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異世界料理道  作者: EDA
第八十四章 藍の鷹の事変(前)
1453/1686

二日目③~夜~

2024.12/29 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 そうして、2日目の夜である。

 この日も俺たちは、昨晩に負けないぐらいの賑やかさで晩餐の時間を迎えることになった。


 ルウの血族の護衛役は昨晩と同じ顔ぶれで、ガズラン=ルティム、ダン=ルティム、ディム=ルティム、ラウ=レイ、シュミラル=リリン、ジィ=マァムの6名となる。俺と一緒に晩餐を手掛けてくれたかまど番は、リミ=ルウとヤミル=レイだ。

 そしてさらに、ティカトラス、デギオン、ヴィケッツォの3名と、ガーデルとバージが加わるのである。昨日はジィ=マァムとディム=ルティムがよその家にやられてカミュア=ヨシュとレイトも加わっていたが、本日は彼らが遠慮をしてルウ本家のほうに出向いていた。


 俺とアイ=ファを加えれば、総勢15名である。しかしまあ、昨晩はこの人数にアルヴァッハとナナクエムまで加えられていたのだ。空き家ですべての家財が持ち出されていなければ、これだけの人数が押しかけることも難しかったのだろうと思われた。


 客人の宿泊場所と認定された3軒の空き家では帯刀が許されるため、誰もがかたわらに刀を置いている。こちらはいちおう、荒事に備えた厳戒態勢であるのだ。しかし晩餐の場は、祝宴のごとき賑やかさであった。


「それにしても、東の王子というのはずいぶん聞き分けが悪いのだな! アスタにきっぱり断られたのなら、さっさとシムに帰ればよかろうに!」


 ダン=ルティムは豪快に笑いながら、そんな風に言い放った。

 それに「まったくだな」と応じたのは、ジィ=マァムである。


「アスタを無理に連れ帰ったところで、そんな者のために力を尽くす理由はない。アスタに断られた時点で、望みは潰えたと考えるのが普通ではないだろうか?」


「ははは! 誰もが森辺の民のように清らかな心を持っていれば、苦労もないのだがね!」


 手土産で持ち込んだゲルドのシャスカ酒を硝子の酒杯であおりながら、ティカトラスが笑顔で応じた。昨日も今日もアイ=ファとヤミル=レイが居揃っているためか、ティカトラスは常に上機嫌であるのだ。


「それに、王子殿下が求めておられるのは、あくまで『星無き民』としてのアスタだからさ! アスタの意思とは関係なく、その存在そのものの力に期待をかけているのではなかろうかな!」


「なるほど。ですが、ただアスタをそばに置いておけば、それだけで運が開ける――というような話ではないのでしょう?」


 ガズラン=ルティムが沈着かつ穏やかな面持ちで反問すると、ティカトラスは「もちろん!」と陽気に応じた。


「いかにまじないものを好む東の民でも、そこまで安楽には考えていないだろう! でも……そういう面も、なきにしもあらずなのかな」


「なに? それは、どういう意味であろうか?」


 ディム=ルティムがうろんげに口をはさむと、ティカトラスは笑顔でシュミラル=リリンに向きなおった。


「わたしもそうまで『星無き民』や占星にくわしいわけではないからさ! そういう話は、シム生まれであるシュミラル=リリンのほうが得意なのじゃないかな?」


「はい。アスタ、『星無き民』である、仮定すると……その存在、周囲の星、大きな影響、与えます。星、すなわち、運命です。『星無き民』、周囲の運命、大きな変転、もたらす、伝えられています。ならば、アスタの意思、関わりなく、そば、置くだけで、大きな影響、期待できる……そんな論、成立、するかに思われます」


 そんな風に言ってから、シュミラル=リリンはふわりと微笑んだ。


「ですが、星の動き、しょせん、鏡です。運命、動かす、人間であるのです。星、人間の動き、映している、過ぎません。アスタ、心、閉ざし、活動、止めたならば、周囲への影響、減じることでしょう」


「ふむ! つまりアスタは、傑物ということだな! そういう話なら、わからんでもないぞ!」


 ダン=ルティムが元気に声をあげると、シュミラル=リリンは「はい」といっそうやわらかく微笑んだ。


「強き星、周囲、影響、与えます。星無き闇、影響、それ以上なのでしょうが……根本、同一です。重要、星でなく、人間です。人間、正しく、動いたとき、運命、正しく、動くのです」


