表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第八十五章 藍の鷹の事変(後)
1480/1686

叙勲の式典

2024.4/4 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 騒擾に満ちみちた送別の祝宴から、7日後――赤の月の24日である。

 その日、城下町のジェノス城にて、叙勲の式典というものが執り行われることに相成った。


 騒乱の日から7日を経て、ようやくすべての問題は終息したと見なされたのだ。そして、その解決に貢献した功労者にジェノスとシムの双方から勲章が授けられるというわけであった。


 この日を迎えるのに7日もかかってしまったが、それでも可能な限りのスピード解決であったことだろう。ポワディーノ王子は祝宴の日の夕刻に伝書の鷹を飛ばし、それが2日前の夕刻に戻ってきたのだ。鷹の往復に4日がかかっていることを考えれば、間には1日しか存在しないわけであった。


「伝書の鷹が到着したのは19日の夕刻で、その日の内に第五王子と第二王妃を捕縛したのだそうだ。やはり第五王子は病魔など患っておらず、息災そのもので……500名から成る王都の兵団が屋敷に到着した際には、第二王妃が狂乱していたとのことである」


 昨日の昼下がりに行われた会談の場で、ポワディーノ王子はそのように語っていた。

 そうして翌日には審問が開かれて、すべての罪が明るみにされたのである。第五王子に告白の秘薬を使用すると告知された第二王妃がそれを肩代わりして、何もかもを白状することになったのだ。


「おおよそは、フェルメスらの推察の通りであった。第二王妃は第五王子を溺愛しており……何としてでも第五王子を玉座につけるために、すべての王子の排除を目論んだのだそうだ。我が子たる第四王子と第六王子に関しては、第五王子の戴冠ののちに恩赦を与える心づもりであったようだな」


 その根底には、第一王妃と第三王妃に対する深甚な嫉妬の念などがあったようであるが――そこまでの内情を、俺たちが知る必要はなかった。それはすべて、トトスの車でひと月もかかる東の果ての出来事であるのだ。


 ともあれ、騒乱は終息した。

 7日前の段階でおおよそ終息はしていたが、今度こそ事件の全容が明らかにされて、その内容もジェノス全土と近隣の領地に布告されたのである。これはシム王家にとってぬぐいがたい恥辱であるが、西の王国との健やかな関係性を守るためには隠し立てすることもままならないようであった。


 そうして本日は、叙勲の式典である。

 宴料理の準備および式典の参席者として招待された俺は、誇らしい気持ちで胸をいっぱいにしながら、その場の賑わいを見届けることになった。


 この式典では、数多くの人間に勲章が授与される。それだけたくさんの人間が、騒乱の終息のために尽力していたのだ。

 その中で、勲一等を授与されるのは4名であり――その内の2名までもが、俺の家族であったのだった。


「ジェノス侯爵マルスタインの名において、功労者に太陽神の勲章を授与する。……森辺の民、ファの家長アイ=ファ、前に」


 マルスタインの呼びかけに従ってアイ=ファが進み出ると、あちこちから黄色い声援がわきたった。これは厳粛なる式典であったが、アイ=ファの凛々しき姿に我慢が切れてしまったのだろう。アイ=ファは純白の武官の礼服を纏っていたのだった。


「アイ=ファはその武勇でもって、ポワディーノ殿下を始めとする数々の貴人の生命を救った。その功労に、最大の名誉たる太陽神の勲章を捧げる」


 事前に作法を習い覚えたアイ=ファは、よどみのない所作で膝を折る。その貴公子さながらの立ち居振る舞いに、また声援がわきたった。

 そんなアイ=ファに勲章を捧げるのは、オディフィアの役割だ。彼女も先日の祝宴ではたいそう怖い目にあってしまったが、そんな影を引きずっている様子はない。オディフィアはただ灰色の瞳を星のようにきらめかせながら、アイ=ファの胸もとに真紅の勲章を捧げた。


