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異世界料理道  作者: EDA
第八十六章 安息の日々
1482/1686

麗風の会①~下準備~

2024.4/16 更新分 1/1

 明けて翌日――赤の月の27日である。

 俺たちは、ほとんど朝一番で城下町を目指すことになった。


 今日は祝宴のごとき規模で開かれる茶会、『麗風の会』の開催日だ。昨年末の紫の月に初めて実施された『麗風の会』も、ついに第3回である。第2回は先月の話であったので、そういう意味では想定よりも早い開催であった。


「まあ、ダカルマス殿下たちにおねだりされちゃったら、しかたないよね。立場ある方々はまだ騒乱の後始末で大変みたいだから、少しでも楽しい気分になってもらえるように頑張ろう」


 俺がそのように伝えると、トゥール=ディンは穏やかに微笑みながら「はい」とうなずいた。トゥール=ディンとしては、オディフィアやピリヴィシュロに菓子を振る舞えるのが何より嬉しいのだろう。俺とてそちらの両名とはひとかたならぬご縁を結んでいるつもりであるので、嬉しい気持ちに変わりはなかった。


 今日のかまど番は族長筋を主体にした混成部隊で、俺、トゥール=ディン、スフィラ=ザザ、リッドの女衆、リミ=ルウ、ララ=ルウ、ヤミル=レイという顔ぶれになる。どうせ遠からぬ内に盛大なる送別の祝宴が開催されるのだろうから、ユン=スドラたちにはそのときに手腕を振るってもらうつもりでいた。


 護衛役の狩人はそのまま会場の付添人となるので、アイ=ファ、ゼイ=ディン、ゲオル=ザザ、レム=ドム、ルド=ルウ、ガズラン=ルティム、ラウ=レイという顔ぶれになる。またもやガズラン=ルティムが組み込まれているのは、東や南の立場ある面々が集結するためであった。


「だったら俺じゃなくってジザ兄が選ばれそうなもんだけど、ま、ガズラン=ルティムがいりゃあ十分って判断なんだろうなー」


 ルド=ルウはまんざらでもなさそうな顔で、そんな風に言っていた。

 まあ、東の王家にまつわる騒乱は終息したわけであるし、ポワディーノ王子と深いご縁を結んだのはガズラン=ルティムであったので、それが決め手となったのだろう。そしてやっぱり、いずれやってくる送別の祝宴が視野に入れられているのかもしれなかった。


 ともあれ、本日はその14名で城下町に向かうことになったわけであるが――なんとこのたびも、ジルベとサチが招待されていた。理由は、昨晩の晩餐会と同様である。人ならぬ存在を祝宴に招くという行いが貴族の心をくすぐるのか、ジルベはすっかり引っ張りだこであった。


 その付添人たるサチはいいかげん飽き飽きしている様子であるが、ジルベはきらきらと瞳を輝かせている。もとよりジルベは、外に連れ出されるだけでも嬉しいのだろう。あとに残されるブレイブたちもどこか楽しげにジルベの出立を見守っており、ただひとり白猫のラピだけがちょっぴり寂しそうな面持ちであった。


 そうしてルウの集落で落ち合った俺たちは、3台の荷車で城下町を目指す。今日も雨季らしい天候であったが、昨日と同様に誰もが明るい表情をしていた。


「宿場町でも、南と東の民の対立というものはすっかり解消されたようですね。おかしな騒ぎに発展しないで、何よりの話でした」


 同じ荷車に乗り込んだガズラン=ルティムは、そんな風に言っていた。おそらくは、屋台の商売に参加しているツヴァイ=ルティムや分家の女衆からそういった話を聞く機会があったのだろう。


「ええ。事件が完全に解決したという布告が回されるまでは、まだちょっと不穏な雰囲気が残されてたんですよね。俺たちの屋台でも、南と東のお客さんで席を分けるようにしていましたし……でも、賊たちの本当の目的が明かされたことで、南の人たちの心持ちが変化したみたいです」


