大試食会③~宴の始まり~
2023.1/4 更新分 1/1
調理の作業でどっぷりと汗をかいた俺たちは、もういっぺん浴堂を使わせてもらうことにした。
ルウやディンの面々はまだ仕事のさなかであるので、俺はチム=スドラとふたりきりだ。すると、もうもうとわきたつ蒸気の中で、チム=スドラがはにかむような笑顔を見せてくれた。
「今日は50名以上の同胞がこの場に参じているというのに、こうして俺ばかりがアスタとふたりきりの時間を過ごせるというのは、何だか得をした気分だな」
「あはは。俺もチム=スドラに同行してもらえて、嬉しいよ」
質実で純朴なチム=スドラは、ルド=ルウやシン・ルウ=シンともまた異なる魅力を持つ若者である。婚儀を挙げて以来すっかり沈着さを増しているが、時おりこういう温かな言葉で俺の心を満たしてくれるのだった。
そんなチム=スドラとともに浴堂を出ると、それぞれ宴衣装が準備されている。
チム=スドラはゆったりとしたセルヴァ伝統の宴衣装であり、俺は――またもや新手の宴衣装であった。
「まいったなぁ。まだ一回しか着ていない宴衣装がどっさりあるのに」
本日の宴衣装は、どこか武官の礼服を思わせるかっちりとした様式であった。詰襟で、長袖で、胸もとには勲章を思わせる飾り物がいくつも装着されている。そしてその色彩は、当然のように漆黒を基調にしていた。
「ふむ。確かにそれは、武官という身分の人間が纏う装束に似ているようだな。しかしまあ、アスタもすっかり風格が出てきたので、きっと似合わないことはないように思うぞ」
「うーん。でもやっぱり、一介のかまど番には仰々しく思えちゃうなぁ」
俺はそんな不満をこぼしたが、まあ普段の宴衣装だって分不相応であることに変わりはないのだ。そして、準備された宴衣装をお断りするというのは、今のところ前例がなかったのだった。
ということで、俺はまな板の鯉の精神で着付けをしていただく。そちらの宴衣装も生地そのものは薄手であったので肩が凝ることはなかったが、しかしやっぱり普段よりもいっそう仰々しい仕上がりであった。
いっぽうチム=スドラは、より軽やかな素材で仕立てられた長衣と袖なしの上衣というセットである。かえすがえすも、おたがいの宴衣装を交換したほうがしっくりくるように思えてならなかった。
そうしてお召し替えを終えた俺とチム=スドラは、小姓の先導で控えの間に案内される。
その先に待ちかまえていたのは、立派な両開きの扉である。本日は森辺の民だけで54名という人数であったため、ちょっとした広間がそのまま控えの間として使われていたのだった。
そちらでは、すでにたくさんの男衆が控えている。日中から貴族と交流に励んでいたメンバーだ。宴衣装に身を包んだ森辺の男衆ばかりが10名以上も居揃っているというのは、なかなかの壮観であった。
「アスタは、早かったな。レイナたちは、定刻ぎりぎりまでかかるようだ」
そのように語りかけてきたジザ=ルウは、闘技会の祝賀会でお披露目された和装のごとき宴衣装であった。ゆったりとした長羽織めいた上衣に、ざっくりと胸もとが開いた前合わせの胴衣とバルーンパンツめいた脚衣という組み合わせで、あちこちに豪華絢爛な刺繍が施されており、胸もとや手首には数々の飾り物がさげられている。刺繍の柄がエスニックであるため、和服とどこかの民族衣装を掛け合わせたような、この世界ならではの様式であった。
その他にも、ダリ=サウティやラウ=レイやゲオル=ザザが同じ宴衣装を纏っている。ただし、生まれ月によって色彩が異なるため、いっそう豪奢な印象になっていた。
それ以外の面々は、みんなチム=スドラと同じくセルヴァ伝統の宴衣装である。ゆったりとしたデザインであるこちらの宴衣装は細かく採寸する必要がないので、こういう際に重宝されているのだ。
「ほう。アスタは族長ダリ=サウティらと同じ格好かと思いきや、また新たな宴衣装が準備されたのか。……それとも俺が見知っていないだけで、前々から準備されていた宴衣装であるのか?」
そんな声を投げかけてきたのは、ラヴィッツの長兄である。好奇心の旺盛な彼も、交流の場に参加していたのだ。セルヴァ伝統の宴衣装を纏った彼は、今回も落ち武者を思わせる金褐色の髪を油できれいに整えられていた。
