大試食会の予選大会③~輝ける品々~
2023.12/13 更新分 1/1
「それでは口直しも兼ねて、城下町の方々の手による菓子を味わわさせていただきましょう!」
ダカルマス殿下の進行で、俺たちの試食はぐいぐい進められていく。
次の卓で待ち受けていたのは、ヤンとニコラである。やはり試食を許される調理助手の代表は、一番弟子たるニコラが選ばれていた。
「お待ちしておりました。みなさんのお口に合えば幸いでございます」
ヤンもまた、恭しげに一礼する。
しかし隣のニコラは、まるで怒っているかのように気迫をみなぎらせてしまっていた。
ヤンが準備していたのは、焼き菓子だ。
ただ、分厚く焼きあげられた生地の上側には、オレンジ色のゼリーめいたものがかぶせられている。ヤンは焼き菓子にチャッチ餅を組み合わせる手法を得意にしているのだ。
その菓子は、素晴らしい出来栄えであった。
生地にかぶせられていたのは夏ミカンに似たワッチの果汁を添加したチャッチ餅で、そのぷるぷるとした食感と柑橘系の風味が心地好い。そして、分厚い生地はスポンジケーキのようにふわふわで、なおかつ舌がとろけるように甘かった。
「ほうほう! こちらは、エランの甘さを活かしておられるのですな!」
ダカルマス殿下のお言葉に、ヤンは「はい」と丁寧に応じる。
「先日の『麗風の会』にて、果実の掛け合わせというものが話題にあがっておりましたため……わたしもそれに触発されることに相成りました。まだまだ研究の余地は残されているかと思われますが、これまでとは異なる味わいを組み上げることがかないました」
エランとは、マンゴーに似た果実である。それほど風味は強くなく、ひたすら甘い果実であるのだ。しかしやっぱり砂糖や花蜜に比べると、どこか優しくてまろやかな味わいであった。
そのエランのほのかな風味とワッチの風味が、やわらかな調和を為している。生地の内側には細かく砕かれたメレスのフレークも練り込まれており、食感の多重構造も申し分ない。トゥール=ディンは、うっとりとした面持ちでその菓子を口にしていた。
「とても素晴らしい味わいです。それに……ヤンの菓子には、優しいお人柄があらわれているように思えてなりません」
「恐縮です。わたしもトゥール=ディン殿の菓子を口にするたびに、優しいお人柄とその奥にある芯の強さを感じてなりませんでした」
と、思わぬカウンターをくらったトゥール=ディンは「と、とんでもありません」と顔を赤くしてしまう。
いっぽうデルシェア姫も、陶然たる面持ちであった。
「でも本当に、こちらの菓子は素晴らしい味わいです! エランとワッチの組み合わせも申し分ありませんし、すべての食感が口を楽しませてくれますし……とても美味ですわね、父様?」
「うむ! きわめて美味であるな!」
そのやりとりに、ニコラがこっそり安堵の息をついていた。
そして、王家の父娘の背後では、戦士長のフォルタがこっそり満足の吐息をついている。たしか彼も、甘い菓子を好んでいるのだ。
我が最愛なる家長殿などは菓子に関心の薄いタイプであるが、あまりに甘ったるくなければ苦手なわけではない。この優しい味わいをした焼き菓子には、何の不満もない様子であった。
「では最後に、ダイア殿の菓子でありますな!」
本日は10種の献立を味わわなければならないため、ダカルマス殿下の進行もスピーディーだ。
そちらでは、また見知った面々が華やいだ声をあげていた。リミ=ルウとルド=ルウ、マイムとジーダ――そして、ティカトラスの一行である。アイ=ファはわずかに背筋をのばしたが、本日は凛々しい武官のお仕着せであるためか、溜息をついたりはしなかった。
「これはこれは、ダカルマス殿下にデルシェア姫! こちらは見るからに愉快な出来栄えでありますぞ!」
まずはそのように申し述べてから、ティカトラスはすぐさまアイ=ファに向きなおった。
「アイ=ファは、相変わらずの凛々しさだね! 大試食会では君に相応しい宴衣装を準備しているので、どうか楽しみにしていてくれたまえ!」
「……私はそのようなものを楽しむ気質ではないと、なんべん同じ言葉を繰り返すべきであろうか?」
