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異世界料理道  作者: EDA
第八十六章 安息の日々
1487/1686

祭祀堂の晩餐会①~来場~

2024.5/6 更新分 1/1

・今回は全8話の予定です。

・5/1にコミック版の第10巻が刊行されました。ご興味を持たれた御方はよろしくお願いいたします。

『麗風の会』から5日後――朱の月の3日である。

 その日、スン家の祭祀堂において、王族や貴族の面々をお招きする大がかりな晩餐会が開かれることに相成った。


 名目は、雨季の食材を使った料理と菓子のお披露目である。そもそもゲルドや南の王都の面々はそれらを味わうためにこそ、長々とジェノスに居残っていたのだ。ポワディーノ王子の来訪によって延期を余儀なくされていたその催しが、ついに実現するわけであった。


 ただそれは本来、城下町で開催される予定になっていた。よりにもよって雨季の只中に、森辺で晩餐会を開くいわれなどないのだ。

 では、どうしてスン家の祭祀堂を持ち出してまで、森辺にお招きすることになったのかというと――そこには思いも寄らない裏事情が隠されていたのだった。


「まあ、簡単に話をまとめますと……城下町では人の目が多すぎて、ダカルマスとポワディーノが遠慮なく言葉を交わすことも難しい、ということであるようですね」


 そんな風に説明してくれたのは、ガズラン=ルティムであった。『麗風の会』を終えた日の夕刻、ジェノス城からルウ家に使者が届けられるという話であったので、ガズラン=ルティムも立ちあったのだそうだ。そうして親切なガズラン=ルティムは翌日の朝、わざわざファの家にまで事情を伝えに出向いてくれたのだった。


「基本的に、南の王都の面々はシムに特別な賠償を求めないという方針でいます。ただ、それが本当に正しい判断であるのかを確かめるために、ポワディーノと膝を交えて語らいたい――という考えであるようです」


「なるほど。城下町では、それが難しいのですか?」


「ええ。もちろん領主たるマルスタインも事情をわきまえているのですから、その気になればあらゆる人間を遠ざけて密談に励むこともできるのでしょうが……そうして密談の場を作るというだけでも、ずいぶん体裁が悪いようですね。やはり王子の身であるポワディーノとダカルマスは、どのような場にあっても一挙手一投足が人の関心を集めてしまうようであるのです」


 それで、語らいの場として森辺の集落にお邪魔したい――という話であるようであった。


「ただもちろん、ダカルマスもポワディーノも純粋に森辺の集落に出向きたいという意欲をお持ちのようです。むしろ、そちらの気持ちのほうが先にあって、それならばいっそ語らいの場として活用させてもらってはどうかと思いたったような気配を感じました」


「あはは。それだったら、俺も心置きなくおもてなしできますけどね」


「ええ。何にせよ、彼らはアスタたちの料理や菓子のために出向いてくるのです。森辺の民がそれ以上の苦労を負う必要はないと、マルスタインからの使者もそのように語っていました」


 そんな一幕を経て、俺たちはこの日を迎えることになったわけであった。

 この日も最初から屋台の休業日であったため、何も面倒なことはない。もちろん雨季の食材を扱うのは1年ぶりであったので、事前準備にはそれなりの手間がかかったものの、『麗風の会』から5日もの猶予期間があればどうということもなかった。


「でもまさか、家長会議でもないのに祭祀堂を使うことになるとは思わなかったよ」


「うむ。しかし祭祀堂は、バランたちの尽力によって再建されたのだからな。あれほど立派な祭祀堂を年に一度しか使わないというのは、惜しい話であろう」


 その口ぶりからもわかる通り、アイ=ファもこのたびの一件に関しては大きな不満は抱いていなかった。今日はあくまで晩餐会なので着飾る必要もないし、森辺の集落に招くのであれば手間も少ないし――そして何より、アイ=ファもポワディーノ王子のすこやかな行く末というものを強く願っていたのだった。


