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異世界料理道  作者: EDA
第八十四章 藍の鷹の事変(前)
1459/1686

四日目②~四者会談~

2024.2/17 更新分 1/1

 下りの二の刻の少し前、俺たちは会談の場となる白鳥宮に移動した。

 白鳥宮が会場に選ばれたのは、ポワディーノ王子からの要請である。ポワディーノ王子は、会談に参席する人間だけが足を踏み入れられるような環境を希望したのだそうだ。


 その白鳥宮は、3種の兵士によって厳重に守られている。ジェノスの近衛兵、南の王都の兵士、そしてポワディーノ王子の配下である。会談に先立っては、やはりこちらの面々がひとかたまりとなって宮殿の内部をあらため、不審者やおかしな細工などがないことを入念に確認したのだという話であった。


「つくづくシムの王子というのは、用心深いのだな。それほど恐れ入っているのなら、シムに閉じこもっておればよかろうに」


 そんなつぶやきをこっそりもらしたのは、ダリ=サウティの供として参じたヴェラの家長だ。彼とディック=ドム、そして5名の護衛役たる狩人たちもまた、3種の武官たちとともに出入り口を見張り、宮殿の内部に足を踏み入れることは許されなかった。


「ポワディーノ殿下とダカルマス殿下は、すでに控えの間に入室されています」


 出入り口に待機していた近衛兵のひとりがそのように告げると、メルフリードが「そうか」と冷徹に応じた。


「では森辺の面々も、さきほどの取り決めの通りに刀を預けてもらいたい」


 ドンダ=ルウらはひとつうなずき、腰の刀を見張り役として居残るメンバーに手渡した。

 ただし、アイ=ファだけは刀を手放さない。白鳥宮に踏み入る人間は各陣営で1名ずつのみ帯刀が許されており、森辺の陣営ではアイ=ファが選ばれたのだ。


 それもまた、ポワディーノ王子からの要請である。

 シムの陣営でポワディーノ王子だけはボディチェックを受けず、なおかつあの帳の向こうで吠えたてる謎の獣も決して身から遠ざけないと宣言したのだそうだ。それが不服であるならば、そちらも1名ずつ刀を持ち込めばよい――という、そんな論調であったらしい。


「ロブロス殿などは、かなり渋っておられたがね。まあ、これだけ森辺の狩人がそろっていれば、我々は安心だ」


 ジェノス城での会合の場で、マルスタインはそのように言っていたものであった。

 ジェノスの陣営は、もちろんメルフリードが刀をさげている。そして、アイ=ファとメルフリードを除く面々は、3種の武官たちから念入りにボディチェックされることになった。その中でもっとも長きの時間をかけていたのは、やはり東の武官だ。面布で顔を隠したその人物は、刃物ばかりでなく針や瓶など毒にまつわる武器を隠し持っていないかを確かめるため、俺たちの全身を嫌というぐらいまさぐってくれた。


(……アイ=ファに刀を持ってもらったのは、大正解だったな)


 アイ=ファがこんな目にあっていたならば、俺はとうてい冷静でいられなかっただろう。そしてアイ=ファは、まったく冷静でない目つきで俺がボディチェックされるさまをにらみ据えていた。


 そんな一幕を経て、ようやく入場である。

 扉の内側では、小姓の少年がひとりでぽつんと待ちかまえている。彼もまた、俺たちと同様の扱いを受けたのだろう。つつましい無表情を保っていたが、いくぶん顔色が悪いように見受けられた。


「それでは、ご案内いたします。……このまま会議の場にご案内ということでよろしかったでしょうか?」


「うむ。控えの間でくつろぐ猶予はなかろうからな」


 小姓の少年は一礼して、回廊を歩き始めた。

 それで案内されたのは、かなり広めの広間だ。その中央に、長方形の巨大な卓と椅子が、コの字形に設置されていた。


 マルスタインの指示で、森辺の6名はコの字の底辺にあたる席に座らされる。ジェノスと外交官の一行は、それと向かい合う位置取りだ。

 俺たちがそちらに腰を落ち着けるなり、南の王都の一行が入室してきた。


 先頭に立つのはフォルタであり、なんと金属の甲冑を纏った姿である。刀をさげているのも、もちろん彼であった。

 それに続いたダカルマス殿下は、早くも雄々しい笑みを浮かべている。そして、俺に向かって深くうなずきかけてきたが、口を開こうとはしなかった。


 当然のこと、南の一行は残されていたコの字の側面の席に腰を落ち着ける。

 これでもう、すべての席が埋まってしまった。ポワディーノ王子の一行は、立ったまま会談に臨むのである。


(……まあ、王子はひとりでのんびり座ってるんだろうけどさ)


