序 ~開陳~
2024.3/4 更新分 1/2
・今回は全9話の予定です。
「よろしいですか?」と俺が声をかけると、ポワディーノ王子はいくぶん張り詰めた声音で「うむ」と応じた。
ポワディーノ王子がずっと引きこもっていた、四角い帳の内である。現在は四者会談のさなかであり、帳の内には俺とアイ=ファとポワディーノ王子、そして『王子の牙』たる黒豹の姿だけがあった。
黒豹は、黄金色の瞳に心配そうな光をたたえてポワディーノ王子を見上げている。
それに気づいたポワディーノ王子は、ほっそりとした指先でその首筋を撫でた。
「案ずることはない。我は……もはや、このように振る舞うしかないのだ」
王子がそのように告げると、黒豹は首をひねって主人の手の甲をなめた。
東の習わしが存在しなければ、王子も微笑のひとつも浮かべていたところであろうか。しかし今は、それを確認するすべもない。王子は臣下たる『王子の分かれ身』と同じように、藍色の面布で顔を隠していた。
頭にはつばのない帽子をかぶっており、そこから面布が垂れている。面布に白く染めぬかれている紋様は、東の文字で『七』と記されているのだそうだ。
首から下は宝石を溶かしたようにきらめく藍色の装束で、さらに数々の飾り物がさげられている。王子という立場に相応しい、豪奢ないでたちであろう。
しかし彼は、10歳の少年であった。聞くところによると、生誕の日はやはり藍の月であったらしい。彼は10歳になってから、まだ4ヶ月ほどしか経っていないということであった。
「では、ゆくぞ」
まずはアイ=ファが帳の外に顔を出し、周囲の様子をうかがってから、俺の手を引きつつ外に出た。
そして、『王子の牙』がそれに続くと会談の場に小さからぬどよめきがあがり――さらにポワディーノ王子が姿を現すと、さらなるどよめきがわきたった。
ついにポワディーノ王子が、衆目にその姿をさらしたのだ。
人々の驚きは、如何ほどのものであっただろう。俺やアイ=ファだって、まさかポワディーノ王子が10歳の少年であったなどとは想像していなかったのだ。
ポワディーノ王子は薄い胸をぐっとそらしてから、よどみのない足取りで会談の場へと歩を進めていく。『王子の牙』がそれに追従し、俺とアイ=ファは森辺の同胞が居並ぶ座席のほうに回り込んだ。
広間の中央にはコの字形に卓が置かれて、各陣営の立場ある面々が控えている。
森辺の陣営は、ドンダ=ルウとグラフ=ザザとダリ=サウティの三族長に、ガズラン=ルティム。
その正面の席はジェノスと西の王都の陣営で、マルスタインとメルフリード、外務官とポルアース、フェルメスとオーグ。
こちらから向かって右側は南の王都の陣営で、ダカルマス殿下、ロブロス、フォルタ、書記官。
そして、座席の存在しない左側には、面布で顔を隠した『王子の分かれ身』が6名とナナクエムが立ち並んでいた。
ポワディーノ王子が近づいていくと、『王子の分かれ身』の面々は3名ずつ左右に分かれてスペースを空ける。この場で驚きの思いをあらわにしていないのは、彼らのみであった。ナナクエムでさえもが、驚愕に目を見張っていたのだ。
「あらためて……我がシムの第七王子、ポワディーノ=ラオ=ケツァルヴァーンである」
ポワディーノ王子は、変声期前の少年の声でそのように名乗った。
東の民であるので年齢の割には背丈のあるほうなのであろうが、それでもせいぜい150センチ弱だ。そして面布で顔を隠していようとも、その声とほっそりとした体躯が彼の年齢をあらわにしていた。
「アスタとアイ=ファの助言に基づき、今後は我も自らの口で語らせてもらいたく思う。ただし、シムの王家のしきたりに従って、やはり素顔をさらすことは控えさせてもらう。どうか、了承してもらいたい」
そう言って、ポワディーノ王子はマルスタインのほうに顔を向けた。
「もしも可能であれば、敷物か椅子を所望したいのだが、如何であろうか?」
「は……どちらも別室に準備がありますが、王子殿下を見下ろす失礼は避けるべきでしょう。外に控えた小姓に、椅子を準備させます」
「いらぬ世話をかけてしまい、陳謝する。そして……もしもまだアルヴァッハが近くに控えていたならば、もうひとたび同席させることを許してもらえようか?」
それもまた、俺とアイ=ファからの助言であった。
マルスタインは内心の動揺をゆったりとした微笑で隠しつつ、「もちろんです」と応じる。
「誰か、外の小姓に言伝を……ああ、すまないね、ガズラン=ルティム」
ガズラン=ルティムもまた穏やかな表情で「いえ」と応じつつ、扉のほうに向かう。そしてその際に、俺とアイ=ファにこっそり微笑みかけてきた。
ついに俺たちは、本当の意味でポワディーノ王子を会談の場に引っ張り出すことがかなったのだ。
ジェノスを見舞った大混乱を終息させるための、これは大きな一歩であったことだろう。俺たちが想像していた以上に、今回の一件には根深いたくらみが隠されていたようだが――それでも俺たちは、死力を尽くして安らかな生活を取り戻さなければならないのだった。