合同収穫祭④~喜びの夜~
2023.12/18 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
俺たちがティカトラスの一行にへばりつかれたまま簡易かまどを巡っていると、やがてフェイ・ベイム=ナハムとモラ=ナハムの両名がやってきた。
「血族の祝いが終わりましたので、よろしければ客人がたもどうぞ。そしてその後、アスタには敷物の客人のお相手をお願いしたいとのことですので、わたしたちがリフレイアとサンジュラのご案内を受け持たせていただきます」
リフレイアは「ほらね」とばかりに俺のほうを見やってから、フェイ・ベイム=ナハムに向かってたおやかに一礼した。
「ご伝言、確かに承ったわ。でもたしか、あなたがたもこちらの血族であられるのでしょう? ご面倒をかけてしまって、申し訳ない限りだわ」
「いえ。もとよりわたしと伴侶のモラは多少なりとも城下町の方々と面識があったので、自ら案内役を願い出た身であるのです」
フェイ・ベイム=ナハムが落ち着いた面持ちでそのように答えると、リフレイアはその姿をまじまじと見返した。
「そちらのモラ=ナハムは闘技会の入賞者で、あなたはその付添人として祝賀の会に参席されていたわよね? それでたしか……昨年の試食会では、アスタの助手として働いていたのじゃなかったかしら?」
「ええ。仰る通りです」
「そう……でも、何だかすっかり見違えてしまったわ。やっぱり婚儀を挙げたご婦人というのは、それほどの落ち着きを得られるものなのかしら」
「どうでしょう。ナハムの家人に相応しい振る舞いを心がけていますが、どこまで達成されているかは知れたものではありません」
そのように応じるフェイ・ベイム=ナハムは、やっぱり落ち着いた面持ちだ。以前のように、それが仏頂面に見えることはなくなっていた。
「では、ここからわたしたちも同行させていただきますので、こちらにどうぞ」
「ありがとう。アラウト殿とサイ殿は剣技に関心がおありだから、モラ=ナハムとご一緒できるのをお喜びでしょうね」
「はい。闘技会における森辺の方々のご活躍を聞き及び、どうしてあと数日早く参じて観戦しなかったのかと悔いる日々でした」
アラウトが純真なる笑顔を届けると、モラ=ナハムは「ああ」とも「うむ」ともつかない曖昧な言葉を返した。きっと彼も婚儀を経て何かしらの変化や成長を遂げているのであろうが、もともと寡黙で内面のわかりにくい御仁なのである。
そうして俺たちは、広場の中央を目指すことになった。
勇者の4名は丸太の壇に座し、勇士の5名は敷物に座している。巨大な儀式の火を背後に、その勇壮なる姿が明々と照らし出されていた。
「おお、これはまた大層な顔ぶれが居揃っているな! どの客人も、祝宴を楽しめていようか?」
まずはふたつの草冠をかぶったラッツの家長が、豪放な笑みを届けてくる。こちらからは、族長たるダリ=サウティが「うむ」と応じた。
「いずれの宴料理も素晴らしい出来栄えであるし、6氏族の家人たちも礼節をもって接してくれているので、客人たちも憂いなく祝宴を楽しめているようだ」
「それは何よりだ! しかし、ダリ=サウティ自身はどうであるのだ?」
「もちろん俺も、心から楽しませてもらっている。力比べも祝宴もたいそうな熱気で、そちらの6氏族の力をまざまざと見せつけられたぞ。こちらも恥じることがないようにと、奮起させられてしまったな」
「サウティも、眷族を含めれば6氏族か! いずれは俺たちも同じだけの眷族を抱えることになろうから、族長筋としては確かに奮起が必要であろうな!」
族長が相手でも、ラッツの家長は遠慮がない。まあひさびさの収穫祭で昂揚している上に、果実酒の効能も加えられているのだろう。それでも根っこの部分はラウ=レイよりも落ち着いているはずなので、俺も黙って見守らせていただくことにした。
「しかしお前は、なかなかの力量だな! できれば余興で勝負したかったところだぞ!」
と、そのラウ=レイが横から首をのばしながら、元気に言いたてた。ティカトラスの担当である彼も、まだ遠からぬ場所に控えていたのだ。ラッツの家長はそちらを見返しながら、「ふむ?」と小首を傾げた。
