騒擾の祝宴①~下準備~
2024.3/29 更新分 1/1
翌日――赤の月の17日である。
祝宴の準備を受け持った俺は、ほとんど朝一番で城下町を目指すことになった。
何せ本日の祝宴は、中天を目処に開始されるのである。このように早い時間から城下町でかまど仕事に励むのは、それこそ『麗風の会』以来であるはずであった。
その仕事に従事するかまど番は、総勢で22名となる。料理を受け持つ俺が13名、菓子を受け持つトゥール=ディンが9名という配分だが――ただし、どちらの組も急遽1名ずつ増員された格好である。料理の組に加えられたのはサウティ分家の末妹、菓子の組に加えられたのはララ=ルウに他ならなかった。
「ララばっかり、ずるいよねー! だったら、リミも行きたかったなー!」
と、リミ=ルウは朝から可愛らしく頬をふくらませていた。もともとララ=ルウは本日の屋台の当番であり、それを別の人間と交代してまで祝宴に参席することに相成ったのだった。
「だって、ジザ兄とガズラン=ルティムが参席するのにルウの女衆がひとりもいないってのは、ちょっと体面が悪いじゃん? ……ま、あたしはロブロスとかに会っておきたかっただけだけどさ」
自分の要求を押し通したララ=ルウのほうは、ご満悦の面持ちだ。そのかたわらでいくぶん眉を下げつつ微笑んでいるのは、シン・ルウ=シンに他ならなかった。ララ=ルウが祝宴にまで参席するということで、彼もまたその付添人ということで招集されることになったのである。
「このような折でも社交に励みたいというのは、立派なことなのだろうが……しかしひさびさに、ララ=ルウの苛烈な気性を思い知らされた心地だぞ」
「あれあれー? あたしがそんな大人しい人間に育ったとでも思ってたの? だったら、とんだ見込み違いだね!」
ララ=ルウが白い歯をこぼすと、シン・ルウ=シンも目を細めつつ微笑む。そしてそれから、鋭く光る目で周囲を見回した。
「まあ……これだけ用心をしていれば、危険なこともあるまいがな」
本日も、ルウの集落には10名の近衛兵と30名のジャガル兵が控えている。そして、それと同数に及ぼうかという狩人たちが立ち並んでいたのだった。
これらはすべて、ルウの血族の狩人である。ドンダ=ルウは本日すべての眷族に休息の日にするべしと言い渡して、これだけの狩人をかき集めたのだった。
しかもこれは、ただの護衛役ではない。祝宴が開始されたならば、これらの狩人も会場の警護にあたらせてほしいと、そんな進言をする算段なのである。それぐらい、ドンダ=ルウはこの日の祝宴に用心をしているのだった。
「やはり、ティカトラスの行いがドンダ=ルウの警戒心をかきたてたのであろうな。こちらとしては、心強い限りだ」
アイ=ファは、そんな風に言っていた。
ティカトラスの行いとは、装飾品でありながら武具としても活用できる刀剣をアイ=ファやレム=ドムのために準備した一件である。何をどう考えても城下町の宮殿に賊が押し入る危険はないように思われたが、ティカトラスはそのような品を準備して――そしてドンダ=ルウも、その思いに呼応したわけであった。
「ともあれ、かまど番の身は狩人が守る。お前たちは心置きなく、仕事を果たすがいい」
「うん、わかったよ」
俺たちがそんな風に語らっている間に、また新たな荷車が到着する。その手綱を握っているのはゼイ=ディンであり、そして荷台からはゲオル=ザザが姿を現した。
「ドンダ=ルウはどこだ? 親父からの、言伝がある!」
ゲオル=ザザがそのように声をあげると、ジザ=ルウを引き連れたドンダ=ルウがそちらに近づいていく。そうして短く言葉を交わしたのち、ゲオル=ザザは荷台に引っ込み、ジザ=ルウはこちらに近づいてきた。