「アイ=ファがいなければ、我はあの場で魂を返し、悪辣なる第五王子が玉座に座っていたやもしれん。東の王国の行く末を守ったアイ=ファに、黒き鷹の勲章を捧げる」


王子の口(ゼル=トラレ)』の澄みわたった声音が響きわたり、『王子の腕(ゼル=セナ)』の手によって漆黒の勲章も捧げられる。さらにポワディーノ王子は、台座に準備されていた宝剣をつかみ取った。


「さらに我からは、こちらの刀剣も贈らせていただく。我の生命を救った渡来の宝剣には及ばぬやもしれぬが、シムの銀で作りあげた宝剣である。其方の武勇の証として、どうか受け取ってもらいたい」


 ポワディーノ王子が掲げたのは、刀身が15センチほどの半月刀だ。それがすべて純銀でこしらえられているのだとしたら、途方もない価値であるはずであった。

 アイ=ファは変わらぬ凛々しさで、その宝剣を両手で受け取る。そしてそれを腰の帯にさげてからこちらに向きなおると、何度目かの歓声がわきたった。


 ジェノス城の大広間には、200名からの参席者が集められているのだ。ジェノスの貴族に、南の王都の使節団、ゲルドの使節団、西の王都の貴族たち――そして、森辺の民である。俺の隣にいたリミ=ルウは、オディフィアに負けないぐらい瞳を輝かせながらアイ=ファの勇姿を見守っていた。


 アイ=ファは脇のほうに下がり、次なる授与の開始である。

 俺の胸は、まだまだ誇らしさに満ちていた。


「では、続いて……ファの家人ジルベよ、前に」


 ジルベは誰に誘導されるまでもなく、のしのしと進み出ていく。その勇壮にして愛くるしい姿に、これまでとは異なる歓声が響きわたった。


 ジルベもまた、2名の賊を捕らえたということで、勲章を授かることになったのだ。

 それを提案したのはフェルメスであり、強く賛同したのはポワディーノ王子であったという。それでマルスタインもジェノスの習わしなどは脇に置いて、人ならぬ身のジルベに勲章を授ける決断を下したわけであった。


 フェルメスいわく、ロルガムトと老人の片割れを生きたまま捕縛できたことが、何より最後の賊を追い詰めたのだろうという話であったのだ。最後の一手をさしたのはメルフリード率いる捜索部隊の面々であったが、そこまで盤面を進めたのはまぎれもなくジルベであろうという論調であったらしい。


 まあ、深い事情はどうでもかまわない。ジルベが大きな働きを為したことは事実であるし、その働きに見合った栄誉が与えられるというのなら、喜ばしい限りであった。


 ジルベは黒いたてがみともしゃもしゃの体毛を綺麗にくしけずられて、普段以上に立派な姿である。さらには背中に真っ赤なマントまで掛けられているものだから、この式典に相応しい勇姿であった。


 そんなジルベの首の下に、オディフィアの手から真紅の勲章が授けられる。

 そしてオディフィアがこらえかねた様子で頭を撫でると、ジルベは嬉しそうに「わふっ」という声をこぼした。


 続いて、『王子の腕(ゼル=セナ)』からは漆黒の勲章が捧げられる。そちらの勲章も銀色の縁取りがされていたので、たてがみの色合いにまぎれることはなかった。


「さらに我からは、こちらの品を贈らせていただく」


 ポワディーノ王子が銀色に照り輝く織物を取り上げて、『王子の腕(ゼル=セナ)』の手に託す。『王子の腕(ゼル=セナ)』はそれをジルベの大きな背中にふわりと羽織らせて、首の下にくぐらせた紐を留め具で固定した。

 そちらの織物は半透明であったため、真紅のマントの色合いもうっすらと透けている。いっそう豪奢な姿になったジルベはアイ=ファのかたわらに移動して、えっへんとばかりに身をのけぞらせた。