「うんうん! そのぶんは、わたしが楽しみにさせていただくよ! さあさあ、とにかく君たちもこちらの菓子を楽しみたまえ!」
ティカトラスは、まるで自分の手柄のように卓を指し示した。
そちらでは、ダイアの菓子が燦然と輝いている。比喩ではなく、シャンデリアの光を浴びた菓子の表面が七色にきらめいているのだ。ダカルマス殿下は感心しきった様子で、「ほうほう!」と目を剥いた。
「これは確かに、美しい! わたしどもも、初めて目にする菓子でありますな!」
「はい。こちらはつい最近、完成させることのかなった菓子でございます」
白い調理着姿のダイアは、柔和な微笑みとともにそう応じた。
味と同じぐらい見栄えにこだわるのが、ダイアの流儀だ。今日の菓子も、その流儀から外れていない。ヤンと同じように焼き菓子の生地に何らかの食材がかぶせられており、それが七色に輝いているのだった。
よくよく見ると、半透明の膜に淡い色彩が渦を巻いている。七色というのは、そこに封じ込められた色彩であったのだ。そして、それを包んだ半透明の膜がきらきらと照り輝いているのだった。
ヤンの菓子は四角く切り分けられていたが、こちらは丸く成形されている。直径5センチていどの平たいビスケットのようなものが、何百枚と準備されていたのだ。ひとり2枚と考えても、240枚以上は存在するわけであった。
「毎度毎度のことながら、ダイア殿の菓子は食べるのが惜しくなってしまうほどの美しさでありますな! ですが食さねば採点できませんので、さっそくいただきますぞ!」
ダカルマス殿下はいそいそと手をのばして、その美しき焼き菓子を頬張った。
それに続いた俺は、思わず仰天してしまう。やわらかい食材だと予想していた半透明の膜が、ビスケットに似た生地と同程度の固さであったのだ。
それは、キャンディに似た食感であった。
味も、水飴のように甘い。おそらく七色の色彩の正体は果汁であり、そちらがさまざまな風味を有していたが、それよりもまず圧倒的に甘かった。おそらくこれは、砂糖や花蜜を原料にしているのだ。
そちらがきわめて甘いために、生地のほうはまったく甘くない。ただカロン乳や卵の風味が豊かで、過不足のない仕上がりであった。
(だけど、これは……ビスケットに飴細工をのせたような感じだな)
どちらも罪のない味わいであるため、食べにくいことはまったくない。
ただ――見た目の豪奢さに味が追いついていないという気持ちが否めなかった。
「ふむふむ! この色合いは、果汁であったのですな! 実に繊細な味わいでありますぞ!」
「そうですね……赤いのはアロウ、青紫がアマンサ、朱色がワッチ……そこまでは、判別できました。ただ、青や黄や緑の果実というのは、思いあたりません」
デルシェア姫が考え深げにつぶやくと、ダイアが「ええ」と微笑んだ。
「残る三食は、花からしぼった汁となります。このていどの分量では、香りが出ることもないでしょう」
「そうなのですね。その花の香りは、菓子に調和しないのでしょうか?」
「調和しないことはありませんが、あまり分量を増やすとこの輝きが損なわれてしまうのです」
「ああ、だから果汁の分量もひかえめであったのですね」
デルシェア姫は、にこりと笑った。
「確かにこの輝きは、またとない美しさです。天上の神々が菓子を食するとしたら、きっとこのような美しさであるのでしょうね」
「ごもっとも! これはまさしく、童話や御伽噺に出てくる菓子を食しているような心地でありますな!」
ティカトラスが陽気に応じると、デルシェア姫も「そうですわね」と同意した。
ダカルマス殿下も無邪気な笑顔であるが、無言である。そしてトゥール=ディンもひっそりと気配を消して、口を開こうとしなかった。
(やっぱりみんな、心からは満足できなかったんだな)
俺自身、これは味よりも見栄えのほうが重視されているという印象になってしまっていた。これで味のほうにももうひと工夫あったならば、心から満足できたのではないか――という気持ちがぬぐえないのだ。
(果汁や花の風味をうまく活かせたら、それだけで面白そうだし……それが無理なら、生地のほうに細工を凝らすとか……そうしたら、ダイアのイメージから外れちゃうのかな? それとも、研究の時間が足りなかったのかな?)
