大試食会④~逸品~
2023.1/5 更新分 1/1
かくして、大試食会は開始された。
右手側の壁際に立ち並んだ俺たちのもとには、楚々とした足取りの小姓たちが寄ってくる。
「それでは、座席にご案内いたします」
本日は、また特別席でひと通りの料理と菓子を口にする手はずになっていたのだ。
小姓の案内でそちらの座席に向かいつつ、俺は横目で大広間の賑わいを盗み見た。
煌々と輝くシャンデリアの下、300名からの参席者たちは熱気をみなぎらせながら料理の卓へと殺到している。ひときわ身分の高い貴族たちは特別席に留まるためか、きわめて賑やかな様相である。普段の城下町の祝宴はもちろん、森辺の祝宴や復活祭における宿場町ともまた異なる、雑多な熱気――これこそが、さまざまな身分の人間の集う大試食会ならではの様相なのかもしれなかった。
(きっと礼賛の祝宴のときより、平民の比率は大きいんだろうしな。本当に、こんなイベントを実現させるダカルマス殿下は大したもんだ)
そもそもジェノスは外からさまざまな貴賓を迎えて、大層な騒ぎになっていた。そこにさらに、石塀の外の領民までかき集められて、この騒ぎが完成されたのである。まるでジェノスはどれだけの騒ぎに耐えられるのかと、神の手で大がかりな実験でもされているような心地であった。
「おお、アスタ殿にアイ=ファ殿! 毎回ご苦労をかけてしまって、申し訳ありませんな!」
と、俺の想念はダカルマス殿下の元気な声音によって打ち破られた。いつの間にか、特別席とやらに到着していたのだ。
西方神の石像の足もとに、巨大な卓がずらりと並べられている。俺とアイ=ファが案内されたのは中央の卓で、そこにはダカルマス殿下とデルシェア姫、アルヴァッハとナナクエムとプラティカ、そしてマルスタインとフェルメスだけが座していた。
ゲルドの面々は、以前にティカトラスが準備したシム風の宴衣装だ。片方の肩を露出しているアルヴァッハとナナクエムは勇壮な限りであるし、プラティカは美麗な限りである。そんなプラティカの姿にアイ=ファがまた満足そうに目を細めているのを、俺は見逃さなかった。
他の面々も、もちろんこの大がかりな祝宴に相応しい礼装である。フェルメスだけはいくぶん質素な身なりであったものの、彼はどのような格好でも人目をひいてやまないし、ひときわ立場の高いダカルマス殿下たちの豪奢さは言うまでもなかった。
こっそり左右の卓を確認すると、ロブロスやフォルタ、アラウトの一行、ピリヴィシュロとゲルドの使節団の関係者、そして外交官補佐のオーグなどが配置されている。ジェノスの陣営は、メルフリードの一家に三大伯爵家の立場ある面々に外務官の夫妻といった顔ぶれだ。唯一姿が見当たらないのは、ティカトラスの一行のみであった。
(ティカトラスは、また自由に動き回ってるのか。もうすっかり、ダカルマス殿下たちが相手でも遠慮がなくなったみたいだな)
俺とアイ=ファは一礼して、貴き身分の方々と相対する席に腰をおろした。
すると、別なる一団も案内されてくる。それは、ヴァルカスとシリィ=ロウ、ナウディスとその伴侶という4名であった。
「ヴァルカス殿とナウディス殿も、ご足労をおかけしました! ひと通りの品を楽しんだのちは、ごゆるりと祝宴をお楽しみください!」
ナウディスは柔和な笑顔で緊張や恐縮の思いを隠しつつ一礼し、そしてヴァルカスは「いえ」とぼんやりとした声をあげた。
「これほどの人数で織り成される熱気というものには、長く耐えられそうにありません。こちらでのお役目を終えましたら、別室で料理をいただくお許しをいただきたく思います」
シリィ=ロウは慌てた顔で師匠の腕を引っ張りそうになっていたが、ダカルマス殿下は「もちろんです!」と鷹揚に笑っていた。
「ともあれ、まずはお座りください! いやいや、昨年の試食会にて第1位から第3位に入賞されたみなさんと同じ卓につかせていただくというのは、なんとも贅沢な気分でありますな!」
「こちらこそ、恐縮の限りでございます」
ナウディスがまた一礼すると、その伴侶もあたふたとそれに続いた。宿屋のおかみさんが一国の王子や領主などと相対するというのは、大変なプレッシャーであることだろう。ナウディスの伴侶は礼賛の祝宴やついこの間の予選大会にも参席していたが、貴き身分の方々と同じ卓を囲むのは初めての体験であるはずであった。
