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異世界料理道  作者: EDA
第七章 母なる森のもとに
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④青の月15日~再会~

2014.12/25 更新分 1/1 2015.7/7 誤字を修正

「え? あんたたちは、ファの家に帰るつもりなのかい?」


 ルウの本家の玄関口で、ミーア・レイ母さんは驚き呆れた様子でそう言った。


「こんなに遅くなっちまったんだから、今日も休んでいけばいいじゃないか? ギーズに足をかじられちまうよ?」


「燭台を貸してもらえればそれで十分だ。……それに、いつものあの家は、かつてスン家であった者たちが使っているのだろう?」


「それはそうだけど、この家にだって眠る場所ぐらいは作れるよ。もともとダルムはいないんだし、ルドをどこかに追い出せば、ひと部屋空けることはできるさ」


「いや、そこまでしてもらうのは心苦しい。アスタの準備した料理やその他の持ち物を預かってもらえるならば、問題はない。……そうだな、アスタ?」


「うん」


「だけど、テイ=スンっていう男衆が生きていたら、危険じゃないか? 夜道で襲われたらどうするんだい?」


「あの男衆ひとりであるならば、私の敵ではない。手傷を負っているならばなおさらだ」


 アイ=ファの意志は固いようだった。

 空き家ではなく本家に泊まる、というのは、アイ=ファにとってかなり気の進まぬことであるらしい。ドンダ=ルウかジザ=ルウか、そのあたりの目が気になるのだろうか。


「帰りがけにはそのスン家であった者たちにも少し話を聞かせてもらおうと思う。……それでは、失礼する」


 預けておいた毛皮のマントと刀を装着し、アイ=ファは颯爽ときびすを返す。

 まだ渋い顔をしているミーア・レイ母さんに一礼して、俺もその後に続いた。


 表で待ってくれていたガズラン=ルティムとともに、夜の大広場を歩く。

 大広場には、松明の火が灯されていた。

 昨日の夜から、ルウの集落でも厳戒態勢がとられているのだ。

 複数名の男衆が、交代で7戸の家を見回っている。テイ=スンが捕らえられるかその亡骸でも発見されない限り、俺たちが枕を高くして眠ることは許されないのだろう。


 テイ=スンは――本当に死んでしまったのだろうか?