何にせよ、俺がこの菓子に星を捧げることはないだろう。星を捧げられるのは3名までなのだから、ボズルとティマロとヤンを差し置いてダイアに星を捧げる理由はどこにも見当たらなかった。
(やっぱり、料理や菓子に優劣をつけるってのは苦手だな。どうしても、ダイアに申し訳ない気分になっちゃうよ)
そうして俺たちは、その卓からも離れることになった。
アイ=ファにひっついていたリミ=ルウは、名残惜しそうに身を離す。しかしアイ=ファが「またのちほどな」と小声で伝えると、すぐさま嬉しそうに「うん!」とうなずいた。
「では次に、宿場町の方々の品ですな! 料理のほうからいただくとしましょう!」
小姓の案内で、俺たちは大広間を横断する。宿場町の料理の卓は、ここから対角線上の位置に存在するようだ。
他の人々も大いに賑わいながら、卓から卓へと移動している。ちょくちょく見知った顔を見かけるが、交流を楽しむのはすべての品を食した後だ。
「そういえば、傀儡の劇も間もなく完成するというお話でしたよね?」
と、長い道のりのさなかにデルシェア姫がそんな質問を投げかけてきた。
「はい。先月末にはひとまず完成していたんですが、半月以上もかけて手直しをしているのですよね。新しい傀儡を準備するのが大変なようでしたが、それも間もなく完成するようです」
「楽しみですね! まさか、アスタ様の物語の続編を作っていただけるだなんて、わたしは想像もしていませんでした!」
デルシェア姫は心から幸福そうな笑顔で、そんな風に言ってくれた。
傀儡使いのリコたちはずっと森辺の空き家に引きこもって、『森辺のかまど番アスタ』の手直しに励んでいるのだ。新たに作りあげた第三幕を手直しすると同時に、これまでの二幕にも多少の手直しの必要が生じたそうで、ずいぶん手こずっている様子であった。
「わたしも傀儡の劇は気にかかってならないのですが、すべての幕を拝見するとなると半刻以上の時間が必要になってしまうのでしょうからな! それで大試食会にお招きすることは断念せざるを得なかったのです!」
「はい。それだけの時間がかかるとなると、祝宴の余興にするのは難しいかもしれませんね。きっとまた、城下町でも内容を検分する会か何かが開かれるのではないでしょうか?」
「では、それを楽しみに待ちましょう! あちらの傀儡の劇というのは、美味なる料理に匹敵する魅力が秘められておりますからな!」
それはきっとダカルマス殿下にとって、最大の賛辞であったことだろう。この場にいないリコたちの代わりに、俺はその喜びを噛みしめることにした。
そうしてようやく、料理の卓に到着である。
しかしそこには、けっこうな人垣ができていた。そこは《キミュスの尻尾亭》の卓であり、ラーメンの完成を待つ人々で賑わっていたのだ。
「これはこれは、ダカルマス殿下。よろしければ、お先にどうぞ」
そのように声をあげたのは、サトゥラス伯爵家の当主たるルイドロスである。それでこちらの存在に気づいた人々が、さあっと道をあけてしまった。
「いえいえ! みなさんを押しのけて料理をいただくのは、心苦しくてなりません! どうぞわたしどものことは、おかまいなく!」
「いえ。わたしどものほうこそ、王子殿下を後ろでお待たせしていては恐縮の極みで舌も縮こまってしまいましょう」
マルスタインに匹敵するぐらい貴族らしくて如才のないルイドロスは、皮肉や嫌味の成分が存在しない軽妙な口調でもって、そのように応じた。
「城下町の祝宴においてはこのように会場で料理を仕上げるという習わしが存在しなかったため、こういった際にどのように振る舞うべきかも作法が確立していないのです。それでダカルマス殿下にも心苦しさを抱かせてしまうのやもしれませんが……ここはどうかわたしどもの顔を立てると思し召し、お先に食べていただくことはかないませんでしょうか?」
「左様ですか! それでは、みなさんのご厚意をありがたく頂戴することにいたしましょう!」
と、ダカルマス殿下もすみやかにルイドロスの提案を受け入れた。
