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異世界料理道  作者: EDA
第八十四章 藍の鷹の事変(前)
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初日②~招集~

2024.1/24 更新分 1/1

 その後も俺たちは、屋台の商売を敢行することに相成った。

 ただ事でないことは間違いなかったが、シムの王子の一行は城下町へと向かったので、俺たちがすぐさま森辺に逃げ帰る理由はなかったのだ。また、時ならぬ一団が姿を隠すと、宿場町にはもとの活気が取り戻されたのである。


「なんだかよくわからねえけど、また新しい食材でも持ち込まれたのかな? だとしたら、楽しみなことだぜ」


 中には、そんな風に語っているお客もいた。おそらくは、さきほどの一団と南の王都の使節団の姿を重ねているのだろう。南の王都の使節団などは甲冑姿の兵士たちに警護されていたので、仰々しさではまったく負けていなかったのだった。


 しかし、そんな呑気な話でないことは明白である。トトスや車の数と手ぶらで歩いていた面々の割合を考えれば、物資を詰め込むスペースなどそこまで存在しないのだ。あれらのトトス車は、あくまで人員を運ぶための準備であったのだった。


(しかも、東の民は毒を使うからひとりで十人力って噂だもんな。それが100人もそろってたら、千名分の兵力ってことだ)


 森辺の狩人もその卓越した力から、ひとりで十人力と称されている。つまり、森辺の狩人と東の民の兵力は、おおよそ同等ということだ。100名の東の民を相手取るには、100名の狩人が必要になるわけであった。


(まあ、アイ=ファやドンダ=ルウたちは《颶風党》を簡単に退けてたから、勇者クラスの狩人だったらそれ以上の力なんだろうけど……って、そんな計算が必要になるような事態は絶対に避けたいところだよな)


 俺がそのように思い悩んでいる間に、着々と時間は過ぎていく。

 そんな中、ひょこりとやってきたのは――森辺の集落で夜を明かしているティカトラスの一行とリコたち傀儡使いの一行であった。


「やあやあ。なんだか、大変な騒ぎになってるみたいだねぇ。シムの第七王子を名乗る一行が、森辺に押しかけようとしたんだって?」


 さすがティカトラスは、耳が早い。宿場町に下りるなり、もうそこまでの情報を収集したのだ。そのかたわらで、リコは眉を下げてしまっていた。


「わたしたちは、今日から城下町の貴き方々に傀儡の劇をお見せする約束であったのですけれど……いったい、どうしたものでしょう?」


「うんうん。さすがに、様子見をしたほうがいいんじゃないかなぁ。わたしもシムの王族なんてまったく面識がないけれど、どこまで友好的なのか知れたものではないからねぇ」


 ティカトラスの言葉に、アイ=ファが鋭く反応した。


「しかし、西と東は友好国であろう? 諍いを起こすいわれはあるまい?」


「うん。だけど東の王族というのは、ずいぶん気位が高いようなのだよ。まあ、セルヴァの王陛下の名のもとに祝宴にお招きしようとも、やってくるのはせいぜい代理人ぐらいだから、わたしも実際にお目にかかったことはないのだけれどね」


「そうか……ダカルマスやデルシェアとは、まったく様相が異なる可能性があるわけだな」


「うんうん。南と東の王族が西の地で鉢合わせするなんて、ぞっとしないねぇ。わたしはこのまま西の王都に逃げ帰りたい気分だよ」


 そんな風に言ってから、ティカトラスはにっこりと笑った。


「でも、ジェノスや森辺に何かあったら、アイ=ファの平穏な暮らしも脅かされてしまうからね! ここはひとつ、わたしも奮起させていただこうかな!」


「それはありがたい申し出だが……ここで西の王都の貴族まで加わると、いっそう混乱が広がってしまうのではないだろうか?」


「それを言ったら、今頃はフェルメス殿が奮起している頃合いだろうねぇ。これこそ、外交官が始末をつけるべき案件だろうからさ」


 ティカトラスは朗らかな笑顔のまま、トトスのくちばしを思わせる鼻の頭をかいた。ちなみにティカトラスもフードつきマントで雨をしのいでいたが、金色や銀色でペイントされた派手派手しいデザインである。