「ザザの血族からも、10名ほどの狩人を出してくれたそうだ。ちょうどいいので、そちらの狩人は祝宴に参席しないかまど番の身を守ってもらうことにする」
「そうか。では、ルウの血族の狩人はすべて祝宴の場の警護に回せるということだな」
「うむ。これでいっそう、守りは固くなる。グラフ=ザザに感謝するとしよう。……では、これですべての人間が集まったようなので、出発する」
ということで、俺たちは城下町に出立することになった。
かまど番は22名、狩人は祝宴の参席者と警護役を合わせて50名強という大所帯だ。さらに兵士たちに前後をはさまれているのだから、ほとんど戦争にでも出陣するような心地であった。
「話に聞いていた以上に、物々しい様相ですね。……でも、わたしはわたしの仕事に力を尽くします!」
同じ荷車でそのように表明したのは、サウティ分家の末妹である。昨日の夕刻になって祝宴の一件を知らされたダリ=サウティは、自分と彼女も参席すると決定したのだ。それで、どうせ祝宴に参席するならばと、彼女もかまど番として働いてもらうことに相成ったのだった。
何せ祝宴の一件が取り決められたのは昨日の昼下がりであったため、何もかもが突貫工事である。ルウの血族が休息の日と定めたならば、いっそそちらの女衆をお借りしたほうが面倒も少なくなかったのかもしれないが――まあ、今さら言っても詮無きことだ。ガズを筆頭とする6氏族から十分な人手を借りることができたので、俺としても後悔はなかった。
「シムの王子と対面するというのは、いささか気が張ってしまうところですが……でも、そちらの王子は幼いながらも立派な人間であるようだと聞かされたので、わたしも胸を撫でおろすことができました」
「うん。ポワディーノ王子が姿を見せるまでは、俺もなかなか懸念が晴れなかったけどね。今では、信用できると思っているよ」
しかしそれは人柄の話であり、彼の判断力まで十全に信用することは難しい。1日でも早くシムに戻りたいというのは、俺から見てもいささかならず危なっかしい話であった。
(賊の老人が虚言を吐いているとしたら、東の審問で告白の秘薬とやらを使われる前に、何らかの反撃が待ちかまえてるってことになるんだろうしな。やっぱり、もうひとりの老人も捕縛して……せめてその手に第二王子の紋章を確認できたら、安心だろう)
そんな思いを抱えながら、俺は荷車に揺られることになった。
もう一刻ばかりもしたならば、今度は捜索部隊の狩人たちが出陣する刻限である。俺が安心してポワディーノ王子を見送れるかどうかは、彼らの働きにかかっているはずであった。
そうして半刻ばかりも経つと、城門に到着した旨が告げられてくる。
荷車の外は、本日も小雨だ。本格的な雨季に入ってから、もう7日が経過しているわけであった。
立派なトトス車に乗り換えた俺たちは、あらためて本日の会場を目指す。
祝宴の会場は、紅鳥宮だ。ずっと会合のために白鳥宮に通いつめていた俺たちは、ようやく本来の用途のために小宮へと参ずることができたわけであった。
そちらに到着してみると、すでに大勢の兵士たちが警護の役目を果たしている。
ジェノスの兵士と、ジャガルの兵士だ。100名にも及ぶシムの武官たちは、ポワディーノ王子が入場するまでやってこないのだろう。彼らはこの7日間、ずっとギリ・グゥの神殿に引きこもっているのだった。
「では、俺はマルスタインに話を通してくる。その間はルドとガズラン=ルティムに取り仕切り役を任せるので、そのようにな」
そんな言葉を残して、ジザ=ルウは立ち去っていった。
ともに白鳥宮の入り口を目指しながら、ルド=ルウは「へへん」と鼻を鳴らす。
