大試食会⑤~さらなる逸品~
2023.1/6 更新分 1/1
あれこれ賑やかになってしまったナウディスの料理の試食を終えたならば、次はレイナ=ルウの料理である。
そちらが運び込まれると、ダカルマス殿下は「おお!」とはしゃいだ声をあげた。
「これは確かに、見るからに辛そうな料理でありますな! 香りだけで、汗が出てきましたぞ!」
確かにレイナ=ルウの料理は、ネイルの料理に負けないぐらいスパイシーな香りを発散させている。煮込み料理で、その色合いはやわらかな朱色だ。
アイ=ファがこちらで横目を見やってきたので、俺は(大丈夫だよ)と視線で答えてみせる。こちらの料理がネイルの料理ほど辛くないことは、事前にアイ=ファに伝えていたのだ。
そうしてひと通りの皿が並べられると、3つの卓にひとりずつの侍女が控えた。その手に掲げられているのは、小さな匙と小鉢である。
「こちらの料理は、後掛けの調味料で辛みを足す作法となります。ご所望の御方は、お声をおかけくださいませ」
「ほうほう! それは愉快な趣向でありますな! ではまず、もともとの出来栄えを味わわさせていただきましょう!」
ダカルマス殿下の元気な声を聞きながら、俺も大きな期待を胸に食器を取り上げた。俺も何度か試作品を口にする機会はあったが、ここ最近はあれこれ立て込んでいたので、完成品を口にする前に今日という日を迎えることになったのだ。
これはレイナ=ルウが、城下町の屋台で出す料理として考案した献立であった。
激烈に辛いギラ=イラは、七味チットのように後掛けの調味料として扱ってみてはどうか――俺やレイ=マトゥアのそんな意見を頼りにして、レイナ=ルウはこの料理を作りあげたのだった。
最初の試作品は香味焼きであったが、こちらは煮込み料理だ。ただしそれほど水気は多くないので、焼きポイタンの生地にくるむことは難しくないだろう。屋台ではそういう軽食として売りに出すとして、今回はそれが平皿に盛られていた。
水気の具合は生姜焼きていどで、薄切りにされたバラ肉と各種の野菜が朱色の煮汁に濡れている。具材は、タマネギのごときアリア、パプリカのごときマ・プラ、アスパラガスのごときドミュグド、生鮮のウドのごときニレ、マツタケのごときアラルの茸、レンコンのごときネルッサ、サツモイモのごときノ・ギーゴと、新旧の野菜が織り交ぜられていた。
煮汁の朱色は、トマトのごときタラパとタウの豆乳がブレンドされた色合いである。まずはタラパを主体にした煮汁でぐつぐつ煮込んでから、最後に豆乳を加えるのだ。ここ数日で細かな調整を施しているのだろうが、基本の部分は俺が口にした試作品と大きく変わらないようであった。
然して、その味わいは――素晴らしい出来である。
煮汁には、魚介の出汁がきいている。これは西の王都から届けられるホタテガイに似た貝の出汁を主体にしているのだ。レイナ=ルウは牡蠣に似たドエマの貝もさんざん研究し尽くしたのち、こちらの貝に舞い戻ったのだという話であった。
そこに、さまざまな香草が投じられている。辛みではなく、風味をつけるための香草だ。セージに似たミャンツやヨモギに似たブケラ、ローリエに似た香草やカルダモンに似た香草など、レイナ=ルウの手腕でかなりの種類の香草が使われているはずであった。
辛さは、子供向けのカレーていである。辛さに敏感なトゥール=ディンやリミ=ルウはもちろん、4歳になったばかりのコタ=ルウでも問題なく食せる味わいであるのだ。リンゴに似たラマムの果汁や花蜜なども、辛さの緩和にひと役買っているのだろう。また、魚介の出汁とギバ肉の調和については俺よりも熱心に取り組んでいたレイナ=ルウであるので、そのあたりの仕上がりも申し分なかった。
「ほうほう! 確かにこれは、香りから感じられるほど辛くはないようですな!」
そんな風に言いながら、ダカルマス殿下は早くも汗を浮かべていた。辛くなくとも発汗をうながす香草は、多々存在するのだ。