「賊たちの本当の目的? それは、どういった部分の話でしょうか?」


「えーとですね。まず賊たちは、ポワディーノ殿下にあらぬ罪をかぶせようとしていたでしょう? 真の狙いは、ポワディーノ殿下の口から第二王子の悪い風聞を流させることだったわけですけど……その前段階として、ポワディーノ殿下に冤罪を背負わせる必要があったわけですよね」


 そこで賊どもが描いたのは、ポワディーノ王子の配下がうっかりダカルマス殿下の配下を害するという筋書きであった。東の王子が西の地で南の王子に悪さを仕掛けるというのは、国際問題にまで発展する大事件であったためである。


「それで、ジェノスで商売をしている南と東の方々が騒ぎを起こせば、ますますポワディーノ殿下の立場が悪くなるという構図だったわけで……それじゃあ自分たちは賊どもの思惑通りに騒いでいたのかと、南の方々はたいそう腹を立てていたようです」


「なるほど。ですが、それで東の民に対する悪い感情というものが払拭されるのでしょうか?」


「結果的に、そうなったみたいです。そんな賊どもの思惑通りに動いていたのが悔しくてしかたないといったご様子でしたね」


 そのように説明しながら、俺はガズラン=ルティムに笑いかけた。


「まあ要約すると、悪いのは全部こんな騒ぎを起こした第五王子とその配下たちで、目の前にいるジギの行商人には何の責任もないってことが実感できたんじゃないでしょうか? 怒りの矛先が、正しい方向に向けられたのだと思いますよ」


「なるほど。でしたら、それは……森辺の民でもありえそうな心理なのかもしれませんね」


「ええ。そういう真っ直ぐな部分は、森辺の民も南の民も共通しているのでしょうしね」


 俺の言葉に、ガズラン=ルティムも満足げに微笑んだ。

 そうして和やかな空気に包まれたまま、荷車は宿場町に到着する。《ランドルの長耳亭》の主人であるランディおよび助手の3名も、ここで合流する手はずになっていた。


「どうもどうも。ついにこの日が来てしまいましたな。このような大役を任されて、恐れ多い限りです」


 そんな風に言いながら、ランディはいつもの調子でにこにこと笑っていた。小柄でいかにも温和そうな人物であるが、貴族や王族が相手でもさして怯んだりはしない豪胆さも持ち合わせているのだ。ひとりの男性に2名の女性という構成である助手たちは、緊張よりも昂揚がまさっている様子であった。


 今回の『麗風の会』が企画されるきっかけとなったのは、ランディである。彼が大試食会でお披露目した菓子が大好評で、なおかつ俺が知るフォンデュの形式とよく似通っていたため、それならばランディと森辺のかまど番が手を携えてさらに立派な菓子を作りあげてくれないか――と、そんな依頼を持ちかけられることになったのだ。


 そんなランディたちを荷車に迎えたならば、あらためて本日の会場を目指す。本日の会場は、10日前に騒乱の舞台となった紅鳥宮だ。本日も参席者は150名という人数にのぼるので、白鳥宮では手狭なのだろうと思われた。


「この立派な宮殿が、鴉の大群に襲われたわけですか……まったく想像がつきませんなぁ」


 やがて紅鳥宮に到着すると、ランディはしみじみそう言った。

 事件の当事者である俺も、実のところは同じような心境である。あれは本当に現実の出来事であったのかと、そんな感慨に見舞われるほどであった。


(でも、あれが現実だったからこそ、俺たちは平和な日々を取り戻せたんだもんな)


 そんな思いを胸に、俺は紅鳥宮に乗り込むことになった。

 まずはお馴染みの、浴堂である。ジルベとサチの面倒はアイ=ファが受け持ってくれたので、俺は6名の男衆とランディおよび助手の若者とともに身を清めた。


 ランディは半月ほど前に行われた大試食会においても森辺から人員を借りていたので、そのときにも護衛役たる狩人たちとともに身を清めることになったのだろう。森辺の狩人の素晴らしく発達した裸身に恐れ入った様子もなく、鼻歌まじりに垢すりに励んでいる。


 しかしそれは、ランディの豪胆さのあらわれであったのかもしれない。助手の若者も前回と同じ顔ぶれであったが、こちらは心から感服しきっている様子でちらちらとガズラン=ルティムたちの裸身を盗み見ていた。そして最終的には、俺にまで同じような眼差しを向けてきたのだった。


