騒擾の祝宴③~交流~
2024.3/31 更新分 1/1
リフレイアやアラウトたちが退いたのちも、さまざまな人々がポワディーノ王子に挨拶をするためにやってきた。
やはり格式が重んじられているのか、序盤にやってきたのは伯爵家の面々だ。ルイドロスやリーハイム、パウドやアディスたちに対しても、ポワディーノ王子は時おり思わぬ見識を織り交ぜながら如才なく言葉を返していた。
その次にやってきたのは、西の王都の面々――ティカトラスの一派と外交官の一派である。昨日の会談で面識を得たティカトラスはひとしきり挨拶の言葉を並べたてたのち、すぐさまアイ=ファに向きなおった。
「やっぱりアイ=ファは、シムの宴衣装もまたとなく似合っているね! あとでヴィケッツォやヤミル=レイと並んだ姿を観賞させてくれたまえ!」
「ふむ。こちらの宴衣装を準備したのは、其方であるようだな。東の王都の様式がこうまで見事に再現されていることに、我もいくぶん驚かされていた」
「はい! わたしもいまだシムには足を踏み入れた経験がないのですが、服飾の文化にまつわる文献は数多く取り寄せておりますので! 可能であれば、シムの銀細工や織物などをもっと買いつけさせていただきたいところでありますな!」
「其方もダカルマスに劣らず、商魂たくましいようであるな。……この騒乱を終えたのちには、我も西との交流にさらなる力を入れたいと願っている」
そうしてしばらく騒いだのちにティカトラスが引っ込むと、次なるは外交官の一派だ。しかしこちらの3名も、すでに会談の場で面識を得ている立場であった。
「今のところ、賊の捜索活動に新たな動きはないようです。残る半日で確かな成果を望めるように、メルフリード殿たちが力を尽くしてくれることでしょう」
「うむ。我としても最後の賊が捕縛された上で、心置きなく出立できるように願っている」
フェルメスは優美に微笑みつつ、早々に身を起こす。そして立ち去り際に、ガズラン=ルティムへと視線を飛ばしていた。
両者の視線が一瞬だけ、虚空に交錯する。
ふたりはべつだん、何かを示し合わせているわけではないはずだが――それでもやっぱり、何か同じものを見通しているのだろう。フェルメスはどこか満足そうな面持ちで立ち去っていき、ガズラン=ルティムはちょっぴり憂いげに息をついていた。
その後にやってきたのは、ゲルドの一団である。
初の対面となるプラティカとピリヴィシュロは無表情を保ちつつ緊迫の気配を漂わせていたが、やはりポワディーノ王子のほうに変化はなかった。
「其方がゲルの藩主の料理番たるプラティカであるか。遠く故郷を離れて修練を積もうというその心意気は、見事である。我の屋敷の料理番にも、見習わせたいところであるな」
「はい。過分、お言葉、恐縮です」
「そして、ゲルの藩主の長姉の子息たる、ピリヴィシュロ……10歳にも満たない其方がジェノスにまで出向いているのは、驚嘆を禁じ得ない。しかし、齢の近い我々は、いずれともにシムを支える立場となろう。其方のように果敢な人間がゲルドに存在することを、得難く思う」
「は、はい。きょうえつ、いたりです」
ポワディーノ王子よりもさらに幼いピリヴィシュロは、表情を崩すまいと懸命に気を張っている様子である。そんなピリヴィシュロに対しても、ポワディーノ王子はきわめて鷹揚であった。
「其方はそちらのオディフィアとも懇意にしているようであるな。我の面倒などは頼もしき叔父君に任せて、其方はオディフィアとの交流に励むがよい。それもまた、東と西の大きな架け橋となろう」
「は、はい……きょ、きょうえつ、いたりです」
緊張のあまりか、ピリヴィシュロは普段よりも言葉が出てこないようである。ただ、その黒い瞳には安堵の光が瞬いているようであった。
そんなピリヴィシュロのかたわらから、アルヴァッハがぐっと身を乗り出す。
「王子殿下、お気持ち、不動であろうか?」
「うむ? 我の気持ちとは……出立の日取りについてであろうか? 無論、予定通り明日の明け方に出立する心づもりである」
「うむ……我、懸念、晴れないのだが……最後の賊、捕縛、待つべきでは?」
「くどい」と強めの声で言ってから、ポワディーノ王子は口調をやわらげた。