「勝負したいなら、いくらでも相手をしてやろう! 何か勝負できない理由でもあるのか?」
「うむ? 闘技の勇者は余興の力比べに加われない習わしではないのか?」
「そんな習わしは、知らんな! ラッツの収穫祭では、誰もが好きに余興の力比べを楽しんでいたぞ!」
「そうか! であれば、勝負を願いたい! まあ、闘技が無理なら袋剣の勝負でもかまわんしな!」
同じぐらい豪放な気性をした両名が、そろって愉快そうな声をあげる。
そしてそのかたわらでは、フェイ・ベイム=ナハムが勇者の壇に座した父親をリフレイアたちに紹介していた。
「ああ、こちらの御方がフェイ・ベイム=ナハムの父君であられたのね。ご挨拶ができて、光栄だわ」
平家蟹に似た四角い顔を酒気でいくぶん赤らめたベイムの家長は、うろんげな目つきでリフレイアたちの姿を見回した。
「俺はそのように大した身分の人間ではないが……こちらこそ、挨拶をできて喜ばしく思う。貴族を相手に座したまま挨拶をして、失礼はなかろうか?」
「ええ、もちろん。今日は森辺の祝宴なのですから、森辺の習わしに従うべきでしょう? 普段はフェイ・ベイム=ナハムたちに、城下町の堅苦しい習わしを押しつけてしまっているのだしね」
「うむ。城下町の様子については、娘たちからたびたび聞き及んでいる。ただ……お前に関しては、なかなか耳にする機会がなかったな」
と、ベイムの家長がいくぶん鋭くなった目つきで見据えたのは、サンジュラの姿だ。サンジュラは穏やかな面持ちのまま、恭しげに一礼した。
「私、従者ですので、祝宴に参ずる機会、少ないです。……かつての罪、怒り、抱いているなら、謝罪、申し上げます」
「お前の罪は、すでに贖われているのであろうが? ……だいたいあの頃は、俺もファの面々と何の縁もない身であったからな」
「あら、そうなのね」とリフレイアが目を見開くと、ベイムの家長は「うむ」とぶっきらぼうに応じた。
「俺はもともと町での商売や交流についても異を唱える立場であったため、ファの両名と言葉を交わす機会もそうそうなかった。ファの家と関わりが深くなったのは、その年の復活祭からとなるな」
「では、後から振り返ってわたしたちの非道な行いに腹を立てることになったのでしょうね」
リフレイアがそのように言いつのると、ベイムの家長はうるさげに手を振った。
「そんな2年以上も前の話を持ち出して、やいやい騒ぐ必要はなかろう。当のアスタが呑気な顔で過ごしているのだから、なおさらにな」
「ええ。俺たちはきちんと和解を果たしたのですから、リフレイアもサンジュラもどうか気になさらないでください」
俺が横から笑いかけると、リフレイアも目を伏せつつ「ありがとう」と微笑んだ。
その後は、各人が入り乱れて勇者と勇士にお祝いの言葉を届ける。俺とアイ=ファが勇士の敷物に移動すると、そこで果実酒をあおっていたラッツ分家の家長が顔をしかめた。
「ひさしいな、ファの家長よ。……俺の子が、何か迷惑をかけていないだろうか?」
「うむ? そちらの子とは?」
「かつてお前に嫁取りを願った、あのうつけものだ。お前のそのような姿を目にしたら、またよからぬ思いにとらわれんとも限らんからな」
豪奢な宴衣装の姿であるアイ=ファは、深々と嘆息をこぼした。
いっぽうラッツ分家の家長も、どこか不本意そうな面持ちである。
「あいつもようやく、他の女衆を娶る心持ちになれたようなのだ。万が一にもあやつがおかしな思いにとらわれるようであれば、かまわんから尻でも蹴ってやってくれ」
「いや、余所の家人にそのような乱暴な振る舞いは許されまい」
「家長の俺が、許す。……どうもあやつは、余人の力量を見抜く目が備わっていないようでな。自分がどれだけたいそうな力を持つ狩人に色目を使っているのか、まるでわきまえていないようであるのだ」
アイ=ファは2度目の嘆息をこらえながら、ただ「そうか」と短く答えた。
そうして他の勇士たちにもお祝いの言葉を届けて敷物から遠ざかると、何故だかアイ=ファが俺の頭を小突いてくる。
「えーと、俺が何か粗相をしてしまったかな?」
「うむ。お前が冷やかしの言葉を口にする前に、こらしめておこうと考えたまでだ」
