四日目③~拝謁~
2024.2/18 更新分 1/1 ・3/3 数字の誤表記を修正
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「ともあれ、捕縛した賊であればすべての真相をわきまえていよう。先刻も申した通り、シムの秘薬を使えば真実を語らせることも難しくはない。即刻、賊の身柄を引き渡してもらいたい」
ガズラン=ルティムの要請をはねのけたのち、ポワディーノ王子は『王子の口』の口を介してそのように申したてた。
それに「いえ」と応じたのは、マルスタインである。
「こちらも先刻申し上げました通り、すべての真実がつまびらかにされたのちには、シムの罪人として賊を受け渡すこともやぶさかではありません。ですが、今は我々の管理下において尋問を進めるべきでしょう」
「その賊の目的は、我を陥れることである。であれば、我にとって不利益となる虚言しか口にしまい。そのような尋問は、無意味である」
「恐れながら」と、フェルメスが口をはさんだ。
「シムに真実を告白させる秘薬が存在するということは、僕も耳にはさんだ覚えがあります。ですが、そちらの秘薬は毒も同然で、対象者の生命や正気を脅かす危険が生じるのではないでしょうか?」
「これほどの大罪を働いた人間は、極刑が相応である。大罪人の生命を慮る理由はあるまい」
「いえ。西には死罪よりも重い苦役の刑というものが存在いたします。これほどの罪を犯した人間には、死罪でも生ぬるいのでしょう」
茶会を楽しむ貴婦人のような面持ちで、フェルメスはそう言った。
「なおかつ、正気を失いかねないほどの毒である秘薬をもちいては、証言の信憑性というものが問われます。少なくとも、西の地においてシムの秘薬から得られた証言は審問の場でも有効とは見なされないということをご理解ください」
「……我々は600余年の昔に魔術の文明を捨て去ったが、秘薬の調合は王国の法でも許された。秘薬をもちいた証言に価値を見出さないとは、愚鈍の極みである」
「そういったお考えは尊重いたしますが、すぐさま西の法を改めることはかないません。今後、秘薬の行使は不可であると思し召しください」
そのように応じてから、フェルメスは間髪を入れずに言い継いだ。
「ところで、『王子の分かれ身』の方々が手の甲に刻まれる忠誠の証についておうかがいしたいのですが……賊の手の甲に刻まれた刻印は偽物であると、ポワディーノ殿下はそのように主張されるのですね?」
「くどい。『王子の剣』の七番は、欠番である。その亡骸は丁重に葬られたので、この世に剣の七番の刻印を携えた人間は存在しない。よって、我を陥れるために準備された偽者である」
「ですが、忠誠の刻印を再現することなど、余人に可能なのでしょうか?」
あくまでゆったりとした口調のまま、フェルメスはそのように言葉を重ねた。
「西には罪人に刻印を刻むという習わしが存在いたします。大罪人は、右腕に罪の刻印が刻まれるのです。それを消すことがかなうのは王都の執行官のみでありますため、たとえ刑場や獄舎を脱走したとしても、罪の証は残されます。それで一部の領地においては、入場の際に右腕をあらためるという習わしが存在するわけですね」
その習わしは、俺もダバッグへの小旅行で体験することになった。ジェノスの城下町などでも、最初に通行証が発行される折にはそういった措置が取られるのだろう。
「然して、そちらの刻印の施術に関しては、西の王都において厳重に管理されております。刻印に使われる染料や、それを消すための秘薬、そして刻印の図面……それらはすべて、模倣できないように秘匿されているのです。罪なき人間に類が及ばないように、そのように取り決められているわけですね」
「……其方の話は、冗長である。簡潔に、申したいことを申すがいい」
「失礼いたしました。……『王子の分かれ身』という神聖にして重要な役職にまつわる刻印であるならば、西における罪人の刻印よりもいっそう厳重に管理されているのではないかと考えた次第です」
ヘーゼル・アイを静かにきらめかせながら、フェルメスはそう言った。