「やあ、シン=ルウ。中に入れさせてもらえるかな? ドンダ=ルウの許可はもらっているので」


 ちょうど目的の家の付近で警護の役を果たしていたのは、分家の若き家長シン=ルウだった。

 シン=ルウはうなずき、俺たちとともに、かつて空き家であった家の前に立つ。


 その家の戸板には、外からもかんぬきが掛けられていた。

 いかにも急ごしらえの、荒っぽいつくりをしたかんぬきである。

 この家の内にいる人々は、守られるべき同胞であると同時に、まだ見張られるべき存在でもあるのだ。


 シン=ルウは、かんぬきを抜いてから戸板を2回ほど叩いた。


「シン=ルウだ。ルティムとファの家の人々が面会を求めている。了承するなら、開けてくれ」


 しばし迷うような沈黙の後、戸板は内側から引き開けられた。

 中から顔を出したのは――ヤミル=レイだ。


 そして。

 ヤミル=レイが姿を現したその瞬間、強い香草の香りがすごい勢いで俺の鼻に突き刺さってきた。


「私たちに、何の用なのかしら? ……ついにテイ=スンの亡骸が発見されたの?」


「いえ。スンの本家について、少々話を聞かせてほしいだけです」


 ガズラン=ルティムの言葉に小さく息をつき、ヤミル=レイはすうっと引き下がった。

 俺たちは順々に足を進め、外に残ったシン=ルウが戸板を閉めてくれる。


「なあんだ、アンタたちか」と、少し懐かしいキイキイ声が、薄暗がりに響きわたった。


 その空き家には、それぞれ新しい家に送られたスン本家の人々が、再集結させられてしまっているのだ。


 レイ家の家人となった、ヤミル=レイ。

 ルティム家の家人となった、オウラとツヴァイ。

 そして、ルウ家の家人となった、ミダである。


「夜分遅くに申し訳ない。少し言葉を交わしたいだけなので、長居はしないと約束する」


 ガズラン=ルティムとアイ=ファが革の履き物を脱いでいる間、俺は数日ぶりに見る彼らの様子を観察してみた。


 オウラとツヴァイは、向かって右手側の壁ぎわに座り込み、ぴったり寄り添いあっている。


 俺たちを出迎えてくれたヤミル=レイは、しなやかな足取りで逆側の壁ぎわに向かい、そこに腰を落ち着ける。


 そして、俺たちから見て正面の壁のど真ん中に、小山のごとき肉塊ミダが、ででんと鎮座ましましていた。


「いったい何なのサ? アタシたちの知ってることは、何から何まで話したはずだヨ。……それに、先代家長がくたばったんなら、もう何も心配することもないはずじゃないか?」


 年齢以上に小さくて、タマネギのように頭をひっつめたツヴァイが、また小鳥のさえずりのように甲高い声をあげる。

 だけど何だか、彼女は最後に見たときよりも、ずいぶん元気がないように見えた。


 他の人々も、それは同様だ。

 娘の細っこい肩を抱きながら、オウラは静かに目を伏せている。

 壁にもたれたヤミル=レイは、片方の足を両手で抱えこみ、もう片方の足は床に伸ばして、少し自堕落な感じに身体を傾けている。

 ミダは――この規格外の大男だけは今ひとつ内心がうかがえず、ただその異様に小さく見える目で、じーっと俺のほうを見つめてきているような気がする。


「ザッツ=スンは確かに生命を失ったらしいですが、テイ=スンの行方はまだ知れぬままです。あの男衆がどのような人物であるのか、それをもうひとたび聞かせてほしいのです」


 ガズラン=ルティムは、三方に散った彼らを均等に見渡せる場所まで足を進め、そこに腰を下ろした。

 俺とアイ=ファは、その頼もしい背中のやや後方に陣取らせていただく。


「だからさあ、それも散々、話したことじゃん! テイ爺は、先代家長のそばにいすぎて、自分では何も考えられない腑抜けになっちまったんだヨ! 命令されれば何でもするけど、放っておかれたら何もできない、泥でできた人形みたいな人間なんだヨ!」


 ヒステリックに、ツヴァイがわめく。

 だけどそのテイ爺も先代家長も、彼女にとっては等しく血を分けた「祖父」であるのだ。

 その2名が森辺の集落を出奔して、凶賊と成り果てた。血の繋がりを重んじるならば、1番複雑な心情を得る羽目になるのは彼女であろう。


「ツヴァイの言う通りです……父テイは、若き頃から先代家長の側近としてそばに仕えておりましたので、誰よりも早く魂を腐らされることになったのでしょう。それゆえに、本家の人間が何も命じなければ、自分の意志で悪行を為すこともないはずですが……」


 ツヴァイの母にして家長ズーロの嫁であったオウラが、抑揚のない声でそう言った。

 父親と同じようにどろりと濁っていたその瞳は、人間らしい悲しみを強くたたえて、何もない床の敷布を見つめている。


「あなたたちの言葉を疑っているわけではありません。私の父ダンやアスタの言葉とあわせて考えても、それは真実だと信じることができます。……しかし、たとえば、テイ=スンが生前のザッツ=スンに何か命令を託されていたとしたら、どうでしょう? ザッツ=スンが死した後も、彼はその命令に従うものでありましょうか?」


「さあ……先代家長の死を知れば、あるいはその命令を捨てることもあるかもしれません。ですが、そのようなことを案ずるまでもなく……父テイも、すでに生命を落としているのではないのですか?」


「わかりません。けっきょくその亡骸は発見できていないので、こちらも生きているものとして対処するしかないのです」


 きっとガズラン=ルティムも、己の心情を殺して、遺族たちにこのような問いを投げかけているのだろう。縁を絶たれた彼女たちが「父」や「爺」といった言葉を使っても、とがめる様子はない。