「まあとりあえず、陰からこっそり様子をうかがってこようかな。リコたちの話はわたしから誰かしらに伝えておくので、とりあえずアスタたちと一緒にいるといいよ」


「はい。どうもお世話をおかけします。ティカトラスも、どうぞご用心ください」


「うん! それじゃあ道すがらで腹を満たすから、今日は軽食だけいただいていこうかな!」


 そうして『ケル焼き』と『ギバまん』を購入したティカトラスの一行は、そぼ降る雨の向こうに消えていった。

 いっぽうリコたちは荷車を屋台の裏手に移動させて、息をつく。


「ジェノスにはまだたくさんの貴賓がいらっしゃるのに、東の王族まで押しかけてくるなんて……なんだか、大変な騒ぎになってしまいそうですね」


「それも、相手の目的次第であろうな。何のために森辺に踏み込もうとしたのか、まずはそこからだ」


 と、アイ=ファはずっと狩人の気迫を漂わせている。それは警護の役目を務める他の面々も同じことであった。

 そうして中天から二刻ばかりの時間が過ぎて、いよいよ商売が終わりに近づいたとき――ついに、ジザ=ルウたちが戻ってきた。隣に控えているのはサウティの狩人とレイト、それにジェノス城の使者と思しき若めの武官だ。


「アスタにアイ=ファよ。心して聞いてほしい。……東の王族を名乗る者は、アスタに用向きがあるそうだ」


「やはり、そういった話であったか」と、アイ=ファはいっそう鋭く青い瞳を燃えあがらせる。


「それで、どのような用向きであろうか? ダカルマスたちのように美味なる料理が目的であれば、まだしも心は安らぐのだが」


「それが、いまひとつ判然としない。こちらがどのように問い詰めても、本人以外に告げる必要はないの一点張りであるのだ」


 ジザ=ルウもまた、重々しい気迫がこぼれるのを懸命にこらえている様子であった。


「しかし、王族という身分にある人間にそうまで言い張られては、マルスタインにも拒むことはできない。なんとかアイ=ファを同席させる約定は取りつけることがかなったので、このまま城下町に向かってもらいたい」


「そうか。……ジザ=ルウの尽力に、感謝する」


 アイ=ファはぎゅっと拳を握り込みつつ、目礼をした。

 すると今度は、レイトが発言する。


「では、僕からもカミュアの伝言を。……シムの第七王子というのは、きわめて高い地位にあります。相手につけいる隙を与えないように、くれぐれも自重をとのことです」


「うむ? それはもちろん王子というからには、高い身分であるのであろうが……何か他に、特別な理由でもあるのであろうか?」


「はい。シムの第七王子は、王位継承権第二位であらせられるそうです。つまり、シムにおいては3番目に高い地位にあるということですね」


 その言葉に、アイ=ファは厳しく眉をひそめた。


「第七王子というのは、七番目の男児という意味であろう? それでどうして、そのように高い地位にあるのであろうか?」


「第二王子と第七王子を除く王子たちは、すでに何らかの理由で王位継承権を失っているそうです。第一王子と第三王子は病死、第四王子と第六王子は叛逆罪で投獄……第五王子も病魔を患い、正気を失ってしまわれたとのことですね」


 虫も殺さぬ穏やかな表情で、レイトはそのように言いつのった。


「シムはひとたび王国が瓦解して、現在はラオの第二王朝です。他の王国に比べると、いささか前時代的な気風が強く……それが、王座を巡る争乱にも反映されているのかもしれません」