「アスタは優しげな顔立ちをしていますが、やはり森辺の民なのですね。実にご立派なお身体です」


「ええ? 俺なんて、ただのかまど番に過ぎませんよ。狩人の方々とは比較にならないでしょう?」


「それはそうかもしれませんが、わたしなんかよりはよほど狩人の方々に近しいように思います」


 そのように言われても、俺は小首を傾げるばかりであった。確かに間もなく20歳となる俺は、以前よりも骨格がしっかりしてきたようだという自覚を持っていたが、しかし森辺の狩人とは比べるべくもない。規則正しい生活のおかげで健康そのものの体躯であったが、どちらかといえば細身の部類のつもりであった。


(何か、雰囲気とかそういうものも関係してるのかな。だったら、嬉しい話だけど)


 そうして身を清めたならば、調理を受け持つ3名だけが白い調理着にお召し替えだ。狩人の面々は調理の後、一緒に着替える手はずであった。

 さして待つこともなく、女性陣もわらわらとやってくる。そちらもアイ=ファだけが森辺の雨季の装束で、あとのメンバーは調理着だ。そして、ジルベとサチは黒い毛並みがつやつやと照り輝いていた。


「サチは水浴びばかりでなく、この浴堂というものも好かんらしい。目を離すと逃げようとするので、難渋したぞ」


 アイ=ファが苦笑まじりにそう言うと、サチはすました顔でそっぽを向いた。まあ、水浴びを嫌うのは猫としての習性か何かなのだろう。いっぽうジルベはたてがみをしっとりとさせながら、ご満悦の面持ちであった。


「では、厨にご案内いたします」


 と、案内役を担ってくれたのは、本日もダレイム伯爵家の侍女シェイラである。アイ=ファがお召し替えをする機会には、毎度のように彼女が参じている印象であった。


「それじゃあ、各自頑張りましょう」


 と、ここで二手に分かれることになった。ランディたちを含めると11名という人数であったので、ふたつの厨を広々と使わせていただこうという話になったのだ。なおかつ本日は3種のフォンデュを作りあげる手はずであったので、俺とルウの血族を合わせた4名で1種を受け持つことになっていた。


「今日は少数精鋭だね。どうぞよろしくお願いします」


「はーい!」と元気に応じてくれたのはリミ=ルウで、ララ=ルウもご機嫌の面持ちである。ただひとりヤミル=レイだけがクールな面持ちなのも、いつも通りの光景であった。


 護衛役は、アイ=ファとルド=ルウが入室する。さらに、サチを背中に乗せたジルベも追従しているので、微笑ましい限りだ。そしてこの微笑ましさは、つい昨晩や3日前の叙勲の式典でも体験済みであった。


「まだあの忌まわしい騒ぎから10日目だというのに、慌ただしい限りよね。しかもあなたたちは、昨晩もダレイムまで出向いていたのでしょう?」


 下準備を進めながらヤミル=レイがそのように言いたてると、ララ=ルウが「うん」と応じた。


「ま、シムやジャガルのお人らはもうすぐ故郷に帰らないといけないんだから、しかたないんじゃない? 本当だったら、とっくに帰りの日取りを決めてる頃だろうしねー」


「それが長引いているということは、やっぱり東の王子ともめているのかしら?」


「もめてるっていうよりは、商売の話もからんでるんじゃない? 東の王都でも、あれこれ食材を買いつけようって話なんだからさ。……ま、くわしい話は今日の集まりでわかるでしょ」