 形式上は縁を絶たれても、テイ=スンが彼らの血族であったという事実に変わりはないのだ。特に血の近いオウラとツヴァイの力ない様子に、俺の気持ちは重くなる一方だった。


 そのとき、「……ああ……!」と、ミダがいきなり間延びした大声をほとばしらせた。


「あなたは、美味しい食事を作れる男衆だね……あなたは、ミダを叱った女衆だね……どうしてあなたたちが、ここにいるの……?」


 俺はがっくりと崩れ落ちそうになった。

 が、我が親愛なる家長殿は、片膝あぐらをかいたまま、平気な顔でミダを見返した。


「今ごろ気づいたのか。ずいぶんお粗末な頭をしているのだな、お前は。……しかし、相変わらずのようで何よりだ」


「うん……ねえ、どうしてあなたたちがここにいるの……? あなたを見ていると、ミダはおなかが空いちゃうんだよ……?」


 その「あなた」というのは、たぶん俺のほうなのだろう。

 あまりありがたくない条件反射である。


 事件が起きるまではミダもルウ本家で晩餐をとっていたそうなのだが、昨日からはこの家に元の家族たちと閉じこめられることになり、俺やアイ=ファと顔を合わすのもこれが初めてなのだった。


「俺たちもテイ=スンについて話を聞きにきたんですよ。……ミダはテイ=スンのことをどんな風に思っていたんですか?」


「テイ=スンは……好きだったよ……? ヤミルとオウラとツヴァイの次に、好きだったよ……?」


「うっさいよ、バカ!」と、ツヴァイがまたわめく。


「だから、ヤミルとオウラとツヴァイにまた会えたのは嬉しいけど、テイ=スンが死んじゃうと悲しいんだよ……? テイ=スンはどこに行っちゃったんだろう……」


「おい! 泣くなよ?」


 アイ=ファが鋭く声をあげると、ふるふると震えそうになっていたミダの動きが、ぴたりと止まった。


「ミダは、泣かないんだよ……だから、叱らないでほしいんだよ……?」


「泣かないなら、叱らん」と、アイ=ファが仏頂面で応じると、今まで沈黙を守っていたヤミル=レイがつくりものっぽい笑い声をあげた。


「あなたはもうミダに言うことをきかせることができるのね、ファの家長アイ=ファ。あなただったら、動物と言葉を交わすこともできるのじゃないかしら」


「かつて弟であった人間を動物扱いするのか、お前は? 憎まれ口もほどほどにするがいい。……それに、どうしてお前はそのように香草の匂いを撒き散らしているのだ? だんだん鼻が痛くなってきたぞ、私は」


「……文句だったら、あなたのかたわらにいる男衆たちにつけてくれないかしら? 特にその立派な体格をしたルティムの長兄のほうにね」


 と、ヤミル=レイは投げやりな感じで肩をすくめる。

 当然のこと、ガズラン=ルティムは「私が何か?」と目を丸くした。


「あなたの愉快な父親が、レイの家長におかしな話を吹きこんだせいよ。わたしにはギバの血の匂いがこびりついているから、それを何とかしないと嫁の貰い手もないぞ、とか言ってねえ。……おかげで、水浴びのたびにリーロの葉の汁を肌にすりこむよう、レイの家長に命じられてしまったのよ」


 そして、ヤミル=レイはこまかく編みこんだ褐色の髪をかきあげつつ、冷ややかな目で俺のこともにらみつけてくる。


「その匂いにはアスタも気づいているはずだとか聞いたもんだから、余計に拍車がかかってしまったのよ。鼻がおかしくなりそうなのは、わたしのほうだわ。……アスタは本当に、わたしの身体からそんな匂いを感じていたの?」


「ええ、まあ、はい……職業柄、匂いには敏感なもので」


「……ふうん」と、ヤミル=レイは髪をかきあげた態勢のまま、俺の顔をにらみ続けた。


 その高慢かつ傲岸な目つきに、アイ=ファは苛立しげな声をあげる。


「レイの目のないルウの集落においてでもそのような約定を守るとは、意外に律儀な女衆なのだな。レイの名を授かり嫁の先まで世話をしてもらえるならば、お前の澱んだ心も少しは晴れるということか」


「誰にも逆らうなと命じたのはあなたたちのほうでしょう? 約定を守って文句を言われる筋合いはないわ。それに、女狩人なんかに嫁がどうこうとか言われたくはないわねえ」


 何やら不穏な雰囲気である。

 それを仲裁してくれたのは、頼もしきガズラン=ルティムだった。


「それよりも、ヤミル=レイ。あなたはテイ=スンのことをどう思いますか? 彼がもしも生きながらえていたとしたら、いったいどのような行動をとるのが、もっとも相応しいでしょう?」


