三日目③~夜~
2024.2/14 更新分 1/1
ダカルマス殿下の乱入によってポワディーノ王子との会談を早々に打ち切られた俺たちは、その日もジェノス城で一刻ほど語らったのち、城下町を出ることになった。
森辺の狩人が15名、ジェノスの近衛兵が10名――そして、ジャガルの兵士30名が加えられている。天辺のとんがった兜と黒光りする鱗のような鎧を纏った、南の王都の精鋭部隊である。その指揮官たる人物は、なんとフォルタの副官であるのだという話であった。
「しかし、たった30名でよろしいのでしょうかな? こちらは護衛部隊の半数に出陣してもらおうかという考えであったのですが!」
ジェノス城の会合の場で、ダカルマス殿下はそのように声を張り上げていた。それをたしなめてくれたのは、マルスタインである。
「いえ。もとよりアスタの身を守る役目については、森辺の面々が受け持ってくれているのです。東の賊に対する牽制としては、30名でも十分以上でしょう」
「それに、人数が増えれば増えるほど、森辺の狩人や近衛兵との連携も難しくなってしまいます。ここは少数精鋭で対処するのが得策でありましょう」
フェルメスもそのように言葉を添えると、ダカルマス殿下はしかたなさそうに承諾してくれたわけであった。
「それにしても……どんどん大ごとになっていっちゃうな」
城門を出て、自分たちの荷車に乗り換えたのち、俺がそんな感慨をこぼと、アイ=ファが優しく頭を小突いてきた。
「それだけ誰もが、アスタの身を案じているということだ。私もルウの集落を騒がせてしまうのは心苦しくてならないが、お前の安全には代えられん」
「ええ。賊の正体がポワディーノの配下であったなら、もはやルウの集落に近づくことも難しくなるでしょう。ダカルマスの言う通り、西の地で東と南の王子たちが諍いを起こすことなど、決して許されないのでしょうからね」
ガズラン=ルティムは落ち着いた面持ちで、そのように語っていた。
もともと西の地で東と南の民が諍いを起こすのは、大きな禁忌である。それを許せばどの王国も交易の発展を目指すことが難しくなってしまうため、王国間で厳しく取り決められた法であるのだ。王子同士で諍いなどを起こしてしまったら、それこそ国際問題に発展するのだろうと思われた。
「なおかつ、ダカルマスはジェノスの領主たるマルスタインの了承を得て兵を動かしているのですから、これで諍いなど起きたらポワディーノにすべての責任が負わされることになるのでしょう。……まあ、それはポワディーノの命令で賊が動いている場合の話ですが」
「ふむ。やはりガズラン=ルティムは、それ以外の可能性も鑑みているのであろうか?」
「もちろん、あらゆる可能性を想定しています。それは、マルスタインやフェルメスも同じことでしょう」
それは俺も、同感である。勘ぐろうと思えば、いくらでも勘ぐれるのだ。臣下の暴走という可能性については、ポワディーノ王子自身に否定されてしまったが――それでもまだ、複数の可能性が残されているはずであった。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
ポワディーノ王子が真犯人であるにせよないにせよ、すべての原因は彼に帰結するということだ。彼がジェノスにやってこなければ、このような騒ぎは勃発しなかった――それだけは、首をかけても断言できるはずであった。
「……では、賊が王子の思惑とは関わりなく動いているとしたら、再び集落に忍び込んでくる恐れもある、ということだな」
アイ=ファが厳しい声で言いたてると、ガズラン=ルティムは「はい」と応じた。
「配下の誰かがポワディーノを裏切ったか、あるいは別なる勢力がポワディーノを陥れようとしているのか……その場合は、むしろ喜び勇んでジャガルの兵士を傷つけようと企むかもしれません」
「ダカルマスもそれを承知で、兵を動かしたのであろうな。やはり誰もが、危険を犯してでも賊を捕らえようとしているということか」
「ええ。ですが、アスタを危険にさらすまいという思いに変わりはありません。私もまた、賊を捕らえることよりもアスタを守ることにすべての力を注ぐつもりです」
優しく微笑むガズラン=ルティムに、俺は「ありがとうございます」と頭を下げるばかりであった。
すると、軽快に街道を駆けていた荷車がペースを落とす。宿場町に入ったので、御者が御者台を降りたのだ。