「アスタたちのメシが食えねーのは残念だけど、どっかの陰からシムの王子ってやつの姿を拝めるわけだなー。どんな立派なガキなのか、楽しみなところだぜ」
ポワディーノ王子が来訪して以来、ルド=ルウが城下町に足を踏み入れるのは初めてのことである。その役割はずっとジザ=ルウやドンダ=ルウが担い、ルド=ルウはひたすら家の守りとギバ狩りの仕事を任されていたのだ。
「祝宴に参席できないのは、残念だったね。もう何人かは枠があると思うんだけど……男衆ばっかり増やすのは体裁が悪いのかな」
「別に、かまわねーさ。何か荒事が起きるってんなら、刀を持ってたほうが安心だからよ。素手でララにひっついてくシン・ルウのほうが、よっぽど気をもんでるんじゃねーのかなー」
当然のこと、祝宴の参席者は刀を所持できないのだ。だからこそ、ティカトラスもあのような品を準備したわけであった。
ともあれ、まずは宴料理の準備である。
会場に足を踏み入れるならば身を清めなければならないということで、ザザの血族を除く40名強の狩人たちも交代で身を清めることになり――そして、そのさなかにジザ=ルウが戻ってきた。
「マルスタインに、会場の警護を許された。すでに身を清めた人間は手間をかけるが、これから武官の装束が配られるのでそちらに着替えてもらいたい」
やはり会場で警護の役目を果たすには、お召し替えが必要となってしまうのだ。しかし、すべての人員が会場に踏み入ることを許されたのならば、何よりの話であった。
そうしてそれらの着替えが完了するのを待ってから、俺たちは厨に移動する。
森辺の装束のままであるのは、祝宴の参席者であるアイ=ファやジザ=ルウたちだけだ。そちらは調理を終えたのち、かまど番とともに着替える手はずになっていた。
「それでは、またのちほど」と、緊張した面持ちのトゥール=ディンが血族を率いて別の厨に向かっていく。そちらのかまど番はララ=ルウおよびスフィラ=ザザを筆頭とするザザの血族で構成されており、祝宴の参席者としてゲオル=ザザやディック=ドムやレム=ドムも参じていた。あとは、護衛役として参じた10名ほどの狩人だ。
「かまど番に倍するほどの狩人が参じているなど、初めてのことであろうな。……このような騒ぎはこれきりであると願いたいところだ」
こちらに居残ったダリ=サウティは穏やかな表情を保持したまま、そんな内心をこぼしていた。
ともあれ、こちらも人員の振り分けである。13名のかまど番を二手に分けて、その片方の取り仕切り役となるのはガズの女衆であった。
「それじゃあ、そちらもよろしくね。こっちも手が空いたら様子を見にいくけど、何かあったらいつでも遠慮なく声をかけておくれよ」
「はい! 承知いたしました!」
初めて班長の座を担うガズの女衆は、奮起した面持ちで回廊を進んでいく。それに続くのはガズの血族の女衆であり、俺のもとに留まるのはラッツとダゴラの血族およびヤミル=レイとサウティ分家の末妹であった。
40名以上にも及ぶルウの血族の狩人は、ジザ=ルウの指揮によって役割が与えられていく。本日はふたつの厨ばかりでなく、回廊や窓の外にまで狩人が配置されるようだ。その頼もしい姿を横目に、俺は厨へと足を踏み入れることになった。
なんだかんだで、実働の時間は四刻ていどであろう。その間に、俺たちは100名分の宴料理を準備しなければならないのだった。
「まあ、ここ最近で言うと100名の参席者ってのは控えめなほうだし、昼の食事だから晩餐よりはひかえめな量で済むしね。この人数なら、問題なく仕上げられるはずだよ」
俺がそのように声をかけると、ヤミル=レイを除く面々は引き締まった面持ちで「はい」とうなずいた。
