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異世界料理道  作者: EDA
第七章 母なる森のもとに
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⑦青の月16日~決着~

2014.12/27 更新分 2/2

「馬鹿な! どうしてお前は、死なないのだ!?」


 ラウ=レイが、憤怒の形相でわめき声をあげる。


「俺たちの刀は、確実にお前の胴体をえぐった! お前は本当に人間なのか!?」


「ふん。わたしは『禁忌の葉』を口にしただけだ。森の恵みに目もくれなかった貴様たちには、何のことやらわからぬであろうがな」


 狂った喜悦にひび割れた声。

 別人のように変質しながら、それでもはっきりと聞き覚えのある、テイ=スンの声。


 俺たちは、まんまと出しぬかれてしまったのだ。

 死を覚悟した人間の――いや、死をも凌駕したテイ=スンの妄執に。


 俺の鼻には、昨日以上に濃密な血の匂いが流れこんできていた。

 むりやり眼球だけを下方に向けてみると、おぞましいほどの血の池が足もとに出現している。


 テイ=スンは、おそらく致命傷を受けているのだ。

 4人もの狩人がいて、自分たちの仕事を仕損じるはずもない。

 だが、テイ=スンの妄執が、そのような常識や摂理をも超えてしまったのだろう。


 どうやらテイ=スンは、屋台の後ろにあった樹木にもたれて立ちはだかっているようだった。

 そうして、背後から俺の咽喉に手をかけているのだ。


 どのような攻防の末に、このような顛末が訪れたのか。俺には知覚することができなかった。

 しかし俺は、意識を失っていたわけではない。瞬きをしたほんの一瞬でこのような有り様になってしまったのだから、きっとテイ=スンは屋台を跳びこえて野獣のように俺につかみかかってきたのだろう――背中を3人の狩人に斬りつけられながら。


 では、俺をかばうような位置取りで立っていたルド=ルウの存在は、どのような手段で退けたのか。


 これも想像するしかないが――そのルド=ルウが、ぽっきりと折れた小刀を地面に叩きつけ、大ぶりの鉈を新たにつかみ取る姿を見て、何となく察することはできた。


 俺のほうに跳びかかる過程で、テイ=スンは屋台に設置されていた鉄鍋をつかみ、それでルド=ルウからの斬撃を防いだのかもしれない。

 そういえば、金属同士がぶつかる硬質の音色を耳にした気がするし、それならばルド=ルウの小刀が折れたことにも説明がつく。


 半分がた麻痺してしまった頭でそこまで考えたとき、またテイ=スンの憎悪に狂った声が響きわたった。


「正統なる族長筋たるスン家に刃を向けた貴様たちに報いを与えるまで、私は死ぬわけにはいかぬのだ! 最後の道連れには、スン家に滅びをもたらしたこの小僧こそが相応しかろう!」


「ふざけんな! 森辺の掟を破りまくっていたてめーらに族長筋を名乗る資格なんてない! いいからアスタを放せ、この死にぞこないめ!」


 ルド=ルウが、ラウ=レイに劣らぬ怒りの形相でわめき返す。

 しかしテイ=スンは、昨日のザッツ=スンを思わせる悪鬼のような哄笑でそれに報いた。


「森辺の掟も、都の法も関係ない! 偉大なるザッツ=スンは、それらに代わる新たな掟と秩序を我々にもたらそうとしていたのだ! 大志を理解できぬ愚者どもめ! 都の人間にかしずくことしかできなかった惰弱の徒め! 貴様たちは、都の人間どもを屈服させる唯一の手段を失ってしまったのだ!」


「そんな御託はもう聞き飽きてんだよ! 何が新しい法と秩序だ! てめーらはただの盗人じゃねえか!」


「我々は、不当に奪われた富を取り戻しただけだ! 生命をかけてジェノスの田畑を守った、その報酬を手にしただけだ! 恥ずべきは、我々を森辺に閉じ込めて甘い汁をすすりたいだけすすっていたジェノスの民どもだ!」


 本当にこれが致命傷を受けた人間の声なのだろうか。

 ドンダ=ルウにも劣らない、裂帛の気合に満ちみちた声である。


 それに、俺の首をつかんだ指先からも、恐しいほどの力強さを感じる。

 テイ=スンは、なぜか右腕を使わず左腕1本で俺の首をわしづかみしているばかりなのだが。俺が少しでも身動きしようとすると、その指先がそれを罰するように首の骨を圧迫してくるので、情けないことに、俺は馬鹿みたいに立ちつくしてテイ=スンとみんなのやりとりを聞いていることしかできなかった。