「まさか……兄弟同士で相争っているとでもいうのか?」


「それは、不明です。ですが、シムというのは毒の扱いで有名な地でありますので、病死や病魔を額面通り受け取るのは難しいかもしれませんね」


「……たしか、サイクレウスの父親もシルエルに毒殺された疑いがあるという話であったな」


 感情を押し殺した声で、ジザ=ルウがそう言った。


「ジェノスにやってきたあれらの一団にも、不穏な気配を感じてやまない。こちらからも護衛役の狩人を同行させるので、くれぐれも用心することだ」


「相分かった。アスタを守るのは当然として、森辺の同胞にも害が及ばぬように短慮をつつしむと約束しよう」


 そう言って、アイ=ファは燃えるような眼差しを俺に向けてきた。


「アスタも、そのように心がけるのだぞ。お前の身は必ず守るので、心を強く保つのだ」


「うん、わかった。約束するよ」


 そうして俺たちは、出立の準備を整えることに相成った。

 屋台の商売が終わり間際であったのは、僥倖である。そちらの始末はユン=スドラたちにお願いして、あとは護衛役の割り振りであった。


「こちらの護衛はルウの血族で固めるべきだと思うのだが、ラッツの家長に異存はなかろうか?」


「ふん……城下町の道理に疎い俺たちでは、どこで足を引っ張ることになるかもわからんからな。いささか癪だが、そちらはルウに任せるとしよう」


「では、かまど番の帰り道を守りつつ、ここまでの話を森辺に伝える役を担ってもらいたい。ルドとシン・ルウ=シンも、それに力を添えるのだ」


「えー? なんで俺たちが出戻りなんだよ?」


「……俺に万一のことがあれば、次代の族長はお前となるのだ。少なくとも、コタが立派に育つまではな」


 その返答に、ルド=ルウもまた炎のような眼光になった。


「ジザ兄。今回の連中は、そんなにやべーのかよ?」


「相手の内心は、まったくわからん。しかし、森辺の狩人100名分の力を持っていることに疑いはないのだ。どれだけ用心しても、過ぎることはあるまい」


「でも、ジザ兄だってそいつらを見てるんだろ? 善人か悪人かぐらいはわかるんじゃねーのか?」


「いや。第七王子なる者は、最後まで姿を見せなかったのだ。俺たちが言葉を交わしたのは、あくまで代理の人間に過ぎん」


 そう言って、ジザ=ルウはがっしりとした手をルド=ルウの肩に置いた。


「もちろん俺も、易々と魂を返すつもりはない。あくまで、万一の事態に備えてのことだ。……家族にも、心配をするなと伝えてくれ」


「……わかったよ。何があったって絶対に戻ってくるって、信じてるからな」


 かくして、城下町に向かうメンバーが決定された。

 俺とアイ=ファ、そしてジザ=ルウを含むルウの血族の狩人が8名だ。ジーダを筆頭とするそちらの狩人たちも、決死隊と称するのに相応しい覚悟と気迫をみなぎらせていた。


 サウティの狩人は森辺に戻って、ここまでの詳細を伝える役目である。そしてリコたちには、レイトからティカトラスの伝言が伝えられた。


「やはり、本日あなたがたを小宮にお招きする話は中止にされたそうです。この騒ぎが落ち着いたらあらためて招待するので、森辺で待機していただきたいとのことですよ」


「わかりました。みなさんも、どうぞお気をつけください」


 そうして、別れの時である。

 俺たちが荷車の準備を始めると、青空食堂の片付けを始めていたユン=スドラやトゥール=ディンたちが俺を取り囲んできた。


「アスタ、どうかくれぐれもお気をつけて」

「無事なお帰りを信じていますので! 明日の下ごしらえも、どうぞおまかせください!」

「わ、わ、わたしも、アスタたちのお帰りをお待ちしていますので……」


 女衆にはそこまで詳細も語られていないのだが、不穏な雰囲気はしっかり伝わってしまったのだろう。トゥール=ディンなどは涙目になって、何も言えずにうつむいてしまっていた。


「何があっても、絶対無事に帰ってみせるよ。みんなも帰り道は気をつけて。明日の屋台も、よろしくね」


 そうして俺たちは、2台の荷車で城下町を目指すことになった。

 不思議と、俺の気持ちは落ち着いている。東の王子の目的が俺との面会であると知って、多少は気が晴れたのだ。俺のように素っ頓狂な素性の人間は、誰の関心をひいてもおかしくはなかったのだった。


(アルヴァッハやダカルマス殿下、フェルメスやティカトラスたちだって、俺の存在が招き寄せたようなもんだもんな。今回だって、絶対に乗りきってみせるさ)


 俺がそんな覚悟を固めていると、隣に座していたアイ=ファがそっと手を握ってきた。これはルウの荷車であったので、そちらの狩人が手綱を握っているのだ。

 アイ=ファは真剣な面持ちで、俺の顔を見つめている。

 俺はアイ=ファの手を握り返しながら、強がりでない笑みを浮かべてみせた。


「絶対に、無事に戻ろうな。家ではブレイブたちが待ってくれてるんだからさ」


 アイ=ファは張り詰めた面持ちのまま、ほんの少しだけ眼光をやわらげて、「うむ」とうなずいた。


                  ◇


 そして――いざ城下町である。

 ジザ=ルウと同行していた武官の案内で、俺たちは立派なトトス車に乗り換えた。

 それで到着したのは、見知らぬ宮殿である。

 白鳥宮や紅鳥宮よりも小ぶりであり、外装は黒一色に塗り潰されている。いささかならず、不吉な趣の宮殿であった。


「こちらは、弔いの儀式で使用する冥神ギリ・グゥの神殿です。貴き身分にあられる客人をお招きするには、あまりに不相応な場所であるのですが……あちらの強いご要望で、こちらにお招きすることになりました」


