表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第八十四章 藍の鷹の事変(前)
1458/1686

四日目①~下準備~

2024.2/16 更新分 1/1

 翌朝――朝一番で、ルウの集落を騒がせた賊は城下町に連行されていった。

 近衛兵が8名、ジャガルの兵士が20名、さらにルウの血族の狩人が20名も同行する。万が一の事態に備えて近衛兵の2名とジャガルの10名はこちらに居残ることになったものの、これだけの警護を突き破ることは不可能と言っていいはずであった。


 それでも俺たちがじりじりしながら待ち受けていると、一刻半ほどで狩人たちが帰還する。そちらの取り仕切り役を担ったジザ=ルウは、きわめて穏やかな面持ちであった。


「賊の身柄はメルフリード本人に受け渡すことがかなったので、もはや心配は無用であろう。今後のことに関しては、のちのち使者で伝えるそうだ」


 賊は無事に、ジェノスの獄舎に収監されたのだ。

 ポワディーノ王子の一行も城下町に腰を据えているので、いささか心配な面はあったが――それでもまさか、白昼堂々と荒事を仕掛けることはできないだろう。とにかくこれで、事態は一歩前進するはずであった。


 そしてジザ=ルウたちは、思わぬゲストを引き連れていた。眠そうな顔で豪放に笑う、ザッシュマである。


「俺は、ひと足早く使い走りだよ。ついさっき、王子の配下どもが宿場町に繰り出しやがったんだ」


「ええ? それは、一大事ですね。人数はどれぐらいなんですか?」


「きっかり10名。これまで城下町に繰り出していたのと、同じ人数だな。行商人の姿をしていて、見た目では草原の民とも区別はつかん。ただ、城門に詰めていた衛兵たちが後をつけながら、こっちに連絡を入れてくれたんでな。《北の旋風》がそれを引き継いで、配下のひとりを尾行してる。あいつだったら、好きなだけ盗み聞きできるだろうさ」


 カミュア=ヨシュが動いてくれたならば、心強い限りである。

 そして、同じ場で話を聞いていたガズラン=ルティムは深い思案の眼差しになっていた。


「その者たちは、いつ城門を出たのでしょう? こちらの一団が城門に入る前でしょうか? 後でしょうか?」


「うん? そりゃあ城門に入った後だよ。じゃなきゃ俺だって、ジザ=ルウたちとご一緒しようとは考えねえさ。《キミュスの尻尾亭》でぐうすか眠りこけてるところにメルフリード殿の使者がやってきて、慌てて外に出てみたら、ジザ=ルウたちに出くわしたんだからよ」


「では、ポワディーノの配下もジザ=ルウたちと時を同じくして、城門を出たわけですね。こちらが賊を捕らえたことは、いまだ明かしていないのでしょう?」


「ああ。誰にも秘密のまま、獄舎に連行されたそうだ。ギリ・グゥの神殿は遠巻きに見張ってるから、人の出入りがありゃすぐにわかる。王子様は、まだ何も知らねえはずだよ」


「では、こちらの動向とは無関係ということですね。昨日のダカルマスの言葉を踏まえて、遅まきながら宿場町の情勢を探り始めたということでしょうか」


「ま、そんなところだろう。少なくとも、刺客からの連絡が途絶えたんで、慌てて人を出したって感じではねえな」


 そう言って、ザッシュマは白い歯をこぼした。


「ひと通りの話は行きがけに聞いたけど、昨日はずいぶんな騒ぎだったみたいだな。しかしまあ、賊を捕らえられたんなら上等だ。しかも王子の配下だってことが確定したんなら、あっちももう知らん顔はできねえだろうさ」


「ええ。あとは、ポワディーノの命令であったかどうかですね。そこがもっとも、肝要であるわけですが」


「うーん。さすがにそこまで馬鹿ではないと思いたいところだが……ま、王子だからって賢いとは限らねえしな。このまま王子が黒幕だってことに落ち着いたほうが、話は簡単だろうさ」


 ザッシュマとの会話は、そんな感じに締めくくられた。

 ちなみに昨晩から朝方にかけては、《キミュスの尻尾亭》でも《南の大樹亭》でもおかしな騒ぎは起きなかったようである。俺は安堵の息をつくとともに、警護の役目を負ってくれた狩人と衛兵たちに感謝するばかりであった。