今日は休息の期間にある6氏族からたくさんの女衆を借りることができたが、屋台のメンバーはあちらの班長たるガズの女衆しか存在しない。それ以外はみんな、屋台やトゥランの商売の当番であったためだ。よって、ほとんどの人間が初めて城下町で仕事を果たすわけであった。
城下町の仕事でユン=スドラやレイ=マトゥア、マルフィラ=ナハムやフェイ・ベイム=ナハムたちがいないというのは、これが初めてのことだろう。それぐらい、これは特殊な状況であるのだ。そもそも前日の昼下がりに祝宴の準備を申しつけられることなど、通常はありえない話であったのだった。
事前説明をする時間もなかったので、まずは本日の献立と作業工程を説明し、誰にどの作業を受け持ってもらうかを決定する。こちらで副班長を担ってもらうのは、昨晩の内に多少なりとも説明する時間を取れたヤミル=レイだ。ヤミル=レイだけでも屋台の当番から外れていたのは、俺にとって何より心強い話であった。
(ヤミル=レイだったら、問題なく班長の座を担ってもらえるだろうけど……血族でもない相手を取り仕切るのは気が引けるだろうからな)
そんな考えのもとに、ヤミル=レイには俺の補佐をお願いしたのである。なおかつ彼女はガズラン=ルティムの推薦で、祝宴の参席者にも選出されていたのだった。
事前説明が終了したならば、いざ調理の開始である。
それを見守ってくれているのは、アイ=ファとルド=ルウだ。アイ=ファは扉の脇に、ルド=ルウは窓の脇にたたずんでいる。窓には雨よけの帳が掛けられていたが、その向こう側にも他なる狩人がひそんでいるはずであった。
しばらくして、客人の来訪が告げられる。それは2日前と同じく、プラティカとデルシェア姫、ニコラとカルスの料理人カルテットであった。
「今日はまた、ものすごい警備だねー! 4人でお邪魔するのは、ちょっと窮屈かな?」
「では、私とニコラ、トゥール=ディンの厨、向かいます」
顔を見せるなり、プラティカとニコラは姿を消してしまう。いっぽうカルスと護衛役のロデを引き連れたデルシェア姫は、相変わらずの朗らかな笑顔で俺のほうに接近してきた。
「いやー、次から次へと状況が動いて、頭が追いつかないね! でも今日は父様もありったけの兵士を配置するって言ってたから、何も心配はいらないよ!」
「はい。それじゃあ、デルシェア姫も参席を許されたのですか?」
「あったり前じゃん! アスタ様が宴料理の準備をするのに、わたしが引っ込むわけないでしょー?」
デルシェア姫は、けらけらと笑っていた。
貴族の側からは80名、森辺の側からは20名という見当で宴料理を準備してもらいたいと言い渡されていたが、誰が参席するかは不明であったのだ。これも、準備期間の短い特殊な祝宴ならではの様相であった。
「それに、ゲルドの使節団のお人らもみーんな警護に回されるって話だし、ポワディーノ様ってのも100人の武官を引き連れてるんでしょ? 祝宴が開かれる頃には、宮殿の中も外も警護の人間で埋め尽くされちゃうんじゃないかなー! これじゃあどんな悪党だって、近づきようがないよ!」
「ええ、それなら安心ですね。……城下町でそこまでの警備をしなくちゃならないっていうのが、もう普通じゃないのでしょうけれど」
「まったくだねー! でも、それでアスタ様の宴料理を味わえるなら、安いもんさ!」
そんな風に言ってから、デルシェア姫はふっと目を細めた。
「まあ、わたしなんかはまたしばらくジェノスに居座らせていただくから、これからいくらでも機会があるけど……父様たちは、あと10日足らずで帰る予定だったからさ。その間に1回でも多く、アスタ様の料理を食べさせてあげたいんだよね」
「はい。今日の料理も喜んでいただけたら、幸いです」
「うん! アスタ様が本気で作ってくれれば、それだけで父様はもう大満足さ!」
