食事会と秘密会議②~開会~
2024.3/8 更新分 1/1
しばらくして、女衆も控えの間にやってきた。
誰もが、ジェノスで一般的なワンピースの準礼装である。ただ残念なことに、アイ=ファは武官のお仕着せめいた装束であった。
「そっか。今日はその格好だったんだな」
「うむ。私が授かった準礼装というものは、ジャガルの様式であるはずだからな。今日の主体はシムの王族であるので、その装束では不適当であると判じられたのであろう」
そのように語るアイ=ファもまた、着ているものなどに一切関心は払っていない様子であった。
「それでは、それぞれの会場にご案内いたします」
アイ=ファたちが腰を落ち着ける時間もなく、シェイラからそのように告げられた。
帽子をかぶったグラフ=ザザは、顔の左右に垂れた織物を揺らしながらディック=ドムのほうに向きなおる。
「では、そちらのことは頼んだぞ。まあ、城下町で危険はないという話だが……気を抜く理由にはならんからな」
「うむ。わきまえている」
ディック=ドムとヴェラの家長は、レイナ=ルウやユン=スドラたちとともに別室に案内されていく。俺とアイ=ファと三族長、そしてガズラン=ルティムは各陣営の責任者が待ち受ける広間だ。
ただ本日は、誰もが帯刀を許されていた。城下町で準備された立派な鞘の直刀が、腰の帯にさげられているのだ。そして広間までの行き道には、西と東と南の武官が入り乱れていた。
(これはまあ、ポワディーノ王子が心を開いてくれた証拠だよな)
現在のポワディーノ王子は、何より東の刺客を警戒しているのだ。城下町に刺客が侵入するすべはないと聞かされても、いまだにギリ・グゥの神殿で鉄壁の守りを固めているのだという話であった。
「森辺の方々がいらっしゃいました」
シェイラがそのように告げると、ジェノスの武官の手によって広間の扉が開かれた。
昨日と同じぐらいの規模を有する広間であるが、本日は左右と奥の三方にたくさんの衝立が立てられている。その裏に、各陣営の護衛役がひそんでいるのだろう。森辺の陣営は護衛役の狩人を入室させない代わりに、帯刀を許されたわけであった。
「待っていたよ、皆々がた。2日連続で呼びつけてしまって、申し訳なく思っている。……アスタとアイ=ファに至っては、5日連続となってしまったしね」
まずはマルスタインが、そんな言葉を投げかけてくる。その左右に並ぶのは昨日と同じく、メルフリード、ポルアース、外務官、フェルメス、オーグという顔ぶれだ。座席の配置も、昨日とまったく同一であった。
「食事の席としては不相応であろうが、もっとも語りやすいのはこの配置であろうからね。皆も、昨日と同じ卓に座ってもらいたい」
俺たちは、マルスタインたちを正面に見る位置に腰を下ろした。背もたれに長剣を収納する筒が設置された、たしか騎士の椅子というやつだ。ドンダ=ルウたちは何を指示されるまでもなく、腰の長剣をそこに収めていた。
やがて待つほどもなく、南の王都の面々の入室が告げられる。こちらの広間には左右にも入場口が設置されており、右側の扉から登場した面々はそのまま右側の座席に着席した。こちらも昨日と同じく、ダカルマス殿下、ロブロス、フォルタ、書記官という顔ぶれだ。
そして最後に、ポワディーノ王子の一行が入室する。
ポワディーノ王子はまたもや帳の輿に乗って登場したが、入室と同時に輿がおろされて、帳の内から姿をさらした。
身長150センチ足らずの、ほっそりとした姿である。
東の文字で『七』と記された藍色の面布も、昨日のままだ。輿を運んだ4名の『王子の足』はそのまま壁際に控えて、アルヴァッハとナナクエム、『王子の牙』たる黒豹、そして長身の『王子の眼』と2名の女性が追従したが、やはり臣下の3名は着席せずに王子の背後に立ち並んだ。
「皆様、お疲れ様です。まずは食事を運ばせますので、そのままお待ちください」
ただひとりマルスタインのそばに侍っていた小姓が、楚々とした足取りで広間を出ていく。やがて彼がたくさんの侍女や小姓を引き連れて料理を運んでくるまで、誰も何も語ろうとはしなかった。