「しかし、そのように進言するのは其方に限ったことではない。であれば、そちらの言い分にも何らかの理はあるのであろうな。しかし、我は……屋敷に残した母が心配でならぬのだ。いつ捕まるかもわからぬ賊のために、出立を控えることはできん」
「うむ……繰り言、述べたこと、謝罪する」
「謝罪の必要はない。其方はあくまで、我の身を慮ってくれているのであろうからな。其方の実直さをわきまえず退室などを命じたことを、どうか容赦してもらいたい。いずれ其方が藩主となれば、ゲルドもいよいよ安泰であろう。今後もシムのために、力を尽くしてもらいたい」
アルヴァッハは重々しくうなずき、俺のほうをちらりと見やってから退いていった。
アルヴァッハも、俺がポワディーノ王子を引き留めることを期待しているのだろうか。俺もこの祝宴が終わる前に、自分の気持ちを伝えようという心づもりであった。
(でも、賊がこの近辺にひそんでる気配はないっていう話なんだもんな。だとしたら、どこか意外なところに隠れてるってことなんだろうから……何かのはずみで、いきなり見つかったりする可能性もあるのかな)
俺がそのように思案していると、ポワディーノ王子がふっとこちらに向きなおってきた。
「そういえば、賊の隠れ場所についてであるが……我は先刻、おかしなことを思いついてしまったのだ。この考えに理が備わっているか否か、森辺の面々に判じてもらいたいのだが」
「うむ? それは、如何なる話であろうか?」
ジザ=ルウがそのように応じると、ポワディーノ王子は意想外な言葉を口にした。
「賊は、森辺の集落にひそんでいるのではないか、と……我は、そのように考えたのだ。それは、馬鹿げた妄言であろうか?」
「ほう」と、ジザ=ルウは糸のように細い目をいっそう細めた。
「それはずいぶんと、思いも寄らぬ話を聞かされるものだ。そちらは何故に、そのような考えに至ったのであろうか?」
「うむ。我は『王子の眼』によって、わずかながらに森辺の様相というものを知ることがかなった。森辺の集落がそうまで広大であるというのなら、賊が隠れひそむ隙間もどこかに存在するのではないだろうか?」
「なるほど……捜索の部隊が検分したのは集落と町の間に広がる森の端のみで、集落の内側には誰も目を向けていない。その危険性も、鑑みるべきであろうか?」
ジザ=ルウに視線を向けられたガズラン=ルティムは、「いえ」と首を横に振った。
「その可能性については、私も吟味いたしました。ですが、その可能性はきわめて低いかと思われます」
「ふむ。その理由を、拝聴できようか?」
「はい。確かに森辺の集落は広大であり、たったひとりの賊であればいくらでも身をひそませる場所が存在するでしょう。……ただし、それを実行するには、集落の実情によほど精通している必要があります。37に及ぶ氏族の集落がどの位置に存在して、そこに住まう人間がどのように行動しているか……それを把握しないまま、森辺に安息の場所を求めることは不可能であるかと思われます」
「ふむ。賊もよほどの手練れであろうから、集落の者たちが寝静まっている間に隠れ場所を探すこともかなうのではなかろうか?」
「いえ。そうして森の中を巡ったならば、必ずや痕跡が残されます。我々も警戒を怠ってはいませんので、森に不審な痕跡が残されていたならば見落とすこともないでしょう。森辺に初めて足を踏み入れた人間が、37の氏族の目をかいくぐって森の内を巡ることは、決してかなわないはずです」
「左様であるか」と、ポワディーノ王子は溜息をついた。
「やはり、馬鹿げた妄言であったようであるな。賊を捕らえたいという一心であったので、無駄な時間を取らせたことは容赦を願いたい」
「いえ。そういった可能性をひとつずつ潰していくことで、初めて真実をつかみとることがかなうのでしょう。フェルメスがダカルマスが真犯人であるという可能性を吟味した上で潰していたのと、同じことです」
「ああ、あれも我の妄言であったな。妄言を吐くことでしか真実に近づけぬとは、まるきり道化者の役割であるな」
そんな風に言ってから、ポワディーノ王子はぐっと胸をそらした。
「しかし、それで真実に近づけるのであれば、何も恥じるつもりはない。我がジェノスに留まるのは今日までとなるが、その間に考えついた話はすべて吟味してもらいたく思う」