「いえ。まさしく新調された宴衣装となります。いつも以上に仰々しい様式で、心苦しい限りですね」
「ふふん。やはり、そうであったか。まあ、これだけ大きな祝宴であればティカトラスもアイ=ファに新たな宴衣装を準備しそうなところであるし、それならばお前も一蓮托生であろうからな」
ラヴィッツの長兄は、何かをたくらんでいるような顔でにんまりと笑った。これが彼の、デフォルトの笑顔である。
それ以外に顔をそろえているのは、ガズラン=ルティム、シン・ルウ=シン、モラ=ナハム、ラッツの家長、リッド、ディン、ガズ、マトゥアの長兄――そして、これが初の参席となるミーマの長兄だ。彼は親筋たるラッツの家長のお供として、交流の場に引っ張り出されていた。
「貴族との交流の場は、いかがでしたか? 祝宴の場よりもじっくり語らえて、実りも多かったのではないですか?」
俺がそのように問いかけると、ラヴィッツの長兄はいつもの調子で「ははん」と肩をすくめた。
「まあ、じっくり語らえたのは確かだが、今日はヤミル=レイの姿がないと言って、ティカトラスが物足りなさそうにしていたぞ」
「ああ、今日はヤミル=レイも調理の仕事がありましたからね。でも、レム=ドムはいたのでしょう?」
「俺はザザの血族と別の組であったので、知らん。そちらでは、脂下がった顔を見せていたのかもな」
森辺の男衆もこれだけの人数であるので、数名ずつに分かれてさまざまな相手と順番に語らってきたのだ。ジェノスの貴族、南の王都、ゲルド、ダーム公爵家、バナーム侯爵家と、語らう相手にも不足はしなかったはずであった。
「確かにヤミル=レイは社交の術に長けているので、ティカトラスのみならず残念に思った方々も多かったことでしょう。ララ=ルウともども、祝宴の場で大いに語らってもらいたく思います」
と、さりげなく接近してきたガズラン=ルティムがそんな風に補足しながら、穏やかな笑いを含んだ目でラヴィッツの長兄を見やった。
「ですが、あなたも会話の巧みさはヤミル=レイに引けを取りません。あなたのような方が力を添えてくれることを、心強く感じます」
「ふん。お前などに言われても、皮肉だとしか思えんな。お前こそ、貴族さながらの弁舌だったではないか」
「私などは、手探りで言葉を選ぶばかりです。ですが、貴族の方々もおおよそ森辺の民に親愛を抱いてくださっているので、得難い限りですね」
両者はそれぞれ趣の異なる謙遜の姿勢を見せていたが、俺にしてみればどちらも心強い限りである。誰よりも明哲なガズラン=ルティムはもちろん、やたらと目端のきくラヴィッツの長兄も外交役にはうってつけであるはずであった。
「残念がると言えば、今日はシュミラル=リリンが参じていないので、ゲルドの方々が残念がっていたようでした」
「ああ、そうなのですか。でも、特別枠で招待したりはしなかったのですね」
「今日の祝宴はダカルマスの主催であるため、アルヴァッハたちもなるべく身をつつしもうと考えているのでしょう」
「ふふん。それに引き換え、ティカトラスは遠慮なくレイの両名を呼びつけたわけか。……まあ、東の人間は西の人間よりも身をつつしむ必要があるのだろうな」
「そうですね。きっとダカルマス本人は何も気にしないのでしょうが、ロブロスたちの目もありますし……また、ダカルマスらの人柄とは関係なく、アルヴァッハたちはゲルドの貴人として身をつつしむ必要があるのでしょう」
やはりこちらの両名が居揃うと、世間話の雑談でも含蓄のある言葉が飛び交うようである。
俺がそれを拝聴していると、回廊に通じる立派な扉がノックされた。
アイ=ファたちの着替えが終わったのかと期待してしまったが、姿を現したのは小姓の少年である。
「失礼いたします。宿場町の方々に力添えをされたご婦人がたのお連れ様は、別室に移動をお願いできますでしょうか?」
「ああ、そちらの女衆は宿場町の面々とともに入場するという話であったな。承知した」
ダリ=サウティが鷹揚に応じると、3名の男衆が進み出た。この中で該当するのは、ラッツの家長、ミームの長兄、ガズの長兄という顔ぶれだ。残りの6名は、それぞれ厨の女衆に付き添っているはずであった。
