変転の日①~再開~
2024.3/25 更新分 1/1
・今回は全11話の予定です。
ポワディーノ王子の一行がジェノスにやってきてから、6日目――赤の月の16日である。
その前夜、黒豹の襲撃に見舞われたルウの集落も、平穏にその日の朝を迎えることがかなった。
賊たる老人と黒豹は同じ家に閉じ込められて、厳重な監視のもとで夜を明かすことになった。老人と黒豹は麻痺の毒が解けたのちも暴れることなく、ずっと静かに過ごしていたとのことである。
そうして夜が明けたのちも、賊と黒豹はそのまましばしルウの集落に留められていた。本日はジェノス城から送迎のトトス車がやってくる手はずになっていたので、その到着を待つことになったのだ。
それは、賊の捜索に協力する森辺の狩人を送迎するためのトトス車である。
この朝から、数十名にも及ぶ森辺の狩人が捜索隊に組み込まれる予定になっていたのだ。約束の上りの二の刻が近づくと、ルウの集落にはその役目を受け持つ各氏族の精鋭たちが次々と集結したのだった。
「ほほう。俺たちが働く前から、賊のひとりがまた忍び込んできたというのか。なんとも我慢のきかん悪党どもだな」
そんな皮肉っぽい言葉をもらしたのは、ラヴィッツの長兄である。ラヴィッツの家はこのたびも、本家の跡取りたる彼を送り出してきたのだった。
「あなたの助力を得られるのは、頼もしい限りです。ルウの血族はアスタを守る役目を担っておりますので、どうぞそちらはよろしくお願いいたします」
ガズラン=ルティムがそのように声をかけると、ラヴィッツの長兄はいっそうふてぶてしく「ふふん」と鼻を鳴らした。
「これだけの狩人が居揃っていれば、俺だけを頼る理由はなかろうよ。……このたびも、狩人の出し惜しみをする氏族はなかったようだな」
「ええ。誰もがこれは、ジェノスの危地であると見なしているのでしょう」
ガズラン=ルティムとラヴィッツの長兄につられて、俺も広場に集った狩人たちの姿を見回すことになった。
今はちょうど雨もやんでいたので、みんな頭巾もかぶらずに精悍な顔をさらしている。年若い人間もいれば、それなりに年配の人間もいるようだが――ただ、つわものぞろいの森辺の狩人としても、ひときわ力にあふれかえっているように思えてならなかった。
「やはり本家の家長や長兄という立場にある人間は少ないようですが、誰もが勇者かそれに準ずる力量であるのでしょう」
「ふふん。思ったよりも、年をくった人間が多いようだが……まあ、このたびの仕事は賊の痕跡を辿ることだしな。そういう仕事ならば、年をくった狩人のほうが得意にする面もあろう」
22の氏族からは2名ずつで、休息の期間にある6氏族からは可能な範囲で人数を出してほしいと呼びかけている。その場には、すでに50名以上の人間が集まっているように感じられた。もともと参じていたジェノスの近衛兵やジャガルの兵士たちは、森辺の狩人が織り成す静かな気迫にずいぶん恐れ入っている様子である。
「アスタもまだ、こちらに留まっていたのだな」
と、聞き覚えのある声に呼びかけられて、俺は愕然と振り返ることになった。
「ラ、ライエルファム=スドラが、どうしてここに? スドラは家人が少ないから、免除されたはずでしょう?」
「すべての氏族が人手を出すというのに、スドラだけが安穏と過ごしているのは心苦しいのでな。俺だけでも助力をしようと願い出たのだ」
ライエルファム=スドラは落ち着き払った面持ちで、そんな風に言っていた。
すると、ラヴィッツの長兄がまた「ふふん」と鼻を鳴らす。
「これはますます、去年の騒ぎを思い出させる顔ぶれだな。今度はどれほどの血が流されることになるのか、嫌な予感はつのるいっぽうだ」
去年の騒ぎ――邪神教団の討伐に、森辺の狩人が駆り出された一件である。あの日にも、ガズラン=ルティムとライエルファム=スドラとラヴィッツの長兄が居揃っていたのだ。ラヴィッツの長兄の落ち武者のように禿げあがった頭頂部に刻みつけられた古傷も、その遠征で負ったものであったのだった。