「シュミラル=リリンの言葉は、とても腑に落ちます。それらの言葉をポワディーノに伝えるべきではないでしょうか?」


 ガズラン=ルティムの言葉に、シュミラル=リリンは「いえ」と首を横に振る。


「ラオリム、星読み、盛んです。このていど、話であれば、ポワディーノ王子、わきまえているでしょう。わきまえた上、アスタ、身柄、欲しているのです」


「なるほど……ポワディーノは、そうまで『星無き民』の力というものにすがっているのでしょうか?」


「不明です。ですが、王座、欲するあまり、自制、失っても、不思議、ありません」


 そんな風に言ってから、シュミラル=リリンは俺のほうに優しい笑顔を向けてきた。


「私、神、移していなければ、このように、真情、語ること、難しかったです。私、神、移してから、ポワディーノ王子、現れたこと、僥倖、思います」


「ありがとうございます。シュミラル=リリンまで駆けつけてくださって、心から感謝しています」


 俺としては、精一杯の思いを込めてそんな言葉を伝えることしかできなかった。

 集団の場が得意でないアイ=ファは、最初からずっと無言で食事を進めている。それに、これだけの猛者に囲まれながら、いっさい気を抜いていないようだ。


 それに、この時間も外では狩人と兵士の巡回が継続されているのである。こうまで警護を固められたならば、さしものポワディーノ王子の一派も手は出せないだろう。立場のある彼らは、正面きって荒事に及ぶことも許されないのだ。唯一の手立ては隠密裏に俺を誘拐することなのだから、ジェノスの兵士が四六時中目を光らせているだけで身動きは取れなくなるはずであった。


(それでも、何が起きるかはわからないからな)


 俺もアイ=ファを見習って、決して油断しないように心がけていた。なんの武力も持たない俺は、とにかく単独行動をつつしむぐらいしかないのだ。周囲の人々に頼りきりというのは心苦しいばかりであったが、今はその心苦しさを呑み込んで身をつつしむことこそが、俺の命題であるはずであった。


 そうして賑やかな晩餐は終了し、半刻ばかりも酒を楽しんでから、ティカトラスたちはようやく自分たちの寝床に帰っていく。ガーデルとバージもそれを追いかけて、戸板にはしっかりと閂が掛けられた。


「ジルベも、何かあったらよろしくな」


 土間でくつろいでいたジルベは、「わふっ」と嬉しそうな声をあげる。護衛犬として育てられたジルベは、森辺の狩人に負けない鋭敏さで侵入者を察知することができるはずであった。


「しかし決して、無理をするのではないぞ。よからぬ者が近づいてきたならば、この場に留まってアスタの身を守るのだ」


 アイ=ファはそのように告げながら、ジルベのたてがみを撫でた。きっと俺と同じように、アイ=ファも《颶風党》の一件を思い出しているのだろう。あの日もジルベは盗賊どもの接近をいち早く察知してくれたが、すぐさま毒の吹き矢で眠らされることになってしまったのだ。かくも、東の民を敵に回すのは厄介であったのだった。