 その話も、俺は事前に聞かされていた。

 そうして満を持して、ポワディーノ王子の一行が入室する。


 両開きの扉が全開にされて、まずは190センチはあろうかという長身の人物、『王子の眼(ゼル=カーン)』が姿を現した。

 それに続いて現れたのは、巨大な立方体に組み上げられた帳である。この期に及んで、ポワディーノ王子は姿を隠し続けようという魂胆であったのだ。


 一辺が3メートルはあろうかという、巨大な帳の囲いである。それは神輿のように持ち手がつけられており、4名の人間によって運搬されていた。

 それらの面々も、もちろん藍色のフードつきマントと面布で風体を隠した『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』である。そして、王子の帳を運ぶその姿は、ロボットのように整然としていた。


 その後に、もう1名だけ同じ姿をした人物と、アルヴァッハとナナクエムが追従する。そちらの陣営は、ポワディーノ王子を含めて総勢9名であった。


 王子と獣のひそんだ帳は、コの字の空いた面――南の王都の一団の正面に据えられる。東と南の王家のどちらかを上座に据えることは許されなかったので、その場所は責任をもってマルスタインたちが埋めているわけであった。


 そうして各陣営を案内した3名の小姓たちが退室すると、ガズラン=ルティムの手によって扉に閂が掛けられる。これも事前の取り決めで、もちろんポワディーノ王子からの要請である。


 これでようやく、会談の準備が整えられた。

 上座には、マルスタイン、メルフリード、外務官、ポルアース、フェルメス、オーグの6名。

 下座には、俺、アイ=ファ、ドンダ=ルウ、グラフ=ザザ、ダリ=サウティ、ガズラン=ルティムの6名。

 向かって右手には、ダカルマス殿下、ロブロス、フォルタ、書記官の4名。

 向かって左手には、ポワディーノ王子がひそむ帳に、『王子の眼(ゼル=カーン)』の右、『王子の口(ゼル=トラレ)』の二番、『王子の足(ゼル=ヴィシ)』の一番から四番、そしてアルヴァッハとナナクエムの9名だ。


 ポワディーノ王子の一行がもっとも大人数であるが、その申告を信じるならば全員が武官ならぬ文官である。王子を守るのは、同じ帳にひそむ獣――その名も『王子の牙(ゼル=ルァイ)』のみであるという話であった。


「……それでは、会談を始めさせていただきます」


 マルスタインが、自ら口火を切った。


「本日の議題は、昨晩ルウの集落を襲撃した賊、および宿場町を騒がせた賊に関してとなります。ことは南と東と西の国交に関わりますので、恐れ多くもジャガルおよびシムの王子たるダカルマス殿下とポワディーノ殿下にもご足労をいただきました。さらに、事件の当事者たる森辺の面々にも同席していただくことをご了承ください」


王子の口(ゼル=トラレ)』はさっそく片膝をついて帳に耳を寄せていたが、口を開こうとはしなかった。

 その様子をちらりとうかがってから、マルスタインは言葉を重ねる。


「あらためて、事件の概要をご説明いたします。まず、ルウの集落を襲撃した賊に関してですが……こちらは2日前の夜に忍び込もうとした賊と同一であるものと見なされております。その際には、アスタの警護にあたっていた護民兵団の兵士ガーデルが、毒の吹き矢によって深手を負いました。幸い一命を取り留めましたが、普通であればその場で絶命していてもおかしくないほどの毒が使われていたとのことです」


「…………」


「そして昨晩、同じ賊が再び侵入を試みて、捕縛されました。2日前の賊と同一人物であるという確証は得られておりませんが、そちらの賊が携えていた毒の吹き矢には2日前と同じ毒が準備されていたことが確認されています。また、黒ずくめの装束という目撃の証言にも合致しておりますため、まず間違いはないことでしょう。そして……そちらの賊の右の手の甲に、ポワディーノ殿下の臣下の証たる『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』の七番という紋章を確認いたしました」