今日の会談も半刻ていどで終わってしまったし、その後の会合も一刻ていどであったので、まだまだ夕暮れと呼ぶには早い時間だ。それでも屋台のメンバーはとっくに撤収して、明日の下ごしえらに励んでくれているはずであった。
しかしアイ=ファの命令で、俺は外の様子を覗き見ることも許されない。賊が危険な吹き矢を使うと知れたので、こちらはますます警戒することになってしまったのだ。まあ、外はどうせ暗鬱な空模様であるのだが、気持ちがふさぐことに変わりはなかった。
そんな中、荷車が思わぬタイミングで停車する。
まだ露店区域を抜けて、宿屋のエリアに入ったぐらいの頃合いだろう。アイ=ファは危険を察知した様子もなく、ただいぶかしげに眉をひそめた。
「表に、森辺の狩人の気配を感じるな。しかし、雨音が邪魔で言葉の内容は聞き取れん」
荷台は分厚い幌で覆われているのだから、俺にはそもそも誰かが会話をしている気配も感じ取れなかった。
やがて荷車は何事もなかったかのように動き出し、そののちにはスピードが上げられる。森辺に向かう坂の小道に入ったのだ。
アイ=ファは俺のかたわらから動こうとしなかったので、ガズラン=ルティムが御者台に面した幌のほうに近づいていく。普段、荷台の前面の幌は開けっぱなしであるが、雨季の間は雨が入り込まないように固く閉ざされているのだ。その幌ごしに御者と言葉を交わしたガズラン=ルティムが、やがて笑顔で俺たちのほうに戻ってきた。
「さきほど立ち止まったのは《南の大樹亭》の前で、言葉を交わした相手はラッツの狩人であったそうです。ラッツの家長の判断で、2名の狩人が《南の大樹亭》を警護することになったようです」
「警護? ドンダ=ルウの判断を待つまでもなく、ラッツの家長が動いたということであろうか?」
「ええ。《キミュスの尻尾亭》には、ベイムの狩人たちが待機しているようです。彼らはそのまま宿の部屋に滞在し、夜も交代で出入り口を見張るそうです」
「そうか。マルスタインらも、衛兵に目を光らせると言っていたが……相手が東の賊では、荷が重かろうからな」
「はい。やはり相手は、気配を殺すすべを持っているようですからね。ですが、警戒した狩人の目や耳をくらますことは、何者にもかないません」
俺は思わず、「ああ」と溜息をこぼしてしまった。
「ラッツとベイムの家長は、そんな話を自分から買って出てくれたんだな。俺は今すぐ、お礼を言いたい気分だよ」
「うむ。ベイムの家などは、かつて町の人間を恨んでいた立場であるのだからな。この3年足らずで、確かな絆を結びなおせたということだ」
厳しい面持ちの中で眼差しだけをやわらげながら、アイ=ファはそう言った。
そうして荷車は、ルウの集落に到着する。お世話になっている家の前で荷台を降りると、可愛らしい雨具の姿のリミ=ルウが駆け寄ってきた。
「みんな、おかえりー! ちょうどこれから、晩餐の支度を始めるところだよー!」
「うむ。何も危険はなかったであろうか?」
アイ=ファがますますやわらかな眼差しで応じると、リミ=ルウはおひさまのような笑顔で「うん!」とうなずいた。
「今日は、ジーダたちが家に残ってくれたから! ドンダ父さんたちも、もう帰ってきてるしね! まだ森の恵みは戻ってないみたいだけど、罠にかかってたギバを収獲できたんだよー!」
ルウの血族は俺の警護を受け持ちつつ、自分たちの集落も守り、そしてギバ狩りの仕事も果たしているのだ。たとえ休息の期間が空けたばかりの閑散期であっても、それは生半可でない苦労であるはずであった。
リミ=ルウと語らう俺たちの周囲では、狩人と近衛兵とジャガルの兵士たちが言葉を交わしながら集落を見回っている。新参の兵士たちに、巡回のルートなどを説明しているのだろう。俺としては、そちらにも頭が下がるばかりであった。
「それじゃあ、晩餐の支度を始めようか。……俺には、それしかできないからさ」
「うん! みんなが頑張れるように、おいしい料理をいーっぱい作らないとねー!」
俺はリミ=ルウの笑顔に励まされながら、裏手のかまど小屋に向かった。
当然のこと、アイ=ファやガズラン=ルティムたちもぞろぞろとついてくる。ただ、ジザ=ルウはドンダ=ルウに今日の出来事を報告するために、本家のほうへと向かっていた。そもそもジャガルの兵士たちを滞在させるのにも、ドンダ=ルウの許しが必要であるのだ。
かまど小屋では、すでに晩餐の準備が進められている。そしてそこにはヤミル=レイばかりでなく、レイナ=ルウの姿もあった。