と、デルシェア姫は元気な笑顔を取り戻した。
すると、武官のお仕着せを纏ったルド=ルウが「ふーん」と声をあげる。
「でも、今日はシムの王子の送別の祝宴だってのに、ジャガルの連中も当たり前みてーに居揃うんだなー。それって、普通の話なのか?」
「あはは! 以前はわたしたちとゲルドのみなさんの送別の祝宴をいっぺんに開いてくれたんだから、今さらの話でしょ! こんな愉快な事態を楽しめるのも、ジェノスならではってことさ!」
「へーえ。そーいえば、あんたやアラウトも祝宴に呼ばれたのか?」
ルド=ルウに視線を向けられたカルスは、「は、は、はい!」と目を泳がせた。
「ア、アラウト様が強く進言して、何とか参席を許されたようです。ぼ、僕も森辺のみなさんの宴料理を口にできることを、心から嬉しく思っています」
「そっか。俺はどっかの陰で腹を鳴らしてるから、こっちの分まで楽しんでくれよ」
ルド=ルウがにっと笑いかけると、カルスもあたふたしながら口もとをほころばせた。
そうして半刻ばかりも見物したのちにデルシェア姫たちが立ち去ると、今度はプラティカとニコラがやってくる。そちらはそちらで相変わらず、きわめて鋭い面持ちであった。
「アスタ、大きな騒動、巻き込まれて、心中、察します。また、東の民として、心苦しい、思っています」
「いえいえ。プラティカに責任のある話ではないですよ。東の王都とゲルドなんて、ジェノスと同じぐらい遠く離れているんでしょうからね」
「はい。ですが、私たち、シムの民です。シム、王都の争い、ジェノス、持ち込まれたこと……きわめて、遺憾です」
「そのような心労を抱え込むお前たちのほうこそ、気の毒に思うぞ。王都の人間に悩まされるというのは、我々も知らない話ではないのでな」
と、扉の近くに控えたアイ=ファが優しい眼差しで語りかけると、プラティカは鋭い面持ちのままいくぶん頬を赤くした。
「王都の人間、フェルメス、および、ティカトラスですか? あれら、特異な人柄、確かですが……これほどの騒乱、持ち込んでいないはずです」
「何にせよ、お前たちに責任のある話ではない。すべての責任は、このような悪だくみを仕掛けた者どもにあるはずだ。最後の賊が無事に捕縛されることを、それぞれの神に祈る他あるまい」
「はい。騒乱の終息、強く、願っています」
そうしてプラティカたちも半刻ほど調理を見物すると、またデルシェア姫たちと入れ替わった。
その間にも、調理はどんどん進められていく。途中でもう片方の厨も覗いてみたが、そちらの面々も過不足なく仕事を果たしてくれていた。
「ルド=ルウ、交代いたします」
ガズラン=ルティムからそんな言葉が伝えられたのは、上りの六の刻の鐘が鳴って調理のラストスパートに差し掛かった折である。
「会場の警備を受け持つ人間は、移動することになりました。ここからは私が交代しますので、ルド=ルウはこちらにどうぞ」
すると、ガズラン=ルティムの隣からダン=ルティムも顔を覗かせた。
「もう宮殿の外も内も、兵士だらけであるようだぞ! これならば、100頭のギバが押し寄せても跳ね返すことができような!」
「確かに、その通りでしょう。ですが――」
「わかっておる! 油断をする人間などひとりとしておらんから、お前さんがたは心置きなく祝宴を楽しむがいい!」
ダン=ルティムはガハハと笑いながら、愛息の肩をどやしつける。そんなダン=ルティムも会場の警護役であるので、武官のお仕着せの姿だ。太鼓腹が窮屈そうであったものの、ダン=ルティムも意外にそのかっちりとしたお仕着せが似合っていなくもなかった。
そうしてルド=ルウはダン=ルティムとともに立ち去り、代わりにガズラン=ルティムが踏み入ってくる。ガズラン=ルティムは俺に微笑みかけてから、アイ=ファに呼びかけた。
