初日④~結束~
2024.1/26 更新分 1/1
かくして、ジェノス城における秘密会議が開始された。
参席者は、森辺の民から俺とアイ=ファ、ジザ=ルウとお供の狩人。ジェノス陣営からマルスタインとメルフリード、ポルアースと外務官。王都の外交官フェルメスとオーグ、お供のジェムド。ダーム公爵家からティカトラスとデギオンとヴィケッツォ。バナーム公爵家からアラウトとサイ。南の王都からダカルマス殿下とロブロス。ゲルドの使節団の団長。そして外様のカミュア=ヨシュとレイトという顔ぶれである。祝宴ならぬ場でこのような顔ぶれが集結するというのは、なかなか尋常な話ではなかった。
とりわけ微妙な立場であるのは、やはりダカルマス殿下とロブロスであろう。これは東の王族がらみの案件であるのだから、南の王族たるダカルマス殿下は距離を取るべきであるのだ。しかしダカルマス殿下は持ち前の活力で、この場に参ずる権利を奪取したようであった。
「下手に我々が介入したならば、三国間の国交に大きな支障が生じる恐れもありましょうからな! ですが、アスタ殿に何かあっては、一大事です! 決して短慮は起こさないとお約束しますので、どうぞ同席をお許しください!」
ダカルマス殿下にそうまで言われては、マルスタインたちもそうそうあらがえないようであった。
しかしまた、ダカルマス殿下は邪神教団にまつわる騒乱でも大きな役割を果たした立役者であるのだ。ダカルマス殿下の口添えがなければジャガルの領土に位置する邪神教団の本拠に兵を進めることも難しかったのだろうから、ジェノスにとっては大恩人であったのだった。
ということで、まずはマルスタインの口から会談の内容が語られたわけであるが――その時点で、ダカルマス殿下は顔を真っ赤にしながら怒っているような顔で笑いだした。
「なるほどなるほど! やはり、そういった話でありましたか! しかし、料理番としての力量は二の次でアスタ殿の身柄を欲するなどとは、まったく気が知れませんな!」
「ダカルマス殿下、そういったお言葉もつつしむべきかと。……こちらには、東の御方もいらっしゃいますので」
ロブロスは厳しい表情でダカルマス殿下をたしなめつつ、横目でゲルドの団長のほうをうかがった。東の民の前で東の王族を悪しざまに言うことは、やはりつつしむべきであるのだろう。
「それにしても、『星無き民』としてのアスタの身柄を欲するとはねぇ。これはなかなか、常軌を逸した話なのではないでしょうか?」
と、カミュア=ヨシュはすました笑顔でフェルメスのほうを見やった。
実のところ、こちらの両者はニアミスばかりでほとんど口をきいたこともないはずだ。おたがいにおたがいを特別な存在であると認識しながら、あまり近づくべきではないと判じた結果である。しかしフェルメスもすっかり復調した様子で、「ええ」と優美な微笑を返した。
「言うまでもなく、『星無き民』というのは市井の伝承や御伽噺の中で語り継がれてきた存在です。シムの王子という立場であられるポワディーノ殿下がそのようなものに頓着するというのは、本来許されざるべき行いでしょうね」
「……わたしなどは、アスタにまつわる報告書の他に『星無き民』という名を目にした覚えもございません。それはいったい、如何なる存在なのでしょうかな?」
オーグが誰よりも厳格な面持ちでそう告げると、アラウトも同意を示すようにうなずいた。『星無き民』とは、本来それぐらい歴史の裏側に隠れた存在であるはずなのだ。少なくとも、俺の知る西の民の中で『星無き民』の存在をわきまえていたのは――学徒としてシムの文化を研究していたというフェルメスに、自らの足で大陸中を駆け巡っているカミュア=ヨシュやティカトラス、あとはせいぜい《ギャムレイの一座》ぐらいしか思い当たらなかった。
「それはポワディーノ殿下が会談の場でお話ししていたように、王国に繁栄をもたらすとされている伝説の存在です。大陸アムスホルンの外で生まれた人間が、四大王国の文明を補強するという……つまりは、建国の聖人になぞらえているわけですね」
「建国の聖人? 聖アレシュのような? それは……あまりに現実離れしている上に、不遜きわまりない話でありますな」
「ええ、まったくです。カイロス陛下がお耳にされたら、怒髪天を衝くか……あるいは、なんと馬鹿げた話だと呆れ果てることでしょう。それは建国の聖人を貶めると同時に、空を舞う妖精の姿を見たと言うのと同様の言葉であるのです」