侍女や小姓たちは普段以上につつましい顔で目を伏せて、料理の皿を卓に並べていく。ポワディーノ王子も、こういった面々に姿をさらすことは承諾したのだ。ただし侍女や小姓たちのほうこそが、決してポワディーノ王子のほうを見ないようにと懸命に目をそらしている様子であった。
クロッシュをかぶせた皿と茶の準備を整えたのち、すべての侍女と小姓が退室していく。そこで再び、マルスタインが口を開いた。
「本日の会はポワディーノ王子と親睦を深めさせていただくための食事会と銘打っておりますが、秘密の会合という側面もありますため、従者には立ち入らせません。お手数ですが、食事と茶の世話は各自でお願いいたします」
「もちろんです! 格式などにこだわっている場合ではありませんからな!」
ダカルマス殿下は元気な声を返してから、もじもじと身を揺すった。
「それに、これが重要な語らいの場であることは重々承知しているのですが……アスタ殿の料理を味わわさせていただくのは数日ぶりのことですので、どうしても胸が弾んでしまいます! あまり浮かれたことを述べたてないように自重しますが、もしものときはご容赦を願いますぞ!」
「はい。ぞんぶんに食事をお楽しみいただきながら、今後のことを語らせていただきたく思います」
そうして、食事会が開始された。
それと同時に、フォルタが不満げな声をあげる。
「……本日は従者を遠ざけるというお話であったのに、そちらは従者を侍らせておるのですな」
女性である臣下のひとりが進み出て、ポワディーノ王子の皿のクロッシュに手をかけていたのだ。姿勢正しく座したポワディーノ王子は、凛々しい声音で「うむ」と応じた。
「先日から申している通り、『王子の分かれ身』は我が身も同然である。遠ざける意味はないので、『王子の腕』の一番を同行させた」
その『王子の腕』の一番なる女性は、ギリ・グゥの神殿における面談の際にも同席していたように思うが――何せ面布で顔を隠しているものだから、確証は持てなかった。
「そちらの『王子の腕』なる者は、王子殿下の身の回りのお世話をするのがお役目なのでしょうかな?」
マルスタインの問いかけに、ポワディーノ王子はまた「うむ」と応じる。
「本日は、『王子の腕』の一番と『王子の眼』の右と『王子の舌』の一番を同行させた。いずれも我が身の一部であるため、気を払う必要はない」
「ゼル=ヴィレ? というのは、初めてうかがったように思います」
「『王子の舌』は王子の舌、いわゆる毒見役である。これも王家のしきたりであるため、容赦を願いたい」
「毒見役か……ずいぶん懐かしい言葉を聞かされるものだ」
グラフ=ザザが底ごもる声をあげると、ポワディーノ王子は面布に隠された顔をそちらに向けた。
「西の地にも、毒見役が存在するのであろうか?」
「俺が知る毒見役はただひとり、大罪人サイクレウスに仕えていた娘となる。今はそのような役目からも解放されて、新たな主人に仕えているという話だがな」
「左様か。毒を扱わぬ西の地においても、毒見役が存在するのだな」
ポワディーノ王子の何気ない返答に、今度はダリ=サウティが声をあげた。
「ではあなたは、毒を警戒しているのであろうか? これらはいずれも、森辺のかまど番が手掛けた食事であるのだが」
「うむ。もちろん森辺の民を信用していないわけではない。しかし、不埒者が後からひそかに毒を混入させることは可能であろう? 東の王家たるものは、常に安全なる道を探らなければならないのだ」
ポワディーノ王子がそのように答えると、ダリ=サウティもグラフ=ザザも口をつぐんだ。おそらくは、ポワディーノ王子の境遇に同情したのだろう。毒見役を準備しなければならない生活など、気の毒に思うのが当然の話であった。
(そういえば、魂を返したふたりの王子は毒殺を疑われてるんだっけ。もうひとりは、謎の病魔で正気を失ったって話だし……それじゃあ、なおさら気を抜けないよな)