 アイ=ファはとても優しい眼差しで、ジルベの勇姿を見下ろしている。

 そして俺の右肩に乗った黒猫のサチも、じっとジルベの姿を見つめていた。ファの家の家人の代表として、サチがジルベの付添人に選ばれたのだ。サチも首もとにきらきらと照り輝く真っ赤なリボンをあしらわれており、城下町の祝宴に相応しい可愛らしさであった。


 そしてその後に名前を呼ばれたのは、ライエルファム=スドラとカミュア=ヨシュである。

 最後の賊を生かしたまま捕縛したということで、そちらの両名にも同じ勲章が授けられることになったのだ。ライエルファム=スドラは最後まで固辞したがっていたが、正しき儀礼は正しき国交に繋がると言い含められて、渋々この場に参じたのである。


 そんなライエルファム=スドラもカミュア=ヨシュも、純白の礼服だ。無精髭を生やしたカミュア=ヨシュと小猿のような容姿をしたライエルファム=スドラであるので、アイ=ファほどの凛々しさは望むべくもなかったが――しかし俺は、勲章を捧げられるライエルファム=スドラの姿に感無量であった。


 これまで若い人間に出番を譲っていたライエルファム=スドラが、初めて城下町の祝宴に招かれて――そして、このような栄誉を捧げられることになったのである。それは縁の下の力持ちであったライエルファム=スドラに、ついに陽の目があてられたような誇らしさであった。本日の参席を許されたユン=スドラも、目もとに涙をにじませながら家長の勇姿を見守っていた。


 そんなライエルファム=スドラとカミュア=ヨシュには、副賞として白銀の矢が贈られる。そちらも矢じりや羽根に宝石が埋め込まれており、アイ=ファが授かった宝剣に劣らぬ美しさであった。


 そしてその後にも、何名かの人間に勲二等が授けられる。

 賊の捜索部隊の陣頭指揮を執っていたメルフリードとデヴィアス、そしてティカトラスとヴィケッツォもそこに含まれていた。ティカトラスはジルベに革の甲冑を、アイ=ファに宝剣を準備した功績が認められて、ヴィケッツォは毒の義歯を排除してロルガムトの自害を防いだ功績が認められたとのことである。


 噂によると、賊への尋問で大きな功績をあげたフェルメスも本来はここに名を連ねていたようであるが――彼は、それを固辞したらしい。彼は外交官としての職務を果たしたのみであり、赴任先で勲章を授かるのは体面が悪いそうであるのだ。それで西の王の不興を買っては元も子もないので、マルスタインやポワディーノ王子もその申し出を了承したとのことであった。


 さらに、ルド=ルウやレム=ドムやディック=ドム、ジザ=ルウやガズラン=ルティム、サウティ分家の家長やザザ分家の長兄といった森辺の面々に、レイリスや複数の武官たちにも勲三等が授けられる。これもまた、鴉の撃退および捜索活動に寄与した顔ぶれである。俺の知らない場所でも、たくさんの人々が活躍していたということであった。


(レイリスなんかは何の武器も持ってなかったのに、さすがだな)