「みなさん……俺なんかが口を出すまでもないでしょうけれど、どうか気をつけてください」
「ええ、私からもお願いいたします。たとえ相手が老人であっても、東の民であれば油断はできませんし……黒豹の他にも、思わぬ手勢をひそませている可能性があります」
今回は見送りの役であるガズラン=ルティムも言葉を添えると、ライエルファム=スドラは無言のままひとつうなずき、ラヴィッツの長兄はにやりと笑った。
そのタイミングで、周囲の人々がわずかにざわめく。城下町から迎えのトトス車が到着したのだ。ただしこの人混みでは広場に踏み入ることも難しいので、集落の外に大きな車体の影がうかがえた。
「お待たせした。今日の責任者は、どちらであろうか?」
2名の武官を引き連れたメルフリードが、颯爽とした足取りで近づいてくる。
すると、どこからともなくドンダ=ルウも出現した。
「このたびの仕事にルウの血族は加わらないため、ザザ分家の家長とサウティ分家の長兄がいちおうの取り仕切り役となる。……ただその前に、伝えておかなければならんことがある」
ドンダ=ルウの視線を受けてガズラン=ルティムが語り始めると、メルフリードの灰色の瞳はますます冷徹に冴えわたっていった。
「昨晩、賊の片割れと黒豹が襲撃してきた、と? その黒豹は、ポワディーノ殿下の従えている黒豹とは別なるものであるのだな?」
「それは、確かです。『王子の牙』は、今でもポワディーノのそばに控えていることでしょう」
「うむ。それはすぐさま確認させていただくが……しかしまさか、敵方のほうから新たな動きを見せるとは……やはり、捜索の手が迫ることを危ぶんでいるのであろうな」
メルフリードは氷の仮面めいた面持ちで、ひとつ首肯した。
「相分かった。その件に関してはどのような内容で布告するか吟味するので、森辺の外では他言無用にて願いたい。アスタも、よろしく頼む」
「承知しました。メルフリードも、どうぞお気をつけください」
「わたしは前線に立つわけではないので、危険はない。捜索部隊の責任者は――」
メルフリードがそのように言いかけたところで、「おお、アイ=ファ殿!」という陽気な声が響きわたった。
俺のかたわらでずっと口をつぐんでいたアイ=ファは、こっそり溜息をつく。並み居る狩人たちをかき分けて近づいてきたのは、護民兵団の大隊長デヴィアスに他ならなかった。
「このぐずついた空の下でも、アイ=ファ殿の美貌を拝見すると胸が晴れわたるかのようだ! いや、またファの家がとんでもない騒ぎに巻き込まれてしまって、俺もずっと胸を痛めていたのだぞ! アスタ殿ともども息災なようで、何よりだ!」
「……また嫌な予感がつのってきたな」と、ラヴィッツの長兄がにやにや笑いながら肩をすくめる。昨年の邪神教団の討伐部隊の総指揮官が、このデヴィアスであったのだ。
「そちらも、相変わらずのようだな。……ガーデルは、大事なかろうか?」
「うむ。大人しくしていれば、生命が危うくなることもあるまい。しかし、寝床においてもアスタ殿は無事なのかとうわごとを繰り返しておってな。本当に、想い人と引き離された乙女か何かのようだ」
そんな気安い言葉を返しつつ、さしものデヴィアスも眉を下げた。シムの毒で深手を負ったガーデルは、もともと彼の部下であったのだ。
「ガーデルの無念を晴らすためにも、必ずや賊どもをひっとらえてみせよう! 森辺のお歴々に助力を願えれば、獅子に翼よ!」
「その前に、伝えておかなければならないことがある」
今度はメルフリードから事情が伝えられると、デヴィアスは「なんと!」と目を見開いた。
「賊の片割れが、襲撃してきたと? それで、その賊は何処に?」
「あちらの家で捕縛している。すみやかに引き渡そう」
ドンダ=ルウが合図を送ると、その家の玄関先にたたずんでいたルド=ルウと分家の少年が家の中に入っていった。
そうしてルド=ルウたちが再び姿を現すと、広場にどよめきが走り抜ける。賊は黒い装束ひとつの姿であったため、その奇怪な風貌があらわにされていた。