 案内役の武官は、いくぶん青い顔でそのように語っていた。

 そうして雨具を纏った俺たちが神殿の前に降り立つと、ひょろ長い人影がひょこひょこと近づいてくる。それは、カミュア=ヨシュに他ならなかった。


「やあやあ、お疲れ様。けっきょくまた、アスタが引っ張り出されることになってしまったねぇ」


「カミュア=ヨシュ。そちらは、如何であろうか?」


「うん。残念ながら、俺はジェノスのみなさんの間を行き来することしかできなかったよ。100名にも及ぶシムの精鋭にがっしり守りを固められたら、さすがに忍び込むことも難しいしねぇ」


 フードの陰でとぼけた笑みを浮かべながら、カミュア=ヨシュは黒い神殿を振り仰いだ。


「冥神ギリ・グゥは東方神とゆかりが深いから、こんな場所に腰を落ち着けたんだろうけどさ。なかなか尋常でない警戒っぷりだよ。そういう心持ちだとこちらの態度にも過敏だろうから、くれぐれも短慮を起こさないようにね」


「承知した。カミュア=ヨシュの尽力にも感謝しよう」


「まだ俺は、感謝されるほどのことはしていないよ。この後も、俺の暗躍など必要にならないことを祈るばかりさ」


 そう言って、カミュア=ヨシュは雨に濡れた俺の背中をぽんと叩いてきた。


「でも俺は、アスタの強さを信じているからね。これまでと同じように、どんな苦難でもひょいっと乗り越えてくれることを期待しているよ」


「はい。俺も力を尽くして、乗り越えてみせます」


「うんうん。アイ=ファとふたりなら、どんな困難でもひとっとびさ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはふわりと微笑んだ。

 その紫色の瞳には、ジバ婆さんを思い出させる透明な輝きが宿されている。そんなカミュア=ヨシュの眼差しに見送られながら、俺たちは神殿の入り口を目指した。


 石造りの階段をのぼると、巨大な両開きの扉が待ちかまえている。

 そこを守るのは、藍色のマントを纏った東の民とジェノスの武官だ。扉にぴったりと身を寄せているのは2名の東の民で、6名の武官がそれを遠巻きに見守っている格好であった。


「ファの家のアスタ殿、およびアイ=ファ殿をお連れいたしました」


 案内役の武官がそのように告げると、東の民の片方がうっそりとうなずいた。

 何気なくそちらの様子をうかがった俺は、思わず身をすくめてしまう。その人物は、ひさしの下でもマントのフードを深々とかぶっていたのだが――その下に奇妙な面布を垂らして、素顔を隠していたのだ。


 顔のすべてを覆い隠す四角い面布で、そちらも土台は深い藍色をしており、奇妙な紋様が白く染めぬかれている。目もとに穴などはあけられていないため、あちらからはこちらを透かし見ることができるようであった。


「……森辺の民、入室、5名までである」


 同じように面布を垂らしたもう片方の東の民が、くぐもった声でそのように告げてくる。ジザ=ルウが低い声音で「承知している」と応ずると、ジーダを含む5名の狩人が宮殿の左右に散っていった。あらかじめ、対面の場に臨むのは俺とアイ=ファのみ、その手前まで同行できるのは3名のみと言い渡されていたのだった。


(つまり……その人数なら鎮圧も難しくないってことなのかな)


 100名に及ぶシムの精鋭を引き連れながら、用心深いことである。これではさしものカミュア=ヨシュも、覗き見や盗み聞きを断念するしかなかった。


 ようやく開かれた扉をくぐって、俺たち5名は神殿に入場する。

 するとそちらにも、3名の東の民が控えていた。やっぱり藍色のフードつきマントと面布を纏った姿だ。これでは、誰が誰かも見分けがつかなかった。


 3名の内の1名が案内役となって、回廊を進んでいく。

 その道行きにも、あちこちに同じ姿の東の民が立ち尽くしていた。顔が見えないために、マネキン人形を思わせる不気味さだ。黒く塗り潰された壁や天井が、その不気味さに拍車を掛けていた。