きっとこのように他者の申し出をすんなり了承するのも、社交のひとつであるのだろう。ダカルマス殿下と一蓮托生である俺たちは、とりあえず左右の人々に頭を下げるしかなかった。
「うちが手間のかかる料理を準備したばっかりに、どうも申し訳ありません」
と、作業場のほうに近づいていくと、麺の湯を切っていたレビが頭を下げてくる。ダカルマス殿下は変わらぬ陽気さで「いえいえ!」と手を振った。
「《キミュスの尻尾亭》のらーめんは、わたしも心待ちにしておりましたからな! こればかりは城下町に持ち帰ることもかないませんので、今日という日を待つしかなかったのです!」
「恐縮です」と、レビは言葉少なく頭を下げる。当然宿場町の面々は、いまだダカルマス殿下に対して気後れや緊張が抜けないのだ。本日などはおよそ8ヶ月ぶりの再会であるのだから、それも致し方のないところであった。
いっぽう父親のラーズはいつもの調子でにこにこと微笑みながら、お椀のような深皿にタレと出汁を注いでいる。レビがそちらに麺を移し、ラーズの手で具材がのせられると、あっという間に8名分の料理が完成した。
「我々は7名ですので、残るひとつをどなたかどうぞ!」
両手で大事そうに深皿を抱えたダカルマス殿下は、いそいそと作業場から離れていく。デルシェア姫とフォルタ、俺とアイ=ファ、トゥール=ディンとゼイ=ディンがそれに続くと、ルイドロスが従者に指示を出して最後の皿を連れの貴婦人に受け取らせた。
その後は人垣が再構築されるため、俺たちは少し距離を取ってから料理をいただくことにする。
《キミュスの尻尾亭》はこのたびもラーメンを供していたが、もちろんここ最近の新たな細工を披露していた。ギバのミンチを使った肉ダレには貝醬とジョラの魚卵を、後のせの具材にはアスパラガスのごときドミュグドとチンゲンサイのごときバンベを使用していたのだ。肉ダレのほうはすでに屋台の商売でも採用されていたが、具材はこれが初お披露目であった。
「ほほう! 細かく刻んだギバ肉に、ジョラの魚卵を合わせているのですか! これは、斬新な手法でありますな!」
当人たちには声が届かないため、俺が代わりに「はい」とうなずくことになった。
「宿場町でも、この肉ダレは評判になっています。ラーズは、発想が豊かですよね」
ジョラの魚卵とは、たらこのような食材である。それをほぐして、生鮮のまま肉ダレに混ぜ合わせているのだ。挽き肉と魚卵の合わせ技というのは、俺にも思いつかない手法であった。
しかしこれが、なかなか愉快な味わいなのである。貝醤ベースの調味液と相まって魚介の風味が豊かであるし、何より食感が面白い。ギバは挽き肉でも食感が強いが、そこに魚卵のぷちぷちとした食感までもが加わってくるのだ。そしてさらに、それが麺や具材の食感にもからみついてくるわけであった。
スープは昔ながらのキミュスの骨ガラの出汁で、本日はミソ仕立てになっている。その味わいが、個性的な肉ダレとしっかり調和していた。ドミュグドとバンベもその調和の中に取り込まれつつ、確かな存在感を残している。基本のラーメンはそのままに、楽しいアレンジが完成されていた。
「ううむ、素晴らしい! 土台のらーめんがまたとない味わいであるからこそ、これだけの調和を実現できるのでしょう! 魚卵と肉を合わせるという手法も斬新でありながら、珍奇な印象は皆無であります! まったくもって、美味ですぞ!」
「本当ですね! このらーめんだけで、おなかを満たしたくなってしまいます!」
そんな風に言ってから、デルシェア姫が俺に笑いかけてきた。
「よくよく考えると、このらーめんは汁物料理でありながら、フワノ料理でもあるのですものね! 試食会でフワノ料理を供する御方は少ないので、それが《キミュスの尻尾亭》ならではの魅力になっているのだと思います!」
「ああ、言われてみれば、そうですね。自分の故郷でも、ラーメンというのはいちおう主食という扱いだったかと思います」
そのラーメンが、この場ではきわめてささやかなサイズに仕上げられている。2回に分けて食べる習わしであるから、屋台で出しているミニラーメンのさらに半分、四分の一玉ていどの分量であるのだ。これでは物足りなく感じるのが道理であった。