俺も内心では、そんな思いを噛みしめていた。
「では、それぞれの流儀に従って食事をお楽しみください」
マルスタインの言葉に、次々とクロッシュが開けられた。
皿は、5種類。オーソドックスなギバ・カレー、魚介カレー、ギバのロースの豆乳煮込み、ジョラのつみれのタラパ煮込み、そしてプレーンのシャスカだ。昼の軽食であるのでひと皿あたりの量はつつましいものであったが、フェルメスのために魚介の料理を2種追加した次第であった。
「ほうほう! どれから手をつけたものか、悩ましいところでありますな!」
ひさびさにダカルマス殿下の屈託ない喜びの声を聞いて、俺は何だか感無量である。そして無言のまま青い瞳を輝かせているアルヴァッハにも、同じだけ心を満たされることになった。
ダカルマス殿下を除く面々は、粛々と食事を開始している。
その中で、ポワディーノ王子はひとり不動だ。『王子の舌』なる女性は懐から取り出した銀の器に5種の料理をひと口分ずつ取り分けて、面布の下側から口に運んだ。
そちらの様子を気にしながら、俺も自分の手掛けた料理をいただく。
本日はシャスカが主食であるため、2種のカレーも日本式の味付けだ。魚介カレーのほうではアマエビのごときマロールにイカタコのごときヌニョンパにホタテガイモドキ、そして牡蠣のごときドエマも使用している。そして、オイスターソースに似た貝醬も隠し味に使い、さらなる向上を目指していた。
豆乳煮込みにはチンゲンサイに似たバンベやマツタケに似たアラルの茸、タラパ煮込みにはアスパラガスに似たドミュグドなど、新たな食材もふんだんに使っている。俺なりに、東と南の食材を分け隔てなく取り入れたつもりであった。
(まあ普段から、どこの産地の食材かなんてそんなに意識はしてないけど……無意識の内の偏ってたら、失礼にあたるかもしれないからな)
シムの香草を多用したカレーとジャガルから伝えられた豆乳の料理を並べたのも、そんな考えの一環である。シャスカはシムの食材だが、ジョラはジャガルの食材であるし、大きな偏りはないはずであった。
「ううむ、素晴らしい! やはりアスタ殿も日を重ねるごとに、新たな食材の扱いが巧みになっていくようですな!」
まだ深刻な語らいが開始されないと見て取ってか、ダカルマス殿下は再び陽気な声を張り上げた。
そしてそのエメラルドグリーンの瞳が、正面に座するポワディーノ王子のほうに向けられる。
「こちらのかれーという料理などは、何度口にしても飽きることがありません! シムの香草をこれだけ巧みに扱われて、ポワディーノ殿もご満足なのではありませんでしょうかな?」
「うむ……これほど巧み香草を扱った料理は、王都でもそうそう見かけないように思う」
そのように応じるポワディーノ王子も、すでに食事を開始していた。いずれの料理にも危険はないと、『王子の舌』とやらに判じられたのだ。
だがしかし、王子は食事をするのに指一本使っていなかった。王子がいくぶん首を傾けて面布の下側に隙間を作るごとに、『王子の腕』たる女性が匙を運ぶのだ。それもシムの王家のしきたりなのであろうが、なかなかに奇異なる光景であった。
「しかし、アスタは香草の扱いを得手にしていないという話であったはずだが……あれは我の申し出を拒むための方便であったのであろうか?」
「いえ。こちらのかれーなる料理が見事な出来栄えであることは事実ですが、ポワディーノ殿下に虚言を吐くような非礼はいたしません。ジェノスには、アスタよりも巧みに香草を扱うことのできる料理人が複数名存在するのです」
自身も海鮮カレーに舌鼓を打ちながら、フェルメスがそのように答えた。
「まあ、その大半は森辺の民であるわけですが……もっとも香草の扱いが巧みであると見なされているのは、城下町の料理人ヴァルカスです。この評価には、美食家たるダカルマス殿下もアルヴァッハ殿もご異存はないかと思われます」
「はい! ヴァルカス殿の手腕は、魔術さながらでありますからな!」
「うむ。我、異論、非ず」