 そうして俺とアイ=ファは、朝の早い時間からスンの集落を目指すことになった。

 今日もそれほど多くの人員は使わず、その代わりに時間をかけるのだ。城下町からやってくるのも厳選された顔ぶれであるので、普段の祝宴に比べればささやかな規模であった。


「でも、相手は王族ですものね! このように重大な日に役目を授かることができて、心から光栄に思います!」


 そんな熱情をあらわにしたのは、同じ荷車に揺られていたレイ=マトゥアであった。

 このたびは、族長筋ならぬ氏族からも大いに力を借りることになったのだ。俺が個人的に声をかけたのは、ユン=スドラ、レイ=マトゥア、マルフィラ=ナハム、フェイ・ベイム=ナハムというゴールデンメンバーであった。あとはダリ=サウティからの要請で、またサウティ分家の末妹も俺の班に組み込まれている。この近年では、俺にとってもっとも馴染みの深い顔ぶれであった。


 あとはルウとザザの血族から、それぞれ6名ずつが参じる。その18名がかまど番の総勢で、あとは同数の男衆も晩餐会の参席者として招かれていた。


「しかし、王族の者たちは人の目をはばかりたいという意味もあって出向いてくるのだろう? それなのに、俺たちなどを招くのは本末転倒なのではないだろうか?」


 そんな疑念を呈したのは、レイ=マトゥアのパートナーであるガズの長兄だ。彼は鴉の大群に襲撃された半月前の祝宴にも参席していたが、持ち前の穏やかな面持ちであった。


「森辺の民は、何人いてもかまわないという考えであられるようですよ。まあ、こっちのほうが遠慮をして、なるべく少ない人数でまとめましたけど……とにかく貴族や王族の方々は、それだけ森辺の民を信用してくださっているのでしょう」


「そうか。まあ、シムとジャガルの確執など、俺たちの知ったことではないからな。……っと、こんな物言いは、西方神の子として正しくないのだろうか?」


「うーん。深い部分での是非はともかくとして、たぶんダレイムや宿場町の人たちもおおよそはそういう心持ちなんじゃないでしょうかね」


「そうか。であれば、俺たちばかりが深刻ぶるいわれはないな」


 と、ガズの長兄はあっさり疑念を引っ込めた。

 ただ俺は、別なる考えも備え持っている。外部のもめごとに興味が薄いという点に関しては、森辺の民も町の人々も大きな変わりはないのだろうと思うが――それでも本日の会場に森辺の集落が選ばれたのは、森辺の民がそれだけの信頼を勝ち取った結果なのだろうと思うのだ。


(たぶん森辺の民は、ダカルマス殿下とポワディーノ王子の両方から見届け人に選ばれたっていうことなんだろうな)


 それぐらい、森辺の民というのは誠実にして清廉な存在であるのだ。

 ガズラン=ルティムに今日の話を聞いて以来、俺はずっと誇らしい気持ちを噛みしめていたのだった。


「それで次の5日後には、ついに送別の祝宴というわけだな。今日もその祝宴も、アスタたちの商売の休日を選んでいるのだろうが……こうまで日をかけていると、東の王都の使節団というものが到着してしまうのではないか?」


 と、次なる疑念を呈したのは、ユン=スドラのパートナーであるチム=スドラだ。彼よりも多くの判断材料を持っている俺は、「いや」と答えてみせた。


「『麗風の会』が開かれた日の時点で、東の王都の使節団はまだ編成の最中だったんだよ。だから、ジェノスに到着するのもまだまだ先ということだね」


「そうなのか? 鴉に襲われた祝宴からもう半月が過ぎるというのに、ずいぶんのんびりしているのだな」


「使節団を編成するには、色んな取り決めや話し合いが必要になるんだろうね。それで、ポワディーノ殿下に何か確認事項ができたりすると、往復で4日をかけて書簡をやりとりすることになるから、どうしても時間がかかっちゃうんじゃないのかな」


「そうか。やはり、ゲルドとは流儀が違っているということだな」


 そういえば、アルヴァッハとナナクエムは最初にジェノスに現れたとき、一刻も早く駆けつけねばならないという気概で、トトスにまたがって参上したのだ。それはきっと、ゲルドの民の剛毅な気性が反映しているのだろうと思われた。