この賊は、いったい何歳ぐらいなのだろう。その深い皺に埋め尽くされた顔は頭蓋骨に生皮をはりつけたように痩せ細っており、どうしても俺にザッツ=スンを連想させてやまなかった。
ただ――首から下は、頑健そのものである。痩せていることに違いはないが、骨格はしっかりしているし、衣服の上からでも胸板の厚みが感じられる。明らかに、何らかの鍛錬を積んだ肉体であるのだ。それも、無駄肉のいっさい存在しない、研ぎ澄まされた刃のような雰囲気であった。
そしてその後ろからは、グリギの棒に吊るされた黒豹が運ばれてくる。そちらも四肢をくくられて、捕獲されたギバさながらであるが――ただ、黄金色の目を爛々と輝かせながら、うなり声のひとつもあげようとしなかった。
「この黒豹は、猟犬に負けねーぐらいしつけられてるみてーだなー。だからまあ、主人が命令を下したら、どんな状態でも暴れ回ると思うぜー?」
「承知した。そのまま、こちらの車に願いたい」
メルフリードから指示を受けた武官の先導で、老人と黒豹は引き立てられていく。老人は糸のように細めた目を足もとに伏せており、何を考えているのかもまったく判然としなかった。
「あと、こちらが賊の備え持っていた外套と毒の武具だ。シュミラル=リリンいわく、生命を脅かすほどの毒が多数含まれているとのことなので、慎重に取り扱いを願いたい」
「うむ。必ずや、あやつは生かしたまま牢獄に連行しよう。連日の尽力に、深く感謝する」
そうしてメルフリードがきびすを返そうとしたとき、長身の人影が音もなく近づいてきた。
ルウの集落で夜を明かした、『王子の眼』である。藍色のフードつきマントと面布で人相を隠したその姿を、メルフリードは冷たく凍てついた目で見やった。
「『王子の眼』……殿、と仰るべきであろうか?」
「いえ。この身は王子殿下の一部なれども、敬称は不要です。……この身もともに城下町に戻ることを許されましょうか? この身が見届けたものを、王子殿下にお伝えしたく思います」
「……承知した。では、こちらの車に」
「ご温情に感謝いたします」と述べてから、『王子の眼』は俺のほうに向きなおってきた。
「それでは、失礼いたします。あなたがたのお言葉は、王子殿下に余さずお伝えいたします」
「はい。ポワディーノ殿下にも、どうぞよろしくお伝えください」
「……そのお言葉もまた、余さずお伝えいたします」
『王子の眼』は武官の案内で、賊とは異なる車に導かれていく。その後ろ姿を鋭く見据えてから、メルフリードはあらためて俺たちに目礼をしてきた。
「では、わたしも失礼する。最後の賊が捕縛されるまで、くれぐれも油断なきように」
そうして並み居る狩人たちも、メルフリードたちとともに出立することになった。
俺は未練がましく、ライエルファム=スドラに声をかけてしまう。
「あの、ライエルファム=スドラ。くどいようですが、どうかお気をつけて」
「それは、こちらの台詞だぞ。まあ、アイ=ファがいれば危ういことはなかろうがな」
最後にくしゃっと皺くちゃの笑顔を見せて、ライエルファム=スドラは車に乗り込んでいった。
◇
森辺の精鋭の出立を見届けたのちは、ファの家に移動である。
本日から、また5日間の営業日であるのだ。賊の捜索では何の力にもなれない俺は、ひたすら自分の仕事を果たすしかなかった。
「ああ、アスタ。お疲れ様です。下ごしらえも、問題なく進んでいますよ」
ファの家では、すでにユン=スドラの指揮のもとに下ごしらえが進められている。俺はいつ呼び出しを受けるかもわからないため、基本の取り仕切りはすべてユン=スドラにおまかせしているのだ。
いっぽうフォウの集落では、レイ=マトゥアの指揮によってトゥランにおける商売の下ごしらえが進められている。営業初日の本日は、彼女が取り仕切り役の当番であったのだった。
「……なんだかもう、俺がいついなくなっても問題ないぐらい、みんな力をつけたよね」
俺がついついそんなつぶやきをもらすと、ユン=スドラがきゅっと眉を吊り上げつつ詰め寄ってきた。