「しつけえよ! だからって、盗人の真似事をする理由になるか! そんな恥知らずな真似をするぐらいなら、死んだほうがましだ!」


「ならば死ね! 森の中で、ギバに突き殺されるがいい! 角と牙から得られるわずかな銅貨だけを有り難がりながら、森に朽ちるがいい! それこそがジェノスの与えた森辺の民の運命なのだからな!」


「この野郎……!」と、ルド=ルウはいっそう激しく双眸を燃やした。


 気づけば、残りの3名も俺たちを取り囲むようにして立ちはだかっている。


 3名の、赤い血に濡れた小刀をかまえる狩人たち。


 ラウ=レイは憤怒の形相で、シン=ルウは無表情、しかしどちらも火のように目を燃やし、そしてアイ=ファは――


 アイ=ファは、その場にいる誰よりも激しく青い瞳を燃えさからせながら、しかし、これ以上ないぐらい悲壮な表情になってしまっていた。


 その表情にこそ心臓をつらぬかれてしまい、俺はようやく現実から乖離しかけていた意識を自分のもとに取り戻すことができた。


「ま、待ってください、テイ=スン――あなたは本当に、ザッツ=スンの教えが正しいと信じていたんですか……?」


 咽喉もとに、新たな力が加えられる。


「何だ、生命ごいか、ファの家のかまど番よ? 今さら何をほざいたところで、貴様の罪は許されん! 貴様はルウ家と共謀し、スン家に滅びをもたらしたのだ!」


「いや、だけど――」


「ジェノスから与えられた不当な掟を、我々は80年間も守らされてきた! この80年間で、何人の人間が飢えて死んだと思っているのだ!? それでも我々は森の恵みを食することさえ許されず、ただ愚直にギバを狩り続けてきた! そうして、生まれたばかりの幼子も、苦難の生を耐え続けた老人も、ギバとの戦いで傷ついた狩人も――誰が見張っているわけでもないのに森から恵みを得ようともせず、愚直に掟を守りながら、飢えて死んでいったのだ! ジェノスに殺されたのだ! このような運命が正しいなどと、わたしは決して認めない!」


「俺だって、それが正しいとは思っていません! だから、森辺に恵みをもたらすために、このような商売を始めたんです!」


 ぐいぐいと咽喉をしめつけられながら、それでも俺は必死に声を振り絞った。


 テイ=スンは、また哄笑を爆発させる。


「愚かな行為だ! なぜ目の前に果実があふれかえっているというのに、そのように迂遠な真似をせねばならないのだ!? 森の恵みを食することさえできれば、いずれは銅貨さえも必要なくなるのだ! それこそが森を神とする正しき民の生であろう!」


「だけどそれでは、西の田畑がギバに荒らされてしまうじゃないですか! 森辺の民だって西の王国の一員なのですから、おたがいに支え合いながら生きていくのが正しいはずです!」


「ならばこそ、我々にはさらなる力が必要であったのだ! 飢えて死ぬ人間がいなくなれば、森辺の民はさらなる力を得る! それで500名の民が1000名に増えれば、これまで以上にギバを狩ることも可能になり、我々が森の恵みをいくら収穫しようとも、ギバが西の田畑を襲うこともなくなっていたはずだ!」


 やっぱりか――と、俺は改めて思い知らされた。

 ザッツ=スンの根源にあったのは、俺やアイ=ファやガズラン=ルティムと同一のものであったのだ。


 森辺に、さらなる豊かさを――という思いだ。


「だったら……だったらどうして、あなたたちはこの十数年間、『ギバ狩り』の仕事をおろそかにしていたんですか? 旅人を襲ったり農作物を奪ったりする行為には誰も賛同しなかったでしょうが、それでもスン家がきちんと狩人としての仕事をまっとうした上で、さらなる力や豊かさの重要性を説いていれば――そのためには森の恵みを収穫する必要がある、と説いていれば、賛同する氏族もあったはずじゃないですか? そうしてジェノスの城ともきちんと話し合い、収穫の権利を得ることができていれば、誰もがスン家を偉大なる族長筋と賞賛していたでしょう!」