 そうしてぽつぽつと語らっている間に、荷車はスンの集落に到着する。

 足取りがゆるやかになった荷車が完全に停止してから、俺たちは雨具をかぶって荷台を降りた。


 現在も、しとしとと小雨が降りそぼっている。

 そんな中、俺たちの眼前に巨大な祭祀堂が立ちはだかっていた。


 百名以上の人間を収容できる、立派な祭祀堂である。しかもそれは、ギバの毛皮で作られた天幕であるのだ。竪穴式であるので高さのほうはほどほどであるが、それでもこれだけ巨大な天幕のすべてがギバの毛皮で覆われているというのは、圧巻であった。


「これが祭祀堂か……やはり、大層な出来栄えだな」


 ガズの長兄は、感心しきった様子でそのようにつぶやいた。本家の長兄たる彼は、家長会議に参じた経験がないのだ。いっぽうその他の面々は、いずれも昨年の家長会議に招かれた身であった。


「ではまず、スンの家長に挨拶だな」


 ここまでの御者を受け持ってくれたアイ=ファが、颯爽とした足取りで歩を進める。そうして本家に向かってみると、そこにはちょっとひさびさの再会であるスン本家の家長が待ちかまえていた。とても温和で礼儀正しい、クルア=スンの父親にあたる人物だ。


「ああ、ひさしいな、アイ=ファにアスタよ。他の面々も、ご苦労であった」


 スンの家長も息災であったようで、そのやわらかな表情にも変わりはなかった。


「荷物を下ろしたならば、また荷車を外に出してもらえようか? 手間をかけさせるが、城下町の人間――メルフリードから、そのように指示を受けているのだ」


「うむ。すでに何台かの荷車が、表にとめられていたな。城下町の車は目につかなかったが、メルフリードももう参じているのであろうか?」


「いや。何日か前に、兵士を引き連れてやってきたのだ。警護の人間をどのように配置するか、事前に確認が必要なのだという話であったな」


 言うまでもなく、本日は山のように警護の人間が準備されるのである。噂では、ポワディーノ王子を守る『王子の盾(ゼル=バムレ)』は総員の50名が駆けつけるのだという話であった。


「まさかスンの集落に、王族などというものを招くことになろうとはな。世の中、何が起きるかわからないものだ」


「うむ。心中、察するぞ」


「ふふ。ファの家などは、もうたびたび貴族や王族を招いているという話だったな。俺ばかりが泣き言をこぼすわけにもいくまい。……では、かまど小屋に案内しよう」


 家長みずからの案内で、俺たちは母屋の裏手に回り込んだ。

 そちらでは、すでにたくさんの人々が集っている。別の荷車で到着したマルフィラ=ナハムとフェイ・ベイム=ナハムとサウティ分家の末妹、それにクルア=スンやスン家の女衆であった。


「アイ=ファにアスタ、おひさしぶりです。息災なようで、何よりです」


 家長の伴侶にしてクルア=スンの母親たる女衆が深々と頭を下げると、アイ=ファは鷹揚に「うむ」と応じた。


「クルア=スンから、スンの者たちも息災に過ごしていると聞いている。今日はそちらもずいぶんな面倒を負ってしまったが、なんとか力を尽くしてもらいたい」


「いえいえ。わたしたちなどは、アスタの足を引っ張らないように励むばかりです」


 そちらの女衆はひどく丁寧な物腰であったが、ただその表情は明るかった。すべての罪が明るみにされた家長会議から、間もなく3年が経とうとしているのだ。初めての再会を果たした折には多くの人間が感涙していたものだが、今では彼女たちも森辺の民らしい強さと明るさをすっかり取り戻していた。


 ちなみに彼女たちにも、晩餐会の準備を手伝ってもらう手はずになっている。それと同時に、彼女たちが口にする晩餐も一緒に作りあげるのだ。晩餐会に参席するのは、集落の主人であるスンの家長とその付添人に選ばれたクルア=スンのみであった。


「今日はよろしくお願いします。それじゃあ、荷下ろしをさせていただきますね」


 本日使用する食材と調理器具は、すべてファおよびルウからの持ち込みだ。その荷下ろしに励んでいると、広場のほうから新たな一団がやってきた。ルウの血族の精鋭部隊である。


「みなさん、お疲れ様です。今日はよろしくお願いいたします」


 その取り仕切り役であるレイナ=ルウが、きりりと引き締まった面持ちで一礼してくる。そちらは2台の荷車で、かまど番はララ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、ヤミル=レイ、ルティム分家の女衆、付添人はジザ=ルウ、ルド=ルウ、シン・ルウ=シン、ジーダ、ラウ=レイ、ガズラン=ルティムという顔ぶれであった。