「辛さは、かれーぐらい……いや、それよりも食べやすいぐらいでしょう! そしてこれは、美味ですぞ! 辛みよりも、まろやかな甘みや香ばしさや、それに魚介の風味が際立っているようです!」
「ええ、本当に! いったいどのような味わいであるのかと期待していましたけれど、これは期待以上です!」
厨の見学に励んでいたデルシェア姫も、ご満悦の表情である。
そしてこれまで発言をつつしんでいたプラティカも、射るような眼差しになっていた。
「確かに、美味です。ですが、私、さらなる辛さ、期待してしまいます。……そのための、後掛け、調味料なのですね?」
隣の卓であるレイナ=ルウに代わって、俺が「はい」と答えてみせた。
「レイナ=ルウは、幼い子供から東の方々まで楽しめるような料理を目指していました。後掛けの調味料を加えれば、東の方々にもご満足いただけるかと思われます」
「では、お願いします」
プラティカの声に導かれて、侍女がしずしずと近づいていく。そしてプラティカの皿の端に、小さな匙で真っ赤なペースト状の調味料が盛られた。
「料理の残り具合で必要な辛みは異なってまいりますので、お好みの量だけお加えください。……他にご所望の御方はおられますでしょうか?」
ダカルマス殿下とナウディスの伴侶、そしてアイ=ファの3名を除く全員が調味料を所望した。
この調味料は、ハバネロのごときギラ=イラをベースにしている。ギラ=イラそのものでは東の民にしか耐えられないため、桃に似たミンミの果汁やホボイの油などで辛さを緩和させつつ、さらに風味を加えるために数種の香草が練り込まれているのだ。この調味料の開発に、レイナ=ルウはもっとも時間をかけていたのだった。
「ほうほう。これは……辛さばかりでなく、風味までもが豊かになったようですな」
自分から口を開くことのなかったナウディスも、思わず声をあげている。
ほんの少量だけ調味料を混ぜ込んだ俺も、感服の思いであった。ギラ=イラの風味と旨みを活かしつつ、上手い具合に辛みが緩和されていたのだ。そしてそれが、タラパと豆乳を主体にしたまろやかなる煮汁と素晴らしく調和していた。
「……調味料、もうひと匙、お願いします」
驚くべきことに、プラティカを始めとするゲルドの面々は調味料のおかわりを所望していた。
そんなに調味料を加えたら、それこそ激辛料理になってしまいそうだが――しかしまあ、プラティカが以前に作りあげたギラ=イラ料理もたいそうな辛さであったし、しかもあれは西や南の民のために手加減をした辛さであったのだ。ゲルドの面々の辛みに対する耐久度は、俺たちの想像を超えているようであった。
「うーん! 辛いけど、美味です! これはきっと、調味料を加えることで真なる完成を迎えるのでしょう! こんなに辛いのに、さっきよりも美味に感じます!」
デルシェア姫がそのように告げると、ダカルマス殿下が「なんと!」と反応した。
「そんな話を聞かされては、わたしも汗をかくしかあるまい! 調味料を、こちらに!」
「はい。どうぞ加減をお忘れなく」
それはダカルマス殿下が王都から引き連れてきた侍女であったため、つつましい笑顔に多少の気安さがにじんでいた。
そうしてダカルマス殿下は無事に汗だくの姿になりながら、歓呼の雄叫びをあげることになった。
「これは確かに、いっそう美味になったようです! アルヴァッハ殿は――」
ダカルマス殿下に目を向けられるなり、アルヴァッハは長広舌を開始した。
「それでは、通訳いたします。……詳細はのちほどレイナ=ルウ本人に伝えたく思うが、こちらは素晴らしい出来栄えである。まず、基本の料理の完成度からして素晴らしい。タラパと各種の調味料および香草との配合が見事であるし、後から加えられた豆乳もまたとなき調和を果たしている。ニレの清涼なる味わいも、ネルッサの心地好い食感も素晴らしく、具材の選別にも隙はない。幼子も楽しめる味わいでありながら、香草の風味が豊かであるし、後掛けの調味料による味の変化も秀逸である」
そこで言葉を区切ったフェルメスは、ゆったりとヴァルカスのほうを振り返った。