「ふん。そんな話を気にかけているのは、あなたやルティムの家長ぐらいでしょうけれどね」


「あはは。だったらヤミル=レイは、どうしてそんな話をふってきたのさ? 今日も頼りにしてるから、よろしくねー」


 ララ=ルウとヤミル=レイは、ルウの血族が誇る外交役であるのだ。そして本日はスフィラ=ザザも参上しているため、頼もしい3名が勢ぞろいしているわけであった。


「今日も参席者の半分以上は貴婦人なんだろうからね。それでジザ=ルウも安心して、ララ=ルウたちに任せたんじゃないのかな」


「うん。さすがのジザ兄も、若い娘が相手だと話が続かないみたいだからねー。でもまあ、あたしも今日はできるだけシムやジャガルのお人らと語っておきたいかなー」


 3日前の叙勲の式典でもさんざん語っていたはずであるのに、まったく頼もしい限りである。これだから、ジザ=ルウも安心して狩人の仕事に励めるのだろうと思われた。


「そーいえば、今日はプラティカたちの姿が見えねーな。あいつらも、かまど仕事を受け持ってるんだっけ?」


 ルド=ルウの問いかけには、俺は「うん」と応じる。


「フォンデュばかりじゃ飽きちゃうだろうし、プラティカやデルシェア姫が腕を振るうにはうってつけの会だからね。今頃、別の厨で頑張ってるんじゃないかな」


「でも、どっちにせよ甘いもんばっかなんだよなー。ひと品ぐらい、ギバの料理を準備してくれねーもんかなー」


「それじゃーお茶会にならないじゃん! でも、アスタのしょっぱいおせんべーは、いっつも大人気だったよねー!」


 食材の取り分けに励みながら、リミ=ルウがそのように発言した。正確には、俺が塩気のある煎餅を供したのは最初の『麗風の会』のみで、前回はそれにならったトゥール=ディンの焼き菓子が好評を博したのだ。


「いちおう今日も、塩気のある菓子は準備するつもりだけどね。ルド=ルウだったら、きっと気に入るんじゃないかな」


「へーえ。ま、いざとなったらギバの干し肉でもかじるしかねーな」


 そんな言葉を交わしている間に、下準備は整った。

 いよいよ調理の開始である。すると、そのタイミングでリミ=ルウが調理着のポケットをまさぐった。


「うっかり忘れるとこだったー! ちょっぴり待っててねー!」


 いったい何事かと思ったら、リミ=ルウが取り出したのは革紐である。それでリミ=ルウは肩を越えるぐらいのびた赤茶けた髪を可愛らしいおさげに仕立てたのだった。


「へえ。リミ=ルウも、ついに髪を結うようになったんだね」


「うん! かまど仕事のときだけね! ずっと結ってると、髪がひっぱられて痛くなっちゃうから!」


 森辺の女衆は10歳になると、髪をのばし始めるのだ。間もなく11歳になるリミ=ルウも、10センチぐらいは髪がのびたようであった。


「家ではララみたいに頭のてっぺんで結ってみたんだけど、なんかぼわわーんってなっちゃったからこっちにしたの! おかしくないかなー?」


 と、リミ=ルウは笑顔でアイ=ファに向きなおる。足もとのジルベの頭を撫でていたアイ=ファは、とても優しい眼差しを浮かべつつ「うむ」とうなずいた。


「とても愛くるしいように思うぞ。さらに髪が長くなれば、いっそう似合うであろうな」


 自分で聞いておきながら、リミ=ルウは照れ臭そうに「えへへー」と頭をかいた。しかし確かに、愛くるしいのは事実である。リミ=ルウは髪がふわふわにカールしているので、同じおさげであるトゥール=ディンやマイムともまた異なる趣であった。一番近いのは傀儡使いのリコであるが、彼女よりもさらにボリューミーであるようだ。


(これでロングヘアーになったら、すごくゴージャスになりそうだな。大人になったら、お姉さんたちに負けないぐらい男子の胸を騒がせそうだ)


 俺はそのように考えたが、森辺の習わしに従って口をつぐんでおいた。10歳を過ぎたリミ=ルウは、もはや幼子ではなくれっきとした女衆という立場なのである。


「おーい! また腕やら耳やらがやってきたぞ!」


 と、厨の扉が荒っぽくノックされて、ラウ=レイの声が響きわたった。

 アイ=ファは凛々しい眼差しを取り戻して、扉を押し開ける。そこから現れたのはポワディーノ王子の臣下、『王子の腕(ゼル=セナ)』の三番と『王子の耳(ゼル=ツォン)』の七番であった。彼らは俺から調理の手ほどきを受けるという任務を負っているのである。