「らーめんの2杯目をいただくのはのちの楽しみとして、次の料理をいただきましょう! ずいぶん時間も過ぎてしまいましたからな!」
そうして次にやってきたのは、《西風亭》の卓である。
そしてそちらには、ユン=スドラとジョウ=ランも寄り集まっていた。
「あら、ジョウ=ラン様は婚約者たるユーミ様のお手伝いをされていたのでしょうか?」
デルシェア姫が楽しげな笑顔で呼びかけると、ジョウ=ランものんびりとした笑顔で「いえ」と応じた。
「自分たちの食事を進めつつ、ユーミたちにも料理を運んでいたのです。ずっとこの場に留まっていたわけではありませんよ」
「はい。手伝いのビアはこういった催しも初めてですので、おひとりで動くのは気がひけてしまうでしょうからね」
ユン=スドラもまた、朗らかな笑顔で言葉を添えた。
ユーミは力強く笑っており、ビアはおどおどと目をさまよわせている。そんな彼女たちが供しているのは、肉と野菜がどっさり盛りつけられた焼き物の料理であった。
「それじゃあ、準備しちゃうですね! ちょっとお待ちくださいです!」
丁寧な言葉が苦手なユーミはいくぶん呂律が回っていなかったが、表情や所作はいつも以上に力強い。王家の面々に対する気後れよりも、自慢の料理で勝負してやろうという気概のほうがまさっているようだ。
「これは宿で出してる特別料理で、色んな食材を使ってるから! それを小さな皿に取り分けるのが、ちょっとばかり手間なんです!」
そんな風に宣言しながら、ユーミはひょいひょいと具材を取り分けていった。使用している具材を、すべて小皿に詰め込もうという方針であるのだ。
しかし確かに、これは尋常でない数の具材が使われているようである。それで見た目が色とりどりになって、見るからに豪華な印象になっていた。
ただその反面、乱切りにされた具材に調味液がまぶされているだけの内容であるため、きわめて豪快な印象でもある。具材の大きさのバラつきなどが、そういう印象を深めてしまうのかもしれなかった。
「これは、芳しい香りですな! 期待がつのってまいりましたぞ!」
ダカルマス殿下は満面の笑みで、小皿を受け取った。
それに続いた俺も、まずは香りに関心をかきたてられる。べつだんおかしな香りではなく、見知った調味料の複合であるのだが――何が主体とも言いきれないような、実に嗅ぎなれない香りであったのだ。
そして料理を口にしてみると、いっそうその印象が深まった。
タウ油、ミソ、マロマロのチット漬け、魚醤、貝醬、ママリア酢、ホボイ油、ラマンパ油、それにマヨネーズやウスターソース――さまざまな味わいが、混然一体となっている。誰が主役というわけでもなく、全員が大きな顔でのさばっているような印象であった。
具材のほうも、それは同様だ。ギバ肉は脂身の多いバラ肉で、プラ、マ・プラ、チャムチャム、ナナール、ネルッサ、ユラル・パ、ファーナ、ドミュグド、ニレ、バンベ、ノノ、カザック、ノ・カザック、アラルの茸、キクラゲモドキ、シイタケモドキ、と――さまざまな食材が新旧入り乱れて大宴会を開いているような様相であった。
(それにたしか、厨にはアリアやチャッチやギーゴなんかも準備されてたよな。それはみんな、溶け崩れてるのか)
こちらはあくまで焼き物料理であったが、調味液で煮立てるように焼きあげたのだろう。形の残っている具材も、かなりくたくたの食感になっていた。
そうしてさまざまな調味液と具材がまざりあっているためか、ある意味、奥深い味わいになっている。主役は不在だが、山のような脇役たちで舞台が埋め尽くされているのだ。サトゥラス伯爵家の料理長とはまったく異なる意味で、豪奢かつけばけばしい味わいであった。
「これは……なんだか、すごい料理ですね。ユーミはどうやってこのような料理を考案したのですか?」
トゥール=ディンがいくぶん戸惑いながら問いかけると、ユーミは「えー?」と小首を傾げた。
「別に、どうやってもこうやってもないけど! アスタたちから習い覚えた技を、おもいっきり詰め込んだ感じかなー!」