「ただ一点、回避しがたき不備が見受けられる。ヴァルカスであれば、それを察せられるであろうか?」
「はい。これは実に、惜しい出来栄えです。基本の味わいに不備はありませんし、後掛けの調味料も少量であればまたとない調和を果たしているのですが……ある一定の分量を超えると、その調和があえなく崩れてしまうようです」
そんな風に答えたヴァルカスは、眠そうな目で俺を見やってきた。
「あとほんの少しの配合で、こちらの料理は完成するはずです。これはいったい、如何なる所業なのでしょう? わたしは心から満足しかけたところで、水をかけられたような心地です」
「え? いえ、俺にはみなさんが何をご不満に思っているのかもわからないのですが……」
すると、アルヴァッハが短めに東の言葉を発した。
「理由は、おおよそ推察できる。味の調和が保てている分量までが、おそらくレイナ=ルウの舌が耐えられる辛さの臨界点なのである。それ以上の辛さはレイナ=ルウにとって苦痛でしかないため、味を調えることも不可能なのである」
「ああ……東の方々は、それ以上の辛さを求めておられるということですね?」
「左様である」と、アルヴァッハ自身が答えてくれた。
「ただし、調整、可能である。プラティカ、味見役として、研究、進めるべきである」
「はい。私、同じ気持ち、抱いていました」
プラティカは紫色の瞳を炯々と光らせながら、そのように応じた。
「こちら、調整、施しても、レイナ=ルウ、理想、外れないはずです。それぐらい、こちら、完成しています。レイナ=ルウ、力量、感服しました。同時に、対抗心、かきたてられます。……心、未熟、恥ずかしいです」
「いえいえ! それもまた、料理人には不可欠な心意気でありましょう! わたしなどはレイナ=ルウ殿の三歩手前で、舌が限界を迎えてしまいますが!」
汗をふきふき、ダカルマス殿下はそのようにのたまわった。
「ともあれ、西や南の人間にとっては、現段階でも申し分のない出来栄えです! あとは東の方々もご満足いただけるように、レイナ=ルウ殿にお力添えください! ……それにしても、ヴァルカス殿は東の方々に負けないほど頑丈な舌をお持ちなのですな!」
「はい。わたしは20年ばかりも香草の検分を続けていますので、舌が慣れているのでしょう」
こともなげに、ヴァルカスはそう答えた。
「ただそれは、味覚の麻痺にも通ずる現象です。わたしの舌が死に絶える前に、こちらの料理の完成品を口にしたく思います」
「ふむ? ヴァルカス殿は、まだまだ引退を考えるようなお年ではありませんでしょう?」
「それでも、決して若くはありません。その前に、わたしの技術をすべて弟子たちに受け継いでもらいたく願っています」
そのいきなりの発言に、俺は息を呑む思いであった。
ヴァルカスの隣に控えているシリィ=ロウは、いっそう凛々しい表情になっている。きっとこんな発言も、《銀星堂》では珍しくないのだろう。ヴァルカスは、どんな言葉でも遠慮なく発してしまう人柄であるのだった。
「……では、そんなヴァルカス殿の料理をいただくといたしましょう」
ダカルマス殿下もいくぶん神妙な面持ちで、そう言った。
が、料理の皿が運ばれてくると、たちまち期待に瞳を輝かせる。やってきたのは、実に奇妙な料理であった。
「これはまた、味の想像がつかない料理であるようですな! しかし、実に芳しい香りでありますぞ!」
「恐縮です。……シリィ=ロウ、ご説明を」
「はい。こちらはギバの背中の肉に、衣となる調味液を塗り重ねながら炙り焼きにした料理となります」
そういった料理は、これまでにも供されていた。俺が最初に口にしたのは、たしか川魚の炙り焼きであったはずだ。また、ヴァルカスはギギの葉を好んで多用するため、黒い外見をした料理というのも決して珍しくはなかった。
ただしそれが小さく切り分けられているため、断面からは熱の通った肉の色合いが覗いている。言ってみれば、真っ黒なギバ・カツのようなものだ。これまでの試食会で出されてきたヴァルカスの料理を思えば、まだしも穏便な外見であった。