いっぽうヴァルカスは相変わらずの調子であるし、シリィ=ロウはきりりと面を引き締めている。その全員が立派な装束を纏っていたが、やはり普段から祝宴に参席しているシリィ=ロウは貴婦人の名に相応しいたたずまいであった。
そして左右の卓でも、同じように挨拶が交わされている。トゥール=ディンはヤンとランディ、レイナ=ルウはティマロとネイルという組み合わせで、それぞれ異なる貴賓たちを相手取るのだ。本日も伝令役と思しき小姓たちがずらりと立ち並んでいたが、それぞれの応対はそれぞれの裁量でこなすしかなかった。
「わたしからも、感謝とねぎらいの言葉を届けさせていただこう。このように大きな祝宴の厨を預かってもらい、ジェノスの領主として誇らしく思っている」
マルスタインがゆったりと声をあげると、ナウディスの夫妻がさきほどと同じリアクションを見せた。彼らにしてみれば、ジェノスの領主というのは南の王族に引けを取らない存在であろう。ついでに言うならば、黙して語らないゲルドの面々の姿も、けっこうな圧力であるはずであった。
(話してみれば、みんないい人たちなんだけど……そもそも話す機会がないんだから、しかたないよな)
ここはやっぱり、手慣れた俺が潤滑油の役目を果たすべきであるのだろう。
そのように考えた俺は、端の席で小さくなっているナウディスの伴侶に笑いかけた。
「おかみさんは、ちょっとご無沙汰しています。《南の大樹亭》の料理を口にするのはひさびさですので、俺も楽しみにしていました」
「え? あ、はい……こ、こちらこそ」
と、ナウディスの伴侶はぎこちなく微笑んだ。
すると、正面のデルシェア姫も朗らかな笑顔で参加してくる。
「どうぞ緊張なさらないで、ともに宴料理を楽しみましょう! わたしたちは、そのために寄り集まっているのですから!」
きっとデルシェア姫も、厨でナウディスの伴侶と親睦を深めたのだろう。その甲斐あって、ナウディスの伴侶もわずかに固さが取れたようであった。
「ヴァルカスも、けっこうおひさしぶりですよね。この前の試食会も、けっきょくご挨拶できませんでしたし」
もののついででヴァルカスにも声をかけると、そちらからは「ええ」と平坦な声を返された。
「前回は森辺の方々も料理を出されていなかったので、別室に控えさせていただきました。まあネイル殿もなかなか腕を上げられたようですが、ギラ=イラを取り扱うにはさらなる研究が必要でありましょう」
「ヴァ、ヴァルカス」と、シリィ=ロウは卓の陰で師匠の腕を引っ張った。
しかしダカルマス殿下は、愉快げな笑い声を響かせる。
「ネイル殿の品は素晴らしい出来栄えであるかと思いましたが、やはりヴァルカス殿にかかれば不備を見つけることも容易いのですな! その調子で、忌憚なきご感想をお願いいたしますぞ!」
「はあ」と、ヴァルカスは溜息めいた言葉を返す。きっと調理の疲れとこの熱気で、すでに限界が遠くないのだろう。ヴァルカスが意識を失ってしまう前に、この場のお役目を果たしたいところであった。
すると、そんな願いに応えるように、お盆を掲げた侍女たちが近づいてくる。ついに、最初の品々が届けられたのだ。
「おお、来ましたな! 本日は厨を見学していたデルシェアたちに、料理の順番を決めていただきました! 最初の品は、ティマロ殿の汁物料理であるそうです!」
ダカルマス殿下はそのように仰っていたが、俺たちの前にはそれぞれ2枚ずつの皿が置かれていた。その片方は、確かにティマロの作りあげた汁物料理であるようであったが――もう片方は、深皿に盛られたシャスカ料理である。しかもこれは、どう見ても焚き込みシャスカにしか見えなかった。
「おお、ご説明が遅れました! 本日はフワノ料理を供する御方がいらっしゃらなかったので、ダイア殿にシャスカ料理を準備していただいたのです!」
「え? これは、ダイアの作なのですか?」
俺が思わず反問すると、ダカルマス殿下ではなくマルスタインが答えてくれた。
