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異世界料理道  作者: EDA
第七章 母なる森のもとに
145/1675

⑤青の月16日~狂騒~

2014.12/26 更新分 1/1 2016.3/24 誤字を修正


*明日はひさびさに2話更新するかもしれません!

 前書きのナンバリングでご確認ください。

「そんなに気にすんなよ、アイ=ファ」


 翌日。

 宿場町への道を辿りながらアイ=ファにそんな言葉を投げかけたのは、珍しくもルド=ルウだった。


「そりゃあアスタをほったらかしにして鬼ごっこはできねーもんな。その間にアスタがギーズに噛まれて病気になって料理が作れなくなって死んじまうようなことになったら、そっちのほうが大ごとだろ?」


 昨日までと同じく、屋台の店番4名と護衛4名の8名編成である。

 若干下側に傾斜している道を下りながら、アイ=ファはむすっとした顔で沈黙を守っている。


「別に親父やジザ兄だって文句は言ってなかったしさ。今日も姿を現すってんなら、今日とっ捕まえてやりゃいいだけのこった。町ん中なら『ギバ寄せの実』でギバを引っ張ってくることもできねーだろうし、狩人がこれだけそろってりゃ楽勝だよ」


 無論のこと、俺たちは昨晩の出来事を包み隠さず森辺の同胞に打ち明けたのだ。

 しかし、ファの家の護衛役をつとめていたドム家の男衆によって夜間の捜索作業まで為されたが、テイ=スンの痕跡を発見することはできなかった。


 それでは、今日の中天に現れると宣言したテイ=スンに対して、どのような形で備えるか。これには色々な意見がとびかったが、けっきょくは「護衛は従来通りの数で、ジェノス側には何も通達しない」という結論で落ち着いた。


 相手が手負いのテイ=スンひとりなら、現在の戦力でも十分に取り押さえられる。ちょうど中天にはスドラ家のメンバーも加わるのだから、そこには8名もの狩人が集うことになるのだ。これで遅れを取ることは、まずありえないであろう。

 さらに言うならば、従来以上の人数を宿場町に下ろすのは、ただでさえ不安定な町の人々の心を騒がせることになってしまうだろう、という配慮もあった。


 ジェノス側に通達しない、という項目には、もうちょっと錯綜した理由が存在する。


 衛兵などに手を出されると不足の事態が生じるかもしれない。下手に警護を強化されるとテイ=スンが屋台に近づけなくなり、町の人間を人質に取る等の手段にうったえてくるかもしれない――という実務面の理由もあったが。それよりも何よりも、ジェノス城に対する不審感が先に立ってしまったのだ。


 テイ=スンは、町と森辺の歪んだ関係を少しでも回復させたい、と述べていた。それが本心であるかどうかはわからなかったが、そこにジェノスの権力者の意志や力を介在させるのは危険である、という判断が下されてしまったのだ。


 ジェノスの支配者層は信用できない。罪人はこちらで捕らえ、その後に引き渡せば文句もなかろう、という意見が多数を占め、そこに落ち着くことになった。


 かくいう俺もその意見には賛成を示したが。ここまで信頼関係を失してしまったジェノス城と森辺が今後正しく縁を結んでいけるのか、それを考えるといささかならず頭が重くなってしまう。


「とにかく、心配はいらねーって。女衆はもちろん、町の連中にも傷ひとつつけさせないまま捕まえてやろーぜ。相手がひとりなら、どうってことねーよ」


 先頭を歩くルド=ルウが、普段通りの気安い口調でそんな風に言葉を重ねる。


「で、そいつが素直に刀を捨てるようなら、アスタの料理を恵んでやりゃいいさ。それならそいつだって文句ねーんだろ? 文句があったって知ったこっちゃねーけど。……だからそんなに落ち込むなよ、アイ=ファ」