 そうして、叙勲の儀は無事に終わりを遂げた。

 ずらりと並んだ功労者たちに、あらためて拍手が捧げられる。もちろん俺も、精一杯の思いで手を打ち鳴らすことになった。


「ではこの後は、宴料理と美酒を楽しんでもらいたい。今日も多少ながら森辺の料理人の手腕を借りることができたので、不満の声をあげるものはなかろう」


 マルスタインからそのように告げられたので、俺はサチやリミ=ルウやユン=スドラとともにいそいそとアイ=ファたちのもとを目指した。


「家長、お疲れ様でした! 家人の代表として家長の勇姿を見届けられたことを、心から嬉しく思います!」


 まずはユン=スドラが昂揚しきった面持ちでそのように告げると、ライエルファム=スドラはますます渋い面持ちでざんばら髪をかき回した。


「俺はこのように不似合いな格好をさせられて、さらし者にされた気分だ。……しかし、ついにユンの晴れがましい姿を目にできたことは嬉しく思っているぞ」


「まあ。わたしなんて、ただの参席者にすぎません」


 と、ユン=スドラは恥ずかしそうにもじもじとする。もちろん祝宴の場であるから、ユン=スドラも立派な宴衣装の姿であったのだ。


「ルドもがんばったねー! えらいえらい!」


 リミ=ルウがぺちぺちと腕を叩くと、ルド=ルウは「へん」と鼻を鳴らした。


「俺はすぐさまアスタやララのところに駆けつけようとしてたのに、鴉どもが邪魔立てしやがったんだよ。そいつを始末したら、貴族どもが勝手に助かっただけのこった」


「そちらは立派な剣を持ち合わせていて、幸いだったわね。ディックなんて、両手でひとつずつ椅子を振り回していたのよ」


 アイ=ファと同じく武官の礼服を纏ったレム=ドムが、くすくすと笑い声をあげる。ドムの両名は血族たるトゥール=ディンやスフィラ=ザザのみならず、同じ場所にいたエウリフィアとオディフィアとピリヴィシュロをも守ることになったため、勲章が捧げられることになったのだ。後衛に回ったゲオル=ザザはその功から外れてしまったようだが、数多くの人々の活躍があってこそすべての人命が守られたのであろうと思われた。


「アイ=ファとジルベも、お疲れ様。俺も誇らしい気持ちでいっぱいだよ」


 俺がそのように告げると、ジルベはまた嬉しそうに「わふっ」と吠えた。

 そして、俺の肩から飛び降りたサチがたてがみの上に着地すると、ジルベはいっそう嬉しそうに黒い瞳を輝かせたのだった。


「森辺の勇士たちよ。あらためて、感謝の念を捧げさせてもらいたい」


 と、ポワディーノ王子の一団がこちらに近づいてきた。

 勲章の授与の間は身を離していた黒豹の『王子の牙(ゼル=ルァイ)』も同行している。それぞれ漆黒の毛並みをしたジルベと『王子の牙(ゼル=ルァイ)』はおたがいの姿を物珍しそうに見つめ合い、サチはすました調子で「なう」と声をあげた。


「そちらがファの家の黒猫サチであるか。『王子の眼(ゼル=カーン)』が見届けた通り、愛らしい姿であるな」


 そんな風に言ってから、ポワディーノ王子はわずかに身じろぎした。


「……そちらのサチも、雌であったな。異性たる猫の容姿を褒めそやすことも禁じられているのなら、陳謝しよう」


「あはは。森辺の習わしも人ならぬ家人には適用されませんので、ご安心を。……『王子の眼(ゼル=カーン)』も、ようやく動けるようになったのですね」


 俺がそのように声をかけると、『王子の眼(ゼル=カーン)』は無言のままに一礼した。鴉の毒にやられた彼はずっと寝込んでおり、昨日の会談の場にも姿を見せなかったのだ。


「『王子の盾(ゼル=バムレ)』の四番はまだ休ませているが、左の目は母のもとに残しているのでな。右の目たるこの者には、大いに働いてもらわなくてはならぬのだ」


 ポワディーノ王子が厳粛な声でそのように告げると、『王子の眼(ゼル=カーン)』はまた一礼する。

 傍からは、王子と臣下の堅苦しい関係にしか見えないことだろう。しかし、俺やアイ=ファやガズラン=ルティムは、ポワディーノ王子が傷ついた臣下たちのために怒り悲しんでいた姿を目にしている。『王子の眼(ゼル=カーン)』が復調したことを誰より喜んでいるのは、ポワディーノ王子であるはずであった。