「では、またのちほどな!」と陽気に声をあげるラッツの家長を先頭に、それらの男衆は退室していった。
それと入れ替わりで、ゼイ=ディンとディック=ドムがやってくる。彼らは、トゥール=ディンたちの厨の護衛役であったのだ。ゼイ=ディンは和装めいた宴衣装、ディック=ドムはセルヴァ伝統の宴衣装であった。
「こちらの作業も、無事に終了した。……レムはいずこに姿を消したのだ?」
「ああ。男衆ばかりでは息が詰まるので、着替えの間で他の女衆を待つと言っていたぞ。狩人を志しているくせに、そういう部分には女衆らしさが残されているようだ」
ゲオル=ザザの返答に、ディック=ドムは「そうか」と重々しく首肯した。
「まあ、あいつは女衆に慕っている相手が多いからな。語らいの場でも、問題はなかったであろうか?」
「ああ。あいつは存外、貴族とも気が合うようだからな。気が荒いと言っても俺ほどではなかろうし、取り立てて問題はなかったぞ」
「そうか。それなら、何よりだ」
石像を思わせる無表情のまま、ディック=ドムはわずかながらに安堵の思いをにじませた。レム=ドムはずいぶん貴族の面々に気に入られているようだが、兄としては心配な面もあるのだろう。それでも彼は交流の場をディンやリッドの長兄たちに譲って、ゼイ=ディンともども護衛の役目を担ったようであった。
そして――そこでようやく、アイ=ファたちが到着した。
もともとのメンバーにレム=ドムを加えて、7名だ。それだけで、一気に広大なる控えのスペースが華やいだように感じられた。
マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥア、それにフェイ・ベイム=ナハムはセルヴァ伝統の宴衣装である。全体の様式は男衆と大きく変わらないが、こちらはいっそう薄手で天女の羽衣を思わせる流麗さであった。
ユン=スドラとサウティ分家の末妹は、和装めいた宴衣装だ。こちらは男衆といくぶん趣が異なっており、絢爛な長羽織めいた上衣は同一であるものの、前合わせの胴衣は胸の谷間からおへそまで見えるぐらい大胆に開かれており、裾は足首まで達するほど長いのに、片足がまるまる露出するようにはだけられている。若年であるサウティ分家の末妹はつつましく胸もとが閉じられているのだが、ユン=スドラのほうは容赦のない露出度でとても恥ずかしそうにしていた。
そして、『麗風の会』で初めて女性用の宴衣装を準備されたレム=ドムは、また新たな格好に身を包んでいる。基本の様式はジェノスでオーソドックスなパーティードレスのようなデザインであるが、襟や袖口にフリルがたなびき、どこかアラビア風の雰囲気を漂わせた――これは、茶の月の試食の祝宴でアイ=ファやヤミル=レイに贈られた宴衣装と同系統のデザインであった。カラーリングは以前と同様に、黒を基調にしている。
それで、アイ=ファである。
もちろんアイ=ファも、新たな宴衣装であったのだが――一番最後に扉をくぐったアイ=ファの姿に、俺は心臓を射抜かれてしまった。
基本の様式は、それほど目新しくはない。襟ぐりがあいていて、スカートは大輪のようにふくらんだ、ジェノスでもっとも一般的な宴衣装である。アイ=ファはすでに同じ様式の宴衣装を、赤、青、黄と3着もプレゼントされていた。
ただそれは、これまででもっとも鮮烈なカラーリングをしていた。
それは――すべてが純白で構成されていたのだ。
飾り物は銀で統一されていたので、純白の印象をまったく邪魔していない。
スカートのひだには半透明の織物も織り込まれていたが、それも純白のきらめきを際立たせるばかりだ。
金褐色の長い髪はほどかれて、そこにも銀の飾りで半透明のヴェールがかぶせられている。
右のこめかみに輝くのは、俺が贈った透明の花の髪飾りだ。
大きく開いた胸もとには、銀の装飾で彩られた青い石がきらめいている。衣装の中で純白と銀色でないのは、その青い石のみであった。
城下町の作法でしずしずと近づいてきたアイ=ファは、いくぶん不満げな目つきで俺のことを見据えてきた。
「……今日は、そういった宴衣装であったのだな」
「え……なに……?」
「何ではない。ただ、首もとが窮屈そうだと気の毒に思ったまでだ」