「はい。そうして真実が明るみにされる瞬間を、私も心待ちにしています」
そのように語るガズラン=ルティムは、普段通りの温和かつ誠実な面持ちであった。
するとそこに、賑やかな一団が近づいてくる。南の王都の一団である。ただし、賑やかにしているのは王家の父娘ばかりであった。
「我々も、ご挨拶をさせていただきますぞ! 友ならぬ身であっても、同じ苦労を分かち合った身でありますからな!」
「うむ。そちらはずいぶん、晴れ渡った面持ちであるな」
「それはもう! アスタ殿とトゥール=ディン殿の心尽くしで、胃袋と心が満たされておりますからな!」
こちらが挨拶の相手をしている間に、ダカルマス殿下とデルシェア姫は食欲を満たしていたようである。そして、ポワディーノ王子と初対面となるデルシェア姫は、なんの恐れげもなく敷物に膝をついた。
「初めてまして、ポワディーノ様! わたしはダカルマスの息女、デルシェアと申しますわ!」
「うむ。其方も風聞で聞く以上に、活力にあふれた人間であるようであるな」
「あはは! 今は天にものぼるような心地ですので、非礼があったらお詫びいたしますわ!」
ポワディーノ王子のかたわらには黒豹も控えているため、フォルタなどは存分に慌てた顔をしている。しかしデルシェア姫は、その黒豹にも笑顔を届けていた。
「黒豹というものを目にしたのは、これが初めてのことです! 確かにジャガルの犬にも負けないぐらい、賢そうな眼差しをしておりますわね! 黒い毛並みが絹のように照り輝いて、うっとりするような美しさです!」
「うむ。シムにおいて猫は神聖な存在と見なされているので、その血族たる黒豹も同様である。こちらは我の身を守るために育てられた、『王子の牙』である」
「『王子の牙』ですか! 東の言葉は耳に馴染みませんけれど、とても響きの美しいお名前ですわね!」
すると、デルシェア姫のかたわらに立ったままであったダカルマス殿下も、盛大に笑い声を響かせた。
「我々もシムの食材を手にしたことによって、東の言葉が耳に馴染んできたのであろうな! ……ところで、こちらには料理の皿が見受けられませんが、まだ宴料理を口にしておられないのでしょうかな?」
「うむ。それは挨拶を終えたのちにと考えていた」
「おお、それは何と不幸な! アスタ殿とトゥール=ディン殿の準備した宴料理を前にこれほどの我慢を強いられるなど、もはや拷問ではありませんか!」
ダカルマス殿下がそんな声を張り上げると、マルスタインがゆったりと微笑みつつ発言した。
「それではポワディーノ殿下も、そろそろ料理の卓を巡ってはいかがでしょうか? 伯爵家の面々と外来のお客人がたとはすべて挨拶を交わすことがかないましたので、腰を落ち着けるのはこれにて十分かと思われます」
「左様であるか。我は其方の言葉に従うが、気遣いは無用であるぞ?」
「はい。あとは行く先々で交流を楽しんでいただければと思います」
ということで、俺たちもついに腰を上げることになった。
それよりひと足早く、南の王都の一団は立ち去っていく。ダカルマス殿下やデルシェア姫が同行したいなどと言い出す前に、ロブロスがうながした様子である。俺も本日ばかりは、ポワディーノ王子を優先しなければならない立場であった。
「では、わたしも王子殿下にご同行するので、エウリフィアたちは好きに過ごすがいい」
「承知しましたわ。ポワディーノ殿下、またのちほどお言葉を交わす機会が巡ってくることを心待ちにしております」
エウリフィアはオディフィアをともなって、人混みの向こうに消えていく。それを見送りながら、ポワディーノ王子は小さく息をついた。
「あのメルフリードの伴侶たるエウリフィアも、なかなかの傑物であるな。あれほどに堂々と立ち振る舞う貴婦人というものは、シムにおいて稀である」
「エウリフィアはなかなかに奔放な気性をしておりますので、お恥ずかしい限りです。ポワディーノ殿下のご不興を買っていなければ、何よりです」
「そのような心配は、無用である。オディフィアも健やかに育っているようであるし、ジェノス侯爵家も安泰であるな」