「そんなこと、本人以外にはわからないわよ。……ただ、テイ=スンのことをただの分家の男衆と思っていたら、きっと痛い目を見るわよ?」


「それはどういう意味でしょう?」


「あの男は、分家どころか本家の誰よりも先代家長と長い時間をともに過ごし、念入りに魂を腐らせてきた、ということよ。……どうしてあの男が常にわたしやディガたちのそばにはべっていたか、あなたたちにわかる?」


 当然そのようなことは誰にも知り得なかったので、ガズラン=ルティムも俺もアイ=ファも、沈黙をもって応えるしかなかった。


 ヤミル=レイは、かつての冷酷さをほんの少しだけ漂わせつつ、面白くもなさそうに唇を吊りあげる。


「それが先代家長の命令だったからよ。家長ズーロの怠惰な気性に見切りをつけた先代家長は、次なる家長を誰に定めるべきかを見極めるために、わたしたちの動向を探らせていたのだわ。……わたしたちの命令には絶対に逆らわぬよう申しつけられつつ、その実、あの男は先代家長の目となってわたしたちを見張っていたのよ」


「……それでは、女衆であるあなたが家長になる可能性もありえたわけですか?」


「可能性どころか、あのままいけばわたしが家長になっていたでしょうね。ディガやドッドには一族を率いる資質なんて、これっぽっちもなかったんだから」


 それは、俺にとっても衝撃の新事実だった。

 もしもそのような未来が実現されていたら、いったいスン家はどのようになってしまっていたのだろう。


 病床にあってもスン家を支配しようとしていたザッツ=スンが、ひそかにスン家の滅びを願っていたヤミルに家長の座を与えていたら――


 俺は首を振り、そんな不毛な想念を早々に打ち払うことにした。

 どんなに考えても、明るい未来などは想像できそうにない。ザッツ=スンさえ他界してしまえばその限りではないが、そうでなければ、ヤミルの背負わされる業はどれほど重く深いものに成り果てていたか――


「それぐらい、テイ=スンという男はザッツ=スンにとって従順な下僕であったのよ。ザッツ=スンが病で動けなくなった後は、それこそ手足のように働かされていたわ。……だから、テイ=スンがもしも生きているのならば、決してわたしには近づけないことね。もしもザッツ=スンがスン家の血をのこすべし、などという命令をテイ=スンに下していたら、あの男は家長ズーロでも長兄であったディガでもなく、このわたしを救おうと考えるはずだわ」


「……テイ=スンという人物がそこまでザッツ=スンと関わりが深かったという話は初耳ですね。あなたが次なる家長と目されていた、という話もですが」


 ガズラン=ルティムの言葉に、ヤミル=レイはいっそう唇を吊り上げる。


「話す必要もないと思っていたから、黙っていただけよ。それが気に食わないのなら、好きなように処断してちょうだい。レイ家なんかではなく、恥をかかされて猛り狂っているジーン家やドム家に身柄を預ける、なんていうのはどうかしら?」


「いや、待ってください、ガズラン=ルティム――」


 俺は慌てて声をあげる羽目になった。


 己の保身を考えて、そのような真似をするヤミル=レイとは思えない。それはきっと、テイ=スンのために口をつぐんでいたのだろう。あのままザッツ=スンがきちんと処断されていれば、テイ=スンの魂も解放されたのだろうから、と。


 しかし、俺が言葉を重ねるよりも早く、ガズラン=ルティムに目で制されてしまった。


「べつだん、あなたを責めるつもりはありません。その話を聞かされていようがいまいが、病魔に犯されていたザッツ=スンが自力で逃亡をはかることなど誰にも想定できていなかったのですから、結果は変わらなかったでしょう。それに、ザッツ=スンがあなたを後継者と見なしていたところで、それはザッツ=スンの意志であるに過ぎず、あなたの罪が重くなるとも思えません」


 ヤミル=レイは冷淡な微笑をひっこめ、今度はガズラン=ルティムのほうが穏やかな微笑を浮かべた。


「そして、あなたはすでにレイ家の人間なのです。あなたの身柄をドムやジーンに移すなど、ラウ=レイはきっと許さないはずです。……ヤミル=レイ、ザッツ=スンはこの世からいなくなったのですから、あなたももう彼の呪縛から解き放たれるべきです」