その伝承が真実であると信ずる身でありながら、フェルメスはそのように言葉を重ねる。そしてそのヘーゼルアイが、ゲルドの団長のほうを見た。
「そこでおうかがいしたいのは、シムの王都の情勢についてです。ポワディーノ殿下がこのような話でジェノスを訪れるというのは、あまりに不可解であるかと思われますが……これはいったい、どういったわけなのでしょう?」
「……前提。ゲルド、ラオリム、遠方である。我々、多く、わきまえていない」
アルヴァッハたちほど西の言葉が流暢でない団長は、まずそのような前口上を述べた。外見は、アルヴァッハに負けないぐらい巨体で、迫力のある御仁である。ゲルドの使節団の団員は、全員が手練れの武官であるのだ。
「ただ、確かなのは……王位、継承争いである。ラオリム、王宮、派閥、二分されている」
「……第二王子と第七王子の派閥争いでありますな。もちろんそのていどのことは我々もわきまえておりますので、どうぞご遠慮なくお語りください」
ロブロスが厳粛なる面持ちでうながすと、団長は「うむ」とうなずいた。
「派閥争い、優勢、第二王子である。第二王子、年長であり、人脈、豊かである。また、もとより、王位継承権、第一位である。本来、第七王子、あらがうすべ、存在しない、思われる」
「なるほど。その情勢をひっくり返すために、本来は触れるべきでない『星無き民』の存在を欲した……というのは、ありえる仮説であるようですね」
フェルメスのそんな意見には、団長も口をつぐむ。あくまで、王族には敬意を払わなくてはならないのだ。
「それにしても、王子自らが西の地に乗り込んでくるとは豪気な話だねぇ。しかも王子殿下を取り巻く面々は、東の王都でも選り抜きの精鋭部隊ということになるのだろう?」
ティカトラスの気安い質問に、ゲルドの団長は「うむ」と重々しく応じた。
「『王子の剣』、『王子の盾』、王子殿下、直属部隊である。そちら、上回る、王陛下、直属部隊のみである」
「そんな手練れの武官が、それぞれ50名ずつ控えているわけですね。東の民は行商人でも兵士10人分の戦力とされていますが……さらにその倍の戦力と考えても支障はなさそうです」
そう言って、フェルメスはポルアースに向きなおった。
「さらに、ポワディーノ殿下のお世話をする従者や、『王子の眼』や『王子の口』なども控えているわけですね。正確な総勢は、何名ほどなのでしょうか?」
「ええと……城門の守衛の報告によると、総勢129名ということですな。ただし守衛も王子殿下の車は検分できなかったので、その分はあちらの申告を信じるしかないわけですが……まあ、あくまで車1台分のことですので、誤差はせいぜい数名でありましょう」
「王子殿下の乗車された車のみ、検分できなかったわけですね。では、トトスと車の総数はいかほどであったのでしょう?」
「トトスと車の総数でありますか? ええと……10名が乗車できる車が13台で、それを引くトトスが26頭。それとは別に、20頭のトトスが持ち込まれたようです。武官の一部が、それらのトトスにまたがっていたということでしょう」
「なるほど」と、フェルメスは静かに微笑んだ。
「10名乗りの車が13台と単騎のトトスが20頭なら、最大で150名を運搬できるわけですね。それで申告された人数が129名であるのなら、20名ていどの伏兵が存在することも考えに入れておくべきでしょう」
「え? いえいえ、ですから検分できなかったのは王子殿下の車だけですので……しかもそちらは6名が乗車しているという話でしたので、誤差は4名となるはずです」
「それは、城門に辿り着いた時点での話です。ご一行が宿場町に入る前に別動隊を野に放っていたならば、誰にも確かめようはないでしょう?」
ポルアースが絶句すると、マルスタインが「いいだろうか?」と発言を求めた。
「そのような別動隊を動かすことに、どういった意味があるのだろう? あちらはアスタがすんなり承諾するものと考えておられたようなので、そのような真似をする甲斐もないように思うのだが」
「あくまで、可能性の話です。僕たちは、ゼル=ツォンを警戒するべきでしょうからね」
「……ゼル=ツォンとは、いかなる役職であったかな?」