「ああ、アスタ。無事に戻られて何よりです。食材や調理器具に不足がないか、おうかがいに参りました」
「ああ、ちょうどよかった。実は、集落のみなさんにお土産があるんだよ」
「はい? お土産ですか?」
「うん。デルシェア姫とプラティカが、どっさり料理を作ってくれたんだってさ。今頃は、本家のかまど小屋に運び込まれているはずだよ」
「えっ、本当ですか?」と、レイナ=ルウはたちまち瞳を輝かせた。
「でも、どうしてデルシェアとプラティカが? こちらの苦労をねぎらってくださったのでしょうか?」
「どうやら、そうみたいだね。あと、今日からジャガルの兵士さんたちも30名ばかり泊まり込むことになったから、そちらの面倒を受け持つって意味も含まれてるみたいだね」
もちろん近衛兵たちに対しても、こちらが簡単な晩餐を供している。さらに30名も客が増えるのは大変であろうから、その分を受け持とうという申し出であったのだ。
「だから、デルシェア姫たちの準備してくれた分を兵士さんたちにお出しすれば、こっちの労力は相殺されるっていうことだね。もちろん料理をどう分配するかは、こっちに任せるっていう話だったけど――」
「はい! デルシェアたちの料理を口にせずにはいられません! 兵士の方々の分はわたしたちが準備しますので、デルシェアとプラティカの料理はこちらで分配したく思います!」
「うん。デルシェア姫たちも、それを期待してるって話だったよ」
「では、さっそく料理を拝見してきます! 必要な分は、のちほどこちらにお届けしますので!」
「あーっ、レイナ姉! 雨具を忘れてるよー!」
そうしてレイナ=ルウは、風のように立ち去っていった。
そのさまに、ダン=ルティムがひさびさにガハハと笑う。
「やはり、ルウの女衆は強いな! 3日が過ぎても、まったくへこたれておらんようだ!」
「ええ。族長ドンダ=ルウのもとで、しっかり結束しているがためでしょう」
ガズラン=ルティムも、笑顔でそのように応じた。
レイナ=ルウも含めて、そんなみんなの笑顔が俺の心を救ってくれているのだ。みんながずっと深刻な顔をしていたら、俺は居たたまれないはずであった。
(本当に、一刻も早くどうにかしないと……賊を捕らえることに関しては、俺にできることなんて何もないから……俺はやっぱり、ポワディーノ王子をどうにかしないといけないんだ)
今日はダカルマス殿下の乱入で会談も取りやめられることになってしまったが、どうせ明日も俺はギリ・グゥの神殿に呼びつけられるのだろう。そのときこそ、俺は解決の糸口をつかみたかった。
(まずは、ポワディーノ王子が昨晩の犯人かどうか……もしも王子が無実だったら、なんとか穏便にお帰りいただいて、王子がすべての黒幕だったら……やっぱり、そっちのほうが厄介だな)
しかしそのときはマルスタインやフェルメスたちの力を借りて、何とか王子の罪を暴きたてるしかない。きっとダカルマス殿下も黙ってはいないだろうから、深刻な争乱には発展しないように配慮しながら、脅威を退けられるように尽力するしかなかった。
(何にせよ、決め手になるのは実行犯の捕縛だよな。ティカトラスは、なんだか自信ありげだったけど……今ごろ、何をしてるんだろう)
そうして俺はさまざまな思いを渦巻かせながら、晩餐の支度に励むことに相成ったのだった。
◇
そうして、夜である。
本日は、昨晩よりもつつましい人数で晩餐を囲むことになった。カミュア=ヨシュとレイトは《キミュスの尻尾亭》で夜を過ごすことになり、ティカトラスたちもいっこうに姿を現さなかったのだ。そしてガーデルとバージも姿を消してしまったため、あとには森辺の同胞だけが残されたのだった。
それでも、かまど番が3名に狩人が7名という人数である。なおかつ、リミ=ルウとダン=ルティムが居揃っている時点で、賑やかさに事欠くことはなかった。
「ティカトラスたちは、どうしたのでしょうね。ジルベのための準備というもので、何か手こずっているのでしょうか」
ガズラン=ルティムがそのように疑念を呈したが、それに答えられる人間はいなかった。
まあ、ティカトラスたちの分も料理は確保しているので、いつ姿を現しても問題はない。俺たちは2日ぶりに、森辺の同胞水いらずの晩餐を開始することにした。
「それでこれが、ジャガルの姫とゲルドのかまど番が準備した料理か。あまり珍妙な内容ではないようなので、安心した」
そのように声をあげたのは、城下町と縁の薄いディム=ルティムである。おそらく彼とジィ=マァムは、昨年の闘技会の祝賀会でしか城下町の祝宴に参じていないはずであった。