本当に、ポワディーノ王子の社交っぷりというのは見事なものであった。俺の半分ていどしか生きていない幼さであるというのが、信じられないほどである。
(今回の騒ぎで第二王子が失脚して、ポワディーノ王子が次の王様になったとしても……何も心配はいらないのかな)
そんな思いを胸に秘めながら、俺はいざ広間の賑わいに繰り出すことになった。
マルスタインは1名だけ武官の若者を引き連れており、森辺の陣営は俺とアイ=ファとジザ=ルウとガズラン=ルティムの4名、ポワディーノ王子は6名と1頭の臣下を引き連れている。その6名は、全員が異なる文字の記された面布を垂らしていた。
「あの、こちらはどういった役職にある方々なのでしょうか?」
俺が好奇心のおもむくままに問いかけると、ポワディーノ王子は面倒がらずに答えてくれた。
「本日そばに控えさせたのは、『王子の眼』の右、『王子の口』の一番、『王子の舌』の一番、
『王子の腕』の一番、『王子の剣』の三番、『王子の盾』の四番の6名である。他なる臣下は、別室に控えさせている」
「なるほど。たしか、殿下のご一行の総勢は129名でしたよね。武官が100名ということは、それ以外に28名の方々がいらっしゃるということですか」
「うむ。我の従える『王子の分かれ身』の、およそ半数である。残る半数は、母のために屋敷に残している。我が屋敷を離れている間も、『王子の眼』の左がすべてを見届けて、13名の『王子の耳』が王都の情勢を探っているのだ」
「それではひとりの王子につき、250名以上の『王子の分かれ身』が存在するわけですか。それは……すごい人数ですね」
「うむ。王子直轄領を統治するだけでも、それだけの人数が必要になるのである」
「では――」と声をあげたのは、ガズラン=ルティムであった。
「王子が魂を返したり、王子の身分を剥奪された場合、残された『王子の分かれ身』はどのように扱われるのでしょう?」
「うむ? もちろん主人を失ったならば、全員が『王子の分かれ身』としての役職から外されることになる。その後は、各人の技能に従って新たな役職が授けられることになろう。武官であれば武官、文官であれば文官と、仕事に困ることはあるまい。『王子の分かれ身』に選ばれたからには、いずれも並々ならぬ才覚を有した傑物であるのだからな」
「なるほど……ですが、5名もの王子がいちどきに立場を失ってしまったのなら、大変な数の『王子の分かれ身』が役目を失ってしまうのですね」
「いちどきと申しても、数年にわたってのことである。最初の犠牲となった第一王子が魂を返したのは、7年の昔であるのだからな」
「7年……ポワディーノが3歳の頃ということですね」
「うむ。よって我は、兄たる第一王子の姿もまともに見覚えていないのだ」
そんな風に言ってから、ポワディーノ王子はガズラン=ルティムのほうに顔を向けた。
「しかし、祝宴の場でそういった話は控えるべきではなかろうか? このたびの騒乱がシムの王位争いであるという事実は、多くの人間に伏せられているのであるからな」
「そうですね。ただ私は事件の解決のために、東の王家の実情というものをもっとお聞きしておくべきでした。よろしければ、祝宴の後にでも時間を作っていただくことはできませんでしょうか?」
ポワディーノ王子は、けげんそうに小首を傾げた。
「事件の解決のためにと言われては、否やもないが……しかしこちらにも、出立の準備がある。其方が会談を望むのであれば、夕刻までということにしてもらいたい」
「承知しました。お手間を取らせてしまって、申し訳ありません」
そうしてガズラン=ルティムが頭を下げたとき、最初の卓に到着した。
多くの人々は恐縮しきった様子で、ポワディーノ王子のために場所を空ける。何せポワディーノ王子は黒豹の『王子の牙』も同伴させているために、それだけで周囲を威圧してしまうのだ。それにもめげずに居残っていたのは、我らが森辺の同胞と伯爵家の面々のみであった。
「あら、ようやく席をお立ちになったのですね。よければ、ご挨拶をさせてください」
そのように声をあげたのは、ララ=ルウである。この近年で身につけた丁寧な言葉づかいで挨拶を申し述べたのち、ララ=ルウは貴婦人さながらの一礼を見せた。
