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異世界料理道  作者: EDA
第八十三章 さらなる饗宴
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大試食会②~下準備~

2024.1/3 更新分 1/1

 宿場町で何台かの荷車が離脱したのちも、俺たちは真っ直ぐ城下町を目指した。

 城門の前で立派なトトス車に乗り換えたならば、今度は小宮のエリアを目指す。そしてそちらでは、ルウのチームとお別れすることになった。本日の会場たる紅鳥宮の厨は5部屋に拡張されていたが、その内の3部屋は舞台慣れしていない宿場町の陣営に割り振られていたため、残りの2部屋はファとディンのチームで使わせていただくことになったのだ。


「レイナ=ルウたちは城下町の方々とともに、白鳥宮の厨で働くのですよね。やっぱりレイナ=ルウは、城下町の方々とともにありたいのでしょうか?」


 ユン=スドラがそのように問うてきたので、俺は「うーん?」と首をひねった。


「確かにレイナ=ルウは、自分から白鳥宮に出向くって志願してたけど……でも、自分の仕事で手一杯で、他の厨を見学する時間もないだろうからさ。あくまで、気分の問題なんじゃないかな」


「気分として、城下町の方々とともにありたいということですか」


「うん。レイナ=ルウはヴァルカスのことを心から尊敬してるから、そういう気持ちが生まれても不思議はないんじゃないかな」


「なるほど。わたしもヴァルカスたちのことは好ましく思いますが、やっぱり宿場町の方々のほうが安心できます。さすがレイナ=ルウはアスタぬきで城下町の仕事を引き受けているだけあって、考え方が進んでいるのですね」


 そのように語るユン=スドラの表情は、純真そのものである。城下町の民に心を寄せるレイナ=ルウを、いぶかしむ様子もない。よって、ユン=スドラも十分に進歩的な考えを体得しつつあるのだろうと思われた。


(ヤンやロイたちはもちろん、ヴァルカスやティマロだってずいぶん打ち解けてきたもんな。これも、料理が繋いだ人の縁ってことか)


 もしもヴァルカスやティマロの料理が森辺の民にとって受け入れにくい存在のままであったなら、こうまで親睦は深まらなかったかもしれない。とりわけ出会った当時のティマロなどは森辺の民を見下していた上に、その料理もいまひとつ好ましく思えなかったのだ。あのままお別れしていたならば、好ましくない相手として終わっていたはずであった。


 しかしここ最近は、ティマロの料理も森辺の民に受け入れられつつある。こちらの舌が慣れてきたという面もあろうし、ティマロの料理が普遍的な美味しさを獲得しつつあるという面もあるのだろう。それはこれまで城下町の民しか相手にしてこなかったティマロが、さまざまな相手を想定して料理を手掛けている証拠であるのかもしれなかった。


(昔の城下町の料理人は、とにかく多彩な食材を使える人間が偉いっていう風潮だったんだもんな)


 それは、トゥラン伯爵家が食材の流通を牛耳っていた時代の悪習である。たとえ城下町の料理人であろうとも、トゥラン伯爵家に伝手がなければ外来の食材を扱うことができず――そこで、おかしなヒエラルキーが生まれてしまったのだ。当初はヤンも、その悪習に反発していたひとりであった。


 しかし、そんな悪習はトゥラン伯爵家の没落とともに消滅した。

 そして現在は、その頃とも比較にならないほどの多彩な食材がジェノスにあふれかえっている。悪習やヒエラルキーなどとは関係なく、ジェノスのすべての料理人がそれらの食材を使いこなせるように四苦八苦しているのだった。


 思うに、城下町の面々はそこから新たなスタートを切ったのではないだろうか。

 サトゥラス伯爵家の料理長などは、まだいくぶん昔日の悪習を引きずっているように感じられる。とにかくさまざまな食材を使いまくって、豪奢で目新しい料理を作りあげようという思いが、あのけばけばしい味わいを生んでいるように思えるのだ。