「愚か者め! それではけっきょくジェノスにへつらってきたこれまでと何ら変わらない! 我々は、ジェノスから与えられた偽りの生そのものを打ち砕かねばならんのだ!」


「おい、お前はアスタの質問に答えていないぞ、恥知らずの凶賊よ。スン家はどうして狩人としての仕事をおろそかにしていたのだ?」


 ラウ=レイの言葉に、「それは貴様たちのせいだ、ルウの眷族よ」とテイ=スンは返した。


「20年の昔から、貴様たちはスン家に牙を剥いてきた。スン家はまず、貴様たちを上回る力を得る必要があったのだ! そうでなくては、ルウ家を怖れる氏族の者どもはスン家の言葉に耳を傾けようとはしなかっただろう。だから我々は、民と富を守りながら、静かに力を蓄え続けたのだ!」


「……話にならんな。それでお前たちは狩人としての仕事も果たさず、盗人の真似事を繰り返し、十数年も遊び惚けていたというのか? それでお前たちは何を得た? わずかばかりの銅貨と、狩人としての誇りも力も失った惰弱の民を得ただけではないか?」


「それは! ズーロ=スンにザッツ=スンの大志を継ぐ力がなかったからだ! ザッツ=スンさえ病を得ていなければ、きっと我々は今ごろ正しい生と誇りを手中にしていた!」


「だったら、大志とやらを成し遂げる前に病などを得てしまった先代家長や、無能な家長を恨むがいい。けっきょくお前たちは大志だ大志だとほざきながら、好き放題に堕落していただけではないか?」


 そうしてラウ=レイは猟犬のように獰猛な顔つきのまま、いくぶんけげんそうに首を傾げた。


「それに、お前の話はいかにも言い訳じみている。だいたい、お前とザッツ=スンの他には、大志だ何だとほざく人間がひとりとして存在しないのはどういうわけだ? けっきょくそのような戯言を胸に抱えて悶々としていたのは、お前とザッツ=スンだけなのではないか?」


「……ああ、その通りだ! この十数年で、ザッツ=スンの大志を知る者はみな死に果ててしまった! 唯一それを知るズーロ=スンも、あのように堕落し果ててしまった! スン家はもう――スン家はもう、滅ぶ他ないのだ!」


「何だ、だったらますますルウやファを恨むのは筋違い――」


 と、ラウ=レイが呆れたように言いかけたとき、人垣のほうから悲鳴やわめき声が聞こえてきた。


 白装束の兵士たち――ジェノスの近衛兵団が到着してしまったのだ。


「凶賊め、やはり生きていたのだな。その穢れた身でジェノスの町に足を踏み入れた罪は万死に値する」


 近衛兵団長メルフリードを先頭に、10名ばかりの兵士たちがよどみのない足取りでこちらに近づいてくる。


 その眼前に、アイ=ファが立ちはだかった。


「待て! 何をする気だ、お前たち!」


「知れたこと。罪人を処断する」


「うつけ者が! アスタが――私の家人が捕らわれているのがわからぬのか! うかつに近づけば、アスタを害されるだけだ!」


「私にも目はついている。案ずるな、森辺の民よ。あの凶賊めが不埒な真似に及ぶ前に、あの素っ首を叩き落としてくれよう」


「そのような真似ができるものか! お前は森辺の狩人の力を見誤っている!」


 俺たちに背中を向けたまま、アイ=ファが小刀をかまえなおした。

 メルフリードの灰色の瞳が、ますます冷たく爬虫類のように光る。


「我々に刀を向ける気か、森辺の民よ。それは、許し難い罪だ」


「ふざけんな! あいつはあれだけ斬り刻まれながら、平気な顔をして笑ってやがるんだぞ? 首を刎ねられながらアスタの咽喉を握り潰しちまったらどうする気だ!」


 ルド=ルウも、メルフリードのほうに向きなおる。

 それと同時に、テイ=スンはまた悪鬼のごとく笑い始めた。


「いいぞ! 殺し合え! それこそが貴様たちに相応しい姿だ! 森辺の民とジェノスの民は、どちらかが滅ぶまで憎み合う運命なのだ!」


「……いいかげんにしろ、テイ=スンよ。お前の言葉には一片の理もない。お前は自らの滅びを受け入れることができず、その恐怖をまぎらわすためにそうして騒いでいるだけなのではないのか?」