「また、西の罪人の刻印であれば、脱獄した人間から図面を盗み見ることも可能でありましょう。ですが、『王子の分かれ身』の刻印というものは火で炙らなければ目にすることもできませんため、余人が模倣することもいっそう難しいのではないでしょうか?」
「…………」
「もちろんそちらの刻印は、王子殿下の紋章と役職の名称および数字であるのですから、当て推量でも模倣することは可能でしょう。ですが、そのような模倣を許さぬために、紋章の意匠や文字の字体などはきわめて独特の筆致であるようにお見受けいたしました。不完全な模倣は容易くとも、完全な模倣はありえない……『王子の分かれ身』の紋章は、そのような形で扱われているのではないでしょうか?」
「…………」
「朝方にお渡しした図面は、賊の手の甲から正確に写し取ったものと相成ります。あちらの図面を仕上げるために、賊の手の甲は何度となく火で炙られることになりました。そちらをお目にした王子殿下は、意匠そのものに間違いはないと仰っていましたが……それは事実であられるのでしょうか?」
『王子の口』は長きの沈黙の後、「くどい」と答えた。
「意匠そのものに間違いはない。《ゼル=ドゥフェルム》』の紋章を完全に模倣することは難しかろうが、現にその刻印を刻まれた人間が存在するのだ。であれば、どうにかして紋章の正しき形を盗み取ったのであろう」
「どうにかして、とは? そのような所業が可能なのでしょうか?」
「そのような話は、賊に問い質すがいい。我の知るところではない」
ポワディーノ王子のそんな物言いが、俺の神経に引っかかった。
何か、小さなトゲのような違和感を覚えたのだ。俺は懸命に、その正体を追い求めることになった。
しかしその間も、会談は続けられている。次に口を開いたのは、ダカルマス殿下であった。
「とにかく我々は、何としてでも賊の正体とそれを操っていた人間の正体を突き止めなければなりますまい! ポワディーノ殿も、どうか力を尽くしていただきたく思いますぞ!」
「我は最初から、秘薬をもちいるべきだと述べている。それを頑なに拒んでいるのは、そちらであろう」
「ですからそれは、西や南において認められていない所業であるのです! 審問の場で使えぬ証言など、腐ったアリアほどの価値もありますまい!」
「そちらの審問など、我の知った話ではない。シムの罪人は、シムで裁くべきであろう」
「重要なのは出自ではなく、いずれの地で罪を働いたかでありましょう! 東の地で西や北の人間が罪を犯したならば、東の審問によって裁かれるのでしょう? それと同じことです!」
これまでの沈黙を取り返そうかというように、ダカルマス殿下は威勢よくまくしたてていった。その顔に浮かぶのは、勇猛なる笑みである。
「昨日の言葉を、繰り返させていただきますぞ! 我々王家の人間には、民を導く大きな責任があるのです! 今後も西の地において同胞が健やかに過ごせるように、我々は力を尽くさなければなりません! 事件の解決が遅れれば遅れるほど、ジェノスに滞在する東の方々も肩身のせまい思いをするのですぞ!」
「ジェノスに滞在しているのは、おおよそジギの行商人のみである。少なくとも、王子直轄領の人間はひとりとして存在すまい」
「ほうほう! あなたにとっては、直轄領の領民のみが同胞であるということでしょうかな?」
「いずれの出自であろうとも、後ろ暗いところがなければ堂々と過ごせばよい。我も、そのように取り計らっている」
「ふむ! これはなかなかに、堂々巡りでありますな!」
ダカルマス殿下はエメラルドグリーンに燃えあがる目で、アルヴァッハのほうをちらりと見た。
巨大な石像のように不動であったアルヴァッハが、そこでついに口を開く。
「恐れながら……我、ジェノスにて、交易、行う、ひとりである。現状、深く、憂いている。事件、早急、解決、願っている」
「其方の言葉は、聞き苦しい。よくもそのように未熟な言葉で、交易などできるものだな。……事件の解決を願っているならば、其方も好きなだけ力を尽くすがよかろう」
「もちろん、そのつもりである。そして、王子殿下、助力、不可欠、考えている」
正面を向いたまま、アルヴァッハはそのように言いつのった。
「この事件、王子殿下、陥れる策謀、仮定して……我々、情報、足りていない。王子殿下、助力なくして、解決、難しかろう」