「ところで……やはり、アスタと離ればなれで夜を明かすのは落ち着かなくてならないのだ。この夜からは、アスタも寝所で眠らせてもらえないだろうか?」


「なに? しかしそちらには、ヤミルがいるではないか! たとえアスタでも、ヤミルと同じ場所で眠ることは許さんぞ!」


「そもそも、ヤミル=レイをこの家に留めることが不相応であるように思う。かまど仕事を受け持ってもらえるのはありがたいが、夜は別なる家で眠るべきではないだろうか?」


 アイ=ファがそのように言いつのると、ガズラン=ルティムが「そうですね」と賛同してくれた。


「もう片方の家には、2名の女衆も控えています。ヤミル=レイも眠るときだけはそちらに移っていただいたほうが、より安全なのではないでしょうか?」


「しかしそれでは、俺がヤミルと別々の家で眠ることになってしまうではないか!」


「では、ラウ=レイもあちらの誰かと交代してみては?」


「いや、しかし――!」とラウ=レイがなおも声をあげようとすると、冷ややかな顔をしたヤミル=レイがその肩を小突いた。


「守るべき人間がふたりもいたら、あなただって気が散ってしまうでしょう? あなたはどちらを守るべきか、心を定めるべきじゃないかしら?」


「なに? ヤミルとアスタのどちらかを選ぶことなど、できるわけがなかろうが!」


「どっちみち、もう片方は血族の手で守られるのよ。あなたは、血族を信用していないのかしら?」


 ラウ=レイは、アイ=ファのように口をとがらせた。


「であれば……俺は、アスタを守るぞ? そのために、俺はこの場に参じたのだからな」


「はいはい。それじゃあわたしは、失礼するわね」


「待て! ひとりで家を出るな、馬鹿者め! おい、俺はヤミルを送り届けてくるからな!」


 そうして掛けられたばかりの閂が外されて、レイの両名は小雨のやまない外に出ていった。それを見送ったジィ=マァムが、「やれやれ」と肩をすくめる。


「あのふたりは、相変わらずのようだな。そんなに家人が大事ならば、レイの家にこもっていればよかろうに」


「わはは! それでもアスタの窮地とあっては、大人しくしておられんのだろうよ! お前さんだって、それは同じことであろう?」


「ふん。誰であろうと、同胞のために力を尽くすのは当たり前のことだ」


 誰よりも大きな図体をしたジィ=マァムは、寝具の上にどかりと座り込んだ。

 どちらかというと、彼は俺よりもアイ=ファに対して強い思い入れを持っているはずであるのだ。しかし何にせよ、ありがたいことに変わりはなかった。


「ただ、ここまで守りを固めていたら、シムの連中も近づいてはこられんだろう。そもそもあちらは、アスタがルウの集落に留まっていることすら知らんのではないか?」


「それは相手が、どれだけの手練れであるかにかかってくるでしょうね。気配を殺すすべを持っているのなら、宿場町から荷車のあとをつけることは可能であるかもしれません」


「うむ! 以前もそのようにして、ディアがファの家に忍び込もうとしたのだからな!」


 ルティムの父子の返答に、ジィ=マァムは「そうか」とまた肩をすくめる。


「しかしこちらはルウの集落に住まう人間の他に、アイ=ファを含めて13名もの狩人が参じている。さらにジェノスの兵士たちも目を光らせていれば、やはり近づくこともできんだろう」


「ええ。言わばこれは、相手を近づけさせないための布陣であるわけですからね。ジィ=マァムは、それがご不満なのでしょうか?」


「不満なわけではない。ただ、相手の失敗を誘ったほうが、のちのち有利に話を進められるのではないかと考えたまでだ」


 そんな風に言ってから、ジィ=マァムは慌ててアイ=ファのほうに向きなおった。


「お、俺はべつだん、アスタを囮にせよなどと言っているわけではないぞ? どうか誤解はしないでもらいたい」


「承知している。もどかしいのは、私も同じだ。……そして、アスタのためにこうまで尽力してくれることに、心から感謝しているぞ」


 アイ=ファが穏やかな眼差しを向けると、ジィ=マァムは「ああ、いや」などと言いながら自分の頭をかき回した。

 それを横目に、ガズラン=ルティムは俺とアイ=ファににこりと微笑みかけてくる。


「ともあれ、寝所で眠ればより安全な面もあるでしょう。窓の帳だけは外から外されないように、くれぐれもお気をつけください」


「うむ。それでは、失礼する」


 ということで、俺とアイ=ファは寝所に向かうことになった。

 するとすぐさま、サチとラピも後を追いかけてくる。言うまでもなく、ファの人間ならぬ家人もすべて同じ家に集められていたのだ。サチは大人数の場で眠ることを嫌うので、昨晩もラピともどもアイ=ファの寝床にもぐりこんでいたはずであった。