俺は自分の咽喉もとをまさぐってから、「ああ……」とぎこちなく微笑んだ。
「そうだな。こういう宴衣装だと、首飾りも見えなくなっちゃうけど……もちろんアイ=ファからもらった首飾りを外したりはしていないよ」
「……お前は、どうしたのだ? どこか夢に浮かされているような面持ちになっているぞ」
と、アイ=ファが顔を近づけながら囁きかけてきたので、俺は懸命に気持ちを立て直した。
「う、うん。大した話じゃない……ことはないんだけど……うん、でもそんな、アイ=ファが気にするような話ではないからさ」
「……そのように心を乱しているお前を見て、私が気にせずにいられると思うのか?」
アイ=ファはちょっぴりすねたような面持ちになって、さらに顔を近づけてくる。
それで俺は、いっそう心臓を騒がせることになってしまった。
「そ、それじゃあ白状するけど……これは、俺のせいじゃないからな? 俺に怒ったりしないでくれよ?」
「お前に非がないというのなら、私が怒る筋合いはなかろう」
「それじゃあ、ちょっと耳を貸してくれ」
俺はどくどくと脈打つ心臓をこらえながら、アイ=ファの耳もとに口を寄せた。
「俺の故郷では……純白の宴衣装ってのは、花嫁衣裳の定番だったんだよ」
アイ=ファはたちまち真っ赤になって、俺に詰め寄ってきた。
俺はそれを抱きとめたい衝動を何とかこらえながら、後ずさる。
「ほ、本当のことなんだから、しかたないだろう? でも、こっちじゃ関係ないだろうから……アイ=ファが気にすることはないさ」
アイ=ファは赤い顔で口をぱくぱくさせたが、けっきょく何も反論の言葉を思いつけないようであった。
俺は自分の頭を引っかき回しながら、何とか穏便な着地点を模索する。
「えーと、テリア=マスも婚儀なんかでは、白っぽい宴衣装が持ち出されてたけど……たしか、白ずくめってわけじゃなかったよな。むしろ、黄色のほうが目立ってる感じじゃなかったっけ?」
「……以前にティカトラスが、婚姻を司るのは月神エイラであると申し述べていた覚えがある。その月神エイラを象徴するのは、たしか黄色であったはずだ」
「なるほどなるほど。アイ=ファの記憶力は、さすがだなぁ」
そうして俺たちが覚束ない調子で言葉を交わしていると、にやにや笑ったレム=ドムが近づいてきた。
「あなたたちは、何をこそこそ語らっているのよ? おたがいの宴衣装でも褒め合っているのかしら?」
「いや、なんでもないよ! レム=ドムも、また新しい宴衣装を準備されちゃったんだね!」
「ええ。2回連続で同じ宴衣装を着回すのは貧乏たらしいなどと言って、ティカトラスが準備させたそうよ。まったくもって、酔狂な貴族よね」
そう言って、レム=ドムはいっそう皮肉っぽく唇を吊り上げた。
「それにしても、あなたがたは白と黒で正反対なのね。男女で対と考えているなら、いっそ同じ色にしてしまえばいいのに。これじゃあまるで、わたしとアスタが対の男女みたいじゃない?」
「いやいや! 俺まで白い宴衣装だったら、それこそ大ごと……いや、なんでもない!」
「あなたは何を取り乱しているのかしら? まあ、わたしは愉快な心地だから、いっこうにかまわないけれど」
レム=ドムは黒褐色の長い髪をかきあげながら、くすくすと笑った。そうすると皮肉の成分が消えて、ちょっと幼げにさえ見える。
「ちなみにユン=スドラは、かねてより準備されていたものがお披露目されたそうよ。そういえば、あの奇妙な宴衣装が準備された闘技会の祝賀会では、ユン=スドラも招かれていなかったものね。あんな奇妙な宴衣装は西の王都でしか仕立てられないから、ティカトラスはすべて復活祭の間に準備したらしいわ」
「へえ、そうなんだね。そんな話を、どこで仕入れてきたんだい?」
「アイ=ファたちを待っている間に、侍女やら何やらと語らっていたのよ。侍女や小姓が噂好きというのは、どうやら真実であるようね」
レム=ドムとたわいのない話題に興じている間に、俺もようやく動悸が収まってきた。アイ=ファも何とか、顔色が戻ったようである。
そんな中、残りの一団も続々と到着する。
最初にやってきたのはザザの血族の女衆で、トゥール=ディンとスフィラ=ザザが和装めいた宴衣装、残りの4名がセルヴァ伝統の宴衣装という、付添の狩人たちとペアになるいでたちだ。