「ゼル=ツォンは『王子の耳』、すなわち諜報部隊です。別動隊というのはあくまでひとつの可能性に過ぎませんが、どのみちアスタの説得が難しいと判じたならば『王子の耳』が町に放たれることでしょう。その場合は行商人に身をやつしているでしょうから、森辺の方々はくれぐれもご用心ください」
空恐ろしいことを平然と言いながら、フェルメスはゆったりと居住まいを正した。
「それでまずは、マルスタイン殿のご意向を確認させていただきたいのですが……あくまでも、アスタの身柄を受け渡すおつもりはないのですね?」
「うむ。会談の場でも申し述べた通り、わたしはアスタの意思を尊重する。アスタがジェノスの領民でありたいと願ってくれるのであれば、わたしは領主として擁護する心づもりだ」
アイ=ファは静かに目礼し、俺は言葉で「ありがとうございます」と告げた。
アロウの茶で口を湿しつつ、マルスタインは鷹揚に微笑む。
「これが他なる領民であっても、わたしは同じように振る舞う他ない。まあ、アスタはこれまでジェノスのために大きく尽力してくれたのだから、いっそう励ませていただくよ」
「では、本来であればそれで話は終わるはずですな。たとえどれだけの身分を持つ御方でも、拒む人間を連れ去ることは許されません」
眉間に深い皺を刻んだオーグが、そのように発言した。
「相手が異国の民であれば、なおさらです。それでも、ポワディーノ殿下が矛を収められないときは……それこそ、東の王に苦言を申し立てる事態にもなりかねませんな」
「おや、オーグ殿からそのように過激なお言葉が飛び出すとは考えていませんでした」
フェルメスが優美な微笑を向けると、オーグはいっそう眉間の皺を深くした。
「わたしは、王国の法を重んじているまでです。無論、東の王家と対立する行く末などは、想像したくもございません」
「まったくですね。やはり東の王は、王子の派閥争いにも不介入のお立場なのでしょうか?」
「うむ。おそらく」と、ゲルドの団長は言葉短く答える。
フェルメスはゆったりとうなずき、この場の全員を見回してきた。
「ではやはり、ポワディーノ殿下の説得に尽力するべきでしょう。僕も外交官として、微力を尽くす所存です」
「ええ。『星無き民』などと言われても、僕たちはさっぱりでありますからね。どうかフェルメス殿の見識に頼らせていただきたく思います」
ポルアースも眉を下げつつ、フェルメスに向かって一礼した。
フェルメスはやわらかく微笑みつつ、ヘーゼルアイをそっと伏せる。
「この場において『星無き民』についてもっとも造詣が深いのは、賢者の塔にてシムの文化を学んだ僕なのでしょうからね。なんとかそちらの方面で、説得の糸口を模索したく思います。あとはひとえに、みなさんの団結にかかっているでしょう」
「うむ。ジザ=ルウに立ちあってもらえたのは、僥倖であった。先刻伝えた会談の内容とともに、しかと族長たちに伝えてもらいたい」
マルスタインの言葉に、ジザ=ルウは「承知した」と首肯する。
そこで声をあげたのは、アラウトであった。
「それで……これが荒事に発展する恐れはあるのでしょうか?」
「荒事というと? よもや王子たる身で、異国の領民をかどわかすようなことはないかと思うが」
「そうなのでしょうか? ジェノスの東側は自由国境地帯で、その向こうはもうシムの領土です。万が一にもアスタ殿の身柄をそちらまでさらわれてしまったら、取り返すことも難しいように思うのですが……」
俺の隣で、アイ=ファは静かに闘志の炎を燃やしていた。
すると、ティカトラスが飄然と声をあげる。
「アラウト殿のご心配は、もっともだね。そもそも王子たる身で異国に乗り込んでくることだって、常識の外なのだからさ。……おっと、ダカルマス殿下は別でありますよ? 異国の人間に敬意を表して訪問するのと、強引に召し抱えようとするのでは、まったく正反対の話なのですからね」
先刻からずっと怒れる恵比須様のような形相で黙りこくっているダカルマス殿下に、ティカトラスは気安く笑いかけた。
「話を聞くだに、ポワディーノ殿下というのはつくづく常識にとらわれない御方であられるようだ。それに……たとえば、アスタの身柄が強引にかどわかされたとしよう。それで西と東が開戦に至るような可能性はあるのだろうかな?」
ティカトラスの視線を受けて、オーグはますます不機嫌そうな顔になった。