「仮定とは、何たる物言いか。よもや、其方まで我を疑っているのではなかろうな?」
「我、王子殿下、信頼したい、願っている。そのために、事件、解決、必須である」
アルヴァッハがそのように告げると、しばしの沈黙が訪れた。
その末に、『王子の口』から放たれた言葉は――「去ね」である。
「主君を疑う臣下など、我には必要ない。即刻、退室するがいい」
「お待ちください。会談の間は何者をも出入りさせないという取り決めでありましょう? 入室はもちろん、退室もそこに含まれるのではないでしょうか?」
マルスタインが口を出すと、『王子の口』は帳に耳を寄せてから厳然と答えた。
「であれば、今日の会談はここまでである。明日からは、そちらの痴れ者を除いた顔ぶれで会談を進めさせてもらう」
会談の場が、ざわめいた。
すると、アルヴァッハがタランチュラのように巨大な手を広げてそれをなだめるような仕草を見せる。
「事件、一刻も早く、解決するべきである。1日、遅延、許されまい。我、退室、許し、願いたい」
「……主君たるポワディーノ殿下がそのようにお望みでしたら、致し方ありませんな。ジャガルの方々にもご異存はありませんでしょうか?」
マルスタインがすかさずそのように応じると、ダカルマス殿下の視線を受けたロブロスが「かまいません」と応じた。
アルヴァッハは複雑な形に指先を組み合わせて、出口の扉に向かっていく。ガズラン=ルティムが先んじて扉に駆けつけ、閂を外したのち、短く何かを語ってからアルヴァッハを送り出した。
会談の場には、重さを増した静寂が垂れこめている。
そしてナナクエムは正面を向いたまま、紫色の目を爛々と燃やしていた。ぞんざいに扱われた朋友の分まで、この場に居残ろうという思いであるのだろう。俺もまた、ポワディーノ王子の振る舞いには怒りを禁じえなかった。
(でも、冷静になれ。ポワディーノ王子の本心をつかむんだ)
俺がそのように頭を悩ませていると、今度はグラフ=ザザが発言した。
「アルヴァッハは、ただこの騒ぎの解決のために尽力すべきと口にしただけだ。それでどうして、会談の場から外されなければならんのだ?」
俺はいささかぎょっとしてしまったが、アイ=ファたちはただ鋭く帳のほうを見据えている。それで俺も、グラフ=ザザを見守ることにした。
「あの痴れ者は、君主たる我に疑いをかけている。そのような痴れ者を同席させるいわれはない」
「君主といっても、そちらは4日前に初めて顔をあわせた間柄であろうが? 俺にとっての君主筋というのはそちらのジェノス侯爵になるが、真なる信頼を抱くには長きの時間が必要となった。初めて対面してからしばらくは、これが君主に値する人間であるか否かと、ずっと検分していたものだ」
ドンダ=ルウにも負けない重々しい声音で、グラフ=ザザはそのように言いつのった。
「もしも出会って数日で先刻のような仕打ちを受けたならば、俺はジェノス侯爵を君主と認めることはできず、モルガの森を捨てる決断を迫られたことだろう。アルヴァッハは、果たしてどうであろうかな」
「……其方の物言いは、不遜の極みである。高貴なる人間に対する礼儀をわきまえてから、口を開くがいい」
「では、俺のことも退室させるか? ジェノス侯爵が肯ずるのであれば、俺もその言葉に従おう。俺の君主は、ジェノス侯爵なのでな」
「わたしが君に退室を迫ることはないよ、グラフ=ザザ。ただしこの場では、事件の解決に注力してもらいたく思う」
マルスタインが鷹揚に応じると、グラフ=ザザは「ふん」と鼻を鳴らした。
「もとより、俺はそのつもりだ。一刻も早く事件を解決したいと述べた人間が退室させられるような場で、何を解決できるというのだ?」
「これは、君主たる我と臣下たるアルヴァッハの問題である。余人に文句をつけられるいわれはない」
「では、自分に盾突く配下に用はないということか? それでは、かつてのスン家と同様だな」
ギバの毛皮のかぶりものの下で、グラフ=ザザは黒い目をぎらりと輝かせた。
「そちらもあの傀儡の劇は目にしているのであろう? 俺はあの悪辣なるスンの眷族ザザの家長だ。俺はザッツ=スンの強さに敬服し、その言葉を吟味せずに信ずるという愚を犯してしまった。その末路が、あのざまであったのだ。君主の力に恐れ入らず、正しき道を進みたいと願ったアルヴァッハは、あの頃の俺よりもよほど上等な人間であろうな」