(でも、ヴァルカスが選んだひと品だもんな。しっかり覚悟を固めておこう)
俺はそのように考えたが、無駄な話であった。たとえどれだけの覚悟を固めても、ヴァルカスの料理はその上を通過していくのである。この料理には、さまざまな驚きが詰め込まれていたのだった。
「これは……これは、驚くべき味わいでありますな!」
ダカルマス殿下も、半ば言葉を失ってしまっている。それでも口をきけるだけ、大したものであった。
ヴァルカスならではの、複雑怪奇な味わいである。甘くて辛くて苦くて酸っぱいというのはもはやデフォルトであり、その複合の具合の複雑さが食べる人間を仰天させてやまないのだった。
この黒い外見は、やはりギギの葉であるのだろう。カカオめいた風味が、苦さの中核を担っている。しかしそれ以外にも、数々の香草および炙り焼きから生じる香ばしさなどが苦みに深みを与えていた。
それにこれはギバ肉の料理であるのに、魚介の風味が豊かである。おそらく調味液に、魚介の出汁がふんだんに使われているのだ。さらには、魚醤やジョラの油煮漬けまでもが使用されているのではないかと思われた。
辛いのは、もちろん香草である。ヴァルカスは新たな食材を使いこなすのに時間がかかるのでギラ=イラは使われていないのであろうが、それなり以上に刺激的な味わいだ。ただし、こうまで味が入り組んでいると、どの香草を組み合わせているのかも判然としない。トウガラシ系の辛みもマスタード系の辛みもワサビ系の辛みも混然一体となって、俺の舌を刺しまくっていた。
それでいて、まろやかな甘みやフルーティーな風味も存在する。おそらくは、果汁で甘みをつけているのだろう。しかし判別がきかないのは、香草と同様だ。さらに果実は、酸味のほうも支えているはずであった。
酸味の主体はやはりママリアの酢なのであろうが、それも判然としない。消去法で、そうであろうと察するばかりだ。赤と白のママリア酢に、レモングラスに似た香草など、酸味を備えた食材はそれほど多くないので、のきなみ使われていても不思議はなかった。
そうしてひとつひとつの味が複雑である上に、それらがさらに複雑に絡みあっている。甘みと辛みと苦みと酸味のどれかが突出することなく、名付け難いひとつの味を構築しているのだ。もはやそれを「ヴァルカスの味」と評するしかなかった。
そしてその味は黒い衣ばかりでなく、肉のほうにもしみ込んでいる。それも、肉に味がしみているというよりは、ギバ肉の味や風味までもがひとつの道具として扱われて、何か見知らぬ味を完成させているのだ。ギバ肉の風味を確かに感じながら、まるで異なる獣の肉を食しているような――何とも不可思議な心地であった。
まったく見知らぬ味に蹂躙されて、俺の舌はすっかり驚いてしまっている。
しかし、文句をつけることはできない。俺の舌は暴力的な味とともに、深い旨みも知覚してしまっているのだ。俺はまさしく、初めて足を踏み入れた異世界でまったく見知らぬ食材による初めての料理を口にしたような心地であった。
「これは……きっと、美味であるのでしょう。昨年は、そのように断ずることすらできなかったものでありますが……わたしもようやく、ヴァルカス殿の作法を多少ながら理解できるようになったようです」
そのように語りながら、ダカルマス殿下は笑みを消してしまっている。するとたちまち迫力のある面相になってしまうのは、昨年の試食会と同様であった。
「ただ、それ以上の言葉が出てきません。……アルヴァッハ殿は、如何でありましょうかな?」
アルヴァッハは重々しく首肯したのち、長広舌を開始した。
その間に、俺は他の面々の様子を確認してみたが――アイ=ファは仏頂面寸前の表情、ナウディスとその伴侶は愕然とした表情、マルスタインは穏やかな笑顔、シリィ=ロウは真剣そのものの表情、デルシェア姫はまぶたを閉ざした力ない笑顔といった感じであった。もとより表情の動かないプラティカはどこか苦悶をこらえているような目つきで、ナナクエムは驚くというよりも呆れているような目つきだ。