 やがて城下町から追加の兵士たちも参上したので、またたくさんの兵士や狩人たちに警護されながらファの家に向かう。そうして屋台の下ごしらえに励んでいると、もはや日課のように使者が届けられたのだった。


「本日は、いくぶん話が立て込んでいます。どこかで腰を落ち着けてお話することはできますでしょうか?」


 俺は下ごしらえの指揮をユン=スドラにお願いして、アイ=ファとともに母屋に向かった。

 使者の武官もそちらにお招きして、広間で相対する。武官の若者は、これまで以上に張り詰めた顔をしていた。


「まず、昨晩の賊についてですが……やはり、こちらの尋問にも何も答えようとしません。その上で、ポワディーノ殿下に仔細をお伝えいたしました。賊の正体は王子殿下の配下たる『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』のひとりであったので、これは如何なる事態であるのかと……ジェノス侯爵と外交官殿がそのように問い詰められたとのことです」


「うむ。それで、王子の返答は?」


「それは、自分の配下を騙る大罪人であるため、即刻身柄を引き渡してもらいたい……とのことです」


「ふむ。あくまで、王子の配下ではない、と?」


「はい。『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』の七番というものはすでに魂を返しており、現在は欠番となっているそうです。よってそれは、まがいものの刻印を刻んだ偽者である……という主張であられるようです」


 武官の言葉に、アイ=ファは「なるほど」といっそう鋭く目を光らせた。


「それは、我々には確かめようのない話であるな。それで、マルスタインたちは何と? まさか、むざむざと賊の身柄を受け渡したわけではあるまい?」


「はい。もちろん賊は現在も、こちらの獄舎に留めています。そしてポワディーノ殿下は、本日もアスタ殿との会談を希望されていたそうですが……そちらに関してもお断りして、ジェノス侯爵のほうから別なる会談の申し入れをすることに相成りました」


「ふむ。別なる会談とは?」


「ジェノス侯とダカルマス殿下とポワディーノ殿下による、三者会談です」


 武官もまた厳しく引き締まった面持ちで、そのように言い放った。


「ポワディーノ殿下が何と仰ろうとも、もはやこれは三国間の国交を揺るがす大きな事件に成り果てています。ダカルマス殿下の命令下にあった一隊が控えた場所で、ポワディーノ殿下の配下たる証を携えた賊が毒の武具を振るったのですから、これは王国間で取り決められた安全条約を踏みにじったも同然であるのです。たとえ被害が出なかったとしても、それは森辺の方々の尽力の結果であるのですから……くだんの賊が、きわめて重大な法を破ったことに変わりはありません」


「……ふむ。それで?」


「はい。もしもこちらの要請を承諾していただけない場合は、シム本国に苦言を申し入れる他ないと申し上げたところ、ポワディーノ殿下もようやく承諾されたとのことですが……ただし、ひとつだけ条件を提示されました」


「条件?」


「はい。その会談の場に、アスタ殿も同席していただきたいとのことです」


 俺は、心から驚かされてしまった。

 そんな俺のかたわらで、アイ=ファは青い火のように瞳を燃やしている。


「そこでどうして、アスタが出てくるのだ? よもや、この期に及んでアスタを臣下に迎えたいなどと申しているわけではあるまいな?」


「は……ポワディーノ殿下は、アスタ殿に正しく真実を見定めてもらいたいと主張されているようです」


 アイ=ファの気迫に耐えるように、武官はぐっと背筋をのばした。


「そこでジェノス侯爵は、いっそ森辺の方々を含めて四者会談にしてみては如何かとご提案されました。ポワディーノ殿下がそちらの提案を承諾されたため、現在は別なる使者が族長ドンダ=ルウ殿に事情を説明している頃かと思われます」