「王国建立から600年以上にわたって維持された平和条約が、そうも容易く打ち砕かれることはありませんでしょう。王陛下はジェノスの領民たるアスタの身を案ずると同時に、なんとか平和的な解決の道を模索されるはずです」
「つまり、ポワディーノ殿下がどかんと景気よく賠償金でも準備すれば、それで手打ちになる可能性もあるわけだね。アスタにそれだけの価値があると判じれば……ポワディーノ殿下が強引な手段を持ち出す可能性もなくはないのだろう」
そんな風に言ってから、ティカトラスはすかさずアイ=ファのほうに向きなおった。
「わたしはあくまで安らかな行く末を願って、このような言葉を吐いているのだからね。どうか誤解はなきように願うよ?」
「……承知している。我々も、決して油断することはない」
アイ=ファがびりびりと張り詰めた声で応じると、ティカトラスはまぶしいものでも見るように目を細めた。
「アイ=ファは、怒っても美しいね。わたしもアイ=ファのために、なけなしの力を振り絞るつもりだよ」
「……あなたは本心で、そのように語っているのだろう。それはありがたく思うが……もう少し、言葉を選んでもらいたく思う」
「うんうん。それでアイ=ファたちは、今日からどのように過ごすつもりであるのかな?」
「……どのように、とは?」
「もっとも安全なのは、このジェノス城に引きこもることだろうね。どんな精鋭部隊でもわずか100名でジェノス城を陥落させることはできないし、そんな真似をしたらどれだけの賠償金を準備しても追いつかないからさ。……でもやっぱり、そんな気はないんだろう?」
「そうだな」と声をあげたのは、ジザ=ルウである。
「我々としても、同胞の身柄は自らの力で守りたく思う。……しかし、ファの家は孤立しているので、あまりにも危険であろう。ここはサイクレウスらを警戒していた際と同じように、ルウの集落で過ごすべきではないだろうか?」
「ルウの集落で? しかし……ルウに危険を招くわけにもいくまい。そちらには、ジザ=ルウの大事な子らも住まっているのだぞ」
「我が子の身は、俺が守る。それとは別に、そちらを守る人間も集めるべきであろうな」
すると、ティカトラスがひょいっと手をあげた。
「では、わたしたちもその中に組み入れていただこうかな」
「ティカトラス様!」と、ヴィケッツォがティカトラスの袖を引っ張る。しかしティカトラスは、満面の笑みであった。
「まあ、ヴィケッツォやデギオンはアスタがどれだけの危険に見舞われても、わたしのそばから離れようとはしないだろうけどさ。でも、わたしが居座ることに大きな意味が生まれると思うのだよね」
「大きな意味?」
「うん。ジェノスの一領民に過ぎないアスタや森辺の面々はともかく、ダーム公爵家の当主の実弟を傷つけたら、それこそ大問題だからねぇ。あちらもむやみに荒っぽい真似はできなくなるのじゃないのかな」
そう言って、ティカトラスは無邪気に笑った。
「だからまあ、夜ぐらいはぐっすり眠れるようにという保険みたいなものだよ。昼も夜も気を張り通しじゃあ、身がもたないだろうからね」
「それは、なかなかの作戦でありますね。相手の短慮に対する牽制としては、申し分ないかと思われます」
カミュア=ヨシュがそのように追従すると、ヴィケッツォがじっとりとした目でそちらをにらみつけた。
「ごめんごめん。そのときは、俺も同じ場所に陣取ってティカトラス殿をお守りするよ。そうしたら、ヴィケッツォたちも少しは安心だろう?」
「え? カミュア=ヨシュ殿が、同じ場所に?」
「うん。そうしたら、楽しく晩餐を囲めそうじゃないか。これぞ、一石二鳥だね」
ヴィケッツォは口もとをごにょごにょさせながら、黙り込むことになった。アイ=ファやプラティカに通ずる、可愛らしい所作だ。
すると、氷の彫像のように押し黙っていたメルフリードも発言した。
「では、近衛兵団からも警護の部隊を派遣したい。族長代理のジザ=ルウからも、了承をもらえるだろうか?」
「うむ? そちらの兵士を、ルウの集落に滞在させよという申し出であろうか?」
「うむ。しかしそれは戦力というよりも、ティカトラス殿と同じく牽制の役目と考えてもらいたい。あちらとて、ジェノスの兵士を蹴散らしてアスタの身をかどわかすことなどは、とうてい許されまいからな」