「それはあまりに理不尽だなぁ。それじゃあ先におしおきをされた分、何を口走ってもかまわないということかな?」
アイ=ファは拳を固めると、俺のこめかみをぐりぐりと圧迫してきた。
そのタイミングで、どこからともなくリミ=ルウが出現する。
「リミは、リフレイアたちと一緒にいるから! おしゃべりが終わったら、戻ってきてね?」
「うむ。ナハムの両名とともに、客人たちをもてなしてやるのだぞ」
アイ=ファが優しい眼差しで応じると、リミ=ルウは「うん!」とおひさまのような笑顔でまた人混みの中に突撃していった。
そうして人垣から離脱した俺たちは、広場の片隅に設えられた敷物を目指す。その背後にぽつぽつと明かりが見えるのは、兵士たちの掲げる灯籠か何かであろう。本日は50名以上の兵士を動員して、この広大なる広場をくまなく警備させているのだ。
「おお、アスタ殿! 祝宴のさなかに呼びつけてしまって、申し訳ありませんな!」
ダカルマス殿下は、本日も元気いっぱいであった。
デルシェア姫もそれは同様であり、ロブロスとフォルタはしかつめらしい面持ちで座している。そしてそこにはメルフリードやポルアースやフェルメスばかりでなく、ゲルドの面々も集結していた。お相手をする森辺の民も、ジザ=ルウにララ=ルウにガズラン=ルティム、ゲオル=ザザにスフィラ=ザザと、なかなかの大人数だ。
「ようやく来たか。では、俺たちはしばし外させていただくぞ」
俺たちに席を譲るために、ザザの姉弟が身を起こした。彼らの担当は、ゲルドの面々であったのだ。先刻までは、エウリフィアやオディフィアやディンの父娘ともども広場を巡っていたのだろうと思われた。
「本日の宴料理についてご感想を聞かせていただくために、ゲルドの方々にもご足労を願ったのです! さすれば、アスタ殿のお手間をはぶくことにもなりましょうからな!」
「それはどうも、お気遣いありがとうございます」
「いえいえ! わたしとしても、アルヴァッハ殿の論評を是非お聞かせ願いたかったのです!」
するとそこに、宴衣装のユン=スドラとマルフィラ=ナハムがやってきた。その手に掲げられていたのは、俺たちが手掛けた宴料理だ。
「お待たせしました。どうぞお召し上がりください」
ユン=スドラは俺に目もとで笑いかけてから、敷物に大皿を配置する。おどおどと目を泳がせながら、マルフィラ=ナハムもそれに続いた。
「すでにどなたもこちらの素晴らしい宴料理を味わった後ですが、現物もなしに解説や論評をうかがうのは物寂しい限りでありますからな! ちょうどこちらに戻る際にご両名のお姿をお見かけしたので、宴料理を運んでいただいたのです!」
「そうですか。では、さっそくご説明を始めさせていただきますね」
俺たちが本日準備したのは、汁物料理とチャーハンの2種である。こちらは10名がかりであったが、トゥール=ディンも加わっている以上は菓子にも力を入れなければならないため、料理は2種に絞らせていただいたわけであった。
「まず汁物料理ですが、以前に試食会でお出しした頃からずいぶん手を加えることになりましたので、本日お披露目することにいたしました。豆乳とミソを主体にして、ドエマの貝とギバ肉の調和を目指すのが主眼でありました」
「うむうむ! 試食会では豆乳とドエマの貝の味わいを前面に押し出すために、きわめて簡素な仕上がりでありましたからな! 簡素であるがゆえにアスタ殿の力量も際立っていたわけですが、このたびは打って変わって豪奢な味わいで驚嘆させられましたぞ!」
「ありがとうございます。ドエマの貝というのは素晴らしい食材できわめて上質な出汁が取れますが、汁物料理に仕立てるとギバ肉からもふんだんに出汁が出るため、少々ぶつかることになってしまったのですよね。そこで調和を得られるように、調味料ではミソを、乾物の出汁では西竜海の魚と海草を頼ることになりました」
新たな食材を手にしてから、間もなくひと月が経とうとしている。その間に何度となくダカルマス殿下たちのお相手をしながら、俺たちはずっと新たな食材の研究に打ち込んでいたのだ。その成果のひとつが、この汁物料理であった。