やはりポワディーノ王子の前であるためか、アルヴァッハは口数が少ない。
するとポワディーノ王子は、面布に隠された目をそちらに向けた。
「そういえば、其方は美食家として名が通っているそうだな。城下町のみならず宿場町においてもそのように語られていると、『王子の耳』が聞き及んでいる」
「うむ。羞恥、限りである」
「美食家であることを恥じる必要はあるまい。それで其方はアスタの料理を口にするたびに長々と寸評していたのであろう? 我に遠慮はいらないので、好きに振る舞うがいい」
アルヴァッハは巨大な石像のように背筋をのばしたまま、なんとも言えない眼差しでポワディーノ王子のほうを見た。
「王子殿下、心づかい、ありがたい、思うが……やはり、このような場、不相応であろう。事前、ナナクエムからも、たしなめられている」
「そうか。ジェノスにおける振る舞いに関しては其方たちのほうが十分にわきまえていようから、そちらの判断に任せよう」
ポワディーノ王子のそんな言葉に、マルスタインがゆったりと微笑んだ。
「失礼ながら、アルヴァッハ殿との間にも確執は残されていないようで、わたしも安堵いたしました」
「うむ……昨日の会談にてアルヴァッハを退室させたのは、我の短慮であった。我はダカルマスが無実であると思い知らされたことにより、第二王子こそが首謀者であると確信するに至ったので……少なからず、心を乱してしまっていたのだ」
ポワディーノ王子は幼いながらも凛々しい声で、そのように答えた。
「それに……アルヴァッハのように公正な人間こそを重用するべきであるというグラフ=ザザの言葉も、のちのち深く噛みしめることに相成った。得難き助言を授かったことに、感謝している」
いきなり矛先を向けられたグラフ=ザザは、遠慮なく「ふん」と鼻を鳴らした。
「俺は、誰もが思っていたことを口にしただけだ。……そちらがそのような若年であるなどとは、夢にも思っていなかったのでな」
「アスタたちにも告げているが、シムの王族は10歳で成人と見なされる。若年であるのは事実であろうが、それを理由に見くびることは控えてもらいたく思う」
「我々は誰ひとりとして、あなたを見くびっていません。それどころか、大きな驚嘆の思いを胸にしています」
と、ガズラン=ルティムがゆったりと口をはさんだ。
「森辺の狩人というものは、何より気配を探ることを得手にしているのです。よって、帳で姿が隠されていようとも、あなたの気配を探ることは難しくありませんでしたが……それでいて、あなたが10歳というお若さであったことは、誰ひとり察知できていなかったのです」
「……それは、どういう意味であろうか?」
「あなたには、10歳という若年には不相応なほどの落ち着きや風格が備わっているということです。確かにダカルマスが無実であるという話に至った際、あなたはずいぶん心を乱しておられたようですが……それでもなお、10歳の子供の気配ではありませんでした」
「……それはむしろ、森辺の狩人の鋭敏さに驚かされるばかりであるな」
そのように答えながら、ポワディーノ王子はほんの少しだけ身じろぎした。
もしかしたら、ガズラン=ルティムの評価が嬉しかったのだろうか。彼は確かに子供とは思えない落ち着きを持っていたが、時おり年齢相応の幼い一面を垣間見せるのだ。
(そういえば、俺やフェルメスは『王子の眼』が王子の知恵袋なんじゃないかって疑ってたんだっけ)
かつての会談の場では、『王子の眼』が密談を申し出るたびに、ポワディーノ王子から新たな言葉が語られていた。よって、『王子の眼』が何らかの助言を与えているのだろうと考えたのだ。
しかし、王子の言葉を信じるならば、『王子の眼』は王子の目に過ぎない。彼は彼なりの見識で見て取ったものを王子に伝えていたのかもしれないが、それで何を語るか決めるのは王子自身なのだろうと思われた。
(だからまあ、王子の言い分にはずいぶん強引なところもあったけど……10歳だって考えれば、自然に思えるぐらいだよな)
俺がそんな風に考えていると、ポワディーノ王子が「それにしても……」と新たに声をあげた。