「それでは、通訳いたします。……我もまた、ヴァルカスの料理を言葉で語るのはきわめて難しい。これは、まったく見知らぬ味であるためである。美味であることに間違いはないかと思うが、何がどう好ましく思えるのか……それを言葉で語ることが困難なのである」
フェルメス自身は料理を口にしていないため、いつも通りの優美さで淡々と語った。
「ただ、ひとつ気づいたことがある。こちらには、昨年ゲルドおよび南の王都から届けられた食材が、数多く使われているのではないだろうか? 我もすべてを判別できたわけではないのだが……ココリ、ミャンツ、ミャン、ブケラ、ボナといった香草に、魚醤、ペルスラの油漬け、マロマロのチット漬け、ジョラの油煮漬け、青乾酪、ホボイおよびラマンパの油……アマンサ、リッケ、マトラといった果実……それに、ワッチおよびリッケの果実酒やギャマの乳酒なども使われているのではないかと推測している」
「はい。あとは、香りづけにユラル・パ、甘みを出すのにノ・ギーゴも使用しています」
ヴァルカスがそのように答えると、アルヴァッハが東の言葉でさらに語り、フェルメスがそれを通訳した。
「ヴァルカスは新たな食材を使いこなすのに時間がかかるという話であったが、数ヶ月の時間を置くことでそれだけの食材が使われて、これほど不可思議な料理を完成させた。このたび新たに持ち込まれた食材でまた新たな驚きが届けられる日を心待ちにしたく思う」
「はい。1年ていどの時間をいただけたら、わたしも心からありがたく思います」
あくまでぼんやりとした顔のまま、ヴァルカスはそのように答えた。
アルヴァッハはまたひとつうなずき、自らの口で西の言葉を語る。
「我からは、以上である。論評、達しない、内容であったが……容赦、願いたい」
「いえいえ。あの複雑な味わいの中からそれだけの食材を言い当てるとは、生半可な話ではありますまい。さすがアルヴァッハ殿は、素晴らしい舌をお持ちです」
ダカルマス殿下は厳粛なる声音でそのように答えてからまぶたを閉ざし、数秒間の沈黙のあと、にわかに笑顔をこしらえた。
「いやいや! ヴァルカス殿の料理には、毎回驚かされてしまいます! もっと頻繁にヴァルカス殿の手腕を味わっていれば、きっとマルスタイン殿のように沈着な心持ちを保てるのでしょうな!」
「いえ。わたしはみなさんのように深い見識を持ち合わせていないからこそ、ただ見事な手腕だと感服することができるのでしょう。何がどうあれ、ヴァルカスが只者でないことは確かなのでしょうから」
「ヴァルカス殿は、100年にひとりの天才でありましょう! わたしとて、その才覚に恐れおののく凡夫にすぎません!」
もとの元気を取り戻したダカルマス殿下は、「さて!」と声を張り上げた。
「それでは料理の締めくくりに、アスタ殿の品をいただきましょう! どのような料理であるのか、楽しみなことですな!」
ヴァルカスの直後に料理を供するというのは、なかなかのプレッシャーである。
しかし、ヴァルカスに対抗心を抱いても詮無きことだろう。ヴァルカスとて、誰にでも美味しいと思ってもらえる普遍的な美味しさを追い求めているはずなのだが――辿ろうとしている道筋が、あまりに掛け離れているのだ。俺としては、同じ山を反対側の麓からのぼっているような心地であった。
「自分が準備したのはきわめて簡素な料理ですが、ヴァルカスの驚くべき料理の後には相応しいかもしれません。お口に合えば、幸いです」
俺が前口上を伝えている間に、料理の皿が運ばれてきた。
ダカルマス殿下はこれまでと同じように、「ふむふむ!」と明るい眼差しで料理の外観を検分する。
「これは、いかなる料理であるのでしょう? 焼き物にしては水気が多いようですし、煮物にしては具材の様子が焼き物めいているようです!」
「分類としては、焼き物の料理ですね。自分の故郷で八宝菜と呼ばれていた料理に、多少の細工を施した品となります」
それが、俺の準備した料理であった。