「具材は、ティンファやユラル・パ、オンダやネェノンの他に、バンベやドミュグド、凝り豆やアラルの茸といった新たな食材も使用しています。そちらは具材として使い勝手がいいので、本当に重宝しています」
「はい! 豆乳や凝り豆やアラルの茸が活用されるのは誇らしい限りですし、それがゲルドの食材たるバンベやドミュグドやユラル・パとこれほどの調和を為すというのは、やはり愉快でなりませんな!」
俺の解説を聞きながら、ダカルマス殿下たちはそちらの汁物料理に舌鼓を打っている。傍から見ればとんだ余興かもしれないが、自分の手掛けた料理を目の前で美味しそうに食べてもらえるというのは、俺としても幸福な心地であった。
するとそこに、重々しい声音が響きわたる。同じものを食したアルヴァッハが、東の言葉による長広舌の論評を開始したのだ。フェルメスはずっとダカルマス殿下のおそばに控えていたはずであるので、アルヴァッハもこの瞬間を心待ちにしていたのかもしれなかった。
「それでは、通訳いたします。……まず、こちらの料理の完成度は素晴らしい。察するに、豆乳とドエマの貝による汁物料理というものは、さまざまな魚介の食材と調和するのであろうが……その反面、ギバ肉との調和にはいささかならず細工が必要となったのであろう。ドエマもギバ肉も主役を張れる存在感を有しているため、その強い個性がぶつかってしまうのは必然である。マロールやヌニョンパやジョラといった魚介の食材であればいくらでも調和を目指せるのであろうから、通常であれば無理にギバ肉との調和を目指そうという思いには至らないのやもしれない。しかし森辺の民たるアスタは何としてでもギバ肉を活用しようという気概を持っており、その気概がこれほどの料理を生み出したのであろう。まずは、アスタの気概に心からの賛辞を届けたく思う」
「はい。どうもありがとうございます」
「そして、料理の詳細についてであるが……強い味を持つミソの扱いが、また秀逸である。ミソが多ければ豆乳の魅力を打ち消し、ミソが少なければ余計な雑味にしかならなかろうから、この配分は絶妙と評する他ない。そしてそれを支えるのが、魚と海草の乾物の出汁である。ドエマの貝とギバ肉の出汁を両立させるには、この組み合わせが最適であったのであろう。それぞれ力強いドエマとギバの出汁が、繊細なる魚と海草の出汁によって隙間を埋められて、ひとつの美しい円環を描いている。その上でミソと豆乳の味わいが絡み合い、さらにさまざまな具材によって至高の調和が完成されている。ダカルマスも申していた通り、以前に供された簡素なる汁物料理も申し分ない味わいであったが、こちらはそれと双極を為す料理である。決して複雑な味わいではないものの、入念に練られた細工の数々がきわめて豪奢な印象を生み出している。これぞ、めでたき祝宴の場に相応しき汁物料理であろう」
フェルメスがそこで口を閉ざしたので、俺はもういっぺん「ありがとうございます」と頭を下げた。
汁物料理をたいらげたダカルマス殿下も、ご満悦の面持ちである。
「やはりアルヴァッハ殿の論評は、的確でありますな! わたしもまったく異存はございませんぞ! これこそ祝宴に相応しい、豪奢かつ力強い汁物料理です!」
「恐縮である」と、アルヴァッハは重々しく一礼する。
ナナクエムやロブロスやフォルタは、つつましい無表情でこのやりとりを聞いていた。
「では次は、シャスカ料理でありますな! こちらは、たしか……ちゃーはんという名でありましたかな?」
「はい。チャーハンに、貝醤を使ってみました。こちらはそれほど手間もかからず、理想の味を目指せたように思います」
「それはひとえに、もとのちゃーはんの完成度の高さゆえでしょう! しかし、これほど強い味付けでもちゃーはん元来の味が損なわれていないというのは、見事な手腕だと思いますぞ!」
確かにオイスターソースに似た貝醤というのは、それなり以上に濃厚な味わいである。しかし俺の観点から言うと中華系の料理にはきわめて活用しやすい存在であるため、チャーハンで使うことも決して難しくはなかった。