「……そんな簡単にあの男のことを忘れられれば苦労はないわ」


 そう言ってヤミル=レイは深くうつむき、長い髪でその表情を隠してしまった。


「テイ=スンだって、それはわたしと一緒のはず。……だけど、もしもザッツ=スンが何の命令も残さずに死んだのなら、ようやくテイ=スンも自分の意志に殉ずることができるでしょうね」


「自分の意志?」


「……早く誰かに滅ぼされたい、という意志よ」


 重苦しい静寂が広間に落ちた。

 オウラはひたすら悲しそうに床を見つめており、ツヴァイはそれを力づけるように、ぎゅうっと取りすがっている。

 ミダは変わらずぼけっとした顔でみなの顔を見回しており、アイ=ファは無言の仏頂面。


 ガズラン=ルティムはしばらくヤミル=レイの力ない姿を見つめやってから、おもむろに立ち上がった。


「どうも長々と失礼しました。……あなたたちは、それほど遠くない日に、それぞれの家に戻されるでしょう。それまでは窮屈な思いをさせてしまいますが、今後も森辺の民として正しく生きられるよう心がけてください」


 返事をする者はいない。

 俺とアイ=ファも、ガズラン=ルティムにならって腰を上げた。


「もう行っちゃうの……? ねえ、ミダはあなたたちの名前を知らないんだよ……?」


 と、そこでミダがいきなり声をあげ、背を向けかけていたアイ=ファはけげんそうにそちらを振り返る。


「顔を覚えられない人間が、名前を聞いて覚えられるのか?」


「名前を知らないから、顔も忘れちゃうんだよ……? ミダは、ルウの家人のミダなんだよ……?」


「知っているわ。……私はファの家の家長、アイ=ファだ」


「俺はファの家の家人、アスタです」


「ありがとう……ミダは、アイ=ファとアスタにもまた会いたいんだよ……?」


「縁があれば、また会うこともあるだろう」


 毛皮のマントをひるがえし、今度こそアイ=ファはミダに背を向けた。

 その背に、ミダがおずおずと声をかける。


「アイ=ファ……アスタ……テイ=スンを見つけても、殺さないでね……? テイ=スンは、本当は優しいおじいちゃんなんだよ……?」


           ◇


 ルウの集落に居残るガズラン=ルティムに別れを告げて、俺たちは夜闇に支配された森辺の道に足を踏み出した。


 たっぷりと獣脂蝋燭を補充した燭台をひとつずつ借り受けたが、俺にとっては初めての夜道の強行軍である。夜間においてはギーズやムントに注意すべし、というのはファの家に住みついてすぐに習った事項ではあるが、何をどう気をつければいいのかもわからない。


「私から離れるなよ、アスタ。それさえ守れば、何も危険なことはない」


 そんな風に言いながら、アイ=ファの声ももちろん張り詰めている。

 油断しなければ危険はない。裏を返せば、油断をすれば危険である、ということだ。


 幸いなことに、暗所は高所ほど苦手ではなかったので、初めて吊り橋を渡ったときのようにぶざまな姿をさらすことはなかった。


 しかし、不気味なことは不気味だ。

 街灯などが存在しないのはもちろん、左右を森にはさまれているので、月明かりもほとんど届かない。もしも燭台の火を失ってしまったら、それこそ一寸先も見通せないほどに濃密な夜闇なのである。かたわらにアイ=ファがいなかったら、ここまで堂々と足は進められなかっただろうなと思う。


「……今日はとてつもない1日であったな」


 歩きながら、アイ=ファが低くつぶやいた。


「ザッツ=スンが捕らわれて、死んだ。……言ってみればそれだけの話であるのに、スンの集落でかつての長兄どもに襲われたときと同じぐらいに危うい状況であると感じられてならない」


「ああ。良くも悪くも、あれこそが森辺の族長ってやつなんだろう。病で弱るまでは、ドンダ=ルウにも負けないぐらい猛烈な人間だったんじゃないのかな」


 そんな男が、最後にすべての力を振り絞って、この世界に呪いを撒き散らしていったのだ。このような世界は滅んでしまえ、と。


 その凶星の消滅から生じたブラックホールのような深淵に飲み込まれてしまわないように、俺たちも全力で抗わなくてはならないのだろう。


「明日からの商売はどうなるのであろうな」


「うーん……それはもう町に下りてみないとわからないなあ。今度ばっかりは、下手を打つと何もかもが台無しになると思う。城の人間が何と言おうと、休むべきだと思ったらきっちり休むべきだろう」