「……別に落ち込んでいるわけではない」


 と、ついにこらえかねたように、アイ=ファが唇をとがらせつつ、そう発言した。


 とたんに、女衆をはさんで逆側を歩いていたラウ=レイが「何だその顔は」と反応する。


「お前でもそのような顔をすることがあるのか。まるで子どもか女衆のようではないか」


 アイ=ファは一瞬で山猫の形相になり、危険な眼光をラウ=レイに投じた。


「ああ、どのような顔をしてもよく似合うな、お前は。よく見ればけっこうな美人だし、狩人でなければ嫁にしたいぐらいだ」


「やめてくれよ、ラウ=レイ。君はいっつも遠慮がなさすぎるよ」


 俺が慌てて援護射撃をすると、ラウ=レイは「何がだ?」と首を傾げる。


「友に遠慮などをする習わしはレイ家にはない。嫁にしたいから嫁にしたいと言っただけだ」


「いや、だから……」


「心配するな。狩人などは嫁にできない。俺には家長としてたくさんの子を残すつとめがあるからな。俺の嫁になりたいのならば狩人としての仕事をあきらめてもらう他ない」


「アイ=ファのほうはあんたの嫁になりたいなんて一言も言ってないじゃんよー」と、ルド=ルウが笑いながら突っ込んでくれたので、それでその話題は終了させていただくことにした。


 こんな状況でものほほんとしていられる男衆の呑気さは、心強いと受け止めるべきなのだろうが。実のところ、俺の胸は昨日からふさがりっぱなしであったのだった。


 テイ=スンが本当に今日、宿場町に姿を現せば、一連の騒動にとりあえずの決着はつく。


 しかし、それはどのような結末に終わるのか。

 町の人々に与えてしまった恐怖心を、少しは解消させることができるのか。あるいは、悪化させてしまうだけなのではないのか。


 森辺の民が、町の人々の前で、森辺の民を裁く。それこそが、町の人々の不審感を緩和させる唯一の方法だ、などとテイ=スンは言っていたが――何というか、それはまるで俺やカミュアのような人間の思いつきそうなやり口だ。


 だから、アイ=ファやルウ家の人々は、テイ=スンの言葉に何の感銘も受けてはいないようだった。状況によっては、姿を現すなりテイ=スンが斬り伏せられる可能性だってあるだろう。


(あの男は……テイ=スンっていう人間は、本当はどういう人間なんだろう)


 家族をなくして本家で暮らすようになった、分家の男衆。

 オウラの父であり、ツヴァイの祖父。

 ヤミル=レイやディガたちの手足となり、ろくでもない仕事にばかり従事させられていた男。

 そして――先代家長ザッツ=スンの、側近。


 そんなプロフィールを何回精査してみたって、テイ=スンの人間性はまったく見えてこない。


 唯一の判断材料は、ディガの命令の裏をかいてアイ=ファを救ってくれた「かもしれない」ということと、ダン=ルティムの前で馬鹿みたいにあっさりと刀を下ろした、その2点ぐらいのものであった。


(……早く誰かに滅ぼされたい、という気持ちよ)


 ヤミル=レイの言葉が、脳裏に蘇る。

 それは、かつてのヤミル=レイ自身の心情と同じものなのではないだろうか。


 それでもヤミル=レイは、レイ家の人間として生きていく道を選んだ。

 テイ=スンだって、ザッツ=スンの存在など無視していれば、ドム家の家人として新しい生を見いだせたはずだ。


 それなのに、テイ=スンはザッツ=スンに追従する道を選んだ。

 ディガやドッドは逃げたのに、テイ=スンはザッツ=スンのもとに留まった。

 そして、ザッツ=スンとともに、最後の悪行に手を染めた。


 これらもすべて、破滅願望の一環なのだろうか。

 テイ=スンは、ザッツ=スンの破滅を見届けて、自分自身も破滅するために、その道を選んだ――つまりは、そういうことなのだろうか。


「……おい、止まれ」と、ふいにラウ=レイが腕を上げて俺たちの行進を押しとどめた。


 緑の深い、森の端の道。

 宿場町と森辺の集落をつなぐためだけに切り開かれた、細い道である。左右には、丈は低いがよく葉の茂った樹木が立ち並び、道幅2、3メートルの土の道が、大きくうねりながら延々と続いていく。