 比較的冷静な声でそうたしなめたのは、シン=ルウだった。

 しかし、テイ=スンの哄笑は止まらない。


「わたしの心に恐怖などない! すでにスン家の命運は尽きたのだ! あとはもうこの許されざる逆賊を道連れにできれば、わたしは本望だ!」


「そのような真似をしても、お前の魂は救われない。アスタを放せ」


「放してやろう! 息の根を止めた後にな!」


 テイ=スンの哄笑を聞きながら、メルフリードが刀を抜いた。

 1本ではなく、2本。

 左右の手に白銀の刀を携えつつ、メルフリードは眼前のアイ=ファを冷たく見すえる。


「そこをどけ。どかねば、お前たちも斬る」


「……城の人間と刃を交える気はない。頼むから、そちらが引いてくれ」


 激情に震える、アイ=ファの声。


 メルフリードの背後にひかえる兵士たちも、その手の矛を握りなおしている。


 ふつふつと、その場の空気が煮えたっていき――

 そして、すっとぼけた声が、いきなりその空気を木っ端微塵にした。


「やめようよ。君たちが争う必要なんてどこにもないはずじゃないか」


 皮の長マントを纏った、ひょろ長い人影。

 金褐色の蓬髪をぼりぼりとかきながら、その男はどこからともなく出現した。


「……貴方の出る幕ではない。引っ込んでいてもらおう、カミュア=ヨシュ」


 アイ=ファとルド=ルウのほうに目線を固定したまま、メルフリードはそう応じた。


 そちらにてくてくと近づきながら、「そんなことはないはずだよ」と、カミュアは緊迫感のない声で言う。


「君もアイ=ファも、俺にとっては大事な友人だ。その友人同士が刀を向け合っているのに俺には関係ないだなんて、そんなさびしいことは言わないでおくれよ、メルフリード」


「だったら、この森辺の民のほうを何とかしろ。私には、法と秩序を守る責務がある」


「そうだねえ。だけど、俺は森辺の民に借りがある。俺は、彼女たちを騙し討ちにするような真似をしてしまった。その借りだけは、どうしても返してしまわなくてはならないんだ」


 そう言って、カミュアはアイ=ファとメルフリードの間に立ちふさがった。


 どちらの刀が振り下ろされても避けようのない位置だ。

 そうして自身はマントの中から腕を出そうともしないまま、カミュアはアイ=ファや俺たちに背を向ける格好でメルフリードと相対した。


「俺は君の願いを聞き入れてあげただろう? だから今回は、俺の願いを聞き入れてくれ。……この決着は、森辺の民の手で着けさせるべきだ」


 数秒間の沈黙の後――メルフリードは、左手の刀だけを鞘に収めた。


 カミュアは「ありがとう」と言い、背後のアイ=ファを振り返る。


「後はまかせたよ、アイ=ファ。アスタを助けてあげてくれ」


 アイ=ファは無言のまま、その場から離れた。

 そして、俺たちのほうに近づいてくる。


「テイ=スンよ。お前の胸が無念に満ちているということはわかった。しかし、アスタを道連れにしてどうしようというのだ? そのようなことをしても、無益だ。……否、お前が罪を重ねれば重ねるほど、お前の家族たちが苦しむことになるだけであろう」


 とても静かな声で、アイ=ファはそう言った。

 テイ=スンは、「何が家族だ!」と吐き捨てる。


「スンの名を抱きながらルウに屈した者たちなど、もはや家族でも眷族でもない! わたしが同胞と呼べるのは、無念の内に生命を散らしたザッツ=スンだけだ!」


「それを本心で言っているのか? お前には、血族よりも大志とやらのほうが大事だというのか?」


 言いながら、アイ=ファは奇妙な素振りをした。

 両腕を左右に広げて、ラウ=レイとシン=ルウに下がるよう指示を送ったのだ。


 半瞬だけ迷ってから、ふたりは少しだけ後方に引き下がる。

 アイ=ファは、無造作に小刀を下げながら、さらに数歩、俺たちに近づいてきた。


「何の真似だ? それ以上近づけば、家人の首を握り潰すぞ? ……まあ、そろそろわたしの生命も限界のようだから、貴様がどのように振る舞おうとも結末は変わらんがな」


「そんなにアスタが憎いのか? アスタは、森辺に豊かさをもたらそうとしているだけだ。森辺の民が飢えて死ぬことのないような、そんな豊かさを求めて尽力しているだけだ。スン家が同じ大志を抱いていたというのなら、それを引き継ぐのがアスタであり、ファの家であり、ルウの家である、という風には考えられぬのか?」