「……それが私たちへの試練なのだな」


 真っ直ぐに闇の先を見つめながら、アイ=ファはそう言った。


「これまでに町の人間たちと正しい縁を結ぶことのできなかった私たちの……そして、スン家の堕落を見過ごしてきてしまった私たちの、打ち破らねばならぬ試練なのだろう」


「うん。そうなんだろうと思う」


 そんな風に、ぽつりぽつりと言葉を交わして歩いていくうちに、夜闇に対する不安や恐怖は薄らいでいった。


 しかし、アイ=ファのほうはしっかりと警戒していたのだろう。

 ファの家まであと30分ほど、という頃合いで、アイ=ファはふいに立ち止まり、俺の手に自分の分の燭台を託してきた。


 そして、刀の柄に手をかけて、左の方向に向きなおる。


「何者だ。出てこい」


 ギーズやムントではなく、人間なのか――

 たちまち俺も緊張して、そちらのほうに燭台の火をつきつける。


 俺たちを待ち伏せしようなどと考える人間は、そんなにいない。

 だからやっぱり、夜闇の向こうからゆらりと幽鬼のように現れたのは――灰色の髪をした、森辺の男衆だった。


「テイ=スン……」


 強い血の匂いと、『ギバ寄せの実』の香りが、とたんに俺の鼻腔を刺激してくる。


 テイ=スンが、木立の間に立ちつくしていた。

 やはりテイ=スンは、生きながらえていたのだ。


 しかし、テイ=スンがその身に受けたという刀傷を確認することはできなかった。

 テイ=スンは、なぜか狩人の衣ではなく、町の人間が使う皮の長マントでその身体をすっぽり包み隠していたのだった。


 もしかしたら、それはダバッグのハーンから奪い取ったものなのかもしれない。テイ=スンはたしか崖から落ちる前にあの包帯男のマントにつかみかかっていた、とガズラン=ルティムが語っていた気がする。


 何にせよ、テイ=スンはそこにそうしてマント姿で立ちつくしていた。


 灰色の髪に、灰色の髭。黒みがかった青色の瞳は死んだ魚のようにどろりと濁っており、老いたその顔には一切の感情がなく――


 そして、マントの合わせ目からのぞくその右手には、鋼の小刀が握りしめられていた。


「ふん……先代家長ザッツ=スンは、ルウではなくファの人間の首を所望したのか? まあ、町などに下りられるよりは手間も少ない」


 それと相対するアイ=ファのほうは強烈に両目を燃やしつつ、それでもその表情は落ち着いたままだった。


「しかし、お前も狩人ならばわかるだろう。今のお前に私たちを害する力はない。わずかでも森辺の民としての誇りが残っているならば、刀を捨ててその身を預けろ」


「刀は、捨てます。……しかし、それは今ではありません」


 以前に聞いたときと何も変わらない、感情の欠落した声。

 本当にこの男は、致命傷にもなりうるような斬撃を受け、崖から転落したのであろうか?

 何もかもが、以前のままだ。


 だが――テイ=スンの纏った皮マントに、返り血の跡は見られなかった。

 そうであるにも関わらず、テイ=スンの肉体からは強い血の匂いが感じられる。


 もしかしたら、そのマントの下は、血みどろなのかもしれない。


「ファの家長アイ=ファに、ファの家人アスタよ。わたしがあなたたちの前に姿を現したのは、あなたたちを害するためではない。あなたたちに、頼みたいことがあったからです」


「頼みたいこと?」


「はい。そのために、わたしはこの場であなたたちを待っていました。いや、ファの家にはドムの男衆らの姿しかなかったので、わたしもルウの集落に向かうところであったのです。ルウの集落ではあなたたちに近づくことも難しかったろうから、このような場で出会えたのは、私にとって僥倖でありました」