「アスタ。そのように不吉なことを仰らないでください。アスタの留守をお預かりできるのは光栄な限りですが、みんな今でもアスタを頼りにしているのです」
「ああ、ごめん。ライエルファム=スドラたちが身を張ってるのに、何もお役に立てないのが心苦しくて……それに昨晩も、大変な騒ぎがあったんだよね」
森辺の外では他言無用という前置きをして、俺は昨晩のあらましを簡単に説明した。
すると、ユン=スドラの吊り上がっていた眉がすぐさま反対の角度に下げられてしまう。
「またそのような騒ぎがあったのですね……アスタが無事であったことを、母なる森と西方神に感謝します」
「うん、ありがとう。だからちょっと、無力感みたいなものを感じちゃって……ああやってたくさんの狩人が集まるさまは、どうしたって邪神教団の一件を思い出しちゃうからさ」
「……家長を始めとする狩人の方々の尽力には、わたしも感謝するばかりです。でも、狩人は狩人の、かまど番はかまど番の仕事を果たすしかないのではないでしょうか?」
そう言って、ユン=スドラは俺を力づけるように笑ってくれた。
「チルを邪神教団から守る戦いでは、アスタまで刀を取ることになってしまいましたが……あれこそ、間違った運命であったのだと思います。かまど番が敵を倒すために刀を取ることなど、本当はあってはならないことでしょう」
「うん。俺はそれで、まんまと手傷を負っちゃったしね」
「はい。アイ=ファだって、そんな事態は決して望んでいないはずです。だからそうして、アスタのために力を尽くしてくれているのですよ」
こんな言葉を交わしている間も、アイ=ファはずっと影のように控えていたのだ。それで俺がそちらを振り返ると、ぶすっとした顔のアイ=ファに頭を小突かれてしまった。
「ユン=スドラの申す通り、お前はかまど番としての仕事を果たすがいい。お前が屋台の商売を取りやめたら、宿場町の者たちをひどく落胆させることになってしまおうからな」
「そうですよ。こんな時期だからこそ、わたしたちはわたしたちの仕事を果たすべきです」
そうして俺はアイ=ファとユン=スドラに励まされながら、下ごしらえの仕事に取りかかることになった。
それからすべての準備を整えたのち、たくさんの護衛役に囲まれて宿場町に下りてみると――まるで祝宴か何かのように、喝采があげられたのだった。
しかし、移動中の覗き見を禁止されている俺には、さっぱり事情がわからない。のちほど説明してくれたのは、護衛役として同行していたガズラン=ルティムであった。
「どうやら宿場町では、アスタたちが屋台の商売を控えてしまうのではないかという風聞が出回っていたようです。一昨日の昼下がりからずっと賊の捜索活動が続けられていたため、そんな不安がわきたってしまったのでしょうね」
その後、屋台の商売を開始したのちには、それらの声が直接ぶつけられることになった。宿場町の人々は、まさしくガズラン=ルティムが述べていた通りの不安にとらわれていたのである。
「今はもう、貧民窟のほうにしか衛兵の姿はないみたいだけどさ! 昨日の昼頃まではこっちの主街道まで衛兵であふれかえってて、そりゃあ大層な騒ぎだったんだぜ?」
「だけどまあ、この屋台は狩人さんに守られてるんだから心配はいらねえよな!」
「ただ、昨日はもともと屋台も休みだっただろう? そうしたら、このままずっと会えなくなっちまうんじゃねえかって……ついついそんな弱気にとらわれちまってよ。まったく、洟を垂らした餓鬼みてえな話だよな」
そんな言葉を聞いていると、俺は思わず涙ぐみそうになってしまった。
こんなに大勢の人々が、森辺の屋台を楽しみにしてくれていたのだ。そして誰もが、俺なんかにねぎらいの言葉をかけてくれたのだった。
「そういえば、東の王子とかいうやつもアスタを召し抱えようって気持ちは捨てたってんだよな? まったく、ひやひやさせやがるぜ!」
「本当にな! いくら王子だからって、そんな勝手が許されるもんかよ!」