「……この会談の場で、そのような問答を交わすことに意味はなかろう」
「だから俺は、事件の解決のために語っているのだと言っている。アルヴァッハを退室させることで、どのような益があるというのだ? 事件の解決を願う人間を退室させるというのは、事件の解決を願っていない証であると見なされかねんぞ」
「俺も、グラフ=ザザに同意しよう。自分に疑いの目を向けた人間を退室させるなど、後ろ暗いところがあるようにしか思えんな」
ドンダ=ルウもまた青い瞳を強く光らせながら、そのように言葉を重ねた。
「アルヴァッハは明哲で、道理をわきまえており、義侠の心を備えている。そちらが君主を名乗るならば、ああいう者こそを重宝するべきであろう。それをこのような形で退室させるなど、癇癪を起こした餓鬼さながらだな」
「……ジェノス侯爵よ、其方は臣下にこのような暴言を許すのであろうか?」
ポワディーノ王子の矛先は、マルスタインに向いた。
しかしマルスタインも動じた様子はなく、それに相対する。
「グラフ=ザザとドンダ=ルウの両名がいささかならず粗野な物言いであったことは認めましょう。ですが、王子殿下がアスタを同席させたいと仰らなければ、彼らを招くことにもなりませんでした。王子殿下は、何のためにアスタを呼び寄せたのでしょうか?」
「……それは、アスタにその目で真実を見定めてもらうためである」
「真実ですか。アスタはアルヴァッハ殿とひときわ深い親交を持っているので、さぞかし心を痛めていることでしょうな」
マルスタインのそんな物言いに、またしばらくの沈黙が流れた。
「……アスタはいまだに、我を疑っているのであろうか?」
やがて届けられたのは、そんな言葉である。
ただ本日は、そんな言葉もこれまで以上に威圧的に聞こえてしまう。ひとえに、『王子の口』の口調が鋭いためである。
しかし俺は怯むことなく、さきほど抱いた違和感について語ることにした。
「王子殿下を疑っているかと言われたら、正直に言って五分五分です。王子殿下を真の犯人だと決めつける証拠はありませんし、その逆も然りです。自分だけではなく、この場に参じたすべての方々がそのようにお考えなのではないでしょうか?」
『王子の口』は床に片膝をついて、帳に耳を寄せる。その口が開かれる前に、俺は言いつのった。
「ただ自分は、ちょっと引っかかるものを感じています。王子殿下は『王子の分かれ身』の方々がご自分を裏切ることはないと断言していましたし……刻印についても、意匠は完全な形で模倣されたものだとお認めになられました。そこに、打算はないように思うのです」
「打算など、あるわけもない。我は、真実のみを述べている」
「はい。配下の方々が裏切る可能性や、刻印は不完全な模倣であるという可能性を残しておいたほうが、真実はいっそううやむやになるはずです。少なくとも、王子殿下が真の首謀者であったなら……そうして真実をうやむやにしたほうが好都合なのではないかと思います」
「…………」
「それに、真実を告白させる秘薬についてもですね。もしも賊がジェノスの監視下のもとにシム本国に送られて、その秘薬を使われることになったら、真の首謀者は呆気なく判明するんです。殿下が真の首謀者であったなら、そんな秘薬の存在は隠しておくのではないかと思います」
「そうですね。このまま事件の解決が望めないようであれば、罪人をシムに移送することにもなりかねないでしょう。もちろんその際には、恐れ多くも容疑者たる王子殿下とは別々に護送されることになるかと思われます」
フェルメスが、するりと言葉を差し込んできた。
「そしてその際には、王子殿下の非協力な態度についても東の王に苦言を申し立てなければなりません。我々は、そのように事を大きくすることを望んでいないのですが……何より重要であるのは、真相をつまびらかにして国交を守ることであるのです」
フェルメスは俺に便乗して、ポワディーノ王子を追い詰めようとしている。
だけど、俺が伝えたいのはそんな話ではなかった。