 やがて辿りついたのは、またもや両開きの扉である。

 そちらにも、2名の東の民が控えている。そして、横にのびた回廊の果てから藍色ならぬ姿の人々が近づいてきた。3名の武官とジェムドに守られた、マルスタインとフェルメスである。


「……また足労をかけたね、アイ=ファにアスタ」


 マルスタインが、低い声でそのように告げてくる。

 その顔は、普段通りのゆったりとした表情を保持していたが――さすがに目もとにいくぶんの疲れがにじんでいた。

 そしてフェルメスは優美な微笑をたたえたまま、俺とアイ=ファに顔を寄せてくる。


「ジザ=ルウからもお聞きになっているでしょうが、どうか穏便に。……僕も死力を尽くしてアスタをお守りすると誓います」


「うむ。あなたに助力をいただけたら、心強く思う」


 アイ=ファが凛々しい面持ちで応ずると、フェルメスはほのかに嬉しそうな表情を覗かせた。


「では、雨具と刀は俺たちが預かろう」


 そのように告げてきたのは、ジザ=ルウである。そういえば、ここまでは帯刀も許されていたのだ。

 俺は雨具を脱いで、アルヴァッハたちから授かったゲルドの短剣とともにルウの狩人へと受け渡す。アイ=ファも狩人の衣と頭巾を外し、刀をジザ=ルウに受け渡した。


「では、約束の顔ぶれがそろったようだ。王子殿下にお目通りを願いたい」


 マルスタインの声にうなずいた東の民が、扉に手をかけた。

 そうして扉の向こうに足を踏み入れた俺は、また身をすくめることになった。


 100人ぐらいは余裕で収容できそうな、広間である。そちらも壁や天井は真っ黒に塗り潰されて、足もとだけが灰色をした石造りの床であった。

 窓には鎧戸がおろされているため、あちこちに燭台の光が灯されている。

 それに照らされて、何十名もの東の民がずらりと立ち並んでいたのだ。


 四方の壁が、それらの人々で埋め尽くされている。ひとつの面で15名として、60名は下らないだろう。そしてその全員が、藍色のフードつきマントと面布で人相を隠しているのだった。


 そして、広間の奥のほうに奇妙なものが設えられている。

 正方形の、蚊帳のようなものである。一辺は3メートルほどもあり、そちらの帳も藍色一色であった。その内側にも燭台が焚かれているようであったが、黒い影がぼんやりと浮かびあがっているのみであり、何がひそんでいるのかはまったく判然としない。


 その四角い物体を守るように、10名ていどの東の民が立ち並んでいる。

 そちらの面々も藍色のフードつきマントを纏っているが、革ではなく絹のような織物で、長身痩躯のシルエットがいっそうあらわにされている。それに、面布に描かれている紋様の形が異なっているようであった。


(いかにも身分が高そうだな。それに……何人かは、女性なんじゃないか?)


 俺はそのように考えたが、東の女性というのはみんな長身で、あまり起伏のないプロポーションをしているので、確信は持てなかった。


 そちらの四角い物体の5メートルほど手前で、マルスタインとフェルメスが膝を折る。俺とアイ=ファもそれにならうと、マルスタインが落ち着いた声で発言した。


「森辺の民、ファの家のアスタと家長アイ=ファをお連れいたしました。王子殿下のお言葉を賜りたく存じます」


 すると、正面に並んだ10名の中のひとりが四角い物体の横合いに回り込み、片方の膝をついてから、藍色の帳に耳を寄せた。

 しかるのちに、その人物が立ち上がって声をあげる。


「大儀である。我がシムの第七王子、ポワディーノ=ラオ=ケツァルヴァーンである」


 それは明らかに、澄みわたった女性の声音であり――俺とアイ=ファは、一緒に眉をひそめることになった。

 すると、マルスタインが「恐れながら」と声をあげる。


「ファの両名に、こちらの作法を伝えそびれておりました。失礼ながら、こちらでお伝えしてもよろしくありましょうか?」


 すると、先刻と同じ挙動の果てに、「許す」という言葉が伝えられた。

 マルスタインは恭しく一礼し、俺とアイ=ファに顔を向けてくる。


「貴き身分にあられる王子殿下が、我々と直接お言葉を交わすことはない。王子殿下のお言葉は、あちらのゼル=トラレがお伝えしてくださる」


「ゼル=トラレ……それが、あの者の名であろうか?」


 アイ=ファの疑念に、フェルメスが「いえ」と応じる。


「ゼル=トラレとは東の言葉で『王子の口』を意味する役職の名となります。同じく、『王子の眼』はゼル=カーン、『王子の耳』はゼル=ツォン、『王子の腕』はゼル=セナなどと名付けられています。……王子殿下をお守りするあちらの方々は、『王子の剣』たるゼル=フォドゥと『王子の盾』たるゼル=バムレとなりますね」