八宝菜というのは必ずしも8種の具材でおさめる料理ではないので、さまざまな具材を使用している。ギバのロース、ハクサイに似たティンファ、タケノコに似たチャムチャム、ニンジンに似たネェノン、ピーマンに似たプラ、長ネギに似たユラル・パ、レンコンに似たネルッサ、アスパラガスに似たドミュグド、チンゲンサイに似たバンベ、マツタケに似たアラルの茸、キクラゲモドキ――そしてさらに、アマエビに似たマロールと、タコやイカに似たヌニョンパ、牡蠣に似たドエマの貝も使用していた。
ギバのロースは酢ギバの応用で、チャッチ粉にまぶしたものを揚げ焼きにしてから使っている。また、水で戻した魚介の食材は熱が入りすぎないように、事前に炒めたものを後から加えた格好だ。
野菜は火の通りにくいものから順番に炒めて、最後にギバ肉と魚介を加えて、タウ油や魚醤や貝醬などの調味料を乾物の戻し汁にあわせた調味液で蒸らし煮にする。それでしっかり熱が入ったら、水溶きチャッチ粉を回し入れてとろみをつけ――さらに最後に、イクラのごときフォランタの魚卵をまぶして完成であった。
「……こちら、簡素であろうか?」
そのように告げてきたのは、珍しくもナナクエムである。
すると、俺よりも早くデルシェア姫が答えてくれた。
「確かにこうして完成した品を拝見すると、簡素どころか豪奢な仕上がりですね! でもきっとアスタ様は、調理手順に基づいて簡素と仰ったのでしょう! わたしも厨を拝見しましたけれど、アスタ様たちはひたすら具材を切り分けた後、ひたすら焼きあげているばかりでしたもの!」
「なるほど。しかし、これだけ、食材、使われていれば、きわめて豪奢、印象である」
「はい! 問題は、これだけの具材が調和を果たしているかどうかでしょうね!」
そのように語りながら、デルシェア姫は期待に瞳を輝かせている。
俺としては、自分の味覚を信じるしかなかった。
「それもこれも、食べてみないことには始まりませんな! それでは、いただきましょう!」
ダカルマス殿下の号令で、試食が開始される。
果たして――不満の声をあげる人間は、いなかった。
「おお、これは――!」と大きな声を張り上げつつ、ダカルマス殿下はあっという間に小皿の料理をたいらげてしまう。そうしてすぐさま、かたわらの小姓に向きなおった。
「もう一杯、アスタ殿の料理を! ……いや、これは素晴らしい味わいですぞ! とうてい一杯では満足できないほど、美味であります!」
「本当ですわね! そこまで強い味付けではないのに、とても鮮烈な印象で……いずれの具材も、きわめて美味に感じられます!」
王家の父娘がそのように語ると、アルヴァッハもたちまち長広舌を開始した。
俺はほっと息をつきながら、左右の様子も確認してみる。アイ=ファは至極満足そうに料理を噛みしめており、ナウディスとその伴侶は穏やかな笑顔――そして、ヴァルカスは相変わらずの無表情で、シリィ=ロウはきわめて難しげな面持ちであった。
「確かに……特別な細工は、少ないのでしょう。調味液の配合は秀逸ですし、具材の選別も不備は見られず、熱の入れ方も申し分ありませんが……アスタがこれまで手掛けてきた料理の中では、簡素な部類であろうと思います」
アルヴァッハの長広舌をさえぎらないように、シリィ=ロウが押し殺した声でそのように発言した。
「ただ、何でしょう……デルシェア姫の仰る通り、とても鮮烈です。これはいかなる作用であるのか……お恥ずかしいことに、わたしには今ひとつ判別がつきません」
すると、フェルメスがアルヴァッハに向かって「承知しました」という声を返した。
それからまた長広舌が再開され、しかるのちにフェルメスが俺たちを見回してくる。
「まず、シリィ=ロウの疑問に対するお答えを提示いたします。……印象が鮮烈であるのは、これ以上もなく具材の味が際立っているためである。必要最低限の熱が通された具材は具材そのものの味わいと食感がこれ以上もなく表出しており、その瑞々しさが鮮烈な印象を生み出すものと察せられる。また、調味液による味付けと煮汁のとろみも、あくまで食材本来の魅力を引き出す効能を備えているのであろう。それは食材そのものの味を活かそうと心がける、アスタの基本姿勢なのであろうが……こちらの料理には、その理念が存分にあふれかえっているように見受けられる」