「お前はそのようによく口の回る男衆であったかな。存外に力は残っているようではないか」


「そんなことはありません。わたしはもうじきに死にます。だからその前に、最後の仕事を果たしたいのです」


「待て。その前にひとつ聞いておこう。お前は先代家長ザッツ=スンの死をすでに知り得ているのか?」


 テイ=スンは、人形のように、こくりとうなずいた。


「知っています。ドムの男衆らが大声でそのように話していました。だからわたしは、なおさらあなたたちに会わねばと考えたのです」


「ふん。了承した。ならば、その願いとやらを言ってみよ」


 そうして放たれたテイ=スンの言葉は、俺の予想をはるかに超越してとんでもなかった。


「あなたの作った料理を食べさせてほしいのです、アスタ」


 と、テイ=スンは機械仕掛けのように無機質な声で、そう言ったのである。


「俺の料理? ……ど、どうしてそのようなものが食べたいのですか?」


「あなたはその料理で森辺に豊かさをもたらし、なおかつジェノスとの縁を正しい方向に導こうとしていると聞きました。そのようなことが本当に可能であるか、それをこの身に刻みこんでから、わたしは死にたいのです」


「だけど、そんなこと……」


「その願いをかなえてくれるならば、わたしは刀を捨て、あなたたちの言に従いましょう。そして、最後に残されたわずかばかりの時間を同胞のために捧げると誓います」


 言っている内容は、森辺の民に相応しいものであったかもしれない。

 しかし――その声にはやっぱりひとかけらの人間味も感じられなかった。


 その暗い碧眼はどんよりと濁っており、血の気を失った顔にも表情はない。

 スンの分家の人々が弱々しいながらも人間らしい眼差しや情感を取り戻した今もなお、テイ=スンはテイ=スンのままだった。


「私も家長会議の夜、あなたの料理を賜る機会を得ました。しかし、あの夜は漫然と食してしまったため、あなたの力を十分に感じ取ることができませんでした。……わたしはあなたの力を知り、自分の行いがすべて間違っていたということを確信してから、死にたいのです」


「……ならば、ルウの集落に引き返すべきであろうな。ドムよりはルウのほうがまだしも話は通じるであろう」


 アイ=ファが静かに応じると、テイ=スンは「いえ」と首を振った。


「ルウの家長は、決してわたしを許さないでしょう。無理を通せば、ファとルウの絆が壊れます。……それにわたしは、ジェノスの町を自分の死に場所と定めています」


「なに?」と、アイ=ファは物騒な感じに目を細めた。

 テイ=スンは、同じ調子で言葉を重ねる。


「明日の中天に、あなたの店を訪れます。そこであなたの料理を食べさせてください、ファの家のアスタ」


「馬鹿を言うな! 深手を負ったお前が宿場町などに下りられるものか! アスタのもとにたどりつく前に、森辺の男衆か衛兵に捕らわれるだけだ!」


「大丈夫です。この格好であれば、少なくとも衛兵たちにはあやしまれずに町を歩くこともできるでしょう」


 そう言って、テイ=スンは皮マントのフードを深々と引き下ろした。

 確かにまあ、誇り高き森辺の民が町の人間に身を扮するなど、なかなか想像できるものではない。


 しかし、そのようなことは、問題ではなかった。


「何を企んでいるのだ、お前は? そのようにあやしげな願いに応じることはできん」


 柄をつかむ指先に力をこめ、アイ=ファはぐっと腰を落とした。

 しかし、テイ=スンはぴくりとも動かない。


「それならば、この場でわたしを斬り殺してください。わたしはザッツ=スンから与えられたスン家の人間としての生に殉じて、ぶざまにあらがいながら、死にます」


「どうして宿場町などに下りる必要がある! その場にもルウの男衆はいるのだから、ルウの集落に戻るのと同じことだ!」


「いいえ。わたしはジェノスの宿場町で、町の人間たちに見守られながら、あなたたちの手に落ちたいのです。森辺の民が森辺の民を裁く姿を、町の人間に見せたいのです。たぶん、わたしの犯した罪を贖うには、それしか方法がありません」


「……戯言だ。何を言っているのか、私にはわからん」


「町の人間たちは、森辺の民を憎んでいるはずです。それは、スンの人間が数々の罪を犯してきたからです。そして、ザッツ=スンが死んだ今、それを贖える人間はわたししか残っていないのです。……ザッツ=スンの言いつけでジェノスに害をなしてきた男衆は、わたしが最後のひとりなのですから」