「王子殿下、もう一度だけお尋ねします。本当に、このような真似をする人間に心当たりはないのですか? 『王子の分かれ身』が王子殿下を裏切らないというのは、絶対の真実なのですか? 王子殿下は本当に、ダカルマス殿下を疑っていたのですか? どうして多少の疑いをかけられただけで、アルヴァッハを退室させたのですか?」
「……君主を疑う臣下など、無用の存在である」
「では、『王子の分かれ身』は王子殿下の一部も同然であるため、裏切らないと信じているのですか? つまり……王子殿下はご自分以外の人間をいっさい信用しておらず、少しでも疑念を抱いた相手は遠ざけるということでしょうか?」
俺もまた、これまで黙っていたぶん熱情が鬱積してしまっていた。
しかし俺が見当はずれの発言をしていたならば、誰かが止めてくれることだろう。この場には、信頼に値する人々が山ほど居揃っているのだった。
「自分たちは、アルヴァッハやダカルマス殿下のことを心から信頼しています。ですから、そちらの方々をぞんざいに扱う王子殿下に、つい不信の念を抱いてしまいます。王子殿下は、ただ正直に振る舞っているだけなのかもしれませんが……これじゃあ、自分たちの心は離れるいっぽうです。王子殿下が今回の事件を取るに足らないことだと考えているのなら、王子殿下こそこの場に相応しくないのではないでしょうか?」
「……アルヴァッハもダカルマスも、我より早く其方に出会っている。今さらその事実を動かすことはできまい」
やがて『王子の口』は、そのように語った。
「交流の長さが信頼を育むというのなら、その事実がすべてであろう。我に、なすすべはない」
「そんなことはありません。アルヴァッハやダカルマス殿下だって、四六時中顔をあわせているわけではないのです。もちろん時間は重要ですが、それよりも重要なのは心を通わせたいと願う気持ちのほうでしょう。どんなに長きのつきあいがあっても、おたがいにそういう気持ちがなければ信頼など生まれません」
「……我は最初から、真実のみを語っている。これ以上、何を望もうというのであろうか?」
「自分たちが欲しているのは、王子殿下を信頼するためのよすがです。そもそも自分たちは、いまだに王子殿下のお顔すら拝見していません。そのようなお相手を、心から信頼することができるでしょうか?」
俺がそのように告げると、また長きの静寂が垂れこめた。
「……其方は、我の姿を見て、直接言葉を交わすことを望んでいるのであろうか?」
「はい。可能であるなら、もちろんそのように望んでいます」
再びの、静寂。
帳を囲んだ臣下たちも、人形のように動かない。俺やフェルメスは『王子の眼』こそがポワディーノ王子の懐刀なのではないかと推察しているのだが――彼もまた、本日は無言にして不動であった。
「……では、アスタにのみ、直接の拝謁を許そう」
やがてそのような言葉を届けられて、俺は溜息をつきそうになってしまった。
「いえ、自分だけが特別扱いされる理由はありません。王子殿下は、この場に参じたみなさんから信頼を得られるように取り計らうべきだと思います」
「しかしシム王家の人間は、むやみに姿をさらさないというしきたりに身を置いている。それを曲げて、其方にのみ拝謁を許しているのだ」
「しかし」と声をあげたのは、これまでの会談も含めて初めての発言となるアイ=ファであった。
「そちらは『王子の牙』なる獣をそばに置いているし、毒の武器や刀を備え持っていないとも限らん。身を守るすべを持たないアスタひとりを近づけるわけにはいくまいな」
「では、刀を携えた其方にも拝謁を許そう。……もとより其方も、アスタともども臣下に迎える心づもりであったしな」
俺たちは、いまだにポワディーノ王子のペースに乗せられているのだろうか。
ポワディーノ王子の提案に従うべきかどうか――俺が視線を巡らせると、多くの人々が無言のままうなずいていた。
(まあ、王子が初めて妥協したんだ。ここを足がかりにすれば、話が前進することも期待できるか)
そのように考えた俺はアイ=ファに眼差しで同意をいただいてから、声をあげた。
「承知しました。では、王子殿下に拝謁させていただけますか?」
「では、帳を移動させてもらう。……『王子の足』よ、帳を後方の壁際まで移動させるのだ。『王子の口』のみ追従し、『王子の眼』はその場に控えよ」
『王子の足』の4名は無言のまま帳の持ち手をつかみ、ポワディーノ王子の命令に従った。
