我が息子とその嫁に幸いあれ」と、ティト・ミン=ルウも指先を組み合わせ、森に祈る。
「いやあ、めでたいな。……めでたいにはめでたいが、あの無作法な長兄も早くこの幸福を手に入れるべきとは思わないか、ティト・ミン=ルウ?」
ひとしきり花婿らを祝ってから、ダン=ルティムはまた性急に語り始めた。
ティト・ミン=ルウは、楽しそうに目を細めながら、うんうんとうなずき返す。
「……あんたがドンダの行く末を心配してくれるのはありがたいけどね、ダン=ルティム。嫁取りなんて、縁しだいさ。あたしだって、嫁に入ったのは20の頃で、ドンダを生んだのはその2年後ぐらいだったんだよ?」
「いや、しかし――」
「縁なんてのは、無理に結ぶもんじゃない。すべては森が導いてくれるのさ。……ほら、祝いの舞が始まるよ?」
宴も、いよいよ終焉に近づいている。
その終わりを飾るのは、未婚の女衆らによる、祝いの舞だった。
男衆や年配の女衆が、ギバの足の骨を振り上げて、打ち鳴らす。
何も持たない者たちは自分の足で地面をどん、どん、と踏み、そこに草笛の旋律が重なる。
それらの力強くもどこか物悲しい音色に合わせて――広場の中央に集まった宴装束の女衆らが、思い思いに踊り始めた。
ある者は優雅に腕をさしのべて、ある者は激しく身体をのけぞらし、歓喜の表情でステップを踏む。
玉虫色のヴェールに、銀色の腕飾り、それに褐色の肢体が、松明の火に照らされて、あやしくきらめく。
その中で――ひときわ激しく躍動する女衆の姿に、ダン=ルティムは目を奪われた。
「うわ……すごいな、あれは」
それは、ミーア=レイだった。
しなやかな腕が宙に伸び、足が、力強く虚空を蹴る。
赤褐色の長い髪が、玉虫色のヴェールとともに、軌跡を描く。
それはまるで、美しい娘の形をした炎そのもののように激しく、情熱的な舞だった。
「……そうだ! ドンダ=ルウ!」と、ダン=ルティムは我に返り、視線をミーア=レイからもぎ離す。
ドンダ=ルウは、また人間の輪を外れた薄暗がりから、女衆たちの舞う姿を眺めていた。
「馬鹿かあいつは! ミーア=レイが誰のために踊っていると思っているのだ?」
ダン=ルティムは褐色の髪を乱暴にかき回してから、人垣をかきわけてドンダ=ルウのもとへと急いだ。
「おい、無作法者! 女衆のせっかくの晴れ舞台なのだぞ? 見るならもっときちんと見ろ!」
ドンダ=ルウは、返事をしなかった。
ダン=ルティムはいっそう怒って、さらなる大声を張りあげようとしたが。ドンダ=ルウの青い瞳が、オレンジ色の炎を映していることに気づき、口をつぐんだ。
振り返ると、遠いには遠いが、見えないこともない。
というか、この距離でもミーア=レイの姿は十分に激しく、鮮烈で、美しかった。
「……まあいいか」と、ダン=ルティムは息をつく。
やがて、断末魔のように甲高い草笛の音色を合図にすべての音がやみ、それに代わって、歓声が夜闇を揺るがせた。
祝いの舞が終わり、すべての儀式が終わったのだ。
あとは、あびるほどに酒を飲んで、眠るばかりだ。
「うむ。素晴らしい祝宴だったな」
石像のように動かないドンダ=ルウの手から果実酒の土瓶を強奪して、ダン=ルティムがそれをあおる。
すると――広場のほうから、再びミーア=レイがやってきた。
「ドンダ=ルウ……」
ダン=ルティムのほうには目もくれず、ドンダ=ルウの正面に駆け寄る。
その小さな面はまだ上気しており、褐色の肌には汗が光っていた。
そして――
瞳が、熱っぽく潤んでいる。
「ドンダ=ルウ……あなたのために、踊りました」
「…………」
「あなたのためだけに、踊りました」
胸の前で指を組み合わせ、頭ひとつ分も大きい若者の顔を見上げやる。
瞳にたまったその涙は、やがて透明のしずくとなって、娘の頬にすうっと流れた。
「おい、無作法者でも返事ぐらいはするべきだろうが」
ダン=ルティムが、動かぬドンダ=ルウの足を蹴飛ばす。
そんな古馴染の存在にも気づいているのかいないのか。やがてドンダ=ルウは、普段通りの不機嫌そうな声で、ぼそりと言った。
「……俺も、お前だけを見ていた」
◇
「とまあ、そのような感じでな。その翌朝にはあの無作法者もレイ家に嫁取りの申し入れをして、翌年にはさっそく最初の子を授かることになったのだ」
そう言って、ダン=ルティムはガハハと豪快に笑った。