「…………」


「そちらの紋章を描き移した図面は、ポワディーノ殿下にもお渡しいたしました。そちらは第七王子たるポワディーノ殿下の紋章であることに、間違いはないでしょうか?」


 そこで初めて、『王子の口(ゼル=トラレ)』が身を起こした。


「紋章の内容に間違いはない。ただしそれは、偽りの刻印である」


 それは、びんと張り詰めた鋼の鞭のような男性の声音であった。

 これまで役目を果たしていた女性は『王子の口(ゼル=トラレ)』の一番、こちらの男性は『王子の口(ゼル=トラレ)』の二番であるのだ。この会談に臨むにあたって、ポワディーノ殿下は『王子の口(ゼル=トラレ)』を交代させていたのだった。


「朝方にも説明した通り、『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』の七番は欠番である。真なる『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』の七番は、2年ほど前に魂を返している。よって、その賊は我の臣下を騙る大罪人であり、我は無関係である。しかし、そのような痴れ者を放置することは許されないため、即刻身柄を引き渡してもらいたい」


「すべての事実がつまびらかにされたあかつきには、そのように取り計らうこともかないますでしょう。ですが、その前に色々とお聞かせ願いたいのですが……まず、『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』の七番が欠番であることを示す証は存在いたしますでしょうか?」


「我の屋敷には、『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』の名簿が存在する。我の屋敷まで参ずれば、閲覧を許そう」


「ありがとうございます。ですが、ジェノスからトトスを駆けさせても、東の王都までは半月がかりとなりましょう。往復には、ひと月を要します。それだけの時間をかける前に、事実を明らかにする必要がありましょう」


「事実は先刻述べた通りである。シムの王子たる我の言葉を疑おうという心づもりであろうか?」


「失礼ながら、わたしはこのたびの事件を余すところなく解明して、西の王たるカイロス陛下にご報告をお届けしなければならない身となります。そして、これほどに事が大きくなってしまいますと、確かな証拠を示す必要が生じるのです」


王子の口(ゼル=トラレ)』は片膝をつき、王子の言葉をうかがった。

 その隙に、ロブロスも初めて発言する。


「それは、こちらも同じことでありますな。恐れ多くもジャガルの第六王子たるダカルマス殿下の命令下にあった部隊が控えた場で、東の賊が暴虐な真似に及んだのです。一歩間違えれば、こちらの兵士が魂を返す事態に至っていたことでしょう。恐れながら、ポワディーノ王子には事態の重大さを真摯に受け止めていただきたく存じます」


 しばらくして、『王子の口(ゼル=トラレ)』はゆっくりと身を起こした。


「我は、マルスタインと語らっていたさなかとなる。南の貴族が横から口をはさむのは、非礼の極みであろう」


「では、南の王族であれば許されるのでしょうかな?」


 勇猛なる笑顔でもって、ダカルマス殿下がついに発言した。


「こちらのロブロス殿は、そのように些末な話にかかずらっている場合ではないと申し上げておるのです! 我々は、死力を尽くして真相を明かさなければなりますまい! 非礼がどうの失礼がどうのという話は、脇に置いていただきたい!」


「其方もまた、非礼の極みである。そして、そのように声を張り上げずとも、言葉を交わすのに支障はあるまい。其方の下卑た声音は、『王子の牙(ゼル=ルァイ)』を警戒させるばかりである」


 王子に同意を示すように、グルル……という獣のうなり声が響いた。

 森辺の狩人たちは沈着そのものだが、完全武装のフォルタは巨体から気迫をみなぎらせている。もしも獣が飛び出してきたら、彼はその手で主君を守らなければならないのだ。


「声の大きさは生来のものですので、ご不快でしたらお詫びを申し上げましょう! ですが、そのような話も脇に置いていただきたい! 四大王国においてもっとも重要な法を東の賊が踏みにじり、そしてその賊がポワディーノ殿の配下たる証を身に刻んでいたのですぞ? この場でもっとも心を痛めるべきは、ポワディーノ殿ではありませんでしょうかな?」