 緑が多くて見通しはきかないが、もう少し進めば宿場町のざわめきが届いてくるぐらいの頃合いであるはずだった。


「どうしたんだよ? 別に何の気配もしねーぞ?」


「左右の森からはな。……だけど、町側の気配がいつもより騒がしくないか?」


 俺には、何も聞こえない。

 ヴィナ=ルウたち女衆もけげんそうに首を傾げている。

 が、狩人たちは一様にうなずいていた。


「何だか大勢の人間が騒いでるみたいだな」


「ひょっとしたら、テイ=スンってやつがしくじって捕まっちまったんじゃねーの?」


「俺が様子を見てこよう」


 しんがりをつとめていたシン=ルウが、姉のかたわらをすりぬけて前に出てくる。ルド=ルウは阿吽の呼吸でその空いたポジションに移動した。


 そうして慎重に道を下っていったシン=ルウは、1分とたたずに戻ってきた。


「町と森の境目あたりに、町の人間たちが集まっている。こちらに上がってくる気配はないが、衛兵なども大勢いるようだ」


「大勢って、どれぐらいだよ?」


「衛兵は10人以上、町の人間は100人ほどだ」


 それは、どういう状況なのだろう。

 やはり、テイ=スンが捕獲されて野次馬が集まってしまった、というのが1番考えやすい構図であるのだが。


「これでは町に下りられない。どうする、アスタ?」


「うん。……俺とアイ=ファで様子を見てこようか? それが1番、町の人たちを刺激しない組み合わせだろうし」


 それに、テイ=スンが捕まったのならば、城に連行されてしまう前に、俺たちが言葉を交わすべきだとも思う。


「そうだな。だけど、危なそうならすぐに引き返せよ? で、そいつらがいなくなるのを、のんびり待とうぜ」


「了解した」と、アイ=ファがうなずく。

 そうして俺たちは、さきほどのシン=ルウと同じように道を進んだ。


 ゆるやかに湾曲した道を30秒ほど進んだところで、シン=ルウの言っていた情景が見えてくる。

 まだけっこうこちらのほうが高台であったので、俺たちはその情景を見下ろす格好になった。


 ずらりと並んだ木造家屋。その背中側にあるちょっとした空き地のようなスペースに、100名を超える人々が集結している。ちょうどこの道のゴール地点を封鎖するようなポジションだ。


 そういえば、ザッツ=スンらが逃亡して以降は、そのあたりも2名の衛兵が立つようになったのである。

 それが、10名以上に増えている。

 そして――町人たちの何人かは、明らかにその衛兵たちに食ってかかっているように見えた。


「……テイ=スンという男衆が捕らわれた様子はないな」


「うん。それじゃあ、もしかして――俺たちが騒ぎの元凶なのかな?」


 それも、ありえない話ではない。

 というか、テイ=スンが関係ないのならば、後はそれぐらいしか考えられなかった。


「どうしよう。そうだとしたら、俺たちが下りていくのはまずいかな」


「かと言って、事情もわからぬまま引き返すわけにもいかぬだろう。私たちが町に下りようと下りまいと、あのテイ=スンという男は町に下りてしまうのだろうからな」


 アイ=ファの目が、厳しい光をたたえて俺を見る。


「衛兵にでも話を聞くべきだ。それで集落に戻れと言われてしまえば是非もないが、何にせよ、事情がわからなければ身動きが取れん。……ただし、あの者どもが大挙して攻め入ってくる様子を見せたら、すぐさま道を引き返すぞ?」