「私も先刻、会場の様子を拝見させていただきました。こちらが準備した40名の他に、ジェノスとジャガルとシムの手勢が5、60名ずつ配置されたようです。総勢は、200名に達することでしょう」
100名の参席者に対して、倍する人数の警護役が存在するのだ。しかもそれは、同じ会場に控える人員に過ぎないのだった。
「外の様子もうかがってみましたが、建物の周囲は兵士や武官に埋め尽くされて、もはや足の踏み場もありません。ジャガルの兵士が殺気だっているため、シムの武官と諍いを起こさないか心配なところですね」
「そうか。しかし、いずれの面々もこちらと同じぐらい用心しているということだな」
「ええ。ポワディーノやダカルマスの身に何かあっては、それこそ一大事なのでしょうからね」
そんなやりとりを聞きながら、俺たちは調理の仕上げに取り掛かった。
それから半刻ほどが過ぎて、上りの六の刻の半――祝宴の開始の半刻前に、俺たちはすべての宴料理を準備することがかなったのだった。
「では、お時間もありますので、また浴堂のほうにどうぞ」
シェイラの呼びかけで回廊に出てみると、そこには5名の狩人が待ち受けていた。ジザ=ルウとラウ=レイとダリ=サウティに、ザザの狩人が2名である。
「祝宴に参席しないかまど番は、こちらの両名が案内をする」
こちらの組から祝宴に参席するかまど番は、俺とヤミル=レイとサウティ分家の末妹のみとなる。祝宴に参席できない女衆は別室で、ダイアが準備したギバ料理でもてなされるのだ。
それらの女衆はザザの狩人たちとともに回廊の向こうへと消えていき、俺たちはシェイラの案内で浴堂を目指した。
「彼女たちが身を休める部屋は、すでにザザの血族の狩人たちが警護しています。……きっと今日は数多くの氏族が、休息の日と定めたのでしょうね」
ガズラン=ルティムがそんな言葉をこぼしたので、俺は回廊を歩きながら「そうですね」と応じた。
「こんな騒ぎも、今日で終わるといいんですが……実際のところは、どうなんでしょうね」
「それは、誰にもわかりません。すべては、最後の賊を捕縛できるかどうかにかかっているのでしょう。もしも、明日の朝までに賊を捕縛できなかったら――」
と、ガズラン=ルティムはそこで口をつぐんでしまう。
俺が無言で続きを待っていると、ガズラン=ルティムはふいに眉を下げつつ微笑んだ。
「……アスタは私に、何もお尋ねにならないのですね」
「はい。必要な話であれば、ガズラン=ルティムのほうから語ってくださるでしょうからね」
「信用くださり、ありがとうございます。……最後の賊が捕縛されたなら、私もすべてを語るとお約束します」
やはりガズラン=ルティムは、何らかの答えを見出しているのだ。
そんな気配は、老人と黒豹が捕縛された夜から感じていた。きっと聡明なるガズラン=ルティムは、真犯人の正体やその目的にも何らかの見当がついているのだ。
しかしそれを口にしないのは、何か深い事情があるのだろう。
ならば、判断はガズラン=ルティムにゆだねたい。ガズラン=ルティムであれば決して判断を間違わないはずだと、俺はそのように信じていたのだった。
そうして浴堂で身を清めたならば、お召し替えであるが――俺とラウ=レイにはかつてティカトラスから贈られた宴衣装が、それ以外の狩人には武官の礼服が準備されていた。
「ふむふむ! 今日はこちらの宴衣装であったか!」
ヤミル=レイとともに着飾ることを喜びとしているラウ=レイは、満足げな面持ちで小姓の手に身をゆだねた。
俺とラウ=レイに準備されていたのは、西洋風の軍服めいた様式で、短いマントや脚衣を留める帯がアラビア風という、おそらくは南と西の様式が混在する宴衣装であった。俺は黒、ラウ=レイは朱色を基調にした配色である。