その周囲に陣取っているのは付添人のシン・ルウ=シンと、サトゥラス伯爵家のリーハイム、婚約者のセランジュ、騎士のレイリスだ。さすがにセランジュは怯みきった面持ちであったが、気合の入った顔つきをしたリーハイムがそれを背中にかばっていた。
「其方は……もしや、ルウ本家の第三息女、ララ=ルウであろうか?」
「あら、わたしのことをご存じだったのですか?」
「うむ。ルウ本家の家人とは、こちらの『王子の眼』が対面しているのでな。火のごとき髪と海のごとき瞳をした、才気あふれる女人であると聞いている」
「才気ですか。わたしはそちらの御方と口をきいた覚えもないのですけれど」
「それは、ルウの集落で耳にした言葉からの印象であるな。ルウ家の商売は、其方と第二息女レイナ=ルウの才気によって支えられているのだと聞き及んでいる。……ただし、第四息女リミ=ルウの才気と魅力も決して捨て置けないという話であったが」
「ええ。妹のリミは、そちらの御方と晩餐をともにしていましたものね」
言葉づかいは丁寧であるが、ララ=ルウの青い瞳には狩人もかくやという鋭い光がたたえられている。敵意ではなく、検分の眼差しであろう。ララ=ルウもまた、ポワディーノ王子がどのような人間であるのかと、ずっと強く気にかけていたのだ。
「であれば、そちらはシン・ルウ=シンであろうか? 其方はララ=ルウおよびサトゥラス伯爵家の人間と懇意にしているものと聞き及んでいる。そちらも新たな家の家長に相応しい傑物であるようだな」
シン・ルウ=シンは無言のまま、ただ目礼を返した。
ララ=ルウは燃えさかる太陽のような笑みを浮かべて、宴料理の並べられた卓上を指し示す。
「王子殿下にご挨拶できて光栄の限りですけれど、まずはアスタたちの作りあげた宴料理をお召し上がりください。いずれも素晴らしい出来栄えですよ」
「うむ。では、そのように取り計らわせていただこう。……これはまた、味の想像がつかない目新しさであるようだ」
本日、俺が準備したのは、中華料理を意識したラインナップであった。こちらの卓に並べられているのは俺が受け持った3種の献立で、海鮮チャーハン、焼き餃子、麻婆凝り豆という内容である。
海鮮チャーハンはアマエビに似たマロールと牡蠣に似たドエマを具材に使っており、ドエマの戻し水も出汁に加えている。さらにオイスターソースに似た貝醬を味の基調にしているため、これまで作りあげてきたチャーハンとはずいぶん趣が異なっているはずであった。
焼き餃子は後掛けの調味液を使わずに済むように、具材にタウ油や貝醬や白ママリア酢、それに梅肉に似た干しキキや大葉に似たミャンなどを練り込んでいる。基本の具材はギバの挽き肉とニラに似たペペと白菜に似たティンファで、アクセントとして生鮮のウドに似たニレも少量だけ加えていた。
麻婆凝り豆は山椒のごときココリをふんだんに使いながら、ハバネロのごときギラ=イラもわずかに加えている。アイ=ファがぎりぎり許容できるぐらいの、かなりスパイシーな味わいだ。しかしギラ=イラのおかげで、こちらの料理も格段に深みが増していた。
ポワディーノ王子に指示を受けた毒見役の『王子の舌』が、自前の銀の皿に料理を取り分けていく。焼き餃子も自前の器具で切り分けて、三分の一ぐらいを食するのだ。そのさまを眺めていたリーハイムが、「なるほど」と感情を押し殺した声をあげた。
「祝宴の場でも、そうやって危険がないかを確認する必要があるわけですね。自分などには計り知れないご苦労です」
リーハイムもまた、滅多に使わない丁寧な言葉づかいである。
ポワディーノ王子は鷹揚に、「うむ」と応じた。
「これもまた、西の地においては面妖な習わしに見えるのであろうな。ジェノスや森辺の民を疑っての所業ではないので、どうか容赦を願いたい」
「もちろんです。王子殿下と祝宴をともにできるだけで、こちらは光栄な限りです」
そんな言葉を返しつつ、リーハイムもまた探るような眼差しだ。会談に参席していない人間であれば、まだまだポワディーノ王子に警戒心をかきたてられて然りであった。
(でもきっと、ララ=ルウなんかはドンダ=ルウに事情を打ち明けられてるんだろうな。それでもやっぱり、警戒心を捨てることはできないか)