「わかった」


 そうして俺とアイ=ファは左右からの襲撃にも警戒しつつ、さらに慎重に足を進めていった。

 やがて木立の密度は薄くなっていき、あちら側からも俺たちの姿がうかがえるようになり――


 それと同時に、人々のざわめきは怒号へと変質した。


 うわああぁぁん……という耳鳴りをもともなう、人間の声の奔流だ。


 アイ=ファはいったん足を止めたが、槍をかまえた衛兵たちが壁となり、町の人々がこちらに押し寄せてくる気配はない、と見て取ったのか、再び足を踏み出した。


 近づくにつれ、いくつかの怒号が言葉として認識できるようになる。

 俺が聞き取れたのは、2種類の言葉。


「帰れ!」という怒号と、

「帰るな!」という怒号だけだった。


「ええい、騒ぐな! 町で騒乱を起こすのは大きな罪だぞ! ジェノスを追放されたいのか、貴様たち!」


 やがて、衛兵たちがそんな風にわめいているのも、聞き取れるようになった。


「ふざけるな! 追い出せるものなら追い出してみろ!」


「衛兵だって、俺たちの稼いだ銅貨で生き永らえてるんだろうが!」


「衛兵だったら、きちんと罪人を捕まえろ!」


「誰が罪人だ!? 罪人は昨日捕まっただろうが!」


 人々の多くは、衛兵たちに詰め寄ろうとしている。

 が、それより後方部においては、町の人間同士でつかみあいの騒ぎになってしまっているようだった。


 大半は、西の民と南の民である。

 象牙色や黄褐色の肌をした西の民と、白い肌をした南の民が、一様に顔を真っ赤にして、おたがいの胸ぐらをつかみあい、わめき散らしている。

 中には、西の民同士で険悪ににらみあっている者たちもいる。


 そして、そんな彼らを包囲するような格好で、東の民たちも立ちはだかっていた。


 背が高く華奢な骨格をした黒い肌のシム人たちが、その騒乱を見守るように、じっと無言で立ちつくしている。人数自体は、西や南の民にも負けていないようだ。

 中にはそちらに食ってかかる西の民もいるようだったが、東の民たちは決して大声をあげたり相手を突き飛ばしたりはしようとせず、ただ静かに言葉を返すばかりであるようだった。


「森辺の民は、ジェノスの民を恨んでいる! こんな危険な連中をジェノスに入れるな!」


「勝手なことを抜かすな! こいつらが何か悪さをしたわけではないだろうが!」


「そうだ! 罪なき人間を誹謗するのが西のやり口なのか!?」


「黙れ! 余所者が大きな口を叩くな!」


「文句があるなら、お前たちもジェノスを出ていけ!」


「はん! 俺たちの出入りを禁じるというのか? だったら何のための宿場町なのだ!? 余所者が気に食わないなら、石の塀でも築いてみろ!」


 俺たちは、彼らから7、8メートルほどの距離を置いたところで足を止めた。


 激情が、清涼なる朝の大気を沸騰させてしまっている。


「森辺の民は、みんな敵だ!」


「馬鹿かお前は? だったらお前がギバを狩ってみろ!」


「手前、ジェノスの民のくせに森辺の民なんざをかばうつもりか!?」


「森辺の民だってジェノスの民だ! 同じ西方神セルヴァの子だ! 森辺の民を誹謗するやつこそが、許されざる背信者だ!」


「騒ぐな! いいから解散しろ! 本当に全員捕縛するぞ!」


「やれるもんなら、やってみろ!」


 もはや、誰に事情を聞く必要もなかった。

 彼らは、森辺の民を擁護する側と非難する側で分かれて、相争っていたのだ。


 南の民は、全員で森辺の民をかばってくれている。

 西の民の大半は、森辺の民を弾劾している。

 しかし、中には少数ながらもそれに逆らっている人々もいる。


 そして、それらの人数は秒単位で増殖しているように感じられた。

 建物と建物の間、街道のほうからこの騒ぎを聞きつけた人々がひっきりなしにやってきているのだ。


 収拾のつかない大騒ぎである。

 俺は呆然と立ちつくし、アイ=ファも苦虫を噛み潰している。


 俺たちは、自分の無実を主張するべきなのだろうか?