「ルウの血族には、分家のかまど小屋を使っていただく。誰か、案内を」


 家長の言葉に従って、女衆のひとりが進み出る。リミ=ルウは「ちぇーっ」と言いながらアイ=ファにぎゅっと抱きつき、名残惜しそうな面持ちで立ち去っていった。


「ザザの血族はすでに集っているので、これで全員そろったようだ。それらの男衆は祭祀堂で語らっているはずだが、アイ=ファは何とする?」


「うむ。特別に用事がなければ、私はこちらに控えていようかと思う」


「そうか。俺は案内を終えたらそちらの語らいに加わるので、何かあったらいつでも声をかけてもらいたい」


 ということで、アイ=ファは荷車を広場の外に出して、ギルルを預かってもらったのち、すみやかにかまど小屋へと舞い戻ってきた。


「ポワディーノたちは、中天を目処にやってくるという話であったな。その食事も、こちらで準備するという話であったか?」


「うん。簡単な軽食だけどな。俺もきちんと挨拶をしておきたかったし、ちょうどよかったよ」


 ポワディーノ王子たちは森辺の集落の見物という名目で早い時間からやってくる手はずになっていたが、主眼はあくまで人目を忍んでの交流である。少なくとも、立場のある面々は日が高い内から祭祀堂にこもるのだろうと思われた。


「それじゃあ昼の軽食と同時進行で、晩餐の下ごしらえも進めていきましょう。みなさん、よろしくお願いします」


 かくして、本日の仕事が開始された。

 俺の班は6名で、スン家の手伝いはクルア=スンとその母親を含めた4名だ。ルウとザザの血族が借り受けたかまど小屋でも、それぞれ同程度の手伝いの人間が参じているはずであった。


「スン家にこれほどの客人を迎えるのは、家長会議以来のことです。まあ、家長会議ほどの人数ではないのでしょうけれど……何にせよ、身の引き締まる思いです」


「ええ。わたしたちが手掛けた料理をシムやジャガルの王族などというものが口にするだなんて、何だか想像がつきませんね」


 スン家の女衆は、そんな風に語らっていた。まあ、城下町の仕事を手伝った経験があるのはクルア=スンぐらいであるので、それが当然の反応であろう。


「先日は祭祀堂のほうでも、大層な騒ぎであったのですよ。やはり祭祀堂は屋根も張っていなかったので、すっかり水びたしで……穴に溜まった水を抜いたのちには、びっしりと板が敷き詰められたのです。それで今日には、その上から敷物を敷きつめるのだという話でしたよ」


「へえ。みなさんも、それを手伝ったのですか?」


「いえ。ジェノスの兵士であるという方々が作業しておられました。決して不備があってはならないので、人足というものを雇うこともできなかったそうです」


 やはり本日の晩餐会のために、多大な苦労がかけられていたのだ。そうまでして、ダカルマス殿下やポワディーノ王子は森辺を訪れたいと願っているということであった。


「わたしたちも、それらの方々に挨拶をしなければならないのでしょうか? どうにも、気が引けてしまうのですが……」


「あはは。いちおう顔ぐらいは見せるべきかもしれませんけど、名乗りをあげるようなことにはならないと思いますよ。何にせよ、王族の方々もみんな公正なお人柄なので、心配はご無用です」


 そんな風に語らいながら、俺たちは下準備を進めていった。

 そうして作業を進めていくと、すぐに常と変わらない熱気がたちこめていく。スンの人々と調理に取り組むのは実にひさびさのことであったが、ひとたび仕事に集中すればファやルウの作業場と変わるところのない頼もしさであった。


 やがて中天が近づくと、鋭敏なるアイ=ファがぴくりと反応して「来たな」とつぶやく。城下町の面々が到着したのだ。

 それからすぐに、表のほうが騒がしくなっていく。きっとメルフリードらの指示で、警護の人間が配置されているのだろう。スン家の面々はいくぶん緊張気味の顔になっていたが、黙したまま作業を進めていた。