「アスタは以前に、たきこみシャスカなる料理の作り方を開示したであろう? そちらを書き留めた帳面の通りに、この料理を仕上げてもらったのだ」
「ええ? ダイアが……俺がお伝えした通りの料理を?」
「うむ。森辺の皆々のようにアスタの手腕を再現できているかどうかは、口にするまでわからぬがな」
マルスタインは悠揚せまらぬたたずまいであったが、俺としては驚きを禁じ得ない。あれほどの手腕を持ち、ジェノス城の料理長を務めているダイアに、俺の料理の再現をおまかせするなどというのは――あまりに恐れ多いように感じたのだ。
しかし貴族の決定に異を唱えることはできないので、黙って食するしかないだろう。俺がそのように考えていると、今度はデルシェア姫が発言した。
「それに、ティマロ様の汁物料理とこちらのシャスカ料理が調和するとも限りません! こちらのシャスカ料理はすべての料理の付け合わせという立場ですので、どの頃合いでどれだけ食するかは、おのおのご判断くださいね!」
普段であれば焼きフワノなどが準備されるところを、今回は炊き込みシャスカでまかなったということである。それもなかなか、これまでには見られなかった試みであった。
(確かに城下町の料理とは、相性が悪い可能性もあるだろうな)
ともあれ、着目すべきはティマロの料理である。
そちらは本日も、乾酪とカロン乳と香草の香りが匂いたつ汁物料理であった。
「本日はどのような品を供するのも自由という取り決めであったのですが、おおよその方々は予選大会と同じ系統の品を準備してくださったようですな! まあ、あの予選大会を勝ち抜いた品なのですから、誰からも不満の声があげられることはありませんでしょう! それでは、さっそくいただきますぞ!」
ダカルマス殿下を筆頭に、すべての人間が匙を取り上げた。
そうして、複雑な香りのするスープをすすってみると――そこには、小さからぬ驚きが待ちかまえていた。
「ほうほう! 予選大会とまったく同じ品というわけではないようですな!」
「実は、そうなのです! ティマロ様は実に細やかな手腕で、新たな細工を施しておられましたわ!」
厨の見物に励んでいたデルシェア姫が、そのように補足してくれた。
確かに、前回とは微妙に味わいが異なっている。クリームシチューにさまざまな香草を加えたような出来に、大きな変わりはないのだが――甘みを引き立てる辛みと苦みに、新たな彩りが加えられていたのだ。
「こちらの料理で苦みを受け持っていたのはブケラやギギですけれど、このたびは炙り焼きにされたキミュスの皮も出汁に使われているのです! そちらの香ばしさが、苦みにいっそうの深みを与えているようですね! それに、ほんの少しですけれど、ギラ=イラも使われているのです!」
「なんと! ギラ=イラが? しかし、汗をかくほどの辛みではないようだ!」
「本当に、風味づけという分量でしたもの! でも、それでたちまち辛くなりすぎてしまうのが、ギラ=イラですからね! ティマロ様は研究に研究を重ねて、この分量を定めたに違いありませんわ!」
確かに、そこまで辛みが増したという印象はない。ただ、味の奥深さが増しているのだ。
それはきっと、キミュスの皮を出汁に使ったことも影響しているのだろう。もとよりこちらはマツタケのごときアラルの茸と牡蠣のごときドエマの貝で出汁が取られていたのだ。そこにキミュスの皮も加えたならば、小さからぬ変化が生じて然りであった。
「ふむ……これは確かに、素晴らしい出来栄えですな。ティマロはもはや若年ならぬ身ですが、年々しっかりと腕を上げているようです」
そのように評したマルスタインが、遠い席にいるアルヴァッハに笑顔を送った。
「アルヴァッハ殿は、如何でありましょう? やはり、森辺の料理ほどはお口に合わないでしょうか?」
「否。素晴らしい、出来栄えである。のちほど、本人、感想、伝えたい、願っている。……そして、この場、アスタ、およびヴァルカス、意見、乞いたい、願っている」
と、アルヴァッハは炯々と光る青い瞳で、俺とヴァルカスを見比べてくる。
ヴァルカスが口を開こうとしないので、まず俺が答えることにした。
「自分も、素晴らしい出来栄えだと思います。以前よりも、いっそう深みが増しましたし……自分はキミュスの皮を取り扱う機会がほとんどないので、これほどの変化が望めるのかと驚きました」