そしてさらに、ルウの血族は男女まとめてやってくる。今日はアイ=ファが別行動であったので、女衆の着替えが終わるのを待って同行したのだろう。そちらもやはり、レイナ=ルウとヤミル=レイだけが和装めいた宴衣装であった。
「なんだ、アスタたちはまた新しい宴衣装かよー。毎回毎回、ご苦労なこったなー」
そのように語るルド=ルウは、ジーダともどもセルヴァ伝統の宴衣装だ。ルウの血族においては、レイナ=ルウとヤミル=レイのパートナーたるジザ=ルウとラウ=レイだけが和装めいた宴衣装を準備されているのだった。
(ティカトラスは、まず気に入った女衆ありきだもんな。例外は……族長筋のサウティとザザ、それとトゥール=ディンたちぐらいか)
スフィラ=ザザやサウティ分家の末妹は、そうまでティカトラスの目に止まったわけではない。ただ族長筋の代表として祝宴に招かれる機会が多いため、ジザ=ルウやレイナ=ルウに見劣りしないように同じだけの宴衣装を準備されたという印象であった。トゥール=ディンとゼイ=ディンも同じような理屈で、俺やアイ=ファに見劣りしない宴衣装が準備されたのだろう。
ただ今回は、和装めいた宴衣装とセルヴァ伝統の宴衣装で二分されている。男女10名が和装めいた宴衣装、残りの面々がセルヴァ伝統の宴衣装という配分であり――そして、俺とアイ=ファとレム=ドムだけがそのどちらでもない新たな宴衣装を準備されていたわけであった。
「今日のわたしは、ジーンの女衆の付き添いだからね。わたしが男衆と対だったら、そちらにも新たな宴衣装が準備されていたということなのかしら」
まだ俺とアイ=ファのそばにいたレム=ドムが、剥き出しの肩をすくめつつそんな風に発言した。
「それに、ティカトラスみたいな格好をさせられた人間は、この場に9名しかいないようよ。いったい誰があぶれているのかしらね」
「え? そんなはずはないと思うけど……」
俺も視線を巡らせてみたが、この人数では判然としない。
するとアイ=ファが、いかにもどうでもよさげな調子で解答を示してくれた。
「以前から、ユン=スドラの付き添いはジョウ=ランが務めていた。おそらくは、あやつに新たな宴衣装が準備されていたのであろう」
「ああ、なるほど。それでティカトラスの見込みが外れたわけか」
そのジョウ=ランは《ランドルの長耳亭》を手伝うチームであり、けっきょくこちらには姿を見せなかったのだ。今頃は宿場町の陣営が集められた控えの間で、どうして自分だけ異なる宴衣装なのだろうと小首を傾げているのかもしれなかった。
しかしまあ、男女のペアで宴衣装をそろえるというのも、ティカトラス個人のこだわりなのである。そのようなことを気にかける人間は、森辺にひとりとして存在しないはずであった。
「それでは、こちらにどうぞ。入場のご案内をいたします」
やがて再訪した小姓の案内で、俺たちはようやく回廊に連れ出された。
宿屋の陣営と別行動でも、36名という大人数だ。そしてやっぱり俺としては、純白の姿でしずしずと歩くアイ=ファの姿に胸を高鳴らさせずにはいられなかった。
「まずはルウの血族の方々、次にザザの血族の方々、最後にファの家のアスタ様のご一行という順番でお願いいたします」
やがて大きな扉の前に到着すると、小姓からそのように説明された。
まあ、立場のある面々から先に入場するというのは、いつものことである。それで俺は何の気もなしに列を作ったが、かたわらのアイ=ファは「ふむ」と思案顔をしていた。
「通常であれば、族長のダリ=サウティが先頭に立たされていたはずだ。それが女衆ともども、こちらの組に割り振られたということは……このたびは、常とは異なる様式であるのやもしれんな」
「うん? それじゃあ、どういう様式だと思うんだ?」
「あくまで私の想像に過ぎんが、貴族というのは格が高い人間ほど後から入場するものであろう? このたびは、かまど番の格で入場の順番が定められたのではないだろうか」
かまど番の格――俺とトゥール=ディンはそれぞれの試食会で優勝を飾っており、レイナ=ルウは第4位である。2位と3位はヴァルカスとナウディスであるので、森辺内の序列で言えば確かにこの順番になるわけであった。