「ゆえに、賊の身柄の引き渡しを要求している。シムの秘薬をもちいれば、何者にも真実を隠すことはできない。真実の究明を二の次にしているのは、そちらのほうであろう」


「しかし何かの間違いで賊が魂を返してしまったならば、真実も闇に葬られてしまいましょうからな! マルスタイン殿とて、慎重にならざるを得ますまい!」


「つまりは、いまだに我を疑っているわけであるな。その愚鈍さが、解決の道を遠ざけているのである」


「恐れながら」と、フェルメスが発言した。


「我々は、出会って数日の身となります。ポワディーノ殿下が我々を信用できないのと同じように、我々も殿下のお言葉を頭から信じることはできないのだとご理解いただければ幸いです」


「其方は何をもって、我の心中を定めているのであろうか? その物言いもまた、不遜の極みである」


「ポワディーノ殿下はジェノス城にお招きしようというマルスタイン殿のお言葉を拒まれて、ギリ・グゥの神殿に滞在されています。また本日も、これほど厳重に会談の場を管理する事態に相成りました。それらはひとえに、王子殿下が我々のことを信頼しておられないためでありましょう?」


 甘いチェロのような声音で、フェルメスはそのように言いつのった。


「もちろんそれは、シムの王族として当然の用心深さであられるのでしょう。ただし、我々も同じぐらいポワディーノ殿下を警戒し、用心しているのだということを、どうかご理解ください」


「……其方の非礼な物言いに、拍車が掛けられた。其方は賊を捕らえたことで、ずいぶん気が大きくなっているようであるな」


「いえ。僕もひとえに、事件の解明を望んでいるばかりです。たとえ王子殿下のご不興を買う恐れがあろうとも、我々は真実を究明しなければならないのです」


 そう言って、フェルメスは白魚のごとき指先で亜麻色の長い髪をかきあげる。そんな仕草ひとつにも、これまでにはなかったゆとりが感じられるし――あるいはそれは、ポワディーノ王子の本心を引き出すためにあえて挑発しているのかもしれなかった。


「なおかつ我々は王子殿下ご自身のみならず、シムの王都や王家の風習といったものに関しても知識が足りておりません。王子殿下は『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』が主君を裏切ることはありえないと仰っていましたが、それは揺るぎない真実であるのでしょうか?」


「くどい。勝手に動く手や足などは存在すまい」


「今回の一件が王子殿下の臣下が独断で起こした騒ぎであるならば、まったく様相が異なってまいります。主君たる王子殿下も多少の責任は問われましょうが、大罪人の誹りを受ける恐れはなくなることでしょう。……それでもやはり、ありえないお話であるのでしょうか?」


王子の口(ゼル=トラレ)』は、「くどい」としか答えなかった。

 フェルメスは優美なる微笑をたたえたまま、「そうですか」と首肯する。


「では、残される可能性はただふたつ、外部の人間が『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』の偽物を仕立てあげて、王子殿下にあらぬ罪をかぶせようとしているか……あるいは、恐れ多くも王子殿下がご命令を下しながら虚偽の証言をしているかとなります」


「其方の不遜さは、際限を越えている。この忌まわしき会談を終えたのちには、西の王に苦言を申し立てる必要があろうな」


 ポワディーノ王子にはっきりと威嚇されても、フェルメスは顔色ひとつ変えなかった。

 そして、さらなる言葉を授かった『王子の口(ゼル=トラレ)』が力強い声音で言いつのる。


「このような会談は、茶番である。其方たちは目の前にさらされている真実から目をそらさず、王国の法を踏みにじった大罪人を粛々と捕縛するべきであろう」


「目の前にさらされている真実とは、如何なるお話でありましょうか? 我々は、誰を捕縛するべきだと仰るのでしょう?」


 マルスタインがゆったり問い返すと、『王子の口(ゼル=トラレ)』は驚くべき言葉を口にした。


「言うまでもない。このたびの騒ぎを起こした、張本人……そちらに控えた、ジャガルの王子ダカルマスである」


 もともと気迫の塊であったフォルタが、がちゃりと甲冑を鳴らして身じろいだ。

 そちらを視線で掣肘してから、ロブロスが発言する。


「それこそ、いわれなき誹謗でありますな。ポワディーノ王子は何の証があって、我が王国の王子殿下を大罪人よばわりしているのでしょうか?」


「ジェノスの者たちが真剣に調査すれば、証などいくらでも出てこよう。しかし誰もが悪辣なるダカルマスの術中にはまり、目を眩ませているのだ。シムの王子たる我を策謀でもって陥れるとしたら、それは敵対国たるジャガルの筆頭ダカルマスでしかありえまい。それとも……そちらこそ臣下が主君の許しも得ず、功を焦ってこのような騒ぎを起こしたのであろうか?」