「アスタの手腕は、実に見事である。我の屋敷にも王宮にも、これほどの手腕を持った料理人は稀であろう。かえすがえすも、アスタを臣下に迎えられないのは無念の限りである」
フェルメスはまた性悪な精霊のような眼差しで、ポワディーノ王子のほうを振り返った。
するとポワディーノ王子は、機先を制するように言葉を重ねる。
「すでに布告は回されているのだから、我が前言をひるがえせば大きな反感を買うことになろう。第二王子の大罪を暴くことがかなえば『星無き民』の力も不要なのであろうから、我もことさらアスタに執着するつもりはない」
「それは何よりのお話です。それでは食事のさなかでありますが、捜査の進捗状況をうかがうことにいたしましょうか」
「承知しました」と、メルフリードが匙を置いた。
「すでにお伝えしました通り、昨日の会談を終えてすぐ、我々はポワディーノ殿下との和解が成ったことを布告すると同時に、賊の捜索を開始いたしました。そして、最初に向かった《ゼリアのつるぎ亭》にて賊のひとりが老人であったという証言を取れましたため、その旨を明るみにした上で捜索を進めました」
「あくまで、宿屋の主人の証言のもとに、賊のひとりが老人であると明かしたわけですね?」
「はい。そこは慎重に取り計らいましたので、残された賊たちもロルガムトの背信にはまだ気づいていないことでしょう。ですが……昨日の朝方に宿を引き払ったという老人の行方は、杳として知れません。東の民は常に頭巾を深くかぶっており、その老人は襟巻きで口もとを隠しているという話でありましたので、日中に姿をさらそうともなかなか年齢までは察せられないのでしょう」
「ですが、食事の際には襟巻きを外すはずですし、食堂で頭巾をかぶっていたならば余計に人目をひくことでしょう。《ゼリアのつるぎ亭》の関係者は、その老人の素顔を目にしていないのでしょうか?」
「ええ。その老人とロルガムトはずっと部屋に引きこもっており、食堂にも姿を現さなかったそうです。用心をして、寝所で食事をとっていたのでしょう」
「さすがに、ぬかりはありませんね。しかし、賊の正体が老人であると明かしたからには、宿屋の方々も東の客を迎えるたびに警戒したことでしょう。それでも昨晩、なんの報告ももたらされなかったのですね?」
「はい。おそらくはロルガムトが捕縛されたことにより、あちらも入念に姿を隠したのでしょう。現在は、宿場町の貧民窟と近在の山野を中心に捜索を進めています。賊の片割れが荷車を備えているというのなら、身を隠せる場所はそうまで多くないはずです」
メルフリードがそこで言葉を切ると、ポルアースがおずおずと発言した。
「宿場町のみならず、ダレイムやトゥランにまでかなりの兵士が派遣されたようですね。こうまで大々的に捜索されたならば、残された賊たちもシムに逃げ帰ってしまうのではないでしょうか?」
それに「否」と答えたのは、ポワディーノ王子である。
「第二王子の配下が、そのような弱気にとらわれることはありえない。首尾よくロルガムトが捕縛されたからには、たくらみの通りに我が糾弾されるか否か、それを見届けぬ内にジェノスを離れることはありえまい」
「首尾よく捕縛でありますか……あのロルガムトという者は、捕縛される前提で使われていたのですね」
「無論である。まあ、真なる理想はロルガムトが自害して、亡骸だけが手にわたることだったのであろうが……何にせよ、ロルガムトはそのために偽りの刻印を刻まれたのである」
すると、ドンダ=ルウが不動のままぐっと筋肉をたわめる気配が感じられた。
「その老人どもは、すべてが終わったあかつきには妹ともども解放するなどとほざいていたようだが……そんな気は、最初から毛頭なかったということだな」
「無論である。さらった妹も、その日の内に処分したのであろう。許されざるべき暴虐である」
と、ポワディーノ王子もわずかに肩を震わせた。