「ふむ……それが噂に聞く、黒豹か。確かにサチとよく似た姿だな」


 ライエルファム=スドラのつぶやきに、サチは「なうう」と不平がましい声をあげる。しかしライエルファム=スドラは、妙にもの思わしげな眼差しで黒豹を見つめ続けた。


「それで……この黒豹は、『王子の牙』という意味でゼル=ルァイという名であるそうだな」


「うむ。それが如何したであろうか?」


「……俺の名ライエルファムには、『猛き猿の牙』という意味が込められているのだ」


 その言葉に、ポワディーノ王子がびっくりした様子で身をのけぞらせた。


「『猛き猿の牙』……ルァイ・エル・ファウムであろうか? であればそれは、東の言葉である」


「森辺に伝わる、古い言葉だ。……そして俺の子には、ホドゥレイルという名をつけた」


「フォドゥ・レイル……『折れない剣』であるか。こちらの臣下は、『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』の三番である。やはり森辺の民というのは、雲の民たるガゼの末裔であるのだな」


「それは、知らん。まあ、自分や子に似た名前がやたらと耳につくので、いささか落ち着かない心地であったのだ。他意はないので、聞き流してもらいたい」


「左様であるか」と、ポワディーノ王子は小さく息をついた。


「ともあれ、森辺の勇士たちの働きには、心から感謝している。森辺の民は勲章や褒賞にさしたる関心はないと聞き及んでいるので、重ねて感謝の言葉を捧げさせてもらいたく思う」


「感謝の言葉など、ひとたびで十分であろう。そもそも俺たちは、ジェノスのために働いたつもりであるからな」


 ディック=ドムの身も蓋もない物言いにも気分を害した様子はなく、ポワディーノ王子は「うむ」とうなずいた。


「それでジェノスに身を寄せていた我も、ともに救われることになったのだ。其方たちの働きなくして、今日という日はなかった。末子たる身で恐縮の限りだが、シムの王家の代表として感謝の言葉と敬意を捧げたい」


「騒乱が終息したのなら、何よりの話だ。東の王都においても、大罪人はすべて捕縛されたのであろう?」


「うむ。第五王子や第二王妃のみならず、あちらの屋敷には3名の賊がかくまわれていた。影の『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』たる、202番、203番、205番である。3名の仲間がすでに魂を返しているという201番の証言は、虚言であったわけであるな」


「ええ。そうして虚実を織り交ぜることで、賊は言葉に真実味を持たせていたのでしょう」


 ガズラン=ルティムの言葉に、ポワディーノ王子は「うむ」と強くうなずいた。


「ともあれ、第一王子や第三王子を手にかけたのはその賊どもであり、命令を下したのは第五王子と第二王妃である。その5名には、シムにおいてもっとも厳しい罰が下されることであろう。これにて、すべての陰謀は潰えたのだ」


「何よりの話です。……そうして王都でも賊を捕縛することがかなったため、こちらの賊は西に残されることになったわけですね」


「うむ。すべての賊を連れて帰っては、西の王国の面目が立たなかろうからな」


 ライエルファム=スドラたちの活躍で捕縛された最後の賊は、今でも獄舎に幽閉されている。その老人は水も食事もとろうとしなかったため、ポワディーノ王子の臣下が催眠の秘薬や滋養の秘薬でもって生命を繋いでいたのだ。


 そして、王都からの返書が届いた一昨日の夕刻。父たる王から執務官の代理人たる権限を与えられたポワディーノ王子は、賊の手の甲の紋章を無効化した。十字の刺青を刻むには特別な秘薬が必要になるので、簡易的に十字の焼き印が捺されたのだそうだ。

 もとより影の『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』とは非公式の存在であるのだが――その渦中に身に置く人間にとっては、儀式というものが重要であるのだろう。それで賊たる老人は第五王子の『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』である資格を失ったのだと思い知り、本来の心根を取り戻したわけであった。


 さらに第五王子と第二王妃の捕縛を知らされた老人は、絶望に打ちひしがれたのだという。そうして生ある内に少しでも罪を贖うべく、西の地で審問にかけられることを了承したのだった。