「あとは、残りの賊をとっつかまえるだけだな! まあ、あれだけの衛兵が駆り出されたら、逃げのびることはできねえだろうよ!」
宿場町の人々は、俺が思っていた以上に元気そうな様子であった。
なんとなく、事件はあらかた終わったような雰囲気である。ジェノス城から布告された内容しか知らされていなければ、そんな気持ちに落ち着くのかもしれなかった。
「……どうやら昨晩の騒ぎについては、しばらく伏せられるようですね」
と、最初の鍋が空になって、俺が荷車まで引き下がった際に、ガズラン=ルティムがそのように告げてきた。
「確かに、新しい布告が回された様子はありませんね。いったい、どういう思惑なんでしょう?」
「はい。よくよく考えれば、《ゼリアのつるぎ亭》に宿泊していたのはロルガムトと老人の片割れのみであったのです。もう1名の老人が存在するというのは、ロルガムトしか知らない事実ですので……ここで新たな賊を捕縛したと布告したならば、捜索活動を続ける名目が立たなくなってしまうのでしょう」
言われてみれば、その通りである。ロルガムトがこちらに寝返ったという話は秘匿しなければならないため、老人の賊が2名存在するという話はおおっぴらにできないわけであった。
「ただし、50名以上の狩人が駆り出されたからには、この近在に身をひそめることも難しくなるでしょう。あきらめて、シムに逃げ帰るか……あるいは最後に、何か荒事を仕掛けてくるかもしれません。こちらも用心を怠らないように注意しましょう」
ガズラン=ルティムのそんな忠告にあらためて気を引き締めながら、俺は商売を再開させた。
ドーラの親父さんやターラ、ベンやカーゴ、デルスにワッズなど、懇意にしている面々もみんな屋台に来てくれる。ほんの数日前までは当たり前であったそれらの光景が、また俺を力づけると同時に、心を揺さぶってならなかった。
今でも屋台は、たくさんの狩人と兵士たちに警護されている。そんな非日常の中で日常を感じさせてくれる人々の存在が、俺の情動をぐいぐいと揺さぶってきたのだ。屋台の休業日をはさんだことで、俺はそのかけがえのなさがいっそう実感できるようになったのかもしれなかった。
そうして賑やかながらも平穏に時間が過ぎていき、中天過ぎのラッシュを乗り越えた頃――ついに、ジェノス城からの使者がやってきた。
「失礼いたします。アスタ殿とルウ家の責任者たる御方に、ジェノス侯からのお言葉をお伝えしたく思います」
こんな事態を想定して、本日も護衛の狩人にはジザ=ルウが組み込まれていた。そうして予備の人員に屋台の番をおまかせして、アイ=ファとジザ=ルウとともに荷車の陰で話をうかがってみると――まったくもって意想外の言葉を聞かされることになったのだった。
「実は……昨晩みなさんが捕縛した賊が、すべてを告白したのです」
「……告白とは、何についてであろうか?」
「すべてです。首謀者の名も、その目的も、自分たちがどのような罪を働いてきたかも……あらいざらい白状したのです」
言うまでもなく、アイ=ファは鋭く目を細めて、ジザ=ルウは不可視の圧力めいた気配をたちのぼらせた。
「それはあまりに、急な話だな。自らの爪で手の甲をかきむしってまで素性を隠そうとした賊が、1日も経たぬ内にすべてを告白した、と?」
「はい。東方神への宣誓を行った上での告白ですので、まずは間違いないかと。……しかしもちろん、最後に残された賊を放置することはできませんので、捜索活動は継続されます。ご足労ですが、皆様方は屋台の商売を終えたのちに城下町まで参じていただきたいとのことです」
「……相分かった。ジェノス侯にも、よろしくお伝え願いたい」
使者は恭しく一礼して、またぱらつき始めた小雨の向こうに消えていった。
すっかり仰天した俺は、大慌てでアイ=ファとジザ=ルウの姿を見比べる。
「こ、これはどういうことでしょう? 人質を取られていたロルガムトはともかく、それに命令を下していた老人まであっさり自供を始めるだなんて……あまりに、あやしすぎませんか?」
「うむ。まずは如何なる言葉を語ったのかを確認するべきであろうな」