『王子の眼』はその場から動かず、『王子の口』だけが追従していく。そうして帳が左手側の壁際におろされると、『王子の口』が口を開いた。
「では、アスタとアイ=ファのみこちらに来るがいい。他の人間が席を立ったならば、その場で拝謁は中止とする。……『王子の口』と『王子の足』は、『王子の眼』のもとに控えよ」
俺とアイ=ファは『王子の口』および『王子の足』がもとの位置まで戻るのを待ってから、帳のほうを目指した。
アイ=ファの足取りに、よどみはない。途中から獣のうなり声が聞こえてきても、それは同様であった。
俺たちは、深い藍色をした帳の前で立ち並ぶ。
これだけ間近にしても、その内側を透かし見ることはできなかった。
「……入り口は、こちらだな」と、アイ=ファが帳の横合いに回り込んだ。
正面の帳は下の台座に固定されていたが、側面はふわりと垂れ下がっていたのだ。ただ、2枚の帳が左右から重ねられており、移動で多少の揺れが生じてもめくれないような細工になっていた。
「……失礼する」と言い置いて、アイ=ファは帳に手をかけた。
そうして俺たちは、一辺3メートルていどの立方体をした帳の囲みの中に足を踏み入れて――ついに、ポワディーノ王子と対面を果たしたのだった。
「……我が、ポワディーノ=ラオ=ケツァルヴァーンである」
ポワディーノ王子は、自らの口でそのように名乗った。
彼自身も、西の言葉がこれほどに流暢であったのだ。
ただ俺は、驚きのあまり口を開くこともできなかった。
決してポワディーノ王子が奇異なる風体をしていたわけではない。確かにその身は王子という身分に相応しい豪奢な装束と飾り物に包まれていたものの、髪や肌や瞳は黒く、目は切れ長で、鼻は高く、唇は薄く、すらりとした細身の体格で――これといっておかしなところのない、東の民の姿であった。
ただその手には、1頭の獣が抱えられている。
その正体は、黒豹であった。艶やかな黒い短い毛に全身を包まれた、体長1・5メートルていどの黒豹であったのだ。その黒豹は金色の瞳を燃やしながら、ぐるぐるとうなりをあげて俺とアイ=ファの姿をにらみつけていた。
だが――俺はその黒豹の姿に驚いたわけではなかった。
俺を驚かせたのは、ポワディーノ王子の姿である。
彼は、何の変哲もない東の民であったが――ただし、せいぜい10歳ぐらいにしか見えない幼子であったのだった。
「あなたが……ポワディーノ殿下なのですか?」
俺が思わずそのように尋ねてしまうと、ポワディーノ王子は東の民らしい無表情のまま、ほっそりとした腕で黒豹の身を抱きすくめた。
「いかにも、ポワディーノである。まさか其方は、その事実すらも疑おうというのであろうか?」
「い、いえ。決してそういうわけではないのですが……まさか、こんなにお若いとは思っていませんでしたので……」
「シムの王家の人間は、10歳で成人と認められる。若年と侮られるいわれはない」
言葉の内容は、『王子の口』から語られるものと同一である。
しかし、変声期前の澄みわたった少年の声で語られると、まったく異なる風情であった。
「ともあれ、アスタと言葉を交わせることを喜ばしく思う。このような形で拝謁を許すのは、王家のしきたりにそぐわない行いであるが……それほどに、我は其方の身を欲しているのである。特別に許すので、そちらに膝を折るがいい」
俺はまだ少し呆然としたまま、アイ=ファとともに膝を折った。
そうしてふかふかの敷物に座しても、ポワディーノ王子の姿はまだ目下だ。彼もそれなりの背丈であったが、150センチには届いていないように見えた。
「直接対面することができて、私も喜ばしく思う。それではあらためて、アスタの問いかけに答えてもらえるであろうか?」
アイ=ファは沈着きわまりない声音で、そのように問い質した。
ポワディーノ王子はいくぶん気分を害したように、切れ長の目を細める。
「其方も高貴な人間に対する口のきき方を知らぬようであるな。……アスタの問いかけとは、如何なる話であろうか?」
「それは、さきほど語られている。このような真似をする人間に心当たりはないのか、『王子の分かれ身』が君主を裏切らないというのは絶対の真実であるのか、あなたは本当にダカルマスを疑っているのか……という内容であったな」