「本当に、こんな騒ぎは早く切り上げたいよな。みんなに対する申し訳なさがつのるばかりだよ」


「うむ。ルウの血族の手が空いていたのは、何よりの僥倖であったが……しかし、しばらくすれば狩りの仕事で手がふさがろうからな。それまでには、決着をつけたいところだ」


 アイ=ファは刀を手にしたまま、寝具の上で膝を折った。


「しかし、どうすれば決着をつけることがかなうのか……相手の顔を見ることすらままならんのでは、相手の心中を探ることもままならん」


「そうだよな。俺もできれば、ポワディーノ王子とわかりあいたいよ。俺にとっては、東の人たちだって大切なんだからさ」


「うむ。《銀の壺》や《黒の風切り羽》の面々が居合わせていたならば、さぞかし心を痛めていたところであろうな」


 そう言って、アイ=ファは優しく俺を見つめてきた。


「ともあれ、お前は身を休めるがいい。明日も、仕事が控えているのだからな」


「え? まさかアイ=ファは、寝ずの番をするつもりじゃないよな?」


「うむ。それでは、明日の働きに支障が出てしまおうからな。変事があればすぐに目覚めるので、心配はいらん」


 俺もその点で心配はしていなかった。古きの時代にはドムの集落を脱走したディガやドッドが押しかけてきたときや、あるいはダバッグの旅行中に宿屋で悪漢どもに襲撃された際なども、アイ=ファやダン=ルティムは就寝中でも抜かりなく対処することができたのだ。ただ今回は相手がたの力量を警戒して、寝ずの番を立てているわけであった。


「ディアが忍び込んだときは、ラッド=リッドたちが捕まえてくれたんだっけ。……なんだか、すごく懐かしく感じられるな」


 俺が寝具に横たわりながらそのように告げると、アイ=ファも刀を枕もとに置き、髪をほどかないまま毛布にもぐりこんだ。


「うむ。あれから間もなく、1年が経とうとしているのだからな。……どうしてこう、雨季にはおかしな騒ぎが持ち上がるのであろうな」


「ああ、最初の雨季では、俺が熱を出しちゃったんだっけ。……その節は、お世話になりました」


「置け。2年も前の話を取り沙汰する必要はない」


 と、アイ=ファは毛布から出した左手を俺のほうに差し伸べてくる。

 俺は右手で、その指先をつかみとった。


「ただ……あのときに比べれば、お前はそうして元気な姿をさらしている。何も心を痛める必要はあるまい」


「うん。なんとかポワディーノ王子に納得してもらえるように、頑張ろう。同じ四大王国の民なんだから、きっとどこかに解決の糸口があるはずさ」


 俺はそのように答えたが、心中には別の考えもわだかまっていた。

 それはかつて、カミュア=ヨシュから聞かされた言葉であり――「相手が悪党であったほうが対処しやすい」という内容であった。


 これは西の王都の監査官、ドレッグとタルオンがやってきたときの言葉である。サイクレウスやシルエルのように悪党であれば退治することもできるが、相手が善良な貴族であると対処が難しい――といった内容であったはずだ。


(まああのときは、ちっとも善良じゃなかったタルオンが自分で墓穴を掘ってくれたけど……相手の失敗ばかり期待してられないもんな)


 アイ=ファが言う通り、俺たちはいまだポワディーノ王子の顔すら拝んでいない。これでは相手が善良であるか悪辣であるかも推し量ることはできなかった。


 ただ、王子の存在が大きな混乱を巻き起こしたことは確かである。今回も、アリシュナの星読みは正確に真実を言い当てていたのだった。


(そういえば、アリシュナはどうしてるんだろう……アリシュナはシムを追放された身だから、やっぱり王子とは折り合いが悪いのかな……)


 俺がぼんやり考えていると、アイ=ファが優しい顔で微笑んだ。


「眠いならば、眠るがいい。無理に頭を巡らせても、妙案などは浮かぶまいぞ」


「アイ=ファは何でも、お見通しだな。……そういえば、燭台は消さないのか?」


「まもなく油が尽きるので、自然に火が落ちるのを待つことにする。……お前と眠りをともにするのも、1日ぶりであるからな」


「やだなあ。俺の寝顔をじっくり観察するつもりか?」


 俺はそのように答えたが、睡魔にはあらがいようがなかった。

 きっと俺も、気疲れしていたのだろう。アイ=ファの優しい笑顔が、ぼんやりとかすんでいき――そして、指先から感じられる温もりが、俺に安らかな眠りをもたらしてくれた。


 もともと俺は、あまり夢を見る体質ではない。ましてや恐ろしい悪夢を見ることなど、数ヶ月に1度のことだ。よってその日も、何に脅かされることもなく平穏な眠りをむさぼっていたのだが――それは、中途で破られることになった。


 アイ=ファの「起きよ」という声に、どこか遠くから響きわたる甲高い音色がかぶせられる。

 これは森辺の民が狩りや祝宴でもちいる、草笛の音色である。俺は愕然と目を覚ましたが、しかしまぶたを開いてもそこは漆黒の闇であった。窓には厳重に帳が張られているため、俺の視力では何も見えなかったのだ。