「こちらはそれほどご説明する内容もないのですが……とりあえず、使用した調味料は塩とピコの葉、タウ油とニャッタの蒸留酒、それにホボイ油とキミュスの骨ガラの出汁となりますね。具材は、ギバの胸肉のチャーシュー、キミュスの卵、ユラル・パ、それにニレとなります。これまでと異なるのは、貝醬とニレぐらいですね」
ニレは、熱を通しても生鮮のような清涼さを保つウドのような食材である。本来のウドのようにくったりしていたらこちらの料理でも使う甲斐がなかったが、この清涼さは貝醬仕立てのチャーハンの強い味をいい具合に中和してくれるのだった。
「確かにこちらは既存のちゃーはんという料理に貝醬およびニレを加えただけの仕上がりであるようだが、その完成度は先刻の汁物料理に劣るものではない。そもそもは、ちゃーはんという料理がきわめて高い完成度であったのだから、それもむべなるかなといったところであろう。ただし、完成度の高い料理に貝醬の強い味を調和させるのは見事な手腕であるし、ニレのもたらす清涼な味わいがアスタの細かい心配りを如実に示している。なおかつ、それでもなおまったく主張を阻害されないギバのちゃーしゅーの完成度というものも見逃すことはできまい。これがただのギバ肉であったならば、これほどの完成度は望めないものと察せられる。また、こちらではニャッタの蒸留酒をシャスカ酒に置き換えていないことが、むしろ試行錯誤の跡をうかがわせてやまない。おそらくアスタはシャスカ酒を試した上で、ニャッタの蒸留酒の使用を選択したのではないだろうか?」
「はい、その通りです」
俺がそのように答えると、アルヴァッハは比較的短めの言葉をつけ加えた。
「アスタはやみくもに新たな食材を取り入れるのではなく、入念に吟味した上で使用に臨んでいる。そういった労力を惜しまないことで、アスタはこれだけの料理を作りあげているのであろう。アスタはただ優れた手腕ばかりでなく、料理人として得難い心意気を有している。今後もプラティカに指南を願えれば、望外の喜びである」
フェルメスが通訳する前からその言葉を母国語で耳にしていたプラティカは、黒い頬をいくぶん赤く染めながら一礼した。
俺は「はい」と、アルヴァッハとプラティカに笑顔を返してみせる。
「俺もプラティカからは、大きな刺激を受けています。……プラティカは、まだしばらくジェノスで修行を続けられるのですよね?」
「うむ。プラティカ、残留、望んでいる。成長の余地、大きく、残されているのであろう」
アルヴァッハがそのように答えると、ダカルマス殿下が「ほうほう!」と身を乗り出した。
「プラティカ殿も、まだジェノスに滞在されるのですな! 失礼ながら、ゲルドのお屋敷にはそれでも不自由がないほど素晴らしい料理番の方々が居揃っておられるのでしょうか?」
「うむ。近年まで、料理番、不足していたが……現在、新たな料理番、修練、励んでいる。まだまだ、プラティカの域、及ばないが、将来、有望である」
「では、ゲルドのお屋敷も安泰ですな! 我々の運び込んだ食材が最高の形で活用されることを願っておりますぞ!」
そんな風に言ってから、ダカルマス殿下は果実酒をひと口だけすすった。酒杯だけは持参したらしく、取っ手のついた金属製の立派な代物だ。
「ところで! アスタ殿にもおうかがいしておきたかったのですが! アスタ殿たちが手掛けた以外の宴料理も、実に素晴らしい出来栄えでありますな?」
「はい。自分はまだすべての宴料理を口にしたわけではありませんが、どれも素晴らしい出来栄えでした」
「うむうむ! それほどファの家と行き来のない氏族の方々でもこれだけの手腕をお持ちであるというのは、驚くべきことです! おかげさまで、わたしもひとつの憂慮を晴らすことができましたぞ!」
「はい? 憂慮ですか?」
「はい! 実は《玄翁亭》のネイル殿から、300名もの参席者を招く大試食会で料理を準備するのは人員的に難しいという申し出をいただいていたのです!」
それは俺も、ネイル本人からこっそり聞き及んでいた。ナウディスやランディも同じ心情であったかもしれないが、《玄翁亭》というのはひときわ人員不足であるのだ。