優れた記憶力を有するアイ=ファがそのように反復すると、ポワディーノ王子は細めた目をそのまま伏せてしまった。
「『王子の分かれ身』は、決して我を裏切らない。また、ダカルマスを疑っていたのも、我の真情である。このような状況では、敵対国の王子たるダカルマスを疑うのが必定であろう」
「しかしそれはありえないと、フェルメスの口から語られた。ダカルマスが無実であるならば……次に疑うべきは、何者であろうか?」
ポワディーノ王子がさらに強い力で抱きすくめると、『王子の牙』たる黒豹が咆哮をあげた。
しかし、王子の仕打ちに怒っているわけではない。彼はおそらく、王子の不安を感じ取り――王子をそんな心地に追いやった俺たちを非難しているのだ。
「我は……むしろダカルマスが真の首謀者であれと願っていた。それ以外の事実を、認めたくなかったのだ」
「……それは、如何なる意味であろうか?」
「ダカルマスが無実であるならば、もはや真実はひとつしかない。これは……第二王子の策謀である」
そのように語るポワディーノ王子の声は、わずかに震えていた。
「やはり第二王子は、我を排斥しようとしているのだ。かつて兄や弟たちにそうしたように……王座をわがものにするために、我を陥れようと目論んでいるのだ」
「待て。他なる王子たちは、その第二王子によって排斥されたと申すのであろうか?」
「証は、ない。しかし第二王子は、凄まじい情念で王座に執着している。我とて、兄たる第二王子こそが王座に座るべきだと考えているが……とても優しい気性をした第三王子や、王座になど何の興味もなかった第六王子も、第二王子によって排斥されたのだ。だから我も……力を求めるしかなかった」
そうしてポワディーノ王子は面を上げて、すがるような眼差しを俺に向けてきた。
「我には、其方の力が必要であるのだ。『星無き民』である其方であれば、我に絶大なる力を授けてくれよう。どうか、我の臣下になってもらいたい。我は……自分ばかりでなく、王都で待つ母を守らなければならないのだ」
「それは……できません」
俺は、そのように答えるしかなかった。
ポワディーノ王子は、今にも壊れそうな無表情で俺を見つめている。そんな王子に向かって、俺はさらに言いつのった。
「でも、そのお話が真実であるのなら……王国の法を破ったのは、第二王子です。どうかポワディーノ殿下も、その真実を明かすために力を貸してください。そうすれば、殿下とお母上の安楽な生活にもつながるはずです」
「第二王子の罪を暴くことなど、不可能である。王たる父はもはや老齢であるため、王宮の実権は第二王子に握られているのである。我は、其方の力で王国に繁栄をもたらし……その実績でもって、忠誠を示す他ない」
「ではあなたは、命乞いのために『星無き民』の力を求めていたのか」
アイ=ファは鋭く言いたててから、ふっと息をついた。
「いや、あなたを責めることはできまいな。私とて、そのような若年であったならば正しき道など見いだせるはずもない」
「……我はすでに成人で、侮られる覚えはないと申している」
ポワディーノ王子が反感のこもった声をあげると、アイ=ファは鋭い眼光をやわらげた。
「それだけの気概があるならば、この苦境に立ち向かうがいい。私たちとあなたの道は、ようやく重なったのだ。あなたひとりでは難しくとも、我々が手を携えればこのたびの苦難を乗り越えることがかなおう」
「……次代の王たる第二王子を、敵に回そうというのであろうか? そのような話は、マルスタインもフェルメスも森辺の族長らも了承すまい」
「相手の身分など、関係はない。大罪人には、その罪に相応しい罰を下す。……我々の君主たるマルスタインは、きっとそのように判じてくれるはずだ」
アイ=ファがそのように言いつのると、ポワディーノ王子はまたうつむいてしまった。
しかし『王子の牙』は非難がましい目でアイ=ファのほうをちらちらと見やりつつ、うなるのをやめている。そして主人をいたわるように、その手の甲をぺろりとなめていた。
かくして、ようやくポワディーノ王子と対面できた俺たちは、このたびの事件の根深さを思い知るのと同時に、今度こそ熱情をぶつける矛先を見いだせたようであった。