 ただ、右手の先はしっかりとアイ=ファに握られている。

 それをよすがに半身を起こすと、すぐさまアイ=ファの囁き声が耳に飛び込んできた。


「おそらく、賊が集落に侵入したのだ。しかしここからは遠いので、何も案ずることはないぞ」


「う、うん……まさか本当に、ポワディーノ王子が荒事を仕掛けてきたのか……?」


「それは、わからん。外からの連絡を待つ他あるまい」


 アイ=ファがそのように囁いたとき、寝所の戸板がノックされた。


「アイ=ファ、起きていますね? 集落に、賊が侵入したようです」


 それは、ガズラン=ルティムの声であった。

 その落ち着き払った声が、俺の心臓をなだめてくれる。アイ=ファは力強く「うむ」と応じた。


「草笛の音色は、ずいぶん遠かった。集落に踏み入る前に、察知することができたようだな」


「はい。深追いはしないように申しつけているので、すぐに話が届けられるはずですが……何か、手間取っている様子です」


「もしや、賊を捕らえることができたのであろうか?」


「それならば、いいのですが……ラウ=レイ、如何でしたか?」


「うむ。どうやら客人の誰かが、賊を追いかけてしまったようだ。返り討ちにあわないことを祈るばかりだな」


 と、ラウ=レイの声が響くのと同時に、いきなり網膜が脅かされた。それは燭台の小さな光であったが、闇になれた目には強烈すぎたのだ。


「アスタたちも、出てくるがいい。そのような暗がりでは、落ち着かんだろう」


 いつの間にか戸板が開かれており、燭台を手にしたラウ=レイの姿が見えた。

 寝具の上に半身を起こしていた俺は、アイ=ファのほうを振り返る。やはりアイ=ファは髪を結ったままで、右手には刀、左手には俺の手をつかみ、寝具の上で片膝立ちの姿勢を取っていた。


「客人とは、誰だ? カミュア=ヨシュならば、心配はいるまいが……」


「しかし相手が東の民であったなら、あまりに無謀だろうな。このような夜更けでは、毒の吹き矢をかわすことも難しいように思うぞ」


 そのように語るラウ=レイは、猟犬のごとき鋭い眼差しになっている。

 そしてそこに、ダン=ルティムの「おおい!」という声が聞こえてきた。


「外の連中が、話を伝えに来てくれたぞ! 気になる人間は、こちらに集まるがいい!」


 そうして俺たちは、身を寄せ合いながら広間を目指すことになった。寝所に居残るのは、毛布にもぐったサチとラピのみだ。

 広間でも、あちこちに燭台の火が灯されている。そして、ダン=ルティムとジィ=マァムとディム=ルティムの3名が玄関の前に立ち並んでおり、土間には狩人の衣をぐっしょりと濡らした若い狩人の姿があった。


「あれ? シュミラル=リリンは……?」


「シュミラル=リリンは、あちらに向かった。賊を追いかけた客人が毒の吹き矢にやられてしまったので、薬草の扱いに長けたシュミラル=リリンが必要であったのだ」


 ジィ=マァムがそのように答えると、若い狩人が「うむ」とうなずいた。


「こちらが止めるのも聞かず、客人は賊を追いかけてしまったのだ。あれで魂を返すことになっても、本人の責任であろうな」


「だ、誰がやられてしまったのですか?」


「あの、身体の大きな城下町の民……アスタに執着しているという、風変わりな男だ」


 それは、ガーデルに間違いなかった。

 まだ俺の手をつかんでいたアイ=ファが、小さく舌打ちをする。


「やはり、あやつであったか……ルウの集落に招いても、あやつの短慮をいさめることはかなわなかったな」


「ともあれ、その他に被害はない。集落に忍び込もうとする人影を見つけたので、俺が草笛を吹いたのだ。それからすぐ他の男衆がルウの家を見回ったが、どこにも異常はなかった」