 ただそれでも、彼の料理は以前のティマロの料理よりも遥かに食べやすかった。もはや数多くの食材を使いまくるだけで感心される時代ではないので、彼の意識もその向こう側に――普遍的な美味しさというものに向かっているのではないだろうか。


 それをいっそう強く感じさせるのが、ティマロである。彼は城下町の料理人らしい複雑な味わいを根に残しつつ、森辺の民にも宿場町の民にも負けない料理を作りあげようという意欲をみなぎらせているのだ。それは、外界の人間の手腕を認めたからこそ生まれた心持ちなのではないかと思われた。


(ティマロはけっこう早い段階から、俺の料理やトゥール=ディンの菓子を認めてくれたもんな)


 出会った当初は森辺の民を見下すばかりであったティマロが、バナームの食材を扱い始めた頃ぐらいから態度を軟化させ、そして王都の監査官を迎える頃には素直な感想や助言までくれるようになっていた。さらには、王都の監査官たるドレッグがせっかくのギバ料理をすべてジルベに食べさせてしまったと聞き及び、心から憤慨してくれたのだった。


 あの頃から、俺はもうティマロのことを信頼できるようになっている。

 もしもティマロも、同じ気持ちでいてくれたのならば――森辺の民にも喜んでもらえるような料理を目指そうという気持ちが芽生えるのかもしれなかった。


「……アスタは何を考え込んでおられるのですか?」


 紅鳥宮に到着したところで、ユン=スドラがいくぶん心配そうに問いかけてきた。


「いや、そんな大した話じゃないよ。要約すると、他の人たちが準備する品が楽しみだってところかな」


「そうですか。それは、わたしも楽しみです」


 ユン=スドラは、ほっとしたように笑ってくれた。

 いっぽう、隣のアイ=ファはというと――最初から、穏やかな眼差しで俺を見守ってくれている。俺の表情から、おかしな想念に沈んでいるわけではないと察してくれたのだろう。俺は心を満たされると同時に、少し反省することになった。


(以前の試食の祝宴ではおかしな想念にとらわれて、アイ=ファたちを心配させちゃったんだった。今日はしっかり、気を張らないとな)


 とはいえ、俺もあの日以来、おかしな想念にとらわれたりはしていない。俺は『星なき民』にまつわる案件でいきなり我を失うほどの想念にとらわれてしまったが、それもフェルメスのおかげで解消することができたのだ。


(『星無き民』としての役割なんて、俺には関係ない。俺は、みんなのために頑張るだけだ)


 そうして気を引き締めなおした俺は浴堂で身を清めたのち、あらためて本日の仕事に取りかかることになった。

 人員は、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、フェイ・ベイム=ナハム、サウティの末妹の5名。護衛役はアイ=ファと、別の荷車で合流したチム=スドラのみだ。俺を含めた8名で指定された厨に乗り込むと、そこには準備をお願いしていた食材が山積みにされていた。


「ふむ。そういえば、今回は事前の下ごしらえというものにも取り組んでいなかったのだな」


 チム=スドラの言葉に、俺は「うん」とうなずいてみせる。


「そこまで凝った料理じゃないから、前日に準備できるような仕事がなかったんだよね。その代わり、ここからが大変なんだけどさ」


「うむ。たとえひと品であろうとも、6名で300名分の宴料理を作りあげるというのは、生半可な話ではないのだろうな」


 チム=スドラはしかつめらしくうなずいてから、厨の外に出ていこうとした。


「では、俺は扉の外を見張ろう。アイ=ファも、それでよいな?」


「いや。今日はかまど番の人数も少ないので、外に出る必要もないのではなかろうか? 扉と窓の前に分かれて見張れば、それで十分であろう」


「そうか。アイ=ファがそう言うのであれば、従おう」


 ということで、俺たちはアイ=ファとチム=スドラに見守られながら下準備を進めることになった。

 すると早々に、見物人の一団がやってくる。デルシェア姫とプラティカとカルス、それに武官のロデという4名だ。まだ早朝と言っていい時間帯であったが、デルシェア姫は元気いっぱいであった。