「え? この料理に、アスタの教えも活かされているのですか?」
「そりゃーそーでしょ! じゃなきゃ、こんなにあれこれ食材をぶちこめないよ! 値の張る酒だって、ばんばか使ってるしねー!」
「ああ、お酒も使っているから、こんなに奥深い味わいなのですね。それじゃあ、乾物の出汁などは……?」
「うちは乾物なんてそんなにいくつも仕入れてないから、魚と海草ぐらいだね! マロールとかヌニョンパはなんか合わない感じがしたから、入れてないの!」
それならいちおうユーミなりに、使うべき食材が選別されているわけであった。
しかしこれは、評価の難しい料理である。さしものダカルマス殿下とデルシェア姫も、にこにこと笑いながらなかなか口を開こうとしないのだ。それで俺は、アイ=ファに囁きかけることになってしまった。
「なあ。アイ=ファはこの料理、どう思う?」
「うむ? 私はべつだん、どうとも思わぬが」
「どうとも思わないっていうのは……満足とも不満とも言い難いってことかな?」
「うむ。不満はないが、素晴らしい出来栄えだとも思わん。もしもお前が、こういった料理を晩餐で出したならば……今日は多忙で時間が足りなかったのかと思うやもしれんな」
そんな風に言ってから、アイ=ファはふいに優しげな眼差しになった。
「しかしそれでも、決して文句をつけたりはしない。なんというか、懸命に作りあげた気概は感じられるからな」
「なるほど」と、俺は納得することにした。
確かにこれは豪快な料理だが、いい加減な感じはしないのだ。でなければ、味がぶつかって破綻していたことだろう。これだけさまざまな食材を使いながら、それでも料理としては成立しているのだ。それもまた、複雑かつ強烈な味付けでぎりぎり均衡を保っているサトゥラス伯爵家の料理長の料理と通じているのかもしれなかった。
(《西風亭》では、きっとこの料理も喜ばれてるんだろうしな)
《西風亭》に集った荒くれものたちがこの料理を食べながら陽気にはしゃいでいる図を想像すると、何だか微笑ましい心地であった。
「これは前回のおこのみやきにまさるとも劣らない、豪奢な味わいでありますな! 新たな食材を惜しみなく盛り込む心意気にも、感服するばかりでありますぞ!」
「本当ですわね! 10組の中でもっとも数多く新たな食材を使われたのは、ユーミ様かもしれません!」
最終的に、王家の父娘はそのような言葉を交わすことになった。
やはり「美味」という言葉が持ち出されることはなかったが、ユーミは気にする風でもなく「どーもです!」と笑顔を返す。自慢の料理を定刻通りに作りあげた時点で、ユーミの使命感は達成されているのだろうと思われた。
そうして俺たちは、進軍を再開する。
宿場町陣営の3品目を供するは、《玄翁亭》のネイルである。そちらにもたくさんの人々が群れ集っており、その中には《銀星堂》のロイとシリィ=ロウも含まれていた。
「おお! ロイ殿とシリィ=ロウ殿は、こちらでありましたか! ボズル殿の料理は、お見事でありましたぞ!」
ダカルマス殿下に馬鹿でかい声で呼びかけられたロイはぎょっとした様子で首をすくめてから、すぐさま頭を下げてきた。
「時間内に味見を完了させるべく、まずは助手に過ぎない自分が担当の卓を離れることになりました。ダカルマス殿下のご到着を待たずに卓を離れた不調法を、お詫びいたします」
「そのような謝罪は、無用でありますぞ! どうぞ心置きなく、試食をお進めください! ……しかしまた、こちらは刺激的な香りがあふれかえっておりますな!」
「はい。こちらのご主人は、ゲルドのギラ=イラを料理に取り入れておられるとのことです」
ギラ=イラは、ハバネロのように激烈な辛さを持つ香草である。その名を耳にしたアイ=ファは、反射的に眉をひそめてしまった。
(なるほど。だからレイナ=ルウも、熱心に見学をしていたんだな)
こちらは配膳に手間のかかる料理ではないため、すぐに順番が巡ってくる。
赤褐色のソースがまぶされた、煮物とも焼き物ともつかない料理だ。ただそれが、その場で焼きポイタンの生地にくるまれて配布されていた。