 聞けば聞くほど、混乱してしまいそうである。

 しかしまあ――貴き身分にある人間が下々と直接言葉を交わさないというのは、どこかで聞いたような覚えのある風習だ。王子殿下はあの四角い蚊帳のごとき物体の内側に引きこもり、姿を見せることも肉声を聞かせることもない、ということであるようであった。


(これは本当に、ダカルマス殿下とは比較にもならなそうだ。でも……それがシムの王族の習わしだっていうんなら、しかたないよな)


 土台、こちらの世界の貴族や王族というのは、みんなフレンドリーすぎるのだ。俺がもともと思い描く貴族や王族というものは、これぐらい格式張ったものであった。


 だが――ここは東の王国ではなく、西の領土たるジェノスである。そこに東の王子が何の前触れもなく押しかけてきて、大事な宮殿を占拠して、自国の習わしを強要している。それが普通のことであるのかどうかは、俺にも判断がつかなかった。


(それに……やっぱりちょっと、芝居がかってるよな。まさか、偽物の王子だなんてことはないんだろうけど……こういう物々しい演出で、こっちを威圧してるのかな)


 そんな風に考えながら、俺はこちらの陣営の顔色をうかがってみた。

 アイ=ファは凛然と面を引き締めているが、気分を害している様子はない。そんなことよりも、相手の真意を見定めようと集中している様子だ。

 いっぽうマルスタインは疲労の色を隠した穏やかな表情、フェルメスは優美な面持ちで、普段と変わるところはない。フェルメスはもちろん、マルスタインとて切れ者の貴族であることに間違いはないのだ。このような少数でも、とびきりの精鋭であることに疑いはなかった。


「……我の目的は、森辺の民ファの家のアスタと言葉を交わすことであった。しかし、森辺の門では開門を拒まれ、そちらの指示通りに領主マルスタインと面会したのちも、こうまで待たされることに相成った。シムの第七王子たる我に対して、あまりに不遜な行いであろう。我は、小さからぬ苛立ちを禁じ得ない」


 と、帳に耳を寄せていた『王子の口(ゼル=トラレ)』が、澄んだ声音でおっかないことを言い出した。その役職に相応しい、実に流暢な西の言葉だ。


「しかしこうして無事にアスタと言葉を交わせたので、これまでの非礼な振る舞いには目をつぶろう。西と東の絆を保つためにも、今後は身をつつしんでもらいたい」


「承知いたしました。王子殿下の寛大なおはからいに、心より感謝の言葉を申し述べさせていただきます」


 マルスタインは持ち前の社交性で、よどみなく言葉を返した。

王子の口(ゼル=トラレ)』はまた膝をついて、ポワディーノ王子の言葉をうかがう。


「では、話を進めよう。我は、アスタを臣下に迎えたく思う」


 そのいきなりの申し出に、俺は思わず息を呑むことになった。

 しかし『王子の口(ゼル=トラレ)』は、かまわず言葉を重ねていく。


「其方は料理番であるそうなので、我専属の料理番という地位を準備した。これからは、我のために料理の腕をふるってもらいたい。何か出立に必要な準備があるならば、『王子の剣(ゼル=フォドゥ)』と『王子の盾(ゼル=バムレ)』を一部隊ずつ同行させるので、森辺の集落に戻って支度を済ませるがいい。こちらはその間に、出立の準備を整えておこう」

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― 新着の感想 ―
[一言] きたきた。 これは素晴らしい展開になりそう。 作者様はきっとここからの展開を描くためにたくさんのキャラを描き、背景を語り、準備したはず。 これから始まるであろう極上の饗宴を前に興奮がとまりま…
[気になる点] これは今まで一番難儀な貴族かもしれませんね。こらからどうころぶかきになります。
[一言] 完全に西に喧嘩を売りましたね。 西のトップにひと言も通さず、地方都市に権力を振り翳す。一体どういう腹積もりだろうか。完全に侵略ですよ。これはありえない。 もし、本当にこの第七王子が王位継承権…
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