こちらは第二王子に対する恐怖と怒りがせめぎあっているのだろうか。昨日の口ぶりからして、彼は他なる王子たちに相応の親愛を抱いていたのではないかと察せられた。
「ところで……先刻メルフリードは、荷車を抱えていては身を隠す場所も限られると申し述べていた。それは、予断ではなかろうか?」
「予断? と、申しますと?」
「我が賊の立場であれば、邪魔なものはすべて打ち捨てる。トトスや荷車など、のちにいくらでも買いつけることがかなうのだからな。そこまで見越して、こちらも捜索を進めるべきではなかろうか?」
メルフリードは、灰色の目をすっと細めた。
「王子殿下の仰る通り、トトスや荷車をいつまでも抱え込んでいるというのは、こちらの浅はかな思い込みであったようです。盗賊の類いであれば、大事なトトスを手放すことなどそうそうありえないところでしょうが……十分な資金を持ちあわせているのでしたら、その限りではないでしょう」
「ですが、トトスや荷車というのはそう簡単に処分できるものではありません。野に打ち捨てるか、然るべき場所に売り払うか、あるいは無法者に受け渡すか……いずれにせよ、何らかの痕跡は残されることでしょう」
フェルメスが優美な笑顔で発言すると、メルフリードは「ごもっともです」と首肯してから右手を軽くあげる。それに応じて、衝立の裏からひとりの武官が駆けつけた。
「捜索隊の責任者に、言伝を。賊がトトスと荷車を処分したという可能性を考慮して、その痕跡を探すのだ」
「承知いたしました」と、そちらの武官は並み居る面々に一礼してから退室していった。秘密の捜査会議に相応しい、物々しい様相である。
そんな中、ダカルマス殿下とアルヴァッハは炯々と目を光らせつつ、無言で食事を進めている。そして森辺の陣営も、それは同じことだ。そして、それを目にしたマルスタインは口もとをほころばせながら、自分の杯に茶を注いだ。
「会議と食事を同時に進めるというのは、なかなかに難しいものでありますな。この後にも会議の時間を設けるつもりですので、まずはアスタたちの心尽くしをお楽しみください」
「うむ。熱が逃げては、アスタの心尽くしも台無しであろうからな」
ポワディーノ王子も鷹揚に応じつつ、首を前側に傾ける。『王子の腕』は何事もなかったかのように、なよやかな指先でギバ・カレーを王子の口に運んだ。
「そういえば、こちらのシャスカのお味は如何でありましょうかな?」
ダカルマス殿下がことさら明るい口調で問いかけると、ポワディーノ王子は「うむ?」と小首を傾げた。
「シャスカ……シャスカは、いずれの皿にも見当たらないようだが」
「そちらの白い粒が、シャスカでありますよ! 東の王都には、まだそちらの加工の方法が伝えられていないのでしょうかな?」
ポワディーノ王子は、ぎょっとした様子で身をすくめた。
「白い粒とは、こちらの皿のことであろうか? 確かにシャスカに似た風味であるように感じていたが……あまりに様子が異なるため、西か南の穀物なのであろうと判じていた」
「ゲルドでは、すでにそのように仕上げられたシャスカが存分に楽しまれているという話でありますぞ! きっと東の王都においても、同じぐらいの評判を呼び込むことでしょう!」
そう言って、ダカルマス殿下は呵々大笑した。
「アスタ殿を連れ帰らずとも、アスタ殿の成果を持ち帰ることは可能です! ポワディーノ殿はずいぶんな苦労を抱え込んでしまわれましたが、それに見合った成果を持ち帰っていただきたいものですな!」
「……左様であるな。今はまだ、第二王子のたくらみを破ることにすべての力を注ぐべきであろうが……すべてが終わったあかつきには、あらためてアスタの手腕を楽しませてもらいたく思う」
「はい。自分もその日がやってくることを心待ちにしています」
俺がそのように答えると、ポワディーノ王子は「うむ」とうなずいた。
やはり面布のおかげで、表情も何もわからないが――ただ彼は切れ長の目にとても穏やかな光をたたえているのではないかと、森辺の狩人ならぬ俺でもそれぐらいは察せるような気がした。
 