 それとも、黙って道を引き返すべきなのだろうか?

 しかし、そのどちらもが、この騒乱を肥大化させる危険性をともなうであろうことは容易に想像がついた。


「……アスタたちは、なんにも悪いことなんてしてないじゃん! どうしてアスタたちが町を追い出されなきゃいけないんだよ!」


 とびかう怒号とわめき声の狭間から、聞き覚えのある少女の声が響きわたった。


 きっと、ユーミだ。

 しかし、その姿がどこにあるのか、俺には見つけることができない。


「いいからとっとと飯を食わせろ! 俺は腹が減っているのだ!」


 そんな風に叫んでいるのは、バランのおやっさんであろうか。


 シュミラルは、フードを深く傾けながら、この騒乱の場を悲しげに見守っているのかもしれない。


(……どうしたらいいんだ?)


 普通に考えたら、ここはいったん引き返すべきだろう。

 城の人間に半ば強制される形で屋台の商売を続けてきたが、このような状態でそのような言いつけを愚直に守っていたら、それこそ町の人々との亀裂が決定的なものになってしまいかねない。

 引き返して、改めて城の人間たちと対話の場をもつべきだ。


 しかし――このまま何の釈明もなく逃げ帰ってしまったら、森辺の民を擁護してくれている人々が、さらなる怒りを爆発させてしまうかもしれない。


 俺たちは、いったいどうしたら――


「いいかげんにしろ!! お前たちは、何の権利があって他人の商売の邪魔をしているんだ!?」


 と――ひときわ大きな男の声が、他の怒号を圧して響きわたる。

 さすがにそれですべての人々が静まりかえったりはしなかったが、少なくとも、衛兵たちに詰め寄っていた最前列の人々の多くは、口をつぐんでそちらを振り返った。


「森辺の民が、お前たちに何をした!? 実際に被害を受けた人間だけが口を開け! それ以外のやつは黙っていろ!」


「何を言ってやがる! 昨日だってこいつらは、商団の人間を襲ったそうじゃねえか!」


「こいつらが誰かを襲ったわけじゃない! 襲ったやつは捕まった! それで何の不満があるというんだ、お前たちは!」


 それは――ミラノ=マスだった。

 ひしめきあう人間の渦の中から躍り出たミラノ=マスが、こちらに背を向け、人々をにらみ回しながら、いっそうの怒号を張りあげる。


「罪人をひとりでも出したら、その国の人間は全員罪人か!? ジェノスにはひとりの罪人も存在しないとでも抜かすつもりか!? お前たちは、他人の罪を肩代わりして首を刎ねられる覚悟でも持ち合わせているのか!?」