「みんな、お疲れさまー! 待ちに待った、大試食会だねー! 今日もめいっぱい見物させていただくよー!」


「どうも、お疲れ様です。でも序盤は、あまり見物の甲斐もないかもしれませんよ。まずは、これらの食材を切り分けないといけませんので」


 俺が作業台の上に山積みにされた食材を指し示すと、デルシェア姫はマンガか何かみたいに「どひゃー!」と雄叫びをあげた。


「さすが300名分は、規模が違うね! でも、切り分ける他に下ごしらえはないの?」


「ええ。すべては、これを切り分けた後ですね」


「そっかそっかー! だったらそれだけで、中天ぐらいまでかかっちゃいそうだねー! あちこち巡って、どこを見物するか決めよっか?」


 プラティカは言葉短く「はい」と応じて、カルスはぺこぺこと頭を下げる。ニコラの姿は見当たらないので、きっと白鳥宮でヤンの手伝いに励んでいるのだろう。


「そういえば、最初の試食の祝宴以来、デルシェア姫やプラティカの料理をいただく機会が巡ってきませんね」


「うん! 普段はわたしたちも、しょっちゅう晩餐会とかの厨を預かってるんだけどねー! アスタ様たちが呼ばれる日は、わたしたちも見学に集中したいからさ!」


 そう言って、デルシェア姫は白い顔に白い歯をこぼした。


「だからいずれは、わたしたちの料理をアスタ様たちに食べてもらう会を開いていただくつもりだよ! まあそれは、父様たちが帰った後でもかまわないんだけどさ! まだ半月以上もあるなら、いっぺんぐらいは機会が巡ってくるんじゃないかなー!」


 ダカルマス殿下もアルヴァッハも、雨季の食材を味わうまでジェノスに居残ると宣言しているのだ。そして、それらの食材が流通するのは、雨季に入ってから半月ほどが過ぎたのちであるのだった。


「それじゃあ、その日を楽しみにしています。それに、今日もどうぞよろしくお願いします」


「うん! それじゃあ、また後でねー!」


 ということで、デルシェア姫たちは一陣の風のように吹きすぎていった。

 それからしばらくは、後続の客人も現れない。まあ、こんな早くから動くのはデルシェア姫たちぐらいであろうし、おおよその面々は昼前ぐらいから森辺の男衆と交流の場に臨むのだ。可能性があるとしたらオディフィアとピリヴィシュロぐらいであるが、そちらもトゥール=ディンの取り仕切る厨に大きく時間を割くものと思われた。


 俺たちは、ひたすら食材を切り続ける。

 おかしなことに、最初に音をあげたのはチム=スドラであった。


「今日は本当に、食材を切るばかりであるのだな。このように長きにわたって火もかけられないというのは、何だかおかしな心地だ」


「あはは。今日は、そういう献立なんだよ。しかもひと品しか準備しないから、同時進行で進めるべき仕事もないんだよね」


「なるほど……このように単調な作業で集中を切らさないというのも、実に見事なものだな。なまじせわしなく動くより、よほど忍耐が必要になるのではないだろうか?」


「そういう面も、あるかもね。というか、かまど番でもないチム=スドラが、よくそんなことに気づくものだね」


「アスタたちが集中しているのは見て取れるし、その成果もこうして目前にさらされているからな」


 そう言って、チム=スドラは切り分けられた食材の山に視線を巡らせていった。


「すべての食材が、おおよそ同じ大きさに切り分けられている。それも、考えの内なのであろう?」


「うん。具材の大きさがバラバラだと、熱や味の入り方もバラバラになっちゃうからね。こういう料理では、基本中の基本かな」


「そうか。では、普段の食事にもそういう心づかいが為されているのだな。何も気づかずにただ食べているだけの自分が、何やら恥ずかしく思えてしまうな」


「そんなことはありませんよ」と声をあげたのは、同じスドラの家人たるユン=スドラであった。


「わたしたちだって狩人の作法など何もわきまえていないのにギバの肉を口にしているのですから、同じことです。おたがいに感謝の気持ちさえ忘れなければ、それで十分でしょう?」