「ふむ。アスタ、取り扱う、キミュス、骨ガラのみであるか?」
「はい。骨ガラでしたら、無料で引き取ることもできますので……森辺ではギバ肉が主体ですので、どうしてもキミュスやカロンにまで手が出ないのですよね」
「うむ。納得である」と、アルヴァッハはヴァルカスのほうに視線を転じた。
ぼんやりとした顔でティマロの力作をすすっていたヴァルカスは、しかたなさそうに口を開く。
「甘みと苦みと辛みの調和は、申し分ないように思います。これで酸味も加えることがかなったあかつきには、さらなる高みを目指せることでしょう」
「ふむ。こちらの料理、酸味、必要であろうか?」
「必ずしも、必要なわけではありません。ただし、酸味を織り込む道筋は見えています。そこに隙間が空いているような印象になってしまうのは、残念な限りです」
「なるほど! やはりヴァルカス殿は、我々よりもさらなる高みが見えておられるのですな!」
と、元気に割り込んだダカルマス殿下は、炊き込みシャスカをもりもり食していた。
「ただ、ティマロ殿の汁物料理はこちらのシャスカ料理ともきわめて相性がよろしいようです! 酸味まで織り込んでもなお、これほどの調和は望めるのでありましょうかな?」
ヴァルカスは小首を傾げつつ、炊き込みシャスカに手をつけた。
こちらは本当に、オーソドックスな仕上がりである。具材はタケノコのごときチャムチャムにニンジンのごときネェノンのみで、タウ油でほんのり風味がつけられている。肉類や山椒のごときココリは使われておらず、いかなるアレンジも感じられない素朴な味わいであった。
「……確かに、それなりの調和は果たせているようです。ただこれは、偶然の産物なのでは? それともティマロ殿は、こちらのシャスカ料理がともに供される前提で、ご自身の料理の味を決定したのでしょうか?」
「いえいえ! ティマロ殿もヴァルカス殿と同じく、この場で初めてシャスカ料理の存在をお知りになったはずですな!」
そんな風に答えながら、ダカルマス殿下はにっこり微笑んだ。
「ですがそれは偶然の産物というよりも、ティマロ殿の料理の懐の深さを示しているのではないでしょうかな! ヴァルカス殿の感じた隙間というのは、他なる料理との調和に必要な隙間であるのやもしれません! こちらの汁物料理は、さまざまなシャスカ料理やフワノ料理に調和するように思えてならないのです!」
「なるほど……わたしは自身の料理と他者の料理がともに食されることを前提にしていませんので、その隙間に意味や必然性を見いだせないようです」
「ヴァルカス殿の料理というものは、ご自身の皿の内で完成されておりますからな! それもまた、ひとつの至高の形であろうと愚考いたしますぞ!」
そう言って、ダカルマス殿下はいっそう楽しげに笑った。
「ともあれ、わたしはこちらの汁物料理を、きわめて美味だと思います! わずか10日でこれほどの飛躍を見せていることにも、感嘆せずにはいられません! ティマロ殿は、素晴らしい料理人であられますな!」
「ええ。少なくとも、数年前とは比較にならない手腕であるかと思います。……あの頃は、論ずるにも値しない出来栄えでしたので」
意図的なのかそうでないのか、どうもティマロに対しては辛辣なヴァルカスである。
しかし俺も、ダカルマス殿下と同じような心境だ。ティマロの料理は複雑かつ繊細な味を守りながら、また一歩普遍的な美味しさに近づいたように思えてならなかった。
そして、ダカルマス殿下の最後の言葉は伝令役の小姓たちによってリレー形式で本人にまで伝えられる。正面の貴賓たちと言葉を交わしていたティマロが腰を浮かせながら一礼すると、ダカルマス殿下は笑顔で鷹揚に手を振った。
「では、次の料理をいただきましょう! 次は、たしか――」
「ネイル様の料理ですわ! 父様は、織布の準備をお忘れなく!」
まずは予選大会を勝ち抜いた両者の料理が供されるようである。
やがて運ばれてきたのは、前回と同じく具材をポイタンの皮で包んだ軽食だ。具材は真っ赤で、ハバネロのごときギラ=イラがふんだんに使われており、前回と大きな違いも存在しないようであった。