それに、賊たる老人の証言を信じないとすると、第二王子が真の首謀者であるかどうかも疑わしくなってしまうのだ。そう考えれば、この事件はまだ一歩も前進していないとすら言えるのかもしれなかった。
「其方たちは、食事を進めるがいい。我のために待たせていては、心苦しい限りであるからな」
と、ポワディーノ王子がそのように言い出した。ポワディーノ王子に同行した森辺の4名とマルスタインも、料理には手をつけずに立ち尽くしていたのだ。「それでは」と真っ先に応じたのは、マルスタインであった。
きっと貴族の社交の場では、遠慮しすぎるのも非礼にあたるのだろう。マルスタインがその場に控えていた小姓に人数分の料理を取り分けさせて、俺たちもようやく本日初めての食事を口にすることになった。
「うむ。これは見知った料理だが、格段に味がよくなったようだ。これも、ギラ=イラの恩恵であろうかな?」
「はい。ギラ=イラはほんの少し加えるだけで、格段に風味と旨みが増しますからね。取り扱いは難しいですが、素晴らしい食材であるかと思います」
俺とマルスタインがそんな言葉を交わすと、ポワディーノ王子が「ギラ=イラか」とつぶやいた。
「我が想像していた以上に、ジェノスにはシムの食材が行き渡っていた。これでもダカルマスが申していた通り、不足の心配が生じるのであろうか?」
「はい。とりわけ不安が見られるのは、シャスカやチットであるようです。それだけ数多くの人間が、シムの食材を求めているということでありますな」
「うむ……このたびの騒乱が終息したあかつきには、我もジェノスとの交易について一考したいと思っている」
ポワディーノ王子がそのように答えたとき、『王子の舌』たる女性が「恐れながら」と声をあげた。
「これらの料理に、危険はありません。どうぞお召し上がりください」
ポワディーノ王子が「うむ」と首を前側に傾けると、『王子の腕』たる女性が銀の皿から王子の口へと料理を運んでいく。これもまた、祝宴の場には何とも不似合いな所作であったが――もちろん、文句をつける人間はいなかった。
「うむ……確かに、美味である。我にとっても馴染みの深い香草が数多く使われているようであるが、そうとは思えないほどに目新しい味わいであるな」
「お口にあったのなら、幸いです。……これらの料理で使っている香草はおおよそゲルドから持ち込まれたものなのですが、ラオリムにも流通しているのでしょうか?」
「うむ。ラオリムにもギラ=イラやココリは存在する。ただし、ゲルドから届けられる品のほうが上質であるとされているな」
「そうなのですね。ラオリムとゲルドも、かなり離れているのでしょう?」
「うむ。おおよそは、海路で届けられているのであろうな。ゲルドからドゥラを経由して海路を使うほうが、短い時間で大量の物資を運ぶことがかなおう」
「ドゥラというのは、海辺の領地でしたっけ。このたびラオリムの方々とお近づきになれたので、あとはドゥラの方々ですべての藩を網羅できるようです」
「海の民たるドゥラの人間がジェノスを訪れることは、そうそうあるまいな」
そんな風に言ってから、ポワディーノ王子はわずかに肩を揺らした。
「どうしました?」と俺が尋ねると、ポワディーノ王子はほっそりとした身体をもじもじさせたのち、『王子の口』を招き寄せる。そうして王子に耳打ちをされた『王子の口』は、俺の耳もとに口を寄せてきた。
「アスタの気安い物言いに、我はつい表情を崩してしまった。面布をしていたのは、幸いである。其方は危険な人間であるな。……王子殿下のお言葉は、以上です」
俺がきょとんとして目をやると、ポワディーノ王子は素知らぬ顔で――まあ、その顔もまったく見えないのだが――皿の料理を食べ続けていた。
女性である『王子の口』と内緒話に及んだために、アイ=ファはちょっぴり不機嫌そうな面持ちだ。そして、ララ=ルウやリーハイムたちはいくぶん意外そうに俺とポワディーノ王子の姿を見比べている。なんとなく、俺とポワディーノ王子の気安いやりとりに驚いている様子であった。
(俺はポワディーノ王子と仲良くしたいと思ってるし、それだって事件の解決に繋がらないとは限らないからな)
そんな思いを噛みしめながら、まず俺はポワディーノ王子と同じ宴料理を口にすることで同じ喜びを分かち合ったのだった。