やはりジザ=ルウも、このような話はまったく鵜呑みにしていないようである。
そしてアイ=ファは厳しい面持ちの中で眼光だけをやわらげながら、俺の肩を優しく小突いてきた。
「ともあれ、今は目前の仕事に力を尽くすがいい。頭を悩ませるのは、その後だ」
「……うん。わかったよ」
ということで、俺はまた屋台の商売に没頭した。
屋台の終業時間まで、まだ一刻半ぐらいは残されているのだ。どれだけの懸念を抱えていようとも、仕事を二の次にする理由にはならなかった。
(ただ……今日はこの後、《ランドルの長耳亭》に寄っていくはずだったのにな)
俺たちは来たるべき『麗風の会』に備えて、フォンデュの菓子の研究を進める予定であったのだ。宿の主人たるランディには昨日の内に了承をもらっていたので、俺たちは屋台の商売を終えた後に《ランドルの長耳亭》に向かう手はずであったのだった。
「アスタたちは、また城下町に呼ばれてしまったのですか……」
こちらの屋台の料理を売り切ったのちに事情を打ち明けると、トゥール=ディンは力なく眉を下げてから、自らの弱気を振り切るようにぷるぷると頭を振った。
「であれば、わたしたちだけでも《ランドルの長耳亭》に向かいたく思います。それとも……それも禁じられてしまったのでしょうか?」
「いや。護衛役に関しては、何とかなったみたいだよ」
というよりも、宿場町と集落の間に存在する森の端は現在捜索活動の真っ最中であるため、そちらの帰り道で襲われる心配はないという話であったのだ。いかに相手が黒豹などの手勢をひそませていようとも、そちらの捜索部隊にはかなりの人数の狩人が割り振られているので、絶対に痕跡を見逃すことはないとのことであった。
ということで、護衛役の狩人と兵士はおおよそこちらに同行することになる。いちおうの用心として2名の狩人がトゥール=ディンたちに付き添うことになったが、そちらを森辺に送り届けたのちにはまた城下町を目指して合流するとのことであった。
そうして屋台の商売をきっちりやり遂げたのち、俺たちは荷車で城下町を目指す。護衛役の狩人はアイ=ファを含めて13名で、昨晩同じ家で身を休めた面々はすべて同行していた。
「賊がいったいどのような話を告白したのか、気になってなりませんね。できれば私も、その場に立ちあいたかったところですが……フェルメスが立ちあっていたならば、ひとつもらさず伝えてくれることでしょう」
ガズラン=ルティムは、そんな風に語っていた。
いっぽう俺も同じ思いを噛みしめつつ、気持ちは捜索活動に従事しているライエルファム=スドラたちのほうに引っ張られている。細かい雨が降りそぼる中、頭巾をかぶったライエルファム=スドラたちは懸命に森の端で賊の痕跡を追っているのだ。何も危険なことがないようにと、俺は朝から何べんも母なる森と西方神に祈っていた。
やがて城門に到着したならば、たくさんの狩人と兵士たちに警護されながら、立派なトトス車に乗り換える。
そこで、意想外の人物と合流することになった。雨具を纏ったメルフリードである。
「わたしは主街道にとめた車に控えて、捜索活動の指揮を取っていたのだ。そちらは副官のロギンに任せてきたので、わたしもともに賊の証言を聞かせてもらおうかと思う」
そのように説明しながら、メルフリードは同じ車に乗り込んできた。
「賊がすべてを告白したというのは、驚くべき話だ。わたしもまだ、おおまかな内容しかうかがっていないのだが……東方神への宣誓のもとに語られた言葉であるのなら、疑う余地はなかろうな」
「ふむ。やはり、そうなのか」
「うむ。ただし、それでもなおフェルメス殿は賊の証言を疑っているような節がある。それも含めて、すべてを余さず聞かせてもらうしかあるまい」
そのように語るメルフリードは、朝方に出会ったときと同じぐらい灰色の瞳を冷徹に光らせていた。
かくして俺とアイ=ファは、6日連続で城下町まで向かうことになり――そこでまた、驚くべき話を聞かされることに相成ったのだった。