「貴様たちは、ジェノスに尻尾を振っているだけだ! いかに豊かさを得ようとも、そのような行為で誇りは取り戻せん!」


「そんなことはありません! 俺は――俺たちは、ジェノスに媚びへつらうわけではなく、ともに生きたいと願っただけです! 法や掟を踏みにじるのではなく、同じ法と掟のもとに生きる同胞としての縁を結びなおしたかっただけです!」


 アイ=ファの瞳を見つめながら、俺は必死に割りこんだ。

 アイ=ファの面に浮かんだ悲壮なまでの覚悟の表情に、俺はそうせずにはいられなかったのだった。


「同胞だと? 我々を不当に虐げてきたジェノスが、同胞だと!? ふざけるな! ジェノスは、屈服させるべき、敵だ!」


「俺はそうは思いません! アイ=ファやルウの人々だって、そんな風には思っていないはずです! 森辺の民は、自らの意志で掟を守ってきただけなのですから、仮に不当な扱いを受けていたとしても、虐げられてきたなどという意識はないんです! だから、もしもスン家の人々だけが、そんな無念を抱えこんでいたというのなら――それはきっと、ジェノスの城から与えられたものなのでしょう」


 その城の人間がすぐそばでこの問答を聞いているわけだが、そこを避けて話を続けることはできなかった。


「その無念は、ルウとザザとサウティが引き継ぎます。スン家に代わって族長筋となった彼らが、今後は城とやりとりをしていくんです。スン家だけでは抱えきれなかった無念を、今後は森辺の民の全員で受け止めることになるのでしょう。それでも俺たちは屈せずに、正しい縁を結べるように力を振り絞ります。だから――森辺の行く末を、俺たちに託してくれませんか?」


「……馬鹿か、貴様は?」と、したたるような憎悪の激情とともに、テイ=スンはそう言い放った。


「森辺の行く末など、知ったことか! わたしはもうすぐ死ぬ! ザッツ=スンはすでに死んだ! スン家の滅んだ世界には、破滅と絶望こそが相応しい! 森辺も、この町も、石の城も、何もかもが滅んでしまえばいいのだ!」


 駄目か――と、俺は歯噛みする。

 俺の言葉では、テイ=スンの憎悪を消すことはできないのかもしれない。


「……ならば、私の生命も手土産に持っていけ」


 と、アイ=ファがふいに力を失った声でそんな風につぶやいた。

 愕然とする俺の目の前で、アイ=ファが1歩、足を踏み出す。


「近づくな! そのような戯言でわたしの隙をつこうという気か、ファの家長よ?」


「そのようなつもりはない。家人を目の前で害されながら、おめおめと生き恥をさらす気持ちになれぬだけだ。……アスタを殺すなら、私のことも殺してくれ」


「アイ=ファ! お前、何を言ってるんだよ!」


 そんな泣き言は、アイ=ファには似合わない。

 それに、どのような苦境に陥っても、自ら死を選ぶだなんて――そんなのは、絶対に俺の知るアイ=ファのやることではない。


 アイ=ファはがっくりとうなだれながら、腰の大刀を足もとに落とした。

 そして、その手に持っていた小刀は左手に持ち替えて、柄のほうを俺たちに差し出してくる。


「この刀で、私の生命を絶つがいい。できれば、アスタよりも先に私を殺してくれ。……アスタの死ぬ姿は、見たくない」


「待て! 近づくな! 貴様などの奸計には乗らんぞ! わたしにではなくこの小僧に刀を渡すつもりだな!?」


「何を言っている。アスタには女衆ていどの力しかない。いかに深手を負っていようとも、アスタより素早くこの刀を受け取ることぐらいは容易であろう?」


 さらにアイ=ファが近づいてこようとすると、テイ=スンはまた「動くな!」と、わめいた。


「わたしの右腕は動かぬのだ! 貴様たちの刀が、右肩の筋を断ってしまったのだろう。だからわたしには、ひとりの人間を道連れにすることしかできん! この小僧は今すぐにくびり殺してくれるから、死にたいのならば自ら咽喉を突いて死ね!」