「裏切り者め! 森辺の民をかばうようなやつはジェノスから出ていけ!」


「俺は誰もかばっていない! 罪人でもない人間を裁けとわめく馬鹿どもに説教を垂れているだけだ!」


「……行こう、アイ=ファ」と、俺はアイ=ファの腕をつかみ取った。


「これ以上ミラノ=マスを矢面に立たせるわけにはいかない。俺たちがみんなを説得するんだ」


「私は町の人間を説き伏せる言葉など有していないぞ」


「それなら、俺を守ってくれ。誰かに殴りかかられるかもしれないから」


「……それなら、引き受けた」と、アイ=ファは不敵に笑う。

 そんなアイ=ファと、道を駆け下りようとした、その瞬間。


「静まれッ!」という稲妻のような声が、沸騰した大気を一刀両断にした。


 100名からの人々が同時に息を飲むほどの、それは凄まじい咆哮であった。


 あるいはドンダ=ルウやダン=ルティムであったならば、同じ芸当ができたかもしれない。

 しかし、そうしてその場に姿を現したのは――まごうことなき、都の人間であった。


 それまでとは異なるざわめきがその場を支配していき、ぎっちりと密集した人々が、モーゼの十戒のごとくふたつに割れていく。


 その道を通って、10名ばかりの兵士たちがゆっくりとこちらに近づいてきた。


 町の衛兵とは、格が違う。

 その兵士たちは、美しい乳白色の革の鎧を纏い、腰には革鞘の刀を吊るし、そしてその手には長柄の矛を携えていた。


 ついぞ、これほど物々しく、そしてきらびやかな装束に身を纏った人間を、俺は宿場町で見たことがない。


 鼻あてと頬あてのついた金属製の兜に、西の王国の紋章が刻印された胴丸、儀礼用と思しき短めのマント、手の甲から肘までを覆う篭手。兜の他は革製であるようだが、繋ぎ目などには金属も使われている。刀の鞘や革の長靴にも精緻な細工が施されており、勇壮にして美麗、という表現がぴったりの武者姿である。


 その一団の中心に陣取っていた人物が、ことさらゆっくりと衛兵たちの前に進み出た。

 いずれも体格に恵まれた白き兵士たちの中でもとりわけ背の高い偉丈夫だ。


 きっとこれが、この一団の長なのだろう。鉄の兜には鶏冠のような房飾りがなびき、マントはひとりだけ長マントで、矛槍を携えていない代わりに刀を2本下げている。マントの留め具には琥珀のような黄色い石がきらめき、白革の鎧にもいっそう美麗な装飾がうかがえた。


「衛兵長。これは何の騒ぎであるか?」


 その男が、冷たくも重々しい声でそう問うた。

 間違いなく、さきほどの咆哮と同一の声音だ。

 森辺への道を封鎖していた衛兵のひとりが、あわを食ってその男の前にまろび出る。


「こ、これはメルフリード殿……近衛兵団長たる貴方が、どうしてこのような場所に?」


「……質問をしているのは私だ、衛兵長」


 その一言で、衛兵長たる小太りの男は震えあがってしまう。


「き、昨日の大罪人の一幕で、町の民が森辺の民に怯えてしまっているのです。そこにあの、町で商売をする森辺の者たちが下りてきてしまったため、このような騒ぎになってしまった次第であります」