 テイ=スンは、無感動にそう言った。


「わたしが料理を食し、刀を捨てた後は、好きにしてかまいません。その場で斬り伏せてもいいし、衛兵に身柄を預けてもいい。サウティの男衆がわたしたちを討ってくれていればそれでも良かったのですが、彼らは真っ先に力を失ってしまいました。ザッツ=スンも、都の人間たちに殺されてしまったのでしょう。それでは駄目なのです。森辺の民が、石の都の人間の前で、森辺の民の罪を糾弾する。それが1番肝要なのです。……だから、都の人間の刀に斬られてしまったわたしも、漫然と死を迎えることは許されないのです」


「お前は本当に正気なのか? 私にはお前を信じることができない」


「そうでしょうね。わたしも正気を取り戻したいからこそ、このような話を申し入れているのです」


 アイ=ファの鋭い眼光とテイ=スンの虚無的な目線が闇の中で絡み合う。

 今にもアイ=ファの刀がテイ=スンを斬り伏せてしまうのではないかと危ぶみながら、俺は「あの」と声をあげた。


「あなたの申し入れを受けることは、非常に困難です。そもそも明日はまともに屋台を開けるかもわかりませんし、開けたところで、ルウの男衆がそばには控えています。そして、ルウとの絆を重んじる俺たちには、彼らをあざむくことはできませんし、また、あざむいたところで、彼らがあなたの姿を見誤ることもないでしょう」


「ルウの男衆がわたしを斬り伏せるのならば、それでも良いでしょう。町の人間の目があるだけ、この場でファの家長に斬り伏せられるよりは森辺を救う一助にもなりえます。……ただし、あなたの力を思い知るまでは、わたしもスンの人間として最後までぶざまにあらがうしかありませんが」


「いや、だけど、お客さんの目の前でそんな騒ぎになってしまったら、あなたの思いがどうあれ、町の人々の恐怖心をあおりたてるだけですよ」


「はい。ですから理想としては、森辺の民の手によってわたしを捕らえ、衛兵に引き渡してほしいところですね。それだけでも、十分に町の人間たちの心を癒すことはできるはずです」


 何だかあまりにもケレン味がかった話である。

 アイ=ファでなくったって、このような話を信じることはなかなかできないだろう。


「……わたしの伝えるべき言葉は伝え終わりました。後の判断はあなたたちにおまかせします」


「そうか。……それではやはり、私はこの場でお前を捕らえる他ない」


 アイ=ファは、さらに腰を落とした。

 テイ=スンは、何の感慨もなさそうにうなずく。


「それでは、わたしはぶざまにあらがいます。……ですが、あなたを討ち倒すことなどはできそうにないので、わたしは逃げます」


「そのように力を失った状態で、私から逃げおおせることができるとでも思っているのか?」


「無理かもしれません。あなたが家人をこの場に残してわたしを追ってくるならば」


 テイ=スンの姿が、ゆらりと遠ざかる。


「待て! そこを動くな!」


「いえ、逃げます。逃げきれたら、明日の中天、宿場町に下ります。そこでわたしを斬り伏せてください」


 燭台の灯りの届かぬ場所にまで、テイ=スンの姿が遠ざかった。

 じゃりっと地面を踏み鳴らして、それを追おうとしたアイ=ファは――無念の火を宿らせた目で、キッと俺をにらみつけてきた。


「くそっ! 何なのだ、あの男は!」


 けっきょくアイ=ファはその場から動くことができず、テイ=スンはまんまと再び行方をくらませてしまったのだった。

2期目(青の月8~17日)


・第8日目(青の月15日)


①食材費


『ギバ・バーガー』60人前……31.55a

『ミャームー焼き』90人前……41.55a

『ギバの角煮』40人前……22a


3品の合計=31.55+41.55+22=95.1a


②その他の諸経費


○人件費……39a

○場所代・屋台の貸出料(日割り)……4a

○ギバ肉……12a(ルウ家から購入)


合計……55a


諸経費=①+②=95.1+55a=150.1a


売り上げ=252(屋台126食分)+80(宿屋)=332a


純利益=332-150.1=181.9a



純利益の合計額=1200.3+181.9=1382.2a

(ギバの角と牙およそ115頭分)


*干し肉は、800グラム、12aの売り上げ。10日目にまとめて集計。

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