「うんうん。ティカトラス殿はもちろん、ジェノスの兵士を傷つけることだって侵略行為と同様の行いであるからね。実に有効な手立てだと思うよ」
そんな風に言ってから、カミュア=ヨシュは金褐色の無精髭を生やした下顎を撫でさすった。
「あとは、そうだね……その部隊とは別口で、ガーデルとバージにも声をかけておくべきじゃないかなぁ」
「なに? ガーデルをこのような話に巻き込んでは――」
そのように言いかけて、アイ=ファは溜息をこぼした。
「いや、そうだな……事ここに至っては、あやつから目を離すほうが危ういか」
「うん。彼がこんな話を耳にしたら、それこそポワディーノ殿下のもとに突撃しかねないからね。こちらが罪を犯したらそれが弱みになってしまうのだから、慎重に慎重を期すべきだと思うよ」
俺が口をはさむ隙もなく、どんどん話が進められていく。
それで俺がまごまごしていると、マルスタインが笑いかけてきた。
「アスタよ、最後にもう1度だけ確認させてもらいたいのだが……其方はどれだけの富や栄誉と引き換えにしても、森辺に留まる所存であるのだな?」
「え? はい、もちろんです。何があっても、俺は森辺を出るつもりはありません」
「であればアスタは、これまで通り心安らかに過ごしてもらいたい。……森辺を含むジェノスがアスタにとって真なる故郷になれたことを、わたしは心から嬉しく思っているぞ」
これだけの気苦労をかけられながら、マルスタインはそのように言ってくれた。
それで俺は、また涙ぐんでしまいそうなほど胸を打たれてしまったのだった。
◇
その日の夜である。
けっきょくファの家人は、ルウの集落に滞在することになってしまった。
これを幸いと言うべきか、シンの家を分けたばかりであるルウの集落には、3つもの空き家が存在したのだ。その内の一軒、かつてディグド・ルウ=シンの一家が住まっていた家が、俺たちにあてがわれたわけであった。
そこでともに過ごすのは、なんとガズラン=ルティムにダン=ルティムにディム=ルティム、シュミラル=リリンにジィ=マァムにラウ=レイ、そしておまけのヤミル=レイという顔ぶれである。他にも眷族から6名の狩人と2名のかまど番が招集されて、そちらはかつてシン・ルウ=シンたちが住まっていた家で過ごすことになる。残る一軒が、ティカトラスおよびカミュア=ヨシュの一行、そしてガーデルとバージにあてがわれることになった。
あとはメルフリードが準備した近衛兵団の精鋭が10名で、こちらは自分たちが乗ってきたトトス車を拠点にしている。それで昼夜を問わずに、数名ずつの兵士がルウの集落を巡回してくれるのだ。そちらは1日ごとに顔ぶれを入れ替えるという話であったが、雨季のさなかに警護役を受け持つというのは大変な労力であるはずであった。
そしてさらに、本日はアルヴァッハとナナクエムを客人として招待することになった。
ポワディーノ殿下からの使者という名目で、アルヴァッハたちが森辺の集落に乗り込んできたのだ。これは一大事であるので、こちらもドンダ=ルウやジザ=ルウ、それにカミュア=ヨシュやティカトラスも呼び集めて、晩餐前のひとときを過ごすことに相成った。
「我々、仲介役、任じられた。アスタ、およびアイ=ファ。ポワディーノ殿下のもと、仕える気、あろうか?」
「いえ。ありません」
「左様であるか。仲介、失敗に終わり、無念である」
アルヴァッハのそんな物言いに、俺は泣きたいような思いで笑ってしまった。
「それでいいのですか? アルヴァッハたちだって、シムの王家に忠誠を誓う身でしょう?」
「無論である。私心、排して、説得、おもむいた。しかし、使命、果たせず、無念、限りである」
ゲルドには、虚言が罪という掟は存在しない。しかし、虚言を是としないのは森辺の民と同じことだ。そんな誇り高きゲルドの民たるアルヴァッハとナナクエムが、俺なんかのためにこんな茶番を演じてくれているのだった。
「しかし、ポワディーノ殿下、熱情、本物である。森辺の民、および、ジェノス侯爵家、用心、心強い、思う」
「ふん。こんな仰々しい真似も、空振りにはならねえって見込みなわけか?」
すでにジザ=ルウから詳細を伝え聞いているドンダ=ルウは、野獣のごとき笑顔でそのように問い質した。アルヴァッハは石像のような無表情で、「うむ」と応じる。