(今日はポワディーノ王子の送別の祝宴なのに、この宴衣装なのか。まあ、シム風の宴衣装だと肩の古傷が人目にさらされて、アイ=ファが不機嫌になっちゃうから……こっちとしては、ありがたいな)
しかし、南の様式がポワディーノ王子の不興を買ったりはしないかと、俺はいささか心配になったのだが――それは、無用の心配だった。着替えを済ませて控えの間に移動してみると、やがてやってきたアイ=ファとヤミル=レイがシム風の宴衣装を纏っていたのである。
シム風の宴衣装というのは、きらびやかな織物を巻きつけて留め具で固定するという様式になる。女性の場合は右肩から胸もとの際どい部分まで露出するワンショルダーで、さらに右足が腿の付け根まで剥き出しにされるのだ。そして、髪や胸もとや手首や前腕などに、これでもかとばかりに飾り物をつけられるのである。その異国的な優美さは、俺の心臓を脅かしてならなかった。
そして、アイ=ファのみ、くびれた腰に銀色の刀剣をさげている。すべてが白銀であちこちに宝石が埋め込まれた、実に美しい刀剣だ。確かにそれは、宴衣装の装飾品にしか見えなかった。
「うむうむ! 今日も変わらぬ美しさだな! 祝宴の場は息がつまるほど大勢の人間に守られているから、ヤミルは心置きなく祝宴を楽しむがいいぞ!」
「やかましいわね。最初から、城下町の祝宴を楽しむ気持ちなんて持ち合わせていないわよ」
レイの両名は相変わらずの様子で、気安い言葉を交わしている。
そして俺はアイ=ファの美しさに胸を高鳴らせながら、ひかえめに笑いかけることにした。
「今日は、その宴衣装だったんだな。その刀も、すごく自然に見えるよ」
「うむ。このようなものを振るう機会がやってこないことを祈るばかりだな」
アイ=ファは鋭く引き締まった面持ちで、そう言った。
アイ=ファが宴衣装の姿でそうまで鋭い表情を見せるのは、常にないことであったが――しかしそれは、アイ=ファの美しさを際立たせるばかりである。アイ=ファは気迫をこぼすほどに、女狩人ならではの美しさがあらわにされるのだった。
そうして控えの間でくつろいでいると、トゥール=ディンたちもやってくる。これにて、祝宴に参席するメンバーは勢ぞろいであった。
俺とアイ=ファ、ジザ=ルウとガズラン=ルティム、シン・ルウ=シンとララ=ルウ、ラウ=レイとヤミル=レイ、ガズ本家の兄妹、ダリ=サウティとサウティ分家の女衆――そして、トゥール=ディンとゼイ=ディン、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、ディック=ドムとレム=ドム。総勢は、18名だ。
女衆の宴衣装はさまざまな様式であったが、男衆は俺とラウ=レイを除く全員が武官の礼服である。そして、レム=ドムもシム風の宴衣装で、腰に白銀の刀剣をさげていた。
「これは以前に、レイナ=ルウが纏っていた装束であるそうよ。でもまあ一枚布を巻きつける格好だから、背丈や体格などはさして問題ではないのでしょうね」
同じ姿をしたアイ=ファの前に立ちながら、レム=ドムはにやりと不敵に笑った。
「祝宴の場は200名もの人間に守られているそうだけど、こんなものを振るう機会がやってくるのかしらね」
「どうであろうな。まあ、用心するに越したことはなかろう」
「ええ。わたしはトゥール=ディンとスフィラ=ザザのそばから離れないつもりだから、アイ=ファもせいぜい頑張ってね」
アイ=ファは「うむ」と力強くうなずいてから、俺のほうに向きなおってきた。
俺は無言のまま、うなずきを返してみせる。このような心持ちで祝宴に臨むのは、俺にとっても初めてのことであった。