ただ、見事な出来栄えであるのは確かである。他なる香草の苦みや果汁の甘さなどでギラ=イラの辛みが中和されており、その風味や旨みがしっかりと活かされている。カロン乳の香りが濃厚な甘い焼きポイタンとの楽しい相性にも、変わりはなかった。
「ヴァルカス殿は、こちらの料理にも不満をお持ちなのですな?」
汗をふきふきダカルマス殿下が問いかけると、ヴァルカスは変わらぬ調子で「はい」と答えた。
「ですが、ひとつの完成は目前であるように感じられます。だからこそ、もどかしく感じてやまないのです。……ちょっとネイル殿と言葉を交わしてきてもよろしいでしょうか?」
「それはどうか、のちの楽しみとしてください! アルヴァッハ殿は、如何でありましょうかな?」
「うむ。不満、見当たらない。素晴らしい、完成度である」
おそらく前回の予選大会で、長広舌はお披露目済みであるのだろう。アルヴァッハはともに供された花蜜入りのカロン乳に頼ることなく、ネイルの料理を完食していた。
なかなか出番の巡ってこないフェルメスは、そのかたわらで時おり炊き込みシャスカをついばんでいる。ティマロの料理もネイルの料理もギバ肉を使っているため、フェルメスには食することができないのだ。予選大会においても、彼は菓子しか口にしていないはずであった。
そしてこちらでは、ナイフと突き匙でひと口だけ料理を食したアイ=ファが、一瞬の隙を突いて俺のほうに皿を押しやってくる。これだけたくさんの人間と同じ卓を囲んでいるのに、誰にも気づかれた気配はない。そんなスキルを発揮してまで、アイ=ファは自分の舌を守ってみせたのだった。
「では次は、いよいよナウディス殿の料理でありますぞ!」
ダカルマス殿下がそのように宣言すると、ナウディスの伴侶が背筋をのばした。
それをなだめるように、デルシェア姫が明るく笑いかける。
「レイナ=ルウ様の料理もちょっと辛みが強そうでしたので、間にナウディス様の料理をはさませていただいたのです! どのような味わいであるのか、胸が弾んでなりませんわ!」
「は、はあ……お口に合えば、幸いですねぇ」
ナウディスの伴侶は、おずおずと微笑む。王家の父娘がずっと朗らかな空気を振りまいているので、少しずつ緊張も解けてきたのだろう。
そんな中、ナウディスの料理が並べられていく。こちらもまた、彼が得意にする『ギバの角煮』の発展版であるようであった。
「ふむふむ! こちらは昨年の試食会で第3位を獲得された煮込み料理と同系統の品であるようですな! ただし、香りからしてまったく異なっておりますぞ!」
「はいはい。昨年はタウ油を主体にしておりましたが、こちらはミソとマロマロのチット漬けを主体にしております」
ナウディスは普段通りの柔和な面持ちで、そのように解説した。
デルシェア姫は期待に瞳を輝かせており、プラティカは鋭く目をすがめている。ここからは、誰もが初めて口にする料理であるのだ。
外見上は、ごく尋常なミソの煮込み料理である。豆板醤に似たマロマロのチット漬けは、それほど多量には使っていないのだろう。分厚いギバのバラ肉と付け合わせの野菜が、濃い褐色の煮汁を纏って艶やかに照り輝いている。具材には、アスパラガスのごときドミュグド、チンゲンサイのごときバンベ、ゴーヤのごときカザックといった新たな食材も見受けられた。
「このたび手にした食材のおかげをもちまして、こちらの料理はますますわたしどもの宿で人気を博することがかないました。このように素晴らしい食材をジェノスに届けてくださって、皆々様には心より感謝しております」
「ナウディス殿にそのように言っていただけるのは、光栄な限りですな! では、その人気の品を我々もいただきましょう!」
ダカルマス殿下の号令で、俺たちもそちらの料理を口にした。
まず印象的であるのは、肉の食感だ。ナウディスは今回も、蜜漬けにしたギバ肉を使用していた。森辺では活用の機会が少ない、城下町から伝えられた作法である。普通に煮込むよりやわらかいぐらいであるのに、噛むとぷちぷち弾けるような食感が生じる、この世界ならではの不思議な作用であった。