「……そうか。では、あとはドンダ=ルウの判断に任せる他ないな」


 そんな風に答えてから、アイ=ファはうろんげに頭をもたげた。

 次の瞬間、玄関の戸板が大きく鳴らされる。武官はびくりと身を震わせつつそちらを振り返ったが、アイ=ファが「大事ない」と声をあげた。


「これは、森辺の同胞の気配だ。何者かが、トトスで駆けつけたようだな」


 アイ=ファは刀を手に、玄関のほうに近づいていった。


「ファの家長アイ=ファだ。そちらは、何者か?」


「ドムの家長ディック=ドム、および族長グラフ=ザザだ」


 重々しい声音が、戸板の向こうから響きわたる。

 アイ=ファは閂を外して、そちらの両名を土間に招き入れた。


「よもや、ふたりがそろって出向いてくるとはな。ルウの使者から昨晩の一件を聞き及んでのことであろうか?」


「うむ。いい加減、使者ごしに凶事を告げられるのはうんざりなのでな」


 グラフ=ザザはギバの毛皮のかぶりもの、ディック=ドムはギバの頭骨をかぶっっており、雨季の前と何ら変わらない姿だ。ただその身は、そぼ降る雨でしとどに濡れていた。


「マルスタインからどのような話が伝えられてくるかと、自分の耳で確かめに出向いたのだ。……ちょうど頃合いであったようだな」


「うむ。ドンダ=ルウのもとにも、使者が遣わされているそうだ。グラフ=ザザにも、聞いてもらうべきであろうな」


 そうしてアイ=ファが四者会談の一件を簡単に伝えると、グラフ=ザザは珍しくも迫力のある笑い声を響かせた。


「シムの王子と対面できるなら、話が早い。では、新たな使者を出される前に、ルウの集落に向かうとするか。どうせダリ=サウティも、あちらに参じているのだろうしな」


「うむ? グラフ=ザザは、何故にそのように思うのだ?」


「この俺でさえ腰を上げたのだから、ダリ=サウティが家にこもっていることはあるまい。あちらのほうが、まだしもルウの集落に近いのだからな。……では、あちらで待っているぞ」


 そんな言葉を残して、グラフ=ザザは早々に立ち去っていった。

 アイ=ファは狩人の眼光で、俺に向きなおってくる。


「……お前も今日は、最初から屋台の取り仕切り役をユン=スドラに任せておくべきかもしれんな」


「うん。族長たちの許しをもらえるなら、俺も自分の目で顛末を見届けたいよ」


 俺たちは使者の武官にお礼を言って、かまど小屋に舞い戻った。

 そうして下ごしらえに励んでいたユン=スドラに事情を告げると、「そうですか……」と思い詰めた眼差しを返される。


「でもきっと、この騒ぎは解決の方向に向かっているのでしょうね。アスタの屋台は、わたしがお預かりします。そして、アスタたちの無事なお帰りをお待ちしています」


「ありがとう。ユン=スドラには、本当に感謝しているよ」


「いえ。このような大役を任せていただき、わたしのほうこそ感謝しています」


 そう言って、ユン=スドラは懸命に笑ってくれた。

 そんなユン=スドラとともに、俺も下ごしらえの作業に参加する。話がどのように転ぼうとも、まずはドンダ=ルウからの連絡を待つ他ないのだ。その間、黙って突っ立っているわけにはいかなかった。

 そしてその間に、アイ=ファは他なる狩人たちに説明を施していく。雨季なので戸板は閉ざしていたが、大きなざわめきが壁越しに伝わってきた。


 それから一刻ばかりが経過して、下ごしらえの目処が立った頃――ついに、ルウから使者がやってきた。その任務を負ったのは、ルド=ルウである。


「けっきょく親父たちも、会談とやらに参加することになったってよ。下りの一の刻までにジェノス城まで向かうから、そのつもりでいろだとさ」


 そんな風に言いながら、ルド=ルウは子供っぽく口をとがらせた。


「で、けっきょく今日も、俺は居残りだよ。2日目から、俺はずっと居残りなんだぜー?」


「つまり、家を守る仕事を任されているということであろう。ルド=ルウたちがいてくれるからこそ、リミ=ルウやジバ婆も心安らかに過ごせるのだ。私も心から、感謝している」