「かつては仲間の老人が芝居で演じていた姿になりおおせたわけだな。まさしく、その身に相応しい罰が下されたということであろう」


「うむ。あやつはジェノスでも数々の大罪を働いた。西の地の審問で正しく裁かれることを願う」


 そんな風に言ってから、ポワディーノ王子はいっそう背筋をのばした。


「そして、森辺の面々にも許しを願いたいのだが……ロルガムトと黒豹をシムに連れ帰ることを許してもらえようか?」


「うむ? そちらも西の審問で裁かれるという話ではなかったか?」


「左様である。しかし、ロルガムトは妹を人質に取られて悪行に加担させられたのみであるし、黒豹も悪い主人に使われたにすぎん。我は、恩赦を与えたいのだ」


「恩赦とは……罪を許すということであろうか?」


「うむ。もちろん、東の王都にて審問にかける。しかしあやつらは人を殺めたわけでもないので、死罪までは至らぬはずだ。我がうまく取りなせば、無罪を勝ち取ることもできよう」


 その言葉に、ディック=ドムは黒い瞳を重く輝かせた。


「それで……許したのちには、なんとするのだ?」


「ロルガムトには我の屋敷で働いてもらい、黒豹は飼育の施設に送りたく思う。あの黒豹も新たな主人に仕えることはできなかろうが、施設に送れば子を生すことがかなう。きっとその子が正しく働いて、父の罪を贖うことになろう」


「黒豹は、それでもかまわんだろう。しかし、ロルガムトという者は……そもそも生き永らえようという意志を携えているのであろうか?」


「だからこそ、新たな生を与えたいのだ。偽りの刻印を刻まれたロルガムトを『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』として迎えることはかなわぬが、屋敷の使用人であれば問題はない。我の母も、きっと力になってくれるはずだ」


 ポワディーノ王子は面布で顔を隠していたが、その声は真剣そのものであった。

 それに答えたのは、ガズラン=ルティムである。


「我々は、ポワディーノの行いに文句をつけられる立場ではありません。ですが……ロルガムトはアスタとジャガルの兵士を殺害するという目的で、ルウの集落に忍び込んだのです。ジルベたちの活躍によって、それは未然に防がれましたが……果たしてジャガルの面々は、ロルガムトに恩赦を与えることを許すでしょうか?」


「それは、これから交渉する。ダカルマスやロブロスであれば了承してくれるのではないかと、我は一縷の期待をかけている」


「そうですか」と、ガズラン=ルティムは優しく微笑んだ。


「であれば、我々が邪魔立てすることはありません。……と、私はそのように思うのですが、如何でしょう?」


「そんな話は、俺たちの知ったこっちゃねーだろ。親父たちだって、そう言うだろーぜ」


 そう言って、ルド=ルウは白い歯をこぼした。


「ま、そのロルガムトってやつのおかげで、残りの賊どもをとっつかまえることができたんだろーしな。いいことをしたやつは、いい目を見るべきだろーよ。あと、悪い目にあった人間は、なおさらいい目にあうべきだろーしな」


「うむ。失ってしまった妹を取り戻すことはかなわぬが、せめてその痛みをかなう限り癒やしてもらいたく願っている。……森辺の面々に反対されなかったことを、得難く思う」


 ポワディーノ王子は何のためらいもなく、頭を下げた。

 ディック=ドムやライエルファム=スドラも、その姿を静かに見守っている。きっと誰もが、俺と同じ思いを抱いているはずであった。


「じゃ、そろそろ何か食おーぜ。いい加減、腹が減っちまったよ」


「うむ……その前に、アスタとアイ=ファに告げておきたい話があるのだが……」


「えー? まだ何かあるのかよ? こんなぼけーっと突っ立ってるのは、俺たちだけだぜー?」


 ジェノス城の大広間は、もはや歓談の坩堝であったのだ。そして、森辺のかまど番とジェノス城の料理人が作りあげた宴料理が、それを華々しく彩っているようであった。


「よければ、私がアスタたちに付き添いましょう。ルド=ルウたちは、食事をどうぞ」


 ガズラン=ルティムのそんな言葉で、ルウやスドラやドムの面々は大広間の賑わいに向かっていった。リミ=ルウも「また後でねー!」とアイ=ファに手を振りつつ、兄を追いかけていく。