「賊を見つけたのは、そちらであったか。賊は、どのような風体をしていたのだ?」


「黒い外套で姿を隠していたので、まったく判然としなかった。……あるいは藍色の外套であったのかもしれんが、この暗さではな」


 ポワディーノ王子の一派は、限りなく黒に近い藍色のフードつきマントを纏っているのだ。夜間に隠密行動を取るのに、それほどうってつけの衣装はないはずであった。


「しかしまさか、本当に集落まで忍び入ってくるとはな。見張りの人間は、明かりを灯していたのであろう?」


 ディム=ルティムが張り詰めた声で問い質すと、若き狩人は「うむ」と応じた。


「客人たちから灯籠という便利な品を授かっていたので、雨の中でも明かりを灯すことができた。狩人と兵士が3名ずつ、それぞれ灯籠を手に集落を見回っていたのだが……あの図体のでかい客人は、兵士のひとりから灯籠を奪って賊を追いかけてしまったのだ」


「それで、あえなく返り討ちか。まさしく、自業自得だな」


 そのとき、喧噪の気配が家のほうに近づいてきた。

 それからすぐに、玄関の戸板が大きく開け放たれる。そこから覗いたのは、満身から殺気をたちのぼらせたドンダ=ルウであった。


「シュミラル=リリンは、これから町に下りることになった。護衛の数に、不足はないか?」


「ふむ? 何故にシュミラル=リリンが、町に下りることになったのだ?」


 ダン=ルティムがうろんげに問い返すと、ドンダ=ルウはいっそう強烈に眼光を燃やした。


「ガーデルなるものが毒の吹き矢にやられて、シュミラル=リリンの薬草だけでは治療が追いつかなかったのだ。このままでは朝を迎える前に魂を返すことになるという話であったので、城下町の医術師というものを頼ることにした。……こちらも即刻、領主に言葉を届ける必要があろうしな」


「ガ、ガーデルは、そんなにひどい状態なのですか?」


 俺が思わず声をあげると、ドンダ=ルウは「そうだ」と吠えるように答えた。


「シュミラル=リリンが駆けつけなければその場で魂を返していたほど、強い毒を使われたらしい。あちらは人を殺めることにも、まったくためらいがないようだな」


 そう言って、ドンダ=ルウは若き狩人を振り返った。


「賊を目にしたのは、貴様だな? 貴様は供として、俺についてこい。見張りの人間は、ルウから出す。……貴様たちも、気を抜くなよ。賊が舞い戻ってこないとも限らんからな」


「ふふん。誰にものを言っているのだ? いいからお前さんは、さっさと城下町に出向くがいい。ガーデルなる者が魂を返してしまっては気の毒であろうが?」


 ダン=ルティムが豪放な笑顔で応じると、ドンダ=ルウも獅子のごとき笑みを浮かべてから闇の向こうに消えていった。

 若き狩人もそれに続き、戸板はぴったりと閉められる。ディム=ルティムが、そこにすかさず閂を掛けた。


「……まさか賊が、真正面から踏み込んでくるとは想定していませんでした。しかも、生命を奪うほどの毒を使うとは……いったい、どういった思惑であるのでしょう?」


 ガズラン=ルティムが、落ち着いた声でそのようにつぶやいた。

 ただその目は、天空から獲物を狙う猛禽類のように炯々と輝いている。ガズラン=ルティムが時おり見せる、祖父ゆずりの眼光であった。


「相手がどういう思惑であろうとも、こちらは同胞を守るだけだ。……ただ、お前さんには頭も巡らせてもらわんとな」


 ダン=ルティムは豪放な笑顔のまま、愛息の背中をばしんと叩いた。


「荒事は、俺たちがいくらでも受け持とう。お前さんはその賢い頭を巡らせて、別の方面からもアスタを守ってやるがいい」


「ええ。もとより、そのつもりです」


 ガズラン=ルティムもまた鋭い双眸のまま、口もとに彼らしい微笑をたたえる。

 そうしてポワディーノ王子を迎えて2日目の夜は、とてつもない騒ぎの中で過ぎていくことに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 全部! [気になる点] 一番上の更新日付が異なります。 [一言] おもしろい!
[一言] ガーデルはうっとおし…いや、めんどくさ…ちょっとアレなんでこのまま尊い犠牲になってもらう方向で。
[気になる点] 五名に及ぶ他の王子を追い落とした宮廷闘争で第二王子に負けつつあると仮定しても最後まで生き残っている訳で、動き方が楽観的過ぎるというか差し手が雑に見える 即森辺に突撃、伝承という確かと…
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