「無論、そのような事態、至らないこと、願っているが……ポワディーノ殿下、どうやら、烈火の気性である。直接、言葉、交わしていないが、アスタの身柄、何としてでも、手中にする、覚悟である」
「それは、私も感じ取っていた。どれだけ姿を隠そうとも、あの気迫だけは隠しようもないからな」
ルウの集落に腰を落ち着けても、アイ=ファは鋭い面持ちのままである。土間ではブレイブたちが、そんなアイ=ファを心配そうに見守っていた。
「それにしても、『星無き民』にあそこまで執着するというのは、ちょっと普通の話ではないでしょうな。それぐらい、王座を巡る争いが逼迫しているということなのでしょうかな?」
口調だけはあらためつつ、ティカトラスが気安く問いかける。そちらにも、アルヴァッハは「うむ」と応じた。
「我、西の民よりは、『星無き民』、わきまえている。しかし、やはり、伝承、御伽噺、範疇である。無論、多くの伝承、真実、含んでいるが……そちら、実際的な力、求める、普通ならぬ、所業である。ポワディーノ殿下、王座、つかもうという、執念、賜物であろう」
「ふん。こんな生白い小僧ひとりで王座なんざつかめたら、苦労はねえだろうにな」
ひさびさに好戦的なモードとなったドンダ=ルウは、俺に対してまで容赦がない。
しかしそれも、俺の身を案じた結果であるのだ。そのように考えれば、ギバやライオンが笑っているようなその形相も、愛おしいばかりであった。
「ところで、我々、夜、徹して、アスタ、説得する、体裁であるのだが……本日、宿泊、許されようか?」
「ふん。森辺の習わしに従うというのなら、許そう。貴様らが悪さをしでかそうとも、こいつらが身を張って止めるだろうからな」
「我々、森辺の掟、および西の法、犯さないこと、誓う。王家への忠義、絶対であるが、掟と法、忠義よりも、上位である」
「ありがとうございます、アルヴァッハ。それに、ナナクエムも。……おふたりのお気持ちは、何があっても決して忘れません」
俺がそのように告げると、アルヴァッハは嬉しそうに目を細めた。
「我、私心、排しているが……何より、アスタ、安らかな行く末、願っている。また、アスタの手腕、ジェノスでこそ、最大の力、発揮する、信じている。今後とも、美味なる料理、期待している」
「はい。その点に関しては、どうぞおまかせください」
「うむ。頼もしい、限りである。この後、晩餐も、期待できようか?」
かまど小屋では、すでにリミ=ルウやヤミル=レイたちが腕をふるってくれている。
よって、俺が手を出す必要はないように思われたが――ずっと無言で話をうかがっていたガズラン=ルティムが、俺にふわりと笑いかけてきた。
「この後もアルヴァッハたちにはシムの情勢などをうかがいたく思いますが、アスタまで無理に同席する必要はないでしょう。重要な話は晩餐の場でお伝えしますので、かまど仕事を手伝ってきてはいかがでしょうか?」
「わかりました。それじゃあ、お願いします」
今の俺にできることは、美味しい晩餐の準備に尽力することぐらいであるのだろう。そのように判じた俺は、素直に腰を上げることにした。
すると、アイ=ファも当然のように後をついてくる。小雨のぱらつく外界に出た俺は、雨具のフードをかぶりながらアイ=ファに笑いかけてみせた。
「こんなにたくさんの人たちが世話を焼いてくれて、ありがたい限りだよな。俺たちは、どうやって報いたらいいんだろう?」
「それは今後も、森辺とジェノスのために尽力する他あるまい。そして、誰かの危急の際には、同じように力を尽くすのだ」
「うん、そうだな。でも、いつも世話をかけるのは俺ばっかりだから、心苦しくてならないよ」
「何を言っている。お前とて数々の苦難を乗り越えた身であるし、外来の客人をもてなすためにさんざん力を尽くしてきたではないか」
と、アイ=ファは鋭く研ぎ澄まされた眼光に、優しい色を閃かせた。
「そうしてお前が名をあげたからこそ、またこういった苦難が降りかかってくるのだ。それでもお前は正しき道を歩いているのだから、何も悔いる必要はない。このような苦難はこれまで通り乗り越えて、また友や同胞や故郷のために力を尽くすのだ」
「うん、わかったよ」と、俺は日中よりもさらに暗くなった天空を振り仰いだ。
暗鬱な灰色に閉ざされた、雨季ならではの暗い夕空だ。しかし、雨季にもいつかは終わりが訪れるし――それは、このたびの苦難も同じことであるはずであった。