「それで、我々に何用であるのだ? よもや……アスタをシムに連れ帰りたいなどとは申すまいな?」


 アイ=ファが半眼になりながらそのように問い質すと、ポワディーノ王子は「うむ」と笑いを含んだ声をこぼした。


「今さらそのような妄言を吐くつもりはない。アスタはジェノスにいながらにして、シムの運命を大きく変転させたのだからな。これこそが、『星無き民』の力なのであろう。国をも動かすほどの大きな力を我ひとりの手に収めようなどというのは、許されざる行いであろうと思う」


「俺なんて、最初から最後まで何もしてませんよ。色んな人たちの尽力があって、今日という日を迎えられたのです」


「うむ。むやみに言葉を重ねてもアイ=ファの不興を買うばかりであろうから、我も口をつつしもうかと思う。ただ……一点だけ、願い出たい儀があるのだ。こちらの両名に、調理の手ほどきをしてもらえないであろうか?」


 ポワディーノ王子の言葉に、2名の臣下が進み出た。片方は男性、片方は女性のようである。


「こちらは『王子の腕(ゼル=セナ)』の三番と、『王子の耳(ゼル=ツォン)』の七番である。実際の調理は『王子の腕(ゼル=セナ)』が手掛けて、『王子の耳(ゼル=ツォン)』は習い覚えた知識をすべて記憶する。書面だけでは伝わらない細かな部分も、それで再現がかなうはずだ」


「調理の手ほどきか……であれば、それは我々ではなく族長らに進言するべきであろうな」


「うむ。しかしまずは、アスタたちの了承を得たいのだ。アスタたちの意に沿わぬのであれば……我も、無理を通したくはない」


 そうしてポワディーノ王子がもじもじすると、アイ=ファは苦笑をこらええているような面持ちで「そうか」と応じた。


「しかしそちらも、そうまで長々とジェノスに居残るわけではあるまい? ダカルマスたちとて、本来であれば帰りの期日を定めている時期であろうしな」


「うむ。しかし我は正式な使節団が到着する前に、かなう限り和睦の交渉を進めなければならん。このように勲章を授けるだけでは、決して贖いきれない騒乱であったからな」


 このたびの騒乱は、けっきょくシムの王族が首謀者であったのだ。第七王子たるポワディーノ王子を暗殺し、第二王子にその罪をかぶせるために、第五王子が暗躍した――そんな王家の争いを西の地に持ち込んだということで、シムは大きな責任を問われるわけであった。


 具体的には、シムからセルヴァに莫大な賠償金が支払われるらしい。ことはジャガルの王族まで絡んでいるので、やはりどうしようもなく大ごとであるのだ。

 そして、それをジェノスに持ち込んだのは、まぎれもなくポワディーノ王子である。その一点だけは、動かしようのない事実であった。


「しかし、あなたがジェノスにやってきて第五王子の陰謀を暴かなければ、第二王子もろとも破滅していたのだ。それを思えば、あなたも功労者のひとりであろう?」


「尽力したのはジェノスに集っていた面々であり、我は第五王子の手の平の上で右往左往していたのみである。よって我は、この罪を贖えるだけの功績を持ち帰らなければならないのだ」


「功績?」


「うむ。ジェノスとの交易と、そして……アスタの調理の手腕である。ジェノスから数多くの食材を買いつける通商を結び、それを美味なる料理に仕上げる手段をも持ち替えれば、ラオリムに大きな喜びをもたらすことがかなおう。そのためにも、アスタに調理の手ほどきを願いたいのである」


「それじゃあ、南の王都の食材も買いつけようというお考えなのですか?」


 俺の問いかけに、ポワディーノ王子は力強くうなずいた。


「これは実際にダカルマスやロブロスたちと顔をあわせた人間にしか果たせぬ所業であろう。そのために、我はすべての力を尽くす所存である」


「そうですか……それなら俺も、ポワディーノ殿下のお力になりたいと思います」


 俺は本心から、そのように告げることができた。

 俺もポワディーノ王子と同じように、今回の騒ぎでは右往左往するばかりであったが――騒ぎの後始末でお役に立てるのなら、願ってもない話である。そして、かまど番たる俺にとっては、それこそが本分であったのだった。