シリィ=ロウは、真剣そのものの表情でフェルメスの言葉を聞いていた。
フェルメスは優美に微笑みつつ、さらに続ける。
「よって、シリィ=ロウの論評は、完全に正しい。こちらの料理で特筆すべきは、調味液の配合と、具材の選別と、熱の入れ方の正しさなのである。それはすなわち料理の基本であろうから、アスタは堅牢なる礎を築くことでこれほどに鮮烈な料理を完成させたのである。そしてアスタが非凡であるのは、これだけ数多くの食材を完全に正しく取り扱っている一点であろう。アスタは食材そのものの魅力を引き出すために、適切な味付けを施し、適切な熱を通した。それ以外の細工がないため、簡素とも思える印象を生み出すわけであるが……これだけ数多くの食材を使えば、豪奢そのものである。簡素にして豪奢という相反する要素が、アスタの手腕のもとに完成されたのである」
そこでフェルメスが休憩をはさんだので、俺はアルヴァッハに頭を下げてみせた。
そんな俺に、フェルメスのほうがにこりと微笑みかけてくる。
「さらにアスタは、その裏にひとつの試みをひそめている。それはすなわち、ギバ肉と魚介の食材の調和である。レイナ=ルウを筆頭とする数多くの料理人は香草の強い味と風味でそれを実現していたが、アスタはギバ肉を揚げ焼きにすることでひとつの具材として封じ込め、他なる具材との調和を試みたのであろうと察せられる。これだけさまざまな魚介の食材を使い、しかも強い味付けに頼らず、アスタはギバ肉との調和を成立させたのである。どれだけ素晴らしい魚介の食材が増えようとも、決してギバ肉を二の次にさせてなるものかというアスタの信念に、我は感動を禁じ得ない。その信念が、この簡素にして豪奢な料理にさらなる力強さを付加しているのだろうと察せられる」
そうしてフェルメスが口を閉ざすと、アルヴァッハがヴァルカスを見やった。
「我からは、以上である。ヴァルカス、こちらの料理、不満、あろうか?」
「いえ。不満は、ありません。実に素晴らしい手腕であるかと思われます」
そのように告げるなり、ヴァルカスが卓の陰で俺の手を握りしめてきたので、俺は心底からぎょっとしてしまった。
「わたしは香草の配合にもっとも注力しておりますため、こういった料理は本来興味から外れるのですが……やはりわたしは、自分と対極の位置にあるアスタ殿の存在に胸を揺さぶられてなりません。これは、素晴らしい料理であり……そして、わたしには決して作りあげることのできない料理であるのです」
すると、アルヴァッハがまた東の言葉で何か語り始めた。
その間も、ヴァルカスは俺の手を握り続けている。唯一それに気づいているアイ=ファは、眉をひそめつつヴァルカスの横顔をにらみつけていた。
「それでは、通訳いたします。……食材を岩にたとえるならば、ヴァルカスはそれを砕いて水で練り、粘土として加工してから美しい形を作りあげる。いっぽうアスタは岩を岩のまま組み上げて、美しい形を作りあげる。それはどちらが上という話ではなく、美しさの質が異なっているのみであろう」
「……そうですね。それはもはやわたしが目指すことのできない美しさであるため、どうしても憧憬に似た気持ちを抱いてしまうのでしょう」
そう言って、ヴァルカスは俺のほうに向きなおってきた。
もともと眠そうな目がさらに細められて、微笑のような形を作る。
「以前の祝宴の品々もお見事な出来栄えでしたが、今日の料理はひときわ鮮烈でありました。あらためて、アスタ殿と同じ時代に生まれ落ちた幸運を得難く思います」
「はい。それは俺も、同じ気持ちです」
そう言って、俺はヴァルカスに笑顔を返してみせた。
アイ=ファに続いてシリィ=ロウも卓の下のありさまに気づいて、眉を吊り上げてしまっていたが――それはさておき、俺は心から満ち足りた心地であった。