「ですからわたしは、森辺の方々に助力をお願いできないものかと思案しておりました! しかし! 大試食会においてはアスタ殿とレイナ=ルウ殿とトゥール=ディン殿にも厨をお預けするわけですし、また、森辺に居残る方々も翌日の商売に備えて数多くの仕事を抱え込んでおられるのだと聞き及びます! ですが! 森辺のすべての氏族の方々がこれだけの手腕を持っておられるのならば、ご助力をお願いできるのではないかと胸を撫でおろした次第であります!」
「ええ? それじゃあ森辺のかまど番の中から、ネイルの手伝いをする人員を確保しようということですか?」
「ネイル殿ばかりでなく、ナウディス殿とランディ殿もですな! 城下町の方々は心配ご無用という話であったので、宿場町から参ずる3組の方々の助力をお願いしたいのです!」
俺が呆気に取られていると、無言で様子をうかがっていたジザ=ルウが発言した。
「その話は、こちらもつい先刻に聞き及んだ。詳しくは、ララから語ってもらおう」
「うん。こっちはレイナ姉の手伝いであたしとリミとマイムが出払っちゃうから、血族の女衆はなるべく森辺に居残ってほしいんだよね。ま、そうでなくてもこういう話は、なるべく族長筋じゃない氏族に回すべきだと思うし……アスタは、どう思う? 自分の手伝いと下ごしらえを受け持つかまど番の他に、宿場町の人らの手伝いまで回せる人手はあるかなぁ?」
「うん。それはまあ、あくまで調理助手だったら難しくないとは思うけど……」
俺がそのように答えると、ダカルマス殿下がぐっと身を乗り出してきた。
「本日の厨を見学させていただいたデルシェアも、これほど森辺の隅々にまで人材が育っているのなら問題ないのではないかと申しておりました! アスタ殿も、ご異論はありませんでしょうか?」
「はい。あれこれ作法の異なる城下町の方々を手伝うというのは難しいかもしれませんが、宿場町の方々であれば大きな問題はないように思います」
「それに、森辺の方々というのは誰もが体力自慢ですからね! 町の方々よりもいっそう力強く、調理の作業をやりとげてくださることでしょう!」
そのように声をあげたのは、デルシェア姫だ。そういえばデルシェア姫は以前に森辺で調理の見学をしていた際、料理人には体力も重要であるという感慨を抱いていた覚えがあった。
「すべてを決するのは族長たちだが、人選の際にはアスタに助言を求める必要が生じるかもしれん。今日のところは、それだけ心得ておいてもらいたい」
ジザ=ルウが厳粛なる面持ちでそのように告げてきたので、俺は「承知しました」と頭を下げた。
ダカルマス殿下は満足そうな笑顔で、酒杯を持ち上げる。
「では! そちらの話はまた追々ということで! アスタ殿も、ご足労をおかけしましたな! この後は、ごゆるりと祝宴をお楽しみください!」
「あ、これでもう失礼してかまわないのでしょうか?」
「はい! この後は、そちらの方々にもお話をうかがわなければなりませんからな!」
俺が背後を振り返ると、そこにはレイ=マトゥアとラッツの女衆が立ち並んでいた。どうやらこの後は、彼女たちがアルヴァッハの長広舌にさらされるようである。
そんなわけで、俺とアイ=ファは早々にお役御免と相成った。
レイ=マトゥアたちに席を譲って敷物を離れながら、俺はアイ=ファに笑いかける。
「ずいぶんあっさり解放されちゃったな。それじゃあ、リフレイアたちのもとに戻ろうか」
「……うむ。それが、私たちの役目であるからな」
そんな風に言いながら、アイ=ファは今にも口をとがらせそうな面持ちである。そういえば、今日は朝早くからラッツの集落に参上して、その後はなかなかゆっくり語らう時間も持てなかったのだった。
「でもちょっと、ひと息つかせてもらおうか。今日は朝から働き詰めで、けっこう体力を消耗しているからさ」
「そうか。役目を二の次にすることはできんが、家人の身を案じないわけにもいかんな」
と、アイ=ファは引き締まった面持ちのまま、青い瞳を輝かせる。瞳の輝きだけで情感をあらわにするというのはオディフィアやピリヴィシュロさながらであるが、宴衣装と相まってとてつもない愛くるしさである。祝宴の熱気が渦巻く広場の片隅で、俺はひとり心臓を騒がせることになってしまった。