その楽しい食感をしたバラ肉に、煮汁の味がしっかりとしみ込んでいる。その味わいもまた、素晴らしいのひと言であった。主体となるのはミソであるが、そこにさまざまな調味料が加えられて、優しくも力強い味わいが完成されているのだ。
ミソ独特の風味と香ばしさに、とてもやわらかな甘み――これはまた、干し柿のごときマトラが使われているのだろう。ナウディスいわく、蜜漬けにしたギバ肉には砂糖の甘みが合わないようであるのだ。それに、砂糖やジャガルの蒸留酒を手にしてからは使用の必要がなくなった赤い果実酒を復活させたようであるし――俺が最初に伝えた『ギバの角煮』にさまざまな趣向を凝らして、理想の味を追い求めたという印象であった。
そして、ポイントとなるのは後味の辛みだ。
料理を頬張っている間は辛みも感じないのに、それを呑み込むとわずかな辛みが後味として残される。それが、豆板醤のごときマロマロのチット漬けの効能なのだろう。もちろんそれ以外の部分でも、マロマロのチット漬けが隠し味としてこの美味しさを支えているのだろうと思われた。
それに、ゴマ油のごときホボイ油やピーナッツオイルのごときラマンパ油の風味も豊かである。さらに、この味の奥深さは――マツタケのごときアラルの茸や牡蠣のごときドエマの貝の出汁を使っているのだろうか。俺はそれらの出汁を使っているティマロやボズルの料理を連想せずにはいられなかった。
とにかくこれは、素晴らしい出来栄えである。
野菜の具材と煮汁の相性も、申し分ない。炊き込みシャスカではなく、白米をかきこみたくなるような味わいだ。しかしもちろん炊き込みシャスカでも、それに近い満足感を得ることができた。
「素晴らしい……これは、素晴らしい出来栄えですぞ! まったく文句なく、美味なる味わいであります!」
ダカルマス殿下も、輝くような笑顔でそのように言い放つ。
それで、おずおずと様子をうかがっていたナウディスの伴侶もほっとしたように笑みを浮かべかけたが――突如として鳴り響いた重々しい詠唱のごとき声音に、身をすくめてしまう。何の前触れもなしに、アルヴァッハが東の言葉で語り始めたのだ。
「アルヴァッハの非礼、我から、詫びさせていただく」
ナナクエムは、溜息をこらえているような面持ちでそのように告げてきた。
優美なる微笑とともにアルヴァッハの長広舌を聞いていたフェルメスは、その口が閉ざされると同時に通訳を開始する。
「では、アルヴァッハ殿のお言葉を通訳させていただきます。……まず、こちらの料理は素晴らしい出来栄えである。ミゾを主体とした料理の中では、屈指の出来栄えであろう。調味液の配合も、蜜漬けにした肉の食感も、選別された具材との相性も、どこにも不備は見受けられない。こちらは宿屋の献立に相応しい純朴かつ力強い味わいであるが、これほどの完成度であれば宴料理としてもまったく不足はなかろう。昨年の試食会にてレイナ=ルウをも下したナウディスの力量というものは、かねてより気にかかっていたのだが……これは、想像以上である。今日という日まで《南の大樹亭》まで足をのばさなかったことを、悔いるばかりである。ナウディスは、ジェノスで第3位という座に相応しい料理人である」
「いえいえ、とんでもございません」
ナウディスが恐縮しながら頭を下げるのを待ってから、フェルメスはさらに続けた。
「これはきっと、ナウディスの人柄というものも大きく作用しているのであろう。こちらの料理はきわめて力強い印象でありながら、とても温かな情感を覚えてやまない。長旅で疲れ果てた旅人たちが宿屋でこちらの料理を食したならば、望郷の涙を流すのではないだろうか? ミソというのは新参の食材であるため、誰にとっても故郷の味にはなりえないはずであるのだが……しかし我は、郷愁の思いにとらわれてやまない。それはすなわち、こちらの料理が備えている家庭的な気配に根差しているのであろう。これは、森辺の料理にも通ずる感覚であるのだが……それでいて、似て異なる空気にもあふれかえっている。それは、数十年にわたって宿屋の主人として働いてきたナウディスの、客をもてなそうという思いの果てに結実したものなのであろうと推察する」
そうしてさらに具材との相性まで事細かく論評してから、フェルメスは口を閉ざした。