「ちぇっ。シンの家を分けたばっかだから、ルウの家も手薄なんだよ。まったく、時期が悪かったよなー」


 そう言って、ルド=ルウは俺の胸もとを小突いてきた。


「とにかく、こんな騒ぎはもう腹いっぱいだよ。せっかくアスタたちがルウの集落に泊まり込んでも、晩餐も一緒に食えねーしよ。つまんねーから、とっとと片付けてくれよなー」


「うん。俺も精一杯、頑張るよ」


 ルド=ルウのマイペースな物言いに励まされながら、俺はそのように答えてみせた。


「でも、下りの一の刻に集合ってのは、ちょっと中途半端だな。俺たちは、どうしようか?」


「やはり今日は屋台の仕事から退いて、ドンダ=ルウらと合流するべきであろうな。ポワディーノと相対する前に、こちらも話をまとめておくべきであろう」


 そうして俺は正式に本日の取り仕切り役をユン=スドラにお願いして、アイ=ファとともにルウの集落を目指すことになった。

 その道中も、もちろんジェノスの近衛兵とジャガルの兵士たちが同行する。ファの家に向かう前に人員が補充されて、また合計40名という大所帯だ。ただし、ラッツを筆頭とする6氏族には屋台の警護をお願いして、狩人はルウの血族だけが同行していた。


 ルウの集落に到着すると、そちらには三族長が勢ぞろいしている。グラフ=ザザの予見通り、ダリ=サウティも参じていたのだ。さらに供としてヴェラの家長とディック=ドムも顔をそろえているため、ルウ本家の広間はなかなかの物々しさであった。


「城下町にも供を連れていくが、会談に参席できるのは6名までだ。その顔ぶれは、三族長とファの両名、そしてガズラン=ルティムと指名されている」


「ガズラン=ルティムが指名されているのですか。もしかしたら……フェルメスの采配かもしれませんね」


「なんでもかまわん。こういうややこしい話には、そいつの頭や舌が必要だろうからな」


 ドンダ=ルウの燃えるような眼光を受けて、ガズラン=ルティムは静かに首肯した。


「シムの王子と相まみえるのは、下りの二の刻だそうだ。その前に一刻かけて、マルスタインらと言葉を交わしておく。さらに俺たちはその前に、全員がしっかり事情をわきまえておくべきだろう。貴様たちがこの数日で見聞きしたことを、余さずこの場で語るがいい」


 ドンダ=ルウの言葉に従って、俺とアイ=ファとガズラン=ルティムがその役目を受け持った。ポワディーノ王子との会談については俺とアイ=ファ、ジェノス城における会談についてはガズラン=ルティムだ。また、初日の会談はガズラン=ルティムも不在であったため、そちらも俺とアイ=ファから語ることにした。


「……聞けば聞くほど、煮えきらない話だな。ポワディーノとかいう王子がよほど暴虐で、西や南との関係を歯牙にもかけずに騒ぎを起こしたか……あるいは、何者かが王子を陥れようとしているということだな?」


 グラフ=ザザの言葉に、ガズラン=ルティムが「はい」と応じる。


「ただ確かであるのは、賊の手に王子の配下である証が刻みつけられていたということです。それがなければ、王子とまったく無関係の何者かが関わっている可能性も除外できなかったわけですが……ティカトラスとジルベのおかげで、ようやく一歩前進できたというわけですね」


「ふん。ずいぶんささやかな一歩に感じられてしまうが……しかし、賊を捕らえられたのは上出来だ。そいつが口を割れば、いっそう話は早かろうがな」


「はい。ですが、自害用の毒を携えていたぐらいですから、そちらは期待できないかもしれません。それはつまり、邪神教団に劣らないほどの覚悟で大罪を働いたということなのでしょうからね」


「まったく、厄介な話だ。ギバを追うほうが、まだしも気楽だな」


 何だか今日は、グラフ=ザザが饒舌である。つまりそれだけ、業を煮やしているということなのだろう。ドンダ=ルウも、それは同様であるし――こんな面々を眼前に迎えたら、さしものポワディーノ王子も平静ではいられないのではないかと思えるほどであった。


 その後はルウの女衆の心尽くしで軽食をいただき、中天をわずかに越えた見当で出立の準備を始める。何せ雨季では日時計も役立たずであるため、早め早めに動く必要があるのだ。