「うむ。それだけは、決して忘れていないつもりだぞ」


「それはもちろん、わきまえています。なんて、口にする必要もないぐらいですね」


 ユン=スドラは食材を切る手を止めて、チム=スドラに笑いかける。チム=スドラも屈託なく口もとをほころばせて、それに応じた。


 ひたすら具材を切り分けるという単調作業に従事しているためか、とても時間がゆったり過ぎていくように感じられる。その中で紡がれていく何気ない会話が、何より俺の心を満たしてくれた。


「そういえば、試食会で出されたユーミの料理は、具材の大きさもバラバラでしたね。そこを手直しすれば、いっそう好ましい味わいになるのではないでしょうか?」


 と、今度はレイ=マトゥアが元気に声をあげてくる。


「うん。俺もそう思って、助言してみたんだけど……手伝いの娘さんたちには、きちんとそういう指示を出してたんだってさ。ただ、技術のほうが追いつかなかったみたいだね」


「あ、そうなんですか! そういえば、あの方々はあまりかまど仕事に手馴れていないようでしたものね」


「うん。やっぱり宿場町では、人手を確保するのが大変なんだよ。調理を専門職にしてるのは、宿屋の関係者ぐらいだろうし……普通の家の人たちは、そうそう大人数の食事を準備する機会もないだろうしね」


「そこで森辺の同胞が助力できるのは、誇らしい限りですね! ダゴラやアウロの方々も、とても喜んでいましたよ!」


「は、は、はい。こ、こちらも初めてヴィンの家人を仕事に加わらせることができましたので……か、家長たちは、大きな意義を見出しているご様子でした」


「フォウやランの方々も、とても喜んでいましたね。それに、ランディの菓子についてはわたしからも伝えていたので、いったいどのような味わいであるのかと期待をふくらませているようです」


 と、会話が波に乗っても、仕事の手によどみが生じる人間はいない。このような単調作業であるからこそ、個々の技量も重要になってくるのだ。もっとも経験の浅いサウティの末妹も昂揚に頬を火照らせながら、懸命に調理刀をふるってくれていた。


(他の厨では、どうだろう。みんな、頑張ってるんだろうな)


 そんな感慨を噛みしめながら、俺もひたすら具材を刻み続けることになった。


                ◇


 その後もアクシデントが生じることなく、俺たちは順調に仕事を進めることができた。

 時おりデルシェア姫たちがやってきて場を賑やかしてくれるが、それも楽しい彩りだ。中天にはまた簡単な内容のランチにお誘いして、有意義な交流に励むことができた。


 それで多少のゆとりが生じたので、他の厨を見回ってみると――トゥール=ディンたちはもちろん、宿屋の面々も大過なく仕事を進められているようであった。

 顔馴染みのネイルやナウディスに、まだそれほど交流の深まっていないランディという顔ぶれであったが、何にせよ、そこに森辺のかまど番が入り混じっているというのが何とも新鮮な心地である。ランディを手伝うフォウとランの女衆などは完全に初対面であるわけだが、それでも至極なごやかな雰囲気が漂っていた。


「やはり森辺の方々というのは、誰もが素晴らしい手腕をお持ちですな。復活祭の時期などは、こちらで雇わせていただきたいぐらいです」


「あはは。こちらのふたりは俺の屋台を手伝ってもらっているのでちょっと難しいですけれど、復活祭の時期と休息の期間がかぶる氏族があったら可能かもしれませんね」


「では、そのときにまたご相談させていただきましょう」


 そのように語るランディも、彼が集めた3名の男女も、みんなにこやかな面持ちをしている。城下町で仕事をすることも、森辺の民にそれを手伝ってもらうことも、まったく苦になっていないようだ。フォウとランの女衆も、普段通りの満ち足りた様子で仕事に励んでいた。