しかしそれもまた、森辺の民にとってはどうでもいいことだ。森辺の民としては珍しいぐらい名誉欲というものを持ち合わせているレイナ=ルウでも、まさか屈辱に打ち震えることはないだろう。試食会という名の力比べでどのような順位になろうとも、決して恥にはならないのだった。
そんなレイナ=ルウとジザ=ルウのペアから、森辺の民の入場が開始される。
ひと組ずつ名前を紹介されているらしく、進行はゆっくりだ。最後のグループの先頭に立たされた俺は、アイ=ファとともに少しずつ前進していくことになった。
ルウの血族の12名、ザザの血族の12名が入場したならば、ついに俺たちの出番である。
「森辺の料理人アスタ様、付添人のアイ=ファ様」という小姓の澄みわたった声とともに、俺たちは扉の向こうに足を踏み出した。
会場には、すでに大変な熱気が渦巻いている。
300名からの人間が織り成す、熱気と活力である。今日は貴族ならぬ人間も数多く参じているため、いっそう雑多な賑わいであった。
黒装束の俺と白装束のアイ=ファが大広間を突き進むと、感嘆の眼差しとざわめきが追いかけてくる。この上なく美麗な姿をしたアイ=ファとともにあれば、これが当然の話であるのだ。ただこれだけの人数に迎えられるのは礼賛の祝宴以来であったので、普段以上の熱烈さであった。
あちこちに並んだ小姓や侍女の誘導で、俺とアイ=ファは大広間の奥へ奥へと進んでいく。その間に、残りのメンバーも続々と入場を始めていた。そちらの紹介はすべて「調理助手」という肩書きで、ダリ=サウティも「森辺の族長」という冠がつけられたのみであった。
やがて到着したのは、広場の最奥部である。
入場口から見て右側の壁沿いに、料理人の一行が立ち並んでいる。手前から、宿場町、城下町、森辺の陣営という並びであり、俺とアイ=ファがもっとも奥側に立つ格好であった。
俺たちの視線の先には、すでに貴族の面々も立ち並んでいる。ジェノス侯爵家はおろか、外来の客人たちも勢ぞろいしているようだ。どうやらすべての貴族や王族が入場した後に、料理人の入場が始められたようであった。
(これは確かに、料理人が主役の祝宴ってわけか)
料理人の一団は、その前面に責任者が立ち並んでいる。ランディ、ネイル、ナウディス、ヤン、ティマロ、ヴァルカス、レイナ=ルウ、トゥール=ディン、俺の9名が付添人とともに立ち、その後方に調理助手が控えているのだ。後から入場したユン=スドラたちも、侍女の案内でそのように並ばされていた。
大広間の中央に集った面々は、誰もがこちらに視線を向けている。それこそ俺は、品定めされている料理そのものの心境であった。それぐらい、人々の目は熱っぽいものをはらんでおり――そしてその奥に、食欲をみなぎらせているように思えてならなかったのだった。
「……以上。こちらが本日の宴料理をご準備くださった、9組の方々です」
やがて最後に入場したレイ=マトゥアとその兄が定位置に収まると、触れ係の小姓がそのように宣言した。
会場からは、盛大に拍手が鳴らされる。これもまた、貴族ならぬ人間が多いために普段以上の熱量であった。
「今日という日を無事に迎えられて、心より喜ばしく思っておりますぞ! まずは、この日のために素晴らしい料理を準備してくださった9名の方々とその助手の方々に、感謝の言葉を捧げさせていただきたく思います!」
ダカルマス殿下が元気な声を張り上げると、拍手が波のように引いていった。
「本日の祝宴は、大試食会と銘打たせていただきました! 我が南の王国におきましても、これほどの規模の大試食会を開くことは稀であります! 本日列席してくださった方々に大試食会の意義と喜びをお伝えすることができましたら、心より嬉しく思いますぞ!」
そのように語るダカルマス殿下は、地上に落ちた太陽のように絶大なる生命力をほとばしらせていた。
それぐらい、ダカルマス殿下は今日という日を心待ちにしていたのだろう。今日まで重ねてきた晩餐会や試食会も、きっと前菜に過ぎなかったのだ。ひと月もかけて異国に乗り込んできたダカルマス殿下が、それに見合うだけの喜びを味わい尽くしてやろうという意欲を剥き出しにしているかのようであった。