 彼らがそのような言葉を交わしている間、町の人々はしんと押し黙ってしまっていた。


 煩雑な町と野生の森にはさまれた、奇妙な空白地帯。この白ずくめの一団は、そのどちらにも不似合いな存在だった。

 彼らに似合うのは、石の都だ。

 近衛兵団などと言われても俺にはピンとこないが、彼らこそが都の住人――石塀に囲まれた石の都、ジェノスの城下町の住人なのだろう。


「……森辺の民が宿場町において商売を営むことは禁じない、という触れは2日前に発布され、取り消されてはいないはずだな」


 と、メルフリードなるその人物が、俺とアイ=ファのほうに顔を向けてきた。

 大仰な兜を深々とかぶっているため、どのような面相をしているのかはあまりはっきり見て取れない。


 しかし、俺にはそれで十分だった。

 横目で見てみると、アイ=ファも不愉快そうに眉をひそめている。

 それじゃあ、やっぱり――そうなのだ。

 われ知らず、俺は拳を握りこんでしまう。


 そんな俺たちには大した関心も寄せようとはせず、メルフリードは衛兵長に向きなおった。


「それとも、あの者たちは何か罪でも犯したのか?」


「い、いえ。あの連中はまだこの場に下りてきたばかりで、一言の口もきいてはおりません」


「ならば、騒乱を起こす町の民こそが罪人であろう。宿場町の治安を預かるお前は、何故に罪人を野放しにしているのか?」


「し、しかし、何せこの人数でありますし……」


「人数など関係ない。罪は罪である」


 言いざまに、白甲冑の男は片方の刀を抜き放った。

 町の人々は、悲鳴をあげて後ずさろうとする。


「ジェノスの安寧を脅かす罪人どもよ、大人しく縄につけ。抵抗すれば、近衛兵団長メルフリードの名において処断する」


 無茶苦茶である。

 アイ=ファの腕をつかんだままであった俺は、7、8メートルばかりの距離を一気に駆け下った。


「待ってください! この人たちはそれほどの重い罪を犯したのですか? 俺が見ていた限りでは、誰ひとり暴力らしい暴力などは奮っていないようでしたよ?」


「も、森辺の民ごときが気安い口を叩くな! こちらはジェノス候爵マルスタインの第一子息にして近衛兵団長たるメルフリード殿であらせられるぞ!?」


 衛兵長とやらが真っ青になって騒ぎたてる。


 ジェノス候爵マルスタインの第一子息――つまりは、ジェノスの領主の長兄である、ということか。


 それでも、俺は黙っていられなかった。

 刀を抜いたその男のすぐそばには、反抗心に目を燃やしたミラノ=マスが今にも怒声を張りあげそうな様子で立ちつくしていたのだ。


「こんな騒ぎになってしまったのは、俺たちがうかうかと姿を現してしまったからです! 町の人たちの気持ちが落ち着くまで、俺たちは大人しくしておくべきでした! 町の人たちがそのような心情になってしまったのには相応の理由があるのですから、どうぞご容赦ください!」


「……どのような事情があろうとも、罪は罪だ。そして、お前たちが町に下りることは、一切禁じられていない」


 こちらを見ようともしないままに、メルフリードは低く言い捨てた。

 その冷たい横顔を見つめながら、俺も必死に言いつのる。


「町で騒ぎを起こすというのが、罪なのですね。それはわかります。それでしたら、このような騒ぎを引き起こした張本人こそを裁くべきではないのですか?」


「……張本人?」


「はい。あのように恐ろしげな姿をした大罪人を引き連れて宿場町を得意げに闊歩していた、ザッシュマという商人の率いる商団の人々です。彼らが正気を失いかけていた大罪人をあのような形でさらしものにしていなければ、町の人々の安寧が脅かされることもなかったはずでしょう?」


 他の人々には、俺が難癖をつけているようにしか聞こえないかもしれない。

 だけど、それでもかまわなかった。

 その張本人にさえ、俺の心情が伝わればいいのだ。


 あなたたちの配慮が足りないから、このような騒ぎになってしまったのですよ――という、俺の心情が。


「……小賢しい口を叩く男だ」と、メルフリードは刀を収めた。


 衛兵長は、半ば仰天しながらも、あたふたと町の人々を怒鳴りつける。


「解散しろ! 解散しなければ、本当に捕縛するぞ!」


 人々は、顔いっぱいに不満の表情をひろげながら、それでものろのろと町のほうに足を向け始めた。


 メルフリードは、身体ごと俺たちに向きなおる。


「森辺の民よ。罪は罪であり、罪人は罪人だ。森辺の民であろうと宿場町の民であろうと、このジェノスで生きる限りはジェノスの法に従ってもらう」


「……その考え自体は、とても正しいと思います」


 メルフリードは、想像以上に若々しい顔立ちをしていた。せいぜい20代の半ばぐらいだろう。

 下顎などはがっしりしているが、鼻が高く、眉目は整っており、いかにも貴族然とした容貌である。


 その肌は象牙色であり、兜からこぼれる前髪は淡い褐色で――


 そして、その灰色の双眸は、爬虫類のように冷たい光を宿していた。

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― 新着の感想 ―
初対面こんなバチバチだったか。すげーなアスタw 17歳でこれはやべえよ。
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