 城下町に向かう際の護衛役は、5名のみというささやかなものであった。族長とその供だけで6名なので、それ以上は不要という判断であるのだろう。10名の近衛兵と30名のジャガル兵も同行しているので、なおさらであった。


 今日も覗き見を禁じられていたので、宿場町の様子はまったくわからない。

 しかし城門に到着すると、意想外の人物が待ち受けていた。朝から王子の配下を尾行していたという、カミュア=ヨシュである。


「やあやあ。あちらもついさっき城下町に戻ったので、俺はアスタたちを待っていたのだよ。これから大変な会談が待ちかまえているそうだね」


 そのように語るカミュア=ヨシュも同じトトス車に乗っていただき、ジェノス城までの道のりでざっくり話を聞かせていただいた。


「俺は『王子の耳(ゼル=ツォン)』と思われる一団のひとりをずっとつけ回していたのだけれどね。あまり覗き見のし甲斐がない内容であったよ。その人物は本日ジェノスに到着した行商人であるという体裁で、ここ数日の騒ぎをあれこれ聞き回っていたようだ」


「なるほど。やはり、アスタたちが懇意にしている宿屋なども巡っていたのでしょうか?」


 ガズラン=ルティムの問いかけに、カミュア=ヨシュは気安く「はいはい」と応じる。


「俺がつけ回した御仁が立ち寄ったのは、《玄翁亭》と《ラムリアのとぐろ亭》でありましたね。まあ、彼らは城下町でも情報を集めていたので、もうアスタが懇意にしている宿屋に関してもあれこれ知識を得られたのでしょう。ただ……目新しい話は、何もありませんでした。《キミュスの尻尾亭》や《南の大樹亭》を見舞った騒ぎに関してと、アスタの評判、森辺の民の評判、ジェノス侯の評判……そして、ポワディーノ王子に対する評判なんかを聞いて回っていたようでありますね」


「そうですか。……実際のところ、宿場町におけるポワディーノに対する評判というのは、どういった内容になるのでしょう?」


「西や南の民なんかは、そりゃもう辛辣なものでありますね。まあ、アスタに対する嫌がらせで宿屋に落書きをさせたと見なされているのだから、それも当然の話でありましょう。それで、東の民なんかは……困惑が先に立つといった印象でありますね。何せジェノスに滞在しているのはジギの行商人ばかりでありますから、ラオの王家に対しては知識が不足しているようです」


「そうですか。フェルメスやティカトラスもシムの王家に対しては多くの知識を持っていないようですので、それも致し方のない話なのでしょう」


「ええ。俺も東の王都に足を運んだことはなくもありませんが、そちらでも王家に関する風聞というのはあまり耳にしませんでしたね。どうも東の王家というのは、秘密主義の気風が強いようです」


 そう言って、カミュア=ヨシュは骨張った肩をすくめた。


「ただ、王子の直属部隊たる『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』に関しては、小耳にはさんだことがあります。彼らは本当に私心を排して、王子に絶対の忠誠を誓っているようですね。彼らは個人としての幸福をすべて打ち捨てて、王子のためだけに尽力する存在であるのです。そんな彼らが、王子を裏切ることはありえるのか……俺にしてみれば、そんな盲目的な忠誠のほうこそが理解の外なので、ちょっと想像が及びません」


「そうですか。やはり、我々の考える忠誠とはまったく本質が異なっているのでしょうね」


「ええ。何せ彼らは、顔も名前も捨ててしまっているのですからね。ひとたび『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』に任じられたならば、生涯にわたって伴侶を娶ることも子を生すことも許されないのだという話でありますよ」


 その言葉には、おおよその人間が眉をひそめることになった。


「ならばそれは、奴隷以下の存在なのではないか? 奴隷とて、場所によっては伴侶を娶ることを許されているのであろう?」


「ええ。ですから、理解の外であるのです。そんな忠誠は、もはや狂信に感じられるほどですので……なんだか、邪神教団を連想してしまいますねぇ」


 気安い口調で、実に深刻な発言をするカミュア=ヨシュであった。

 そうして話が一段落したところで、トトス車はジェノス城に到着する。そちらにも、カミュア=ヨシュは当然のようにくっついてきた。彼は彼で、同じ話をマルスタインたちに報告する必要があるのだ。