「どうも、お疲れ様です。ちょうどこれから調理を始めるところですよ。今日は『王子の腕(ゼル=セナ)』も見学ということでよろしいですか?」


「はい。すべてアスタの指示に従います」


 藍色のフードつきマントと面布で人相を隠したた両名は、ロボットのように規則正しい足取りで入室してきた。

王子の腕(ゼル=セナ)』の三番は女性で、『王子の耳(ゼル=ツォン)』の七番は男性である。前者が実際に調理を受け持ち、後者がこまごまとした部分を記憶するという役割であったが、本日は彼らの面倒を見ているゆとりもないので見学に徹してもらうことにした。


 叙勲の式典を終えて以来、彼らは毎日のように俺のもとを訪れている。屋台の商売の下ごしらえに、晩餐の準備、そして昨日は慰労の晩餐会の準備と、すべての現場に立ちあっているのだ。さらに明日からは森辺の勉強会に加わることも、すでに決定されていた。


 彼らは武芸の素人であるし、なんの武具も携えていないため、アイ=ファやルド=ルウもむやみに気を張ったりはしない。それぞれ豪胆なる3名のかまど番も、それは同様だ。なおかつ現在ではポワディーノ王子の真情を疑う人間もいなかったので、プラティカやデルシェア姫が厨の見物をせがむのと同じような扱いになっていた。


「それじゃあ、調理を開始しましょう。よろしくお願いします」


 ということで、俺たちは調理を開始した。

 俺とヤミル=レイはチョコレートの作製、リミ=ルウとララ=ルウは具材の下準備だ。少数精鋭は少数精鋭で、とても作業がはかどるものであった。


 そうして調理に没頭していると、いよいよ楽しい気分になってくる。賊の襲撃を警戒しないで済むというのは、本当にありがたい話であるのだ。俺たちは苦難に満ちた日々を送ることで、平和な日常の大切さを再認識することがかなったのだった。


 俺はつい5日前まで、まだ護衛役に警護される立場であった。もちろん警護の規模はずいぶん縮小されていたものの、まだ万が一の状態に備える必要があったのだ。東の王都から返信が届き、フェルメスの推察が的中していたと確認が取れるまで、完全に警戒を解くことはかなわなかったのである。


 よって、ルウの集落からファの家に帰還したのも、その翌日の夜からとなる。けっきょくは、10日以上もルウの集落で過ごすことになったのだ。もちろんそれはそれで楽しい部分もあったのだが、自分たちの思惑とは関わりなく家を離れなければならないというのは、小さからぬ苦悩を生み出すものであった。


 そんな苦悩の日々を乗り越えて、俺たちはようやく平穏な日々を取り戻すことがかなったのだ。まあ、ファの家に戻って翌日には叙勲の式典で、その2日後にはダレイム伯爵邸における慰労の晩餐会、そして本日の『麗風の会』に至るわけであるから、慌ただしいことに変わりはないのだが――それでもやっぱり、心持ちは格段に違っていたのだった。


「毎日毎日、あんたたちもご苦労だなー。王子がこっちに顔を出したりはしねーのか?」


 ルド=ルウが気安く呼びかけると、『王子の腕(ゼル=セナ)』が「はい」と応じた。


「王子殿下は、ジェノス城にてゲルドやバナームの方々と語らっております」


「へー。こんな朝っぱらから、もう寄り集まってるのかよ。そっちはそっちでご苦労だなー」


王子の腕(ゼル=セナ)』は、無言のままに頭を垂れる。彼らは如何なる質問にも正直に答えるようにという命令を下されているが、個人としての見解を申し述べることは一切なかったのだった。


「そーいえば、王子を守った『王子の盾(ゼル=バムレ)』とかいうやつは、もう元気になったのかよ?」


「はい。『王子の盾(ゼル=バムレ)』の四番でしたら、今日からお役目に復帰しています」


「ふーん。ガーデルよりは、無事にすんだんだなー。あいつはまだ寝込んでるんだろ?」


「うん。ガーデルはもともと肩に傷を負ってるから、回復が遅いみたいだね。……ちょっと傷がよくなるたびに悪化して、気の毒な限りだよ」


 ガーデルのことを考えると、俺も気持ちが沈んでしまう。彼は今回の騒乱でもっともひどい深手を負った立場であったのだった。


「わりーけど、俺には自業自得だとしか思えねーなー。見張りの狩人が止めるのも聞かねーで、賊を追いかけちまったんだからよ。血の気の多いラウ=レイだって、そんな馬鹿な真似はしねーと思うぜー」