「失礼します。軽食の準備ができましたら、いったんすべての方々が祭祀堂に集まっていただけますか?」


 そのように告げてきたのは、ガズラン=ルティムである。

 ちょうど軽食も仕上がったところであったので、俺たちは雨で濡らしてしまわないように気をつけながら運搬する。別のかまど小屋からも同じ作業に取り組む面々の姿がうかがえた。


 予想通り、巨大な祭祀堂は3種の武官にびっしり取り囲まれている。

 甲冑の上から生成りの革の外套を纏った西の武官、同じく淡い黄色に染められた外套を纏った南の武官、そして藍色のフードつきマントを纏った『王子の盾(ゼル=バムレ)』たちだ。彼らはその雨具の色合いで、所属を見分けることができた。


 そんな3種の武官は、祭祀堂の周囲だけで百名にも及ぼうかという人数である。さらには集落そのものを囲む格好でもかなりの人数が配置されており、警備の厳重さを如実に示していた。


「失礼します。かまど番に、昼の食事を準備していただきました」


 先頭に立っていたガズラン=ルティムがそのように告げると、祭祀堂を囲んでいた隊列が割れて道ができる。そして、ジェノスの武官が入り口の帳を開いてくれた。


 帳の向こう側は、1メートルぐらい低くなっている。そして帳をくぐってすぐの場所には簡素な敷物が敷かれており、そこにいくつもの履物が置かれていた。その先には立派な敷物が敷き詰められているので、ここで履物をぬぐのだ。ただし、そこに置かれているのはおおよそ森辺の民が着用する革のサンダルであったので、貴き立場にある面々は履物を室内に持ち込んでいるのだと察せられた。


「ご苦労であったな。荷物は預かるので、足を清めるがいい」


 と、チム=スドラやモラ=ナハム、それにラヴィッツやガズの長兄たちが近づいてくる。森辺の民の簡素なサンダルでは足も泥まみれであるので、雨季では常に足を清めてから室内にあがるのだ。そのための水瓶や手ぬぐいも、きちんと準備されていた。


 チム=スドラたちに荷物を預けた俺たちは、足を清めてから祭祀堂に踏み入っていく。

 いつも薄暗い祭祀堂が、本日は晴天の日中のように明るかった。城下町からの客人たちが、硝子の囲いがされた灯籠を山ほど持ち込んでいたのだ。こんな明るさの中で祭祀堂を見回すのは、俺にとって初めてのことであった。


 およそ9ヶ月ぶりとなる、祭祀堂である。

 100名以上を収容できるその空間に、60名ほどの人間が群れ集っていた。


 城下町からの客人は、40名ほどだ。

 ジェノス侯爵家からは、マルスタイン、メルフリード、エウリフィア、オディフィア。ジェノスの外務官と、その補佐官であるポルアース、および伴侶のメリム。

 バナーム侯爵家からは、アラウト、サイ、カルス。

 ダーム公爵家からは、ティカトラス、デギオン、ヴィケッツォ。

 西の王都の外交官として、フェルメス、ジェムド、オーグ。


 南の王都の使節団からは、ダカルマス殿下、デルシェア姫、ロブロス、フォルタ、書記官。

 ゲルドの使節団からは、アルヴァッハ、ナナクエム、ピリヴィシュロ、副団長、プラティカ。

 東の王都からは、ポワディーノ王子と5名の臣下、および黒豹の『王子の牙(ゼル=ルァイ)』。


 それらの顔ぶれに、わずかな従者と武官が付き添っているのみである。ただしポワディーノ王子に関しては、5名と1頭の臣下がすべてであった。


 それに対して森辺の狩人は、アイ=ファを含めて19名。ザザの血族から参じたのは、ゲオル=ザザ、ディック=ドム、レム=ドム、ゼイ=ディン、リッドの長兄、ジーンの長兄という顔ぶれで、今はスンの家長も一緒に控えていた。


 そこに足を踏み入れたかまど番は、本日の仕事を受け持った18名と、スンの女衆が十数名だ。ザザの血族は、トゥール=ディン、スフィラ=ザザ、モルン・ルティム=ドム、リッド、ジーン、ドムの女衆という顔ぶれであった。