「こちらの方々は、森辺の民を忌避する気持ちがまったくないようですね。むしろ、森辺の民とともに働けることを喜んでいるご様子です」


 そんな言葉をこっそり伝えてくれたのは、護衛役として控えていたジョウ=ランであった。そんな彼やフォウの長兄も強面ならぬ若者であるため、場を和ませる一因になっているのだろう。それに、俺を始めとする屋台のメンバーは今でもちょくちょく宿屋の商会に顔を出しているので、そちらの方面からも理解は深まっているはずであった。


(本当に……3年前には、想像もつかなかった光景だよな)


 森辺の民と宿場町の民が一緒になって、城下町の祝宴のために働いている。そしてこの後は、みんな祝宴の参席者に転じるのだ。こんな未来を語って聞かせても、3年前の人々は鼻で笑うに違いなかった。

 何せ当時の宿場町の民にとっては、森辺の民ばかりでなく貴族だって縁遠い存在であったし、どちらかといえば疎んでいたのだ。これは、森辺の民と正しい貴族が一丸となって悪い貴族を倒した結果であったし――それに何より、ダカルマス殿下という異分子が身分の垣根に大きな亀裂を入れた恩恵であるはずであった。


(あと、ティカトラスもか。あのお人が自由気ままに振る舞うだけで、貴族の堅苦しいイメージは木っ端微塵だもんな)


 そういった積み重ねの果てに、今という得難い時間が存在しているのである。これならば、苦労のし甲斐もあろうというものであった。


 そうして挨拶回りを終えた後は、作業の再開だ。

 中天を過ぎた後もまた少しばかり具材の切り分けに従事して、それからようやくかまどに火を入れる。しかし、かえすがえすも本日は、見学のし甲斐がない調理ばかりであった。


「うーん! 今日の献立は、目新しい作法も見当たらないみたいだね! これは祝宴の開始を楽しみにするしかないかー!」


 ということで、デルシェア姫がこちらの厨に寄りつく時間は、普段よりずいぶん短くなった。きっとトゥール=ディンや宿屋の面々のほうが、まだしも見学のし甲斐があったのだろう。それにデルシェア姫は、ギラ=イラを見事に使いこなしているネイルや、南の血をひくナウディス、そしてフォンデュという目新しい菓子をお披露目したランディに大きな関心を寄せているはずであった。

 それに白鳥宮では、レイナ=ルウやヴァルカスたちも調理に励んでいるのだ。今日はそちらにも足をのばして、思うさま見学を楽しんでいる様子であった。


 あとはひとたび、オディフィアとピリヴィシュロも姿を見せてくれた。本日も、それぞれの護衛役たる武官だけをお供にしている。エウリフィアやアルヴァッハたちは、別の場所で森辺の男衆との交流に勤しんでいるのだ。