「デルシェア姫たちも、城下町の料理に馴染みのない人間が食べる前提で準備してくれたはずだからね。きっとがっかりすることはないと思うよ」
「そうか。まあ、ギバ肉さえ使われていれば、文句をつけるつもりはない」
そうして、晩餐は開始された。
食前の文言を最初に唱えるのは、なんとリミ=ルウの役割だ。たとえルティムやレイの家長が居揃っていても、ルウの集落ではルウの家人が主人として振る舞う取り決めであるようであった。
リミ=ルウの元気な声に続いて、俺たちも文言を復唱する。アイ=ファの生誕の日から4日連続で晩餐をともにしているため、リミ=ルウは終始ごきげんの様子であった。
「ふむ。これは普通に、美味ではないか」
と、デルシェア姫の準備してくれた汁物料理をすすったジィ=マァムが、まずそのように声をあげた。
「ああ、いや……普通以上に、美味であるようだ。これは、とても好ましく思う」
「うむ、確かに! 森辺で出される料理とはいささか趣が異なるようだが、まったく文句のない出来栄えだな!」
ダン=ルティムも豪快に笑いながら、そちらの汁物料理をすすりこんだ。
デルシェア姫が準備してくれたのは、森辺でもすっかり隆盛をきわめた豆乳の汁物料理である。そちらは魚介の出汁がきいていたが、具材のギバ肉も問題なく調和していた。
スープは、とても深みのある味わいだ。わずかながらにミソやタウ油が使われているようで、コクがある。マツタケに似たアラルの茸や、オクラのようなノ・カザック、チンゲンサイに似たドミュグド、アスパラガスに似たドミュグド、生鮮のウドに似たニレなど、最新の食材もふんだんに使われており、なおかつ明太子に似たジョラの魚卵がスープのすみずみにまで行き渡っているのは、俺が考案した豆乳パスタと同様の手法であった。
「プラティカの料理は、ちっとも辛くないのだな! せっかくなら、ギラ=イラの料理を準備してほしかったものだ!」
そんな不平を申し述べつつ、ラウ=レイはまんざらでもない面持ちでプラティカの料理をかきこんでいる。そちらは何と、チャーハンに似た料理であった。
こちらもノ・カザックやニレやアラルの茸、それにゴーヤに似たカザックやミョウガに似たノノなども具材に使われている。具材は細かく切り分けられていたが、ニレの瑞々しさやノ・カザックの粘ついた食感、カザックの苦みやノノの辛みなど、すべてが素晴らしく調和していた。
風味を強く主張しているのはゴマ油に似たホボイ油で、そして複数の香草が強いアクセントとなっている。ラウ=レイの言う通り辛みは少ないが、セージに似たミャンツや大葉に似たミャン、あとはミャームーやケルの根なども使われて、かなりパンチのきいた味わいであった。なおかつギバ肉は細かく刻まれて揚げ焼きにされたバラ肉が使用されており、そちらの力強さもなかなかのものであった。
それらの献立を鑑みて、俺たちは肉料理とサラダを準備した。肉料理は甘酢あんかけの肉団子、サラダは大根に似たシィマと山芋に似たギーゴの生鮮サラダだ。そして、プラティカのシャスカ料理には限りがあったので、デルシェア姫の汁物料理に乾酪入りの焼きポイタンをどっさり添えていた。
「きわめて、美味です。1日の疲れ、癒やされる心地です」
と、シュミラル=リリンが俺に微笑みかけてくる。その手にあるのは、甘酢あんかけの肉団子だ。シュミラル=リリンの心づかいに、俺は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「シュミラル=リリンは、夜が明ける前から大変な働きでしたもんね。料理だけでは、とうていお返しできませんが……」
「いえ。アスタ、力、なれれば、本望です。お気遣い、無用です」
そんな風に言ってから、シュミラル=リリンはいっそう優しげに切れ長の目を細めた。
「アスタ、逆の立場、お考えください。アスタ、私のため、苦労、背負ったならば、苦しいですか?」
「いえ。シュミラル=リリンのお力になれたら、それだけで嬉しいですけど……」
「であれば、我々、同じ心地です」
「うむうむ! ここ最近は、ファの家のために奮起する機会もなかったからな! たまには俺たちも頼ってもらわんと、寂しい限りではないか!」
「ああ。俺たちはガズラン=ルティムのように、城下町で役に立つこともできんからな。これこそ、俺たちに相応しい働き場だ」