 そんな暴言を叩きつけられても、ダカルマス殿下は雄々しく笑ったまま無言であった。むしろ、この状況を楽しんでいるかのようである。

 いっぽうフォルタは怒髪天を衝いており、書記官は真っ青になっている。そしてロブロスは、誰よりも厳しい面持ちになっていた。


「ただ敵対国の人間であるというだけでダカルマス殿下を大罪人よばわりしているのでしたら、短慮の極みとしか申しようもありませんな。証がないと仰るのでしたら、せめて確たる根拠を示していただきたいところです」


「根拠は、ダカルマスがアスタに抱く執着である。アスタはダカルマスの根回しによって、ジェノスで一番の料理人という称号を授かることになった。また、ダカルマスは息女たるデルシェアを数ヶ月にわたってジェノスに預けていたという。まがりなりにも王子たる身で異国の料理人にそうまで執着をあらわにするとは、決して尋常な話ではなかろう」


「より甚大な執着を見せているのは、そちらではないか! それでダカルマス殿下を大罪人よばわりしようなどとは――!」


 フォルタがついに怒声を張り上げると、ロブロスはそれを手で制してから静かに声をあげた。


「……ダカルマス殿下がアスタに執着されているがゆえに、これほどの騒ぎを起こしたと?」


「左様である。アスタをシムに連れ去られまいとして、ダカルマスは道を踏み外してしまったのであろう。さらに、シムの王子たる我にすべての罪をかぶせようとは、悪辣の極みである」


王子の口(ゼル=トラレ)』の二番も、決して言葉に感情はにじませていない。しかし、その声音の鋭さだけで、他者を威圧するには十分な迫力が備わっていた。


「ダカルマスが兵士を派遣した日に大きな騒ぎが起きたというのは、いかにも胡乱である。このたびは森辺の民の尽力によって賊を捕縛できたようであるが、そうでなければ兵士のひとりの生命を使ってより大きな騒ぎを起こそうと目論んでいたのやもしれんな」


「賊に南の兵士を殺害させることで、より大きな罪を貴方になすりつけようとした、と? ……まったくもって、常軌を逸した誹謗でありますな」


 ロブロスが心を乱すことはなかったが、その表情や声音はますます厳しくなっていった。


「まず第一に、東の民が賊として捕縛されておるのですぞ。我々がどのように悪辣な策謀を思いついたとしても、東の民を意のままに操ることなどできますまい」


「否。家族を人質にでも取れば、如何様にもできよう。そのように非道な行いに手を染められるのも、東の民を敵対国の人間として憎悪しているためである」


「貴方がジェノスに来訪されたのは、つい4日前のこととなります。そのように短い時間で、どのようにシムの刺客を準備するというのです?」


「かねてより、そういった人間を手もとに置いていたのであろう。であれば、これまでにもその賊を使ってシムを貶めるための謀略に励んでいたのやもしれんな」


「……敵対国とはいえ王子たる身に対して恐れ多きことですが、妄想が過ぎるとしか言いようがございませんな」


「つまり、筋道だった反論はかなわぬという意味であるな?」


 そこまで挑発されてもロブロスは激昂することなく、ただどのように反論しようかと考え込むように沈思した。

 するとその間隙に、フェルメスが発言する。


「このたびの一件がポワディーノ殿下を陥れるための策謀であるのだと仮定するならば、まず第一に疑うべきはダカルマス殿下を筆頭とされる南の王都の方々であるのでしょう。当然のこと、僕もそちらの可能性を吟味しておりました」


 その言葉に、これまで厳格な態度を崩さなかったロブロスがぎょっと目を見開いた。


「フェルメス殿、なんと仰いました? 我々が真の犯人である可能性を吟味していた、と……?」


「はい。あらゆる可能性を吟味しなければ、真相に辿り着くことは難しいでしょう」


 虫も殺さぬ笑顔で、フェルメスはそのように言い放った。


「その上で、そのような可能性は皆無であるという結論に達したのです。……まず、南の王都の方々が東の賊をひそかに隠し持っていたなどという話はありえません。使節団の方々は余すところなく城下町に滞在されているのですから、素性の知れない人間などかくまいようもないのです」