アイ=ファとともにその思い出話を拝聴する羽目になったアスタは、「それはそれは……」と、いくぶん辟易した様子でつぶやく。
「人に歴史あり、というやつですねえ。……ところで、どうしてこのような話になったのでしたっけ?」
「うむ? どうしてであったかな? ……まあ、時間つぶしの余興としては、まずまずの出来栄えであっただろう?」
「はあ。俺たちにはつぶすほど余分に時間の持ち合わせはなかったのですけれどもね」
家長会議を数日後に控えたとある日の夕暮れ前、場所はルウ本家のかまどの間の前である。
アスタは宿場町の商売を終えて帰ってきたところであり、そこに、ダン=ルティムがルウの集落を訪れてきたのだ。
「それじゃあ、俺たちは仕事を始めさせていただきますね?」
「なに!? それでは俺はどうしたらいいのだ? ドンダ=ルウが帰ってこなくては、何もすることがないのだぞ?」
「いや、だけど、仕込みの作業というのもなかなか時間がかかるものなのですよ。……ダン=ルティムは、家長会議の打ち合わせをするために来たのですよね? ちょっと時間が早すぎたのではないですか?」
「今日も早々に狩人としての仕事は果たしてしまったのでな! それに、アスタたちとも久しく顔を合わせていなかったから、ちょうどいいと思ったのだ」
そう言って、ダン=ルティムは福々しい恵比寿顔に満面の笑みをたたえた。
まいったなあとばかりにアスタは小さく息をつく。
「とにかくな、ルウ家の今日があるのも、すべては俺の働きによるものだ、ということだ! あの夜に俺が尽力していなければドンダ=ルウとミーア・レイ=ルウが結ばれることはなく、7人の子どもが生まれることもなかったのだぞ? まったく人の縁というのはわからぬものだなあ!」
「……話を聞く限り、ダン=ルティムはひとりで騒ぎまくっていただけのように思えるのですけれども……」
「ん? 何か言ったかな、アスタよ?」
「いえ! さすがはダン=ルティムですね! ルウの眷族として素晴らしい働きをなさったのだなと感服しております!」
「そうだろうそうだろう。しかし、やはり血筋というものはあるのだな。7人もの子がいて、その内の5人はもう15を越えているというのに、伴侶を授かったのが長兄だけとはどういうことなのだ! そのようなところは無作法な父に似る必要もなかろうに」
「……誰が無作法だと?」と、地鳴りのように重々しい声が響く。
アスタは真っ青になり、アイ=ファは目を細め、ダン=ルティムは「おお」と嬉しげな声をあげた。
「ようやく帰ったか! 待ちくたびれたぞ、ドンダ=ルウよ! ふむ、なかなか立派なギバではないか」
「うるせえな。勝手に早く来て勝手な文句を抜かすんじゃねえ」
ルウ本家の家長とその息子たちが、2頭のギバを抱えてアスタたちのもとにやってくる。
「……で、無作法者ってのは誰のこった?」
「うん? それはだから――」
「あの! 俺たちは仕事がありますので! 本日もかまどの間を拝借します!」
アスタはアイ=ファの腕をひっつかみ、かまどの間へと逃げこんだ。
戸板をぴしゃりを叩き閉め、ふーっと大きく息をつく。
「悪気なんてかけらもないんだろうけど、あそこまで無邪気だと周りは大変だな。……どうやら幼馴染であるらしいドンダ=ルウはご愁傷様だ」
アイ=ファは答えず、無言のまま肩をすくめる。
その顔を、アスタは少し心配げにのぞきこんだ。
「ところで、体調は大丈夫なのか? そんな身体で、無理して手伝わなくてもいいんだぞ?」
アイ=ファは左腕を負傷しており、昨晩は発熱までしてしまったのだ。
家人の顔をにらみ返しつつ、アイ=ファは不満そうに唇をとがらせる。
「今日は1日眠っていたから、身体がなまってしかたないのだ。……このような怪我人に手伝いはつとまらぬというのならば、はっきりとそう言うがいい」
「そんなことは言ってないだろ。元気そうで安心したよ」
アスタは笑い、作業台に食材や調理器具を並べ始める。
「それにしても、ものすごい話を聞いちまったなあ。何だか両親の恋愛話を聞かされたような気まずさだ」
「気まずい? 何故だ?」
「えー? だって、ドンダ=ルウとミーア・レイ母さんだぞ? この後どんな顔をしてふたりに接すればいいのかもわからなくなっちまうよ」
「そうか」と、アイ=ファは少し目を伏せた。
「……私は、素敵な話だと思ったがな」