誰もが優しい言葉で、俺の心苦しさをなだめてくれようとしていた。
それで俺が胸を詰まらせると、黙々と食事を進めていたアイ=ファが声をあげる。
「しかし、ついに3日目が終わろうとしている。護衛役は、まだ顔ぶれを入れ替えないのであろうか?」
「うむ? 俺たちに引っ込めとでも言うつもりか?」
「いや。これだけの顔ぶれに囲まれるのは、心強くてならないが……この場に集っている面々は、それぞれの家で重い立場を背負っていよう? いつまでも引き留めるのは、心苦しく思えてならん」
「ふん。俺などは重くも何ともない立場なので、引っ込む理由はないな」
ディム=ルティムはすました顔で、汁物料理にひたした焼きポイタンをかじり取った。そのかたわらのジィ=マァムは仏頂面で、丸太のように太い腕を組む。
「俺は本家の長兄となるが、家は親父が守ってくれている。3日やそこらで引っ込むつもりはないぞ」
「俺などは、とっくに家長から退いた身であるしな! 重き立場と言えるのは、ガズランとラウ=レイぐらいであろう!」
「家は、叔父貴が守ってくれている! 俺も引っ込む気はないぞ!」
ダン=ルティムやラウ=レイが相手では、アイ=ファも説得の言葉を思いつかなかったのだろう。その青い瞳は、ひときわ穏やかな表情を保っているガズラン=ルティムとシュミラル=リリンに向けられた。
「では、ふたりはどうであろうか? ガズラン=ルティムはルティムの家長であるし……シュミラル=リリンともども、幼い我が子を家に残している身であろう?」
「はい。ですが、東の賊、毒の武器、使うならば、私、薬草の知識、有用、思います」
「そうですね。私などは今のところ、何のお役にも立てていませんが……ジザ=ルウには、可能な範囲で城下町に同行してもらいたいという言葉をいただいています」
「うむ。ジェノス城でマルスタインらと語らう際には、ガズラン=ルティムの聡明さに助けられている。それは重々承知しているのだが……」
「アイ=ファたちが心苦しく思うのも、理解はできます。ですが……この数日こそが、正念場なのではないでしょうか?」
と、ガズラン=ルティムは一瞬だけ鋭い眼光を閃かせた。
「今日はついに、ダカルマスが動くことになりました。昨日のシュミラル=リリンの話ではありませんが……きっとダカルマスというのは、場を動かす大きな力を持っているでしょう。そのダカルマスが動いたからには、大きな変動が生じるやもしれません」
「……ジャガルの兵士を招いたことで、賊の動きが変わるということであろうか?」
「はい。それに、カミュア=ヨシュやティカトラスたちも懸命に動いてくれているでしょう? マルスタインやメルフリード、フェルメスやゲルドの面々もまた然りです。これだけの傑物がいっせいに動いたら、場が沈静することはありえないように思います。……占星師であれば、まさしくさまざまな星が躍動しているさまを見て取れるのではないでしょうか?」
ガズラン=ルティムの言葉を噛みしめるように、アイ=ファは沈思した。
それからほどなくして、狩人の全員が玄関口に向きなおると、戸板が派手にノックされた。
「わたしだよ! ティカトラスだ! すっかり遅くなってしまったけれど、わたしたちの晩餐は残されているだろうか?」
アイ=ファは溜息をこぼしながら、腰を上げた。
「確かにティカトラスだけでも、場を騒がせるには十分であろうな。……いま開けるので、むやみに戸板を叩かないでもらいたい」
「おお、アイ=ファ! 戸板ごしでも、君の声は美しいね!」
戸板が開かれると、雨具をかぶったティカトラスたちの姿があらわになった。
最後に入室したデギオンは、その手に巨大な布の包みを抱えている。その姿に、アイ=ファはうろんげに目を細めた。
「それが、ジルベのための支度であろうか? いったい何を持ち込んできたのだ?」
「それは、後でのお楽しみさ! このような宵の口から、賊が忍び込むことはないだろうからね!」
雨具のフードをはねのけたティカトラスは、心から楽しそうな笑顔であった。
「ずいぶん時間がかかってしまったけれど、なかなか愉快な出来栄えになったように思うよ! だけどその前に、まずは腹ごしらえだ! 実に食欲をそそる香りがあふれかえっているじゃないか!」
そうしてその日の晩餐も、けっきょくこれまでと変わらない賑やかさを再燃させることになった。
そして――さらに夜が深まったならば、まさしく状況をひっくり返すような騒動がルウの集落を見舞ったのだった。