「我がこのような心境に至ったのは、ガズラン=ルティムのおかげである」


 ポワディーノ王子のそんな言葉に、ガズラン=ルティムはきょとんとした。


「それは、如何なるお話でしょう? 私など、なんの役目も果たしてはいないはずですが」


「否。あの騒乱の日、許されざる災厄に見舞われることで、ガズラン=ルティムは我の真情に触れることができたと申し述べていたが……それは、我も同様である。森辺の民がどれだけ清廉で、苛烈であるか、我はガズラン=ルティムの激情を目にすることで深く理解することがかなったのである」


 ポワディーノ王子はとても穏やかな声音で、そう言った。


「占星師のアリシュナはふたつの藍の鷹、我とガズラン=ルティムが相容れるか否かが重要であると申し述べていた。しかし、騒乱の終息に我々の関係性は関与していない。我々がどのような関係であろうとも、最後の賊はライエルファム=スドラたちによって捕縛され、騒乱は終息していたのであるからな」


「ええ。それはその通りだと思いますが……」


「よって、重要であるのは事後である。我はガズラン=ルティムのおかげで森辺の民を信頼し、こよなく愛することができた。そして、『星無き民』たるアスタが身を寄せるのは森辺の民こそが相応しいのだと判ずることがかなった。それで我も、アスタをシムに連れ帰りたいという妄執を完全に捨て去ることがかなったのだ」


 そう言って、ポワディーノ王子は俺のほうに向きなおってきた。


「アスタよ。どうか魂を返す日まで、森辺の民として正しく生きてほしい。きっとそれこそが、唯一の正しい道であるのだ」


「はい。もとより、そのつもりです」


 俺がそのように答えると、ポワディーノ王子は小さく身を揺すった。

 ポワディーノ王子も、笑っているのだろうか。それとも、黒い瞳を明るく輝かせているのみであろうか。

 しかし何にせよ、俺はポワディーノ王子と同じ思いを分かち合っているのだと信ずることができた。


「では、余計な手間を取らせてしまったな。我も大いに、外交に励むとしよう。アスタたちも、心置きなく祝宴を楽しんでほしい」


「はい。では、またのちほど」


 ポワディーノ王子はひとつうなずき、藍色の臣下たちとともに立ち去っていった。

 それをやわらかな眼差しで見送りつつ、アイ=ファは身を屈めてジルベの頭を撫でた。


「では、我々も腹を満たすとするか。……そういえば、ジルベとサチの食事はどうするのだ?」


「実はふたりには、特別に宴料理を準備したんだよ。できれば同じ喜びを分かち合いたいところだけど、人間用の食事だと味付けが濃すぎるし、苦手な香草も使われてるからな」


 俺がそのように答えると、「わふっ」と「なうう」という声が合唱された。

 あらためて、俺たちも大広間の賑わいに身を投じる。200名からの参席者たちは7日前の悪夢を打ち払いたいかのように、ひときわ盛大に祝宴を楽しんでいるようであった。


 そうして俺たちも、たくさんの人たちと同じ喜びを分かち合い――長きにわたってジェノスを脅かしてきた藍の鷹の騒乱は、ついに終息を迎えたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] まぁ、第2王子の話は群像劇で語られるだろうよ ともかくこれにて一件落着!
[気になる点] 結局は第2王子は無実だったって事でOK? [一言] 第2王子が全くの無実だったなら第2王子も第2王妃派閥を調べると思うんだよね。そこで戻ったポワディーノと協調して・・・って感じで、第2…
[良い点] 全部収まるところに収まり、いい感じの終わりを迎えることができたということですね。 またアスタと森辺の民の名が大きくなっていきますね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