「しかし」と声をあげたのは、アイ=ファであった。


「ガーデルがそのような目にあったからこそ、我々はさらに警戒して……そしてティカトラスは、ジルベに甲冑を準備しようという考えに至ったのだ。ガーデルは確かに軽率であったが、功労者と呼んでいい一面もあるのだろうと思うぞ」


「そりゃまー確かにあいつのおかげで、賊の手口がわかったわけだけどよ。それでも、あいつをほめる気にはなれねーな。ギバ狩りだって勝手な真似をするやつがいたら、一緒にいる人間が危険な目にあったりするんだからよ」


「うむ……あやつはおそらく他者と手を携えることを苦手にしているために、自制がきかないのであろう。自らの行動が他者に与える影響というものを、まったく考えておらんのだ」


 そう言って、アイ=ファは切なげに溜息をついた。


「だから、私は……あやつに自分の姿を重ねてしまう部分があるのやもしれんな。私も父ギルを失ってからは、他者の心情を顧みるゆとりをなくしてしまっていたのだ」


「そんなことないよー!」と声を張り上げたのは、もちろんリミ=ルウである。


「アイ=ファはアスタと会うまで、ひとりぼっちでいようとしてたけどさ! でもそれは、スン家からみんなを守るためでしょ? ガーデルとは、ぜんぜん違うと思うなー!」


「ああ。手前を大切にしねーって部分は一緒なのかもしれねーけど、根本の部分が違ってるんだろーと思うぜ」


 そのように言いながら、ルド=ルウはにっと白い歯をこぼした。


「だいたいそんなのは、もう3年以上も前のこったろ? 今さらそんな話を蒸し返してまで、ガーデルを庇う必要はねーよ。俺だって、ほめる気はねーけど責める気だってねーからさ」


「うむ……ガーデルはアスタのために参じた身であったので、どうしても捨て置けぬ気持ちになってしまうのであろうな」


「もちろん俺も、同じ気持ちだよ。ガーデルが元気になったら、また祝宴や晩餐にお招きしてあげような」


 俺がそのように声をあげると、アイ=ファは穏やかな面持ちで「うむ」とうなずいた。

 そこで『王子の耳(ゼル=ツォン)』が「恐れながら」と発言する。王子の臣下が自分から口を開くというのは、きわめて珍しいことであった。


「ガーデルなる御仁には、王子殿下から見舞金が支給されました。すでにご存じやもしれませんが、念のためにお伝えさせていただきます」


「んー? なんかジザ兄も、そんなようなことを言ってた気がするなー。てか、ルウ家にもどっさり銅貨が届けられたんじゃなかったっけ?」


「うん。あの祝宴の参席者には、みんな見舞金が配布されたんだよ。何せ犯人は第五王子の配下だったわけだから、そこでも賠償する必要があったんだろうね」


 そして、賊の吹き矢で深手を負ったガーデルには、それ以上の見舞金が支払われたという話であったのだ。それは、1年ぐらいは遊んで暮らせるぐらいの額であるという話であった。


(もちろん見舞金をいただいたって、怪我の痛みがひくわけじゃないけど……少しでも、ガーデルの心が安らぐといいな)


 そんな風に考えながら、俺はアイ=ファのほうを振り返った。


「こっちの生活もようやく落ち着きそうだし、そのうち俺たちもガーデルのお見舞いをさせてもらおうよ。バージにも挨拶をしておきたいしさ」


「そうだな」と、アイ=ファは微笑むように目を細める。

 そうして俺は、あらためて調理に集中することになったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] カーデルも何らかの形で安息を取れたら幸いですね。 [気になる点] フォンドュは食べたことないですけど、どうやって新しさ出すのがお楽しみです。
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