「そうか……」と、アイ=ファはつぶやいた。


「やはりお前の右腕は動かせぬのか、テイ=スン」


 その瞬間、俺の首を圧迫していたテイ=スンの指先が、ふいに力を失った。


 それと同時にアイ=ファが踏み込んできて、俺の身体をテイ=スンからもぎ離す。


 そして――どこか遠いところで、黄色い悲鳴が響きわたった。

 おそらくは、街道を埋めた町の人々の誰かだろう。


 俺の身体を抱きすくめたまま、アイ=ファが地面に倒れこむ。

 そうして俺を地面に押さえつけながら、アイ=ファは半身を上げて、いつのまにやらきちんと持ち替えていた小刀を背後の虚空に差し向けた。


 しかし、そのような用心は必要なかった。


 樹木にもたれたテイ=スンは――咽喉もとと左肘から大量の鮮血を噴きこぼしつつ、その場にぐしゃりと崩れ落ちた。


「これは……いったい……?」


 ほとんど無意識につぶやきつつ、俺ものろのろと半身を上げる。


 ルド=ルウたちも、カミュアも、メルフリードも、誰ひとりとして立ち位置を変えていない。それなのに、テイ=スンは血の海に沈んでしまった。


 もしかして、これらのすべては現実ではなく悪夢だったのではないかと、そんな馬鹿げた想念が俺の脳裏をよぎったとき――テイ=スンのもたれていた樹木の陰から、小さな人影がひょっこりと現れた。


「誇りを失った恥知らずめ。……己の子を飢えで失う苦しみなど、スン家でぬくぬくと生きてきた貴様などにわかるものか」


 それは――なんと、スドラの家長であった。

 その場にいる誰よりも小柄で華奢な体格をした陰気なその男衆は、小刀の血を振り払ってからそれを革鞘に収め、白装束の近衛兵団長を振り返った。


「森辺の大罪人を始末した。俺は何か都の法を犯してしまったか?」


「……かの大罪人は、生死を問わず捕縛せよ、との令が出されていた。お前の罪を問う法はない」


「そうか。それならば、良かった」


 あくまでも陰気に、勝ち誇る様子もなく、スドラの家長はそんな風につぶやいた。


 きっと彼は、テイ=スンが目の前のアイ=ファたちに気を取られていた隙に『ミャームー焼き』の屋台を離れ、少しずつ、慎重に、気配を殺しながら背後の雑木林に回り込んでいたのだろう。


 そして、背後からテイ=スンの左肘を斬り、アイ=ファが俺の身柄を確保してから、咽喉もとに小刀を突きたてたのだ。


「ファの家長よ、お前が機転をきかせてくれたおかげで、この凶賊めを出しぬくことができた。やはりこやつは右腕を動かすことができなかったのだな」


「こちらこそ、家人の生命を救ってもらったのだ。どれほど感謝の言葉を述べても足りぬであろう」


 鹿爪らしく応じながら、アイ=ファは左手でぎゅっと俺の右手の先をつかんでいた。


 その体温と力強さを何よりも得難いものと感じながら――俺は、ゆっくり立ち上がった。


 そして、アイ=ファとともにテイ=スンへと近づいていく。


 ひとりの人間の体内には、これほどの血液が詰まっているのか。

 そんな凄まじい血だまりの中で――テイ=スンは、無表情に虚空を見つめていた。


 その面には何の感情も浮かんではおらず。

 その瞳は、死んだ魚のように濁っている。


 さきほどまでは、どのような形相で憎悪と呪詛の言葉を発していたのだろう。

 その姿を目にすることができなかった俺には、まったく想像することさえできない。


「テイ=スン……」


 俺は、足もとが血で汚れるのにもかまわず、テイ=スンのかたわらにひざまずいた。


 だんだんと光を失っていく濁った瞳が、力なく俺を見る。


「家長会議の夜に、アイ=ファに力を貸してくれたのは、あなたなのですか?」


 テイ=スンは、答えることを拒絶するかのようにまぶたを閉ざした。


 しかし。

 弱々しく上下するその胸が動きを止める寸前に、テイ=スンはまたゆっくりとまぶたを開き――


 そして、『ギバ・バーガー』を食べたときと同じように、柔らかく満ち足りた微笑をその血まみれの顔に浮かべた。


「……ようやく最後の仕事を果たせました……」


 それが、族長筋の分家に生まれつき、あまりに強大で邪悪な力を持つ族長に翻弄されながら51年間を生きたテイ=スンの、最期の言葉だった。

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― 新着の感想 ―
本当に板挟みになってすり潰されるしか無かった男。 本当にこれでしか折り合えなかったのかな・・・。 まぁやる事やっちまってるからなぁ。
[気になる点] 黄色い悲鳴は、喜びの表現としてしか使わないので(スターに対して黄色い悲鳴を上げる、など)この場面ではふさわしく無いのでは無いかなと思いました
[一言] テイ=スンにも次の人生では幸せに生きてほしい。
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