「今日、私、参席、許されました。森辺、宴料理、楽しみです」


 そのように告げてきたのは、ピリヴィシュロの護衛役である使節団の副団長だ。本日は彼と団長も祝宴に招かれていたのだった。


「それは何よりでした。森辺ばかりでなく、宿場町や城下町の方々も素晴らしい品を出してくれるはずですので、どうぞご期待ください」


「はい。期待、つのります」


 東の民なので表情は動かないが、その切れ長の目に彼の真情は映し出されていた。

 いっぽうピリヴィシュロは、それよりもくっきりと瞳を輝かせている。オディフィアに負けないぐらい、彼は俺を和ませてくれる存在であった。


「われ、きたい、じんだいです。もりべのかたがた、もちろんですが、ヴァルカス、ナウディス、きたい、つのります」


「はい。ピリヴィシュロは、まだヴァルカスの料理を口にされていないのですか?」


「はい。きょう、はじめてです」


「ではきっと、心から驚かされると思いますよ。俺も、楽しみでしかたありません」


「はい。きたい、じんだいです」


 どうしてもボキャブラリーは限られてしまうものの、ピリヴィシュロの熱情を察するのに不都合はなかった。

 そして、ピリヴィシュロと同じぐらい、オディフィアも灰色の瞳をきらめかせている。


「トゥール=ディンのおかしも、アスタのりょうりも、すごくたのしみ。……アスタのりょうり、からくない?」


「はい。今日は辛くない料理です。オディフィアのお口にも合ったら、嬉しいです」


「うん。すごくたのしみ」


 オディフィアもピリヴィシュロもつい6日前に合同収穫祭で俺たちの宴料理を食したばかりであるのに、大きな期待を寄せてくれているようである。俺は全力で、その期待に応えなければならなかった。


 そうしてその後は、ひたすら食材に熱を入れる時間が続き――またチム=スドラに感慨をこぼさせることに相成った。


「今度はひたすら、食材を焼きあげるのか。300名を相手にひと品の料理を準備するというのは、こうまで極端な内容になるのだな」


「うん。俺にとっても、こんなのは初体験だよ。いい経験をさせてもらったね」


 去年の試食会でひと品を準備するときはもっと少人数が相手であったし、礼賛の祝宴や試食の祝宴ではもっとたくさんの品数を準備することになった。300名を相手にひと品だけを準備するというのは、今日のように特殊な祝宴に限られるわけであった。


 それに、普段の祝宴ではもっと品数が多いため、ひと品あたりの料理も少量で済むのだ。本日は6種の料理と3種の菓子がすべてであるため、ひと品あたりの分量も倍ぐらいに及ぶのであった。

 つまり、同じ献立をこれだけ大量に準備するというのは、俺にとって初めての体験となるわけである。それらのすべてに同じだけの完成度を持たせるというのもまた、料理人の腕が問われるはずであった。


 しかし本日は精鋭ぞろいであるため、何の不安もなく仕事を任せることができる。経験の浅いサウティの末妹だけはサポートに回ってもらい、俺たちは大量の具材を焼きあげてみせた。


 そうして下りの四の刻の半を少し過ぎた頃――すべての料理が、完成した。

 祝宴の開始は下りの五の刻の半で、作業のリミットは五の刻に定めていたため、半刻近くはゆとりをもって仕上げたことになる。後半はずっと火を使っていたので、俺たちは汗だくの姿で笑顔を見交わすことになった。


「みんなのおかげで、無事にやりとげることができました。ありがとうございます。そして、お疲れ様でした」


「お疲れ様でした!」と、5名のかまど番たちも充足しきった面持ちで返事をしてくれた。

 そんな俺たちを、アイ=ファとチム=スドラが優しい眼差しで見守ってくれている。7時間ぐらいにも及ぶ仕事を、アイ=ファたちも同じ場所でずっと見届けてくれたのだった。


「貴族の方々は、アイ=ファとも語らいたかっただろうにな。でも、アイ=ファにすっと見守ってもらえて、すごく心強かったよ」


 俺がこっそりそんな言葉を届けると、アイ=ファは優しい眼差しのまま頭を小突いてきた。


「語らいは、祝宴の場で十分であろう。かまど仕事の苦労を分かち合うことはできんが、それを見届けずに済ませることはできん」


「いやいや。アイ=ファもチム=スドラも、しっかり苦労を分かち合ってくれたと思ってるよ」


 アイ=ファは「そうか」と微笑んでくれた。

 その青い瞳には、とても誇らしげな光が瞬いている。アイ=ファがこんな目で見守ってくれているからこそ、俺も憂いなく総身の力を振り絞れるのだった。


「さあ、それじゃあ後は祝宴を楽しむばかりだ。今日はどんな宴衣装が準備されてるのか、楽しみだな」


 余計な口を叩いた俺は、「うつけもの」とまた頭を小突かれてしまう。

 しかしアイ=ファの優しい眼差しに変わりはなかったし、アイ=ファに触れられた場所には幸福な温もりが宿されるばかりであった。

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