初めてアルヴァッハの長広舌にさらされたナウディスとその伴侶は、我に返った様子で一礼する。すると、ダカルマス殿下が陽気な笑い声を響かせた。
「このたびの論評は、普段以上に叙情的であられましたな! ですがわたしも、同じような心地でありますぞ! そして、料理の素晴らしさに対してはまったく同じ心持ちでありますな!」
「うむ。素晴らしい、出来栄えである」
「ええ、本当に! ……ヴァルカス殿は、こちらの料理にもご不満でありましょうかな?」
「不満なわけではありません。ただし、わたしの目指す料理とは、ずいぶん趣が異なっているようです」
ヴァルカスは、茫洋とした声でそのように答えた。
「ですが……これはきっと、先日のボズルよりも完成度の高い料理であるのでしょう。わたしの好みには合いませんが、数多くの方々から好評をいただけるのではないかと思います」
「ヴァ、ヴァルカス! それはあまりに……」
と、シリィ=ロウが珍しく眉を下げてしまう。
しかし、料理の出来に関して、ヴァルカスは容赦なかった。たしか昨年の試食会では、ボズルの料理を褒めちぎっていたはずなので――それは、ヴァルカスが常に厳格に判断を下している証拠でもあるはずであった。
「こちらの料理もボズルの料理も、いわばジャガル料理の亜種でありましょう。ボズルはジャガル料理の力強さに気品を、ナウディスという御方は家庭的な温もりを付加させたようですが、より完成度が高いのはこちらの料理です。ボズルはまだまだ、修練が足りていないようですね」
「それはやはり、おたがいの立場というものが関わっているのではないでしょうかな?」
ナウディスが、柔和な笑顔でそっと言葉を差し込んだ。
「ボズルという御方はあなたの弟子として働きながら、さまざまな料理の研究に取り組んでおられるのでしょう? いっぽうわたしは、思いのままに時間を使うことができますし……それにわたしは、ギバのかくににひときわ注力しているのです。きっと汁物料理や焼き物料理などでしたら、ボズルという御方はわたしなど足もとにも及ばない料理をいくらでも作りあげられるのではないでしょうかな?」
ヴァルカスは、ぼんやりとナウディスのほうを振り返った。
「……失礼。あなたは?」
「はい? わたしは、ナウディスと申しますが」
「ああ、あなたがこちらの料理を作られた御方であったのですか。それは失礼いたしました」
俺は思わず、卓に突っ伏してしまいそうだった。
さすがのアイ=ファも、呆れ返ったようにヴァルカスを凝視している。
そしてそこに、ダカルマス殿下の笑い声が響きわたった。
「確かにこちらの料理であれば、ボズル殿の先日の料理よりも多くの星を獲得できたのやもしれませんな! そして実際、昨年の試食会においてもナウディス殿はボズル殿よりも多くの星を獲得しておられるのです! ですが、それを今さらあげつらう必要はありますまい!」
「そうですわね! それに、昨年の試食会はわずか3票の差だったのですから! 1票差であったレイナ=ルウ様も、2票差であったティマロ様やマルフィラ=ナハム様も、みなさん素晴らしい手腕をお持ちであるはずです!」
デルシェア姫も、笑顔でそのように言い添えた。
「同じ《銀星堂》であられるヴァルカス様やシリィ=ロウ様は、どうしてもボズル様の去就を気にかけてしまわれるのでしょうけれども! 数ある料理の中からひと品だけを供して腕を競う試食会だけで、料理人としてのすべての力量をはかれる道理はありません! どうか試食会だけの結果にとらわれず、それぞれのお立場に相応しい形で研究や修練をお進めください!」
シリィ=ロウは凛々しい表情を取り戻して、一礼した。
いっぽうヴァルカスは周囲の言葉が理解できているのやらいないのやら、ぼんやりとした顔で頭を下げる。そろそろ体力が限界であるのか、あるいは普段通りのヴァルカスであるのかも、俺にはあまり判然としなかった。
(なんか、ヴァルカスがひとりで場を引っかき回してるような感じだな)
しかし、それもしかたがない。何せ、ヴァルカスはヴァルカスなのである。ヴァルカスをこの場に呼びつけたのはダカルマス殿下であるのだから、この奇矯な人柄まで込みで楽しんでもらうしかないのかもしれなかった。