「へえ。ネイルが軽食の形で料理を出すとは、ちょっと意外でした」
《玄翁亭》は小さな宿屋でひときわ人手が少ないため、屋台の商売に参加していないのである。
それで俺がそのような感想を伝えると、ネイルは軽食をこしらえながら無表情に「ええ」とうなずいた。
「西や南の生まれである方々は焼きポイタンなくして食するのが難しい味わいであるかと思い、こうして手間をかけることになりました。お口に合えば幸いです」
つまり、それだけの辛さが保証されているわけである。
それでアイ=ファが警戒した山猫のようにいっそう眉をひそめてしまうと、デルシェア姫が元気に発言した。
「ギラ=イラを使う料理が供される際には、花蜜を溶かしたカロンの乳を準備するように申しつけていたのです! あちらの卓で、それが配られているようですわ!」
「うむ、そうか。その気遣いには、心からの感謝を捧げるが……やはり辛い料理が苦手な人間でも、味見をせずに済ませることは許されないのであろうか?」
「はい! どうかひと口だけでも、お願いいたします!」
アイ=ファは溜息を呑み込むようにぎゅっと口もとを引き締めて、「承知した」と応じた。武官のお仕着せと相まって、戦場に向かう騎士のごとき凛々しさである。そんなアイ=ファの悲壮な覚悟を前に、ダカルマス殿下はかんらかんらと笑い声を響かせた。
「辛い料理が苦手であるのは、わたしも同様でありますからな! では、カロンの乳の卓の前で、こちらの料理をいただくといたしましょう!」
というわけで、俺たちはカロン乳が配られている卓を目指すことになった。乳や糖分には辛みを緩和させる効果があるとのことで、以前にプラティカのギラ=イラ料理が出された際にも重宝されていたのだ。
そうして俺たちが歩を進めると、ロイとシリィ=ロウが自主的に追従してくる。俺が目を向けると、ロイが小声で説明してくれた。
「せっかくだから、お前の感想を聞いておきたくてな。余計な前情報はなしに、とりあえず食べてくれ」
「はい、承知しました。ギラ=イラの料理なら、ヴァルカスも喜びそうなところですね。……そういえば、ヴァルカスはご一緒ではないのですか?」
「ああ。師匠は最初から控えの間に避難して、タートゥマイに料理を運ばせてるよ。今日は森辺の料理人が料理を出してないんで、最初から乗り気じゃなかったんでな」
それは何とも、不遜な話である。が、ヴァルカスは極度に人混みを苦手にしているので、致し方ない面もあるのだろう。いずれやってくる大試食会では料理を供する側の人間として今日以上の人混みに身を置かなければならないのだから、今日ぐらいは大目に見るべきなのかもしれなかった。
そんな一幕を経て、俺たちはネイルの料理を口に運ぶ。
俺はそれなりに覚悟を固めていたが――それほどの覚悟は必要なかった。少なくとも、プラティカのギラ=イラ料理ほどの辛さではなかったのだ。
もちろん、辛いことには辛い。しかしまあ、俺が知っている辛口カレーていどの辛さである。なおかつそこにはハバネロのごときギラ=イラばかりでなく、さまざまな香草の風味が感じ取れた。
個別に名前をあげるのは、ちょっと難しいところであるが――ただ、ナフアとブケラの青臭さや苦みは確かに感じられる。それに、何かの果汁と思しきまろやかな甘みも存在して、それがギラ=イラの辛さと楽しい調和を見せていた。
なおかつ、具材を包んでいるポイタンの生地にも、強い甘みとカロン乳の風味を感じる。これから口にする花蜜入りのカロン乳を思わせる様相だ。辛い料理にこれほど甘い生地というのは、ずいぶん不釣り合いであるように思えたが――そちらも決して具材の味わいを阻害することなく、しかも多少ながら辛さを緩和させているように感じられた。
とにかくギラ=イラというのは、強烈な辛みを緩和させないと、西や南の民は口にするのも難しいのである。
しかしまた、ギラ=イラにはギラ=イラならではの風味と旨みが存在する。それを活用するために、森辺ではレイナ=ルウやマルフィラ=ナハムが奮闘しているさなかであるし――この料理もまた、ギラ=イラを攻略するひとつの解なのではないかと思えてならなかった。