 ジェノス城の一室では、マルスタインとメルフリード、外務官とポルアース、そしてフェルメスとオーグだけが待ちかまえている。森辺の陣営も、この後の会談に参席する6名だけが入室を許された。


「アスタとアイ=ファは、これで4日連続だね。かなうことならば、もっと楽しい話で絆を深めたかったところだ」


 マルスタインはそのように語っていたが、少なくとも俺はこの数日で彼に対する信頼と親愛の念が跳ねあがっていた。俺なんかのためにこうまで尽力してくれているのだから、それが当然の話であろう。それに、俺がこうまでマルスタインと密な時間を過ごすというのも、これが初めての話であるはずであった。


「まず、最初に告げておく。この後の会談では、アルヴァッハ殿とナナクエム殿もポワディーノ殿下の臣下として参席することになった。あちらのおふたりもこのたびの騒動を解決するために尽力すると約束してくれたので、どうかそのように心得てもらいたい」


「ふん。あのふたりこそ、こちら以上に胸を痛めているのだろうな」


「そう。サイクレウスやザッツ=スンらを抱えていた頃の我々と、同じような心境なのかもしれないね。問題は……ポワディーノ殿下がそういった悪辣な人間であるか否かだ」


 マルスタインは卓の上で組んだ手の上に下顎をのせながら、そう言った。


「ルウの集落を脅かした賊は、以前として口を開こうとしない。そして、食事も水も口にしようとしないのだ。あの賊は、このまま魂を返すことだけを考えているのだろうね」


「手の甲の紋章についても、言及されたのでしょうか?」


 ガズラン=ルティムの問いかけに、フェルメスが「もちろんです」と応じた。


「このままでは主君たるポワディーノ殿下にも大きな責任が及ぶと言い渡しましたが、それでも口を開こうとしません。ですが、それで彼の立場や本心を推し量ることは難しいでしょうね」


「ええ。賊がポワディーノの命令で動いていたのなら、何も語ることはできないでしょうし……ポワディーノを陥れようという考えであっても、まずは沈黙をつらぬくのが相応であるように思います」


「ええ。後者の場合は頃合いを見計らって、ポワディーノ殿下の命令であったと言いたてる可能性もありますが……今日の会談には間に合わないようですね」


「なんだそれは」と口をはさんだのは、グラフ=ザザである。


「それではそやつが口を開こうが開くまいが、何も変わらないではないか。そやつが何を語ったところで、真実かどうかは知れないのだからな」


「ええ。ただし、何かを語りさえすれば、判断材料の一助にはなりえます。ポワディーノ殿下を陥れようとしているのか、あるいは絶対の忠誠を誓っているのか……言葉の内容や口を開く時期などによって、真実か否かを見定めるのです」


「まったく、俺たちの流儀ではないな。俺たちはこの後の会談で、どのような役目を果たすべきであるのだ?」


「森辺の方々には、ご遠慮なく発言していただきたく思います。昨日のアスタやダカルマス殿下と同様に、森辺の民が備え持つ熱情や気迫というものは必ずやポワディーノ殿下の心情に何らかの影響を与えるでしょう。とにかく僕たちは、ポワディーノ殿下の本性というものを見定めなければならないのです」


 優美に微笑みながら、フェルメスはそう言った。

 ポルアースや外務官はさすがに緊張の面持ちであるが、マルスタインも柔和な笑顔、メルフリードは氷のごとき無表情だ。そしてこちらには、三族長とガズラン=ルティムが居揃っているのだから――これまでの3日間に比べれば、格段に有利な状況であるはずであった。


(それにポワディーノ王子は、まだ俺なんかに執着してるんだ。俺も、自分にできる役目を果たそう)


 そうして俺たちは一刻にわたって言葉を交わすとともに、同じ苦難を乗り越えるのだという気持ちを固めて――ついに、ポワディーノ王子と相対することになったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] グラフ・ザザが出るだけでも珍しいのに、めっちゃ喋るし。かわりにダリ・サウティが喋らないし。 [一言] グラフ・ザザ回だった。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