「それは、我も同じことである。しかし其方たちは、我を疑っている」


王子の口(ゼル=トラレ)』が鋭く切り込むと、フェルメスは「いえ」と首を振った。


「恐れながらポワディーノ殿下はいまだ滞在4日目の身であられるため、あらかじめ伏兵を城下町の外にひそませていたとしても不自然ではありません。それに対して南の王都の方々は、すでにひと月以上にわたってジェノスに滞在されているのですよ? また、ポワディーノ殿下は突然の来訪であられたのですから、ダカルマス殿下があらかじめ賊などを準備する理由もありません。使うあてもない刺客をひと月以上にもわたって城下町の外に潜伏させておくなど、まずありえない話でありましょう」


 立て板に水という表現そのままに、フェルメスはよどみなく言いつのった。


「ちなみにこのひと月のみならず、ジェノスの近辺では1年以上にわたって東の民が大罪を働いたという報告もありません。ダカルマス殿下がそのような賊を隠し持っていたとして、ジェノスでは何の騒ぎも起きていなかったのです。であれば、使うあてもない賊を城下町の外にひそませておく理由もないでしょう。かといって、ポワディーノ殿下が来訪されてからそのような賊を準備することは、まず不可能でありましょうし……ダカルマス殿下を筆頭とされる南の王都の方々がこのたびの事件の首謀者であるという可能性は、これにて完全に潰えたと申し上げてかまわないかと存じます」


王子の口(ゼル=トラレ)』は帳に耳を寄せたまま、動こうとしなかった。

 すると、ガズラン=ルティムが「よろしいでしょうか?」と初めて発言を求める。


「フェルメスがそのような可能性まで吟味されていたというのは、心から驚かされました。やはり一介の狩人に過ぎない私などには、フェルメスのように思慮深く振る舞うことは難しいようです」


 フェルメスは何か言いたげにガズラン=ルティムのほうを見たが、その可憐な唇は開かれなかった。

 ガズラン=ルティムは穏やかな表情のまま、さらに言葉を重ねる。


「ただそれは、私がダカルマスという人間に心からの信頼を抱いていたためでしょう。ダカルマスはこれが2度目の来訪となりますが、私も数々の祝宴や試食会の場でダカルマスと言葉を交わすことがかないました。そちらに居並ぶ使節団の方々も、また同様です。ダカルマスを筆頭とする南の王都の方々がこのように悪辣な真似に及ぶことはありえないと、私はそのように確信しています」


 そう言って、ガズラン=ルティムは黙して語らぬ帳のほうに視線を飛ばした。


「それに対して、そちらのポワディーノ王子はいまだ姿を見ることも声を聞くこともかないません。これでは4度にわたって言葉を交わしたアスタやアイ=ファたちも、ポワディーノ王子を信頼することは難しいでしょう。ともに手を携えてこの苦難を乗り越えるために、あなたとも絆を深めることはかなわないものでしょうか?」


「……なんと言われようとも、我が其方たちの前に姿をさらす理由はない」


 それが、『王子の口(ゼル=トラレ)』の返答であった。

 ガズラン=ルティムは残念そうに「そうですか」と息をつく。


 森辺の民は、他者の虚言を見抜く眼力に長けているのだ。せめてポワディーノ王子の姿を見て、その口から言葉を聞くことができれば、彼の本心に触れることができるのではないか――ガズラン=ルティムは、そのように考えたのかもしれなかった。


(俺なんかは、そんな眼力とも無縁だけど……でもやっぱり、この状態じゃあポワディーノ王子がどんな人間なのかも判断できないな)


 そしてこの場で、俺はどのような言葉を口にするべきであるのか。

 それを見定めるために、俺は全神経を集中させていたのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「王子」が女性とかの可能性もあるのかな
[気になる点] ごちゃごちゃ言ってないで普通に考えれば王子側に新しい七番がいるならその人を出せばいいだけだよね? 「『王子の剣』の新しい七番はこちらにいるのでそいつは偽物だ。」っていえるわけだし。 仮…
[気になる点] 王子は西の言葉を解してるのかな? アルバッハたちが未だ会話に参加していないあたりに打開する道がありそう
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