「……やはり、辛いな」
と、アイ=ファはすぐさまカロン乳の杯に手をのばした。
しかし、それを飲み干して息をついたのち、俺のほうに向きなおってくる。
「ただ……辛いだけの料理でないことは、私にも理解できるような気がする。辛みを苦手にしていなければ、きっと美味と感ずるのであろう」
「うん。ギラ=イラは、すごく旨みも豊かからな。これはかなり、ギラ=イラを活かした料理だと思うよ」
「まったくですな! カロンの乳が飲んだ端から汗として流れ出てしまいますが、美味であることに疑いはありませんぞ!」
と、ダカルマス殿下はひと口食べるごとにカロン乳を飲み、汗をふき、また新たなひと口を頬張るというせわしなさであった。ギラ=イラには、ちょっと怖くなるほどの中毒性も存在するのである。
「で、どうだ? お前は、満足のいく味だったかよ?」
と、ロイがまた小声で呼びかけてくる。
俺もひと口だけ花蜜入りのカロン乳をいただいてから、「ええ」と応じた。
「これは、申し分のない味わいだと思いますよ。ギラ=イラの辛みを上手い具合に中和しながら、旨みや風味を十全に活かしているようですし……それがまた、具材ともしっかり調和しているようですしね」
具材は、薄切りにされたギバのバラ肉と、長ネギのごときユラル・パ、キュウリのごときペレ、小松菜のごときファーナ、それにサツモイモのごときノ・ギーゴなどである。味のしみこんでいないペレの瑞々しさやノ・ギーゴの甘さなども、辛さを中和する一助になっていた。
「それに、以前のプラティカの料理よりも、さらに西や南の方々に受け入れられやすい仕上がりだと思います。この短期間でここまでギラ=イラを使いこなせるのは、すごいですね」
「ああ。どれだけシムに憧れていようと、あのご主人は西の生まれなんだからな。まずは自分で美味いと思えなけりゃあ、客に出せるわけもない。これは、西の民ならではのシム料理なんだろうと思うよ」
その口ぶりからして、ロイの評価も高いようである。ずっと無言のシリィ=ロウもさっきから闘争心を剥き出しにした目つきであり、それもまた料理の素晴らしさを認めた結果なのだろうと思われた。
「師匠の評価が気になってたまらねえんだけど、会が終わるまでは会えそうにねえからさ。それで、お前の感想を聞いておきたかったんだ。じゃ、ボズルにも順番を回してやらないといけないんで、また後でな」
そんな言葉を残して、ロイとシリィ=ロウは立ち去っていった。
するとアイ=ファが、こっそり俺の袖を引いてくる。
「アスタよ。この料理の出来栄えというものは、私にも理解できたように思う。しかしこれ以上口にしたならば、舌を痛めて今後の審査というものにも影響が出てしまいかねん」
そのように語るアイ=ファの手には、ひと口分だけかじった料理が握られている。俺はくすりと笑ってから、「そうだな」と応じた。
「ひと口でも食べたんなら、立派にお役目を果たしたと思うよ。食べ残しの料理は、あの壺に廃棄すればいいんじゃないのかな」
「…………」
「冗談だよ。ファの家人として、俺が何とかいたしましょう。……いてててて。ごめん、ごめんってば」
俺はアイ=ファに耳をひねられながら、残りの料理を食することに相成った。
ダカルマス殿下は止まらない汗を織布でぬぐいつつ、「さて!」と声を張り上げる。
「それでは、移動いたしましょう! ……それにしても、実に趣の異なる料理ばかりで、心は弾むばかりでありますな! 審査のほうはいったいどのような結果になるのか、いよいよ楽しみになってまいりましたぞ!」
「そうですね。自分もまだ決めかねていますし、みなさんがどのように票を投じるかも想像がつきません」
「だからこそ、これほど楽しいのでしょう! 結果の見えている勝負ほど、退屈なものはありませんからな!」
そのように語るダカルマス殿下は、子供のように無邪気な笑顔であった。
ともあれ、残るは2種の菓子のみである。
そちらではどのような驚きが待ちかまえているか、俺も心の準備をしておくことにした。