そうして俺たちが賑わいから外れた場所に足を踏み出すと、ひとつの人影がせわしない足取りで近づいてきた。誰かと思えば、ラッツの家長である。
「おお、このようなところにいたのだな! もしや、ダカルマスらに呼びつけられていたのか?」
「はい。そちらも自由に動けるようになったのですね」
「うむ! それでこちらの女衆がダカルマスに呼びつけられたと聞き及び、俺も敷物に向かうべきかと考えたのだ! そうでなくとも、何から何からまでアスタたちに押しつけるのは忍びないからな!」
ふたつの草冠をかぶってふたつの首飾りをさげたラッツの家長は、豪放な笑顔でそのように言いたてた。
それから表情をあらためて、俺とアイ=ファの姿を見比べてくる。
「それに、お前たちとも言葉を交わしておきたかったのだ。俺たちの収穫祭のために力を尽くしてくれて感謝しているぞ、アスタにアイ=ファよ」
「いえいえ。それが俺たちのお役目でしたので」
「しかしそもそもファの家が率先して血族ならぬ相手との収穫祭を開いていなければ、俺たちがそれを見習うこともできなかったのだ。そういう意味でも、俺はふたりに感謝している」
ラッツの家長の勇ましい雰囲気に変わりはなかったが、声量を落とすと家長らしい風格が増幅される。これが、ラウ=レイとは異なる彼らしい一面であった。
「さらにさかのぼるならば、美味なる料理を口にできるようになったのも、値の張る食材や猟犬やトトスを買えるだけの富を手にできたのも、ひとえにアスタたちのおかげであろうからな。今日の喜びの大部分は、ファの家からもたらされたということだ」
「いや。それを支えてくれたのは、ラッツを始めとするさまざまな氏族に他ならない。そちらの助力なくして、アスタが宿場町の商売を続けることはできなかったのだからな。人手に関してもギバ肉の調達に関しても、ラッツの家は早い時期から助力を申し出てくれたではないか」
アイ=ファもまた家長らしい風格でそのように応じると、ラッツの家長は「そうだな」と白い歯を見せた。
「俺は3年前の家長会議でファの家の行いに賛同を示したからこそ、そのように助力を願い出ることができた。かえすがえすも、あのときの自分をほめてやりたい心地だぞ」
「うむ。お前は立派に血族を導いたということであろう。なおかつこれはファやラッツのみならず、多くの同胞が手を携えた結果であるのだ」
「そうだな。自分が正しい道を進んでいると信じられるのは、何より幸福なことだ」
そう言って、ラッツの家長はひときわ雄々しい笑顔を覗かせた。
「ともあれ、これほど満ち足りた思いで収穫祭を迎えたのは、俺にとっても初めてのこととなる。ファの家ばかりでなく、すべての同胞と母なる森と、ついでに西方神にも感謝を捧げておくとしよう。……ではな。そちらも祝宴を楽しんでもらいたい」
そんな言葉を残して、ラッツの家長は敷物のほうに立ち去っていった。
俺たちは、薄明りの中で顔を見合わす。アイ=ファはまだ凛然とした面持ちであったが、その青い瞳にはとてもやわらかい輝きが灯されていた。
「……ああいう荒っぽい人間と静かに真情を交わすというのは、なかなか得難いものだな」
「うん。ラッツの家長も、ただ荒っぽいだけのお人じゃないからな」
「うむ。おかげで私も、大きな喜びと誇らしさを噛みしめることができた」
そう言って、アイ=ファは熱気の渦巻く広場へとやわらかな視線を向けた。
あらゆる人々が入り混じって、今日という日の喜びを分かち合っている。そしてこの後には、舞の時間や余興の力比べなども待ち受けており――祝宴は、まだようやく折り返しに入ったぐらいであるのだ。そういえば、トゥール=ディンの取り仕切りで作りあげた菓子のお披露目さえ、まだ済んでいないのだった。
俺自身、6氏族の人々とはまだまったく喋り足りていないし、外来の客人たちもまた然りである。この後にどれだけ楽しい時間が待っているのかと考えると、胸が躍ってならなかった。
その前に、もう少しだけアイ=ファとの時間を噛みしめさせていただこう。そんな風に考えて、アイ=ファのほうを振り返ると――ちょうどアイ=ファもこちらを向いたところであり、俺たちは喜びの思いがあふれかえった目を見交わすことになったのだった。