 城下町から参じた面々は、なかなかに厳めしい顔ぶれであろう。おおよそは騒乱の際の会合に参席していた人々であり、そこにジェノス侯爵家の家族やバナーム侯爵家の面々、それにプラティカやピリヴィシュロやデルシェア姫などが加えられた格好であった。


(まあ、今日も人目を忍んだ会合みたいなもんなんだから、それが当然なんだろうな)


 時節が雨季であるために、誰もが宮殿で見るより温かそうな格好だ。毛皮の天幕一枚で囲われた空間であるので、気温は外気とほとんど差がないのである。ポワディーノ王子は臣下と同じように織物のマントを羽織っており、本日も丸い帽子から面布を垂らしていた。


「足労であったな。今日の仕事を受け持ってくれた森辺の料理人の面々に、挨拶をさせてもらいたい」


 敷物であぐらをかいたマルスタインが、いつも通りの穏やかな面持ちでそのように告げてきた。

 円形の空間であるのでそれぞれの陣営が各所に輪を作っている格好であるが、やはり南と東の陣営の間に西の陣営が陣取っている配置だ。とりあえずかまど番の一行は、すべての人々を見渡せる端の位置で膝を折った。


「こちらの素性に関してはすでに通達されているであろうから、ここでは紹介を省略させていただく。ただ、誰もが森辺の料理を楽しみにしており、そして、皆々に感謝していると伝えさせていただこう」


 マルスタインのそんな言葉に、スンの面々が頭を下げた。

 作業の場では不安そうな顔も見せていたが、今ではみんな静謐な表情を保持している。どのような身分の相手に対しても怯まないというのが、森辺の民の本質であるのだ。自分たちの住み家にやってきた貴族や王族というのが如何なる存在であるのかと、誰もが静かに見定めようとしているようであった。


「では、かまど番たちの心尽くしを味わっていただこう。アスタ、レイナ=ルウ、トゥール=ディン、よろしく願いたい」


 ダリ=サウティの呼びかけに従って、俺たちは配膳を開始した。

 俺の班は汁物料理、レイナ=ルウの班は焼物料理、トゥール=ディンの班は焼きポイタンである。昼の軽食であるので、いずれも量はささやかなものだ。


「ほうほう! こちらは、フワノでありましょうかな? ポイタンでありましょうかな? 何にせよ、実に鮮やかな色合いでありますぞ!」


 と、ダカルマス殿下の元気な声が、祭祀堂にたちこめていた厳粛なる空気を粉々にした。不意をつかれたトゥール=ディンは「ひゃいっ!」と裏返った声をあげて、顔を赤くしてしまう。


「そ、そちらは焼きポイタンで、煮込んだトライプを練り合わせています。他の料理の邪魔をしないていどのささやかな細工ですが、お口に合えば幸いです」


「うむうむ! 我々も雨季の食材たるトライプの料理を何点か味わわさせていただきましたが、この鮮やかな色彩は実に食欲をそそりますな! 晩餐の場ではどのような菓子が供されるのか、ますます楽しみになってきましたぞ!」


 ダカルマス殿下の無邪気さが伝播して、祭祀堂の空気がどんどんゆるんでいく。もとより気を張る必要はないはずであるので、それは喜ばしい限りであった。


(きっとダカルマス殿下はややこしい話を抜きにしても、この日を楽しみにしてたんだろうしな)


 意外にダカルマス殿下は、森辺の集落にたった一度しか来訪していないのだ。ポワディーノ王子にとっては、これが初めての来訪であるし――それぞれ能動的かつ個性的な人柄を有した両王子も、自分たちの立場を考えて身をつつしんでいたのだろうと思われた。


(これは予定外の来訪だったんでしょうけど、せっかくですから思うぞんぶん楽しんでいってくださいね)


 そんな思いを胸に抱きながら、俺は心尽くしの汁物料理を配膳することに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 王子の牙ゼル=ルァイは、ギバの生鮮肉やモツ、またはそれらの焼いただけのものとかは食したりはしないもんかなw
[良い点] 遂にオディフィアたちも森辺に来れましたね。すでにその微笑ましさ想像できます。 [気になる点] ジェノスは王家ではないので色がなく、南と東はそれぞれ黄色と青色が象徴色でしょうか。確か北は紫色…
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